上 下
71 / 101
《第20章》 ― 「どうして?」…後悔ばかりで埋め尽くされた…俺達の時間…. -

1

しおりを挟む
 桂は一瞬瞳に傷ついた色を浮かべた後、すぐにそれを諦めの色に変えた。亮はその微妙な桂の変化を、切なく胸を疼かせたまま見つめた。

「1週間…待っていてくれないか…」

 桂を傷つけているという自己嫌悪で疼く胸の痛みを堪えながら、亮は桂に告げた。

 たった今健志が明日日本に戻ってくると知らせた後だった。
言葉を失くして竦んだままの桂が、やけに華奢で頼りなく見えて、亮はたまらず桂を胸に引き寄せた。

 桂は一瞬抗うような素振りを見せたが、強引な亮の腕の力に観念したのか大人しく身を亮の胸に預けた。それでも顔を上げて亮を見ることはせず、俯いたまま…。

 そんな微かに見せた桂の抵抗めいた態度に少し亮は気持ちを明るくすると、桂の顎を掴んで持ち上げた。僅かに潤んだような桂の黒い瞳を覗き込むと、亮は静かに口を開いた。

「俺…健志と色々話しがあるから…。だから、俺が連絡するまで待っていてくれ」

 少しでも、桂が自分の言葉の外にある感情に気づいてくれるように祈りながら亮は言った。
桂も亮の真剣さに呑まれたかのように、こくんと素直に頷く。

 桂の頷きに、少なくとも健志の帰国の間、桂が自分を待っていてくれるということが約束されて亮はホッと安堵の息を吐いた。
自分の胸に深く潜り込む桂が愛しくて、亮はすっかり癖となってしまった桂の耳朶への柔らかいキスを落とす。

 亮の愛撫を大人しく受け止めていた桂が軽く顔を起こして亮を見つめた。
その自分を見つめる、しっとりと濡れたような黒い瞳に悲しそうな色が宿っているのを見つけて、亮は嫌な予感に眉根を寄せた。

 案の定、桂が亮を困惑したように見返しながら言った。

「俺の事は…気にするなよ…。夏以来だろ、逢うの。だから…ゆっくりしろよ…」

 何もわかってはくれない桂の言葉に、亮はむっとする。湧き上がる怒りを押し込めながら、亮は桂の言葉の続きを待った。
桂は亮の思惑など何も分からないかのように、明るい表情を無理に浮かべながら次々に健志を気遣う言葉を並べていく。

「健志さんとデートする所決めたのか?最近俺の所為であんまり外出しなかったから…。流行りのデートスポットとか調べたのかよ…」

 聞きたくなどない…桂のそんな言葉。桂は永遠に健志のことを優先し続けるのだろうか?俺の気持ちなど分からず
に…。

 何度も打ちのめされた…桂が自分の気持ちを分かってくれないことに…。桂が終わりばかりを考えている事に・・・。

 桂との距離が一向に縮まらない事に亮は呆然としながら、黙って目の前で無理に笑顔を作ろうとしている桂を見つめた。

 どうしてこんな風に傷つけあわなければいけないんだろう…俺たちは。
自分の冒した罪だと分かっていても亮はどうにもならないやるせなさに体の中心が凍り付いていくのを感じていた。

 何も言わない亮に、桂は戸惑ったように亮を見つめていた。二人には当然のオプションとなってしまった沈黙の中で桂がフッと柔らかく一呼吸置いた。
次の瞬間、桂の表情から今までの孤独な色が陰を潜めて、何かを悟ったような穏やかな色が浮かんでいるのに気づいて亮はぎくっとした。

 桂は緊張しているのかゴクッと喉を鳴らすと、神経質に唇を舌先で無意識に湿らす。ちらりと覗いた桂の桃色の舌先に亮は視線が釘付けになってしまう。

「山本、お願いがあるんだ…」

 にこっと桂はその日初めての笑顔を見せた。見るたびに亮が惹きつけられてしまう、無垢な優しい笑顔…。

「…なんだ…」

 お願いなど聞きたくない…聞いて…もし望まない願いが…桂の口から零れたら…。

 返事が怯えで掠れてしまう。

「契約を終りにする時は、すぐに言ってくれよ。俺に絶対気をつかったりしないで欲しいんだ…」

 亮の願いを無視する桂の冷えた言葉…。

 なぜ無理に笑ったりするんだろう…。どうして…お前はそんな風に俺から離れる事ばかり考えるんだ…?

 亮は桂の言葉に返す事も出来ずに黙って桂を見つめた。胸の中がスッと凍り付いてしまい、舌の根が強張っていく。桂は優しい微笑を浮かべたまま言葉を継いだ。

「中途半端は嫌なんだ。だから言ってくれよな。山本は健志さんの事だけを考えれば良いんだ…」

 どうして健志を優先するんだ…。

 どうしてお前の気持ちや俺の気持ちを優先してくれないんだ?

 どうして俺はお前に気を使っちゃいけないんだ?愛していれば…大事だし、気にだってするだろう…?

 俺達は愛し合っているんだろ?
どうしてここに存在しない健志を気にして…ここにいる俺達の気持ちを無視するんだ…?

 俺が今…ここで愛している…って言えば…お前は分かってくれるのか…?

 どうして?どうして?どうして?どうして?
何もかもが「どうして?」という後悔で埋め尽くされた俺達の関係…。

「分かった…」

 返す声が硬くなってしまうのを止める事なんて出来やしない。それでも亮の答えに桂が、ん…ありがとう。と微笑んだ。

「ありがとう」

 なぜかホッと安心したように礼を言う桂の表情に不安を覚えて亮は桂を抱き寄せた。
強引に引き寄せられたせいでバランスを崩してもがく桂の体をしっかりと抱きしめる。

 桂の温もりを感じないと桂の存在を確かめられない事実に愕然としながら亮は桂の体を抱えたままソファに腰掛けた。

 桂の体を膝の上に横抱きにすると、じっと桂の顔を覗き込んだ。桂の瞳に自分の姿が映っているのを確認した途端、亮は体が凍りつくような恐怖と桂が欲しくて血液がさざめくような熱とに体中が侵されていく。

 あと、もう少しだけ時間が欲しくて…。

 桂が自分から絶対に離れないという確かな約束が欲しくて…。

 藁にも縋るような思いで亮は桂の高ぶる気持ちを耐えるような瞳を覗き込んだ。

「お前も…約束忘れるなよ」

 桂の拒絶が怖くて声が上擦って掠れてしまう。

「…約束って?」

 亮の言葉の意味が分からなくて、その瞬間だけ桂があどけないきょとんとした表情で亮を見返した。
桂があの夜の約束を覚えていないのかと、亮は少しの失望をやっと押し殺すと桂の体に優しく手のひらを這わせた。

「桂の時間を俺にくれるって言う約束…。俺…健志が帰ったら、桂に話しがあるから…。それも覚えていろよ」
「…話しって…今じゃダメなのか…?」

 亮の言葉に桂が顔を上げて不安そうに訊ねた。
桂の不安が分かってしまう…言えるものなら言ってしまいたい…桂の不安を取り除いてやりたい…。

 ジレンマに駆られながら亮はもう一度、不安に揺らめく桂の瞳を見つめながら、優しく喉元や頬に指先を滑らせた。感じて桂が身体を震わせるのを、もう一度強く抱きしめながら低い声で告げた。

「今はダメなんだ…。桂…忘れるなよ。お前は俺と冬の休暇を過ごすんだからな…」

 今の亮にとって、その約束だけが全てだった。訳も分からず混乱したような表情で、桂が「分かった。」と言うのを聞いて、やっと亮はその夜眠れるような気がしていた。
 
しおりを挟む
感想 9

あなたにおすすめの小説

45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる

よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です! 小説家になろうでも10位獲得しました! そして、カクヨムでもランクイン中です! ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。 いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。 欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・ ●●●●●●●●●●●●●●● 小説家になろうで執筆中の作品です。 アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。 現在見直し作業中です。 変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。

the sun in the moon

BL
あまり人に興味をもたないサラリーマンと、人生を諦めた喫茶店のオーナーの少し、大人な、お話、

放課後教室

Kokonuca.
BL
ある放課後の教室で彼に起こった凶事からすべて始まる

ポケットのなかの空

三尾
BL
【ある朝、突然、目が見えなくなっていたらどうするだろう?】 大手電機メーカーに勤めるエンジニアの響野(ひびの)は、ある日、原因不明の失明状態で目を覚ました。 取るものも取りあえず向かった病院で、彼は中学時代に同級生だった水元(みずもと)と再会する。 十一年前、響野や友人たちに何も告げることなく転校していった水元は、複雑な家庭の事情を抱えていた。 目の不自由な響野を見かねてサポートを申し出てくれた水元とすごすうちに、友情だけではない感情を抱く響野だが、勇気を出して想いを伝えても「その感情は一時的なもの」と否定されてしまい……? 重い過去を持つ一途な攻め × 不幸に抗(あらが)う男前な受けのお話。 *-‥-‥-‥-‥-‥-‥-‥-* ・性描写のある回には「※」マークが付きます。 ・水元視点の番外編もあり。 *-‥-‥-‥-‥-‥-‥-‥-* ※番外編はこちら 『光の部屋、花の下で。』https://www.alphapolis.co.jp/novel/728386436/614893182

いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜

きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員 Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。 そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。 初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。 甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。 第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。 ※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり) ※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り 初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。

【完結】嘘はBLの始まり

紫紺(紗子)
BL
現在売り出し中の若手俳優、三條伊織。 突然のオファーは、話題のBL小説『最初で最後のボーイズラブ』の主演!しかもW主演の相手役は彼がずっと憧れていたイケメン俳優の越前享祐だった! 衝撃のBLドラマと現実が同時進行! 俳優同士、秘密のBLストーリーが始まった♡ ※番外編を追加しました!(1/3)  4話追加しますのでよろしくお願いします。

初体験

nano ひにゃ
BL
23才性体験ゼロの好一朗が、友人のすすめで年上で優しい男と付き合い始める。

大嫌いだったアイツの子なんか絶対に身籠りません!

みづき
BL
国王の妾の子として、宮廷の片隅で母親とひっそりと暮らしていたユズハ。宮廷ではオメガの子だからと『下層の子』と蔑まれ、次期国王の子であるアサギからはしょっちゅういたずらをされていて、ユズハは大嫌いだった。 そんなある日、国王交代のタイミングで宮廷を追い出されたユズハ。娼館のスタッフとして働いていたが、十八歳になり、男娼となる。 初めての夜、客として現れたのは、幼い頃大嫌いだったアサギ、しかも「俺の子を孕め」なんて言ってきて――絶対に嫌! と思うユズハだが…… 架空の近未来世界を舞台にした、再会から始まるオメガバースです。

処理中です...