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46 不穏
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オーランドは、近衛騎士団ではない部隊を率いて、出立した。本人がサブリナに言っていた通り、2000の騎士達を連れて、国境線とブラックウッドの砦を視察するとのことを、サブリナは父親から聞いた。
フレデリック王太子は、予定通り一週間滞在した後、途中で待つオーランドの隊と合流し王都へと帰っていったそうだ。
これだけの話から想像すると、オーランドは騎士として何か重要な立場についていることは、容易にわかる。
いったいどういうことなのか?
もともとは、近衛騎士団の副騎士長だった。そして、その合間に宰相補佐としてウィテカー宰相の仕事を手伝い始めてた。
サブリナが知っているのはそこまでだ。
オーランドが口にする「力」とはどういうことなのか?
彼は王太子とともにジェラール帝国の外交を任されたとも聞いている。
第三皇女と婚約をしていないと、言い切ったオーランド。そんなこと、今の情勢で可能なのだろうか?
自分のために何か無茶なことをするのではないかと思うと心配になる。
ガーランド辺境伯に、彼がなぜ部隊を率いているのか、どんか立場なのか聞いてみたいが、聞けないでいた。この国では女性が政に関心を示すのをあまり良しとしない。世間話や噂程度しか許されないから、躊躇っているうちに日々は過ぎていく。
そんなある日、思いもかけない知らせが父のモントクレイユ男爵からもたらされた。
「え?ハリス・・・カルディア子爵が、ですか?」
驚きで目を丸くした娘に、モントクレイユ男爵はうむ、と頷くと珍しく憂鬱そうに眉を顰めた。
「先触れが書簡をもってきた。明後日、到着するから、ガーランド閣下とともに面会をして欲しいとのことだ」
「わざわざ、こんなところまで・・・薬草でしょうか」
「恐らく。先程、エディからも書簡が届いたが、10日程前にカルディア子爵から、うちの薬草を国外に輸出したいから取り扱わせてくれないか、と持ちかけられたらしい」
「そうですか、エディは・・・」
「もちろん断った。だが諦めてないから気をつけるように、と書いてあった」
「そうですか」
サブリナは心配顔をした。元婚約者のハリス・カルディアはモントクレイユの薬草に強く執着している。
サブリナが幼い頃は、モントクレイユ領の隣に位置するカルディア領は豊かだった。
先代のカルディア子爵は、肥沃な土地を生かして農作物の生産に力を入れていたが、大雨による土砂崩れの事故に巻き込まれて急逝してしまったのが不幸の始まりだった。
後を継いだハリスは、母親に甘やかされて育ったせいか、農作物には興味を持たず、贅沢で派手な遊びを好んだ。
そのためカルディア領は次第に農作物の生産も落ち込み、領民は離れていき、領地経営も立ち行かなくなっていった。
そんな時に、モントクレイユが所有する芥子《あへん》や水銀に目をつけ、手に入れるためにサブリナとの婚約をゴリ押ししたのだった。
だが、サブリナが誘拐され純潔を失ったことを知ったハリスは、薬草よりも社交会での体面を優先した。
婚約を破棄し、すぐにこの国でも名の知れたエントレイ王国の金持ちの豪商、アラガンド男爵の娘を娶った。この豪商はお金で男爵位を買っていたから、一応貴族同士との婚姻とはいえ、カルディア子爵がお金目当てであることは歴然だった。
アラガンド男爵はエントレイ王国の商人ながら、他国との取引きも活発だ。だが、怪しげな裏取引も多いとのことで、この国では要注意と目をつけられているとサブリナも耳にしたことがある。
ハリスは完全に妻の父親であるアラガンドに利用されていて、この国で貴族相手の違法賭博場などを経営してお金を荒稼ぎしている、と噂されていた。
そんな彼が、またモントクレイユに関わってこようとしてる。嫌な予感がしてならない。
浮かない顔の娘を、モントクレイユ男爵は見つめると、少し表情の柔らかいものに変えて続けた。
「カルディア子爵との話は我々でする。お前は彼に会う必要はないから安心しなさい」
娘の過去の傷を気にしての父親らしい言葉に、サブリナはふっと笑むと、はい、と素直に返事をしていた。
「奴は来てるんですか?」
シャルは明らかに嫌悪感を滲ませて、とても淑女には程遠い単語を使ってサブリナに尋ねた。
彼女はハリス・カルディアとサブリナの関係を知っているから、昔から彼のことが大嫌いだ。
サブリナは苦笑しながら頷いた。
「ええ、今朝到着したと連絡があって、お父様が出迎えにいったから、今頃話してるんじゃないかしら」
「いったい、ここまで来るなんて、何用ですかね、相変わらず厚かましい。モントクレイユ家に取り入ろうとしてるんですよ!」
シャルの語気荒い言葉に、そうね、と答えながらサブリナも心配は拭えない。
「小物の悪党って、何気に一番タチが悪いですから」
シャルのいささか不敬気味な言葉に、だがサブリナは同意した。彼は本当にタチが良くない。自分の野心のためになんでもするだろう。荒稼ぎしている賭博場は何度か騎士団に摘発されているが、彼は義理の父の豪商の人脈で、のらりくらりと逃げて罪に問われずにいる。
ほとぼりが冷めると場所を変え、人を変え賭博場を開き貧しい民や貴族からお金をむしり取っている。そのお金は彼の妻の父親、エントレイ王国の豪商であるアラガンド男爵に流れているのだ。
アラガンド男爵はそのお金で武器を買い、他国に売り捌いているとも言われている。
武器の次は薬、悪党なら簡単に考えつくお金の稼ぎ方だ。
だからこそサブリナは心配でならない。
ハリス・カルディアは気が弱い、虚栄心が強いだけの小者だ。正攻法でエディと父に取引きを持ちかけ、断られたら・・・ロクなことをしそうにない、と普通に思うから。
彼がとんでもない悪事を働かなければ良いが、とサブリナは憂いを振り払うことが出来なかった。
「もちろん断った」
気を揉む数時間の後、モントクレイユ男爵はサブリナに当然だろう、という顔で、端的に告げた。
「カルディア子爵は納得したのですか?」
「納得はしないだろう、だがどんなに好条件を出されても、取引には応じない」
父の毅然とした言葉にサブリナはホッとする。
「モントクレイユの薬草は・・・」
父の口癖が出たところで、サブリナは微笑みながら後を引き取った。
「我が国、セント・グローリア・アラゴン王国の王家と民のものだから」
「そうだ」
男爵は娘の言葉に笑みを浮かべて、顔を見合わすと、すぐに柔らかい表情を引っ込めた。
「あの男が簡単に諦めるとは思っていない。わざわざ辺境にまで来てるんだ。アラガンド男爵からの圧力を受けてる可能性もある。ガーランド閣下にも報告はしてあるが、彼はまだこの辺りをうろつく可能性もある。お前も気をつけるように」
父の表情から、かなり強引に取引きを迫ったことが窺える。サブリナは気を引き締めると「わかりました」と答えた。
父親からの注意も、シャルの杞憂も理解しているが、えてして小物の悪党は、予想通りの行動をするものだ。
サブリナはどうせどこかで待ち伏せされるだろうと考えていたから、まさに目の前でヘラヘラした顔で立っていた時は思わず苦笑を浮かべてしまった。
アステナ城下の平民向けに作られた施療院で、看護法を新しく雇った者達に指導をした帰り道、迎えの馬車を待っていた時に、ハリス・カルディアはタイミング良く現れた。
凄い剣幕でハリス・カルディアを睨むシャルに、サブリナは目で大人しくさせると、驚きもせず、平民が貴族にするように深く頭を下げると口を開いた。
「これはこれは、カルディア子爵。お久しぶりにございます。まさか、こんな辺境の地、しかも城下などで、高貴な貴方様とお会いするとは存じませんでした」
わざと態度はへりくだり、でも言い方に嫌味を込める。
サブリナにこんな態度を取られると、根が卑屈な男なので、一気に沸点が上がるハリスだが、この時ばかりは態度が違った。
「何の用かは、わかってんだろ?お前と俺の仲だ。モントクレイユ男爵にとりなしてくれないか」
「何を仰っているのかわかりません。それに、貴方と私の仲なんて、気持ち悪いこと言わないで下さい」
焦燥感を滲ませた声音に、ずいぶん焦っているなと彼を見ながら、サブリナはツンと顎を上げてしらばっくれた。
「誤魔化すなっ!!」
「きゃっ!!」
「ブリーに何をっ!?」
憤怒で顔を赤くした彼に腕を乱暴に掴まれる。シャルが慌てて彼に飛びかかろうとしたが、ハリスに足払いをかけられて、前のめりに転び落ちた。
「シャルっ!ハリスっ!!何をするのっ!こんな乱暴なこと許されないわっ!!」
「黙れっ!これ以上されたくなきゃ、お前んとこの薬草を差し出せっ!!」
何を馬鹿なことを、とサブリナはシャルの身体を抱き起こしながら、旧知の男をマジマジと見上げた。
「何をトチ狂ったことを言ってるの?モントクレイユの薬草は、この国の王家と民のものよ。貴方だって知ってるはずだわ」
そう言うとハリスはふんっと馬鹿にしたような下卑た笑みを浮かべた。
「良い物なら他国に流通させるのは、いまや常識だ。この国だけに固執してなんになる。お前だって、自分の領地の草が他の国を変えるのを見たいだろ?」
偉そうに言う男に、サブリナは冷ややかな視線を向けると「見たくなどございません」とピシャリと言い放ち、そして続けた。
「貴方が関心があるのは、ケシと水銀だけでしょう。違法な賭博場だけじゃ飽き足らず、いったい誰に唆されているのかしら?この国の宝を悪用させることは許さないわ」
「なにをっ!!」
カッとなって、手を挙げかけた男をサブリナはキッと睨みつけた。
「モントクレイユはいかなる取り引きにも応じない。貴方はそのことを良くご存知のはず」
「くそっ!!」
「ブリーっ!!」
横暴な男の手が振り落とされるのが視界に入り、サブリナはギュッと目を閉じるとシャルを庇うように身体を伏せた。
その時だった。
「ぐあっ!!」
背中越しに、蛙が潰れたような声が響いて、サブリナとシャルは恐る恐る目を開けた。
「あ・・・」
「おらおら、城下でお貴族様がなに騒ぎを起こしてんだ」
見れば、元はマカレーナ侯爵領の第一騎士団長だったランドルフ・タウンゼントがハリスの腕を掴んでいる。心持ち捻り上げているように見えるのは気のせいか。
「くっ!痛いっ!痛いっ!やめてくれっ!!」
「施療院の前で、サブリナお嬢さんに狼藉働くとは、どう言うことだ、ああ?」
「何もっ!何もしてないっ!!ただ話してただけだっ!!」
どう聞いても無理のある言い訳をしているハリスをランドルフは、さらにギリギリと締め上げると、彼が痛みで悲鳴を上げた。
さすがにこれ以上はまずい。なんといってもランドルフは辺境騎士団の騎士ではあるが、貴族に対しての調べなどの権限はそこまで強くない。これ以上の大ごとは、さらにランドルフの立場に影響しかねない。
ガーランド辺境伯に報告するにしても、ここまでにしておくのが良いだろう。
痛みにも騎士にも弱いハリスは、もう真っ青だ。後ろ盾が無ければ、彼は何もできない男なのだ。
「タウンゼント様、もうこれ以上は」
シャルを抱き起こし、自分も立ち上がるとサブリナはランドルフに声を掛けた。
彼女の呼びかけに、チラリと視線をやるとランドルフはふんっと言いながら、ハリスの腕を解放する。
卑小な男は慌てふためいて走り去っていった。
意外に走るのが速かったのね、と小さくなる背中を見送ると、サブリナはランドルフに向き合った。
「助けてくださりありがとうございます」
「・・・ありがとうございます」
毒殺容疑で誤認逮捕されて以来、彼に良い印象を持っていないシャルも渋々サブリナに付いて礼を言うと、ランドルフはなぜか気まずそうな顔をした。
「いや、もっと早く来られなくてすまなかった」
「いえ、そんなことは・・・」
十分早かったと言おうとしたが、ランドルフが続けた言葉に、え?と首を傾げた。
「あんたに何かあったら困るからな」
「どう言う・・・」
聞き返そうとした言葉は、ハッとしたようなランドルフが、畳みかけてきた言葉に掻き消されて。
「とにかく、城下で騒ぎは厳禁だ。それにあんた達看護人や医術師は必ず守れとのガーランド閣下からのお達しだからな」
そう言うと彼はくるりと踵を返し、とっとと去っていってしまう。その姿をシャルと2人見送ると、シャルがふーんと変な声を上げた。
「やっぱり、あの男、ブリーに気があるんじゃないんですか?」
「シャル・・・またくだらないこと言って。彼は巡回中だったんじゃない。騎士の勤めとして助けてくださったのよ」
やれやれといささかの疲労を感じてシャルを嗜めながら、サブリナはハリスが逃げていった方を見やった。
あの眼・・・焦燥感に駆られた追い詰められた手負いの獣のような眼をしていた。
ハリスが何か大きな事をしでかさなければ良いのだが・・・
サブリナは胸が嫌な予感で騒つくのを抑えることが出来ないでいた。
フレデリック王太子は、予定通り一週間滞在した後、途中で待つオーランドの隊と合流し王都へと帰っていったそうだ。
これだけの話から想像すると、オーランドは騎士として何か重要な立場についていることは、容易にわかる。
いったいどういうことなのか?
もともとは、近衛騎士団の副騎士長だった。そして、その合間に宰相補佐としてウィテカー宰相の仕事を手伝い始めてた。
サブリナが知っているのはそこまでだ。
オーランドが口にする「力」とはどういうことなのか?
彼は王太子とともにジェラール帝国の外交を任されたとも聞いている。
第三皇女と婚約をしていないと、言い切ったオーランド。そんなこと、今の情勢で可能なのだろうか?
自分のために何か無茶なことをするのではないかと思うと心配になる。
ガーランド辺境伯に、彼がなぜ部隊を率いているのか、どんか立場なのか聞いてみたいが、聞けないでいた。この国では女性が政に関心を示すのをあまり良しとしない。世間話や噂程度しか許されないから、躊躇っているうちに日々は過ぎていく。
そんなある日、思いもかけない知らせが父のモントクレイユ男爵からもたらされた。
「え?ハリス・・・カルディア子爵が、ですか?」
驚きで目を丸くした娘に、モントクレイユ男爵はうむ、と頷くと珍しく憂鬱そうに眉を顰めた。
「先触れが書簡をもってきた。明後日、到着するから、ガーランド閣下とともに面会をして欲しいとのことだ」
「わざわざ、こんなところまで・・・薬草でしょうか」
「恐らく。先程、エディからも書簡が届いたが、10日程前にカルディア子爵から、うちの薬草を国外に輸出したいから取り扱わせてくれないか、と持ちかけられたらしい」
「そうですか、エディは・・・」
「もちろん断った。だが諦めてないから気をつけるように、と書いてあった」
「そうですか」
サブリナは心配顔をした。元婚約者のハリス・カルディアはモントクレイユの薬草に強く執着している。
サブリナが幼い頃は、モントクレイユ領の隣に位置するカルディア領は豊かだった。
先代のカルディア子爵は、肥沃な土地を生かして農作物の生産に力を入れていたが、大雨による土砂崩れの事故に巻き込まれて急逝してしまったのが不幸の始まりだった。
後を継いだハリスは、母親に甘やかされて育ったせいか、農作物には興味を持たず、贅沢で派手な遊びを好んだ。
そのためカルディア領は次第に農作物の生産も落ち込み、領民は離れていき、領地経営も立ち行かなくなっていった。
そんな時に、モントクレイユが所有する芥子《あへん》や水銀に目をつけ、手に入れるためにサブリナとの婚約をゴリ押ししたのだった。
だが、サブリナが誘拐され純潔を失ったことを知ったハリスは、薬草よりも社交会での体面を優先した。
婚約を破棄し、すぐにこの国でも名の知れたエントレイ王国の金持ちの豪商、アラガンド男爵の娘を娶った。この豪商はお金で男爵位を買っていたから、一応貴族同士との婚姻とはいえ、カルディア子爵がお金目当てであることは歴然だった。
アラガンド男爵はエントレイ王国の商人ながら、他国との取引きも活発だ。だが、怪しげな裏取引も多いとのことで、この国では要注意と目をつけられているとサブリナも耳にしたことがある。
ハリスは完全に妻の父親であるアラガンドに利用されていて、この国で貴族相手の違法賭博場などを経営してお金を荒稼ぎしている、と噂されていた。
そんな彼が、またモントクレイユに関わってこようとしてる。嫌な予感がしてならない。
浮かない顔の娘を、モントクレイユ男爵は見つめると、少し表情の柔らかいものに変えて続けた。
「カルディア子爵との話は我々でする。お前は彼に会う必要はないから安心しなさい」
娘の過去の傷を気にしての父親らしい言葉に、サブリナはふっと笑むと、はい、と素直に返事をしていた。
「奴は来てるんですか?」
シャルは明らかに嫌悪感を滲ませて、とても淑女には程遠い単語を使ってサブリナに尋ねた。
彼女はハリス・カルディアとサブリナの関係を知っているから、昔から彼のことが大嫌いだ。
サブリナは苦笑しながら頷いた。
「ええ、今朝到着したと連絡があって、お父様が出迎えにいったから、今頃話してるんじゃないかしら」
「いったい、ここまで来るなんて、何用ですかね、相変わらず厚かましい。モントクレイユ家に取り入ろうとしてるんですよ!」
シャルの語気荒い言葉に、そうね、と答えながらサブリナも心配は拭えない。
「小物の悪党って、何気に一番タチが悪いですから」
シャルのいささか不敬気味な言葉に、だがサブリナは同意した。彼は本当にタチが良くない。自分の野心のためになんでもするだろう。荒稼ぎしている賭博場は何度か騎士団に摘発されているが、彼は義理の父の豪商の人脈で、のらりくらりと逃げて罪に問われずにいる。
ほとぼりが冷めると場所を変え、人を変え賭博場を開き貧しい民や貴族からお金をむしり取っている。そのお金は彼の妻の父親、エントレイ王国の豪商であるアラガンド男爵に流れているのだ。
アラガンド男爵はそのお金で武器を買い、他国に売り捌いているとも言われている。
武器の次は薬、悪党なら簡単に考えつくお金の稼ぎ方だ。
だからこそサブリナは心配でならない。
ハリス・カルディアは気が弱い、虚栄心が強いだけの小者だ。正攻法でエディと父に取引きを持ちかけ、断られたら・・・ロクなことをしそうにない、と普通に思うから。
彼がとんでもない悪事を働かなければ良いが、とサブリナは憂いを振り払うことが出来なかった。
「もちろん断った」
気を揉む数時間の後、モントクレイユ男爵はサブリナに当然だろう、という顔で、端的に告げた。
「カルディア子爵は納得したのですか?」
「納得はしないだろう、だがどんなに好条件を出されても、取引には応じない」
父の毅然とした言葉にサブリナはホッとする。
「モントクレイユの薬草は・・・」
父の口癖が出たところで、サブリナは微笑みながら後を引き取った。
「我が国、セント・グローリア・アラゴン王国の王家と民のものだから」
「そうだ」
男爵は娘の言葉に笑みを浮かべて、顔を見合わすと、すぐに柔らかい表情を引っ込めた。
「あの男が簡単に諦めるとは思っていない。わざわざ辺境にまで来てるんだ。アラガンド男爵からの圧力を受けてる可能性もある。ガーランド閣下にも報告はしてあるが、彼はまだこの辺りをうろつく可能性もある。お前も気をつけるように」
父の表情から、かなり強引に取引きを迫ったことが窺える。サブリナは気を引き締めると「わかりました」と答えた。
父親からの注意も、シャルの杞憂も理解しているが、えてして小物の悪党は、予想通りの行動をするものだ。
サブリナはどうせどこかで待ち伏せされるだろうと考えていたから、まさに目の前でヘラヘラした顔で立っていた時は思わず苦笑を浮かべてしまった。
アステナ城下の平民向けに作られた施療院で、看護法を新しく雇った者達に指導をした帰り道、迎えの馬車を待っていた時に、ハリス・カルディアはタイミング良く現れた。
凄い剣幕でハリス・カルディアを睨むシャルに、サブリナは目で大人しくさせると、驚きもせず、平民が貴族にするように深く頭を下げると口を開いた。
「これはこれは、カルディア子爵。お久しぶりにございます。まさか、こんな辺境の地、しかも城下などで、高貴な貴方様とお会いするとは存じませんでした」
わざと態度はへりくだり、でも言い方に嫌味を込める。
サブリナにこんな態度を取られると、根が卑屈な男なので、一気に沸点が上がるハリスだが、この時ばかりは態度が違った。
「何の用かは、わかってんだろ?お前と俺の仲だ。モントクレイユ男爵にとりなしてくれないか」
「何を仰っているのかわかりません。それに、貴方と私の仲なんて、気持ち悪いこと言わないで下さい」
焦燥感を滲ませた声音に、ずいぶん焦っているなと彼を見ながら、サブリナはツンと顎を上げてしらばっくれた。
「誤魔化すなっ!!」
「きゃっ!!」
「ブリーに何をっ!?」
憤怒で顔を赤くした彼に腕を乱暴に掴まれる。シャルが慌てて彼に飛びかかろうとしたが、ハリスに足払いをかけられて、前のめりに転び落ちた。
「シャルっ!ハリスっ!!何をするのっ!こんな乱暴なこと許されないわっ!!」
「黙れっ!これ以上されたくなきゃ、お前んとこの薬草を差し出せっ!!」
何を馬鹿なことを、とサブリナはシャルの身体を抱き起こしながら、旧知の男をマジマジと見上げた。
「何をトチ狂ったことを言ってるの?モントクレイユの薬草は、この国の王家と民のものよ。貴方だって知ってるはずだわ」
そう言うとハリスはふんっと馬鹿にしたような下卑た笑みを浮かべた。
「良い物なら他国に流通させるのは、いまや常識だ。この国だけに固執してなんになる。お前だって、自分の領地の草が他の国を変えるのを見たいだろ?」
偉そうに言う男に、サブリナは冷ややかな視線を向けると「見たくなどございません」とピシャリと言い放ち、そして続けた。
「貴方が関心があるのは、ケシと水銀だけでしょう。違法な賭博場だけじゃ飽き足らず、いったい誰に唆されているのかしら?この国の宝を悪用させることは許さないわ」
「なにをっ!!」
カッとなって、手を挙げかけた男をサブリナはキッと睨みつけた。
「モントクレイユはいかなる取り引きにも応じない。貴方はそのことを良くご存知のはず」
「くそっ!!」
「ブリーっ!!」
横暴な男の手が振り落とされるのが視界に入り、サブリナはギュッと目を閉じるとシャルを庇うように身体を伏せた。
その時だった。
「ぐあっ!!」
背中越しに、蛙が潰れたような声が響いて、サブリナとシャルは恐る恐る目を開けた。
「あ・・・」
「おらおら、城下でお貴族様がなに騒ぎを起こしてんだ」
見れば、元はマカレーナ侯爵領の第一騎士団長だったランドルフ・タウンゼントがハリスの腕を掴んでいる。心持ち捻り上げているように見えるのは気のせいか。
「くっ!痛いっ!痛いっ!やめてくれっ!!」
「施療院の前で、サブリナお嬢さんに狼藉働くとは、どう言うことだ、ああ?」
「何もっ!何もしてないっ!!ただ話してただけだっ!!」
どう聞いても無理のある言い訳をしているハリスをランドルフは、さらにギリギリと締め上げると、彼が痛みで悲鳴を上げた。
さすがにこれ以上はまずい。なんといってもランドルフは辺境騎士団の騎士ではあるが、貴族に対しての調べなどの権限はそこまで強くない。これ以上の大ごとは、さらにランドルフの立場に影響しかねない。
ガーランド辺境伯に報告するにしても、ここまでにしておくのが良いだろう。
痛みにも騎士にも弱いハリスは、もう真っ青だ。後ろ盾が無ければ、彼は何もできない男なのだ。
「タウンゼント様、もうこれ以上は」
シャルを抱き起こし、自分も立ち上がるとサブリナはランドルフに声を掛けた。
彼女の呼びかけに、チラリと視線をやるとランドルフはふんっと言いながら、ハリスの腕を解放する。
卑小な男は慌てふためいて走り去っていった。
意外に走るのが速かったのね、と小さくなる背中を見送ると、サブリナはランドルフに向き合った。
「助けてくださりありがとうございます」
「・・・ありがとうございます」
毒殺容疑で誤認逮捕されて以来、彼に良い印象を持っていないシャルも渋々サブリナに付いて礼を言うと、ランドルフはなぜか気まずそうな顔をした。
「いや、もっと早く来られなくてすまなかった」
「いえ、そんなことは・・・」
十分早かったと言おうとしたが、ランドルフが続けた言葉に、え?と首を傾げた。
「あんたに何かあったら困るからな」
「どう言う・・・」
聞き返そうとした言葉は、ハッとしたようなランドルフが、畳みかけてきた言葉に掻き消されて。
「とにかく、城下で騒ぎは厳禁だ。それにあんた達看護人や医術師は必ず守れとのガーランド閣下からのお達しだからな」
そう言うと彼はくるりと踵を返し、とっとと去っていってしまう。その姿をシャルと2人見送ると、シャルがふーんと変な声を上げた。
「やっぱり、あの男、ブリーに気があるんじゃないんですか?」
「シャル・・・またくだらないこと言って。彼は巡回中だったんじゃない。騎士の勤めとして助けてくださったのよ」
やれやれといささかの疲労を感じてシャルを嗜めながら、サブリナはハリスが逃げていった方を見やった。
あの眼・・・焦燥感に駆られた追い詰められた手負いの獣のような眼をしていた。
ハリスが何か大きな事をしでかさなければ良いのだが・・・
サブリナは胸が嫌な予感で騒つくのを抑えることが出来ないでいた。
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