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 診察を終えたローリング医術師とサブリナは顔を見合わせた。
それまで患者に見せる柔和な表情だったそれを厳しいものに変えると口を引き結んだ。

「先生・・・」
「うむ、大きくなっている。進行がやはり早くなってきているな」
「そうですね」
「胃腸の悪さは、恐らく腫瘤が臓腑のどこかに転移しているからだろう」

 別邸での避暑を終え1ヶ月。
屋敷に戻ってきてから季節の変わり目も相まって夫人の体調は良くない。胸の腫瘤はどんどん大きくなってきており、避暑の後半で出始めた痛みは、日々頻繁かつ強くなってきている。また痛み止めを強いものに変更さぜるを得なかった、

「貧血も進んでいるな」
「はい、クサボケの果実水で少し治りましたが」
「うむ、続けてくれ」
「かしこまりました」

 それと、とローリング医術師は続けた。

「痛みが酷くなるようならヤマシャクヤクを。・・・まだクサノオウは飲ませたくないからな」

 はい、とサブリナは静かに頭を下げた。
クサノオウは効果の強い鎮痛薬草だ。だが毒性も強く処方を間違えれば昏睡や麻痺を引き起こす。
まだ夫人が動けるうちはヤマシャクヤク、さらに強い痛みが持続するようになったら対処としてクサノオウだ。
そして、最後の砦になるであろうケシはあくまで患者の末期の痛みを取り安らかに旅立てるように使うものだから、使うのは出来るだけ先にしたいとサブリナは思う。

「来月の王宮舞踏会を大変楽しみにしておられる。ぜひとも実現させて差し上げたいな」
「それはもちろん」

 夫人にはまだ目標がある。ローリングが気を取り直すように言ったことに、サブリナは強く頷いた。





 部屋に戻ると夫人はもう刺繍をしていた。今は初孫の王子殿下の手巾や携帯用の袋などを作っているようだ。

 サブリナを見ると、自分の病の進行に気づいているはずなのに、不安や恐れを微塵も感じさせずニコリと微笑んだ。

「先生はお帰りになったの?」
「はい、王宮舞踏会まで、頑張りすぎないようにとの仰せです」

 そう答えると、夫人はくすくすと笑う。
刺繍の手を止めると、静かにサブリナを見返して続けた。

「神の元では頑張る必要はないわ。だから今、頑張りたいの」
「お義母様《かあさま》・・・」

 凪いだ面差しで、暗に死んだあとでは努力もできないと、言われてサブリナは虚を突かれた。彼女は確実に死期が忍び寄っていることを知って覚悟している。それを理解していても、受け入れることは難しい。
ただの看護人であれば出来たことが、義娘《むすめ》となると出来なくなる。それほどサブリナは夫人のことを、実の母と変わらず慕うようになっていた。

 寝台脇の椅子に腰を下ろし、夫人の手を取ると香油を塗りこめながら優しく揉む。ー刺繍でこわばっていた指の関節を優しく揉み解すと、ふいに夫人が口を開いた。

「オーリーと喧嘩でもした?」
「・・・いいえ、なぜ、そんな・・・」
「ブリーが元気がないような気がして・・・オーリーも浮かない顔してる時があるから」

 思いがけない言葉に、パッとサブリナは視線を夫人に戻した。彼女はちゃめっけたっぷりな微笑を浮かべている。サブリナは見透かされそうな夫人の瞳から視線をそらすと、いいえ、そんなことは・・・とまた否定しつつ言葉を濁した。

「そう?じゃ、忙しくて帰ってこないから寂しい?」
 
 無邪気な問いにサブリナは頬を引き攣らせながら曖昧な笑みを浮かべた。なんて答えるべきか愚鈍な頭では言葉が出ない。

 別邸から屋敷に戻って以降、オーランドとまともに顔を合わせたのは数回程度。しかもこの夫人の部屋でだけだ。
彼は職務がまた忙しくなったのか、屋敷に戻ってこない日が続いてる。

 夫人から聞いた話では近衛騎士団の職務に加えて、父親のウィテカー宰相の仕事も少しづつ手伝っているらしい。
そのおかげで、宰相は毎日この屋敷に帰宅し、夜を夫人と過ごすことができている。

「オーランド様はお仕事が忙しくていらっしゃいますので」
「そうね、旦那様のお仕事まで手伝うようになったから・・・今まで宰相なんて毛嫌いしていたのに。ふふっ、これもブリーのおかげね」
「そんな、私は何も・・・」

 自分はもちろんオーランドから何も聞かされていない。彼の胸のうちなど分からないのだ。慌てて否定すると夫人は緩く頭を左右に振った。

「いいえ、最近顔つきがしっかりしてきたように見えるわ。色々自覚が出てきたように思うの。ブリーと一緒になったからだと感じるわ」

 そんな、とサブリナはほぞを噛むような思いに駆られる。自分は何も彼にしていない、ただ傷つけただけだ。

「でもごめんなさい、私のせいで新婚の楽しい時期を奪ってしまっているわ」

 夫人が殊勝な顔で謝るのに、サブリナは慌てて、いいえと否定した。

「別邸でとても楽しく・・・過ごさせていただきました」

 そう、それこそ本当の新婚のように、身に余るほどの幸せをもらった。

「宰相様の補佐をはじめられたのですから、私も嬉しいです」

 サブリナの言葉に安堵したような夫人の顔を見つめながら、サブリナは自分に言い聞かせる。
 
 彼を拒絶したのは自分だ。だから、悲しんでなんかいない、と。
そして、彼が宰相の職務に興味を持ったのなら純粋にそれは嬉しい。自分の役割を見つけようとしているのかもしれない。

「そう、良かったわ。・・・若夫婦に気遣わせて申し訳ないけど、もうしばらくだけ、旦那様と過ごさせてちょうだい」

 夫人の柔らかいけれど覚悟を秘めた微笑に、また胸を悲しみで突かれ、そして嘘をつく後ろめたさに苛まされながら、サブリナは、もちろんです、とニッコリと笑ってみせた。







「お父様!!お母様!!」

 サブリナは1年ぶりに会う両親に、笑顔を見せると二人の元へかけよった。

「久しぶりだな、息災そうでなによりだ」
「牢に入ったなんて、さすがね」

 良識的な父の態度と、相変わらず天然気味な母の言葉にサブリナは久しぶりに心から笑った。

 2日後にせまった王宮舞踏会。
国内の主だった貴族を含め要人達が招待されている。もちろんモントクレイユ男爵家もだ。

 夫人はサブリナをウィテカー宰相公爵家の嫁として舞踏会に連れて行きたいと望んだが、もちろんそんなことは出来るはずもなく、サブリナは普通にモントクレイユ男爵家の娘として参加することになっている。

 夫人の体調は油断できない日々が続いているが、舞踏会に行かないという選択肢は最後まで出なかった。
時々微熱や痛みが出ていたものの、舞踏会が近づくに連れ、夫人は驚異的な気合いと粘りで安定した体調を保っていたからだ。これならサブリナがいなくても大丈夫だろうと、舞踏会の準備も含め不在の間はローリングとシャル、そして侍女のナターシャに任せることにした。

 モントクレイユ男爵家は変わり者の貴族といえど、他の貴族同様、社交用の簡素な屋敷を王都に所有している。サブリナは王宮舞踏会の準備のため夫人に休みをもらうと、両親が待つ王都の屋敷へ向かい、再会を果たした。

「お元気そうでよかったわ」

 変わらない健やかな二人の姿にホッとする。穏やかな空気に包まれて、常にウィテカー公爵家では緊張していたのだと気づいた。

「ブリー、僕にも顔を見せて」

 聴き慣れた、だが懐かしい声が背中越しに聞こえてサブリナは驚いて振り返った。

「エディ!!いつ帰国してたの?!」

 双子の弟、エディ・ホワイト・モントクレイユだ。自分に似た、だけど男らしさをにじませた笑顔で笑っている彼にサブリナは飛びついた。
彼は、この4年、医術師になるために南東の国ウォーターエッジ王国に留学をしていて、会えなかったからだ。

「3ヶ月前だよ。屋敷に戻ったらブリーが公爵家で住み込み看護してるって聞いて驚いてたら、すぐに投獄されたって知らせが来て、ビックリしたよ!!相変わらず、姉さんは人を驚かせる天才だね」

 にこやかに笑いながら弟に揶揄われて、サブリナは思いっきり眉を顰めた。

「意地悪ね。これでも上位貴族の中で頑張っているのよ」
「そうよ、エディ。サブリナが公爵家で看護人として立派に勤めていることをまずは褒めなさい」

 サブリナを庇う母—マデリンの嗜めに、エディは首を竦めるとハイハイと軽く返事をした。

「たしかに!我が国セント・グローリア・アラゴン王国の中枢、ウィテカー宰相公爵家に住み込んでいるんだもんね。ぜひ投獄も含めて貴族の面白い話を聞きたいなー」
「やだ!!そんな話したら今度こそ私の首が飛びそうよ!」

 おっとりと、だが悪い顔をしてそんなことを言う弟の腕をつねりながら、久しぶりにサブリナは声をあげて笑ったのだった。




 家族の団欒は、とても楽しいものだった。
使用人は最低限しか連れてきていないから、母と二人で夕食を作り、簡素な食事を久しぶりに家族で囲む。

 エディの留学中のことを質問攻めにしたり、反対にサブリナがエディから公爵家や捕縛された時のことなどをあれこれ聞かれたり。

 父と母からは、当然というべきか公爵夫人の容体や症状について問われ、今後の治療や看護の方向性について、4人でさまざまな意見交換や議論を戦わせる。父達の意見は一致していて、夫人のこれからの時間をいかに痛みを緩和し、穏やかに過ごせるかに注力することだったから、彼らの提言を真剣に聞きながら、サブリナもそこは決意を新たにした。

 エディは新米医術師らしく最新の治療法などを披露して、それに父のモントクレイユ男爵が興味を持つ場面もあった。
食事が終わった後も、モントクレイユ領自慢のハーブ入りの葡萄酒を嗜みながら、夜更けまで色々な話をして、サブリナにとっても心地良い時間になったことは言うまでもない。

 寝る支度をしていると、母のマデリンが大きな箱を3箱も積み上げて危うい手つきで抱えながら入ってきた。

「お母様、どうしたの?」

 慌てて箱を2つ引き取り、母を部屋に招き入れるとマデリンはカウチテーブルにそれらを置き、ホッと息を吐いた。

「午前中にウィテカー公爵家から届いたのよ。あなたにと」
「え?」

 公爵夫人のディアラからは特に何も言われていなかったから、サブリナは戸惑いながら箱のリボンを解く。

「まぁ」

 中身を見て母のマデリンは頬をうっとりと緩め、サブリナは驚いた。

「素晴らしいドレスね。さすが公爵様。わざわざ舞踏会用のドレスを贈ってくださるなんて。よほど、サブリナの働きを評価してくださっているのね」

 広げれば上質な絹の手触りと繊細に編まれたレースが散りばめられた若草色のドレスが揺れた。ドレープにはペリドットやエメラルドと思しき宝石が縫い付けてあり、サブリナはくらりと目眩がした。当然ながら、それに合わせたビジューに覆われた靴や小物類もセットされている。

 一緒に参加出来ないことを悲しんでいた夫人が、王宮舞踏会用にと仕立ててくれていたのか・・・ウキウキとドレスをクローゼットにかけてくれる母の横でサブリナはふと違和感を覚えた。
夫人の好みと少し違うような気がしたのだ。

 彼女ならば、サブリナには上品さの中に少し甘やかな少女のようにシャンパンレースがふんだんに入った意匠のものを選ぶ。
だが、このドレスはシンプルな身体に沿った優美さの中、繊細なドレープが裾に向かって広がっていて、年相応と言ってしまえばみもふたもないが、大人びた印象だ。

 母親が部屋を出て行くと、サブリナは装身具の天鵞絨の箱を手に取った。開けると小さなカードが入っていて、胸をドキドキさせながらそれを開いた。

—— 大地を守る静寂《しじま》に包まれ、天使に傅く。我が妻に——

「やだ・・・」

 サブリナはカァっと頬を染めると、カードを胸に押し抱いた。少し角張った特徴的な文字から彼だと・・・オーランドだと分かる。

 あの彼がどんな顔をして、こんな詩的な文を書いたのか・・・、

 別邸で言われたあの日が胸を甘く疼かせる。

—— 大地のように落ち着いていて、静寂《しじま》のように凛としていて・・・そして聖母のように慈愛に溢れた顔をしている・・・ああ、でも君は天使か——

 彼はずっとそんな風に自分を見ていてくれたのに。

「オーランド様・・・」

 どうして、こんな・・・手酷く彼を拒絶し傷つけた、どうしようもない私を見捨ててくれたらいいのに・・・なぜ、こんな風に、まだ妻として扱おうとするのだろう。

 奴隷の印を背負う、汚れ切った傷物を。

 装身具は一粒のブラックダイヤモンドで作られた耳飾りだけ。
彼が言わんとしていることが分かって、サブリナは自分の首元で揺れるそれをギュッと握りしめた。

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