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《第5章》―お前の世界を知りたい…。それすらも「ごっこ」の関係では許されないのか…?―

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 凄まじい音を立てて乱暴に玄関のドアを閉めると、亮は部屋に靴を投げ捨てて飛び込んだ。走って来た為か、はたまた怒りの為か、荒く肩で息を吐く。

 リビングのカップボードから、バーボンを取り出すと、そのまま口の中に強い液体を流し込んだ。きつい香りが口の中に広がり、生特有の焼けつくような痛みが胃を直撃する。

「畜生っ!」

 乱暴に怒りの衝動そのままに罵声を吐出すと、壁をがむしゃらに蹴り上げる。荒れたまま、またバーボンをボトルごと呷ると、くそっとまた呻くように言った。

 どうしようもない桂に対する怒りだけが、どす黒く胸の中で荒れ狂う。胸を引き裂くような痛みだけが亮の感覚を支配していた。

「どうして…!どうして…っ!健志、…健志…って言うんだ!あいつは!」 

 先程の桂の態度を思い出して、またやるせない怒りが込み上げる。リビングの中を夢遊病者のようにフラフラと酒瓶片手に歩き回る。

 楽しい夜になるはずだった…。桂との楽しい時間…恋人との甘い夜を過ごすはずだったのに…。

 何気なく触れたポケットから亮はカード・キーを取り出す。
酔いが回りつつある頭で…それでもやりきれない思いのまま、拒絶されたキーを見つめる。

「くそっ!こんなものっ!」

 言って、亮は自分と桂を繋ぐはずだったキーを怒りそのままに乱暴に床に叩き付けた。

カシャン…無機質な乾いた音が部屋に響く。

 無残に床に放り出されたキーを見つめたまま、亮はズルズルと床に座り込んだ。
情けなくて…なぜだか…泣きたくなって…亮はまたバーボンを一気に喉に流し込むと、くそっと呟きつづけていた。

 亮にとって、それは結構一大決心に等しいものだった。

―部屋のカード・キーのスペアを作ろう…—

 今まで、他人を自分の領域に入れるのを好まなかった自分が、桂の為に…思って、決意していた。

 最近、亮の部屋でのデートが多くなっていた。亮が先に部屋に戻っていれば問題は無いのだが、どちらかと言えば、桂の方が先にマンションに到着している事の方が多い。

 亮のマンションはセキュリティの管理がしっかりしている。エントランス・ロビーの入り口と部屋のドアと二重にカードキーと暗証番号でロックが掛かっていた。

 当然、キーも暗証番号も持たない桂は部屋に入れない。だから、いつも先に到着すると、桂はロビーで亮の帰りを待っている。

 亮はそんな桂の姿を見るのが嫌だった。何となく迷子の子供のようにしょぼくれて立っている…そんな桂が不憫で…愛しく感じてしまって…余計自分の感情が乱されてしまうのだ。

 しかも、最近は急速に暑くなってきていて、部屋に入る頃には桂は汗をびっしょりかいている事が多い。桂の体も心配だった。

 だから…キーを持たせたかった…。
誰にも今まで鍵を渡した事なんて無かった…。桂だから…桂だけに…鍵を渡したい…そう思った…。

 それなのに……。

『駄目だ…。山本…。俺は…その鍵受け取れない…。』

 そう、亮の鍵を拒絶した桂。

 信じられなくて…すんなり、喜んで受けとってくれると思っていた…。
事実、出来あがったキーを管理会社から受け取った時、桂の喜ぶ顔を想像して、自分まで嬉しくなってしまっていたのに…。

『どうしてだよ…?』

 嘘だ…と言う思い。どうか…受けとって欲しい…と言う願い。それが綯交ぜになって、理由が知りたくて問いが押し出された。

『俺が…持つべき物じゃない…よ。山本、それは健志さんが持つべきものだろ?冗談でも…そんな事するな…。俺は暑くないから…大丈夫。もし俺がロビーに居るの迷惑だったら…そこの喫茶店にでもいるから…』

……健志……また……健志かよ……

 桂の答えに呆然とした。
自分が悪いと分かっていても、桂から、健志の名前を聞きたくなかった。無責任なのも分かっている。

 …桂がいつも健志の存在を意識している限り…俺達の関係は何も変わらないのか…。

 自嘲めいた皮肉な笑いしか浮かばない。亮はあの時の自分のショックを思い出してクッと喉の奥で笑った。

 何を言う事が出来るのだろう…健志の名前は桂の切り札なんだ…。健志が俺の恋人だから…当然鍵を持つのも恋人の健志…セックス・フレンドの自分は鍵を持つ資格が無い…。

 桂はそうルールを自分の中に作っている。
 健志が俺の本当の恋人だから…

―唇へのキスはしない…
―自分のマンションの場所は教えない
―自分からは連絡はしない…
―俺の部屋の鍵は絶対持たない…

 亮は酔いで朦朧とし始めた頭で桂が、作り上げているだろうルールを考えていった。

…そして…もう一つ…

 苦々しい思いのまま、鍵を拒絶された後の騒ぎを思い起こしていた。

 気まずい雰囲気のまま、桂は「帰る」と告げた。
最近の桂に多い行為だった。仕事が詰まっている、次の日の、授業の予定を立てなきゃいけない…etc

 仕事が忙しいのは分かっている。それでも、そう言ってそそくさと帰って行く桂の姿を見送るたび…どんなに嫌だったか…。

 それなのに今も桂は、こんなに大事な話しを放り出して自分の側から離れようとしている。
自分が悪いと分かっていても、亮は我慢が出来なかった。

 怒りに任せて、桂の腕を乱暴に捻り上げると、自分が桂を桂の部屋まで送ると告げていた。

 強引に桂の部屋の場所を聞き出して、桂のマンションに着いたまでは…まぁ良かったのかもしれない…。

―自分のマンションの場所は教えない―
 
少なくともそのルールを壊す事は出来た。

 でも…

『部屋に、あげてくれないのか…?』

 祈るような思いで…そう訊ねた。
桂の答えは予想がついていたけれど…それでも桂の部屋に入りたかった…桂の世界に受けいれられたかった…。

『駄目だ…。俺の部屋は山本の居る場所じゃないよ…』

 静かな声音で、そう拒絶した。それも…桂のルールなのか…?

 俺のいる場所じゃない…。
じゃぁ、俺のいる場所はどこなんだ…?そして…桂の部屋にいる資格のある奴は誰なんだ…!

 やり切れない怒りばかりが込み上げてきた。

 桂の世界に受けいれられない…自分は絶対に桂の世界に入ることが許されない…。その事を桂の態度からまざまざと思い知らされて…桂が傷つくのを分かっていて、叫んでいた。

『キスはしない!鍵は要らない!部屋には入るな!桂…一体俺はお前の何なんだよ!』

 そんな事を聞くほうが…俺の方が…間違っているのに…。

 それでも言わずにはいられなかった…。桂の世界に自分も居たくて…。
みっともないと思っても…桂に自分の気持をわかって欲しくて…。

 それなのに、桂は…
『ごめん…』
 ただ一言、そう言っただけ。

 決定的に自分の世界から締め出す…桂の態度が許せなかった。
桂が泣いているのは分かっていた。でも抱きしめる事なんて出来なかった…。

 どうして…桂は俺を締め出そうとするのだろう…おれを受けいれるのが嫌なのか…?

 グイっとバーボンを呷って、フロントミラー越しに写った、嗚咽を堪える様に肩を震わす桂の姿をチラッと見たのを思い出す。

 また…桂を傷つけた…。きっと桂は泣いていた筈だ…でも…俺だって…泣きたいさ…。

 どうして…お前は俺をお前の世界から追い出そうとするのだろう…。
お前にとって俺はなんなんだよ…?

「教えろよ…。桂…教えろよ…。俺はお前にとって何なのか…?」

 馬鹿げた問いなのは分かっている。

 自分にとって桂が何なのか分からないのに…。それでも亮はその日一晩中酒を呷りながら、そう呟き続けていた。
 
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