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《第20章》 ― 「どうして?」…後悔ばかりで埋め尽くされた…俺達の時間…. -

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 二人で良く行ったフレンチレストラン。
その同じ場所で健志の好みのワインを啜りながら、亮は改めて健志を眺めていた。

 切れ長の細い、光に当たると淡いブラウンに輝く瞳…。父方のフィンランド人の血のせいか、透けるような白い肌。やけに艶めかしく見える薄い唇。今もその唇の端に含んだ笑みを浮かべながら自分を見つめている。

 ニューヨークに行った時も思ったが、相変わらず綺麗だ…と亮は思う。健志は誰をも魅了して虜にしてしまうオーラのようなものを放っている。以前は自分もそのオーラに夢中になっていた。

 端麗な容姿、社交的な性格、そしていつも自信に満ちた態度…その何もかもに惹かれ、愛していると…信じていた。

 でも、今は違う。

 健志を見てもただ他人を…恋人でも友人でもなく…ただ、他人を眺めている…そんな漠とした感慨があるだけだった。

 以前と違うのは、自分の気持ちだけではないのかもしれない…。亮は料理を運ぶ手を止めて、また健志を眺めた。

「…疲れているんじゃないか?」

 彫りの深い顔立ちに疲労の影が色濃く滲んでいるような気がして、亮は健志に声を掛けた。
それまで、ぎこちないながらもお互いの近況や仕事の話、健志のニューヨークの生活ぶりなどを取りとめもなく話していた時だった。

 亮の問いかけに、一瞬健志が驚いたように目を大きく見開いて亮をしげしげと眺めた。

「…なんだよ?」

 自分をまじまじと見詰める健志の視線が煩わしくて、苛々を含んで亮は健志を見返した。

「いや…そうだな…。少し疲れているかもしれない。最近バタバタしていてね。それに…治安も不安定だったりしたからな…」

 健志はなぜかバツが悪そうに亮の視線から顔を逸らすと、ボソッと答えた。

「ああ…」

 健志の「治安」という言葉を聞いて亮は納得したように頷いた。
ここ最近ニューヨークやワシントンで特殊な宗教系過激派のテロが相次いでいた。つい1ヶ月前にも健志の会社があるビルで爆弾騒ぎがあったのだった。

「色々大変だな…。仕事場のほうは落ち着いているのか?」

 仕事一つするのにテロまで気にしなきゃいけないなんて…以前の華やかさが影を潜めてしまっている健志の顔を見つめて、亮は健志が気の毒になり始めていた。

 亮の言葉に健志がくすっと笑いを漏らした。フォークを皿に置くとナプキンで口元を拭う。

「それも…あいつの影響か?」

 嘲りを含んだ声音で健志が訊ねる。

「あいつ?」

 冷えた鋭い声でなじるような健志の言葉に亮は眉を顰めて健志に聞き返した。

「あの冴えない日本語教師さ、お前の運命の恋人やらのな」

 すぐに桂の事だと気づいた亮はさらに顔を歪ませた。

「お前の言っていることが分からない」

 冷たくそっけない言い方で健志を突き放す。

「お前のその偽善家ぶった言い方だよ。いかにも俺のことを心配しています、って態度をしやがって。嘘臭くて吐き気がするね!」

 淡いブラウンの瞳に怒りを孕みながら、健志は亮を睨みつけた。亮も負けじと健志を真っ直ぐに見返す。

「俺は別に偽善家ぶっちゃいない。大変そうだから、ただ大変だな、と言っただけだ。それがどうしてお前の気に障るのか分からない」

 健志は冷笑で唇を歪ませたまま、両肘をテーブルに付いて顔の前で手を組むと亮を睨みながら唇を開いた。

「お前はほんとに気取り屋だよ。以前のお前だったら他人のことなんか気にしやしなかった。たとえ愛し合っている恋人のことでもな!それなのに、今は…。」

 いや…分かっているさ。

亮は胸の中で呟いた。

 お前の気に障る原因なんて、分かりきっているさ。

 俺が桂を愛している…その事実がお前の怒りなんだ…。

 亮はゆっくりと頭を左右に振ると、健志を静かに見返した。健志は怒りを押し殺した冷えた口調で続ける。

「お前は…以前のお前だったら俺の体調や気分なんか気にもとめなかった…。別にこのことでお前を責めてるわけじゃない。それが俺たちの恋愛スタンスだろ。お互い自由気ままに恋愛を楽しむ。その中にお前が俺を心配することは含まれていなかった。もちろん俺だってそうさ。俺の気分でお前との生活を楽しんだ…」

 フッと健志が口を噤んだ。以前の生活に思いを馳せるかのように一瞬視線を遠くに揺らす。

 亮は黙ってそんな健志を見つめた。今は健志に言いたいことを言わせたほうが良い…そう判断していた。

 それに…自分は…健志の気持ちを思いやることの出来なかった自分は、健志の責めを受けなければならない…そんな覚悟もあったのかもしれない。

 健志は激昂する感情を堪える様にグッとゴブレットのミネラルウォーターを飲み干した。唇の端から滴る水滴を乱暴に拭うともう一度口を開いた。

「だが、今じゃどうだ?あの男のせいでお前は骨抜き。別れ話真っ最中の男相手にまで同情交じりの心配を演じてみせる。お前はいつからそんなに御大層な奴になったんだよ。辺り構わずに慈善精神を発揮しやがって!ホントに吐き気がするぜ!」

 吐き捨てるように言って、健志は荒い呼吸を付いた。くっと唇を噛み締めると、プイッとテーブルに視線を落とす。

「…それでお終いか…」

 亮は静かに口を開いた。
健志の荒げた声のせいで、さすがにウェイターや周りの客たちがちらちらと二人のテーブルに好奇の目を向ける。

 そんなことも構わず亮は落ち着いた気持ちで健志を見つめ返した。

 …ドライで気楽でお手軽な関係…
 …自由で気ままな恋愛スタイル…

 そんなもの、恋じゃなかった…
それに気づくまでの長い距離…

 桂に出会って、桂を知って、桂に惹かれて…愛している感情を始めて知った…。

 桂を愛してしまったから、桂を傷つけることが自分を切り裂くのと同じくらい辛かった…。

 その為に傷つけてしまった健志の気持ち…。

 今はもう…
すまないとも、申し訳ないとも、許して欲しいとも思わない…。

 ただ、愛していなかった…。そう思うだけ。

 本当の恋じゃなかった…。そう思うだけ。

 身勝手だとは思っている…。そう思う。悪いと…ただそう思うだけ…。そして…。

 亮はもう、健志を憐れむような感情しかわかないことを自覚しながら、ただ黙ってまだ昂ぶる感情で肩を震わせる健志を眺め続けた。

「お前を愛していないんだ。…俺はお前と別れる…。終わりにしよう…」

 もう、願いなどしなかった。
自分の問いに対する健志の返答を待たず、亮は唯一の望みを…この数ヶ月繰り返してきた望みを静かに口にした。
 
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