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41 悲願と花言葉

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 モントクレイユ男爵の話しは、期待を上回るものであろうが、エディの言い方を借りれば微妙なものであった。

「それは本当でございますかっ!?」

 思わずスープを掬う手を止めて、サブリナは前のめりに父に問うた。モントクレイユ男爵はいたって冷静だ。

「ああ、本当だ。国王陛下より直々に命を受けた」

 父の冷静な顔を見つめて、サブリナは呆然と呟いた。

「辺境領に大きな施療院と看護棟を作るなんて・・・」

 思った以上の大きな話に、サブリナの胸は踊った。エディを見れば、彼は少し難しい顔のまま父の話を聞いている。

「そうだ。長年、当家で陳情してきた、誰もがお金を払わずとも自由に治療を受け、必要であれば院に泊まって回復するまで過ごすことが出来る施設・・・それをこの国の税収を使って立ち上げることが決まったそうだ」
「それをモントクレイユにお任せいただけるんですね!」

 声が弾んでしまう。
王立の施療院を作ることはモントクレイユの悲願だ。
戦乱と背中合わせの時代が続き、この国の福祉は未整備だ。豊かな資源に守られて民に課せられる税は他国と比べれば軽いが、それでも貧富の格差はある。戦いに父親が駆り出されて、そのまま戦死してしまえば、あっという間に孤児が溢れる時期もあった。

 修道院や孤児院が必死に国民の生活を支えても医術までは手が回らない。
そんな中では医術や薬にかける金が無く、そのまま死を待つだけになる病人や、治る見込みがあるのに、悪化させてしまう市井の民が多い。
医術も薬も上位貴族のためだけに存在していた。

 この国で唯一、医術者や薬師を輩出するモントクレイユだけは領民であれば、無料で治療を受けられる施療院や入院するための宿泊施設を有している。これを国中に展開することがモントクレイユの願いであり、何度も国に陳情していたが叶わない悲願であった。

 それが今・・・、何がどう巡ってか、国の復興と強大な権威を諸国に見せつける政策の一環として、「医療福祉省」を作り、モントクレイユ男爵を筆頭として、施療院と看護棟の設立することが決まったのだった。

 だが・・・

「僕は気に入らないね」

 それまで黙って話を聞いていたエディが苦々しい顔をしながら口を挟んだ。彼はずっと納得していないのだろう。珍しく刺々しい口調で続けた。

「なんで辺境領なのさ。あそこはまだまだきな臭い。そんなところに作るなんて危険すぎるよ。それにいくらこの国の防壁で要だからといって、何も騎士のために作る必要はない。最初は王都の市井の民のために作るべきだろう」

 そう言うと、腹立ちを飲み込むように葡萄酒をグッと煽った。

「エディ・・・」

 彼の言うことにも一理ある。だが国の政策とはえてして思うようにならないのが常だ。
だが誰が反対しようとも、今回ばかりはこの千載一遇の機会を逃すことはできない。

 サブリナは不機嫌な弟に何と言うべきか困って父親をみると、男爵は軽く吐息を吐いた。おそらくこのやりとりを何度も嫡男と繰り返してきたのだろう。

「たしかに王都に作ることが理想だ。だが今回ははじめての試験的な試みだ。この国を守る騎士とその家族を優先することが何が問題だ?戦禍の中で傷ついている彼らに必要であるだろう。医術は人を選ばない。万民のためにある」
「そうよ、エディ。場所はどこであれ陛下や貴族院がその気になったことが大きな第一歩よ」

 サブリナは取りなすように言うと、エディはむくれたまま「分かってるさ」と答えて今度はチーズに齧り付いた。







 モントクレイユ男爵が、この国初の「慈善福祉省」の担当になることが布告されると、貴族たちは驚きに揺れ、何も知らない平民達は国の試みを大いに歓迎した。

 下位貴族が貴族院に入れることは稀だ。良くも悪くも世襲制が重んじられるセント・グローリア・アラゴン王国で、異例といっても過言では無い。
だが、それを口さがなく言う貴族は少なかった。

 理由としては辺境伯であり、この国の軍備を統べるガーランドが医療福祉省の当面の大臣となったためと、ウィテカー宰相がこの施策の全体を管理することになったからだ。
普段、水と油のように折り合いが悪いガーランド辺境伯とウィテカー宰相が組んだことは貴族たちに激震を走らせると同時に、国王がこの政策に本気であることを国中にしらしめるには充分な采配だった。








 荒々しく扉を叩く音に、サブリナは洋服を畳む手を止めて嘆息する。
誰が何の用事でこの部屋に来たのか、扉を叩く音で分かったからだ。

「どうぞ」の「ど」を言った瞬間に扉がバタンと大袈裟な音を立てて開いた。

「ブリー!!私は行かないってどう言うことですかっ!?」

 シャルだ。サブリナはなるべく厳しめの顔つきを崩さないよう、キリッとした表情でシャルを見た。彼女は動転しているのかワナワナと肩を震わせてる。

「モントクレイユ男爵とマザー・アンヌと相談して決めました。辺境領にはカテーナとヘンリエッタを連れて行きます」
「どうしてっ!?」

 憤るシャルを見ながら、どう言ったら納得してもらえるのかサブリナは考えあぐねた。

 辺境領へはモントクレイユ男爵自身が行くと言った。壮大であると同時に旧知の中である辺境伯であるガーランド閣下の元での政策だから、信頼できる部下が何人いようとも、自分が陣頭に立つと宣言したのだ。医術者で薬草学にも明るい男爵が、辺境で後進を育成しつつモントクレイユのやり方を導入していく。

 看護棟については、もちろんサブリナが任されたから、自分に否はない。
一緒に看護にあたり、新しい看護人を育てる。向こうには怪我や病などで騎士に従事は出来ずとも、仲間の世話をしたいと看護に関心を寄せる人間がたくさんいるとのことで、今から楽しみだ。

 だからサブリナは自分といっしょに看護人を育てて働いてくれる人間を2人、ラファエル・ナーシング・ホームの看護人から選んだ。
カテーナとヘンリエッタは年若く経験もまだ浅いが、向上心も学ぶ意欲も高く、良く働く。
今回の施作にはうってつけだ。

 しかし、人選の理由はそれだけではない。

「カテーナとヘンリエッタは孤児だから・・・身寄りがいない。2人は暮らす場所にしがらみがないから、喜んで行くと言ってくれたわ」

 辺境領はここから馬車で1週間はかかる。簡単にはここには戻れない。それに一度行ってしまえば、辺境領での状態が軌道に乗るまではここに帰ることは難しい。
だから、なるべくモントクレイユに里心がつかない人間を選んだのも大きな理由の一つだ。

 サブリナの言うことに、シャルはカッとしたように顔を赤くして叫んだ。

「それだったら!!私もっ!!」
「違うッ!」

 サブリナはそれ以上言わせないよう、シャルの言葉を遮った。

 たしかにシャルも孤児だ。戦争で両親を失いマザー・アンヌに保護されて育った。行儀見習いも兼ねて、モントクレイユ家に侍女として入ったのがサブリナとシャルの出会いだ。
だが、出会いはそれだけではない。

 きつい恫喝にも似た否定にシャルが青褪めた顔で黙りこくった。その顔に慌ててサブリナは取りなすようにシャルの手を握った。

「貴女にはエディがいる。エディは帰国したし今回、彼はここモントクレイユでお父様の代理を務める」

 弟のエディとシャルがお互いを想いあっていると気付いたのはいつからか・・・どちらも奥手で初々しく心を通い合わせていく姿をサブリナは微笑ましく見守ってきた。

 エディの医術師としての勉強が優先されたために、2人の婚姻の目処は立っていない。婚約すらまだだ。
だが、それもそろそろ終わりにしたい。弟は立派に医術師になり、領主の代行を務めようとしてる。
それにモントクレイユ男爵も母も2人の婚姻に賛成しているのだから。

 そして何よりもエディもシャルと歩むことで、【サブリナの過去】の呪縛から解放されて欲しい。自分はオーランドのおかげで、多分もう自分の過去とは決別出来ていると思うから。

 そんな諸々の想いと、辺境領での政策は最低でも2年はかかるという時間的な拘束。
一緒に連れて行けば、ますます婚期が遅れてしまう。そんなことはモントクレイユの損失に他ならない。だから、サブリナは父とマザー・アンヌにこの話しをしてシャルを外した。

「ブリー・・・」

 シャルが当惑したように眉尻を下げると、サブリナは励ますように頷いた。

「だから、ここでお母様と一緒にエディを支えて欲しい」
「でも・・・」
「どうかお願い」

 言葉を継がせず、被せるように畳み掛けると、シャルは嗚咽を堪えるようにぐしゃりと表情を歪めた。
そして、サブリナの手を振り払うと踵を返して部屋から走り出ていってしまった。

 扉が乱暴に閉まる音を耳にしながら、だがサブリナはシャルを追うことはしなかった。
今回の決定は誰にとっても最良だと思うから。
長年、自分に付き従ってくれたシャルにどうか幸せになってほしい、と祈りつつ、サブリナは準備を再開したのだった。









「こりゃ、嬢ちゃん。おしろい花ですわ」

 モントクレイユの薬草園を長年、管理してくれているジャンはサブリナが持っていった鉢を見てそう言った。

「まあ、おしろい花だったのね。ここら辺では珍しいわ」

 薬草の水やりの手を止めて、母もその鉢—オーランドがエディに渡したそれ—を物珍しそうに眺めた。

「特別な薬効はあるの?」

 サブリナはなぜオーランドがこれを自分に贈ってくれたのか分からない。何か珍しい薬草なのかと尋ねるとジャンは、そうですなーと顎をさすって考え込んだ。

「どちらかって言うと、毒性がある花っすね。間違って口にすっと、吐いたり腹下したりするっすよ」
「そうなの・・・」

 ジャンの説明にサブリナは微妙な顔をした。なんでオーランドがそんな花を送ってくれたのかわからない。
サブリナの表情が面白かったのか、母のマデリンはでもね、とジャンの言葉を引き取った。

「生薬として使うこともできるのよ、うちでは育てたことなかったけど。根っこを刻んで煎じて飲むと関節の痛みなどに良いのよ。せっかくだから試してみましょう」

 母の明るい言葉に、そうなのか、と気を取り直す。もしかしたらオーランドは生薬のことを知って送ってくれたのかもしれない。
サブリナは母ににっこりと微笑むと、「それだったら育てがいもあるわね」と答えて早速、地植えにしようと鍬を手に取り土を掘り始める。

 ジャンが他の場所に行ってしまうと、一心不乱に土を掘り起こすサブリナを微笑ましく見守りながら、マデリンがふと思い出したように話しかけた。

「このおしろい花、ウィテカー宰相の御子息様からだったわよね」
 
 いきなりそんなことを言い出した母にぎくりとしながらも、事実だからサブリナは「そうよ」とだけ答えた。
すると母は「まあ」とうっとりしたような声を上げるから、サブリナは怪訝な顔で母を見返した。

「サブリナに贈ってくださるなんて・・・さすが宰相公爵家のご嫡男ね。されることがロマンチックだわ」

 「あなたも隅に置けないわね」と奇妙な事を付け加え、ふふっと娘のように頬を赤く染めて、そんな頓珍漢なことを言うからサブリナはキョトンとした。た。

「どう言うこと?」

 娘の戸惑った顔を見ると、マデリンはまあ!と今度は呆れたような声を上げた。

「ブリー、草花については勉強不足ね」
「・・・・・ごめんなさい」

 なんでこんな状況で指摘されるのか分からない。えっ?!と思いながらも謝れば、母は昔からサブリナとエディに言い聞かせた言葉を口にした。

「図書室で調べなさい。そうすれば分かるわよ」

 今度はホホホと楽しげに笑いながら、また流石に王都の殿方は素敵ねー、と解せないことを言いながら庭を出ていったのだった。


 マデリンの言葉が気になりながらも、辺境領の出発準備や日々の仕事の引き継ぎ、挨拶などに時間を取られ、なかなかサブリナは図書室に行くことが出来ないでいた。

 だが出発も間近に迫ったころ、ジャンからおしろい花が咲いたという報告が上がってきて、ひさしぶりに薬草園へ顔を出すと、ちょっと驚く光景となっていた。

「なんていうか、ジャン・・・愛らしいけど生命力の逞しさを感じるわね」
「嬢ちゃん、控えめな言い方っすね。ようは雑草並みだって言いたいんすよね」
「・・・まぁ・・・」

 ジャンの突っ込みに苦笑しつつおしろい花を見る。受け取った時は小さな芽だけだったが、わずかな期間でサブリナの腰ぐらいまで伸び、枝葉も左右に広がり、赤や白、黄色混じりの小さな可憐な花をたくさん付けている。
一つの株から様々な色合いの花が咲くのも、この辺りでは珍しいから、サブリナは目を見張った。

 あっという間に立派?に育ったことに、確かに可憐な観賞用の話というよりは野花のような強さだと驚く。
彼は、その強さを自分に重ねたのだろうか・・・それだったら、御令息のくせに女心を分かっていないと、サブリナは少しむくれてしまう。

「奥様からは種が取れたら、いくつか抜いて根っこを取るように言われてるっす」
「そう、お願いね」

 サブリナは小さな花の香りを吸いながら、さっきまでの腹立たしさが消えて、なんだか懐かしい気持ちになった。
オーランドと過ごした日々が遠い過去のようだ。まだこちらに戻ってから半年なのに・・・。

 その夜、サブリナはやっと図書室に向かった。公爵邸でも夜な夜な本を読み、そして彼と束の間の会話を楽しんだ。おしろい花を見てから、どうしてもオーランドに気持ちが囚われてしまう。

 彼と過ごした時間を思い出すたびに胸が疼くことを、どうしようもできないでいる。
手放すことができなかった首飾りは、あれから外すことができず、ずっと首元で揺れていた。

 サブリナは何冊かの書物や文献を読み漁るが、おしろい花の記述は母やジャンから聞いた話と大差が無い。いたって真面目な学術的な内容のどこに「ロマンチック」な要素があると言うのか。

 あらかたは見尽くして、母の言うことが分からず途方に暮れる。仕方なしに書架に並ぶ背表紙を目で辿っていくと、懐かしい本が目に飛び込んできた。

「まだ有ったのね・・・懐かしい」

 手に取ったそれは「花言葉辞典」

 小さい頃は、花が持つ愛らしいエピソードやなんとも現実的な言葉などに胸躍らせて、花と一緒に首っ引きで読んだものだ。

「まさか・・・ね」

 サブリナにとっての花言葉は、薔薇や百合といった華やかな花に付けられているという認識だ。モントクレイユで栽培している薬草花類には往々にして花言葉などない種類も多く、小さい頃は良くガッカリしたものだった。

 だから、まさか「おしろい花」になどあるはずが無い・・・そんな風に思いつつも紙を捲る気持ちが逸る。

「あ・・・」

 まさか、そんな・・・

 見つけた言葉が信じられなくて、何度も確認してしまう。ジンワリと頬が熱くなってしまうのは気のせいじゃ無い。

「・・・オーランド様」

 サブリナはその言葉を指でそっとなぞりながら、彼の凛とした姿を脳裏に浮かべる。
いつだって背筋を真っ直ぐに伸ばし、漆黒の煌めく瞳で前を見据える彼。顔立ちは端正で怜悧なのに、いつも仏頂面で眉間に皺を寄せて不機嫌な顔をしてた。

「ふふっ」

 彼のそんな姿を思い出しておもわず笑いが溢れると同時に、ぽつりと涙が溢れた。

 会いたくて会いたくてたまらない。
泣かないと決めているのに、涙が込み上げてしまうのは嬉しいからか。

 サブリナは愛しくその言葉に指で触れたままそっと呟いた。

「私もです・・・オーランド様、私も・・・」

 密やかな呟きは夜の静寂に溶けていき、サブリナはいつまでもその言葉を見つめていた。


 —— おしろい花 あなたを想う ——
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