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19 甘くて残酷な契約と秘めた想い

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「結局はその話し、了承してしまったんですよね」

 シャルはサブリナの説明を聞くと、辛そうな顔をした。彼女の潤んだ眼を見ながら、申しなく思う。

 今朝、ウィテカー宰相は公爵家の方針として、サブリナにオーランドの妻の【振り】をしてもらう、と使用人達に告げたのだ。

 そして、この【振り】は屋敷内だけの秘事で他言無用と厳重な緘口令が敷かれた。



✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎



——だから、妻の最後の日まで、結婚した振りをしてもらう。真似事だ。これが、契約の追加だ——

 宰相のこの発言の後は、執事長のエイブスが部屋に入ってくるまでは修羅場だった。

 オーランドが宰相に掴みかかり、殴り倒したのだ。父親は逃げもせず、息子の暴力を受け止めた。

「貴方は何をとち狂った事を言っているのか!!彼女を貶めるつもりかっ!!」

 そんなつもりはない、お前の母親でもある女性の残された時間、この秘密は守り抜き、サブリナの評判に絶対傷は付けないと、宰相は誓ってくれた。

 恐らく宰相はサブリナの昔の評判を知っているのだろう。だから、いまさらささやかな悪評が付いたところで、大丈夫だと思っているのかもしれない。

 逆にサブリナが、このことが外部に漏れてウィテカー公爵家やオーランドに傷が付くのが怖いと言えば、宰相は悪い顔をして、公爵家を悪く言うものなどは、簡単にどうとでも始末ができる、とあっさり言う。

 そして宰相は法外な対価を用意した。

「これに協力してもらえるなら、モントクレイユ男爵家の医術、薬学、看護術が国全土に普及できるよう、国の政策に取り込む用意がある」

 それは、サブリナにとってなによりも甘い蜜で、馬の目の前の人参だ。

 看護の領域を超えている、公私混同だ、報酬に目が眩んだ、宰相に取り入るのか・・・そんなことは分かっている。

 非難は甘んじて受ける。

 看護者として夫人の望みを叶えたい、という気持ちが一番だ・・・彼女が大好きだから、最後まで献身を尽くす気持ちが強い。

 そして・・・
オーランドの妻の振りができる・・・少しの間だけでも彼の傍にいることができる。

 迷いは一瞬、甘く残酷な誘惑に抵抗することはできなくて。

 サブリナは腰を折って頭を下げると、答えていた。

「かしこまりました。その契約、お受け致します」


✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎


「ブリーのことを軽んじている事に腹が立つんです。普通だったら、結婚してくれ、じゃないんですか?
お貴族様なら政略結婚や契約結婚など当たり前でしょう。白い結婚でも良いですよ。きちんと届けを出して体裁を整えて。
それを役者でもないのに【振り】をしろ、なんておかし過ぎます!侮辱してますよ!!」

 
 シャルの収まらない怒りに、サブリナは眉尻を下げた。

 後から冷静になって考えれば、さすが宰相、悪い策ではないのだ。公私混同は否めないが、愛妻の末期の願いともなれば、こんなこと造作もないだろう。

 屋敷の中だけで、密やかに行う「ままごと」であれば、オーランドも自分も確かに傷がつかない。仮に外に漏れたとしても、筆頭公爵家を噂の種にするなど、どの貴族もしないのだから。

 ただ、オーランドと自分は勘違いも許されないほど、不釣り合いである、その事実を突きつけられたことが、とてつもなくショックで悲しかった。

 彼の無愛想な優しさに惹かれて、気持ちを自覚した途端に、家格差を思い知らされる。

 なんて物語のような失恋か・・・。

 サブリナはうっすらと微笑むとシャルに言った。もう覚悟は決まっているのだ。自分が選んだのだから。

「でもね、私も奥様の人柄が大好きだから。やってもいいかなと思って。看護の領域を超えているかもしれないけど・・・だから、そんなに怒らないで」

 どうせ住み込みだし、とおどけた風を装えば、シャルはもっと悲しそうな顔をした。

「でもなんか凄く嫌です。ブリーの気持ちを利用されてるようで・・・だって、ブリー・・・」

 聡明なシャルはサブリナの気持ちに気付いている。だから先のない茶番に飛び込もうとしているサブリナの事を大切に考えてくれてるのだろう。

「いいの、私が決めたことだから。公爵家の嫁なんて、滅多に出来ないんだから。私は楽しんで演じるわ」

 女優になれるかしら、と茶目っ気たっぷりに言ってみたのに、シャルはいっそう泣いてしまった。




「まだ間に合う。俺も言うから、君も断るんだ」

 夫人の世話を終えて、部屋に戻ろうとしたところをオーランドに捕まって、客間に連れてこられた。

 一晩経って、近衛騎士団の職務に行って、彼も冷静になれたのか、苦々しい顔で言う。

 サブリナは彼から一歩離れると、静かに返した。

「いいえ、もうお引き受けしましたのでお断りは致しません」

「なぜっ!?こんなこと変だと!狂ってると思わないのかっ!?いくら母のためだからっておかしいだろっ!!自分が馬鹿にされてるとなぜ怒らないっ!?それとも、父上のあの報酬に眼が眩んだかっ?!」

 サブリナの返事に瞠目すると、焦ったような顔で言い募る。

「はい、モントクレイユ家の人間として、宰相様のお申し出はとても魅力的です。当家の宿願でもありますから。それに私は・・・看護者としても一人の人間としても奥様が大好きです。確かに、看護者としての常識を逸脱しています。でも・・・」

 サブリナは穏やかな顔で続けた。

「奥様の最後まで、嘘でも義娘《むすめ》としてお世話させて頂きたいと思っています」

「ならばっ!!」

 オーランドはカッとしたように、サブリナの両肩を掴んだ。闇のように黒い瞳が荒れ狂うような感情で暗く翳っている。サブリナを真っ直ぐに見下ろすと、彼は続けた。

「それなら、正式な婚姻で良いじゃないかっ!?なぜ真似事など・・・」

 絶対にダメだ、これ以上オーランドの言葉を聞きたくない・・・サブリナは令息の視線から逃げるように顔を逸らすと言った。

「わざわざ婚姻する必要はないと思います。国中に婚姻は知られてしまいますし、全てが終われば、離縁しなければいけません。
その手間と公爵家に与える影響を考えれば、あくまでもこの屋敷の中でだけのこと、真似事で充分と存じます。ウィテカー公爵卿様の評判を傷つけることもございません」

 サブリナはそこまで一気に言うとオーランドを見返した。彼は苦しそうな顔のまま、肩を掴む手に力がギリギリ篭る。

「私は宰相様の案は、とても現実的、合理的、そして今の状況に則した案だと思います」

 彼女の言葉に、オーランドはがくりと頭を垂れた。まるで項垂れたかなのようなそれにサブリナが戸惑うと、今度は顔をあげて、乱暴にサブリナを抱き寄せた。

「きゃっ!なっ!何をッ!!」

 慌ててもがくが、彼の胸に顔を押し付けられる。突き放そうと腕をあげようとした瞬間、彼の苦しそうな声が、頭のてっぺんに響いた。

「真似事なんて・・・振りなんて・・・だめだ。俺は・・・君が・・・君のことが・・・」

 オーランドのその言葉にサブリナの身体は強張り、思わず叫んでいた。

「離してっ!何も言わないでっ!」

 いけない、続きを言わせてはいけない・・・。

 強くもがき、腕を突っぱねて、彼の胸の中から抜け出す。後退りしながらサブリナは震えそうになる身体をぎゅっと自分で抱きしめながら、言う。

 目頭が熱くなり、涙が落ちそうになるのを懸命に堪える。彼は呆然と自分を見つめている。

「なりません、それ以上は、何も仰らないでください・・・私の雇い主は宰相様です。全ては宰相様のお心のままに。私はそれに従うだけです」

 サブリナはそこまで言うと、オーランドを見ることもせず、踵を返し部屋を後にした。胸がどきどきと悪い鳴り方をする。

 オーランドの思いがけない感情に触れて嬉しさが込み上げる反面、それは決して表に出してはいけない想いであることに、サブリナは絶望していた。
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