恋人は戦場の聖母

嘉多山瑞菜

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最終章 きみを死なせない

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私邸に到着し、第二秘書官や警護の人間達と軽い打ち合わせを終えてから、プライベートスペースに急ぐと、良い匂いが漂ってくる。

キッチンを見ると、恋人が料理をしている。
アレックスが入るとパッと顔を上げて、出迎えに来てくれた。

「アレク、お帰りなさい!!」

頰が緩みながら、彼女を抱き寄せるといつものオレンジの香りにふわりとスパイシーな香りが混ざってする。

「ただいま。真理もお帰り」

ギュッと抱きしめて、温もりを感じながら頭のつむじに顔を埋めると、とてつもない安堵や愛しさが込み上げる。

彼女の、ただいまという唇が愛しい。

顔を上げて、頬を引き寄せちゅっと唇を合わせると、彼女が鮮やかに微笑んでくれた。

「ウクィーナでは会えたのか?」

彼女の瞳を覗き込みながら聞くと、「ええ」と嬉しそうに返事をした。

「未熟児だったそうだけど、とても元気で可愛い赤ちゃんだったわ」

「そうか、それは良かった」

アレックスは柔らかい彼女の微笑みに一瞬見惚れた。赤子を抱いている真理を想像すると、脳が沸騰しそうだ。

抱きしめる腕に力が入ってしまう。真理のつむじに顔を埋めるとアレックスは言った。

「真理が居なくて寂しかった」

女々しいと思いつつも、拗ねるような口調になる。

1週間前、真理からウクィーナ共和国にちょっと行きたい、と言われた時はさすがに驚いた。
解放されてまだ2ヶ月、怪我もやっと治ったところだ。
まだ心も身体も休めるべき時期、仕事どころか、あの地にまた行くなんて、とんでもないと思っていたからだ。

たいして驚くことのないクロードとテッドも「もう行きたいのか?!」と驚いたくらいだ。



それなのに彼女は「ちょっと行きたい」とあっさり言った。
一緒に人質になっていた妊婦が無事に出産をしたから見舞いたいと言う理由だったが、彼女の精神力の強さを垣間見た瞬間だった。

自分の腕の中で真理はクスッと笑うと見上げて瞳を潤ませた。

「行かせてくれてありがとう。・・・私も寂しかった」

その言葉に行かせて良かったと思う。

本音を言えば行かせたくない。片時も離さず一緒にいたい。
だけど自分は彼女のやりたい事を止めることはしないと決めている。

真理の性格を思えば、ザルティマイ難民キャンプにも行くだろうと思ったから、行くのか?と問えば、とても穏やかな表情で、ええ、撮りたい、と言ったのだ。

どこまでも戦場カメラマンであろうする真理、
自分はそんな彼女を一番愛してる。

胸の中に戻ってきた温もりに安堵しつつ、5日前の事を思い出していると、真理はハッと顔を上げて「カレーが焦げちゃう!」と大慌てで腕の中から飛び出していった。

キスしようと思ってたのに、急に腕の中から消えた恋人に苦笑しつつ、アレックスは着替えるために自室へ向かった。





「パーティ?ヘンドリック様が?」

真理が不思議そうな顔をしながら、目の前にカレーと彩りにあふれた野菜のピクルスにサラダ、そして生ハムとチーズの盛り合わせを並べてくれる。

久しぶりの真理の手料理。
食欲をそそる美味しそうな匂いに、喉が鳴る。
ウクィーナ共和国の商店で、珍しいチーズとスパイス、美味しそうな生ハムがあったから買ってきたと嬉しそうに報告してくれた。

カレーは二種類。
ほうれん草とエビのカレーに挽肉と野菜がゴロゴロ入ったキーマだ。
これに私邸の近くにある真理お気に入りのスーパーで買った焼き立てのナンをつけながら食べるのだが、彼女の作るカレーもピクルスも絶品でアレックスの好物だ。

アレックスは所謂、世間一般で言う所の母の味というものを知らない。
王妃だった母は貴族の出だったせいか、教育熱心だったが、手料理を振舞われた記憶はなかった。
王宮ではそれこそ贅沢な食事だったろうが、記憶に残らないほど、食に対し興味がなかった。

寄宿学校、士官学校での友人達と街に繰り出して食べたジャンクフードが一番美味いとすら思っていたほどだ。

だが、今は違う。
真理が料理上手なのはもちろんだが、大切な人と食卓を囲み、何気ない事を話しながらその料理に舌鼓を打てることが幸せなのだ。
彼女の作る料理の数々が、アレックスの幸せの味になっている。

兄のエドワルドもシャーロットと結婚した時に、こう言っていた。
「味はいまいちだけど、一緒に囲むディナーは幸せだ」と。

その時は何を言ってんだ?と兄の心情が理解できなかったが、今なら分かる。
同じようなことなのだと思う。

最も、シャーロットは料理が苦手なので、味に対して素直な兄は、意外に酷いコメントだったが、料理が得意な真理のおかげで、自分の幸せ度は兄より高い、と馬鹿な幸せ自慢をしたくなるのだ。

真理がテーブルに着いたので、黒ビールを飲みながらピクルスを摘む。
コクのある苦味にピクルスの酸味があっていて、美味い。

そうだ、真理の質問に答えねば、と思いつつナンを千切ってカレーにつけると彼女の口元に差し出した。 

もう、と頬を赤くして怒った顔をしながらも、素直にそれを口に入れた恋人に満足するとアレックスは、ああ、と話し始めた。

「ヘンドリックが、戦争が終わったから俺を労いたいと言ってくれて。ごくごく内輪でパーティをやってくれると言うんだ。気心知れた面子ばかりだから、君も一緒に行こう。ヘンドリックも君に会いたがっている」  

真理は嬉しそうな顔をすると、分かったわ、と答えてくれる。

彼女が人前に出ることに、臆さなくなったことが嬉しい。
じんわりと喜びを噛み締めていると、真理が少し厳しい顔をしながら付け加えた。

「でも、パーティのために私の買い物はしないで。十分すぎるほど色々あるんだから」

「えっ?!それは無いだろ?パーティ用を買わないと」

そう言うと、真理は精一杯、怖い顔を作って、いりません、と言うから、アレックスは笑ってしまう。

分かった、と言いながら怒り顔の恋人になだめるための口付けをしながら、マダム・ミューラーに連絡しないと、と考えたのは内緒だ。
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