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23 波乱の夜会
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2年ぶりに開催されたウィテカー公爵家の夜会はそれはそれは盛大に開催された。
国内の主だった貴族達が招かれ、参じている。
とりわけ中々揃うことの少ないウィテカー公爵家を除く、三大貴族と辺境伯が揃ったことは、他の貴族達の度肝を抜いていた。
サブリナも見たこともない豪華さと人の多さに、圧倒されっぱなしだ。準備を手伝って来たから招待客やその規模、そして演出は把握していたが、机上と実際では豪華絢爛さが違う。
さすがに王族の参加はなかったが娘のナディアが嫁いでいる王太子からは振る舞いの葡萄酒が大量に差し入れられ、いっそうウィテカー公爵家の威信と華やかさに彩りを添えている。
そして、年頃の娘がいる貴族達はこぞってオーランドの目にとまりたいと、着飾らせた令嬢達を伴い挨拶の列に並んでいて、サブリナは思わず苦笑してしまった。
夫人は病の様子を微塵も感じさせない立ち振る舞いで、来賓達をもてなしている。
正気を失っていた白髪は生来のプラチナブロンドに戻りシャンデリアの光に輝き、痩せ細った体躯は、厚手の生地で特注したコルセットと幾重にも仕立てたパニエのお陰で、健康な頃の体格と変わりなくみえて、誰もが夫人の回復を疑っていない様子だ。
そんな夫人の鬼気迫る迫力にも、サブリナはあてられてしまったのかもしれない。何することも出来ず、貴族達と挨拶を続ける夫人と宰相の背後に付き従いながらも、ただただ立ち尽くしているだけだった。
サブリナは紹介されることも特にないと宰相から事前に言われていたので、そこだけはホッとしながら夫人の様子を見守ることに徹していた。
とはいえ、今まで宰相公爵家に存在しなかった人間が、突然夫妻に付き従っていれば注目を浴びるのは当然で。
モントクレイユ男爵家の名は出さず、ただ夫人付きの侍女—嫁ぎ遅れの下級貴族の娘、という宰相が決めたサブリナのプロフィールは広まっているのだろう。
好奇の視線を浴び続けて、滅多なことでは疲れないサブリナも、いささかくたびれ果てていた。
まだ挨拶も半ば、ダンスすら始まっていないと言うのに。社交会は本当に苦手だ、と改めて思う。
そもそもこのドレスがいけなかった。侍女にしては豪華過ぎる。夫人は隠していてもオーランドの妻としてのドレスを着せたがったが、本来の役目を考えれば間違った選択だ。お陰で、かなり目立ってしまっている。
・・・そして、たった今気づいたのだがオーランドの今日の装いに、サブリナは顎が外れそうなほど驚いていた。
漆黒のロングジャケットには、金とラベンダー色で繊細な縁取りと刺繍が施され、クラヴァットもサブリナのドレスに合わせたかのようにラベンダー色なのだ。
これは不味い、どうしたって不味いはずなのに・・・だから来客者達から公爵家・・・否オーランドとの関係を詮索されるような視線を浴び続けてしまうのだ。
たかだか夫人付きの侍女が、なぜ嫡男と色を合わせた装いをしているのか・・・令嬢達だって、こちらを見ながらヒソヒソ話しをしているのが嫌がおうにも分かる。
サブリナの心中はもう沸騰しそうなほどバクバクしている。宰相がどう思っているのか、も気になって仕方がない。
あくまで屋敷内だけでの茶番なのに、社交の場でバレるような真似をしたら咎められかねない。
それともこの国を牛耳る彼にしてみれば妻と息子のした事なんて些末な事と、流しているのだろうか?
サブリナはどうすることも出来ず、扇子で口元を隠したまま、ひたすら夫人の背後に隠れるように立ち、床を見つめることで、好奇の眼を避けることに徹した。
早くこの時間が終わればいいと、願いながら。
苦行のような時間が終わりを迎えたのは、夫人が少し休憩すると言ったからだ。
「だいたいのご挨拶は済んだから、何か飲みたいわ」
喉がカラカラよ、と無邪気に笑う夫人にホッとする。顔色も良く、具合が悪くなってはいないようだ。
宰相は離れた場所で貴族院で財務を司るアレンディア侯爵らと歓談している。
オーランドも近衛騎士団員と思しき令息達と楽しげに話していた。
夫人を用意していた休憩スペースのソファに座らせる。
「冷たいハーブティーをお持ちしますね、蜂蜜は入れますか?」
「ええ、お願い」
側を辞して飲み物を取りに行く。なるべく目立たないように広間の端を歩いていくが、やはりと言うか当然ながら、ひそひそとした声が耳に入る。
—一体どこのご令嬢かしら?オーランド様とどんな関係があるのかしら?—
—まさか婚約者?!—
—とうの立った下級貴族なんて、ほぼ平民でしょ、そんなはずないわ—
—そうね、オーランド様があんな冴えない侍女を相手にするわけないし—
—そうよ!どう見たって釣り合わないわ—
—宰相家にどうやって取り入ったのかしら?弁えず図々しいわね—
・・・まぁ、想定内だ。
なんならワインを引っ掛けられるのか、脚を引っ掛けられるとかはあるかも、と思っていたが、さすがに夜会を主催したウィテカー宰相夫人の侍女に真っ向から嫌がらせをしてくる人間はまだいなかった。
自分はこの国では年増だし冴えない容姿だし、彼らのヒソヒソはあながち間違っていない。
サブリナはそう自虐めいたことを考えながら、夫人のハーブティーを給仕から受け取ると、
より人目に付かないように戻ろうと廊下に出た。
その時だった。
「えっ?!」
ふいに背後から肩を掴まれた。
「おいおい、どうしてお前がここにいるんだ?」
下卑た言葉とともに乱暴に振り向かされて、見上げれば目の前にヘラヘラと薄ら笑いを浮かべた赤毛の男がいる。
一瞬、スッとサブリナの肝が冷えたが、これだって想定はしていた。出来れば遭遇したくなかったが、国内の貴族がこれだけ集まれば会ってしまうかもしれない、と考えていたから、すぐに冷静さを取り戻す。
精一杯、キツい眼で男を睨み口を開く。
「どなたかとお間違えでございませんか?私は貴方様を存じ上げませんが」
「おいおいつれないな。昔馴染みを忘れたのか?」
人違いかと、そう言ったサブリナに対し男はイヤらしい笑いに口元を歪めながら続けた。
「侍女だって?はーん?どうやって取り入ったんだ、宰相殿に。色仕掛けか?」
見下すような蔑みをあらわにした視線に、たまらずサブリナは視線を逸らし振り切ろうと肩を掴まれたままの手を払おうとした。
「急いでますのでお離しください!これ以上引き止めるようでしたら、人を呼びますよ!」
「まぁ待てよ。少し話をしようぜ。騒ぎを大きくして赤っ恥かくのはお前だぞ、あの事が蒸し返されても良いのか?!」
あの事、と言われて急に忘れたはずの恐怖が込み上げる。
「恥なんて・・・構わない!それより離してっ!!誰かっ!!」
「黙れっ!!静かにしろっ!!」
サブリナの抵抗に男がさすがに慌てたように、抱き込めようとしてくる。二人で揉み合ううち、手に持っていた盆が揺れ、ハーブティーの入ったグラスがカシャンと落ちて割れた時だった。
「その手をお離し頂こうか、カルディア子爵」
キンと凍りつくような冷たい声と、力強い腕がサブリナを抱き寄せる。
「ウィテカー公爵卿!!」
カルディア子爵と呼ばれた男は真っ青になってサブリナの肩から手を離すと、すぐさまサブリナの身体は、彼の胸の中に抱き寄せられた。
オーランドだ。
抱き寄せられた肩を、一瞬ギュッと強く抱きしめられたのを感じた瞬間、安堵と嬉しさから目尻が潤む。
「当家預かりの人間に対し、何故そのような乱暴をされるのか?理由をお聞かせ頂きたい」
さすが近衛騎士、それとも生来のものか。
若干二十歳とは感じさせない鋭い威圧感を滲ませながらオーランドはカルディア子爵に迫ると、赤毛の男はあわあわと顔を真っ青にしながら、申し訳ございません!と頭を下げた。
サブリナはさすがに不味い、とオーランドを見上げると取り縋った。
「あっ、あのっ違うんです。こちらのお方、酔って私を他の方と勘違いされたようで・・・」
「そうなんです、見間違いまして・・・。お見苦しいところをお見せしまして、大変失礼致しました」
そう、サブリナの言葉に、カルディア子爵も乗っかると、そそくさとオーランドに礼をしてその場から足早に去っていった。
その姿をオーランドは憮然とした表情で見送るとサブリナにキツい瞳を向ける。
「そんな風には見えなかった」
「・・・・・・あのお方はだいぶお酒を飲まれたようで」
「酒の臭いはしなかった」
最後の言葉はかなりムッとしたような顔でサブリナの言葉を遮るように畳み掛けてくる。
オーランドはまったくもって正しいのだが、何をどう言ったら良いのか分からず、サブリナは途方にくれる。
説明するには難しいし、話したくないことだってあるのだ。
・・・それにカルディア子爵を知っているのであれば、そのうち噂を思い出すに違いない。6年前のこととはいえ、彼の耳にも入っているだろう。醜聞とは繰り返し噂されるのだから。
その時、この優しい嫡男はどのようにサブリナのことを考えるのだろうか・・・。
さすがにサブリナの様子にオーランドもこれ以上はと思ったのか、それまでの冷たい表情を緩めると、怪我はないか?と尋ねてくれた。
「はい、大丈夫です」
「そうか」
彼にまだ腰を抱かれたままなことに気づくと、今度は心臓がドキドキ鳴り始める。何もかもが乱高下で忙しなさすぎる。
赤くなった頬を隠すように手で抑え、そして顔を上げてオーランドの顔を見る。
漆黒の瞳がシャンデリアの光に煌めきながら自分を見つめている。
サブリナはその美しさに一瞬見惚れ、そして嬉しさからうっすらと微笑んだ。
「助けてくださってありがとうございます。ウィテカー公爵卿」
オーランドはサブリナの微笑に瞠目すると、視線をふいっと逸らしてしまう。
でも、腰に回る腕にはギュッと力がこもったのをサブリナは感じた。
いつも通りの仏頂面と冷静な声で彼は答える。
「母上がお待ちだ。君の戻りが遅くて心配されていた。戻ろう」
サブリナははい、と答えるとオーランドの腕に守られる安心感に、ダメだと戒めつつも心を委ねてしまっていた。
夫人の元へ戻ると、ちょうどファーストダンスが始まるところだった。
宰相にエスコートされながら、夫人はしっかりした足取りで広間の中央に進んでいった。
— 夜会で夫とファーストダンスを踊る—
これも夫人のしたいことの一つだった。そのため彼女は歩けるようになった頃から、ダンスの練習をしてきた。
元々、社交会の華としてもてはやされてきた淑女だし、ダンスは得意だったから何ら心配をサブリナはしていなかった。
ただ、体力的にはこの一曲だけしか踊れないと分かっていたから、サブリナは夫人が宰相に 身体を預け、優雅に踊り始める姿を目を凝らして見つめた。
ゆったりとしたバロック調の管弦楽にするよう予め指定してあったが、それでもさすが公爵夫人だ。
軽やかに踏むステップ、華やかに揺れるドレスの裾とイヤリング。夫への揺るぎない愛情と信頼を露わにした幸せそうな表情。その全てが広間にいた誰をもを圧倒していた。
まるで・・・
サブリナは目の奥がツキンと滲むのを感じた。
命の灯火を燃やしているよう・・・。
若かりし頃から社交会の女神とも評された夫人が、艶やかに踊る姿は鬼気迫るように見える。
彼女がステップの一つ一つに公爵夫人、否この国を統べる宰相夫人としての威信と誇り気高さを込めて、貴族達に見せつけているようにサブリナには思えた。
宰相の上機嫌な笑顔と夫人の幸せそうな微笑みと共にファーストダンスが終わる。二人が何人かの取り巻きに囲まれながら座に戻るのを、サブリナは夢でも見ていたかのように見つめていた。
だから、気がつかなかったのだ。
オーランドに手を取られていたことに。
ハッとして傍らのオーランドを見上げれば、なんだか頑固な悪い顔をした彼がいて、サブリナを真っ直ぐに見下ろしている。
「どうぞ一曲お相手頂く栄誉を授けて頂けませんか」
低めの耳触りの良い声が、変な事を言っている・・・。
珍しく長い台詞で言われたことに驚いて、一瞬サブリナの思考は停止してしまい、何を言われているのか理解が追いつかない。
呆けてしまっている間に否というタイミングを失い、彼にエスコートされて・・・動揺のあまり周りを見れば、踊り始めた男女がひしめき合う中に自分もいて。
視界の端に自分達を興味津々に見る衆人達や、やや眉を顰めたウィテカー宰相とにこやかに微笑む夫人の姿が目に入った瞬間、サブリナは「えっーーーーーー」と叫びたかったが時すでに遅く。
オーランドに、振り払うことは許さないとばかりにがっちり腕をホールドされ、ステップの一歩を踏み出していた。
「で、結局踊っちゃったんですよね?」
シャルはほれ見たことか、というようにせせら笑いを浮かべると、机に突っ伏したままのサブリナのつむじを見た。
「・・・ううう、踊ってしまった・・・」
公衆の面前で、社交会のきっての優良物件嫡男を拒否れる人間がいるのなら会ってみたい、そうぶつぶつ言い訳するサブリナをシャルは胡乱げな目で見ると嘆息した。
「まあ、そうなるんじゃないかと思ってました」
思いがけないシャルの言葉にサブリナは「えっ?!どうして?!」と驚いて顔を上げる。
やっと見えた机の跡が付いたサブリナの頬にシャルは苦笑すると言葉を継いだ。
「だって、ご令息様はブリーに真摯に接してくださっていますから。ほら、こんな馬鹿げた茶番で、誰もが嘘臭いじゃないですか。その中で、ウィテカー公爵卿だけは、ブリーを心から大切にしてくださっていると、私は感じます」
シャルはニヤニヤ笑いながら、だから、と続けた。
「なんとなくダンスをブリーと踊るんじゃないかと思った次第です。良かったですね」
シャルの最後の言葉に良くないわ、と切り返すとサブリナは盛大に溜息を吐いた。
まずかった、あれは絶対に避けなければいけなかったのに・・・きちんと立ち回れなかった自分が腹立たしい。
お陰で一層、自分の存在は知れ渡り、オーランドと唯一ダンスを踊った夫人付きの侍女は誰なのか?と早速噂どころか騒がれているらしい。
らしい、というのはシャルがエイブスから聞いてきてくれたからだ。
オーランドは夜会にも滅多に出なければ、ダンスをすることも今まで無かったそうだ。だからこそ、余計に目立ってしまった。
夜会が終わってすぐにウィテカー宰相に説明しようとしたが、さすが公爵というか、国を統べる宰相というか「構わん、妻が開いた夜会だから想定内だ。これくらいはどうとでもなる」となんとも心強い?返事を頂戴した。
だが最後に「モントクレイユ男爵令嬢は賢いお方だから理解されていると思うが、私は君を信頼しているということを覚えておくように」ときちんと釘も刺された。
ようは踊ったくらいで「ホンモノの妻」だと勘違いしないように、ということを言いたかったのだろう。
その言葉に安堵と一抹の苦々しさを抱えて宰相に頭を下げたことは、シャルにも言えない。
「でもまあ、夜会が無事に終わって良かったです。ブリーとウィテカー公爵卿のダンスに奥様はとても喜ばれていましたし、何事もなく奥様が満足された。それが一番じゃないですか?」
シャルに冷静にそう言われてサブリナはハッとした。
たしかに夫人は二人のダンスにとても喜んでくれた。
ダンスは久しぶりだったが、夜会に向けて夫人からみっちりレッスンを受けた甲斐があって、酷い踊りを披露しなくて済んだのだ。
それに・・・サブリナはあのひとときをジクジクするような甘さとともに思い出す。
オーランドの踊りはとても上手で、リードは完璧だった。力強く支えられて、彼の腕の中で羽のように軽やかに踊らせてもらえたのだ。
息を詰めてただ彼の漆黒の瞳に映る自分の姿を見つめて、オーランドのリードに身を任せる。年頃の娘のように胸が高鳴りときめいてしまったのは、自分が立場を弁えていないからだろうか。
サブリナは頭からその事を追い払うとキッパリと言った。
「そうよ、奥様に喜んでいただくことが全てだから、良かったわ」
その言葉にうんうんとシャルは頷いた茶を啜ると、カップをソーサーに戻しながら、ただ、と続けた。
「ただ、カルディア子爵は要注意ですね。会うとは予測してましたが、やはり変わっていないというか」
サブリナは昨夜の赤毛の男を思い出す。6年半振りだが、ヘラヘラした態度、下卑た物言い・・・なんら品性は変わっていないように見えた。
「確かに人柄に変化はなさそうだったわ。相変わらず出世欲も強そうだし」
「なら、なおのこと、これからは気をつけないようにしないと。昔のようにサブリナに近づいてこられたら困ります」
シャルは当時を思い出したのか顔を嫌悪をあらわに歪めた。
サブリナは苦笑する。
「大丈夫だと思いたいけど。ハリス・・・カルディア子爵はご結婚されたし、それに相変わらず気は小さいと思うの。だから、ウィテカー公爵卿に睨まれたから、もう私に近づくことはないと思うけど」
「わかりませんよ!悪どい性格は治りませんからね。サブリナを利用して宰相に取り入ろうと考え始めてますよ、きっと!!」
鼻息荒く言い募るシャルに、そうね、と同意しながら、自分の過去でウィテカー公爵家に迷惑を絶対にかけないように注意しないと、とサブリナは暗澹とした思いで考えていた。
国内の主だった貴族達が招かれ、参じている。
とりわけ中々揃うことの少ないウィテカー公爵家を除く、三大貴族と辺境伯が揃ったことは、他の貴族達の度肝を抜いていた。
サブリナも見たこともない豪華さと人の多さに、圧倒されっぱなしだ。準備を手伝って来たから招待客やその規模、そして演出は把握していたが、机上と実際では豪華絢爛さが違う。
さすがに王族の参加はなかったが娘のナディアが嫁いでいる王太子からは振る舞いの葡萄酒が大量に差し入れられ、いっそうウィテカー公爵家の威信と華やかさに彩りを添えている。
そして、年頃の娘がいる貴族達はこぞってオーランドの目にとまりたいと、着飾らせた令嬢達を伴い挨拶の列に並んでいて、サブリナは思わず苦笑してしまった。
夫人は病の様子を微塵も感じさせない立ち振る舞いで、来賓達をもてなしている。
正気を失っていた白髪は生来のプラチナブロンドに戻りシャンデリアの光に輝き、痩せ細った体躯は、厚手の生地で特注したコルセットと幾重にも仕立てたパニエのお陰で、健康な頃の体格と変わりなくみえて、誰もが夫人の回復を疑っていない様子だ。
そんな夫人の鬼気迫る迫力にも、サブリナはあてられてしまったのかもしれない。何することも出来ず、貴族達と挨拶を続ける夫人と宰相の背後に付き従いながらも、ただただ立ち尽くしているだけだった。
サブリナは紹介されることも特にないと宰相から事前に言われていたので、そこだけはホッとしながら夫人の様子を見守ることに徹していた。
とはいえ、今まで宰相公爵家に存在しなかった人間が、突然夫妻に付き従っていれば注目を浴びるのは当然で。
モントクレイユ男爵家の名は出さず、ただ夫人付きの侍女—嫁ぎ遅れの下級貴族の娘、という宰相が決めたサブリナのプロフィールは広まっているのだろう。
好奇の視線を浴び続けて、滅多なことでは疲れないサブリナも、いささかくたびれ果てていた。
まだ挨拶も半ば、ダンスすら始まっていないと言うのに。社交会は本当に苦手だ、と改めて思う。
そもそもこのドレスがいけなかった。侍女にしては豪華過ぎる。夫人は隠していてもオーランドの妻としてのドレスを着せたがったが、本来の役目を考えれば間違った選択だ。お陰で、かなり目立ってしまっている。
・・・そして、たった今気づいたのだがオーランドの今日の装いに、サブリナは顎が外れそうなほど驚いていた。
漆黒のロングジャケットには、金とラベンダー色で繊細な縁取りと刺繍が施され、クラヴァットもサブリナのドレスに合わせたかのようにラベンダー色なのだ。
これは不味い、どうしたって不味いはずなのに・・・だから来客者達から公爵家・・・否オーランドとの関係を詮索されるような視線を浴び続けてしまうのだ。
たかだか夫人付きの侍女が、なぜ嫡男と色を合わせた装いをしているのか・・・令嬢達だって、こちらを見ながらヒソヒソ話しをしているのが嫌がおうにも分かる。
サブリナの心中はもう沸騰しそうなほどバクバクしている。宰相がどう思っているのか、も気になって仕方がない。
あくまで屋敷内だけでの茶番なのに、社交の場でバレるような真似をしたら咎められかねない。
それともこの国を牛耳る彼にしてみれば妻と息子のした事なんて些末な事と、流しているのだろうか?
サブリナはどうすることも出来ず、扇子で口元を隠したまま、ひたすら夫人の背後に隠れるように立ち、床を見つめることで、好奇の眼を避けることに徹した。
早くこの時間が終わればいいと、願いながら。
苦行のような時間が終わりを迎えたのは、夫人が少し休憩すると言ったからだ。
「だいたいのご挨拶は済んだから、何か飲みたいわ」
喉がカラカラよ、と無邪気に笑う夫人にホッとする。顔色も良く、具合が悪くなってはいないようだ。
宰相は離れた場所で貴族院で財務を司るアレンディア侯爵らと歓談している。
オーランドも近衛騎士団員と思しき令息達と楽しげに話していた。
夫人を用意していた休憩スペースのソファに座らせる。
「冷たいハーブティーをお持ちしますね、蜂蜜は入れますか?」
「ええ、お願い」
側を辞して飲み物を取りに行く。なるべく目立たないように広間の端を歩いていくが、やはりと言うか当然ながら、ひそひそとした声が耳に入る。
—一体どこのご令嬢かしら?オーランド様とどんな関係があるのかしら?—
—まさか婚約者?!—
—とうの立った下級貴族なんて、ほぼ平民でしょ、そんなはずないわ—
—そうね、オーランド様があんな冴えない侍女を相手にするわけないし—
—そうよ!どう見たって釣り合わないわ—
—宰相家にどうやって取り入ったのかしら?弁えず図々しいわね—
・・・まぁ、想定内だ。
なんならワインを引っ掛けられるのか、脚を引っ掛けられるとかはあるかも、と思っていたが、さすがに夜会を主催したウィテカー宰相夫人の侍女に真っ向から嫌がらせをしてくる人間はまだいなかった。
自分はこの国では年増だし冴えない容姿だし、彼らのヒソヒソはあながち間違っていない。
サブリナはそう自虐めいたことを考えながら、夫人のハーブティーを給仕から受け取ると、
より人目に付かないように戻ろうと廊下に出た。
その時だった。
「えっ?!」
ふいに背後から肩を掴まれた。
「おいおい、どうしてお前がここにいるんだ?」
下卑た言葉とともに乱暴に振り向かされて、見上げれば目の前にヘラヘラと薄ら笑いを浮かべた赤毛の男がいる。
一瞬、スッとサブリナの肝が冷えたが、これだって想定はしていた。出来れば遭遇したくなかったが、国内の貴族がこれだけ集まれば会ってしまうかもしれない、と考えていたから、すぐに冷静さを取り戻す。
精一杯、キツい眼で男を睨み口を開く。
「どなたかとお間違えでございませんか?私は貴方様を存じ上げませんが」
「おいおいつれないな。昔馴染みを忘れたのか?」
人違いかと、そう言ったサブリナに対し男はイヤらしい笑いに口元を歪めながら続けた。
「侍女だって?はーん?どうやって取り入ったんだ、宰相殿に。色仕掛けか?」
見下すような蔑みをあらわにした視線に、たまらずサブリナは視線を逸らし振り切ろうと肩を掴まれたままの手を払おうとした。
「急いでますのでお離しください!これ以上引き止めるようでしたら、人を呼びますよ!」
「まぁ待てよ。少し話をしようぜ。騒ぎを大きくして赤っ恥かくのはお前だぞ、あの事が蒸し返されても良いのか?!」
あの事、と言われて急に忘れたはずの恐怖が込み上げる。
「恥なんて・・・構わない!それより離してっ!!誰かっ!!」
「黙れっ!!静かにしろっ!!」
サブリナの抵抗に男がさすがに慌てたように、抱き込めようとしてくる。二人で揉み合ううち、手に持っていた盆が揺れ、ハーブティーの入ったグラスがカシャンと落ちて割れた時だった。
「その手をお離し頂こうか、カルディア子爵」
キンと凍りつくような冷たい声と、力強い腕がサブリナを抱き寄せる。
「ウィテカー公爵卿!!」
カルディア子爵と呼ばれた男は真っ青になってサブリナの肩から手を離すと、すぐさまサブリナの身体は、彼の胸の中に抱き寄せられた。
オーランドだ。
抱き寄せられた肩を、一瞬ギュッと強く抱きしめられたのを感じた瞬間、安堵と嬉しさから目尻が潤む。
「当家預かりの人間に対し、何故そのような乱暴をされるのか?理由をお聞かせ頂きたい」
さすが近衛騎士、それとも生来のものか。
若干二十歳とは感じさせない鋭い威圧感を滲ませながらオーランドはカルディア子爵に迫ると、赤毛の男はあわあわと顔を真っ青にしながら、申し訳ございません!と頭を下げた。
サブリナはさすがに不味い、とオーランドを見上げると取り縋った。
「あっ、あのっ違うんです。こちらのお方、酔って私を他の方と勘違いされたようで・・・」
「そうなんです、見間違いまして・・・。お見苦しいところをお見せしまして、大変失礼致しました」
そう、サブリナの言葉に、カルディア子爵も乗っかると、そそくさとオーランドに礼をしてその場から足早に去っていった。
その姿をオーランドは憮然とした表情で見送るとサブリナにキツい瞳を向ける。
「そんな風には見えなかった」
「・・・・・・あのお方はだいぶお酒を飲まれたようで」
「酒の臭いはしなかった」
最後の言葉はかなりムッとしたような顔でサブリナの言葉を遮るように畳み掛けてくる。
オーランドはまったくもって正しいのだが、何をどう言ったら良いのか分からず、サブリナは途方にくれる。
説明するには難しいし、話したくないことだってあるのだ。
・・・それにカルディア子爵を知っているのであれば、そのうち噂を思い出すに違いない。6年前のこととはいえ、彼の耳にも入っているだろう。醜聞とは繰り返し噂されるのだから。
その時、この優しい嫡男はどのようにサブリナのことを考えるのだろうか・・・。
さすがにサブリナの様子にオーランドもこれ以上はと思ったのか、それまでの冷たい表情を緩めると、怪我はないか?と尋ねてくれた。
「はい、大丈夫です」
「そうか」
彼にまだ腰を抱かれたままなことに気づくと、今度は心臓がドキドキ鳴り始める。何もかもが乱高下で忙しなさすぎる。
赤くなった頬を隠すように手で抑え、そして顔を上げてオーランドの顔を見る。
漆黒の瞳がシャンデリアの光に煌めきながら自分を見つめている。
サブリナはその美しさに一瞬見惚れ、そして嬉しさからうっすらと微笑んだ。
「助けてくださってありがとうございます。ウィテカー公爵卿」
オーランドはサブリナの微笑に瞠目すると、視線をふいっと逸らしてしまう。
でも、腰に回る腕にはギュッと力がこもったのをサブリナは感じた。
いつも通りの仏頂面と冷静な声で彼は答える。
「母上がお待ちだ。君の戻りが遅くて心配されていた。戻ろう」
サブリナははい、と答えるとオーランドの腕に守られる安心感に、ダメだと戒めつつも心を委ねてしまっていた。
夫人の元へ戻ると、ちょうどファーストダンスが始まるところだった。
宰相にエスコートされながら、夫人はしっかりした足取りで広間の中央に進んでいった。
— 夜会で夫とファーストダンスを踊る—
これも夫人のしたいことの一つだった。そのため彼女は歩けるようになった頃から、ダンスの練習をしてきた。
元々、社交会の華としてもてはやされてきた淑女だし、ダンスは得意だったから何ら心配をサブリナはしていなかった。
ただ、体力的にはこの一曲だけしか踊れないと分かっていたから、サブリナは夫人が宰相に 身体を預け、優雅に踊り始める姿を目を凝らして見つめた。
ゆったりとしたバロック調の管弦楽にするよう予め指定してあったが、それでもさすが公爵夫人だ。
軽やかに踏むステップ、華やかに揺れるドレスの裾とイヤリング。夫への揺るぎない愛情と信頼を露わにした幸せそうな表情。その全てが広間にいた誰をもを圧倒していた。
まるで・・・
サブリナは目の奥がツキンと滲むのを感じた。
命の灯火を燃やしているよう・・・。
若かりし頃から社交会の女神とも評された夫人が、艶やかに踊る姿は鬼気迫るように見える。
彼女がステップの一つ一つに公爵夫人、否この国を統べる宰相夫人としての威信と誇り気高さを込めて、貴族達に見せつけているようにサブリナには思えた。
宰相の上機嫌な笑顔と夫人の幸せそうな微笑みと共にファーストダンスが終わる。二人が何人かの取り巻きに囲まれながら座に戻るのを、サブリナは夢でも見ていたかのように見つめていた。
だから、気がつかなかったのだ。
オーランドに手を取られていたことに。
ハッとして傍らのオーランドを見上げれば、なんだか頑固な悪い顔をした彼がいて、サブリナを真っ直ぐに見下ろしている。
「どうぞ一曲お相手頂く栄誉を授けて頂けませんか」
低めの耳触りの良い声が、変な事を言っている・・・。
珍しく長い台詞で言われたことに驚いて、一瞬サブリナの思考は停止してしまい、何を言われているのか理解が追いつかない。
呆けてしまっている間に否というタイミングを失い、彼にエスコートされて・・・動揺のあまり周りを見れば、踊り始めた男女がひしめき合う中に自分もいて。
視界の端に自分達を興味津々に見る衆人達や、やや眉を顰めたウィテカー宰相とにこやかに微笑む夫人の姿が目に入った瞬間、サブリナは「えっーーーーーー」と叫びたかったが時すでに遅く。
オーランドに、振り払うことは許さないとばかりにがっちり腕をホールドされ、ステップの一歩を踏み出していた。
「で、結局踊っちゃったんですよね?」
シャルはほれ見たことか、というようにせせら笑いを浮かべると、机に突っ伏したままのサブリナのつむじを見た。
「・・・ううう、踊ってしまった・・・」
公衆の面前で、社交会のきっての優良物件嫡男を拒否れる人間がいるのなら会ってみたい、そうぶつぶつ言い訳するサブリナをシャルは胡乱げな目で見ると嘆息した。
「まあ、そうなるんじゃないかと思ってました」
思いがけないシャルの言葉にサブリナは「えっ?!どうして?!」と驚いて顔を上げる。
やっと見えた机の跡が付いたサブリナの頬にシャルは苦笑すると言葉を継いだ。
「だって、ご令息様はブリーに真摯に接してくださっていますから。ほら、こんな馬鹿げた茶番で、誰もが嘘臭いじゃないですか。その中で、ウィテカー公爵卿だけは、ブリーを心から大切にしてくださっていると、私は感じます」
シャルはニヤニヤ笑いながら、だから、と続けた。
「なんとなくダンスをブリーと踊るんじゃないかと思った次第です。良かったですね」
シャルの最後の言葉に良くないわ、と切り返すとサブリナは盛大に溜息を吐いた。
まずかった、あれは絶対に避けなければいけなかったのに・・・きちんと立ち回れなかった自分が腹立たしい。
お陰で一層、自分の存在は知れ渡り、オーランドと唯一ダンスを踊った夫人付きの侍女は誰なのか?と早速噂どころか騒がれているらしい。
らしい、というのはシャルがエイブスから聞いてきてくれたからだ。
オーランドは夜会にも滅多に出なければ、ダンスをすることも今まで無かったそうだ。だからこそ、余計に目立ってしまった。
夜会が終わってすぐにウィテカー宰相に説明しようとしたが、さすが公爵というか、国を統べる宰相というか「構わん、妻が開いた夜会だから想定内だ。これくらいはどうとでもなる」となんとも心強い?返事を頂戴した。
だが最後に「モントクレイユ男爵令嬢は賢いお方だから理解されていると思うが、私は君を信頼しているということを覚えておくように」ときちんと釘も刺された。
ようは踊ったくらいで「ホンモノの妻」だと勘違いしないように、ということを言いたかったのだろう。
その言葉に安堵と一抹の苦々しさを抱えて宰相に頭を下げたことは、シャルにも言えない。
「でもまあ、夜会が無事に終わって良かったです。ブリーとウィテカー公爵卿のダンスに奥様はとても喜ばれていましたし、何事もなく奥様が満足された。それが一番じゃないですか?」
シャルに冷静にそう言われてサブリナはハッとした。
たしかに夫人は二人のダンスにとても喜んでくれた。
ダンスは久しぶりだったが、夜会に向けて夫人からみっちりレッスンを受けた甲斐があって、酷い踊りを披露しなくて済んだのだ。
それに・・・サブリナはあのひとときをジクジクするような甘さとともに思い出す。
オーランドの踊りはとても上手で、リードは完璧だった。力強く支えられて、彼の腕の中で羽のように軽やかに踊らせてもらえたのだ。
息を詰めてただ彼の漆黒の瞳に映る自分の姿を見つめて、オーランドのリードに身を任せる。年頃の娘のように胸が高鳴りときめいてしまったのは、自分が立場を弁えていないからだろうか。
サブリナは頭からその事を追い払うとキッパリと言った。
「そうよ、奥様に喜んでいただくことが全てだから、良かったわ」
その言葉にうんうんとシャルは頷いた茶を啜ると、カップをソーサーに戻しながら、ただ、と続けた。
「ただ、カルディア子爵は要注意ですね。会うとは予測してましたが、やはり変わっていないというか」
サブリナは昨夜の赤毛の男を思い出す。6年半振りだが、ヘラヘラした態度、下卑た物言い・・・なんら品性は変わっていないように見えた。
「確かに人柄に変化はなさそうだったわ。相変わらず出世欲も強そうだし」
「なら、なおのこと、これからは気をつけないようにしないと。昔のようにサブリナに近づいてこられたら困ります」
シャルは当時を思い出したのか顔を嫌悪をあらわに歪めた。
サブリナは苦笑する。
「大丈夫だと思いたいけど。ハリス・・・カルディア子爵はご結婚されたし、それに相変わらず気は小さいと思うの。だから、ウィテカー公爵卿に睨まれたから、もう私に近づくことはないと思うけど」
「わかりませんよ!悪どい性格は治りませんからね。サブリナを利用して宰相に取り入ろうと考え始めてますよ、きっと!!」
鼻息荒く言い募るシャルに、そうね、と同意しながら、自分の過去でウィテカー公爵家に迷惑を絶対にかけないように注意しないと、とサブリナは暗澹とした思いで考えていた。
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