上 下
4 / 51

3 宰相公爵様とご令息

しおりを挟む
「お、お、お嬢様・・・」
「シャル、どうしてお嬢様呼びに戻ってるの?」

 サブリナは傍らのシャルに眼をやれば、彼女は緊張のためか、汗をだらだら垂らしている。

「じょ、条件反射というか・・・大きなお屋敷にいると思うと・・・侍女に戻ったような気がして・・・」

「緊張のせいよ、落ち着きなさい。私はこの屋敷の令嬢ではないわ」

 少し厳しめの声でシャルを諫める。
まあ、彼女の気持ちもわからなくはない。なぜならサブリナはウィテカー公爵家の客間にシャルといるからだ。

 シャルは元々はモントクレイユ家の使用人だった。気働きがきき、面倒見の良い性格から看護に適していると思い、サブリナが彼女を看護者として一人前に育て上げた。今ではサブリナの大切で心強い片腕だ。
 
 さすがにウィテカー宰相公爵家での住み込み看護ともなると自分一人では不足と考えて、シャルを帯同する事をウィテカー宰相に許してもらった。

 依頼から二週間、サブリナはでき得る限りの準備をして、今日、王都のウィテカー公爵家に到着した。

 そして今、サブリナはシャルと共に、非常に豪華な客間で、ウィテカー宰相との面会を待っている。

 サブリナも不安はある。看護は自信があるが、なにしろ貴族のマナーに自信がない。母に淑女の礼の仕方が正しいか見てもらったが、当の母も「大丈夫じゃないかしらー」となんとも助けにならない回答だったのだ。
 
 看護以外のところで、自分の目指すことに脚を引っ張られないかも心配だ。貴族というものは口さがない生き物だ。変な横やり入れられて、看護が出来なくなるのが嫌なのだ。

 しかし、シャルの手前、自分がしっかりしなければならない・・・やや悲壮感が滲み出そうになったところで、客間の扉が唐突に開いた。

 サブリナはサッと腰を曲げて頭を下げる。シャルも慌ててそれに倣った。

「堅苦しい礼は不要だ。面をあげよ」

 広い部屋に堂々と響く落ち着いた威厳溢れる声。

 この屋敷の主人《あるじ》そして、この国を守り統べる宰相、ウィテカー公爵ベネディクト・コリン・ワイルダーだ。

 長身に逞しい恰幅の良い体躯。すっとした鼻筋に男らしい薄く引き締まった唇。そして、なにものをも見抜くような眼光鋭い眼。

 威厳と風格溢れる堂々とした宰相の姿に、圧倒されつつも、サブリナは顔を上げると、強い眼差しに負けないように、真っ直ぐに宰相を見返して挨拶を述べた。

「お初にお目に掛かります。モントクレイユ男爵の長女、サブリナ・キティ・モントクレイユと申します。・・・ラファエル・ナーシング・ホームの看護者として参りました」

 傍らのシャルについても紹介するとウィテカー公爵は鷹揚に頷いた。

「こたびは、こちらのわがままを聞いてくれて感謝する」

 感謝、という言葉にサブリナは内心驚いた。易々とそんな言葉をこの国の宰相に言われるとは思わなかったからだ。看護に期待をしてくれているのだと感じた。
 
 サブリナは姿勢を正した。

「まだ感謝して頂くには早うございます。何もしておりません。ラファエル・ナーシング・ホームの信念の元、献身を尽くして奥様の看護を致します」
 
 行き遅れとはいっても、年若い娘からこのような矜恃に溢れた言葉が出るとは思わなかったのだろう、ウィテカー宰相は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに表情を戻すと、頷いた。

「我が妻に残された時間は・・・もう長くはない。君たちの働きに期待している」

 はいっ!と力強く返事をすると、公爵は目元を緩ませ、自分の背後に控えさせた青年を呼び寄せた。

 無表情でサブリナの前に立った彼は、艶やかなダークブロンドのサラリとした髪に、印象的な黒い瞳を持つ、非常に見目麗しい年若い男性だ。

 スラリとした中に逞しさのある体躯の偉丈夫で、モントクレイユ領内ではお目にかかったことのないタイプに、サブリナは思わずその姿に見惚れてしまった。

「我が息子で長男のオーランドだ。勉強の一環で現在は近衛騎士団に勤めている。君たちの手伝いをするので、何か必要なことなどはオーランドに言うと良い」

 そう言うとウィテカー公爵は仕事のため王城に戻るからと、部屋を出て行った。

 室内に残された令息は眉間にシワを寄せながらサブリナとシャルを交互に見ていたが、やっと口を開いた。

「ウィテカー公爵家の嫡男オーランド・トゥルー・ワイルダーだ。父が言った通り、当面の間、何かあれば自分に言え」

 尊大と丁寧さの混じった言葉に、うっかり見惚れてしまっていたサブリナは我に戻ると、かしこまりました、と頭を下げた。

 その頭に彼は容赦ない言葉を浴びせる。

「私は、看護者を付けることには反対していた」
「?!」

 彼は侮蔑めいた表情を浮かべると続ける。

「当然だろう、看護人は病で弱った人間に寄生し、死ぬまで、いや、死んでも骨までしゃぶりつくす勢いで、金品を搾取するとの評判だ。しかも、とっとと死ぬように仕向けると言うじゃないか」

 一瞬、ちらりとシャルと視線を交わす。
 
 看護者を看取りの天使と信じている人間からは往々にして、こう言った侮辱を受けることはある。
息子もそうだったのか、とサブリナは内心ムカつくが堪えると、静かに目の前の青年を見た。

 オーランドはサブリナの静かな、だが威圧感のある視線に怯んだような顔をしたが続けた。

「だが、母は看護を強く望んだ。今も具合が良くないのにお前たちと会う事を非常に楽しみにしている。だから・・・」

 彼はほんの少し辛さを黒曜石のような瞳に滲ませる。

「だから母が悲しくないよう、辛くないよう・・・絶対に苦しませるようなことはしないでくれ」
 
 サブリナは先程までのムカついた気持ちが今の言葉で静まるのを感じた。

 お優しい方だ、心からお母様を愛していらっしゃる。

 間近できっと母の闘病を見てきたのだろう。言葉の中に、母親の安寧を切望しているのが強く伝わってきた。

 だから死に近いと悪い噂が付き纏うラファエル・ナーシング・ホームの看護でも、苦しむ母のためならと反対する心を抑えたのだ。

 サブリナは青年のその気持ちに頭を下げると、看護者としての誇りを胸に彼に告げた。

「もちろんでございます。私は奥様を苦しめることは絶対に致しません」

 キッパリと告げるサブリナの強い眼差しをオーランドは眩しそうに見つめると、ふいっと視線を逸らして、踵を返した。

「ついて来い、母のところへ案内する」

 サブリナはホッと緊張の糸を緩めると、逞しい背中の後を追った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~

真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

それぞれのその後

京佳
恋愛
婚約者の裏切りから始まるそれぞれのその後のお話し。 ざまぁ ゆるゆる設定

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

恋人は戦場の聖母

嘉多山瑞菜
恋愛
グレート・ドルトン王国の第二王子 クリスティアン・アレックスは敵兵に夜襲にあい、命からがら塹壕に逃げ込んだ。 負傷のせいで遠のく意識の中で感じたのは、その場にあり得ない誰かの優しい手と香り、、、 無事に生還できた第二王子は【命の恩人】探しを始めるが、簡単かと思いきや恩人探しはなかなか手がかりが出てこない。 そんな中やっと掴んだ情報は ———戦場の聖母マドンナと呼ばれる匿名の報道カメラマンだった。 誰をも魅了する女性慣れした現代の王子様と、勇気があるけど、奥手で恋を知らない女性が、じれったいけど少しづつ心を通わせわていく。 王子の一目惚れと見初められた女性が、様々な困難を乗り越えて、繰り広げていく溺愛ラブストーリー。 別名【王子頑張れ物語?!】 どうか読む人皆さまの胸がキュンキュンしますように。 ※ヒーローとヒロインの出会いまでに時間がかかります。 ※作者の好みを詰め込んだご都合主義の王道恋物語です。 ※緩い現代の設定です。 ※後半、戦争表現が若干あります。 ※日本以外の国名、団体名はフィクションです。 ———————————- 完結まで、毎日、数話ずつ更新します!

処理中です...