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22 偽りの中の幸せ

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 夫人の体調は安定した状態が続いている。
彼女のたっての希望で、久しぶりに公爵家で夜会を開催することになった。

 夫人の胸中は想像するしかないが、彼女はおそらくこの夜会を盛大に行うことで、ウィテカー公爵家の揺るぎない権力を誇示し、そして公爵家の妻として夜会を采配することで、親しい人達への別れをしたいのではないか、とサブリナは思っている。

 社交会での自分の最後の務め・・・そう見えるほど、夫人はこの夜会に精力を傾けて準備を進めている。

 当然、サブリナも相変わらず「公爵家の嫁」として夫人の教えを受けながら準備を手伝っていた。





「まったく、ブリーは人が良すぎます!何でブリーがこんなに利用されなきゃいけないんですか?!」

 今日も今日とて、シャルはサブリナの今の立ち位置に文句どころか怒りをあらわにしている。

 招待状に間違いがないか確認をし、封蝋をする。サブリナに用事があって探しに来たシャルは、その様子を見て怒るのだ。サブリナが、奥様の真似事をしているのが納得できない。

 傍らに控えて作業を一緒にしていたエイブスは表情を変えまいとしたようだが、若干、困ったように眉尻が下がったのを、サブリナは見逃さなかった。

「エイブス様、ありがとうございます。後は私一人で出来ますので」

 主人に忠実な執事長をこれ以上困らせないよう、暗に下がるように言うと、察しの良い彼は恭しく頭を下げて部屋を辞した。

 それを見送ると、サブリナはほっとため息を吐いてシャルを見る。この話は何度となくしてきて、そして不毛な会話にしかならない。

 それでもサブリナは努めて冷静な顔をしてシャルを見返した。

「エイブス様の前では口を謹んで、ここは宰相家よ。・・・利用されてる訳じゃないわ。私が宰相様のご依頼を謹んでお受けしたの。報酬もあるわ」

嗜めつつそう言うと、シャルはぷーっと頬を膨らまし「でも、その報酬ったって、本当に実現するか分からないじゃないですか、この国の事ですし、民のための施策なんて、いつだって後回しなんですから!」

 シャルの文句に今度は苦笑いを浮かべつつ、サブリナは封蝋を終えると、乱れがないか確認した。その様子をジト目で見ながら、正義感の強いシャルは続ける。

「だって、する気があるならとっくにモントクレイユ男爵は国の政策に取り立てられてるはずです。医術に薬草学、そして看護術、全て男爵様やブリーの尽力です!それなのに、なんど陳情しても、国王陛下も宰相様も無視だったじゃないですか!!」

 シャルの憤りに、サブリナは眉を顰めた。彼女の言うことは正しい・・・だが、ここはその宰相の屋敷、ウィテカー公爵家内だ。

「シャル、そんなことを口にしてはダメ。なにごとにも直ぐには出来ないことはある。私たちはお父様の言う通り、自分のできることを精一杯するだけよ」

「それはそうですけど・・・私は納得出来ません。ブリーの気持ちを無視したこんなこと!あの令息を見損ないましたっ!」

 そう言うと、シャルは鼻息荒いまま夫人の世話をしに部屋を出て行った。

 その背中を見つめたまま、サブリナはまたため息を吐く。シャルはずっとサブリナと共にラファエル・ナーシング・ホームを支えてくれたから、モントクレイユ男爵領をとりまく国政事情を察している。

 父であるモントクレイユ男爵の再三の陳情にも関わらず、この国の施療や困窮者に対する慈善の制度はなかなか整わない。
 
 それも仕方がない部分もあり、この数年は近隣諸国との領土拡大などに伴う戦争やきな臭い争い事ばかりが優先されてきたからだ。 
まだまだ復興途上であるこの国で、たかだか下級貴族の娘が宰相の頼み事を聞いたからと言って、あんな夢のような報酬が実現するとは、サブリナだって思っていない。

 むしろ権力者の命令として、言うことを聞かされたって仕方がないのだ。宰相で王弟であれば、いくら私的なことであっても、自分たちのような立場からすれば王命と変わらないのだから。

 だがそこは人心掌握に長けたウィテカー宰相、表向きはサブリナの名誉を守るふりして、またとない人参を見せかけの報酬としてぶら下げた。

 それを全て納得した上で「結婚の振り」を引き受けたのは自分だ。そのおかげで、サブリナはオーランドとの淡くて優しい穏やかな夢を甘受している。それだけで十分だ。

 自分のような人間が、嘘だとしても真面目で礼儀正しくて、いつも真摯で優しくて正義感の強い、令嬢なら誰もが憧れる素敵な青年の側に妻として居られる。サブリナはその幸せがひどく心地よい。

 手元の夫人の教えを書き留めた書き付けをなんとなく見返しながら、サブリナはふぅと溜息を吐く。胸の中で渦を巻く、ただただ仄暗い後ろめたさと葛藤していた。






「まぁ!とても良く似合っているわ!!」

 支度の間に現れた宰相夫人は、着替えたサブリナを見て相好を崩した。
その言葉にサブリナは戸惑ってしまう。

 そうなのだろうか・・・。

 夜会準備の間、夫人は文字通りつきっきりでサブリナに「公爵家の嫁」としてのしきたりや礼儀、マナーなどを徹底的に叩き込んだ。

 もちろんこの夜会でサブリナが「オーランドの妻」として公表されることはない。看護人と言うことも宰相は憚り、あくまでも夫人付きの侍女の立ち位置だ。

 身分の低い嫁ぎ遅れの男爵令嬢を、夫人付きの侍女として雇った・・・サブリナの存在は、そう社交界には伝わっている。

 聞きようによってはどうしようも無いサブリナの扱いに対して、そこはウィテカー宰相が妻に政治的な状況を理由に納得させた。

 そんな夫の説明に渋々同意しながら、それでも夫人はサブリナが誰から見ても「オーランドの妻」として恥ずかしく無いようにと、教育をしてくれた。

 貴族令嬢でありながら、幼少から薬草学や医術ばかりに囲まれて、やや風変わりな育ち方をしたサブリナにとって夫人から教わる最上級貴族のあれこれは、元々の勉強好きと好奇心旺盛な性格も手伝って、とても新鮮で学び甲斐のある時間だった。

 夫人の優雅さには到底及ばないが、この短期間で貴族らしい所作やマナーを身につけることが出来た。

「ブリーにこの色はとても映えるわね」

そう言われて、サブリナな不思議な思いで鏡に映る自分を見た。

 はっきり言って平凡な容姿だ。
亜麻色と言えば聞こえは良いが、普通の茶色い髪が猫の毛のようにふわふわと心許なく跳ねる癖っ毛。これだけで、もう平民のようだ。

 瞳もまあまあ大きいがアーモンドのようなつぶらな瞳とも言いがたく、さりとて煌めくような、とも言いにくい普通の茶色い目。鼻も唇もごくごく普通。
体型は良く動くせいで、骨格は細いが農家の妻のようにしっかりした筋肉がついていて、華奢からは程遠い。胸は多少の膨らみはあれど、ウエストからヒップにかけてはくびれなどないと思っている。

 そんな人間が素敵なドレスを着たところで、どうだと言うのか。
サブリナは鏡の中の自分の姿に苦笑した。

 用意されたドレスは、ラベンダー色だ。落ち着いたグレーに近いピンクのビスチェからドレスのスカートラインはラベンダーへとグラデーションになっている。
さすが公爵家、繊細なレースをふんだんにあしらい、ウエストラインの後ろを華やかなレースのリボンで飾った流行りの意匠にしながらも、上品なドレスに仕上がっているからサブリナは萎縮してしまいたくなる。

 こんな上品なドレスが自分に似合ってなんて・・・シルクの長手袋にかさついている手を通しながら、どこか他人を見るようにな気持ちで、自分を見つめた。

 夫人は嬉しそうににこやかにサブリナを見て、侍女に髪や化粧の指示をする。

 嫁として大切に、本当の娘のように支度を手伝ってくれる夫人に、サブリナは胸が熱くなる。

 騙しているというのに。

 癖の強い猫っ毛は、柔らかなシニョンに結い上げられて、夫人手ずから「私の娘時代のものだけど」と金で薔薇を象った髪飾りをつけてくれる。

「さあ、これでほぼ完成ね」
「・・・ありがとうございます」

 満足そうな夫人の笑顔に礼を言うと、彼女はふふっと笑う。

「最後の仕上げはオーリーにしてもらって」
「えっ?!」

 思いがけない夫人の言葉に狼狽えるサブリナを他所に、夫人は侍女を連れて自分も準備のために部屋を出て行ってしまう。

 どういうこと?と考えを巡らせる間も無く、ノックの音とともにオーランドが入ってきた。
今日は騎士服ではない、夜会用の正装姿に、たった今まで狼狽えていたくせに、不覚にも胸がときめいてしまう。

 オーランドはサブリナを見て驚いたような顔をして、まじまじと見つめてくる。サブリナは思わず顔を赤らめてしまった。

「あ、あの、すみません。お目汚しして・・・」

 看護となれば気が強いのに、貴族の社交となれば全く自信がない。ましてや着飾った自分など論外だ。

 そんなサブリナの言葉に、黙ったままだったオーランドがハッとしたような顔をして、慌てだした。

「いやっ!・・・すまない、その・・・気の利いた事が言えなくて・・・」

 その言葉に彼を見上げれば、なぜか耳まで赤くなっていて。
口元を押さえた彼も狼狽しているように見えて、サブリナは「いいえ」と答えるとうっすらと微笑んだ。

 そうだ、彼はこんな風に時に不器用な姿を見せてくれることがある。彼の人柄を知るたびに、胸の中が温かくなってしまう。

 サブリナの微笑にオーランドはまた驚いたような顔をしたが、サブリナの前に立つと持っていた天鵞絨の箱を差し出した。

「・・・その・・・これを・・・」

 目の前で開けられた箱にサブリナは目を見張った。
中には美しい輝きを放つ、カンティーユの技術が駆使された金を土台にした中に、ピンクトパーズとアメジストが散りばめられた豪華なネックレスと、揃いのイヤリングが鎮座している。

「あっ、あの・・・こんな・・・」

 あまりの豪華さに見惚れていたが、オーランドがネックレスを手に取った瞬間、ハッと我にかえった。
こんな豪華なものは付けられない、身分不相応だと言おうと口を開こうとした時、オーランドは、すっと指を伸ばしてサブリナの唇に触れた。

「後ろを向いて。付けるから」

 そう言ってサブリナの頬に手を滑らせ耳たぶにも優しく触れる。
何も言えなくなり、おずおずと背を見せれば彼の腕が前に回ってくる。抱きしめられるような近い距離にオーランドの熱を感じて、ドキドキしながら俯いた。

 胸元に豪華なネックレスのひんやりした冷たさを感じ、頸に彼の手の熱が這う。そして、耳朶に優しくオーランドの剣だこのある無骨な指が触れて、程なく瀟洒なイヤリングがシャラリと揺れた。

 彼がどんな表情をしているのか分からない。胸の高鳴りが激しくなり、もうこれ以上は、とサブリナが全身を恥ずかしさで赤くした時・・・

 ふっとオーランドの吐息が頸にかかり、えっ?と振り返ろうとした瞬間チュッと耳朶に熱く濡れた感触があって。

「!?」

パッと振り返ると、いつも通り仏頂面の何食わぬ顔をしたオーランドがいた。振り返ったサブリナを見る漆黒の瞳は熱がこもっていて、サブリナの頬はみるみる赤くなっていく。

 驚きのあまりぱくぱくと何かを言おうとするサブリナに、言葉を発することを許さないかのように、彼はサブリナの手を取った。

「時間だ、行こう」
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