16 / 17
16.ネットの男
しおりを挟む
仕事を終え繁華街を歩いていた。ネオン街の中は居心地が悪いことは無かった。水商売についてみようと思ったこともないでもなかった。しかし、それは母に裏切られた父をさらに裏切る行為の様に思えた。それから、母の二の舞になるのはなんと何なく厭で、なんとなく止めていた。一ノ瀬の父は、出ていった妻の面影を、強く外見の血を引いた一ノ瀬に感じていたらしかった。だから、時折手あげては、追々後悔して、一ノ瀬に謝るのだった。
「お前のその顔が!たまらなく厭なんだ!」
一ノ瀬が高校二年生になったばかりの時、父は酔っぱらって家に帰ってきた。そして、つまらないことで一ノ瀬と父との間で喧嘩になり、父はそう口走ったのだった。彼は言ってしまってから、しまったという顔をして、目を逸らし、「どんどんと似てきやがるんだからな……やっぱりあの時……」とぼそぼそと呟き、逃げるように家を出ていった。一ノ瀬はしばらくその場に呆然と立ち尽くし、父の言葉を反芻していた。
やっぱりあの時、なんだ?様々な邪悪なことがらが頭の中に浮かんでは消えた。母さん、今、どこにいるんですか、と心の中で呼びかけた。同じ顔を持つ女。あなたがここにいたならば、こんなに傷つかなくて済んだのですよ。
一ノ瀬は寝れないまま、リビングでテレビを見ながら朝を迎えた。父は明朝5時ころに帰ってきた。すっかり酔いは冷めたらしく、何事も無かったかように普段通り接してきて「昨日は悪かったな」と普段通りに謝っていたが、一ノ瀬は父の言葉を忘れず、今もまさにそう思っているのだろうと思うと、父の前にこうして、姿を現すこと自体が、申し訳なく思えた。
その日は高校の美術の授業で、ヤスリを扱っていた。彫刻の授業だ。ヤスリで木材を奇麗に削っていく。一ノ瀬は自分の創った熊の木彫りを削りながら、このヤスリで己の顔を磨いて帰ったら父は喜ぶだろうかと一削りごとに考えていた。そうすると、指に異常に力が入り、手が震え、削らなくてもいい場所まで深く削ってしまう。汗が木彫りに染みた。そうやって出来上がった熊は誰の彫刻より醜く思えた。木村や伊東が馬鹿笑いしてくれたから、まだ良かった。
「本当お前はガワだけだよな。」
誰かが言っていた。伊東だったかもしれない。
水商売をやってみたとして、人間関係をうまく構築できる自信も無かった。結局のところ水商売で儲けるのに必要なのは卓越したコミュニケーション能力で、セックスの能力はその次の段階の話になる。表面的なコミュニケーションであれば、いくらでもとれるだろう。母もきっとそうやって生きていたのだろうと今、勝手に考えている。だってそうじゃないか?母がコミュニケーション能力の天才であったなら、何故それ「は」遺伝しないのだ。不要な物ばかり遺伝させやがる。だったら風俗で働いた方がまだイケるような気がしたが、やはり父のことを、母のことを考えてしまう。そして、何かに負けたように感じてしまう。今やっていることだって、限りなくグレーいやほとんど黒だとわかっていたが、他にうまく生きる術を知らない。誰も教えてくれない。どうしてみんなうまく生きられる。
それっぽいことを口にして話を合わせて相手を愉しませることは難しいことではなかったが、途中で何もかも馬鹿らしくなってきてしまう。一度バイトでそういう席、つまり、ホストをしてみたことがあるが、一週間でクビになった。理由もわかっている。あまりにも疲れて、やめたいがために、№1の人間の横でヘルプについて、ひらすらに彼の真似をしていた。すると、客が次々自分の方に釣れるようになるのである。店の中の全視線がこちらに集中し、店をきらめかせる装飾、光、他のホストまで、店にあるあらゆる物全てが、一ノ瀬のためだけに存在しているようであった。簡単なことだった。すぐに№1の男と取り巻き連中、派閥の連中からのいじめが始まりかけ、逆にそれまで№1が気にくわなかった連中が一ノ瀬をもちあげて新たな派閥をつくろうとし、戦争になった。そうして、店の人間関係をぐちゃぐちゃに終わらせて、辞めた。オーナー的にはもちろん儲けを優先したいだろうが、1人の人間のせいで他の人間が全員辞めかねない事態の方がさけたいだろう。オーナーに申し訳なさそうな顔をさせたことには、唯一心が痛んだ。
「君はこういう仕事に向いていないよ。」
「そうでしょうね。」
「あまりにも良すぎるから。」
「知ってます。」
人生そのものが喜劇のようなものだというのに、その上でさらに演じて、一体何になる。本当の自分というものはどこにある?互いに口で表面的な何かを言い合って、一体自分の何が伝わっているというのか?そんな面倒なことよりも、てっとりばやく身体を重ねたほうが真実、真理に到達しやすい。
真実、それは人は結局何をしようと一人であるということだ。性行為という直接的な結合を行ったとして、その後にさらにはっきりとした孤独を感じる。表面的な舐めあいよりもはっきりとした結合と断絶を感じる。
「一ノ瀬……」
耳元でノイズのような低い声がした。近すぎる位すぐ背後にパーカーを深くかぶった男が立っていた。会社を出た時からずっと彼につけられていることはわかっていた。だから繁華街に出たのだった。家に直帰して勝手に家の中に踏み込まれると面倒だった。一ノ瀬は彼を振り返り、微笑んだ。
「あ、蝉丸君。久しぶりじゃないか。」
蝉丸は、件のネット掲示板の管理人だ。有益な情報を無償で提供してくれる男。そして、一度ネット上にあふれた一ノ瀬の若気の至りを消して回った男。以前にも何度かあったことがあり、高校以来のつきあいである。一ノ瀬は向こうのハンドルネームの蝉丸しか知らないが、蝉丸は一ノ瀬の情報をよく知っている。時に、一ノ瀬が把握している以上に一ノ瀬について知っているだった。
「少し飲まないか。」
「前もって連絡してくれればいいのに。何故君はいつもそうなんだよ。」
一ノ瀬は距離をとるように大股で二歩三歩と前にあるいた。
「悪いと思っているよ。でも衝動的にしか動けないんだ。」
蝉丸は一ノ瀬にすり寄って歩きたがる。
「それでよく掲示板の治安を維持できるよね。現実では不自由、インターネットの中では自由か?」
「そんな感じ。」
蝉丸と連れたって適当な酒屋に入った。二人連れの女と目が合っていた。いけるな、蝉丸を伴って彼女たちと相席してやろうかと考えたが、蝉丸がさっさと近くの席に座ってパーカーのフードを脱いだ。耳元でピアスが五六個光る。一ノ瀬は、舌打ちをして蝉丸の向かいに座った。蝉丸はどすの利いた声と対称的に、よく見れば子犬か少女かを連想させるような顔をしていた。それでいてほとんど薄暗い家にこもってモニターを見ているのだからもったない。
「よく俺の居場所が分かったな。」
「今日は浅井乳業、サンコーマート、ねむの木商会と回ってきただろ。」
蝉丸は萌え袖にしている手元から青白い人差し指を出して、浅井乳業、サンコーマート、ねむの木商会の方角を指さして微笑んだ。
「……きもちわるいよお前。」
一ノ瀬が言うと、蝉丸は愉し気ににこにこと笑った。
「んで、どうだった?浅井乳業専務のデカチンポは。メス牛みたくいっぱいミルクが出たか~?」
「おいおい、初手の話題として品が無さ過ぎるな。まあ、引きこもりのコミュニケーション能力などそんなものか。そして、それが面白いことに全然出ないんだな、これが。見かけだけのとんだ種なし野郎だったよ。」
蝉丸に聞かれるがままに、最近の性事情を話していた。楽だった。コミュニケーションの方法が壊れている相手と話す場合、こっちも気を使わなくて済む。蝉丸はテーブルに頬杖をつきながら嬉しそうに聞いていた。「君がまたそういうこと始めたと知ってから、俺は毎日が楽しいよ。」
彼はふふふ、と笑ってジョッキに口をつけた。彼の舌にはピアスがついており、カチカチ音を立てる。
「これを見てくれよ。」
差し出されたスマホの画面に3DCGで創られた半裸の男性が映し出さていた。最近のCGはクオリティが高い。その男性は一ノ瀬によく似ていた。顔から、今の髪形、乳首の感じまで。
「これは俺か?」
「そうだよ。俺が作ったお前だ。なかなかのできだろ。こうすると……」
蝉丸がスマホの上で指を動かすと、スマホの中の彼は全裸になった。
「じゃじゃーん!」
指がスマホの上で大きくピースサインを作り、指と指の間で、男性器が画面いっぱいに拡大された。性器の感じまで一ノ瀬によく似ていた。ちょうど注文を運びに来た男性店員がぎょっとした目でスマホを見て、見なかったふりをするように遠くを見ながら配膳をしていた。女性店員でなくて良かった。
「……。暇なのか?お前。こんなの創って何の意味があるんだよ。こんなもの俺に見せて喜ぶとでも思った?」
「意味ならあるよ。これはVR用なんだ。これを使って俺は毎日お前とまぐわっているわけだよ。くくく……。このモデルは俺専用だけど、一ノ瀬モデルを元に作った他のモデルは販売してて、これが結構儲かるんだな!皆セックスしたいんだよ~。男モデルも女モデルもあるんだ。」
「……。あ、そう。やっぱり暇なんだな。蝉丸君て。でも、そいつは俺じゃない、バーチャルだよ。」
「でも、そろそろアップデートしたくなってな。お前について俺が知らない部分がでてきたかもしれないし……。」
蝉丸は急にもじもじとして顔を赤らめ始めた。今さら何を恥じる。ところで、最後に蝉丸と会って性行為に及んだのはいつだったか一ノ瀬は頭をひねって考えたが、思い出せない。
一ノ瀬は顔を微妙に俯かせた蝉丸を覗き込んで微笑んだ。
「なるほどね~。良いぜ別に。無料で情報ばっかり頂いてるのも悪いと思ってたところさ、今日は種なし野郎のおかげでもう一発くらいできる余力あるからな。俺の肉体について情報提供してやるから、ついでにもっといい情報もくれよ。頼んだぜ、蝉丸君。」
◆
「あ゛っ、やっぱ、ほんものはちがう、あったかいっ」
一ノ瀬の下で蝉丸が喘いでいた。半開きになった口の中で、舌が探るように動いているのを一ノ瀬は見降ろして、身体を浮かしてはまた、落とし、ふぅ、と、息をついた。繁華街から少し歩けば、腐るほど薄汚いラブホテルがある。同性では言って問題ないホテルは蝉丸も一ノ瀬も大体知っていた。部屋の一面に大きな鏡の張られた部屋だった。
「ん……っ、まあ、それは、そうだろ…っ…まけてらんね、」
蝉丸にそう言って顔をあげると鏡の中の自分と目が合った。
「なめるなよ……」
一ノ瀬が身体を、とす、とす、と、上下に揺さぶるたびに、豊かで厚い肉襞の中に深々と突き立てられたパンパンに膨らんだペニスの凹凸が、肉からにじみ出た粘液を擦り立てて音を立てる。ペニスの凹凸には、小さなピアスが含まれていた。ちりばめられたピアスの絶妙な凸が、一ノ瀬のすっかり熟れた体内で、欲するまま敏感に膨らんだ個所を、こそばゆく磨くように引っ掻くのだった。
「んん……っ」
ぞくぞくと身体に快楽が湧きおこり、下半身が蕩けていく。眉間にしわが寄り、口角が上がって、口内に熱い涎が溜まってきた。
「ん……」
口から零れ落ちる前に、掌に透明な液を吐き出し、手の中でくちくちといじり、蝉丸の青白い胸になすりつけた。日に当たっていない精で透き通るように病的な色の皮膚の上で乳首だけが薄っすらと場違いに桃色をして浮き上がって立ち上がっていた。そこをこすりたててやりながら、続きをする。蝉丸も一ノ瀬に手を伸ばし、触れようとするのを、一ノ瀬が手で払って拒絶した。蝉丸は何も言わず大人しく手を引っ込める。
中を締めたて、どすんと重く、しかし丁寧に、機械のような精密さで腰を打ち付けていった。ふぅ、と息をつく。息は腹の底から出ていく。腹から出た息と一緒に、神経を擽る快感が背筋を伝って口から出ていくようだった。全身の細胞がじくじくと粟立ち、その境目を失いそうになる中で、もっともっと、と、自分を消したい、と、股を開き、腰を揺らした。下から、断続的な快楽の底に居るような蝉丸の低い濁った声が聞こえてくる。一ノ瀬は、蝉丸の喘ぎの調子を確認しながら、だんだんと体の動きを緩めていった。動きすぎて、足の筋が張ってきていた。流石に今日一日分の疲れが出てきたようである。結合したまま上半身を前に倒してベッドに手を突き、蝉丸の上に覆いかぶさった。相互の体温が皮膚の上で混ざり合い、体温さえ共有していく。
「ふぅ……、……ピアスの位置を、変えたよな?よくできるよな、いたそー……」
一ノ瀬は、蝉丸に腕を回しながら上半身の力を抜いて身体をあずけ、また何かを探るように下半身を締めたてた。コリコリと中で肉同士が擦れあって、高まり、温まっていく。
「ぁぁ……」
耳を擽る声、どちらが出した声かさえわからなかった。交尾をしていると、相手が気持ちいいのがわかる、何を言っても、言わなくてもわかる。
「ピアスのこと、今気が付いたんだ……、挿れてから気が付くとは、一ノ瀬らしいな。そう、ここが一番お前に効くかな、と思って、わざわざかえたんだ、どう?いい?」
突き上げるように肉棒が上へと動き、肉の奥の方で渦巻いていた快感が突かれる度に破裂して下腹部を中心にして全身に拡がっていった、頭がぼんやりとしてくる。へぇ、俺のためにねぇ、とは言わず一ノ瀬は舌先を蝉丸の形のいい耳の中に入れた。苦い味だった。ん、ん、と蝉丸が頭をくすぐったそうに揺らして笑っていた。味がなくなってきて舌を引っ込めた。蝉丸の腕を撫でて手首に触れ、掴んだ。青い血管の下で、熱い血液が早いスピードで流れていく。
「VRで練習するのも、全く意味ないわけじゃないってことね。悪くないよ。」
手首を握ったまま、再び身体を起こして、動き始めた。手は繋ぎたくなかった。そのまま蝉丸の手をひぱって、一ノ瀬自身の肉棒に触れさせた。
「触りたかったんだろ。いいよ、触ってくれ、存分に違いを確認して覚えて帰ってくれよ。使い込みすぎて黒くなったなんてこと、無いと思うけどね。……ん、どう?あったかい?」
肉棒を握る蝉丸の手を上から握って、一瞬だけ、その確かな感触を確かめた。それから、上下に動かすように誘導していった。熱を帯びパンパンに膨れ上がった桃色の肉塊が二人の手の中でさらに大きく育っていき、芳醇な香りが溢れ出た。
「前より、良いよ。触った感じも、ぜんぶ、ほんものだから、」
「そうか、そうだろう……」
「ふつう、加齢と共に、悪い成長をするものだけどね、俺みたく、」
「俺みたく?」
一ノ瀬は蝉丸の手の上から手を離し、また覆いかぶさるようにして蝉丸の顔に触れた。
「別に、俺は君のピアスの位置が変わったくらいしか違いを感じられないけれどね、」
蝉丸は何も言わなくなったが、どこか陶然として、赤らんだ顔のまま一ノ瀬を見上げ、肉棒をつきたてたままドクドクとしていた。一ノ瀬は、こうやって相手から何かを搾り取っていく感覚がたまらなく好きであった。そのまま動いている内に、先に蝉丸が果て、彼は疲労の中、自身の快を返すように一ノ瀬のモノをしごいた。
◆
「いらないけど……。」
事後、ぼんやりと喫煙しながらベッドに寝ころんでいた一ノ瀬の目の前に、VRの機材一式が転がっていた。
「こんなゴミじゃなく、男の情報をくれよ。こんなのなくても間に合ってるんだよっ」
蝉丸に煙草の煙を吹きかけたが、やはり嫌な顔一つせず嬉しそうにするのだった。
「セックス以外にも使えるんだよ。お前意外とゲームとかやるんだろ?いろいろデータいれておいたから、試しにやってみろ。ま、要らなかったら売ればいいし。結構いい金になるよ。」
蝉丸にそう言われて押し付けられては返す理由もなく、機材一式を紙袋に入れて持ち帰った。後日、PCにつないで確認すると確かに面白そうなゲームのデータもあり、興味をそそられないでもなかった。
「ん、なんだこれ。」
ゲームデータの中でタイトルが浮いてるものがいくつか混ざっていた。
『快感体験どぴゅどぴゅ触手プレイ』
『スーパー機械姦DX』
『せっくすわんわんらいふ2』
「頭がおかしい……」
ゲームをやりながらも謎のタイトルが頭の中をチラつき、離れない。
「くそ……くそ……」
気が付くと、『快感体験どぴゅどぴゅ触手プレイ』をプレイしながら、長谷部から届いた最新のオナホを使っている。オナニーとは思えない新しい快楽を発見したが、ヘッドギアを外した後の虚無感と言ったらなかった。びっしょりと汗ばんだ身体をベッドに横たえ脱力し、自己嫌悪に丸まっていた。虚無の中、携帯の通知が鳴り、スマホの画面を覗いた。
『よかったろ?^^』
「……。」
そんなことだろうと思った。どうせヘッドギアかどこかに盗聴器か何か仕込んでいるに違いないのだ。でも別に蝉丸に痴態を見られることくらい、どうということも無かった。それくらいで今まで通りの関係性が続くなら。
「お前のその顔が!たまらなく厭なんだ!」
一ノ瀬が高校二年生になったばかりの時、父は酔っぱらって家に帰ってきた。そして、つまらないことで一ノ瀬と父との間で喧嘩になり、父はそう口走ったのだった。彼は言ってしまってから、しまったという顔をして、目を逸らし、「どんどんと似てきやがるんだからな……やっぱりあの時……」とぼそぼそと呟き、逃げるように家を出ていった。一ノ瀬はしばらくその場に呆然と立ち尽くし、父の言葉を反芻していた。
やっぱりあの時、なんだ?様々な邪悪なことがらが頭の中に浮かんでは消えた。母さん、今、どこにいるんですか、と心の中で呼びかけた。同じ顔を持つ女。あなたがここにいたならば、こんなに傷つかなくて済んだのですよ。
一ノ瀬は寝れないまま、リビングでテレビを見ながら朝を迎えた。父は明朝5時ころに帰ってきた。すっかり酔いは冷めたらしく、何事も無かったかように普段通り接してきて「昨日は悪かったな」と普段通りに謝っていたが、一ノ瀬は父の言葉を忘れず、今もまさにそう思っているのだろうと思うと、父の前にこうして、姿を現すこと自体が、申し訳なく思えた。
その日は高校の美術の授業で、ヤスリを扱っていた。彫刻の授業だ。ヤスリで木材を奇麗に削っていく。一ノ瀬は自分の創った熊の木彫りを削りながら、このヤスリで己の顔を磨いて帰ったら父は喜ぶだろうかと一削りごとに考えていた。そうすると、指に異常に力が入り、手が震え、削らなくてもいい場所まで深く削ってしまう。汗が木彫りに染みた。そうやって出来上がった熊は誰の彫刻より醜く思えた。木村や伊東が馬鹿笑いしてくれたから、まだ良かった。
「本当お前はガワだけだよな。」
誰かが言っていた。伊東だったかもしれない。
水商売をやってみたとして、人間関係をうまく構築できる自信も無かった。結局のところ水商売で儲けるのに必要なのは卓越したコミュニケーション能力で、セックスの能力はその次の段階の話になる。表面的なコミュニケーションであれば、いくらでもとれるだろう。母もきっとそうやって生きていたのだろうと今、勝手に考えている。だってそうじゃないか?母がコミュニケーション能力の天才であったなら、何故それ「は」遺伝しないのだ。不要な物ばかり遺伝させやがる。だったら風俗で働いた方がまだイケるような気がしたが、やはり父のことを、母のことを考えてしまう。そして、何かに負けたように感じてしまう。今やっていることだって、限りなくグレーいやほとんど黒だとわかっていたが、他にうまく生きる術を知らない。誰も教えてくれない。どうしてみんなうまく生きられる。
それっぽいことを口にして話を合わせて相手を愉しませることは難しいことではなかったが、途中で何もかも馬鹿らしくなってきてしまう。一度バイトでそういう席、つまり、ホストをしてみたことがあるが、一週間でクビになった。理由もわかっている。あまりにも疲れて、やめたいがために、№1の人間の横でヘルプについて、ひらすらに彼の真似をしていた。すると、客が次々自分の方に釣れるようになるのである。店の中の全視線がこちらに集中し、店をきらめかせる装飾、光、他のホストまで、店にあるあらゆる物全てが、一ノ瀬のためだけに存在しているようであった。簡単なことだった。すぐに№1の男と取り巻き連中、派閥の連中からのいじめが始まりかけ、逆にそれまで№1が気にくわなかった連中が一ノ瀬をもちあげて新たな派閥をつくろうとし、戦争になった。そうして、店の人間関係をぐちゃぐちゃに終わらせて、辞めた。オーナー的にはもちろん儲けを優先したいだろうが、1人の人間のせいで他の人間が全員辞めかねない事態の方がさけたいだろう。オーナーに申し訳なさそうな顔をさせたことには、唯一心が痛んだ。
「君はこういう仕事に向いていないよ。」
「そうでしょうね。」
「あまりにも良すぎるから。」
「知ってます。」
人生そのものが喜劇のようなものだというのに、その上でさらに演じて、一体何になる。本当の自分というものはどこにある?互いに口で表面的な何かを言い合って、一体自分の何が伝わっているというのか?そんな面倒なことよりも、てっとりばやく身体を重ねたほうが真実、真理に到達しやすい。
真実、それは人は結局何をしようと一人であるということだ。性行為という直接的な結合を行ったとして、その後にさらにはっきりとした孤独を感じる。表面的な舐めあいよりもはっきりとした結合と断絶を感じる。
「一ノ瀬……」
耳元でノイズのような低い声がした。近すぎる位すぐ背後にパーカーを深くかぶった男が立っていた。会社を出た時からずっと彼につけられていることはわかっていた。だから繁華街に出たのだった。家に直帰して勝手に家の中に踏み込まれると面倒だった。一ノ瀬は彼を振り返り、微笑んだ。
「あ、蝉丸君。久しぶりじゃないか。」
蝉丸は、件のネット掲示板の管理人だ。有益な情報を無償で提供してくれる男。そして、一度ネット上にあふれた一ノ瀬の若気の至りを消して回った男。以前にも何度かあったことがあり、高校以来のつきあいである。一ノ瀬は向こうのハンドルネームの蝉丸しか知らないが、蝉丸は一ノ瀬の情報をよく知っている。時に、一ノ瀬が把握している以上に一ノ瀬について知っているだった。
「少し飲まないか。」
「前もって連絡してくれればいいのに。何故君はいつもそうなんだよ。」
一ノ瀬は距離をとるように大股で二歩三歩と前にあるいた。
「悪いと思っているよ。でも衝動的にしか動けないんだ。」
蝉丸は一ノ瀬にすり寄って歩きたがる。
「それでよく掲示板の治安を維持できるよね。現実では不自由、インターネットの中では自由か?」
「そんな感じ。」
蝉丸と連れたって適当な酒屋に入った。二人連れの女と目が合っていた。いけるな、蝉丸を伴って彼女たちと相席してやろうかと考えたが、蝉丸がさっさと近くの席に座ってパーカーのフードを脱いだ。耳元でピアスが五六個光る。一ノ瀬は、舌打ちをして蝉丸の向かいに座った。蝉丸はどすの利いた声と対称的に、よく見れば子犬か少女かを連想させるような顔をしていた。それでいてほとんど薄暗い家にこもってモニターを見ているのだからもったない。
「よく俺の居場所が分かったな。」
「今日は浅井乳業、サンコーマート、ねむの木商会と回ってきただろ。」
蝉丸は萌え袖にしている手元から青白い人差し指を出して、浅井乳業、サンコーマート、ねむの木商会の方角を指さして微笑んだ。
「……きもちわるいよお前。」
一ノ瀬が言うと、蝉丸は愉し気ににこにこと笑った。
「んで、どうだった?浅井乳業専務のデカチンポは。メス牛みたくいっぱいミルクが出たか~?」
「おいおい、初手の話題として品が無さ過ぎるな。まあ、引きこもりのコミュニケーション能力などそんなものか。そして、それが面白いことに全然出ないんだな、これが。見かけだけのとんだ種なし野郎だったよ。」
蝉丸に聞かれるがままに、最近の性事情を話していた。楽だった。コミュニケーションの方法が壊れている相手と話す場合、こっちも気を使わなくて済む。蝉丸はテーブルに頬杖をつきながら嬉しそうに聞いていた。「君がまたそういうこと始めたと知ってから、俺は毎日が楽しいよ。」
彼はふふふ、と笑ってジョッキに口をつけた。彼の舌にはピアスがついており、カチカチ音を立てる。
「これを見てくれよ。」
差し出されたスマホの画面に3DCGで創られた半裸の男性が映し出さていた。最近のCGはクオリティが高い。その男性は一ノ瀬によく似ていた。顔から、今の髪形、乳首の感じまで。
「これは俺か?」
「そうだよ。俺が作ったお前だ。なかなかのできだろ。こうすると……」
蝉丸がスマホの上で指を動かすと、スマホの中の彼は全裸になった。
「じゃじゃーん!」
指がスマホの上で大きくピースサインを作り、指と指の間で、男性器が画面いっぱいに拡大された。性器の感じまで一ノ瀬によく似ていた。ちょうど注文を運びに来た男性店員がぎょっとした目でスマホを見て、見なかったふりをするように遠くを見ながら配膳をしていた。女性店員でなくて良かった。
「……。暇なのか?お前。こんなの創って何の意味があるんだよ。こんなもの俺に見せて喜ぶとでも思った?」
「意味ならあるよ。これはVR用なんだ。これを使って俺は毎日お前とまぐわっているわけだよ。くくく……。このモデルは俺専用だけど、一ノ瀬モデルを元に作った他のモデルは販売してて、これが結構儲かるんだな!皆セックスしたいんだよ~。男モデルも女モデルもあるんだ。」
「……。あ、そう。やっぱり暇なんだな。蝉丸君て。でも、そいつは俺じゃない、バーチャルだよ。」
「でも、そろそろアップデートしたくなってな。お前について俺が知らない部分がでてきたかもしれないし……。」
蝉丸は急にもじもじとして顔を赤らめ始めた。今さら何を恥じる。ところで、最後に蝉丸と会って性行為に及んだのはいつだったか一ノ瀬は頭をひねって考えたが、思い出せない。
一ノ瀬は顔を微妙に俯かせた蝉丸を覗き込んで微笑んだ。
「なるほどね~。良いぜ別に。無料で情報ばっかり頂いてるのも悪いと思ってたところさ、今日は種なし野郎のおかげでもう一発くらいできる余力あるからな。俺の肉体について情報提供してやるから、ついでにもっといい情報もくれよ。頼んだぜ、蝉丸君。」
◆
「あ゛っ、やっぱ、ほんものはちがう、あったかいっ」
一ノ瀬の下で蝉丸が喘いでいた。半開きになった口の中で、舌が探るように動いているのを一ノ瀬は見降ろして、身体を浮かしてはまた、落とし、ふぅ、と、息をついた。繁華街から少し歩けば、腐るほど薄汚いラブホテルがある。同性では言って問題ないホテルは蝉丸も一ノ瀬も大体知っていた。部屋の一面に大きな鏡の張られた部屋だった。
「ん……っ、まあ、それは、そうだろ…っ…まけてらんね、」
蝉丸にそう言って顔をあげると鏡の中の自分と目が合った。
「なめるなよ……」
一ノ瀬が身体を、とす、とす、と、上下に揺さぶるたびに、豊かで厚い肉襞の中に深々と突き立てられたパンパンに膨らんだペニスの凹凸が、肉からにじみ出た粘液を擦り立てて音を立てる。ペニスの凹凸には、小さなピアスが含まれていた。ちりばめられたピアスの絶妙な凸が、一ノ瀬のすっかり熟れた体内で、欲するまま敏感に膨らんだ個所を、こそばゆく磨くように引っ掻くのだった。
「んん……っ」
ぞくぞくと身体に快楽が湧きおこり、下半身が蕩けていく。眉間にしわが寄り、口角が上がって、口内に熱い涎が溜まってきた。
「ん……」
口から零れ落ちる前に、掌に透明な液を吐き出し、手の中でくちくちといじり、蝉丸の青白い胸になすりつけた。日に当たっていない精で透き通るように病的な色の皮膚の上で乳首だけが薄っすらと場違いに桃色をして浮き上がって立ち上がっていた。そこをこすりたててやりながら、続きをする。蝉丸も一ノ瀬に手を伸ばし、触れようとするのを、一ノ瀬が手で払って拒絶した。蝉丸は何も言わず大人しく手を引っ込める。
中を締めたて、どすんと重く、しかし丁寧に、機械のような精密さで腰を打ち付けていった。ふぅ、と息をつく。息は腹の底から出ていく。腹から出た息と一緒に、神経を擽る快感が背筋を伝って口から出ていくようだった。全身の細胞がじくじくと粟立ち、その境目を失いそうになる中で、もっともっと、と、自分を消したい、と、股を開き、腰を揺らした。下から、断続的な快楽の底に居るような蝉丸の低い濁った声が聞こえてくる。一ノ瀬は、蝉丸の喘ぎの調子を確認しながら、だんだんと体の動きを緩めていった。動きすぎて、足の筋が張ってきていた。流石に今日一日分の疲れが出てきたようである。結合したまま上半身を前に倒してベッドに手を突き、蝉丸の上に覆いかぶさった。相互の体温が皮膚の上で混ざり合い、体温さえ共有していく。
「ふぅ……、……ピアスの位置を、変えたよな?よくできるよな、いたそー……」
一ノ瀬は、蝉丸に腕を回しながら上半身の力を抜いて身体をあずけ、また何かを探るように下半身を締めたてた。コリコリと中で肉同士が擦れあって、高まり、温まっていく。
「ぁぁ……」
耳を擽る声、どちらが出した声かさえわからなかった。交尾をしていると、相手が気持ちいいのがわかる、何を言っても、言わなくてもわかる。
「ピアスのこと、今気が付いたんだ……、挿れてから気が付くとは、一ノ瀬らしいな。そう、ここが一番お前に効くかな、と思って、わざわざかえたんだ、どう?いい?」
突き上げるように肉棒が上へと動き、肉の奥の方で渦巻いていた快感が突かれる度に破裂して下腹部を中心にして全身に拡がっていった、頭がぼんやりとしてくる。へぇ、俺のためにねぇ、とは言わず一ノ瀬は舌先を蝉丸の形のいい耳の中に入れた。苦い味だった。ん、ん、と蝉丸が頭をくすぐったそうに揺らして笑っていた。味がなくなってきて舌を引っ込めた。蝉丸の腕を撫でて手首に触れ、掴んだ。青い血管の下で、熱い血液が早いスピードで流れていく。
「VRで練習するのも、全く意味ないわけじゃないってことね。悪くないよ。」
手首を握ったまま、再び身体を起こして、動き始めた。手は繋ぎたくなかった。そのまま蝉丸の手をひぱって、一ノ瀬自身の肉棒に触れさせた。
「触りたかったんだろ。いいよ、触ってくれ、存分に違いを確認して覚えて帰ってくれよ。使い込みすぎて黒くなったなんてこと、無いと思うけどね。……ん、どう?あったかい?」
肉棒を握る蝉丸の手を上から握って、一瞬だけ、その確かな感触を確かめた。それから、上下に動かすように誘導していった。熱を帯びパンパンに膨れ上がった桃色の肉塊が二人の手の中でさらに大きく育っていき、芳醇な香りが溢れ出た。
「前より、良いよ。触った感じも、ぜんぶ、ほんものだから、」
「そうか、そうだろう……」
「ふつう、加齢と共に、悪い成長をするものだけどね、俺みたく、」
「俺みたく?」
一ノ瀬は蝉丸の手の上から手を離し、また覆いかぶさるようにして蝉丸の顔に触れた。
「別に、俺は君のピアスの位置が変わったくらいしか違いを感じられないけれどね、」
蝉丸は何も言わなくなったが、どこか陶然として、赤らんだ顔のまま一ノ瀬を見上げ、肉棒をつきたてたままドクドクとしていた。一ノ瀬は、こうやって相手から何かを搾り取っていく感覚がたまらなく好きであった。そのまま動いている内に、先に蝉丸が果て、彼は疲労の中、自身の快を返すように一ノ瀬のモノをしごいた。
◆
「いらないけど……。」
事後、ぼんやりと喫煙しながらベッドに寝ころんでいた一ノ瀬の目の前に、VRの機材一式が転がっていた。
「こんなゴミじゃなく、男の情報をくれよ。こんなのなくても間に合ってるんだよっ」
蝉丸に煙草の煙を吹きかけたが、やはり嫌な顔一つせず嬉しそうにするのだった。
「セックス以外にも使えるんだよ。お前意外とゲームとかやるんだろ?いろいろデータいれておいたから、試しにやってみろ。ま、要らなかったら売ればいいし。結構いい金になるよ。」
蝉丸にそう言われて押し付けられては返す理由もなく、機材一式を紙袋に入れて持ち帰った。後日、PCにつないで確認すると確かに面白そうなゲームのデータもあり、興味をそそられないでもなかった。
「ん、なんだこれ。」
ゲームデータの中でタイトルが浮いてるものがいくつか混ざっていた。
『快感体験どぴゅどぴゅ触手プレイ』
『スーパー機械姦DX』
『せっくすわんわんらいふ2』
「頭がおかしい……」
ゲームをやりながらも謎のタイトルが頭の中をチラつき、離れない。
「くそ……くそ……」
気が付くと、『快感体験どぴゅどぴゅ触手プレイ』をプレイしながら、長谷部から届いた最新のオナホを使っている。オナニーとは思えない新しい快楽を発見したが、ヘッドギアを外した後の虚無感と言ったらなかった。びっしょりと汗ばんだ身体をベッドに横たえ脱力し、自己嫌悪に丸まっていた。虚無の中、携帯の通知が鳴り、スマホの画面を覗いた。
『よかったろ?^^』
「……。」
そんなことだろうと思った。どうせヘッドギアかどこかに盗聴器か何か仕込んでいるに違いないのだ。でも別に蝉丸に痴態を見られることくらい、どうということも無かった。それくらいで今まで通りの関係性が続くなら。
13
お気に入りに追加
201
あなたにおすすめの小説
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
塾の先生を舐めてはいけません(性的な意味で)
ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
個別指導塾で講師のアルバイトを始めたが、妙にスキンシップ多めで懐いてくる生徒がいた。
そしてやがてその生徒の行為はエスカレートし、ついに一線を超えてくる――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる