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26 守られる心地よさ

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 どれくらいの時が経ったのか・・・サブリナは優しく肩を揺すられてぼんやりと目を開けた。
一瞬、自分がどこにいるのか分からなかったが、自分を心配そうに覗き込むオーランドに意識が覚醒する。
寝顔を見られていたのかと思うと恥ずかしくて、思わず俯いてしまったが、そんな甘い感情はオーランドの言葉で霧散した。

「誰か来る。離れるが心配するな」

 やや表情を厳しいものにすると、彼は素早く立ち上がり牢屋の扉の前に移動した。

 そうだった、ここは地下牢。
自分は毒殺の罪で投獄されており、オーランドが思いがけず自分を守ってくれている。
耳を澄ますと、ドカドカと数人の足音が近づいて来るのが、サブリナにも聞こえた。

 扉がギィと耳障りな音を立てて開き、入ってきた人物を見てオーランドは片膝をついた。

「グレナダ副師団長、お疲れ様でございます!」

 グレナダ副師団長と呼ばれた恰幅の良い髭を生やした壮年の男性はオーランドに眼光鋭い視線をやると、うむと重々しく頷いた。後ろから王宮師団の制服を着た騎士が数人とランドルフ達第一騎士団員達がゾロゾロ入ってくる。

 第一騎士団員達はランドルフをはじめとして全員顔色が悪く、その表情は緊張感に満ちていた。

 この国では、オーランドが所属する近衛騎士団が王家直轄なのに対して、国中の騎士団は辺境を除いて、王宮師団が統制している。
領内の事件や事故は警備隊とともに、そこの領内を守る騎士団が采配を振るうが、騎士団内で問題が起これば王宮師団が出て来るのだ。
昨夜のオーランドの話では王宮師団長も出てきている。
宰相公爵家の侍女が起こした毒殺事件であってもこれは異例だ。

 もしかして・・・とサブリナは期待に胸が高鳴った。昨夜、オーランドが言った通り、自分は助かるのだろうか。

「ウィテカー近衛副騎士長、ご苦労だった。ここからは王宮師団にて対応にあたる」
「はっ!」

 グレナダ副師団長は、頭を下げたままのオーランドに声を掛けると、今度は牢の中で茫然と事の成り行きを見ていたサブリナに視線をやった。

「モントクレイユ男爵令嬢、こたびはこのような目に合わせて申し訳なかった」

 グレナダ副師団長の言葉にサブリナは目を見張ると、それでは・・・と唇を震わせた。
眼に熱いものが込み上げてくるのを堪えながら、壮年の男性を見つめると、重々しい表情で頷いて続ける。

「そなたの嫌疑は晴れておる。詳細についてはウィテカー宰相より説明があるだろう」

 そう言って、おい、とランドルフに声を掛けると、真っ青な顔のままの第一騎士団長は懐からじゃらじゃらした鍵を取り出した。それをグレナダ副師団長は取り上げると、頭を下げたままのオーランドに差し出した。

「モントクレイユ男爵令嬢の身柄はウィテカー近衛副騎士長に引き渡す。元々ウィテカー公爵家で預かられている令嬢だ。屋敷に連れて帰れるな」
「はっ!!もちろんでございます!」

 オーランドは凛々しく返事をすると、鍵を受け取り立ち上がった。グレナダに騎士の礼を一度すると、牢に向き直り鍵で牢の扉を開ける。
サブリナは夢を見るような思いで、鉄格子の中に入ってきたオーランドを見つめていた。

 彼はしゃがむと、錘が付いた足首の枷に触れ、すっと枷で擦れて赤く擦り切れて血が滲んでいる皮膚に指を触れさせた。優しく一度指を滑らせると、すぐに足枷の錠を開ける。

 やっと錘から足首が解放されて、ジンジンする痺れと痛みは感じるものの、サブリナはホッと安心して息を吐いた。
これで帰れるのだと思うと嬉しくて堪らない。
思わず、無表情のオーランドに笑いかけてしまった。

 二人の様子を見守っていたグレナダがオーランドに声を掛ける。

「馬車を用意してあるが、使うか」

 オーランドはサブリナに羽織らせていたマントの前をしっかり止めながら、一瞬思案するような顔をして、サブリナに「馬に乗れるか?」と尋ねた。

「・・・はい、乗れます・・・ぇっ!ひゃっ!!」

 サブリナの答えは、突然の身体の浮遊感で、最後は悲鳴に変わってしまった。
あっ、と思うまもなくオーランドに横抱きにされている。突然のことに動揺しながらも、落ちそうな浮遊感に慌ててサブリナはオーランドの首に腕を回して縋りついた。

 彼はサブリナの身体の重さをものともせず、横抱きしたままグレナダの前に進み出ると答えた。

「屋敷の者達も心配していますので、このまま馬で帰還致します」
「そうか、分かった。護衛は付けるか?」

 グレナダ副師団長が、チラリと背後に控えている部下達を見るが、オーランドはいいえ、と答えた。

「屋敷までは単騎で1時間もかかりません。整備された王都内ですので、護衛は不要です」
「うむ、では近衛騎士団長のサンドラ伯爵へは私から報告しておく。気をつけて帰れ」
「はっ!ご配慮ありがとうございます」

 オーランドはもう一度頭を下げると、他の面々には目も暮れず、サブリナを抱き抱えたまま、地下牢の扉を出て階段を登り地上に出た。

「ぁ・・・」

 あまりの眩しさにサブリナは瞳を眇めた。蝋燭の灯りしか無かった薄暗い地下牢から、陽がさんさんと降り注ぐ外へ。

 たった1日だけのことだったのに絶望の淵から明るい日の下へ出られたことに、サブリナの目は今度こそじんわりと潤んだ。
二度と出られないかもしれない、咎人として処刑されるかもしれない、そう覚悟した瞬間もあったから、こんなに直ぐに助けてもらえた奇跡にサブリナは感謝した。

「疲れてると思うが、このまま馬で屋敷に帰る」
「はい、ありがとうございます」

 オーランドに礼を言いたいと思っても、言葉がうまく出てこない。見上げれば彼は騎士らしい厳しさを滲ませた顔で、真っ直ぐに前を見ている。
今は彼の胸の温かさに身を任せて、ただただ安堵を噛み締めたかった。

 ほどなくオーランドの馬が王室師団の騎士に連れてこられると、サブリナはオーランドに抱えられたまま、彼の前に乗せられ、その馬で二人ウィテカー公爵家への帰路に着いた。その間、オーランドは片時たりともサブリナを離すことはしなかったのだった。





「サブリナお嬢様っ!!」
「「「ブリーさんっ!!」」」

 公爵家に到着すると、玄関広間から執事長のエイブスやシャル、他の使用人達がわらわらと迎えに出てきた。
シャルやメイド達、女性陣は涙を流している。昨日は悲嘆の涙だったが、今は嬉し泣きだ。

 宰相公爵家で騒ぎを起こした自分なのに、誰もが心配してくれていたのだと、サブリナの胸に熱いものが込み上げる。
みんなに走り寄り、手を握って礼を言いたかったが、それは叶わなかった。
まだ、オーランドに抱かれたままだったからだ。

 ここまで馬上でもオーランドの胸にほぼ抱きしめられるようにされていたサブリナは、さすがに馬から降りて自分の足で歩こうとしたが、オーランドに押し留められ、また抱き上げられてしまった。

「うっ!ウィテカーっ公爵卿っ!じっ!!自分で歩けますっ!!」
「靴を履いてない。足裏も足首も怪我をしてるからだめだ」

 オーランドは慌てふためくサブリナの言葉をあっさり却下するとスタスタと玄関広間に入っていく。

「ブリーさんっ!良くご無事で!!」
「エイブス様、ご心配をお掛けして申し訳ございません」
 
 エイブスが涙ぐみながら、うんうんと頷くとオーランドが口を挟んだ。

「エイブス、医者を。それと離れに湯の準備を」
「かしこまりました」

 恭しく頭を下げ、エイブスが他の執事やメイド達を引き連れて準備しにいくのをサブリナはオロオロと見送るしか出来ない。
てっきり自分の部屋に戻るのだと思っていたがオーランドが「離れ」といったことで、今度は急に落ち着かない気分になってしまう。彼はまた自分の妻扱いを始めたのか。

「サブリナお嬢様っ!!よくっ!よくっ!ご無事でぇーー」

 シャルがボロボロと涙も鼻水も溢しながら、サブリナの手を握りしめる。
旧知の仲間をどれだけ心配させてしまったのか。たった1日なのに、眠れなかったのだろう。シャルがひどく憔悴しているように見えた。動転しているのか、すっかり昔のお嬢様呼びに戻っている。

 サブリナは申し訳無く思いながら、シャルの手を握り返した。

「心配かけてごめんなさい。私は大丈夫」
「でもっ!でもっ!あんな罪人扱いして・・・酷いっ!!暴力ふるわれてっ!!!!!頬がこんなに腫れて・・・」

 握り締められた手にシャルが額を押し当てながら、嗚咽混じりに言い募る。温かい涙が自分の手のひらを伝うのを感じてサブリナオーランドの首に回していた手を戻してシャルの頭に触れた。

「戻ってこられた、嫌疑は晴れたと仰って頂いたから大丈夫よ。だから、いつも通りブリーって呼んで」

 言って、ぽんぽんと宥めるように頭を叩くとやっとシャルが顔を上げる。涙と鼻水でぐちゃぐちゃな顔にサブリナは笑いかけた。
そのタイミングを待っていたかのようにオーランドはシャルに命じた。

「サブリナを休ませる。医者が来るまでに湯浴みを。手伝えるな」

 オーランドの言葉はいつも端的だ。聞きようによっては、傲慢にも命令慣れしてるとも取れると、いつもシャルは文句を言っていたが今日ばかりはそんなことは飛んでしまったのだろう。

「はいっ!かしこまりしたっ!」

 彼女はピシリと侍女の顔つきに戻ると、脱兎のごとく離れに向かって走り出していった。





 
「本当に難儀な目に遭いましたな。とにかく無事で良かった」

 ローリング医術師は、オーランドから話しを聞かされたのだろう。部屋に入ってきた時にはやや青褪めていたが、存外、元気なサブリナの様子に安心したのか、診察を終えるとそう言った。

 右の頬は骨にひびは入っていず、打撲で済んだ。1週間ほどで腫れは引き、赤黒い色も2週間もすれば消えるそうだ。枷を付けられた両手首と足首の擦過痕や素足で歩いた時に出来た擦り傷は、大したことはないから、それこそモントクレイユ領自慢の軟膏で治る程度だった。

 サブリナはありがとうございます、とローリングに答えると肩を竦めて続けた。

「これでまた悪評が一つ増えちゃったわ。今度は可愛らしいご令嬢を殺そうとした毒婦と言われそうね」

そう言ってふふふっと自虐気味に笑うと、ローリングは厳しい顔をして嗜めた。

「冗談でもそんなことを言ってはなりません。謀られて、危うく打首になるかもしれなかったんですぞ。そんなことになったらモントクレイユ男爵にわしも会わす顔が無いですな」

 【謀られて】という言葉にサブリナは嘆息した。
今回の顛末を聞くことが出来るのはいつだろうか。そして、それはどんな決着をつけるのだろうか。はたしてその時、自分はどんな対応を上から求められるのだろう。
まだ何も分からないことが不安でならない。

「そうね、ウィテカー宰相様達のおかげで牢から出ることが出来た。私が毒婦になったら、ここにいる方々にご迷惑をお掛けしてしまうわ、軽口はダメね」

 ほぉとサブリナは疲れた気持ちを息とともに吐き出した。それを気の毒そうに見ながらローリングは言う。

「この国では一度嫌疑を掛けられると、それがひっくり返ることはまず無いですから。1日で出て来られた奇跡とウィテカー宰相やオーランド様の尽力に感謝して、この件は忘れるのが適当かと」

 サブリナの過去を知っているからこそ、優しく諭すように言ってくれるローリングにサブリナは微笑んだ。
そうだ、生きてここに戻って来れたことに感謝し、根も葉もない噂は今回ばかりは潰さなければ。そうしないと宰相やオーランド、夫人へ顔向けできない。

「本当にそうだわ、感謝して、変な噂や悪評が付かないよう頑張ります」

 気を取り直してローリングにそう言った時だった。ノックの音が響いて「失礼する」とオーランドが入ってきた。
サブリナは寝台の上で夜着にガウンを羽織っている姿。本来であれば、そんな姿の未婚女性がいるところに独身男性が入ることは許されない。
ローリング医術師は慌てて「オーランド坊ちゃま、ここに入ってはなりません」と小言を言うのをオーランドはあっさりかわした。

「俺は入っていいんだ。サブリナ、母上を連れて・・・」

 オーランドの言葉は途中で遮られた。

「ブリーっ!」
「奥様っ!!」

 夫人は部屋に入ってくると、サブリナの身体を抱きしめた。

「ああっ!!良く無事でっ!!私《わたくし》のせいで、恐ろしい目に遭わせてごめんなさい!!」
「奥様、ご心配をおかけして申し訳ございません。奥様のせいなどとはとんでもないことでございます。私は大丈夫です」

 夫人は涙に濡れた顔を上げるとサブリナの赤黒く腫れた頬を柔らかく撫でた。

「なんて酷い・・・騎士たるものが女性に手をあげるなんて・・・」

 夫人はうるうるしながら、ベッドに乗り上げていたが、オーランドが興奮する母親を寝台脇の椅子に座らせた。
サブリナの頬を撫で続けてひとしきり泣くと落ち着いたのか、夫人はいつもの柔和な表情に戻ると口を開いた。
 
「あなたが、あんなことをしていないと言うことを私は分かっていました。それなのに連行されるなんて・・・あの場に私がいなかったばかりに・・・」

 言い淀んだ夫人にサブリナが首を傾げると、察したローリング医術師は部屋を出ていった。
扉が静かに閉まると、夫人は傍らに立っている息子にチラリと視線をやり、続きを話し出した。

「最初に聞いた時には信じられませんでした。あのお茶を飲んでエブリスティが具合が悪くなったなんて。だって、私も同じ物を飲んでいたのですから」
「えっ!?飲まれていたんですか?奥様も」

 驚いたサブリナに、夫人はえぇ、と答えるとうっすら微笑んだ。

「ブリーから受け取ったお茶を、マカレーナ侯爵夫人へ贈るために、彼女の名前を刺繍したサッシェに入れたのは見てたわよね?」

 はい、と頷く。オーランドは成り行きを知っているのだろう、無言でサブリナの表情を見ている。

「あの日の夜、次の日の夜会のことを考えていたら少し頭が痛くなってしまって・・・貴女達を起こすほどのことでもなかったから、マリアンヌにあのお茶を淹れてもらったの。・・・お陰で頭痛はすぐに治って、朝までぐっすり寝ていたのは、あなたも知ってるでしょう?」
「はい、確かに奥様はあの日の朝、スッキリとお目覚めになられたので、とても良く眠れたのだと思ってました」

 夜会当日の朝の様子を思い出しながら、そう答えると夫人は重々しく頷いた。

「そうです。そして、私はあのお茶が入ったサッシェを、夜会の日の朝、自分で特製の箱に入れて封蝋をしリボンを掛けました。そしてエイブスに預けて夜会の場でマカレーナ侯爵夫人にお渡ししてます。だから、この屋敷で毒が入る余地は無かったのです。ブリー」
「そうだったんですね・・・では、奥様が宰相様に・・・」

 夫人がウィテカー宰相に自分の無実を掛け合ってくれたのか、あまりのことに驚いてサブリナは瞠目した。夫人は嬉しそうに微笑むと

「ええ。私が旦那様にお願いしました。マカレーナ侯爵と侯爵夫人に話しをさせて欲しいと。そうしたら、旦那様がマリアンヌとエイブスにも確認をしてくださって・・・そこからは自分に任せるようにと仰ってくださったから安心できたのよ」
「そうだったんですね、ありがとうございます。奥様」

 公爵家の夫人が、闘病している辛い身体なのにも関わらず、自分の無実を信じて証明しようとしてくれた。その心が嬉しくて、サブリナの胸に熱い感情が喜びと共に湧き上がる。

 この屋敷ではオーランドも夫人も、使用人達もみんな自分を守ってくれる。今まで経験したことのない優しさに触れて、サブリナの瞳は我慢してもみるみる涙が込み上げてしまう。

 潤んで赤くなったサブリナの目を夫人は手巾で拭きながら、ニッコリと笑った。

「だってオーリーの妻が、大切な義娘《むすめ》が冤罪をかけられているなら、なんとしても助けるのが母の務めです。こんな私でも役に立って良かったわ。だから、ブリー、そろそろお母様と呼んで」

 サブリナは夫人の両手を握りしめると、やっと微笑みながら「ありがとうございます、お義母様《かあさま》」と答えたのだった。
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