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16 認められる喜びと、拒絶する苦さ

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「君たちの働きには、驚くとともに感謝している」

 隣国との交戦後の平定調整も終わったのか、久しぶりに帰宅したウィテカー宰相は、ローリング医術師とサブリナを呼び寄せると、開口一番、感謝の言葉を口にした。

 サブリナは内心ホッと安堵の息を吐く。 

 昨夜帰宅したウィテカー宰相は妻の様子に、息子や執事から様子を聞いていたとはいえ、思っていた以上の姿に驚いていた。
宰相の言葉で、まずは期待に応えられたと実感できたのだ。

 ローリング医術師が穏やかな笑みを浮かべて「これはサブリナさんと奥様の頑張りに他なりませんよ」と返すと、宰相は夫としての顔を覗かせて、頬を緩めると頷いた。

 オーランドは静かに宰相の傍らに立って控えている。その視線はサブリナに向いているような気がしていたが、サブリナは一切オーランドを見ないことで、無視をしていた。

「先生から見て、今の妻はあとどれくらいか?」
 
 さすが合理的と言われる宰相だけあって、直球で確信部分をズバリと聞いてくる。サブリナは息を飲み、宰相の人柄に慣れているのかローリングは苦笑した。
 
「以前の状態では、薬の効果も見込めず衰弱の一途でしたので、もって半年と申し上げました」

 当時のやりとりを思い出したのだろう。宰相は暗い眼をすると、うむと頷いた。オーランドは無表情のままだ。

「しかしながら、ただいまはサブリナさん達の看護のおかげもあり、先ごろ変えた薬も効きはじめております。お胸の腫瘤も大きくなっておりません。今は一年は大丈夫ではないかと、申し上げられます」

 そうか、と宰相が頷くとローリングは続けた。

「それに、同じ生でも以前とは違いましょう、ウィテカー宰相殿。今、奥方様は寝たきりではなく、ご自分の意思で日常を取り戻しておられる」

「そうだな、昨夜、家内からもう少し体力が戻ったら夜会を開きたいと聞いて、驚いたところだ」

 夜会を開きたいと言う希望はサブリナも夫人から聞いていた。少しでも元気なうちに、親しい人達と会い、以前のように楽しく話がしたいと言っていたのだ。

 サブリナはその口調から、夫人が親しい人達に心の中で別れを告げたいのではないか、と感じた。夫人は生きる意欲を取り戻すと同時に、病と向き合い、明らかに自分の命の終わりに向かって、色々なことを考えはじめていると感じたのだ。

 その毅然とした様子にサブリナは胸を打たれた。さすが筆頭公爵家を動かしてきた夫人。聡明で冷静、そして責任感が強いと感じたのだ。

 ローリング医術師は穏やかに頷くと「奥様のなさりたいように、お好きに過ごさせるのがよろしいかと存じます」と答えた。

 宰相はその提言に鷹揚に頷くと、今度はサブリナに視線をやり口を開いた。

「この3ヶ月の妻を見て、君たちの看護には本当に感謝をする。まさか、妻が立ち上がり客をもてなすとは思ってもいなかった。この国の宰相としても、モントクレイユ男爵家がこれほどの全人的医術に長けていると、知りもしていなかったことを恥じておる」

 サブリナは頭を下げると「もったいないお言葉に存じます」と答えたが、胸の中は認められた喜びにいっぱいになった。

「できれば妻のために最後まで、屋敷に滞在し看護を続けてほしい。モントクレイユ男爵へはこちらから連絡しておく」

 そう言われて、サブリナには否はなかった。頭を垂れると初日と同じことを口にする。

「ありがたき御言葉。ラファエル・ナーシング・ホームの信念の元、最後まで献身を尽くして奥様の看護を致します」

 そしてサブリナは顔を上げると宰相を真っ直ぐに見て、これだけは、と願いを口にした。

「僭越ながら宰相様にお願いがございます」

 なんだ?と言うように片眉を上げると、宰相は続きを促すように頷く。サブリナは励まされて続けた。

「奥様は現在、色々なことをやられたいとの希望をお持ちです。私はできる限り、それらを実現したいと考えております。ですので、お忙しいことは重々承知しておりますが、宰相様にもぜひ奥様との時間をお取り頂きますようお願い申し上げます」

 宰相はサブリナの言葉に満足そうに頷くと
「分かった。もちろん我が妻のために私も努力しよう」と答えると、それまで黙りこくっていたオーランドを見て指示した。

「お前も引き続き、協力をするように」
「はい、父上」

 彼はそう答えると、真っ直ぐにサブリナを見た。漆黒の瞳に射抜くように見つめられて、サブリナはびくりとする怯えを誤魔化すように、立ち上がった宰相に向かって頭を下げたのだった。



 
 


 サブリナは夜の庭園散歩も図書室での読書もやめた。そしてオーランドに用事がある時は、必ずエイブスかシャルを通すようにした。

 彼と接するのは、夫人の看護の時だけ、人目がある時だけ、と決めたのだ。

 自分の思慮のない行動と気持ちを恥じていたからに他ならない。それに宰相の目もある。
これ以上、彼に惹かれる気持ちを持ってはいけないと、決めたのだ。

 エイブスからはたびたび、夜のお茶について声が掛けられたが、宰相が自宅に戻っている以上、令息に報告をする必要はないから、と断っていた。

 そのたびにエイブスが困った顔をするのが、心苦しくあったが、サブリナはこれで良いと、安心していた。

 感情が乱れない・・・心が揺れない・・・自分には、それが一番重要だったから。  





 その日、屋敷の使用人達も寝静まった深夜、サブリナは湯浴みを終えた後、そっと図書室へ向かった。
どうしても読みたい薬草学の本があり、夕方借りに行くのを忘れていたからだ。

 図書室に入り、書架から何冊か物色していると、扉が開く音がした。

 まさか・・・とドキリとして振り返ると、オーランドが部屋の中に佇んでいる。

 職務から戻ったところなのか、深夜にも関わらず王宮近衛騎士団の制服姿のままだ。

 疲れているのだろう、目元には疲労が滲んでいる。
その気だるそうな雰囲気が彼の鼻梁の整った端正な面差しとストイックな制服姿と相まって、誰もが見惚れるようなハンサムな姿に、しかしサブリナは一瞬恐れを感じた。

「こ、こんばんは。ウィテカー公爵卿」

 数冊の本を胸の前でギュッと抱きしめたま、きっちり腰を曲げ頭を下げる。どうか、早く出ていってと願いながら。

 だが彼は距離を詰めるとサブリナの腕を掴んで、引き寄せた。

「ひっ!!」

 乱暴に身体を抱き寄せられると、本がバサバサと床に落ちる。オーランドはそれを気にせず、サブリナの腰を抱きしめ、彼女の顎を指先で持ち上げた。

「あ・・・」

 鋭い彼の視線に射抜かれて恐ろしいのに、眼を逸らすことが出来ない。
密着した腰、そこに触れる彼の掌、何もかもが熱くて、サブリナの胸は激しくどきどきと鳴った。

 早く離れなければ・・・頭を捩って逃げようとしたその時

「なぜ避ける」

 オーランドの低い声が耳に響いた。

「・・・ぇ?」

 思ってもいない問いに、驚いてまじまじと彼の顔を見上げると、眉根を寄せたいつもの顰めっ面があった。ただなんとなくいつもと違い苦しそうに見えるのは気のせいか。

「・・・避けてなど・・・」

 嘘でも避けていない、と言わないと。口籠もりながら言った言葉はオーランドに遮られた。

「じゃあ、俺が嫌いか?」
「?!」

 今度こそ驚いて、眼を丸くしてまともに彼の顔を見ると、やっぱり安定の不機嫌顔だ。

 嫌いじゃない・・・そう言えば彼はこの手を離してくれるのだろうか。

 自分は勘違いはもうしない、この胸の中にある芽吹きがなんであるかなんて、知るつもりもない。

だから・・・

「・・・公爵家のご立派なご嫡男様として尊敬しております。また、看護にご理解とご協力いただいていることにも、心から感謝・・・」

 そこまで言いかけると「そんな事を聞いてるんじゃないっ!!」と苛立ったように遮られる。

 そして、顎を掴む指先に力が入ったと気づいた瞬間、あっ、と思うままなく、唇が重ねられた。

 開いた隙間からするりと、男の肉厚の熱い舌が入り込み、口内を縦横無尽に舐め尽くす。
歯列を辿り口蓋を擽り、怯えて奥で震えるサブリナのそれに舌を絡ませられて、唾液を啜られた。

 長い口づけにサブリナの身体が震えると、宥めるように首筋や耳たぶを指先で嬲られる。

 貪られて呼吸が苦しくて、与えられる快感にサブリナは抵抗も出来ず、閉じた眦からは涙が零れ落ちる。

 だがオーランドの逞しい掌が、サブリナのガウンの合わせから入り込み、夜着の上から胸に触れた瞬間、サブリナの脳裏に忌まわしい光景が蘇った。

「やめてっ!!いやっ!!」

 必死で身体を捻り、腕でめいいっぱい彼を突き飛ばす。不意打ちでオーランドの身体がよろけたところで、サブリナは素早く後ろに引くと、ガウンの前合わせを掻き合わせた。

 身体が強ばり、カタカタと震えてしまう。

 オーランドはサブリナのその様子に虚を突かれたように苦しげな顔をした。

「すまない・・・俺は・・・」

 彼に何も言わせてはいけない、サブリナは震える身体を抱きしめながら、わずかに残っている気力を奮い起こして、オーランドを真っ直ぐに見つめた。

「これで、ご満足ですか?嫁ぎ遅れの田舎者を揶揄って気が済みましたか?」

「・・・っ!違う、俺はっ!!」
 
 怒りなのだろうか、顔を赤くして何かを言おうとしたオーランドに、サブリナは畳み掛けた。

「私は奥様の看護人です。それ以上でもそれ以下でもございません。・・・火遊びは他の令嬢となさってください」

 それだけを一気に言うと、サブリナは傷ついたように艶やかな黒い瞳を見開いたオーランドの横をすり抜けると、部屋に戻った。

 扉を閉めると、涙が溢れそうになるのを、必死で堪える。

 昔を思い出して恐ろしかったのか・・・違う、そうじゃない。
 
 オーランドの瞳と自分に触れる熱が怖かったのだ。

 ——泣いたりはしない——

 自分は間違ったことは言っていない・・・そう思いながらも、胸の中で荒れ狂う訳の分からない感情を御することもできず、拒絶した苦さを噛み締めながら、サブリナ必死で涙を堪えていた。
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