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11 それぞれの立場
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サブリナの一日はわりと分刻みだ。
午前中は朝食にマッサージ、身の回りを整えたら軽い掃除と洗濯をシャルと手分けして行う。
そうこうしているうちに昼になるから、昼食にマッサージ、その後は、夫人には午睡をしてもらい、その間に洗濯を取り込んだり、薬草茶の抽出したり、夫人の調子が良ければ、身体の清拭や髪を洗うなどをしている間に夜になり、また食事とマッサージとなる。
そんな生活なのでサブリナはだいたいいつも小走りだ。シャルはともかくサブリナは休憩もたいして取らずにいる。
そのことをオーランドに感づかれてしまってから、何かにつけて昼食や夕食を一緒にしないかと、彼が屋敷にいる時に誘われるようになってしまった。
そんなのは困るのだ。
公爵家の妙齢の嫡男と食事を共にするのは、男爵家の年増の令嬢としては、家格差もあるし変な噂が立つやもしれぬ。
雇われた看護者と雇い主の息子、と言う関係でも食事を一緒に取ることは、世間的にもあり得ない。
だからサブリナは丁重に断り続けた。オーランドもやっと理解してくれたのだろう、誘われなくなった。
が・・・今度は代わりに、サブリナが短時間で食事ができるようにと、料理人に指示したらしく、片手で摘めるサンドイッチやカップに入った温かいスープが用意されるようになった。
これは正直サブリナにとっては、とてもありがたい。オーランドに食事の礼を伝えたところ、彼はとても嬉しそうに頷いてくれたのだった。
「ブリーはウィテカー公爵卿に好かれてますよね」
シャルが唐突に言った言葉に驚くと同時にサブリナは頬を赤く染めた。
「そんなことは無い」
慌ててきっぱりと否定したが、赤い顔のサブリナを見て、シャルはニヤニヤした笑みを浮かべる。
シャルはとても気立ての良い、仕事のできる片腕だが、時々サブリナを揶揄うことがある。シャルの意地の悪い趣味じゃないかとサブリナは疑っている。
「だって、何かにつけてブリーのそばにいようとするし、食事だって気を遣ってくれてるし、ほらほら、靴も贈ってくれたじゃないですか」
これが好意じゃなくてなんと言う、と言わんばかりのシャルをサブリナは睨んだ。
「人聞きの悪いことを言わないで。あくまで看護者を理解し、大切にしてくださっているだけよ。雇用主と使用人の立場です」
厳し目の声でそう言うと、サブリナは続けた。
「ウィテカー公爵卿はこの国の筆頭貴族のご嫡男です。冗談でもそんな事を言ってはいけないわ。誰かの耳に入って、ウィテカー公爵卿の評判を落とすようなことになったら大変なことになる」
サブリナの言いたいことが分かったのだろう、シャルは眉を下げると「ごめんなさい、口が過ぎました」と謝った。
サブリナはシャルに微笑むと言い聞かせるように続けた。
「雇われている私達がウィテカー公爵家にご迷惑をおかけすることは絶対にできないわ。この位のお立場になると、冗談でも口にしてはいけないことも多いの。滅多なことを言って、看護に理解を示してくださるウィテカー公爵卿を危機に陥れることがないように。発言には気を付けましょう」
、
シャルが殊勝な顔ではい、と同意するのを見ながら、サブリナも今一度自分を戒めた。
雇用主と看護者の立場を崩さないよう、彼の優しさや気遣いに勘違いしないよう、軽々とこちら側に踏み込んでくるオーランドに心を開かないよう・・・立場を弁えて接しないといけない。
彼は筆頭公爵家の嫡男で雇用主の息子、そして自分はラファエル・ナーシング・ホームの看護者なのだ。
寝台脇に置かれた不思議な形状の肘掛け椅子を見て、オーランドは目を見張った。
「これは何だ?」
「これに座ると移動できるそうよ」
「移動?!」
息子の疑問にウィテカー公爵夫人は儚げながらも微笑を浮かべて答えた。
看護が始まってから二ヶ月余り、夫人は支えが必要ながらも、寝台の上で身体を自分から起こせるようになり、話す言葉もしっかりしてきた。手足の曲げ伸ばしも、マッサージの効果で出来る様になっている。
シャルが「車椅子でございます」と言うと、オーランドは不思議そうにサブリナを見た。
サブリナは笑みを浮かべて頷く。
夫人を寝たきりの生活から解放する時が来たのだ。
モントクレイユの領内は医術や薬草学で使う道具の生産が活発だ。たくさんの職人を抱え、様々な必要かつ便利な道具を生み出している。
王都にはないものもざらだ。
当然ながら看護用の道具も作ってもらっていて、サブリナは洗髪用の台とたらいも含めて様々な道具を公爵家に持ち込んでいた。
そしてこの風変わりな肘掛け椅子もそうだ。肘掛け椅子の脚に四つの車輪を付け、背もたれに押すための取手をつけてある。
サブリナが取手を掴んで、車椅子を寝台の方へ押して見せると夫人もオーランドも驚いた顔をする。
「奥様、今日はとても気持ちの良いお天気です。これで中庭をお散歩致しましょう」
その言葉を合図に、シャルが上掛けをめくり、夫人に厚手のコート羽織らせ、脚に毛の靴下と柔らかい革で作られた室内履きを履かせた。
オーランドは何が起こるのかと、その様子を固唾を飲んで見守っている。
サブリナはシャルと一緒に夫人の腰に手を回して向きを変えると、足を寝台下にそっと下ろした。久しぶりに床に朝をつけたことが嬉しかったのだろう、夫人が笑みを浮かべた。
「奥様、わたしの首に腕を回してください」
サブリナの言葉に夫人が腕をそろそろと上げると、シャルが腕をサブリナの首に巻き付けさせて、そのまま押さえた。
「今から奥様の身体を持ち上げますので、驚かないでくださいね」
そう言って、シャルと一緒に1、2、3と掛け声を上げて夫人の体をグイッと持ち上げる。
「だっ!!大丈夫かっ!!」
たまらず焦ったような顔で、慌てて呼び掛けるオーランドに、サブリナはハッと息を吐き出すと、大丈夫です、と振り返ってにっこり笑った。
オーランドはそこにいる母親の姿に呆然とする。
夫人が久しぶりに椅子に座って微笑んでいたからだ。
午前中は朝食にマッサージ、身の回りを整えたら軽い掃除と洗濯をシャルと手分けして行う。
そうこうしているうちに昼になるから、昼食にマッサージ、その後は、夫人には午睡をしてもらい、その間に洗濯を取り込んだり、薬草茶の抽出したり、夫人の調子が良ければ、身体の清拭や髪を洗うなどをしている間に夜になり、また食事とマッサージとなる。
そんな生活なのでサブリナはだいたいいつも小走りだ。シャルはともかくサブリナは休憩もたいして取らずにいる。
そのことをオーランドに感づかれてしまってから、何かにつけて昼食や夕食を一緒にしないかと、彼が屋敷にいる時に誘われるようになってしまった。
そんなのは困るのだ。
公爵家の妙齢の嫡男と食事を共にするのは、男爵家の年増の令嬢としては、家格差もあるし変な噂が立つやもしれぬ。
雇われた看護者と雇い主の息子、と言う関係でも食事を一緒に取ることは、世間的にもあり得ない。
だからサブリナは丁重に断り続けた。オーランドもやっと理解してくれたのだろう、誘われなくなった。
が・・・今度は代わりに、サブリナが短時間で食事ができるようにと、料理人に指示したらしく、片手で摘めるサンドイッチやカップに入った温かいスープが用意されるようになった。
これは正直サブリナにとっては、とてもありがたい。オーランドに食事の礼を伝えたところ、彼はとても嬉しそうに頷いてくれたのだった。
「ブリーはウィテカー公爵卿に好かれてますよね」
シャルが唐突に言った言葉に驚くと同時にサブリナは頬を赤く染めた。
「そんなことは無い」
慌ててきっぱりと否定したが、赤い顔のサブリナを見て、シャルはニヤニヤした笑みを浮かべる。
シャルはとても気立ての良い、仕事のできる片腕だが、時々サブリナを揶揄うことがある。シャルの意地の悪い趣味じゃないかとサブリナは疑っている。
「だって、何かにつけてブリーのそばにいようとするし、食事だって気を遣ってくれてるし、ほらほら、靴も贈ってくれたじゃないですか」
これが好意じゃなくてなんと言う、と言わんばかりのシャルをサブリナは睨んだ。
「人聞きの悪いことを言わないで。あくまで看護者を理解し、大切にしてくださっているだけよ。雇用主と使用人の立場です」
厳し目の声でそう言うと、サブリナは続けた。
「ウィテカー公爵卿はこの国の筆頭貴族のご嫡男です。冗談でもそんな事を言ってはいけないわ。誰かの耳に入って、ウィテカー公爵卿の評判を落とすようなことになったら大変なことになる」
サブリナの言いたいことが分かったのだろう、シャルは眉を下げると「ごめんなさい、口が過ぎました」と謝った。
サブリナはシャルに微笑むと言い聞かせるように続けた。
「雇われている私達がウィテカー公爵家にご迷惑をおかけすることは絶対にできないわ。この位のお立場になると、冗談でも口にしてはいけないことも多いの。滅多なことを言って、看護に理解を示してくださるウィテカー公爵卿を危機に陥れることがないように。発言には気を付けましょう」
、
シャルが殊勝な顔ではい、と同意するのを見ながら、サブリナも今一度自分を戒めた。
雇用主と看護者の立場を崩さないよう、彼の優しさや気遣いに勘違いしないよう、軽々とこちら側に踏み込んでくるオーランドに心を開かないよう・・・立場を弁えて接しないといけない。
彼は筆頭公爵家の嫡男で雇用主の息子、そして自分はラファエル・ナーシング・ホームの看護者なのだ。
寝台脇に置かれた不思議な形状の肘掛け椅子を見て、オーランドは目を見張った。
「これは何だ?」
「これに座ると移動できるそうよ」
「移動?!」
息子の疑問にウィテカー公爵夫人は儚げながらも微笑を浮かべて答えた。
看護が始まってから二ヶ月余り、夫人は支えが必要ながらも、寝台の上で身体を自分から起こせるようになり、話す言葉もしっかりしてきた。手足の曲げ伸ばしも、マッサージの効果で出来る様になっている。
シャルが「車椅子でございます」と言うと、オーランドは不思議そうにサブリナを見た。
サブリナは笑みを浮かべて頷く。
夫人を寝たきりの生活から解放する時が来たのだ。
モントクレイユの領内は医術や薬草学で使う道具の生産が活発だ。たくさんの職人を抱え、様々な必要かつ便利な道具を生み出している。
王都にはないものもざらだ。
当然ながら看護用の道具も作ってもらっていて、サブリナは洗髪用の台とたらいも含めて様々な道具を公爵家に持ち込んでいた。
そしてこの風変わりな肘掛け椅子もそうだ。肘掛け椅子の脚に四つの車輪を付け、背もたれに押すための取手をつけてある。
サブリナが取手を掴んで、車椅子を寝台の方へ押して見せると夫人もオーランドも驚いた顔をする。
「奥様、今日はとても気持ちの良いお天気です。これで中庭をお散歩致しましょう」
その言葉を合図に、シャルが上掛けをめくり、夫人に厚手のコート羽織らせ、脚に毛の靴下と柔らかい革で作られた室内履きを履かせた。
オーランドは何が起こるのかと、その様子を固唾を飲んで見守っている。
サブリナはシャルと一緒に夫人の腰に手を回して向きを変えると、足を寝台下にそっと下ろした。久しぶりに床に朝をつけたことが嬉しかったのだろう、夫人が笑みを浮かべた。
「奥様、わたしの首に腕を回してください」
サブリナの言葉に夫人が腕をそろそろと上げると、シャルが腕をサブリナの首に巻き付けさせて、そのまま押さえた。
「今から奥様の身体を持ち上げますので、驚かないでくださいね」
そう言って、シャルと一緒に1、2、3と掛け声を上げて夫人の体をグイッと持ち上げる。
「だっ!!大丈夫かっ!!」
たまらず焦ったような顔で、慌てて呼び掛けるオーランドに、サブリナはハッと息を吐き出すと、大丈夫です、と振り返ってにっこり笑った。
オーランドはそこにいる母親の姿に呆然とする。
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