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7 変化

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 水分をしっかり飲ませ、薬草と果物のスープと手足のマッサージを1日3回。シャルと交代で毎日行う。

「順調な気がしますね!手足が温かくなってきました」

 一緒に世話をしているシャルが、一週間経ったところで、診察しにきたローリング医術師にそう言うと、彼はほう、と軽く驚いたような顔をしたが、診察を終えて、本当にびっくした顔をサブリナ達に見せた。

「いやはや、まだ一週間だろう、ブリー、どんな魔法を使ったんだ?」

 医術師の言葉にうっすら微笑むと、まだ大したことはしていない、と答える。

「身体の中から悪いもの出す薬草茶とスープを1日3回飲んでいただくのと、寝たきりで強張った筋肉と関節をほぐすために揉んでいるだけです」

 肩を竦めながら言ったサブリナの答えにローリングは「さすがモントクレイユの薬草と看護だ」とおおらかに笑いながら、また一週間後、と言って帰って行った。


 夫人の様子が変わってきたのは、もちろんサブリナも分かっている。

 日中、眼を開ける時間も増えてきて、こちらの問いかけにもだいぶ答えられるようになってきた。
掠れるようなたどたどしい話し方から、だいぶしっかりした話し方になってきたのだ。
 
 夫人もここ数日の自分の身体の変化を感じ取っているのだろう。あのクソ苦いどろどろスープを頑張って飲んでくれている。

 これなら、次の段階に進める、とサブリナも予定をあれこれ考えていた。

 宰相に少し喜んでもらえるのも近いと感じているが、残念ながら宰相と息子のオーランドは敵対している隣国との国境線で交戦が起こり、4日前から王宮に詰めていて、屋敷には戻っていない。

 それほど逼迫した交戦ではないから、長引かないと言われている。二人が帰還される頃には、少しでも元気になった夫人に会わせてあげたい。

「シャル、そろそろあれの準備をしましょうか。来週くらいには大丈夫だと思うの」

 そう言うとシャルは待ってました、とばかりに顔を綻ばせた。

「ブリー、あれですね!!承知しました!!」

 優秀な助手は元気よく返事をすると、張り切って準備のために部屋を出ていった。







 サブリナ達はふだん、屋敷の使用人達と一緒に食事を取っている。この時間は屋敷の使用人達が全員揃うので、サブリナは頼み事はこの時間にすることにしている。

 屋敷の使用人達は夫人の様子を知りたがるが、主人も子息も不在なので根掘り葉掘り聞いたりすることはせずに、快く力を貸してくれるので、ずいぶん助かっていた。

 とても教育が行き届いている、とサブリナは感心していた。

 今朝は執事長のエイブスから、明け方ごろにオーランドが帰宅したとの報告があった。宰相の帰宅はもう数日後になるそうだが、隣国との交戦が落ち着いたらしい。

 いつも無表情が売りのエイブスが、めずらしく心配そうな顔で
「オーランド様は起きられたらすぐに、奥方様に会いに行かれると思いますが、大丈夫ですか?」と聞いてきた。

 サブリナが夫人の看護を始めて三週間余り。この間、使用人達には夫人を会わせていなかった。夫人の看護以外にも、部屋の清掃や夫人が使ったものの洗濯など、夫人に関わることは全てサブリナとシャルでやっていたからだ。

 サブリナはエイブスの心配気な顔に、にこやかに微笑んで「大丈夫です」と答えると、ある頼みを彼にした。

 エイブスはその頼みに驚いた顔をしたが、なぜかサブリナ相手に恭しく「かしこまりました」と答える。

「やだ!エイブス様、私はご令嬢じゃないから!その返事はやめて!」

 赤い顔してそう答えたサブリナに、エイブスがニヤリとし、使用人達が明るく笑うと、サブリナもつられて笑ってしまう。
なんとなく彼らにも夫人の様子が伝わっているのかもしれない、とサブリナは感じる。

 そしてこう言うことがあるたびに思うのだ。
宰相夫人は誰からも愛されている、頑張らないと、と。






 ノックをして返ってくる「どうぞ」という母親の声が、いままでにない強さだったことに驚いたのかもしれない。
宰相公爵家の嫡男のオーランドは少々乱暴な勢いで扉を開けた。 

 王城に詰めていた疲れを湯浴みと睡眠で癒したのだろう、スッキリとした顔つきだ。やや痩せたようだが、精悍さを増しているようにサブリナには見えた。

 サブリナ達をガン無視したまま、部屋にズカズカと入ってくると、青年は寝台の母親を見て、驚愕したような顔をして立ち竦んだ。

「オーリー・・・久しぶりなのに・・・顔を・・・良く見せて・・・」

 まだまだ小さくか細い声、だが、久しぶりに眼を開け、はっきりと意思を纏った力強い言葉に、令息は弾かれたように寝台脇にとんで来ると、跪き、母の華奢な手を両手で握りしめて口付けた。

「母上、お加減はよろしいのですか・・・」

 震えるような息子の声に、夫人は握られていない方の手で、幼子にするように頬に触れた。

 彼が驚くのも無理はない。
今日の夫人は半身を起こしており、姿勢が楽なように置かれたクッションと枕に、背を預けている。恐らくこんな姿は半年ぶりくらいだろう。

 脂でベタつき不衛生だった髪は綺麗に洗い上げ、香油で手入れをしたおかげで以前とは比べるべくもないが、艶もあり緩やかに三つ編みされて片側に垂らされている。

 エイブスに頼んで、お湯をたくさん沸かして貰い、今朝は夫人の洗髪と身体の清拭を入念にしたのだ。

 乾燥してパサついていた肌も唇も、今日はしっとりと潤い、肌色も今までの顔色の悪さが嘘のように明るい。

 そして強い香を焚きしめなければならないほど漂っていた、気の滅入るような不快な病人臭が部屋から消えていた。

「ええ、とても・・・気分が・・・いいの。今日は・・・ブリーが・・・髪を洗って・・・体を・・・拭いて・・・くれたの」
「お髪《ぐし》を!?」

 驚いたように彼はチラリとサブリナを見るが、サブリナは邪魔にならないよう今回も部屋の隅に控えていて、口は挟まない。

 久しぶりの親子の会話だ。この様子が見られる瞬間はいつも看護者冥利に尽きる。

 息子の驚いた顔がおかしかったのだろう、夫人は弱々しいながらも笑みを浮かべると、そう、と答えた。

 顔に疲れが滲んできたのを感じて、オーランドは、また夜に参ります、と母親の頬にキスを送ると、立ち上がった。

 シャルが子息の後について見送り、サブリナは頭を下げたまま彼が通り過ぎるのを待つ。 
また一瞬、自分の前で子息が足を止めたように感じたが、顔を上げたときにはオーランドの背は扉の向こうに消えていた。

 気のせいか、と思いつつサブリナは寝台の夫人の背中手を入れる。

「奥様、さあ、もうお休みください」
 
 夫人はふふと小さく笑う。

「ブリー、見た?・・・オーリー・・・の顔・・・」
「はい、拝見しました。驚かれていらっしゃいましたね」
「ブリーの・・・おかげ・・・」

 寝台にそっと身体を横たわらせ、布団をかけると夫人はゆっくり瞼を落としながら、そう言う。

 サブリナは「いいえ」と柔らかい声音で夫人の言葉を否定した。

「奥様が頑張っていらっしゃるからですよ。まだまだ皆さんを驚かせましょう」

 サブリナの言葉に返事はなかったが、夫人の唇はうっすらと微笑んでいた。
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