〜Marigold〜 恋人ごっこはキスを禁じて

嘉多山瑞菜

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第九章 普通の恋人同士なら行かないで…そう言うのかな…

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 泣いて、嫌だ…行かないで…。そう言えれば楽になれたのだろうか…?

 成田まで亮のサーブを運転しながら桂は繰り返し自問していた。

 助手席の亮は体をシートに沈み込ませ、腕を組んで目を閉じたまま、一言も喋らなかった。最も今の桂にはその沈黙の方がありがたかったのだが…。

 どうして俺が山本を成田に送らなくちゃ行けないんだ?そんなのは何度も考えた。

 本命の恋人に逢いに行くのを、「恋人ごっこ」の相手が送るなんて…。こんな馬鹿げた話し、存在するのだろうか?

 今では自分をバカだと自嘲する気持ちも無くなっていた。

 ただ…亮と一緒にいられれば…それで充分だった。

 彼が2週間後、休暇を終えて帰国したとき…その隣に俺の居場所はもう無いかもしれないから…。

 それだったら…バカでもお人好しでも、プライド無さ過ぎでも…なんでも良い。亮と1分でも長く一緒にいたい…。

 いっそ、道路が混んでフライトの時間に間に合わなければ良いのに…。そんな馬鹿げた事まで願ってしまう自分に桂は苦笑していた。

 成田までの道のりは、桂の願いも虚しく、高速も混む事無く順調だった。

 混んだ駐車場にサーブを入れて、車を降りる。出国ラッシュの雑踏の中、第2ターミナルに亮と一緒に向かいながら、桂は横目で亮にチラチラと視線をやる。

 今日の亮はひどく無口だった。いつものような不機嫌とか怒っているとか…そう言う感じではないようだった。

 ただ…何かを考え込んでいる…そんな風に桂には見えた。

― 健志さんの事考えてんだろうな…。―
 
 ソツの無い亮の事だ。N.Yでの健志とのデートプランでも考えているのかもしれない…。それとも囁く愛の言葉かな…。

 亮の精悍な横顔を見詰めながら、桂は亮に愛されている健志を羨ましいと思う。

 自分には向けられることの無いその愛情を浅ましく欲して、願ってしまう自分を桂は嫌悪していた。

「バカだな…。俺はただのセックス・フレンドなんだから…」

 桂は自分に言い聞かせるように、普段考えないようにしていた自分を貶める言葉を呟いた。

 途端胃がきりきりと引き絞られるような痛みが走って桂は泣きたくなってしまう。

 人ごみの中を慣れた様子ですたすたと亮は歩いていく。時々遅れそうになる桂を、歩を止めて振り返っては黙ったまま引き寄せる。

 さりげなく人込みの中から自分を庇うようにして並んで歩く亮に桂はやるせない気持が募るばかり…。

― もう終りだから…こんなに優しいのかな…—

 考えたくなくても「契約終了」の言葉がグルグルと桂の頭の中を回っていた。

 航空会社のチェックイン・カウンターに着くと亮は桂に座るように促した。
桂はゆっくりと座り、手続きをしにいった亮の背中を見詰める。ふいに寂しさが沸きあがって、慌てて桂は視線を周囲に走らせた。

 周りでは海外旅行に浮かれたような人達がひしめき合っている。弾んだ会話や明るい笑い声…その中に一人取り残されたような自分が桂は急に可笑しくなってしまう。

― みんな楽しそうだな…—

 周囲の明るい喧騒の中に一人ぽつんといる自分の姿を想像して桂は顔を歪めて笑うと呟いた。

「俺って…すげェ場違い…」

 手続きを終えて戻ってきた亮が、笑みを浮かべている桂を訝しげに見ると自分も桂の隣に腰を降ろした。

「チェック・インは終ったのか?」

 ぎこちない沈黙が嫌で、桂はわざと陽気に話しかけた。

「ああ」

 亮は人波を眺めながらボソッと答えた。

「そっか…。よかったな。ニューヨークまであっというまだな。」

 意味のない会話を続けようと桂は必至で言葉を探す。

「ああ」

 亮は相変わらずボソリと答えるだけ。

「いいなぁ…。俺、海外なんて何年も行ってないや。海外旅行してみたいなぁ…」

 返事が無いと分かっていても、桂ははしゃいだ様に明るく話しつづけた。でも亮の返事はそれっきり返ってこない。

 会話が続かなくて桂も押し黙った。
何を話して良いのか分からなかった。

 亮が成田に着けば自分の役目は終り。後は亮の車を彼のマンションに戻すだけ。そして車のキーを管理人に預けておけば良い。

 でも…なかなか桂には「じゃ、俺帰るよ」とは言えなかった。

 彼が「もう、帰れよ。」そう言うまでは一緒に居たかった…。

「一緒に来るか…?」

 ふいに亮が呟いた。

「え…?」

 亮の言う意味が分からず唖然として桂は亮の横顔を見つめた。亮は相変わらず目の前を通り過ぎて行く雑踏を眺めている。

「ハハッ…」

 桂の唇から乾いた笑い声が漏れた。亮はゆっくりと桂を振り返って、桂の顔を覗き込んだ。

― 揶揄かっているのか…?どうして…そんな事を…? ―

 桂はゴクっと息を飲み込むと、切れ切れに言葉を絞り出した。自分がなぜ…こんなに傷つかなければいけないんだろう…。どうして…無理難題をふっかけるの…?

 大声で泣き叫んで、亮を叩いて責めて…詰ってしまいたい…。そうすれば少しは楽になれだろうか…?

 目頭が熱く潤み涙が溢れそうになる。こぼれそうになる涙をジッと我慢しながら桂は自分の役割を演じた。 

「バカだな…。何言ってんだよ。せっかくのデートだろ…。大事な恋人との逢瀬を邪魔するほど…俺は野暮じゃないよ」

 精一杯の笑みを浮かべ、冗談めかして返した言葉。

 そのどれもが嘘で…嘘を笑って言う自分に桂は嫌悪しながら、もう一度ニッコリと亮に微笑んで見せた。

「…そうか…」

 亮は瞳を眇めて桂の笑みを見ると、おずおずと指先を伸ばし桂の目元に滲んだものに気付いたかのように、瞳の縁を拭った。

 そして宥めるように桂の手をギュッと握り締めると耳元に口を寄せて呟いた。

「それじゃ…行くから…。帰国したら連絡する…」

 …連絡する…その言葉に桂は縋りついた。

「うん」

 弱々しく答える桂の泣き濡れたような瞳を亮はもう一度見つめるとグイっと抱き寄せた。

 人目も憚らず抱きしめると、桂をあやすように額にキスを落とし、言い聞かせるように真摯な口調で呟いた。

「帰国したら…話しがある。…スマホの電源…入れておけよ…」
「うん…」

 手放される不安に怯えながら、桂はそれでも亮の言葉に縋りながら返事をしていた。
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