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第十三章 ― 先の約束なんてしたくない…ただ…苦しさが募るだけ…―

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 出来る事なら…山本の口から聞きたかった…。

 ショックで青褪めた表情の桂をジュリオは、明らかにまずい事を言ったというような顔で見つめた。

 慌てて場を取り繕うように言葉を継ぎ足した。

「おお…カツラ…スミマセン。知らないのですね。私…リョーが言ったと思いました」

 いえ…呆然としたまま桂は、無表情に頭を振った。

「いつですか…?帰国は…?」

 知らず知らず声が震えてしまうのを押さえる事が出来ない。

 突然齎された知らせ…健志の帰国…。

 ジュリオは困ったように肩を竦めた。両手を大仰に振り仰ぐと、すまなさそうな顔で答えた。

「ごめんなさい。カツラ。私も詳しい事は知りません。ただリョーが昨日そう言っていました。ワタシてっきり、リョー、カツラにその事言ったと思いました」

 最初のショックから漸く立ち直ると桂は慌ててジュリオに微笑んで見せた。

 自分の態度がジュリオを困らせてしまっている事に気付いたからだ。 

「ごめんなさい。ジュリオさん。良いんです。…そうですか…健志さんが帰ってくるんですね。きっと山本喜んでいるでしょう」

 胸がキシキシいうような痛みを堪えて桂は無理にその言葉を押し出した。そしてニッコリとジュリオに微笑んで見せると続けて手元の教科書を括りながら、わざとらしい明るい調子で続けた。

「それじゃ、ジュリオさん。今度はこの練習А―3をやってください」

 ジュリオは複雑な色を瞳に浮かべて、困った表情のまま桂を見つめていたが、微笑んで問題を解くよう促す桂に、なにも言う事もできず諦めたように嘆息すると、教科書に意識を戻した。
 
 



 ジュリオのプライベートレッスンが終って、桂は帰り支度をするとその足で秘書室に向かった。

 ジュリオの秘書に授業が終った事を伝えるためだった。

 ジュリオの授業費用は全て亮の会社が支払っている為、授業が終る度に出席簿のような物に授業日と時間数をつけなければいけなかったからだ。

 ジュリオは桂の態度を気にしながらも、仕事が詰まっているため会議へと戻っていた。

 ハァと大きな溜息を吐きながら誰もいない廊下をゆっくりと歩いていく。知らず知らずに何度も溜息を吐いている自分に気付いて桂は苦笑した。

「いよいよ…か…」

 健志の帰国…イコールそれは亮との恋人ごっこの終りを意味する。

 とうとう自分の役目が終る日がくるんだ…。そこまで考えて桂はまた胃の辺りを押さえた。治っていたはずの胃が痛むのを感じて、桂はまた一人苦笑した。

 リナと亮のあの一件の後、久し振りに穏やかな日々が続いていた。
亮が忙しくてなかなか逢えなかったが、それでも毎週末は二人きりでゆっくりと甘い時間を過ごした。

 相変わらずセックスは無かったが、それでも亮の優しさを感じるたび、桂の胸にはいいようのない幸福感が沸き上がっていた。

「幸せなんて…長く続かない…。本当だな…」

 言って、また溜息を吐く。

 どんな風に終りを迎えるんだろう…?繰り返し桂が考えていた事だった。

 亮があっさり告げるのだろうか…?「契約は終了だ。」って。

 それとも俺が先に言うべき?「健志さんが戻ってくるんだろ?」って…。

「この際…俺から言うべきかもしれないな…。あいつ…なんだかんだ言っても、意外に人に気をつかうし…」

 そこまで考えて桂は不意に涙腺が緩みそうになって、慌てて呼吸を止めるようにして堪えた。

 亮はとても優しい…。もしかしたら少しは俺の事かわいそうだと思ってくれたのかも…だから健志さんの帰国俺に言わなかったのかな…?

「やっぱり…俺から言ったほうが良いな…。山本にこれ以上気をつかわせちゃ…いけない…」

 でも…とそこまで考えて、たまらず桂はポトっと涙を落とした。

 出来る事なら亮の口から言って欲しかった。健志の帰国のニュースも…終りにしようっていう言葉も…。

 自分から言い出す勇気があるだろうか…?桂には自信がなかった…。

 それだったら、亮に終りを宣告された方が、その終わりの時まで亮の側にいられる。

「残酷だよな…」

 桂は呟いた。

…別れ話に…優しさはいらないんだ…。終りなら…はっきり終りと言ってくれよ…。

 桂は目尻に滲んだ物をゴシゴシ拭うと、苦しい思いを抱えたまま秘書室の扉をノックしていた。
 
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