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45 愛しむ決意

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 その夜、サブリナは疲れた身体を湯浴みで癒した後、自室でハーブティーを片手に肘掛け椅子に腰をおろした。
今夜はクルーゼ とカテーナが夜勤だ。重病人も重症者もいない看護棟は、落ち着いた静かな夜になるだろうから、サブリナもゆったりと過ごそうと考えていた。

 さすがに気疲れしていた。
勝手に一人で浮かれてガッカリして馬鹿みたいだと自嘲しながらも、どうしても落胆してしまう。自分の乱高下する気持ちに振り回されているのだからどうしようも無い、とサブリナは自分の気持ちを戒めた。

 あの後、フレデリック王太子一行は順調に施療院と看護棟の視察を終えて、首尾に満足しているとの言葉と職務に従事する者たちへ労いの言葉を残しガーランド辺境伯とともにアテナス城へ戻っていった。
結果、オーランドはただの一度もサブリナを見ることもなく、王太子と共に去って行った。

 シャルはサブリナを気遣ってか「護衛中ですものね、お話しできないのもしかたありませんよ」と慰めめいた言葉を掛けられたが、それだってサブリナを苛立たせる。

 いや違う、全て自分のせいなのだ。期待しないって言ってたくせに、期待してた自分に。
彼が自分に話しかけてくれるのではないか、それが無理でと視線を合わせてくれるのではと、期待していた自分がいる。
女々しい気持ちに自己嫌悪するばかり。

 ささくれ立った気持ちを落ち着かせるようにサブリナはカップを手に取り、読みかけの本を手に取った。

・・・その時だった。
窓の外から微かに音がしたのは。

「?」

 カツンと石畳を踏むような静かな音が一瞬響いた。
辺境のアテナスは夜、強い風が吹くことも多いが今夜は穏やかで静かな天候だ。風の吹く音ではない。
ここは城の中でも、奥まった2階に位置している。周りに木立もないから、木々の揺れる音ではないだろう。窓の外は城の中庭を見下ろせる小さなバルコニーがあるだけだから、なんの音か思い当たらなかった。

 シャル達は施療院と看護棟に近い使用人専用の住居棟にいるが、サブリナだけは一応、貴族の娘であり看護棟を統べる人間であることから、モントクレイユ男爵と一緒にアテナス城内の貴賓が住まう棟に部屋を与えられた。

 まさか盗賊でも、とチラリと頭を掠めるがアテナス城は要塞で滅多に外部の人間の侵入は許さないし、サブリナの部屋がある場所は警備も強固だ。
しかし、ここは辺境の地。何が起こるかは分からない。

 警戒しつつも、もしかしたらバルコニーに鳥が落ちたのかもしれない、そう思って、サブリナはカップをサイドテーブルに置くと立ち上がり窓に近づいた。

 窓にかかるカーテンを引いて、そこに映る影を見た瞬間、驚きでひゅっと思わず息を吸い込む。

「オーランド様っ?!」

 慌てて窓を開けると、冷たい空気を纏った彼が素早い身のこなしで押し入って、サブリナの身体を抱き寄せた。

「あっ!!なにをっ!?どうしっ・・・!?」

 言葉は続かなかった。
抱きしめられて、唇に彼のそれを押し当てられたから・・・。

「・・・んっ・・・ふぁっ・・・」

 冷えた唇がサブリナの唇を柔らかく喰み、擦り合わせるように唇を触れ合わせるだけだったものが、息苦しくて口を開けた瞬間を狙ったように、舌がするりと滑り込んでくると、もうダメだった。

 唇とは真逆の熱い舌がサブリナを翻弄していく。優しく舌を絡められたかと思えば、舌先を甘く噛まれたり、歯列や口蓋を擽ぐられ、歯を当てられた舌を今度は甘く吸われてしまう。

 深く唇を重ね合わせたまま、ぴたりと抱きしめられた身体にオーランドの掌が這い回り、ガウン越しに背中や尻を撫で回されると、サブリナの身体の奥がじんと潤んだ。

「ん・・・ぁ・・・んん・・・」

 ぴちゃりと舌の絡まりが解け、彼の唇が離れるとサブリナはこくりとお互いの唾液を飲み込んだ。潤んだ瞳で見上げれば、久しぶりにオーランドの端正な顔がそこにある。

 黒曜石のような瞳は、いつにない熱を孕んだようなギラギラした光を放ってサブリナを見つめている。

「オーランド様・・・」

 会いたいと、何度も願った彼がそこにいる。

 オーランドはふっと目元を緩めて、サブリナの口元を人差し指の甲で優しく拭うと、またサブリナの頭を自分の胸に抱き込める。

「やっと会えた」

 耳元で紡がれる、聞き心地の良い彼の声。甘い熱が鼓膜を震わせ耳たぶに唇が触れると、サブリナも思わず彼の腰に腕を回して抱きしめた。

 しばらくそうやってお互いの鼓動を確認するように抱きしめ合っていたが、オーランドが腕を緩めるとサブリナは顔を上げた。

「どうして・・・ここに・・・」

 聞きたいことはたくさんある。婚約のことや今の立場のこと、ジェラール帝国との外交のことなど。でも、真っ先に口をついたのは、彼が逢いに来てくれた真意を尋ねる問いだった。 

 なんて厚かましいと、気付いた時には遅かった。嬉しさから思わず口走ってしまったことに、頬を赤らめながらオーランドを見ると、彼は珍しく柔和な顔で口を開いた。

「君の部屋はガーランド閣下に教えてもらった。ついでに行き方も」
「えっ!?ガーランド閣下に?!」
「ああ、石壁にかける鉤を貸してくれた。それを引っ掛けて、バルコニー沿いに壁を登れば良いと」
「鉤までっ!?」

 一体なにをどうなって、この国の猛者である辺境伯とそんな会話になったのか・・・しかも行き方ってどういうことか?
普通に城内を歩いて部屋の扉をノックすればいい話でないのか。
何もこんな夜這いみたいなこと・・・。

 そこまで考えてサブリナはハッとした。
まさかじゃなくても、これは夜這いなのか?!

 そんなサブリナの内心を見透かしたのか、オーランドはくつくつ笑うと、サブリナを横抱きに抱え上げた。

「きゃっ!何をっ!?」

 突然の浮遊感と高くなった視界に慌てふためくサブリナを無視して、オーランドは寝台に近づくと、上掛けをめくり、そこへそっとサブリナを下ろす。
混乱しっぱなしのサブリナはなすがままだ。
オーランドは羽織っていたマントを脱いで傍らの椅子にかける。彼も湯浴みしたのか、下は水色のシャツに黒のトラウザーと言う、軽装だ。
手際良くサブリナの室内履きを取って放り投げると、自分も短靴の紐を乱暴に引っ張って解くと脱ぎ捨てて、シャツの襟を緩めながらサブリナを真っ直ぐに見下ろした。

「今夜はここで眠る」
「えっ!?」
「俺は明日もう一度国境線に行ってから、ブラックウッドの砦に回る。今夜しか時間がない」

 予定はどうあれ、とんでもないことを言い出した彼におろおろするサブリナを横目に、オーランドは寝台のサブリナにのしかかってくる。
そっと頬から首元に手の甲を滑らせて、胸元で揺れる自分が与えた首飾りを指先で弄んだ。

「ぁ」

 官能的な動きに思わず身体が震える。

「夫が妻に会いに来て何がいけない?」
「え?」

 オーランドの言葉に驚いて、彼の瞳を見つめるが、真っ直ぐに熱を孕んだ瞳で見つめ返されるだけ。

「ちっ、違います・・・私達はもう・・・あっ!」

 振りでも夫婦ではない、そう言おうとした言葉は、降ってきた噛み付くような口付けに飲み込まれた。
背がしなるほど、強く抱きしめられ、縦横無尽に荒々しく唇を貪られる。こんな口付けは過去にはなかった。

 息苦しくなって彼の胸をドンドンと叩く。やっと口付けを解かれて、サブリナは弾む呼吸の中でオーランドを睨んだ。

「何をなさるんですか?・・・ずっと無視してたくせに」

 言うまいと思っていたのに、思わず本音が口に出て、サブリナはカァっと頬を赤くする。バツが悪くて顔を背けると、逸らすな、と彼に顎を掴まれて真正面に戻される。

 オーランドはサブリナにのしかかったまま、片肘をサブリナの頭の横に着くと、サブリナの額に自分のそれをぴたりとくっつける。
ささやかな詰りが可笑しかったのか、くくっと笑って口を開いた。

「拗ねたなら、やったかいがあった」
「っ!?わざとですか?!」

 思いもよらない彼の発言にびっくりして声を荒げると、オーランドは悪い顔をして言う。

「公衆の面前で俺が声をかけたって、サブリナはよそよそしい。そんな君を見るのは・・・まっぴらごめんだ」

 過去の自分が取ってきた態度に、暗に嫌味を言われてサブリナはぐうのねも出ない。久しぶりに会う彼はなんだか、前より意地悪だ。

 オーランドは感触を確かめるように、サブリナの頬や耳たぶ、首元を柔らかく撫で続ける。寝台に押し倒されているが、彼がそれ以上、ことを進めることはなさそうだと感じて、サブリナも彼の頬に手を添えた。

「またお痩せになりましたね」
「・・・そうか?気づかなかった」

 サブリナの言葉に嬉しそうに瞳を眇め口元を緩める彼は、別邸の日となんら変わらない。

「お忙しいのではないですか?」
「そうだな、君だってそうだろう?」

 優しい瞳で見下ろされて、瞼に柔らかく唇が触れる。

「いい香りがする」
「あっ、湯浴みをしたので」
「違う、サブリナのいつもの香りだ」

 彼の唇が頬に落ちて、そんなことを言われるから、サブリナはかぁっと全身が熱くなるのを感じた。
いつだってこうしてオーランドとの行為に流されて溺れてしまう。

 顔を赤らめたサブリナを気にせず、オーランドは彼女の肌の感触を唇で愛しむと、話しを切り出した。

「ガーランド閣下がサブリナがとても良く働いていると褒めておられた」
「そうですか」

 ガーランドに褒められたと聞いて、サブリナは嬉しくなる。いつだって自分の働きが評価させるのは誇らしい。それがオーランドの口から齎されれば、なおさらだ。

「だけど、俺は・・・それを聞いてすごく嫌だった」
「え?」

 どう言うことかと、見返せばオーランドが真剣な面持ちでサブリナを見つめている。

「君はいつだって皆んなに頼られて人気者だ。周囲の人間をどんどん虜にしていく。エイブスやアンヌも屋敷の人間も、いまだに君の話しをする。ここでもそうなんだと思うと・・・サブリナを奪われるようで」

 子供が嫌々するように首を左右に振ると、彼はサブリナの首元に顔を埋め、鎖骨にかりりと歯を立てて、その後に吸い付いた。

「っ!!」
「とてつもなく嫌だ」

 鋭い痛みと甘い刺激にサブリナは眉を顰めた。
嫌だ嫌だと言われたって、そんなのはオーランドの勝手な妄想だ。
看護人である以上、たくさんの人と関わって生きていく。
そんな中で人気があるかどうかなんて考えたことなどない。
そもそも人気があるなら、もっと殿方に言い寄られたって良いはずじゃないか。

 だけど、久しぶりに会った彼はなんだか駄々っ子のようで、最初は微笑ましい気持ちがあったが、そこではたとサブリナは気付いた。

「オーランド様だって・・・」
「?」

 聞きたい、でも口にはすまい、と思っていたことが、甘い雰囲気に唆されて出てしまう。

「ジェラール帝国の第三皇女様と婚約されたと・・・とても愛らしいお方ですよね」
「してない、する気もない」
「でも・・・」
「顔も覚えてない」

 そんな筈はない、エディは王宮内はその話でもちきりだった、と言った。
戸惑って彼の顔を見れば、真剣な顔をした彼がいて。

「噂は時に愚かな憶測でしかない。約束を・・・・・・覚えているか?」

 その言葉にハッとする。彼の瞳を見返せば、そこには熱に浮かされたような自分の顔が映っていて。

 約束——王宮舞踏会の夜
お互いの立場を改めて思い知らされたあの夜。
月明かりの下、彼に告げられた精一杯の想い。

 サブリナは瞳が潤みそうになるのを堪えながら、静かに頷いた。

「覚えております」

 オーランドは今度はサブリナの鼻先にちゅっと唇を触れさせると、そのまま呟くように言った。

「まだ俺は力を持ってない・・・だが、あと少しだ。だから・・・待ってて欲しい」

 待ってどうなると言うのか・・・許される立場では無いのに。その言葉にサブリナは驚きで息を飲む。

 オーランドの熱のこもった瞳を見返す。
いつも真っ直ぐな気性をそのまま瞳にうつしこんだような、澄んだ漆黒。

 好きになってはいけない人だと、悪評が付き纏い、傷物である自分には身分不相応だと、ずっ距離を置こうと思って、でも上手くいかなくて。

——だってオーリーはブリーに懸想しているから——

 嬉しそうに息子の想いを口にした彼の母親。彼女はずっとこうなることを信じていてくれた。

 彼が自分のために力を持つと言ってくれて・・・これ以上、何を躊躇う必要があると言うのか。

 今までの葛藤や迷いが脳裏を駆け巡り、そして次の瞬間、サブリナは初めて頷いていた。
オーランドの背に手を回し、そっと自ら身体を寄せると、自分の想いを吐露する。

「おしろい花、ありがとうございます・・・あの花に・・・花言葉に何度も癒されました」
「そうか・・・」

 オーランドは優しさを滲ませた声音で、答えると、また鎖骨や首元に唇を滑らせる。
きつく抱きしめられて、重ね合わせた身体の中心、あられもないところに男の熱を感じるが、オーランドはそれ以上、何もすることなく、いつしか眼を閉じて、眠りに落ちしていた。

 サブリナはそっと彼の頭を胸に抱き寄せる。
オーランドの寝息を鼓動に感じながら、彼女はその重さを愛しみながら、ずっとオーランドを抱きしめていた。

 





 夜が明けきらない、月がまだ窓から見える時分、オーランドは眼を覚ましてそっと身を起こしたようだ。
サブリナは、その気配に気がついたが、敢えて眼を閉じたままでいた。

 立ち上がり、短靴を履きマントを羽織る音がする。身じろぎもせず目を閉じたままのサブリナの頬や唇に指を触れさせてくる。
何度も何度も壊物に触れるように、優しく触られて、胸の中が疼くように掻きむしられるが、サブリナは眼を閉じ続けた。

 オーランドの吐息がふっと睫毛にかかるのを感じる。昨夜、幾度も感じた熱が唇にそっと重ねられて・・・しばし押し当てられた熱が離れていくと、窓が開く音と閉められる音が静かに響いた。

 カタリと言う音がして、オーランドの気配が消えるとサブリナは身体を起こした。
寝台から飛び降りて、窓に駆け寄る。
窓を開けて見下ろせば、白み始めた空の下、壁からするすると降りていくオーランドを視界に捉えることができた。

「やだ、本当に・・・ふふっ」

 以前、木登りが得意だった、とちょっと自慢げに言っていたオーランド。壁まで器用に登ったり降りたり出来るなんて。
自分のためにそんなことをしてくれたオーランドに、温かいものが胸に満ちていく。

——待ってて欲しい——

 頷くだけで、答えられずにおしろい花にはぐらかしてしまった言葉をサブリナはそっと呟いた。
きっと彼に自分の気持ちは伝わっているはずだ。

「はい、オーランド様・・・ずっとお待ちしております」

 彼がそう言ってくれるなら信じたい、待ちたいと初めて思う。身分や立場を恐れるばかりではなく。

 オーランドと一緒に乗り越えたい。
真摯に気持ちを向けてくれる彼に、自分も想いを返したいと強く願うのは贅沢だろうか。

 彼の姿が消え、陽が昇るのをサブリナは胸の中で育った決意を慈しみながら、ずっと見つめていた。
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