恋人は戦場の聖母

嘉多山瑞菜

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最終章 きみを死なせない

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「暗いから、足元をちゃんと見ながら歩くんだ」

子供扱いするかのように言うアレックスに、わかってる、とちょっとツンと答えながらもおぼつかない道を、真理は慎重に歩を進めた。

野営用のランタンで向かう先を照らしながら、草地をゆっくりと二人で降りていく。

夜露に濡れ始めて滑りやすくなっているのを心配するように、アレックスの片手は真理の腰から離れない。

自分を支える腕の強さに安心する。

「はい、ここでストップ」

軽やかなアレックスの声が静まり返った暗い草原に響き渡る。
目の前には、先ほどテラスから眺めた巨大な湖が広がっていた。

湖面はランタンの明るいLEDライトに反射して、光っている。
これを見せたかったのだろうか。

アレックスの顔を見上げようとすると、グッと彼の胸に抱き込まれる。

「アッ・・・アレクっ?!どうしたの?」

問えば、はぁと熱っぽい彼の吐息が耳朶を震わせて、手に持っていたランタンを片手で取り上げられた。

「ちょっと静かに。いいか、俺が良いって言うまで、絶対顔を上げるな」

珍しくピシリと言われて、思わず顔を彼の胸に押し当てたまま黙ると、アレックスは良い子だと囁きながら、抱きしめていた腕を離して、なにやらごそごそやっている。

もう何が何だか分からないまま、ヤケクソのような気分でアレックスの胸でじっとしていると、ふと彼の鼓動が聞こえてきた。

その音に耳を澄ますと、思いがけず気持ちが凪いでいくのを感じた。

ああ、そうだ、と思う。
いつだって、彼の鼓動は自分の心を穏やかにさせてくれる。この音にどれだけ安心し、癒されてきたか・・・。
いつだって守るように、彼が刻む心音は自分を包み込んでくれるのだ。

そんなセンチメンタルなことを考えて、じんわりと瞳の奥が潤みそうになった瞬間、アレックスが真理の背をさすりながら声を掛けた。

「お待たせ。真理、顔を上げてごらん」

顔を上げた瞬間は、自分の周囲は真っ暗な闇に覆われていて、ランタンが消されたのだと分かった。

暗くても、はっきりと分かる琥珀色の瞳が、見上げてすぐに視界に飛び込んできて・・・その色は暗闇の中でも、甘さを湛えた煌めきに溢れている。

そしてその先・・・彼の頭上、はるか先に視線を移して真理は衝撃に息を飲んだ。

「・・・っ!!アレクっ!!・・・これはっ!?」

一瞬、涙で潤んだ瞳が見せた幻想かと思ったのだ。

彼の胸から抜け出て、一歩、二歩と湖面に近づきながら空を見上げる。

漆黒の夜空に幾千もの星々が浮かび、鮮やかに瞬いていた。

見たことのない満天の星空に興奮して、真理は夢中で空を見続ける。

「凄いっ!!凄いわっ、アレクっ!!」

感激して、はしゃいでクルクルと回りながら星を見る真理にアレックスは喜んだのだろう眼を細めると、大事な恋人を引き寄せて、背中から包み込むように抱きしめる。
見上げる真理の肩に顎を乗せて、彼も空を見上げているようだ。

「世界で一番、美しい星空だ。真理は俺に平和の花火を見せてくれた。だから俺は君にこの空を見せたかった」

溜息のように囁かれて真理はジンと胸が熱くなる。

「星空保護区のポルテノ湖ね・・・なんて綺麗なの・・・」

宝石が散りばめられた以上の艶やかな煌めきが素晴らしく、目を疑う程のこの星空に真理はうっとりと呟いた。やっとここがどこなのか分かった。

天文写真家スピルナ・ホワイトの写真で何度も観て憧れた星空だ。

「アレク!見て!!」

弾む気持ちのまま夢中で天を指差して、アレックスに星の説明をする。

澄んだ空気の中、なかなか見ることができない、南十字星やマゼラン雲、そして真理が大好きな天の川が光り輝いている。

そして・・・

「オーロラだわ・・・アレク!!すごいっ!!すごいわっ!!オーロラよっ!!」

繊細な条件が揃わないと滅多に出ないオーロラに真理は目を見張った。

「綺麗・・・」

天空にゆらゆらと揺れながら虹色に光り輝く光の波が湖面にも映り込み、幻想的な風景を作り出す。

自然が作り出す目を疑うような美しさに、真理は感動のあまり声も出せずに見惚れていた。

夜空の幻想は数分の煌めきの後、静かに消え、また満天の星空に戻っていく。その美しさの余韻に真理がほぅと感嘆の吐息を漏らした時だった。

それまでじっと真理を背中から抱きしめていたアレックスが静かに彼女を呼んだ。

「真理、見て、赤い・・・星が光ってる」

え?どこ?と見上げても紅星は見当たらず、困惑して振り仰いでアレックスの顔を見つめれば、彼は「ここ」と言って・・・真理のお腹で組んでいた両手をゆっくりと開いた。

「・・・・・アレク・・・、これ・・・は・・・?」

息を飲むような奇妙な喘ぎと共に絞り出された問い。

王子の手のひらには夜空の星よりも眩い、紅い輝石が付いた指輪が乗っている。

「レッド・アンバー。紅琥珀だ」

アレックスは穏やかな声音で答えると、真理の左手を取り、それをゆっくりと薬指に嵌めた。

何が起きたのか分からないまま、真理は呆然と自分の指に起こっている出来事を見つめてしまう。

王子は真理の薬指に嵌まった指輪を愛しそうに撫でると、左手を握りしめて真理の前に立った。

「・・・ア、アレ・・・ク・・・?」

湖面に映える星空を背に、アレックスは無言で真理の左手を握ったまま彼女を引き寄せる。

静かに片膝を折り地に着けると、中世の騎士さながらに、アレックスは恭しく薬指の指輪に口づけた。

その動作に真理の心臓はドクドクと鳴り響き、頬が紅潮していく。
もう言葉を発することは出来なかった。

王子は握っていない方の手を自分の心臓の位置に当てると、真剣な双眸で真理を射抜くように見つめて口を開いた。

「真理、結婚しよう」

して欲しいでも、してくださいでもなく、しようと言う彼らしい言い方。

お互いの視線が絡み合って、真理は彼の視線から目を逸らせない。

——結婚しよう——

その言葉が胸にすんなりと落ちてきて・・・。

「真理の優しさ、気高さ、勇敢さに俺は恋に落ちた。・・・俺の魂はもう君なしでは息が出来ない」

瞳からぽつりと涙が溢れた。

「君を守り続ける、そして君に守り続けてもらいたい」

涙が溢れるまま彼をただ見つめて。

「どうか生涯を共に。我が妃に・・・いや、俺の妻になって欲しい」

そうしてアレックスはもう一度、真理の薬指にキスを送ると静かに想いを乗せた言葉を告げた。

「愛してる、真理。永遠に君だけを」

どれくらいの時が経ったのか、ただ静かに涙を零し続ける真理に、彼の琥珀が不安に揺らいだ。

その瞳に胸が熱くなる。
いつも彼はこうして自分の欲しい言葉をくれ、そしてその約束を違えないのだ。

真理は自分も両膝を地面につくと、胸に当てられているアレックスの手を自分から握りしめた。
そして、静かにその手の甲にキスをする。

「真理・・・」

不安に揺らいだままの彼の琥珀色の瞳と、自分を求める声。

「何で、王子様はこんなキザなことができるの?不公平だわ」

涙を拭いながら照れ隠しのように、彼を詰る。

ちゃんと彼の想いに応えたい・・・こんなにも大切に愛してくれる彼の心に。

「私はこの歳まで、男性を好きになることがどういうことなのか良く分からなくて・・・でも、アレクに出会って、一緒に過ごす時間の中で、貴方に惹かれていく気持ちが、写真のようにこの心の中に焼きついた瞬間があったの」

拭ったはずの涙が、また一筋溢れていく。
なんの涙なのだろう。

「何枚も何枚も、その写真が胸の中に溜まっていって・・・」

見つめる先に、自分への愛情をただただ溢れさせる王子の琥珀色の瞳がずっとあって、自分の言葉を待っている。

たどたどしく綴る心からの想い。

「それがなんなんだろう、ってずっと考えていて・・・でも、あの日、エステル様と話したあの時、突然気がついた、これが恋い焦がれる気持ちなんだと・・・」

すうと覚悟の息を吸い込んで、真理は精一杯の気持ちを込めて微笑むと、その言葉を告げた。

「私はクリスティアン殿下を愛してます。貴方が・・・好き・・・どうか・・・アレクの奥さん・・・にしてください・・・」

「真理っ!!」

アレックスは感極まったように彼女の名を叫ぶと、真理の両手引っ張り、抱きしめる。
そのまま強引に頤を持ち上げると、唇を重ねた。

「アレク・・・」

キスの合間に真理が譫言のように、好き、愛してると囁けば、アレックスもその想いに、情熱的に舌を絡めることで答えて。

真理は途切れ途切れに伝える。

「私がどんな妃になれるのかわからない・・・でも・・・貴方の・・・妻で・・・ありたい・・・アレクとなら、どんなことも・・・乗り越えていける・・・」
「・・・それで・・・十分だ・・・」

鼻先を擦り合わせ、唇を触れさせながら想いを伝え合う。

「アレクの側に・・ずっといてもいい?」
「ああ、永遠に・・・一生、死んでも俺を抱きしめてくれ」

「あなたを死なせたりしない・・・」
「俺も真理を絶対に死なせはしない・・・」

「愛してる・・・真理・・・もう一度、言ってくれ」
「・・・アレク・・・愛してる」

誰に邪魔されることもなく、互いの睦言は続く。

静かな闇の中で熱い吐息を交わしながら、甘美な口づけに浸る幸せに満ちた恋人達を、瞬く夜空の幾千もの星がいつまでも照らしていた。
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