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13 振り回される気持ち

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 気にしない、気にしない、気にしない、
絶対に気にしないし、意識しない!!

 呪文のように唱え続け、サブリナは中庭での出来事を頭の中から葬りさろうとした。

 自分が貴族社会から遠ざかっている間に、感謝の仕方が変わったのだ・・・誰かに聞かれればバカにされそうだが、そう思うようにしている。

 あの後、令息は何事もなかったかのように、手を取ったまま、庭園の案内を続けた。
サブリナの煩く跳ねる鼓動と顔の赤みが引いたところで、夫人のもとに戻り、短いお茶会は終わった。

 なぜ感謝の気持ちが額へのキスなのか?! さすがにシャルにも言えず、悶々としたが、その後のオーランドの態度がいつも通りだったので、努めてサブリナは考えないようにした。


 そう・・・年上の家庭教師にするような親愛の情の変形版?みたいな奴???

 いやいやそれなら、手の甲へのキスだろう、とは突っ込まないで欲しい、自分で何十回も突っ込んだのだから。

 だけど!!と、ここ数日で辿り着いた結論は一つ。
 
 なんで、あのバカ息子はあんなことしたのよ!と憤りたい。年増を子供と間違えたのか?!

 でも、ウィテカー公爵卿は言ったじゃないか「感謝を」と。夫人の表面的であっても回復したように見える姿に、看護の力を信じてくれたのは確かだ。

 だから、感謝と言うなら感謝だと思うことにしよう。それ以上でもそれ以下でもないのだ。たとえ、表現方法が「額へのキス」であっても、彼がそう言うなら感謝なのだ。

 妙齢の殿方に、貴族令嬢のように扱われることなんて、すっかり無かったから、免疫ないのバレバレだ。

 自分が変に意識し過ぎているのがおかしい。
それこそ烏滸がましい、勘違いも甚だしい、痛い女じゃないか。

 嫡男の気まぐれに、心を乱されたり振り回されたりはしない。

 サブリナは、そう自分を戒めると、それ以降、中庭でのことを考えないように、忘れることにしたのだった。






「今日は何をする気だ?」

 夫人の部屋の隣に設られている浴室での騒ぎを見て、オーランドが目を丸くする、

 それもそうだろう、執事長のエイブスや侍女のナターシャ、侍従のホークスと下男のダイムなどが集まって、わいわいやっているからだ。

「ブリーさんからの指示で、これを浴槽に入れるようにと言われてまして」

 エイブスの答えに、オーランドが眉間に皺を寄せると「この椅子をか?」と尋ねた。

 目の前には、小ぶりの椅子が置いてあった。
形状は椅子なのだが、背もたれが異様に長い上、座面の下は足置きがそのままくっついたような変わった作りだ。

 さすがに公爵家の嫡男も、屋敷の使用人達も、この頃はサブリナが何かをやろうとすることに、感心こそはすれ、驚かなくなっている。

 彼女の奇抜な看護には散々度肝を抜かれて、慣れたのだろう。

 ホークスとダイムが、エイブスの指示の元、よっこいしょと椅子を浴槽に入れている間に、ナターシャはパタパタと湯浴み用の手拭いやら石鹸やらを準備している。

「今日は、体調が良いので湯浴みを致します」
「湯浴みを!?」

 椅子が浴槽に収まったところで、サブリナは浴室に入ってきたが、オーランドの怪訝そうな顔を見て、にこやかに説明をした。

 びっくりした顔をしているオーランドに、力強く頷いてみせると、サブリナは「うん、大丈夫。いつも通りの自分なはず」と自信を持った。

 あの密やかな庭園での出来事から3日、オーランドはあの日の夜遅く、王宮近衛騎士団から急な呼び出しがあり、幸いにも今日までサブリナは顔を合わせなくて済んだ。

 おかげで、気まずさや変なモヤモヤ感は消化出来たと信じている。本音を言えば、今だって顔を合わせずに済むなら、まだ会わなくても良い気がするが、そうも言ってられない。

 病人の湯浴み、特に女性では身体に触れていい男手がある方が、とても助かるし介助するのに安全だ。

 夫人に関して言えば、夫の宰相公爵は殆ど不在だから、息子が適任なのは間違いない。

 夫人は8ヶ月ぶり位になる今日の湯浴みをとても楽しみにしていた。それが痛いほど分かるから、心の中にある訳の分からない感情で中止することも、手伝いを頼まないということもサブリナは出来なかった。

 だからオーランドに、時間を作ってここに来るようにエイブスを通して頼んでいたのだ。さすがに自分で直接頼みに行く勇気はなかった・・・なんとなく。

 サブリナはオーランドの顔を見ないよう、脇をすり抜けると、浴槽に収まった椅子の確認をする。ナターシャから準備は整っています、と報告を受けると、侍従のホークス達に湯を運び込むよう指示した。

 ほどなく熱々のお湯が、椅子ごと浴槽の中に張られ、湯気が浴室にたちこめる。男性陣にお礼を言い下がらせると、何が起こるのかと事態を静観しているオーランドに「しばしお待ちください」と言い残して、サブリナは出て行った。

 夫人が車椅子でシャルに押されて浴室に入ってくる。その姿は湯浴み用なのか、薄手の襟のない前合わせの着衣を着ていた。腰の辺りを紐で結んだ着脱重視のものだ。

 何が起こるのか興味津々で見守っていたオーランドだったが、サブリナが浴室に入ってきた瞬間、仰天したように声を上げた。

「きっ!きっ!君はっ!!君まで、なんでっ!!そんな格好をっ!!」

 サブリナはきょとんと自分の姿を見下ろすと、首を傾げた。
夫人の湯浴み介助のために、同じ前合わせのローブを着ている。

 袖も裾も短いから手足は素肌が出ているし、胸元も前合わせだから、ぴらぴらしてて心許ないのは確かだ。

「オーリー、落ち着きなさい」

 夫人が息子を諌めるが、オーランドはまだ狼狽えた顔をしている。

 顔を真っ赤にして自分から視線を逸らしたご嫡男に、サブリナはああ、と嘆息した。
貴族のおぼっちゃまなら、女性のこのような姿は、はしたないと思うだろう。

 だが、自分は違うのだ。

「お目汚しして、申し訳ございません。これは病人の湯浴み介助用のガウンなんです。私のことはお気になさらず」

「なっ!?」

 サブリナはにっこり笑うと、まだ顔を赤いままのオーランドに、肝心な頼み事をした。

「ウィテカー公爵卿、恐れ入りますが奥様をこの椅子に移動させるのをお手伝い下さい」

 その言葉にオーランドは瞠目したが、すぐにいつもの表情に戻ると、意図を察したのだろう、車椅子の母親へ近づいた。

「母上、抱き上げますが、よろしいですか?」
「ふふ、大きくなったオーリーに抱き上げてもらえるなんて・・・嬉しいわ」

 夫人の笑顔を合図に、オーランドが夫人を抱き上げる。シャルが夫人の脚をしっかり支えて、サブリナの誘導に従って、ゆっくりと浴槽に据えられた椅子に夫人を降ろした。

「ああ、気持ちいい」

 まだ足先しか入っていないのに、夫人がことのほか嬉しそうに微笑んだ。サブリナも笑うと、オーランドに向き直る。

「ありがとうございます。湯浴みが終わったら、また移動をお手伝い頂きたいので、しばらく部屋でお待ち頂けますか?」

 オーランドは憮然とした顔をしたが、分かったと頷くと浴室から出て行った。

 さあ、身体を洗おうとサブリナが浴槽の椅子の脇に立つと、夫人がおかしそうな顔で言った。「ブリー、ごめんなさいね。オーリーがあんなこと言って。あの子は生真面目で・・・」

 サブリナはナターシャから石鹸と手巾を受け取ると、夫人のガウンを脱がせながら,いいえと頭を振った。

「私もきちんと先にご説明しておくべきでした。驚きますよね」

 貴族令嬢なら、ましてや未婚なら、こんな姿を男性には晒さない。そういう意味でオーランドの反応は正しいのだ。

 悪いことをした、とちらりと後悔が掠めたが、夫人の次の言葉で、サブリナもシャルもナターシャでさえも吹き出してしまった。

「オーリーが女性に慣れていないことがよく分かったわ。困ったものね」



 夫人の入浴は無事に終わった。浴槽に入れたこの椅子は当然モントクレイユの技術で作り上げたものだ。

 背もたれの部分を寝かせることができ、足元の足置きのようなものは、前に真っ直ぐ伸ばせることが出来る。これのおかげで、病人は寝たような楽な姿勢で、湯をかけてもらい、身体を洗ってもらうことが出来る。

 この入浴方法を確立してから、療養院などへこの椅子を持参して看護することも増えた。病人達は、湯浴みをし身体を清潔に保つことで、誰もが生きる気力を取り戻すとサブリナは信じている。

 全て終われば、背もたれを起こし、足置きを戻すことで座った状態に戻せる画期的な椅子だ。

 浴槽に入り身体を洗うのはサブリナがやったが、湯を浴槽から抜いて夫人の身体を起こした後は、シャルとナターシャが2人がかりで後の世話をした。

 身体を良く拭き、肌の軽い手入れをし、髪を乾かし香油を塗り込む。

 ナターシャは久しぶりの夫人の世話に喜びつつも、寝衣とガウンを着せるときに、ひどく痩せ細った身体を目の当たりにして胸に迫るものがあったのだろう。涙を拭いながら、それでも笑顔を浮かべて気丈に世話をしていた。

「母上、気分はいかがですか?」

 シャルに呼ばれてオーランドが入ってくると、夫人は明るい笑顔を見せた。

「とても気分が良いわ。生き返った気分よ」

 彼は母親の笑顔を瞳を眇めて見つめる。

「本当にご気分が良さそうだ」
「ええ、オーリー。湯浴みが出来てとても幸せだわ。さっぱりして生きる力が湧いてくる」

 オーランドはその言葉に笑みを浮かべると,黙って夫人を抱き上げた。

「このまま自分が寝台に運ぶ」
「あら、ありがとう。ステキな騎士様」

 夫人の軽口に息子は微笑むと、寝室へ向かう。

 それまで親子の様子を見守っていたサブリナは、オーランドの言葉に「かしこまりました」と答えて頭を下げて二人を見送った。
 
 こうして母親を気遣い、看護に参加してもらえるのはありがたい。夫人も喜んでいるから良かった。

 そう思いながら、サブリナはシャルに車椅子を持っていくよう伝え、ナターシャに夫人の午睡の世話を頼むと、自分の姿をかえりみた。

 身体がびしょ濡れだ。ガウンも濡れそぼっているから自分の部屋に着替えに戻るにしても拭かないと、とサブリナはナターシャが用意してくれていた大振りの浴巾で手足を拭いた。

 ガウンの紐を解き、前合わせを開けて肩から半分だけはだけ下ろす。濡れて冷たくなった胸周りを拭こうとした瞬間・・・

「おい、他に手伝うことは・・・」
「・・・ぁっ・・・!」

 オーランドが浴室に入ってきて、サブリナは息を飲んだ。彼も虚を突かれたように、目を見張り立ち竦む。そして、眼を何度も瞬かせた。

 サブリナは慌てて、ガッと前合わせをかき寄せると彼に背を向ける。

 みっ!みっ!見られたっ!!!!!

 この格好で男性の病人の前に何度も立ったことがあるが、それはそれ。いくら年増とはいえ、自分のささやかな胸が見られて平気でいられるほど厚顔ではない。

 サブリナはみるみる恥ずかしさで身体が赤くなっていくのを感じた。

「あっ!あのっ!!こちらは・・・もうっ・・・だっ!大丈夫でございますからっ!」  

 一気にそう言って、うつむく。早く出て行って、とひたすら祈りながら。

「すっ、すまないっ!」

 サブリナの言葉に慌てたようなオーランドの謝罪に、出て行ってくれるかと思いきや・・・

「え?」

 サブリナの思考が止まった。

 スルッと背中に彼の腕が触れた。何?と思った瞬間、彼が自分が着ていた部屋着のジャケットを脱ぎ、肩に羽織らせてくれたのだ。

 そして、そのままやんわりと背中から彼の腕が回って、ジャケットの前合わせを、いまだガウンの前をかきあわせたままでいたサブリナの手のあたりまで持ってくると、丁寧にボタンを止めた。

 その行為はまるで背中から抱きしめられているようで・・・背中に彼の体温を感じて、別の羞恥でサブリナの頬がカッと赤くなった瞬間、耳元に触れるか触れないかの近さで彼の低い声が響いた。

「すまなかった」

 その言葉の後、耳朶にキスされた気がするのは、都合の良い夢か・・・サブリナは彼の腕と背中の温もりが離れていくなか、身動きすることも何か言うこともできず、ただただ鳴り響く鼓動に混乱していた。
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