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25 地下牢での熱情

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 薄暗いジメジメした地下牢でサブリナは痛む頬を摩りながら溜息を吐いた。

「どうして、こんなことに・・・」

 ここには何もない。あるのはサブリナが女だからと、申し訳程度に与えられた薄い毛布一枚だ。
両手の枷は牢の中では外して貰えたが、今度は逃げられないように素足にされた上、片足に鉄の錘を付けられた。重罪犯扱いに心が押し潰されそうになる。

 大抵のことには動じない気丈なサブリナでも、流石に牢に入れられてしまうと恐ろしい。不安と恐怖で胸が押しつぶされそうになる。自分がどうしてこんな目に遭うのか理解できなかった。

 王都のウィテカー公爵家から馬車で1時間ほどのマカレーナ侯爵領内の騎士団詰所に連行されて、すぐにランドルフから調べを受けたが、堂々巡りだ。

 彼は正直に言えば女相手に手荒なことはしない、と言いながら、「トリカブトを絶対に間違っても入れない」とサブリナが薬草の種類や入手した薬師の所在、ハーブティーの配合の内容を懸命に説明しても、嘘を言うな!と怒鳴り散らされ机を叩かれる。
はなっから信じる気などないのだ。
やってない、やったの言い合いが続いた挙句、「この嘘つき女め!」と頬を平手で叩かれて、今日の取り調べは終わった。

 ランドルフ騎士団長の中では自分は咎人で、毒殺犯で決定している。名前すらも聞かれなかったから、平民だと思っているのだろう。

 だがこの際、貴族か平民かなんてことは関係ない。きちんとした調べもないまま、決まりきった事実として罪を被せられ裁かれてしまうだろう。この国では騎士団で罪人とされてしまうと、それが覆ることは難しい。しかも毒殺は縛り首だ。
理不尽だと思っても、冤罪が平気でまかとおるのが、この国の常なのだから。

「冗談じゃないわ・・・やってもいないことで」

 地下牢の地べたに座り、サブリナは記憶を反芻する。

 どんなに考えても、あのハーブティーにトリカブトが入る余地はない。
ウィテカー公爵夫人に頼まれて、屋敷に保管していた在庫で作り、出来上がったものをすぐに夫人に献上したのだ。
トリカブトは買ってもいなければ持ってもいなかった。

 それなのになぜ?

 ウィテカー公爵夫人にしても、サブリナが渡したハーブティーに他の薬草を勝手に入れるなど有り得ない。
彼女がすぐにあのハーブティーを自分で刺繍を施した絹のサッシェに入れていたのをサブリナは見ていた。恐らく、そのままマカレーナ侯爵夫人へ手ずから贈っているはずだ。

 それだったら、どのタイミングでトリカブトが混入したのか・・・簡単に出た答えにサブリナはまたため息を吐くと被りを振った。

 なぜ?どうして?自分が何をしたのだと言うのだろうか。
繰り返し繰り返し考えてサブリナはハッとした。

 あの夜会のせいか・・・。
ワインをかけるでもなく、足を引っ掛けられるでもなく・・・そんな可愛らしい嫌がらせではなく、こんなことを平気でやるのか・・・。

 そこまで考えて、サブリナはあまりの残酷さにカタカタを震える身体を両腕で抱きしめた。
暗闇の牢の中で、涙が滲みそうになるのを堪えて、目頭をギュッと抑えると床に座り込む。

 泣かない・・・どんなに辛い目に遭おうとも、二度と自分のためには泣かないと、あの日一生分の涙を流した後に決めたのだ。

 だから・・・信じてもらえるよう、やっていないと言い続ける。
薬草は人を助けるために使う物だ。命を奪う物では無い。薬草学に優れたモントクレイユ家の矜持にかけても、自分は無罪を主張するのだ。どんな拷問を受けようとも。

 サブリナはそう決意すると、そのまま壁にもたれて束の間の休息を求めて、目を瞑ったのだった。



 
 うつらうつらしていたサブリナの意識が覚醒したのは、どこかで怒号がしたような気がしたからだ。
寄りかかっていた壁から身体を起こすと、ずっと地べたに座り同じ姿勢でいたせいで、全身の関節がギシギシと痛む。
 
 膝を摩りながら耳を澄ますと、怒号と乱闘しているかのようなばたばたとした荒い音がどんどん近づいてくる。

 なんだろう、自分を処刑しようとする人間が来たのだろうか。
恐怖で肩を震わせながらサブリナは牢の外に続く扉を見つめた時、バンッと大きな音を立てて扉が開いた。

「なりませんっ!ウィテカー副騎士長っ!!」
「黙れっ!許可は取っているっ!!」

 取っ組みあいながら牢の前に転がり込んできたオーランドにサブリナは目を見張った。
信じられなかった、彼がここにきてくれたことに。

 喜びが泉のように胸の中に湧き上がる。

 近衛騎士団の制服のまま羽織っているマントを翻しながら、オーランドは自分の背中を押さえ込もうとしているランドルフをあっさりいなすと、彼の足を払ってなぎ倒し、床に押しつけた。
後を追ってきた騎士団員達がオーランドを取り囲む中、ランドルフの腕をギリギリと捻り上げる。
第一騎士団長が情けなく悲鳴をあげると、その場にいた誰もが剣に手をかけた。

「ウィテカー公爵卿っ!!」
 
 緊迫した空気に、サブリナは立ち上がろうとしたが強張った体が上手く動かないのと脚につけられた錘でぐらりとよろめいて膝を着いてしまう。

「サブリナっ!!」

 オーランドは組み伏せていたランドルフから手を離すと、騎士達の間を素早く抜けて牢の鉄格子越しに来る。
それまでのギラギラした鋭い雰囲気の顔から、眉を顰めた心配そうな表情に変えてサブリナを見つめる。
「怪我は・・・」と言いかけたことろで、サブリナの頬が赤黒く腫れているのを見て、漆黒の瞳を剣呑なものに変えた。
団員達に助け起こされたランドルフや他の面々にオーランドは振り返って厳しい視線を向ける。

「当公爵家預かりのモントクレイユ男爵令嬢に対するこれほどの狼藉。自分達がなにをしているかわかってのことだろうな」

 モントクレイユ男爵令嬢、という言葉にランドルフが驚いたような顔をし、周りの団員達がざわりとどよめいた。
サブリナの存在はともかく、モントクレイユの名前は変わり者貴族としても医術を担う貴族としてもこの国では知られている。

「しっ、しかしながらっ!その女はマカレーナ侯爵令嬢エブリスティ様の毒殺を企てましたっ!!」
「彼女の捕縛はマカレーナ侯爵令嬢の申し出だけではなく・・・もちろん確たる証拠があっての、その発言だろうな、ランドルフ第一騎士団長」

 唸るような低い声でオーランドはランドルフ達を威圧するように言うと続けた。

「現在、王宮にて王室師団長のセミウェル閣下がマカレーナ侯爵に本件についての聴取を行なっている。国王陛下から沙汰があるまで、彼女に無礼を働くことは許さない」

 オーランドは胸元から書簡を取り出すとランドルフに突きつける。それを開けて読むランドルフの表情がみるみる青褪めていった。
厳しい視線のまま、オーランドは彼らを見据えて、上に立つ者の威厳すら感じさせて命じた。

「今からモントクレイユ男爵令嬢の監視は近衛騎士団副騎士長であるウィテカー公爵家嫡男 オーランド・トゥルー・ワイルダーが行う。全員、この場から出て持ち場に戻れ」

 サブリナは驚いたまま、ランドルフ達が牢屋から出ていくのを見詰めていた。いったい、あの書簡に何が書かれていたのか、そして王宮で何が起こっているのか。
自分が迷惑をかけていると言う申し訳なさと、オーランドが来てくれたと言う喜びと安堵がない混ぜになって、気持ちがぐちゃぐちゃだ。

 全員が出ていくと、オーランドはサブリナに向き直る。鉄格子ギリギリに立つと、格子の間に手を入れてサブリナの指先を掴んだ。

 冷え切った指先が温かいものに包まれる。サブリナも錘から繋がれた鎖を引き摺り、鉄格子までなんとか近づくとオーランドが反対の手を伸ばして、腫れた頬に躊躇いがちに触れる。

「すまない、こんな目に合わせて」

 瞳を苦しげに眇めながら言われた真摯な謝罪にサブリナは眼を潤ませると言葉に詰まってしまう。
自分の頬に触れるオーランドの手に自分の掌を重ねると、いいえ、と被りを振った。

「ご迷惑をお掛けして申し訳ございません。でも私はやっていません、絶対に」
「もちろんだ!!」

 指先を握っていたオーランドの指が離れたのは一瞬で、今度はグッと指を絡めて手を繋がれる。

「・・・信じてくださるのですか?」

 不安に揺れるサブリナの顔に、オーランドはフワリと目元を緩めると、当たり前だと言ってくれる。

「命を諦めない君が・・・大切にしている薬草で人を殺めたりはしない。俺はサブリナをそういう人間だと思ってる」
「あ、ありがとう・・・ございます」

 嬉しい言葉に心から安堵すると気が緩んだのか思わずへたりこんでしまう。
オーランドは絡めた指を離さず、名残惜しげに頬から手を離すと格子越しに自分も地べたに座り込んだ。
そして、身につけていたマントを外すと格子から突っ込んでくる。

「冷えるからこれを」
 
 オーランドだって寒いはずなのに、そう思いながらも否を言わせない強い視線に見つめられて、サブリナは礼を呟くとマントを羽織った。
ふわりとオーランドが好んで良く衣服に薫く松の木の香りが鼻を掠めて、それまでの動転した気持ちが落ち着いてくるのを感じる。

 サブリナがマントを羽織ると、彼はサブリナの肩をギュッと自分の方へ抱き寄せた。
強引な行為に戸惑いながらも意図を察して、サブリナは錘の付いた脚を投げ出したまま、上半身だけオーランドの肩に寄り添うように預ける。
オーランドはサブリナの頭が自分の肩に寄りかかるのを見つめながら、静かな声で続けた。

「明日には全てが明らかになる。父上もついてるから安心しろ。すぐにここから出られる。大丈夫だ」
「ありがとうございます」

 明らかになる事実がなんなのか、恐ろしいがこれ以上オーランドや夫人に迷惑をかけたくない。そこまで考えてサブリナはハッとした。

「あっ!あのっ!奥様は大丈夫でいらっしゃいますか?」

 夫人にどれほどの心痛を与えたか、身体に障りがなかったろうかと思い尋ねるとオーランドはふっと口元に笑いを浮かべた。

「母上は大丈夫だ。君が連行されたと聞かされた時はひどく取り乱しておいでだったが、そのあとは何としても助けろと、俺と父上に息巻いておられた。なんなら自分が国王陛下に君の無実を証言するとおっしゃられて、な」

 夫人の言動を思い出したのか優しい顔をしたオーランドに、サブリナはホッと安堵の吐息を吐いた。その様子を黙って見ていたオーランドに、頭が引き寄せられ、つむじのあたりに柔らかく唇が触れてくる。
何度か啄むようなキスをされて、ハッとサブリナが顔を起こしてオーランドを見上げると、漆黒の瞳が柔らかい色を湛えて自分を見つめてくれている。

 急に恥ずかしさが込み上げてきて、みるみるサブリナの頬が赤く染まるとオーランドは肩に回していた腕でサブリナの頸に掌を添えた。
何をしようとしているのか・・・その意味を分かって、サブリナは抗することをせず、その動きに身を委ねる。

 頸を優しく鉄格子に引き寄せられて、オーランドの顔が近づいてくる。端正な顔を直視することが出来ず、ギュッと眼を閉じると同時にふんわりと温かい熱が唇に触れて。

 鉄格子越し、不自由な態勢で触れ合うだけの口づけ。

 吐息を交わしながら彼の唇の感触に夢中になる。密やかな熱の交歓の後、オーランドの舌が優しくサブリナの上唇を舐め、やんわりと下唇を食むと、やっとサブリナの頸を引き寄せていた手の力を緩めて二人の唇が離れた。

 ぁ、とサブリナがなんでことをしてしまったのかと動揺する前に、オーランドの手が頸から肩に戻っていくと、唇をサブリナの耳元に寄せて「少し眠った方が良い」と囁く。

 疲れ切った心は簡単にオーランドに甘えてしまう。今はそれをダメだと押し留める気持ちも起こらなければ、気力もなかった。
サブリナはまた彼の身体に寄り添いもたれると、こくりと頷く。

 肩を抱くオーランドの力強い腕としっかりと繋がれた手、そして肩から伝わる体温と松の香りに包まれて、サブリナにやっと安息が訪れていた。
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