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33 醜聞か、悲劇か

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「私が男狂いが高じて、娼館で働いていた売女だと。それが原因でカルディア子爵から婚約破棄されたふしだらな傷物だと・・・そうご存知でいらっしゃるんですね」

 サブリナは自分で言ったその言葉が、可笑しくて思わず笑みを浮かべてしまう。

 噂話とは面白いものだ。
想像だにしなかった尾鰭やえひれが付いて、まことしやかに流れていく。その間にも話は脚色され侮蔑と嘲笑に満ちたものに変化していく。
サブリナはいつしかそんな評判の男爵家の令嬢だと陰口を囁かれる存在となっていた。

 オーランドは冷たい表情に変わっているだろうサブリナを、ただ凝視していたが、サブリナの瞳が潤んでいるのに気がつくと、ハッとしたように寝台から立ち上がった。
素早い身のこなしでサブリナの前に立ち、ガウンを握りしめたままのサブリナの手を、優しく取ると、そっとそこに唇を落としながら、囁くように謝罪の言葉を口にした。

「すまない、俺が焦りすぎた・・・泣くな」
「・・・いいえ・・・泣いてなんておりません。もう・・・私に構わないで・・・私は・・・売女・・・貴方に触れて頂く・・・資格はございません」

 泣いてないはずなのに、出る言葉は嗚咽混じりで。
オーランドは静かに親指でサブリナの涙を拭うと、額をひたりと合わせ瞳を覗き込みながら続けた。

「俺はモントクレイユの醜聞を信じない。だから、話してほしい。モントクレイユの悲劇を・・・」

 オーランドから出た言葉にサブリナはびくりと身体を震わせると、顔を上げてオーランドを見返した。
まさか、彼の口からその言葉が出るとは思わなかったのだ。

「なぜ、それを・・・」

 彼は真面目な顔のままサブリナの頬を撫で続けながら、少し迷うように視線を揺らし、そして続けた。

「この結婚の話が出た時、父上は何も教えてくれなかった・・・だから、母上に聞いた」
「奥様に?」

 ああ、という肯定の言葉に胸が今度は熱くなる。夫人は正しくサブリナの身の上に起きたことを知っていたのだ。だから、サブリナが評判とは違うと理解して、あまつさえ信頼し可愛がってくれているのか。

「奥様はなんて・・・?」

 サブリナの問いに、その時のことを思い出しているのか、オーランドは眉根を寄せながら続けた。

「噂は噂でしかない。真実は当事者だけが知っている。俺に知る勇気があればサブリナから聞くべきだと・・・」
「そうですか・・・」

 夫人が優しさの中に厳しさを滲ませながら、息子を諭す様子が目に浮かび、サブリナはうっすらと微笑を浮かべた。
奥様はなぜこんなにも、自分を思いやってくださるのだろう。

「母上は俺にもう一つ教えてくれた」

 何を?とはもう聞くことはなかった。彼は「モントクレイユの悲劇」と言ったからだ。

「俺は間違っていると。モントクレイユ男爵家が・・・君が抱えているものは醜聞ではない、悲劇だと・・・。想像を絶する残酷な悲しみだと・・・。俺にサブリナの心の傷を抉ってまで、それを聞く覚悟、そして夫として受け止める覚悟はあるのか?と仰られた」

 漆黒の瞳をさらに暗い色に変えてオーランドは強い眼差しでサブリナを射抜いた。

「俺にはある。だから・・・話して欲しい。サブリナの抱える悲劇を」







 16歳の誕生日を迎えて、デビュタントがもう間もなくという頃、あの日はいつもと変わらない日だった。

 弟のエディと一緒に、薬草園へ行っている父を昼食に呼びに迎えに行っただけだった。
敷地内で歩けば数分の本当に僅かな距離。道すがらの木々や草花にすぐに気が取られてしまう姉を置いて、エディがさっさと薬草園に走って行ってしまうのもいつものこと。

 そんな日常の中でそれは起こった。

「私とエディは双子で面差しがとてもよく似ています。当時は屋敷では薬草の世話や土に触れることが多く、私もエディも庭師のような格好で外に出ていました。見分けがつかなかったのでしょう」

 まさか屋敷の敷地内に不穏な輩が入り込んでいるなどと、誰も気付いていなかった。
医術や薬草を扱う家柄、警戒を怠ってはいなかった。むしろ近隣の貴族の領よりも警備は厳重だ。それでも相手が上手だったというしかない。

 綿密に調べられ、緻密に練られた計画は速やかに実行された。

「草花に気を取られていたときに、私は何者かに背後を取られ、薬を嗅がされました。そして・・・」

 サブリナはそこで一呼吸置いた。あの辛かった日が甦り、胸の中がバクバクと嫌な音を立てて鳴り響く。だがオーランドの視線を真っ向から受け止めると、静かに続けた。

「そして、攫われました」

 オーランドの瞳が驚愕で見開かれるのを、サブリナは静かに見返していた。

 





 彼らの目的はただ一つ。
モントクレイユ家が所有する膨大な量の阿片と門外不出の水銀の精製方法。
どちらも医術にとっては必要不可欠なものだが、中毒性の高さから取り扱いを違えることは出来ないものだ。
国内でも国王陛下が許可を出した医術者と薬師しか取り扱えない。その人選にはモントクレイユ男爵家が常に関わっていた。

 近隣諸国も含めて薬物の闇取引は活発だ。敵対国の重鎮達や騎士を薬物中毒にさせたり、暗殺したりと国を籠絡させようとする謀略は後を立たない。売買金額も桁違いな上、モントクレイユの技術を欲する国や組織は多い。

 だから「モントクレイユの嫡子」を誘拐し、身代金として阿片と水銀の精製技術を要求した。

「ですが、彼らは二つの間違いをしました。調べが足りなかった故かと存じます」

 サブリナは息を飲んだまま静かな耳を傾けるオーランドに、うっすらと笑みを浮かべた。

「誤算の一つ目は私です。彼らは後継ぎのエディを攫うつもりでしたが、間違えたのです、
攫ったのが女の私だったことに、酷くイラつきました。そして二つ目は・・・モントクレイユ家は誰が死のうとも如何なる取引きには応じない、ということです」
「どういうことだ?」

 代々伝わるモントクレイユ男爵家の家訓。
その一つに「医術とそれに付随するものを交渉に使ってはならない」というものがある。
それは、モントクレイユが代々培ってきたものは人を救うために存在する。悪用されることは許されないからだ。

 どんな脅迫をうけようが、当主が人質に取られようが歴代のモントクレイユは王家と民に忠誠を誓い、悪に屈することはなかった。
3代前には盗賊に襲われて当主の妻が殺害され、7代前では当主が攫われ行方不明になった。数々の血生臭い犯罪に向き合ってきた歴史がある。

 医術を含む英知の全てはこの国の王家と民のため。それがモントクレイユの誇りだ。

「だから、当然父は・・・モントクレイユ男爵は身代金として要求された阿片と水銀の精製方法を引き渡すことはしないと、犯人達に返答しました」
「そんな・・・」

 驚愕しているオーランドの顔を、ただ見返しながらサブリナは続けた。

「私達は幼い頃より、そのように言い聞かせられて育ちました。だから・・・当然なのです」
「当然だとっ?!そんな馬鹿な話があるか?!親が自分の子を見捨てるなんてっ!!」
「いいえっ!!」

 激昂したオーランドの叫び声に被せるように、サブリナは強く否定した。
自分達はずっとそう言われ続けてきた。命を脅かす何が起きたとしても、モントクレイユ男爵家はお前達を、モントクレイユの宝《れきし》と引き換えにすることはできない、と。

「馬鹿な話ではございません。それがモントクレイユの矜持でございます」

 キッパリと言い切ると、彼がまた息を飲んだ。公爵家の嫡子、ましてや王族の血筋を引く彼ならば攫われたとしても、身代金は支払われるだろう。どんなに法外な金額であったとしてもだ。
両親に大切に愛されて育った彼にしてみれば取引に応じない親が存在するなんて信じられないのかもしれない。

「犯人達は激怒しました。この計画を企てた人間がいたようですが、思惑と異なり役に立たない私だけが残ったのです。普通なら顔を見られている可能性もあるので殺すところでしょうが、彼らはあくまでもお金に目が眩んだ下賤でした」

 目の前で苛立たしげに「お前は家から、父親から見捨てられたクズだ」と怒鳴られ、睨みつければ殴る蹴るの暴行を受けた日々。
馬車に押し込められ、満足な食事も水も与えられず揺られては、怒りの矛先を向けられてまた暴力を振るわれる。

 最初はなんとか逃げる隙を窺っていたが、いつしか身体も心も疲弊しきり、舌を噛んで死にたいと思っても、身体は縛られ、猿轡をかまされ身動きできない。

 死ぬことすら許されず気力が尽きかけたとき、唐突に逃亡の旅は終わった。

「彼らは逃亡の路銀を得るために、私を売ることにしたのです。北へ逃げ、当時人身売買が盛んだったミレーニの奴隷市で私を奴隷商人に売り渡しました」

 オーランドの目が大きく見開く。サブリナは肩をすくめた。

「女が売られる先は決まっています。私は他の婦女子と一緒に隣国の奴隷娼館に売られることになりました・・・」
「もういい!!サブリナっ!!もう分かったからっ!!」

 オーランドがサブリナの身体を抱き込める。頭を掻き抱かれ、もういいから、と囁くがサブリナは胸を押して、苦痛に顔を歪めた彼の顔を見つめた。

 もう話出してしまった。止めることは出来ない。あの忌まわしい日々。何度も絶望と屈辱の底に落とされた。

「出自がバレ、自分たちの身が危なくなることを避けるため、犯人達は奴隷商人に私が貴族の娘だとは教えませんでした。ただ所作や雰囲気で分かったのでしょう。その商人は・・・」

 おぞましい記憶が脳裏を過ぎる。ギラギラとした目つきの男たち。そこかしこで似た年頃の娘達の悲鳴が空気を切り裂き、むせかえるような異様な熱気と性臭が充満していた。

 服を引きちぎられ、乱暴に腕を掴まれる。床に押し倒され、恐ろしいほどの力と暴力で屈服させられる。泣いて抵抗しても、頬を張られながら身体を弄られた悪夢の時間。

「身体の具合を調べると言って・・・」

 ぽつりと頬に冷たいものが一粒伝った。
身体を引き裂くような痛みとともに、心も引き裂かれたあの日。

「私の純潔を散らしました・・・」
「・・・くそがっ・・・!!」

 吐き出すようなオーランドの雑言にサブリナは俯くと、彼から一歩離れてガウンを脱いだ。突然のサブリナの動きにオーランドが戸惑いの目を向けると、サブリナはゆっくりと彼に背を向けた。

 手がぶるぶると震えてしまい、夜着のボタンがうまく外せない。ここまで話したのだから、最後まで話さないといけない、そんな焦燥感にかられていた。

「何を・・・」

 オーランドが言いかけたその時、サブリナはするりと夜着を腰まで落とした。彼の息を呑む音が聞こえる。
彼の目に裸の背中が映っているだろう、そして「あれ」も。

「身体の調べが終わった後、私達はみな奴隷の印を身体に押されました。それが、これです」

 左腰に灼熱の焼ごてで無慈悲に押された奴隷の印。あの瞬間の皮膚が焼ける独特の匂いと音は、今でも夢に見る。
瑞々しい肌に、そこだけ異質に引き攣れた赤黒い焼け痕。

「もうこれで自分の人生は終わったと観念した時でした・・・神が味方をしてくださったのです」

 ただ一つ幸運だったのは、父親のモントクレイユ男爵は取引きには応じなかったが、サブリナを救出することを諦めなかったことだ。

 旧知の中でもあった辺境伯のガードナー閣下に協力を仰ぎ、サブリナの行方をしらみ潰しに探した。奴隷商人の情報を掴み、隣国へ出発する直前の船に辺境騎士団と共にのりこんでサブリナを含めた女子供を救出することに成功した。実に攫われてから2ヶ月後のことだった。

 だが、サブリナを攫った犯人は分からずじまいで、結局捕らえることはできていない。どれほどの年月が経とうとも、サブリナの心に恐れを残し続けていた。

 サブリナは夜着を羽織りなおすと、振り返ってオーランドを真っ直ぐに見つめた。

「私は当時幼馴染のカルディア子爵と婚約していました。ですが、当然ながら破談になりました」

 カルディア子爵には全て正直に話をした。だが彼は処女を失い奴隷の印を持つサブリナを忌み嫌った。
元々、気持ちが通じ合っての婚約ではなかったからだ。

 カルディア子爵家は財産を当主の彼が浪費で食い潰し、財政がかなり厳しい状況だった。モントクレイユの資産目当てで、幼馴染という立場を利用してゴリ押しの上婚約を結んだが、外聞や体裁を気にしたのだろう。
この国は貴族の娘は処女であることを非常に重んじる。今度は一方的に純潔ではないことを理由に婚約を破棄してきたのだ。

 婚約破棄自体はサブリナも彼に気持ちがあったわけでないから、悲しみの感情すら湧かなかったが、いつしか彼に話した奴隷商人に売られて純潔を失ったというところだけが、切り取られたかのように噂となって流布していったことには怒りを覚えた。
彼がそこだけを理由にして婚約破棄の言い訳をしたからだ。

 そして、その噂が巡り巡って「男狂いが高じて、娼館で働いていた売女」と言う評判へと変わっていたのだった。

 オーランドは言葉も出ないようで、ただただ眉根を寄せた険しい面差しでサブリナを見つめている。

 サブリナは彼への想いを、あるかもしれない彼の気持ちを砕くように静かな声音で告げた。もう涙が滲むことはない。

「私が自由に見えるのなら、それはこの国での貴族の娘としての当たり前を捨てたからでございます。そんな女に筆頭公爵家の貴方様から想いをかけて頂く資格はございません」

 オーランドが苦しげに表情を歪めるなか、サブリナは続けた。
この恋心が終わりを迎えるように、この歪な関係を終わりにするために。

「どうぞ、もう私に構わないでください。振りは振りのままで。看護人として一人で生きていく。それが私の天命なのです」

 そう言ってサブリナは眼を静かに閉じた。もうオーランドを見たくない、彼の声を聞きたくなかった。

 この告白の後、オーランドは床に落ちていたガウンを拾い、サブリナに着せかけると一言も発さず静かに部屋から出て行った。
翌朝、夫人の部屋で顔を合わせたときは、昨夜あったことなど微塵も感じさせず、いつもと変わらない様子だった。

「覚悟があるって言ったくせに・・・」

 そんな事があるわけはないのだと、公爵家の令息にそんなことは無理なのだと・・・サブリナは苦い笑みを浮かべて、彼の態度にホッとすると同時に、一抹の寂寥感を覚えた心を押し殺した。

 そして、その日を境に彼が【振り】以上にサブリナに触れてくることは無くなったのだった。


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