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お前は最高の猟犬だよ。
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その檜風呂は一人で入るにしてはあまりにも広く、風呂場の壁の一面は完全ガラス張りになっていた。遠くに微かに塀らしき影が見える。屋敷の門から入口まで建てられた灯篭の炎が輝いて揺れ、闇の中に紅い路を描き周囲を照らしている。炎の灯の届く位置につい昨日まで自分が押し込められていたケージが見えた。霧野が今、腕をかけ足を延ばしても、同じ体格の人間があと十人は軽く入れそうな湯船からも、それはよく見えた。
中で、影が三つ蠢いていた。あちら側から見た時には、ただ周囲の闇の向こう側に薄っすらと黒い壁が見えていただけだった。
「四頭押し込めるには狭すぎる。」川名が言った。
「今日くらいは外に出て良い、お前が勝ったから。それでいいな。」
だから今残りの三頭がケージの中にいれられている。間宮は何も言わず従った。誰とも目を合わせようとしない。
どうして咄嗟に「許してやってくれ」などと口走って彼のことをかばったか。その理由は、間宮の中にあった。間宮の肉体が死ぬと、殆ど期待してないが、まだ在るかもしれない黒木の意識も死ぬだろうと霧野は思った。咄嗟の判断だった。黒木には借りがあった。
霧野は庭を眺めるのをやめ、風呂の入口の方へ視線をずらした。曇りガラスの向こう側、脱衣所にぼんやりとした人影がある。見張りを一人つけられていた。直接話した回数は数える程しかない相馬という男で、解体場の管理を任されていた。長身で一見おとなしい印象の男だった。
解体場とは、治外法権エリア。買収された町工場の一角のことだった。警察や公安から体よく隠れながら取引をすることが出来る場所。ここでのやり取りを工場主との癒着周りを相馬が任されていた。相馬には家族がある。確か息子が大学生になって春に家を離れたばかりのはずで、相馬と霧野は親子ほどの年の差があった。
相馬の身体は長身であり、骨格が細く、着やせするタイプのため相対的に細く見える。ただ近くで見れば身体の厚みや太さを感じる。手の皮膚も厚かった。実戦経験も豊富であることは一目見て分かった。顔つきも、ぱっと見、目が細く仏のような柔和な顔つきなのだが、修羅場をくぐった者特有の眼光の暗さがあった。中年期にさしかかった今でも一介のヤクザくらいには負けないだろう。銃を一丁持っているのをさっき確認させてもらった。もしかしたら他にも持っているかもしれない。……だが、霧野にとっては同じことだった。
霧野は風呂を満喫し、一つ伸びをし身体を振い、脱衣所の方へ足を向けた。もう一度庭の方をふり見た。さかっている。どうしてあれほど性欲があるのだろう。
霧野のほの紅くなった全身からは香りよい湯気がたっていた。脱衣所に真っ白いバスタオルが用意されている。脱衣所にある巨大な鏡から目を背けるように霧野はすっぽりとタオルを被った。頭から身体を丁寧に拭いていく。
穢れを落としながら、自分の腕を見て、手を握ったり開いたりする。浮き出た太く青い血管が蠢いた。”これが自分の身体だ”という感覚が、はっきりとしてくる。ふん、と半ば笑いながら、身体を拭う。しかし、つい、性器とその飾りが目につき、そして、不本意に飾られた皮膚を引っ張るようにして見てしまう。淫らな文様を見ていると、今度は、”これは自分の身体ではないのだ”という感覚が襲ってきた。”じゃあ、誰の物?”
気が付くと身体を拭く手に異様な力が入っていた。皮膚が擦れて紅くなっていく。今度は胸がじんじんと蠱惑的に痛み始めた。肉蕾が持ち上る。自分の意に沿わないこの身体の反応に、霧野は自分の左瞼の下が痙攣しているのに気が付いた。めまいがする。
鏡を見ないまま洗面台に手を付いた。胃の不快感で内臓がせりあがり、ゲロというより白い塊が出ていった。だら……、だら……、と、二条の精液が口から零れていくままにしていた。精液交じりの涎の珠が糸を引いて落ちていくのを、口を半開きにさせたまま、ぼーっと白痴のような眼で眺めていた。全部吐いてしまうと霧野は急に我に返ったようになった。コップと歯ブラシが用意されている。
急ぎ口をゆすぎ、歯を磨き、呼吸を整えた。なんでもいい、何か別の事を考えるんだと無理やり自分に言い聞かせ、そうだ、と、霧野は思い出したように相馬の方に身体を向けた。彼はすっかり気配を消して家具と同化するように壁際に立っていた。しかしその瞳はまっすぐ霧野の全身を捕えていた。監視カメラのように、ずっと見られてた。今の姿を、と思うと、また……、なに、来るときもこの姿だったのだ、今更どうということもない。それでも、考える程に、身体が火照った。誤魔化すように、機械のような瞳に向かって、霧野は話しかけた。
「どうせ川名からは俺と話すなとでも言われているのだろ。」
霧野は男に問いかけた。黙っている。きっとその通りなのだろう。だが霧野は話しかけ続けた。そうしないと何か狂いそうだったから。霧野の方が年は下でも、立場は上であるから、敢えて敬語は使わなかった。
「俺の見張りなんて、厭な役回りだな。」
「……いえ。」
霧野はぎょっとして相馬の顔を見据えたが、直ぐに薄ら笑みを浮かべ「あ、そう」と言った。相馬は無表情のままで何を考えているか読めなかった。
「なんだ口をきけるのかお前。どうしてだ?楽な仕事だからか。」
「楽とは思っていません。どれも同じくらい大事な仕事ですから。」
「大事な仕事?こんなことがか?くだらない仕事だと思うが。」
「命じられた仕事に良い悪いはありません。それに私は、澤野さんに戻って欲しいと思っています。」
「……。」
霧野はこれから起こることを考え、この男に声をかけたのは間違いだったと思った。しかし、今更行動を変えることはできない。霧野は「そうか。」と言いながら相馬の方へ近づいていき、バスタオルを、相馬の顔めがけて放り投げた。タオルが拡がりながら、相馬の視界を奪う。
その時、相馬と霧野の距離は8メートル以上あった。霧野はヒョウのような跳躍と共に相馬の腰に向かって全体重を乗せたタックルでその巨漢を押し倒した。勢いよく二人の身体が脱衣所を転がった。タックルで抱き着いた時に、彼の背中側に差し込まれた武器、銃を抜き取った。倒れた相馬の上に裸のまま乗った。遠目に見るとそれはまるで騎乗位の時のようだった。霧野の肉厚でずっしりとした重みが、男の身体を下半身でぎりぎり締め付ける。
相馬は霧野の下から抜けようと抵抗する。脇腹に衝撃を受け、霧野は反射的に拳を下へ叩きこみながら、身をのけ反らせた。また胃がせりあがって来ていた。まだ残っていたらしい二条の獣臭い精液の味がせっかくゆすいだ口の中にあふれた。相馬の上に乗ったまま背を猫のように丸くし、床に向かってその反吐を吐きだした。霧野はさらにぎちぎちと太ももを引き締め上半身を倒し、全身で相馬を抑えつけながら、迫っていった。鼻と鼻が付きそうなほどの距離、霧野は相馬の上に呼吸で背中を上下させ涎を垂らし、全身を揺らしていた。笑っていた。
「ありがとう。今ので俺の中の汚物が全部出たようだぜ。お礼をしてやるよ。」
霧野は勢いよく身を起こし、肘を相馬のこめかみに打ち込んだ。鈍い音。顔を粉砕しても良かったが、後で問題なる。それでも鼻血が飛び散り、呻き声と共に相馬の抵抗が弱まった。だが、相馬もただやられているわけではない。霧野が一瞬愉しさに悦に入ったその隙をつき、霧野の下から抜けようとする。ものすごい力だ。霧野は自分が対峙しているのが一般人では無いことを認識し、もう気を緩めるのは止めた。再びマウントを取り、抑えつけた相馬の上で、首を絞め、後頭部を床に激しく殴打させ、抵抗が弱まっていくその様子を見ていた。確かに強くはあるが、ラリッて脳のリミッターが壊れた薬物中毒者に比べればやりようがある。普段の仕事のように半殺しにまでするのは止める。相馬の抵抗が弱まったのを見て安全装置を外して銃口を直接相馬の額に当てた。
相馬が手を動かそうとすると同時に引き金に手をかける。動きが止まった。男の身体を探った。他に何か隠していないか、ボールペン一本。しかしこれでも人は殺せる。これも遠くに放り投げる。その時、何か、尻の下に硬く熱い物があたっていることに気が付いた。身体の力が抜けかけた。
なんだ……、こいつ……、どうして……、なんで……、勃起しているんだ……、霧野は自分が優位に立っているはずなのに、いままで感じたことのない恐怖を覚え、混乱し、気が付くと無意識に持っている銃の持ち手の底で相馬の顔面を殴打していた。血濡れた男の顔を見ることが出来ない。
『私は、澤野さんに戻って欲しいと思っています。』
急に全身に鳥肌がった。普段なら悦んで、寧ろ進んで、見たいはずなのに。しかし、今、動揺、反応、自己分析している場合ではないのだった。霧野は自分の左手で言うことの聞かない右手を、押さえつけ、殴るのをやめさせた。優先事項を、なすべきことを、なさねば。
霧野は銃を構えたまま相馬の上からどき「手を頭の後ろに組んでこちらに背を向けろ」と用意していた言葉を機械的な調子で言った。男は従った。面白いくらい簡単に。男に顔を洗わせ、何事も無かったように見せかける必要があった。やはり最後の一発はまずかった。鼻の骨を折ったかもしれない。顔面から血を流した男を屋敷の中を歩かせるわけにはいかない。川名のところに戻った際、顔を覗かせた瞬間に察せられ、咄嗟に書斎の引き出しの中にもしくは普段から身に付けているはずの銃を取り出されては全て台無しだ。その為に我慢して手加減していたのに。
霧野は顔を洗う相馬の背後で俯きがちに銃を構えていた。相馬が振り向いた。幸いなことに彼の顔に歪みはあるが派手な出血は無く、暗がりで少し見たくらいでは怪我をしているかどうかは気が付かれなさそうに思えた。ほっとしたのもつかの間相馬が勝手に移動しようとするので「動くな。」と改めて声を張った。相馬は動きを止めて言った。
「新しいタオルがもう一枚必要です。」
霧野はため息をついて相馬を見ながら移動し、タオルをとって投げ渡した。相馬はタオルを受け取り「お顔を。」と言った。霧野が怪訝な顔をすると「私の血が飛んでいますから。」と続けた。気が付かなかった。手指、身体についた異物は丁寧にぬぐったのに。気が付いた時に顔を両側からタオルでつつまれ、止めろという前に「ほら、これで奇麗になった。」と手が引っ込んで、相馬の顔は霧野の打撃で歪まされながらも、微笑んでいるのだった。今そこには悪意も性欲の欠片も無いように思えた。
「……。」
相馬を盾に薄暗い屋敷の中を移動していった。問題なく川名の書斎まで辿り着いた。霧野はほくそ笑んだ。が、相馬がドアをノックするために手を上げた際、何か直感的に嫌な感じが全裸の霧野の身体を貫いた。理由はわからない。だが、相馬を止めるという選択肢は、無かったし、もう何もかも遅かった。相馬は、書斎のドアをノックし、声をかけた。向こう側から聞きなれた声が脳に貫通するように届いた。目の前にいる相馬の方が物理的な距離はどう考えても近いはずなのに、何故扉の向こう側の男の声の方が身体に響くのか霧野には謎だった。相馬に続いて、その背に、銃をつきつけたまま霧野は書斎へ入った。
そこで見た光景。黒い穴。銃口がこちらに向いて、川名がデスクの向こうに腰掛けたまま、銃を握って既に引き金に指が入っている状態だった。霧野は今は外されているはずの首輪で喉を絞められているような錯覚を覚えた。上から首を思い切り抑えつけられ、踏まれているような。
落ち着け。だが、最悪の事態は免れる。少なくとも相馬という肉壁の後ろにいる限り自分が川名の銃弾で被弾することはないのだ。少しして低く脳に良く響く声が、部屋全体を満たした。
「ドアを閉めないか。閉められないのなら、俺が閉めようか。」
川名が立ち上がりかけた。霧野が咄嗟に「動くな!」と叫ぶと、川名はおとなしく座り「じゃあお前が閉めろよ。」と普段のような飽き飽き調子で、しかし銃口は一点のブレも無く常にこちらを向いたままである。
霧野は銃を構えたまま数歩後ずさり、後ろ手にドアを閉め再び元の位置に戻った。川名と霧野の間に壁のように相馬が立っている。霧野は先ほど風呂で流したばかりの背中にびっしり汗がつたい始めたのを感じた。再び吐き気がしてくる。しかし、読まれていたにしろ、まだこちらに人質がいる状況は変わらない。
「どうだ。面白かったか。」
川名はそう言って、男の背後にいる霧野を覗き見るように首を傾げた。
何を言ってるのか、理解できなかった。
「面白かった……か?」
川名は「ああ、そうだ。」と言い、その口元が緩んだ。
「もしお前が馬鹿のように、ただそいつに連れられ戻ってきたら、お前の方を撃つつもりだった。」
「……。何を言ってる?それじゃ、まるで俺がこうすることが、最初からわかっていたかのようじゃないか。」
「その通りだ。ああ、心配しなくても相馬は何も知らなかったよ。だから出来レースじゃない。お前は、お前の実力で、お前の獲物を狩って、戻ってきたというわけだ、俺の元に。」
霧野が絶句していると、川名が立ち上がった。動くな、と言う霧野の声は震えていた。川名は立ったままこちらを見ている。銃口はこちらを、相馬と霧野の方を向いている。
「俺が飼っていた犬は全て俺に忠実であると同時に、猟犬としても一流だった。」
「……何」
「お前は同じだ。奴らを退屈させないようにするのも俺の仕事なんだ、霧野。わかるか。感覚を鈍らせてはいけない。だからお前にも他の犬と同じように、”おもちゃ”を与えてやることにしたんだ。お前達は常に刺激を求めないではいられないから。お前の元々の飼い主はお前の扱い方を全く理解していなかった。それだけのこと。お前には運が無かった。聡明なお前には本当はわかっていたはずだ。お前の帰る場所など最初から存在していない。用意されていないことくらい。誰も言わないから、はっきり言ってやる、俺よりも、お前の方がよく、理解しているはずだ。」
うるさかった。
「お前は最高の猟犬だよ。」
「俺は、犬じゃ、ない……!」
川名が笑っていた。霧野は相馬を人質、交渉材料として、川名に自由をそれが駄目でも境遇の改善を交渉する気でいたのだった。しかし、川名からすれば、予め自分が用意していた獲物を放り投げ、飼い犬がそれをとって嬉々として戻ってくるのを愉しんで見ていただけのことだったのだ。
無意味だと頭ではもうわかっているものの「銃を降ろせ、さもないと撃つ。」と用意していた言葉を口にした。川名は「とどめを刺したければ、刺していい。だってそいつはもう、お前のモノだから。」と言った上に追い打ちをかけるように「お前が撃たないなら、俺が撃つ。」と付け加えたのだった。「その男には、お前に逃走の機会を与えた責任があるから。」今度は霧野が「よせ。」という番だった。まるで逆である。やりたかったことが。
「なんだ俺にそいつを撃ってほしくないのか。で、お前も撃ちたくないと。では、銃を床に置き、こちらによこせ。お前の手が届かない場所にまで強く蹴れ。少なくとも10メートル以上。壁にぶつけるくらい。」
「……、……。」
霧野は、従った。従うしかなかった。川名は床に転がった銃を拾い上げ、弾を抜いた。それとほとんど同時に霧野の目の前で、紅い花が咲いたのだった。川名が相馬を撃ったのである。どさりと重い音がして気がつくと目の前に一つ巨大な肉塊が転がっていた。霧野は後ろから鈍器で殴られたような衝撃を覚えた。木崎の時と、まるで同じだった。その一瞬で、あの時の記憶が脳裏に鮮明にフラッシュバックした。霧野は叫び出しそうになったのを堪えた。
「なんで……?」
「ところでお前は英語が出来たな。」
霧野は死体から目を上げた。川名は死体には目もくれず銃を懐にしまい、何事も無かったかのように、まるでそこに死体など存在しないように、霧野を見ていた。まだ硝煙の香りが漂って血の臭いがぷんぷんしていた。ぼんやりとしていた視界の中で、川名にだけ焦点があってくる。他に何も見たくないから。
「中国語はどの程度できる。」
霧野は「……。ああ。ああ。そうですね、長いこと、使っていませんから、ある程度復習は必要ですが、必要ならば使えるようにします。」とすらすらと機械的に至極冷淡な調子で応えていた。
何故相馬を呼吸をするように殺したのか、殺せるのか、そもそも今外国語の話などする必要があるのかなど、霧野の精神としては発狂しそうな状況にまで追い込まれていたが、今の川名の前で取り乱した姿を見せれば、目の前と男と同じように処理される可能性が高いことを本能が判断し、理性が働いただけだった。
相馬が死んだから一体なんだというのか、大体俺はこの男のことを知らない、この仕事に就いている以上、悪を成している、他人を虐げた上に生きてきた、悪を成しているということは、いつこうなってもおかしくはないということだ。霧野は今一時自分に嘘をつくことに集中し、川名と同じ地平に立った。
川名組は今、玄武会傘下では最も海外ビジネスを拡大させていた。海外取引によってい生まれる金は日に日に巨額になっていった。組全体の利益であると同時に脅威でもある。それは川名組の前身にあたり今は存在しない潮凪会のコネクションを種に拡大、作り上げられたものだった。霧野は潜入前から多国語、英語はもちろんアジア圏内の幾らかの言語の知識はあった方が有利であると、潜入してからも空き時間に学習を進め、時にその能力を発揮していた。霧野は思い出したように顔にふりかかった血を雨のようにふり払った。
「一日やるから、頭を元のように戻しておけ。」
川名は書斎の更に奥に繋がる扉を開き、灯をつけた。その奥は書庫となっていた。本棚が並び、窓もなく、壁一面も本棚。そこに人影、ではなく、本棚に新品の美しいスーツ一式がハンガーにかかってひっかけられていた。霧野が立ち尽くしたままでいると、川名は開いた扉の横で言った。
「それとも死体の後始末の方が好みなのか?そういうことならお前と間宮の役割を逆にする。それだけだ。三秒以内に選べよ。俺は待たされることが嫌いなんだ。」
選択肢はない。奥の部屋へ足を進めた。背後で扉が閉まり、ガチャリと鍵がかかる音がした。ドアノブを捻ってみる。勿論開くことは無かった。
身体から力が抜けていった。背を扉につけ、そのままずるずると床に座り込んだ。霧野はしばらくの間、扉に背をもたれさせ、うずくまっていた。遅れて体が、がくがく震えだし、奥歯が音を立てた。ふと顔を上げると、用意された衣服が、笑っていた。意識がはっきりしてくる。何を怯えているんだ。一体誰と闘っていると思ってるんだ?あれくらいのことで、今更ビビるなよ、クズ。
『そうだ、今更怖気づくな。』
耳元で木崎先輩の声がはっきり聴こえた。
「そうですよね。俺はまだ進まないといけない。貴女の為にも。もう引き返すことはできない。」
木崎は返事をしなかった。集中できるものがあるのが、唯一の救いだ。久しぶりに字が読める。ありがたいことだ。ありがたいと思え。
翌夜、書斎の奥から出され、着替えを終えた霧野は何食わぬ顔で以前のように川名の仕事に同行した。東南アジアを経由して送られる特定の薬物、その独占の商談である。こちらも五人、あちらも五人、中国系マフィアの第三次団体と倉庫で落ち合う。やり取りは全て英語で行われた。霧野は英語と中国語のその両方を理解していた。向こう側が何か中国語でやりとりするのを、聞こえているとけん制する、交渉が滞りそうなら川名を立てながらサポートする。取引は終わる。川名に相手方が何を話していたか正確に報告する。特に嘘はついていない。ただ、川名のために、己に課せられた目の前の仕事を、完遂させた。これで、良かったのか?これは、正しいことなのか?
仕事が終わると他の三人は始めから取り決められたかのように頭を下げ一つの車に乗り込み先に去っていく。
「ところでお前、俺との約束を覚えているか?」
「……約束?」
川名は怪訝な顔をする霧野に対してどうぞとまるで紳士のように自分の車の助手席のドアを開いてみせるのだった。後部座席の足もとで寝ていたノアが勢い顔を上げ、座席の前脚を引っ掻け、運転席と助手席の間から身を乗り出した。霧野の方へ鼻を向けると大きく口を開いて舌を出す。先に乗り込んだ川名がノアの頭を撫でると、くぅんと啼いて奥へと引っ込んだ。それでようやく霧野は助手席に乗り込んだのだった。
川名の運転する車は、見慣れた街へと戻っていくびだが、事務所ではなく、いつもノアを散歩させるあの公園へと向かった。もしかすると、このまま散歩でもさせられるのか。ノアも連れてきているのだ。
「相馬のことだが」
霧野は川名の方へ頭を向けた。商談の時に引き続き、退屈そうな顔している。それでいて鋭利な印象のまま。
「あいつ、お前に何か言ってたか。」
質問の意味を理解ができなかった。「いえ、特に」と言った時、ふいに霧野の顔を包み笑みを浮かべた相馬の顔が浮かんだのだった。
「そうか。」
川名はそれ以上何も言わなかった。霧野が追求することも無かった。相馬は川名に無断で裏金を貯め、新たな仕事を勝手に始めようとしていた。しかも本家が一枚噛んでいた。相馬とは短い付き合いではなく、川名はある程度の事には目をつむってきたが、もう駄目だと判断した。川名が相馬を追及すると彼はあっさりと自分の非を認めた。今までの働きに免じて、家族のことは保証すること、それから、猶予を与えるから死に方を選ばせてやると伝えた。すると、彼はそれに対しても動揺することも無かった。どこかの段階で覚悟を決めていたのかもしれなかった。そして、相馬は川名にとっても少し意外なことを口にしたのだった。川名か、澤野に手を下されるのなら良いと言ったのだ。
駐車場には既に他に二台、公園には見合わない黒い車が停まっている。その様子を霧野は助手席から眺めていた。車が停まる。服を脱ぐように言われた。その通りにすると後ろ手に錠が架けられそのまま車から外に出された。こんな遅い時間で人は少ないはずなのに、どこからか沢山の人に見られている、そんな異様な気配が夜を満たしていた。仕事の後で気が立ちすぎているのだろうか。眩暈。停車していた車の中から久瀬が降りてきた。
「お疲れ様です。」
「人の入りはどうだ。」
「悪くないです。ここからでもギャラリーが見えるほどです。」
「それは良かったな、ハル、これからお前にバージンロードを歩かせてやる。ついたら着替えだ。まぁお前はもうバージンでも何でもないんだが。」
そうして、三角木馬の上で川名と約束した下限値30人売春が、今ここで行われようとしていることが、ようやく霧野にも分かったのだった。
陰部ピアスにリードを引っかけられ、霧野の姿を見定める為だけに集まってきた男達のいる道を、川名に連れられて歩くだけでそれはもう、頭がおかしくなりそうだった。心の準備も何もできていないのだった。
昨晩から、目の前での殺人の衝撃、そして、それを忘れる為にも一夜漬けで勉強させられ、それなりの仕事させられ、あながちある程度人間性を回復させられたせいで、余計に身体と心の拒絶が激しいのだった。でも、もう、逃れる術を考えても、今はなにも思いつかない。川名と自分が約束したことは事実、撤回不可能、後悔しても遅い。
裸足の裏に石がささる、群衆の視線が全身に突き刺さって霧野を外から内からチクチクと刺すのだった。熱い。歩く度濡れた。行きたくなくても、震える足を、川名の歩く速度に合わせて無理に進ませるしかないのだった。処刑される人間の気持ちを考えた。一歩進むたびに目の奥が、身体が、熱くなる。それにしても、と霧野は俯きがちに、沸騰した頭の中で気を紛らわせるように、川名の言葉を反芻した。着替えとは、一体何を着るというのか。この姿でも十分に恥ずかしいのに。これ以上何をさせられることがあるというのだろうか。
その答えはすぐにわかることになる。公園の中では比較的大きく、発展場として密かに栄えている公衆トイレにつくと、見知った顔の人間が既に何人か控えて霧野達の到着を待ち構えていた。霧野はその身体を取り押さえられ、次々全身に真っ白い精液をぶっかけられたのだった。
「お前に似合いのウェディングドレスだ。だがまだ面積が足りない。これから存分に手伝ってもらおうな、お客様方に。」
◆
Xデー。
深夜、神崎は指定された公園の近くをたむろしていた。掲示板に張り出されていた、いつも束の間の霧野との会合に使っていたあの公園だ。最早遠い昔の記憶のようにも思える。行くべきではない。わざわざ川名の用意した餌に飛びつく必要はない。と、頭でわかってはいても身体が拒絶した。家にいても眠ろうにも眠れず、こうしている間にも本当に霧野が冗談のような凌辱を受けている可能性を考えると、家に居ることもできない。そして結局、野良犬のように公園の周囲を深夜にうろうろと徘徊していた。無理やり現場を公然わいせつ罪として取り押さえることは可能だ。しかしその場合、霧野自身を事件の対象にしない訳にはいかない。二重に恥をかかせることになる。あの性格では恥のあまり勢い自殺するに違いない。
「なんだ、まだ迷っているのか、行けばいいのに。」
突如背後から声をかけられても神崎は別段驚かなかった。彼は一度聞いたら忘れられない特徴的な低い声をしていたから振り返らなくてもわかる。川名に似ているが、身体の大きさがそうさせるのか更に一段階低く聴こえる。
「行ってどうする。」
「事実確認。本当にコトが行われているかどうか位は確認してもいいだろう。というか、気になったからここにいるんじゃないのか。俺の顔はアンタと違って義孝と一部の人間にしかわれていない。アンタの代わりに俺が様子を見て来てやろうか。」
美里龍一郎は神崎の横に並んで歩き始めた。今までどこで何をしていたか知らないが紺色作業着に身を包み目深に同じく紺色の帽子をかぶっており、同じくくすんだ色をしたジャケットに身を包んだ神崎と並んで歩いていても、違和感が無かった。
龍一郎は神崎の返事も聞かないまま追い越し公園の茂みの中へ消えた。龍一郎は外灯の光の届かない茂みの中をポケットに手を突っ込んだまま、のろのろした調子で進んでいった。靴が落ち葉に埋もれる。穢れた作業着も手伝って遠目には浮浪者に見えるかもしれない。それくらいでよかった。今の義孝が何をしているのか、というよりも、今はもっと別の事に興味があった。
果たして実際に、現場の公衆トイレの付近にはこの深夜帯にはそぐわない男の人群れがあった。発展場として既に在る場所だが、事前に下見に来た時とは人入りの量が違う。龍一郎はすぐその場に直行せず、発展場に背を向け迂回し、木陰から駐車場に不自然な高級車が三台停まっていることを確認した。中は見えないが一台エンジンがかけっぱなしにされていた。おそらくそこに義孝がいるだろうことがわかった。
龍一郎は茂みの闇の奥から、光を吸収する真っ黒なシートの張られた窓の奥を見ていた。なるほど、お前はそこで待って居るというわけだ。お前の片思いの相手が来ることを。あいかわらず回りくどいやり方を好む。
龍一郎は来た道を引き返し、公園と歩道を分けるガードレールをなんなく飛び越え、神崎の元へ戻った。煙草の吸い殻が辺り一面に落ちていた。
「中に入ってはないが、やけに人が多いのは確かだ。」
神崎の顔色がほんの微かに陰るのを龍一郎はつぶさに観察し、少しして、微笑みを浮かべた。
「よし、それなら、中まで具合を見て来てやる……。」
龍一郎はまた神崎の返事を聞かないまま今度はどうどうと公園の中へ入っていった。
「兄さんも掲示板を見て来た口か。」
公衆トイレの前でふいに顔色の悪いスーツ姿の男に話しかけられた。彼は指を一本立てた。龍一郎は黙ったまま作業具のポケットの中から無造作に2cm程の札束を取り出し、その中から一枚万札を抜きながら左下の部分を三角形に折って男に渡した。
義孝もしけた商売をするものだな。というのは冗談で、こんな金には金銭的な意味などまったく無い。この金はただ単に霧野という男に売春をさせたという事実を作るためだけの盛り上げ要素であると同時に、客を選別する意味がある。ちょっとした入場料があることで、無料か有料かで客の質は変わる。
中へ入ると女便所かと見まがう程、ただでさえ広く無い便所に男が並んでいて大層むさ苦しく、やれやれもう帰ろうか、と思った程だった。何人かの男が入口に居たスーツの男と同じくただ見張ることに徹している。スジ者らしき男が複数いるから治安がある程度維持されているだけ。普通こういう場はもっと荒れるはずだった。熱気の中心が見えてくる頃には、背後の人の気配が増していた。連中の様子を見るに、どうやら、一部の人間だけが見られる会員制のダークウェブ上のサイト『DVL』で動画が生配信されているらしかった。龍一郎も事前にそのサイトは確認しており、霧野の名前や顔こそ、そのまま出ていないものの、なかなかお目にかかれない肉体であることは誰が見ても明らかだった。それから、これは正統な暴力、調教の一環であり、「奴隷」が粗相をしたため、その身体を自由にしていいと「飼い主」によって書かれているのだった。
その他、実際に現場来たらしい人間の生のコメントがリアルタイムに生々しく書き込まれ、この投稿につられて新たにくる者もいるのか、まだ人が増えつつある。神崎がこれを知ったら流石に出てくるか、それとも、通報するか、どうだろう、一応連絡しておくか。と思った矢先、ようやく霧野の姿がはっきり見える位置までたどり着いた。龍一郎は目を細めた。
ああ……なるほど。
その男は、状況が状況だけに、全身大量の男から出された排せつ物にまみれ、落書きされ、汚辱の底に居るにしては、いや、居るからこそなのか、サイトや写真で見たより、随分いいというか、詐欺レベルに、いいと思った。これならもっと後に来た方が良かったかもしれない。まだ全然精神が死んでいない。龍一郎は壁際の群衆の中に涼二がいないかどうか一応確認した。流石にいないか。どうやら涼二はこの男を義孝から盗もうとして酷い目に遭わされたようだから。下手糞め。それにしても、酷く穢い。本当にヤってくか?どうする?龍一郎は霧野を見降ろしながらポケットからコインを取り出し指ではじいてキャッチした。裏。シーラカンスが龍一郎を掌のからじっと見上げていた。YES。そのコインはモザンビークの2メティカルコインだった。
青。もともとはスカイブルーだったであろうが見る影もないくすんだ青タイル張りの床と壁は濡れて経年劣化でくすみ酷く不潔に感じられる。実際今男達の体臭で誤魔化されているが公衆便所特有の土の空気とそれに相対する蓄積された汚物の臭いが悪い空気の底に漂っていた。爛れた空間であるからこそ、そこにいる者達も度を外したことができる。汚辱な空間であればあるほどに。暴力性も増す。
気づかぬうちに知らない男の精液が靴にかかっていた。はぁ~あ、と欠伸のような酷く低いライオンの唸り声のようなため息をつきながら、龍一郎はコインをポケットに戻し、ベルトの金具を外し始めた。龍一郎は己の一物をしごきながら場が空くのを待ち、前へ身を乗り出した。
その不潔の中で霧野の身体は公衆便所の小便器に股を開かされた状態で男根を挿れるのには丁度いいほどの高さにロープと金具で括りつけられているのだった。頭の後ろで両手首括りつけられた手が強張って獣のように無意味に空に爪をたてている。龍一郎には、霧野がもう素人では無いことがすぐにわかった、豊満な尻肉の汗に濡れ透明な液が溜まったその隙間から、種付けされたスペルマが大量にどろどろと噴き出していた。その白濁の汚辱の注ぎこまれた熱源である熟した裂け目は、蜜を滴らせ柔らかく花のようにふくらみ裂け開いて潤い一滴の血も流していなかった。筋肉というものは実は大変柔軟で柔らかいのだ。
霧野の全身は霧野自身の液と他の男の液でびしょびしょに照り光っていた。天井の灯は古く、手入れもそぞろなようだった。薄暗い蛍光灯はチカ、チカ、と不規則に明滅している。その下に居るから真っ白い皮膚と浮いた赤みとが余計に見る者の網膜に焼き付くのだった。目を閉じてもその像が瞼の裏に写しだされ夢でも見ているかのようだ。
照明。霧野の周囲だけがチカ、チカ、と照らし出され続け、その中を男達の影が代わる代わるやってくる。影が重なり合って便所の壁に映し出されまるで一体の化け物のようになって蠢いていた。
龍一郎は霧野の桃のような尻肉を掴みその熱さを掌で感じながら親指で花咲く柔肉に触れた。何の力も入れなくても乳を吸う子猫のように吸い付いて咥え込み親指に絡みついてくる。親指を上下に動かしている内に、くちくち、という小さく可愛らしい卑猥な音が霧野と龍一郎の耳にだけ聞こえていた。周囲の喧騒は遠くなる。
霧野が俯いたまま、一瞬、低く息を漏らした。その後は、息を荒げて唸り、耐えている。しかし、彼の肉の吸いつきは輪ゴムを何重にしたより強く、粘着質な音もだんだんと大きくなり、触れあっている部分は熱で濡れ、尻に白彫りされている花がみるみる赤く色づき咲き始めた。龍一郎は親指を同じ調子で霧野の中に突っ込み続けながら改めて周囲の景色を眺めた。
あまった金具やロープや脚立が無造作に壁際の隅の方に置かれている。リードもかかっている。ここまでどうやって連れられてきたか、想像に難くない。龍一郎はかつて見た映画のワンシーンで悪役が市中を引き回されていた様子を脳裏で再生させた。体位についても、要望があればある程度調整も可能だし逃がさない限りこちらでどうこうしてもよいということだろう。ご丁寧に目の前の肉便器の周囲にはその他の「遊び道具」まで複数吊るされており、小さな黒板が張り出され、「USE FREE」とある。続いて、一発の相場が書かれているわけだが、一番上にあった5000円に二重線が非かれ段々と「USED」価格に値下がりつつあり現在価値1000円。別の穴の場合500円まで下落が進んでいるところだった。正正T。掲示板の「飼い主」とやらは随分手の込んだことが好きなようだった。入場料の一万円のことは本人には伝えられていないかもしれない。
遊び道具は一、二本使われた形跡があったがまた吊るされ元に戻されおり、まぁおそらくは、最初に来た奴が遊んで、次が来るまでにつなぎにでも突っ込まれいてのだろうが、直ぐに次がきてしまって出番がなかったのだろう。皆が突っ込むだけの行為に飽いてきたら、休憩がてらにまた様々使用されるのだろうと思った。きゅう、花が龍一郎の武骨な指を吸い取ろうとする。龍一郎は指を更に奥に伸ばし、同じ調子で続けた。ん゛ふぅ……ん゛ふぅ……まるで飢えた獣が空腹のあまり唸っているようだ、親指越しに肉の振動が伝わってくる。身体を動かすことが出来ない分、余計敏感に感じるのだろう。
霧野は声を漏らさないようにしているようだったが、呼吸する度に筋肉のうねり、喘ぎ喘ぎしている。龍一郎は、こんなところにいるような男ならまずやらないようにその男の脇腹の辺りに優しく触れてみた。今まで下へ伏せられていた、あからんだ瞼に一瞬動きがあった。そして、直ぐ、誤魔化すように横の方へ移動する。
睫毛が長かった。その先端にいくらか、小さな透明な珠がのっていた。その粒はまるでダイヤのようにこの汚辱の中で奇妙に浮いて星のように輝いているのだった。彼の視線の先を追った。足元を精液の中をゴキブリが一匹這っているのだった。龍一郎はそれを靴底で踏みつぶしたと同時に霧野に上から覆いかぶさるように一歩前に踏み出した。立ち上がった龍一郎はの雄々しい肉が、霧野の待ち構えた肉園の入口を擦り、抉りかけ、そのまま、ぬるりと擦った。そのまま腰を動かす、ぬるっ、ぬるっ、と入口の辺りのぬめりが濃くなっていく、泡、蜜口は龍一郎の雄に、擦られる度にアソコは熱くなり、柔らかくなり、時々、全身が前のめりにびくびくと痙攣していた。
周囲が何か言っていたが、龍一郎には動物の鳴き声程度にしか聞こえていなかった、それよりも霧野内なる声の方が耳に良いのだった。ただ霧野の方には周囲の声の方がはっきり聴こえているようで、苛立ちで気が散り、集中力を欠いているようだった。やれやれ。龍一郎は霧野の様子を見降ろし眺めながら脇に添えていた手を胸部の方へ這わせ這わせ、掴み、親指で乳首に通された金具を弾いた。彼の身体が一段と跳ねた。周りなんか、今、ギャラリーなんかどうでもいいだろ、こっちに集中しろよ。瞳が龍一郎の方へ向く、燃えるような瞳が、ようやく龍一郎を捕えた。ロープが、軋む音をたてた。
中で、影が三つ蠢いていた。あちら側から見た時には、ただ周囲の闇の向こう側に薄っすらと黒い壁が見えていただけだった。
「四頭押し込めるには狭すぎる。」川名が言った。
「今日くらいは外に出て良い、お前が勝ったから。それでいいな。」
だから今残りの三頭がケージの中にいれられている。間宮は何も言わず従った。誰とも目を合わせようとしない。
どうして咄嗟に「許してやってくれ」などと口走って彼のことをかばったか。その理由は、間宮の中にあった。間宮の肉体が死ぬと、殆ど期待してないが、まだ在るかもしれない黒木の意識も死ぬだろうと霧野は思った。咄嗟の判断だった。黒木には借りがあった。
霧野は庭を眺めるのをやめ、風呂の入口の方へ視線をずらした。曇りガラスの向こう側、脱衣所にぼんやりとした人影がある。見張りを一人つけられていた。直接話した回数は数える程しかない相馬という男で、解体場の管理を任されていた。長身で一見おとなしい印象の男だった。
解体場とは、治外法権エリア。買収された町工場の一角のことだった。警察や公安から体よく隠れながら取引をすることが出来る場所。ここでのやり取りを工場主との癒着周りを相馬が任されていた。相馬には家族がある。確か息子が大学生になって春に家を離れたばかりのはずで、相馬と霧野は親子ほどの年の差があった。
相馬の身体は長身であり、骨格が細く、着やせするタイプのため相対的に細く見える。ただ近くで見れば身体の厚みや太さを感じる。手の皮膚も厚かった。実戦経験も豊富であることは一目見て分かった。顔つきも、ぱっと見、目が細く仏のような柔和な顔つきなのだが、修羅場をくぐった者特有の眼光の暗さがあった。中年期にさしかかった今でも一介のヤクザくらいには負けないだろう。銃を一丁持っているのをさっき確認させてもらった。もしかしたら他にも持っているかもしれない。……だが、霧野にとっては同じことだった。
霧野は風呂を満喫し、一つ伸びをし身体を振い、脱衣所の方へ足を向けた。もう一度庭の方をふり見た。さかっている。どうしてあれほど性欲があるのだろう。
霧野のほの紅くなった全身からは香りよい湯気がたっていた。脱衣所に真っ白いバスタオルが用意されている。脱衣所にある巨大な鏡から目を背けるように霧野はすっぽりとタオルを被った。頭から身体を丁寧に拭いていく。
穢れを落としながら、自分の腕を見て、手を握ったり開いたりする。浮き出た太く青い血管が蠢いた。”これが自分の身体だ”という感覚が、はっきりとしてくる。ふん、と半ば笑いながら、身体を拭う。しかし、つい、性器とその飾りが目につき、そして、不本意に飾られた皮膚を引っ張るようにして見てしまう。淫らな文様を見ていると、今度は、”これは自分の身体ではないのだ”という感覚が襲ってきた。”じゃあ、誰の物?”
気が付くと身体を拭く手に異様な力が入っていた。皮膚が擦れて紅くなっていく。今度は胸がじんじんと蠱惑的に痛み始めた。肉蕾が持ち上る。自分の意に沿わないこの身体の反応に、霧野は自分の左瞼の下が痙攣しているのに気が付いた。めまいがする。
鏡を見ないまま洗面台に手を付いた。胃の不快感で内臓がせりあがり、ゲロというより白い塊が出ていった。だら……、だら……、と、二条の精液が口から零れていくままにしていた。精液交じりの涎の珠が糸を引いて落ちていくのを、口を半開きにさせたまま、ぼーっと白痴のような眼で眺めていた。全部吐いてしまうと霧野は急に我に返ったようになった。コップと歯ブラシが用意されている。
急ぎ口をゆすぎ、歯を磨き、呼吸を整えた。なんでもいい、何か別の事を考えるんだと無理やり自分に言い聞かせ、そうだ、と、霧野は思い出したように相馬の方に身体を向けた。彼はすっかり気配を消して家具と同化するように壁際に立っていた。しかしその瞳はまっすぐ霧野の全身を捕えていた。監視カメラのように、ずっと見られてた。今の姿を、と思うと、また……、なに、来るときもこの姿だったのだ、今更どうということもない。それでも、考える程に、身体が火照った。誤魔化すように、機械のような瞳に向かって、霧野は話しかけた。
「どうせ川名からは俺と話すなとでも言われているのだろ。」
霧野は男に問いかけた。黙っている。きっとその通りなのだろう。だが霧野は話しかけ続けた。そうしないと何か狂いそうだったから。霧野の方が年は下でも、立場は上であるから、敢えて敬語は使わなかった。
「俺の見張りなんて、厭な役回りだな。」
「……いえ。」
霧野はぎょっとして相馬の顔を見据えたが、直ぐに薄ら笑みを浮かべ「あ、そう」と言った。相馬は無表情のままで何を考えているか読めなかった。
「なんだ口をきけるのかお前。どうしてだ?楽な仕事だからか。」
「楽とは思っていません。どれも同じくらい大事な仕事ですから。」
「大事な仕事?こんなことがか?くだらない仕事だと思うが。」
「命じられた仕事に良い悪いはありません。それに私は、澤野さんに戻って欲しいと思っています。」
「……。」
霧野はこれから起こることを考え、この男に声をかけたのは間違いだったと思った。しかし、今更行動を変えることはできない。霧野は「そうか。」と言いながら相馬の方へ近づいていき、バスタオルを、相馬の顔めがけて放り投げた。タオルが拡がりながら、相馬の視界を奪う。
その時、相馬と霧野の距離は8メートル以上あった。霧野はヒョウのような跳躍と共に相馬の腰に向かって全体重を乗せたタックルでその巨漢を押し倒した。勢いよく二人の身体が脱衣所を転がった。タックルで抱き着いた時に、彼の背中側に差し込まれた武器、銃を抜き取った。倒れた相馬の上に裸のまま乗った。遠目に見るとそれはまるで騎乗位の時のようだった。霧野の肉厚でずっしりとした重みが、男の身体を下半身でぎりぎり締め付ける。
相馬は霧野の下から抜けようと抵抗する。脇腹に衝撃を受け、霧野は反射的に拳を下へ叩きこみながら、身をのけ反らせた。また胃がせりあがって来ていた。まだ残っていたらしい二条の獣臭い精液の味がせっかくゆすいだ口の中にあふれた。相馬の上に乗ったまま背を猫のように丸くし、床に向かってその反吐を吐きだした。霧野はさらにぎちぎちと太ももを引き締め上半身を倒し、全身で相馬を抑えつけながら、迫っていった。鼻と鼻が付きそうなほどの距離、霧野は相馬の上に呼吸で背中を上下させ涎を垂らし、全身を揺らしていた。笑っていた。
「ありがとう。今ので俺の中の汚物が全部出たようだぜ。お礼をしてやるよ。」
霧野は勢いよく身を起こし、肘を相馬のこめかみに打ち込んだ。鈍い音。顔を粉砕しても良かったが、後で問題なる。それでも鼻血が飛び散り、呻き声と共に相馬の抵抗が弱まった。だが、相馬もただやられているわけではない。霧野が一瞬愉しさに悦に入ったその隙をつき、霧野の下から抜けようとする。ものすごい力だ。霧野は自分が対峙しているのが一般人では無いことを認識し、もう気を緩めるのは止めた。再びマウントを取り、抑えつけた相馬の上で、首を絞め、後頭部を床に激しく殴打させ、抵抗が弱まっていくその様子を見ていた。確かに強くはあるが、ラリッて脳のリミッターが壊れた薬物中毒者に比べればやりようがある。普段の仕事のように半殺しにまでするのは止める。相馬の抵抗が弱まったのを見て安全装置を外して銃口を直接相馬の額に当てた。
相馬が手を動かそうとすると同時に引き金に手をかける。動きが止まった。男の身体を探った。他に何か隠していないか、ボールペン一本。しかしこれでも人は殺せる。これも遠くに放り投げる。その時、何か、尻の下に硬く熱い物があたっていることに気が付いた。身体の力が抜けかけた。
なんだ……、こいつ……、どうして……、なんで……、勃起しているんだ……、霧野は自分が優位に立っているはずなのに、いままで感じたことのない恐怖を覚え、混乱し、気が付くと無意識に持っている銃の持ち手の底で相馬の顔面を殴打していた。血濡れた男の顔を見ることが出来ない。
『私は、澤野さんに戻って欲しいと思っています。』
急に全身に鳥肌がった。普段なら悦んで、寧ろ進んで、見たいはずなのに。しかし、今、動揺、反応、自己分析している場合ではないのだった。霧野は自分の左手で言うことの聞かない右手を、押さえつけ、殴るのをやめさせた。優先事項を、なすべきことを、なさねば。
霧野は銃を構えたまま相馬の上からどき「手を頭の後ろに組んでこちらに背を向けろ」と用意していた言葉を機械的な調子で言った。男は従った。面白いくらい簡単に。男に顔を洗わせ、何事も無かったように見せかける必要があった。やはり最後の一発はまずかった。鼻の骨を折ったかもしれない。顔面から血を流した男を屋敷の中を歩かせるわけにはいかない。川名のところに戻った際、顔を覗かせた瞬間に察せられ、咄嗟に書斎の引き出しの中にもしくは普段から身に付けているはずの銃を取り出されては全て台無しだ。その為に我慢して手加減していたのに。
霧野は顔を洗う相馬の背後で俯きがちに銃を構えていた。相馬が振り向いた。幸いなことに彼の顔に歪みはあるが派手な出血は無く、暗がりで少し見たくらいでは怪我をしているかどうかは気が付かれなさそうに思えた。ほっとしたのもつかの間相馬が勝手に移動しようとするので「動くな。」と改めて声を張った。相馬は動きを止めて言った。
「新しいタオルがもう一枚必要です。」
霧野はため息をついて相馬を見ながら移動し、タオルをとって投げ渡した。相馬はタオルを受け取り「お顔を。」と言った。霧野が怪訝な顔をすると「私の血が飛んでいますから。」と続けた。気が付かなかった。手指、身体についた異物は丁寧にぬぐったのに。気が付いた時に顔を両側からタオルでつつまれ、止めろという前に「ほら、これで奇麗になった。」と手が引っ込んで、相馬の顔は霧野の打撃で歪まされながらも、微笑んでいるのだった。今そこには悪意も性欲の欠片も無いように思えた。
「……。」
相馬を盾に薄暗い屋敷の中を移動していった。問題なく川名の書斎まで辿り着いた。霧野はほくそ笑んだ。が、相馬がドアをノックするために手を上げた際、何か直感的に嫌な感じが全裸の霧野の身体を貫いた。理由はわからない。だが、相馬を止めるという選択肢は、無かったし、もう何もかも遅かった。相馬は、書斎のドアをノックし、声をかけた。向こう側から聞きなれた声が脳に貫通するように届いた。目の前にいる相馬の方が物理的な距離はどう考えても近いはずなのに、何故扉の向こう側の男の声の方が身体に響くのか霧野には謎だった。相馬に続いて、その背に、銃をつきつけたまま霧野は書斎へ入った。
そこで見た光景。黒い穴。銃口がこちらに向いて、川名がデスクの向こうに腰掛けたまま、銃を握って既に引き金に指が入っている状態だった。霧野は今は外されているはずの首輪で喉を絞められているような錯覚を覚えた。上から首を思い切り抑えつけられ、踏まれているような。
落ち着け。だが、最悪の事態は免れる。少なくとも相馬という肉壁の後ろにいる限り自分が川名の銃弾で被弾することはないのだ。少しして低く脳に良く響く声が、部屋全体を満たした。
「ドアを閉めないか。閉められないのなら、俺が閉めようか。」
川名が立ち上がりかけた。霧野が咄嗟に「動くな!」と叫ぶと、川名はおとなしく座り「じゃあお前が閉めろよ。」と普段のような飽き飽き調子で、しかし銃口は一点のブレも無く常にこちらを向いたままである。
霧野は銃を構えたまま数歩後ずさり、後ろ手にドアを閉め再び元の位置に戻った。川名と霧野の間に壁のように相馬が立っている。霧野は先ほど風呂で流したばかりの背中にびっしり汗がつたい始めたのを感じた。再び吐き気がしてくる。しかし、読まれていたにしろ、まだこちらに人質がいる状況は変わらない。
「どうだ。面白かったか。」
川名はそう言って、男の背後にいる霧野を覗き見るように首を傾げた。
何を言ってるのか、理解できなかった。
「面白かった……か?」
川名は「ああ、そうだ。」と言い、その口元が緩んだ。
「もしお前が馬鹿のように、ただそいつに連れられ戻ってきたら、お前の方を撃つつもりだった。」
「……。何を言ってる?それじゃ、まるで俺がこうすることが、最初からわかっていたかのようじゃないか。」
「その通りだ。ああ、心配しなくても相馬は何も知らなかったよ。だから出来レースじゃない。お前は、お前の実力で、お前の獲物を狩って、戻ってきたというわけだ、俺の元に。」
霧野が絶句していると、川名が立ち上がった。動くな、と言う霧野の声は震えていた。川名は立ったままこちらを見ている。銃口はこちらを、相馬と霧野の方を向いている。
「俺が飼っていた犬は全て俺に忠実であると同時に、猟犬としても一流だった。」
「……何」
「お前は同じだ。奴らを退屈させないようにするのも俺の仕事なんだ、霧野。わかるか。感覚を鈍らせてはいけない。だからお前にも他の犬と同じように、”おもちゃ”を与えてやることにしたんだ。お前達は常に刺激を求めないではいられないから。お前の元々の飼い主はお前の扱い方を全く理解していなかった。それだけのこと。お前には運が無かった。聡明なお前には本当はわかっていたはずだ。お前の帰る場所など最初から存在していない。用意されていないことくらい。誰も言わないから、はっきり言ってやる、俺よりも、お前の方がよく、理解しているはずだ。」
うるさかった。
「お前は最高の猟犬だよ。」
「俺は、犬じゃ、ない……!」
川名が笑っていた。霧野は相馬を人質、交渉材料として、川名に自由をそれが駄目でも境遇の改善を交渉する気でいたのだった。しかし、川名からすれば、予め自分が用意していた獲物を放り投げ、飼い犬がそれをとって嬉々として戻ってくるのを愉しんで見ていただけのことだったのだ。
無意味だと頭ではもうわかっているものの「銃を降ろせ、さもないと撃つ。」と用意していた言葉を口にした。川名は「とどめを刺したければ、刺していい。だってそいつはもう、お前のモノだから。」と言った上に追い打ちをかけるように「お前が撃たないなら、俺が撃つ。」と付け加えたのだった。「その男には、お前に逃走の機会を与えた責任があるから。」今度は霧野が「よせ。」という番だった。まるで逆である。やりたかったことが。
「なんだ俺にそいつを撃ってほしくないのか。で、お前も撃ちたくないと。では、銃を床に置き、こちらによこせ。お前の手が届かない場所にまで強く蹴れ。少なくとも10メートル以上。壁にぶつけるくらい。」
「……、……。」
霧野は、従った。従うしかなかった。川名は床に転がった銃を拾い上げ、弾を抜いた。それとほとんど同時に霧野の目の前で、紅い花が咲いたのだった。川名が相馬を撃ったのである。どさりと重い音がして気がつくと目の前に一つ巨大な肉塊が転がっていた。霧野は後ろから鈍器で殴られたような衝撃を覚えた。木崎の時と、まるで同じだった。その一瞬で、あの時の記憶が脳裏に鮮明にフラッシュバックした。霧野は叫び出しそうになったのを堪えた。
「なんで……?」
「ところでお前は英語が出来たな。」
霧野は死体から目を上げた。川名は死体には目もくれず銃を懐にしまい、何事も無かったかのように、まるでそこに死体など存在しないように、霧野を見ていた。まだ硝煙の香りが漂って血の臭いがぷんぷんしていた。ぼんやりとしていた視界の中で、川名にだけ焦点があってくる。他に何も見たくないから。
「中国語はどの程度できる。」
霧野は「……。ああ。ああ。そうですね、長いこと、使っていませんから、ある程度復習は必要ですが、必要ならば使えるようにします。」とすらすらと機械的に至極冷淡な調子で応えていた。
何故相馬を呼吸をするように殺したのか、殺せるのか、そもそも今外国語の話などする必要があるのかなど、霧野の精神としては発狂しそうな状況にまで追い込まれていたが、今の川名の前で取り乱した姿を見せれば、目の前と男と同じように処理される可能性が高いことを本能が判断し、理性が働いただけだった。
相馬が死んだから一体なんだというのか、大体俺はこの男のことを知らない、この仕事に就いている以上、悪を成している、他人を虐げた上に生きてきた、悪を成しているということは、いつこうなってもおかしくはないということだ。霧野は今一時自分に嘘をつくことに集中し、川名と同じ地平に立った。
川名組は今、玄武会傘下では最も海外ビジネスを拡大させていた。海外取引によってい生まれる金は日に日に巨額になっていった。組全体の利益であると同時に脅威でもある。それは川名組の前身にあたり今は存在しない潮凪会のコネクションを種に拡大、作り上げられたものだった。霧野は潜入前から多国語、英語はもちろんアジア圏内の幾らかの言語の知識はあった方が有利であると、潜入してからも空き時間に学習を進め、時にその能力を発揮していた。霧野は思い出したように顔にふりかかった血を雨のようにふり払った。
「一日やるから、頭を元のように戻しておけ。」
川名は書斎の更に奥に繋がる扉を開き、灯をつけた。その奥は書庫となっていた。本棚が並び、窓もなく、壁一面も本棚。そこに人影、ではなく、本棚に新品の美しいスーツ一式がハンガーにかかってひっかけられていた。霧野が立ち尽くしたままでいると、川名は開いた扉の横で言った。
「それとも死体の後始末の方が好みなのか?そういうことならお前と間宮の役割を逆にする。それだけだ。三秒以内に選べよ。俺は待たされることが嫌いなんだ。」
選択肢はない。奥の部屋へ足を進めた。背後で扉が閉まり、ガチャリと鍵がかかる音がした。ドアノブを捻ってみる。勿論開くことは無かった。
身体から力が抜けていった。背を扉につけ、そのままずるずると床に座り込んだ。霧野はしばらくの間、扉に背をもたれさせ、うずくまっていた。遅れて体が、がくがく震えだし、奥歯が音を立てた。ふと顔を上げると、用意された衣服が、笑っていた。意識がはっきりしてくる。何を怯えているんだ。一体誰と闘っていると思ってるんだ?あれくらいのことで、今更ビビるなよ、クズ。
『そうだ、今更怖気づくな。』
耳元で木崎先輩の声がはっきり聴こえた。
「そうですよね。俺はまだ進まないといけない。貴女の為にも。もう引き返すことはできない。」
木崎は返事をしなかった。集中できるものがあるのが、唯一の救いだ。久しぶりに字が読める。ありがたいことだ。ありがたいと思え。
翌夜、書斎の奥から出され、着替えを終えた霧野は何食わぬ顔で以前のように川名の仕事に同行した。東南アジアを経由して送られる特定の薬物、その独占の商談である。こちらも五人、あちらも五人、中国系マフィアの第三次団体と倉庫で落ち合う。やり取りは全て英語で行われた。霧野は英語と中国語のその両方を理解していた。向こう側が何か中国語でやりとりするのを、聞こえているとけん制する、交渉が滞りそうなら川名を立てながらサポートする。取引は終わる。川名に相手方が何を話していたか正確に報告する。特に嘘はついていない。ただ、川名のために、己に課せられた目の前の仕事を、完遂させた。これで、良かったのか?これは、正しいことなのか?
仕事が終わると他の三人は始めから取り決められたかのように頭を下げ一つの車に乗り込み先に去っていく。
「ところでお前、俺との約束を覚えているか?」
「……約束?」
川名は怪訝な顔をする霧野に対してどうぞとまるで紳士のように自分の車の助手席のドアを開いてみせるのだった。後部座席の足もとで寝ていたノアが勢い顔を上げ、座席の前脚を引っ掻け、運転席と助手席の間から身を乗り出した。霧野の方へ鼻を向けると大きく口を開いて舌を出す。先に乗り込んだ川名がノアの頭を撫でると、くぅんと啼いて奥へと引っ込んだ。それでようやく霧野は助手席に乗り込んだのだった。
川名の運転する車は、見慣れた街へと戻っていくびだが、事務所ではなく、いつもノアを散歩させるあの公園へと向かった。もしかすると、このまま散歩でもさせられるのか。ノアも連れてきているのだ。
「相馬のことだが」
霧野は川名の方へ頭を向けた。商談の時に引き続き、退屈そうな顔している。それでいて鋭利な印象のまま。
「あいつ、お前に何か言ってたか。」
質問の意味を理解ができなかった。「いえ、特に」と言った時、ふいに霧野の顔を包み笑みを浮かべた相馬の顔が浮かんだのだった。
「そうか。」
川名はそれ以上何も言わなかった。霧野が追求することも無かった。相馬は川名に無断で裏金を貯め、新たな仕事を勝手に始めようとしていた。しかも本家が一枚噛んでいた。相馬とは短い付き合いではなく、川名はある程度の事には目をつむってきたが、もう駄目だと判断した。川名が相馬を追及すると彼はあっさりと自分の非を認めた。今までの働きに免じて、家族のことは保証すること、それから、猶予を与えるから死に方を選ばせてやると伝えた。すると、彼はそれに対しても動揺することも無かった。どこかの段階で覚悟を決めていたのかもしれなかった。そして、相馬は川名にとっても少し意外なことを口にしたのだった。川名か、澤野に手を下されるのなら良いと言ったのだ。
駐車場には既に他に二台、公園には見合わない黒い車が停まっている。その様子を霧野は助手席から眺めていた。車が停まる。服を脱ぐように言われた。その通りにすると後ろ手に錠が架けられそのまま車から外に出された。こんな遅い時間で人は少ないはずなのに、どこからか沢山の人に見られている、そんな異様な気配が夜を満たしていた。仕事の後で気が立ちすぎているのだろうか。眩暈。停車していた車の中から久瀬が降りてきた。
「お疲れ様です。」
「人の入りはどうだ。」
「悪くないです。ここからでもギャラリーが見えるほどです。」
「それは良かったな、ハル、これからお前にバージンロードを歩かせてやる。ついたら着替えだ。まぁお前はもうバージンでも何でもないんだが。」
そうして、三角木馬の上で川名と約束した下限値30人売春が、今ここで行われようとしていることが、ようやく霧野にも分かったのだった。
陰部ピアスにリードを引っかけられ、霧野の姿を見定める為だけに集まってきた男達のいる道を、川名に連れられて歩くだけでそれはもう、頭がおかしくなりそうだった。心の準備も何もできていないのだった。
昨晩から、目の前での殺人の衝撃、そして、それを忘れる為にも一夜漬けで勉強させられ、それなりの仕事させられ、あながちある程度人間性を回復させられたせいで、余計に身体と心の拒絶が激しいのだった。でも、もう、逃れる術を考えても、今はなにも思いつかない。川名と自分が約束したことは事実、撤回不可能、後悔しても遅い。
裸足の裏に石がささる、群衆の視線が全身に突き刺さって霧野を外から内からチクチクと刺すのだった。熱い。歩く度濡れた。行きたくなくても、震える足を、川名の歩く速度に合わせて無理に進ませるしかないのだった。処刑される人間の気持ちを考えた。一歩進むたびに目の奥が、身体が、熱くなる。それにしても、と霧野は俯きがちに、沸騰した頭の中で気を紛らわせるように、川名の言葉を反芻した。着替えとは、一体何を着るというのか。この姿でも十分に恥ずかしいのに。これ以上何をさせられることがあるというのだろうか。
その答えはすぐにわかることになる。公園の中では比較的大きく、発展場として密かに栄えている公衆トイレにつくと、見知った顔の人間が既に何人か控えて霧野達の到着を待ち構えていた。霧野はその身体を取り押さえられ、次々全身に真っ白い精液をぶっかけられたのだった。
「お前に似合いのウェディングドレスだ。だがまだ面積が足りない。これから存分に手伝ってもらおうな、お客様方に。」
◆
Xデー。
深夜、神崎は指定された公園の近くをたむろしていた。掲示板に張り出されていた、いつも束の間の霧野との会合に使っていたあの公園だ。最早遠い昔の記憶のようにも思える。行くべきではない。わざわざ川名の用意した餌に飛びつく必要はない。と、頭でわかってはいても身体が拒絶した。家にいても眠ろうにも眠れず、こうしている間にも本当に霧野が冗談のような凌辱を受けている可能性を考えると、家に居ることもできない。そして結局、野良犬のように公園の周囲を深夜にうろうろと徘徊していた。無理やり現場を公然わいせつ罪として取り押さえることは可能だ。しかしその場合、霧野自身を事件の対象にしない訳にはいかない。二重に恥をかかせることになる。あの性格では恥のあまり勢い自殺するに違いない。
「なんだ、まだ迷っているのか、行けばいいのに。」
突如背後から声をかけられても神崎は別段驚かなかった。彼は一度聞いたら忘れられない特徴的な低い声をしていたから振り返らなくてもわかる。川名に似ているが、身体の大きさがそうさせるのか更に一段階低く聴こえる。
「行ってどうする。」
「事実確認。本当にコトが行われているかどうか位は確認してもいいだろう。というか、気になったからここにいるんじゃないのか。俺の顔はアンタと違って義孝と一部の人間にしかわれていない。アンタの代わりに俺が様子を見て来てやろうか。」
美里龍一郎は神崎の横に並んで歩き始めた。今までどこで何をしていたか知らないが紺色作業着に身を包み目深に同じく紺色の帽子をかぶっており、同じくくすんだ色をしたジャケットに身を包んだ神崎と並んで歩いていても、違和感が無かった。
龍一郎は神崎の返事も聞かないまま追い越し公園の茂みの中へ消えた。龍一郎は外灯の光の届かない茂みの中をポケットに手を突っ込んだまま、のろのろした調子で進んでいった。靴が落ち葉に埋もれる。穢れた作業着も手伝って遠目には浮浪者に見えるかもしれない。それくらいでよかった。今の義孝が何をしているのか、というよりも、今はもっと別の事に興味があった。
果たして実際に、現場の公衆トイレの付近にはこの深夜帯にはそぐわない男の人群れがあった。発展場として既に在る場所だが、事前に下見に来た時とは人入りの量が違う。龍一郎はすぐその場に直行せず、発展場に背を向け迂回し、木陰から駐車場に不自然な高級車が三台停まっていることを確認した。中は見えないが一台エンジンがかけっぱなしにされていた。おそらくそこに義孝がいるだろうことがわかった。
龍一郎は茂みの闇の奥から、光を吸収する真っ黒なシートの張られた窓の奥を見ていた。なるほど、お前はそこで待って居るというわけだ。お前の片思いの相手が来ることを。あいかわらず回りくどいやり方を好む。
龍一郎は来た道を引き返し、公園と歩道を分けるガードレールをなんなく飛び越え、神崎の元へ戻った。煙草の吸い殻が辺り一面に落ちていた。
「中に入ってはないが、やけに人が多いのは確かだ。」
神崎の顔色がほんの微かに陰るのを龍一郎はつぶさに観察し、少しして、微笑みを浮かべた。
「よし、それなら、中まで具合を見て来てやる……。」
龍一郎はまた神崎の返事を聞かないまま今度はどうどうと公園の中へ入っていった。
「兄さんも掲示板を見て来た口か。」
公衆トイレの前でふいに顔色の悪いスーツ姿の男に話しかけられた。彼は指を一本立てた。龍一郎は黙ったまま作業具のポケットの中から無造作に2cm程の札束を取り出し、その中から一枚万札を抜きながら左下の部分を三角形に折って男に渡した。
義孝もしけた商売をするものだな。というのは冗談で、こんな金には金銭的な意味などまったく無い。この金はただ単に霧野という男に売春をさせたという事実を作るためだけの盛り上げ要素であると同時に、客を選別する意味がある。ちょっとした入場料があることで、無料か有料かで客の質は変わる。
中へ入ると女便所かと見まがう程、ただでさえ広く無い便所に男が並んでいて大層むさ苦しく、やれやれもう帰ろうか、と思った程だった。何人かの男が入口に居たスーツの男と同じくただ見張ることに徹している。スジ者らしき男が複数いるから治安がある程度維持されているだけ。普通こういう場はもっと荒れるはずだった。熱気の中心が見えてくる頃には、背後の人の気配が増していた。連中の様子を見るに、どうやら、一部の人間だけが見られる会員制のダークウェブ上のサイト『DVL』で動画が生配信されているらしかった。龍一郎も事前にそのサイトは確認しており、霧野の名前や顔こそ、そのまま出ていないものの、なかなかお目にかかれない肉体であることは誰が見ても明らかだった。それから、これは正統な暴力、調教の一環であり、「奴隷」が粗相をしたため、その身体を自由にしていいと「飼い主」によって書かれているのだった。
その他、実際に現場来たらしい人間の生のコメントがリアルタイムに生々しく書き込まれ、この投稿につられて新たにくる者もいるのか、まだ人が増えつつある。神崎がこれを知ったら流石に出てくるか、それとも、通報するか、どうだろう、一応連絡しておくか。と思った矢先、ようやく霧野の姿がはっきり見える位置までたどり着いた。龍一郎は目を細めた。
ああ……なるほど。
その男は、状況が状況だけに、全身大量の男から出された排せつ物にまみれ、落書きされ、汚辱の底に居るにしては、いや、居るからこそなのか、サイトや写真で見たより、随分いいというか、詐欺レベルに、いいと思った。これならもっと後に来た方が良かったかもしれない。まだ全然精神が死んでいない。龍一郎は壁際の群衆の中に涼二がいないかどうか一応確認した。流石にいないか。どうやら涼二はこの男を義孝から盗もうとして酷い目に遭わされたようだから。下手糞め。それにしても、酷く穢い。本当にヤってくか?どうする?龍一郎は霧野を見降ろしながらポケットからコインを取り出し指ではじいてキャッチした。裏。シーラカンスが龍一郎を掌のからじっと見上げていた。YES。そのコインはモザンビークの2メティカルコインだった。
青。もともとはスカイブルーだったであろうが見る影もないくすんだ青タイル張りの床と壁は濡れて経年劣化でくすみ酷く不潔に感じられる。実際今男達の体臭で誤魔化されているが公衆便所特有の土の空気とそれに相対する蓄積された汚物の臭いが悪い空気の底に漂っていた。爛れた空間であるからこそ、そこにいる者達も度を外したことができる。汚辱な空間であればあるほどに。暴力性も増す。
気づかぬうちに知らない男の精液が靴にかかっていた。はぁ~あ、と欠伸のような酷く低いライオンの唸り声のようなため息をつきながら、龍一郎はコインをポケットに戻し、ベルトの金具を外し始めた。龍一郎は己の一物をしごきながら場が空くのを待ち、前へ身を乗り出した。
その不潔の中で霧野の身体は公衆便所の小便器に股を開かされた状態で男根を挿れるのには丁度いいほどの高さにロープと金具で括りつけられているのだった。頭の後ろで両手首括りつけられた手が強張って獣のように無意味に空に爪をたてている。龍一郎には、霧野がもう素人では無いことがすぐにわかった、豊満な尻肉の汗に濡れ透明な液が溜まったその隙間から、種付けされたスペルマが大量にどろどろと噴き出していた。その白濁の汚辱の注ぎこまれた熱源である熟した裂け目は、蜜を滴らせ柔らかく花のようにふくらみ裂け開いて潤い一滴の血も流していなかった。筋肉というものは実は大変柔軟で柔らかいのだ。
霧野の全身は霧野自身の液と他の男の液でびしょびしょに照り光っていた。天井の灯は古く、手入れもそぞろなようだった。薄暗い蛍光灯はチカ、チカ、と不規則に明滅している。その下に居るから真っ白い皮膚と浮いた赤みとが余計に見る者の網膜に焼き付くのだった。目を閉じてもその像が瞼の裏に写しだされ夢でも見ているかのようだ。
照明。霧野の周囲だけがチカ、チカ、と照らし出され続け、その中を男達の影が代わる代わるやってくる。影が重なり合って便所の壁に映し出されまるで一体の化け物のようになって蠢いていた。
龍一郎は霧野の桃のような尻肉を掴みその熱さを掌で感じながら親指で花咲く柔肉に触れた。何の力も入れなくても乳を吸う子猫のように吸い付いて咥え込み親指に絡みついてくる。親指を上下に動かしている内に、くちくち、という小さく可愛らしい卑猥な音が霧野と龍一郎の耳にだけ聞こえていた。周囲の喧騒は遠くなる。
霧野が俯いたまま、一瞬、低く息を漏らした。その後は、息を荒げて唸り、耐えている。しかし、彼の肉の吸いつきは輪ゴムを何重にしたより強く、粘着質な音もだんだんと大きくなり、触れあっている部分は熱で濡れ、尻に白彫りされている花がみるみる赤く色づき咲き始めた。龍一郎は親指を同じ調子で霧野の中に突っ込み続けながら改めて周囲の景色を眺めた。
あまった金具やロープや脚立が無造作に壁際の隅の方に置かれている。リードもかかっている。ここまでどうやって連れられてきたか、想像に難くない。龍一郎はかつて見た映画のワンシーンで悪役が市中を引き回されていた様子を脳裏で再生させた。体位についても、要望があればある程度調整も可能だし逃がさない限りこちらでどうこうしてもよいということだろう。ご丁寧に目の前の肉便器の周囲にはその他の「遊び道具」まで複数吊るされており、小さな黒板が張り出され、「USE FREE」とある。続いて、一発の相場が書かれているわけだが、一番上にあった5000円に二重線が非かれ段々と「USED」価格に値下がりつつあり現在価値1000円。別の穴の場合500円まで下落が進んでいるところだった。正正T。掲示板の「飼い主」とやらは随分手の込んだことが好きなようだった。入場料の一万円のことは本人には伝えられていないかもしれない。
遊び道具は一、二本使われた形跡があったがまた吊るされ元に戻されおり、まぁおそらくは、最初に来た奴が遊んで、次が来るまでにつなぎにでも突っ込まれいてのだろうが、直ぐに次がきてしまって出番がなかったのだろう。皆が突っ込むだけの行為に飽いてきたら、休憩がてらにまた様々使用されるのだろうと思った。きゅう、花が龍一郎の武骨な指を吸い取ろうとする。龍一郎は指を更に奥に伸ばし、同じ調子で続けた。ん゛ふぅ……ん゛ふぅ……まるで飢えた獣が空腹のあまり唸っているようだ、親指越しに肉の振動が伝わってくる。身体を動かすことが出来ない分、余計敏感に感じるのだろう。
霧野は声を漏らさないようにしているようだったが、呼吸する度に筋肉のうねり、喘ぎ喘ぎしている。龍一郎は、こんなところにいるような男ならまずやらないようにその男の脇腹の辺りに優しく触れてみた。今まで下へ伏せられていた、あからんだ瞼に一瞬動きがあった。そして、直ぐ、誤魔化すように横の方へ移動する。
睫毛が長かった。その先端にいくらか、小さな透明な珠がのっていた。その粒はまるでダイヤのようにこの汚辱の中で奇妙に浮いて星のように輝いているのだった。彼の視線の先を追った。足元を精液の中をゴキブリが一匹這っているのだった。龍一郎はそれを靴底で踏みつぶしたと同時に霧野に上から覆いかぶさるように一歩前に踏み出した。立ち上がった龍一郎はの雄々しい肉が、霧野の待ち構えた肉園の入口を擦り、抉りかけ、そのまま、ぬるりと擦った。そのまま腰を動かす、ぬるっ、ぬるっ、と入口の辺りのぬめりが濃くなっていく、泡、蜜口は龍一郎の雄に、擦られる度にアソコは熱くなり、柔らかくなり、時々、全身が前のめりにびくびくと痙攣していた。
周囲が何か言っていたが、龍一郎には動物の鳴き声程度にしか聞こえていなかった、それよりも霧野内なる声の方が耳に良いのだった。ただ霧野の方には周囲の声の方がはっきり聴こえているようで、苛立ちで気が散り、集中力を欠いているようだった。やれやれ。龍一郎は霧野の様子を見降ろし眺めながら脇に添えていた手を胸部の方へ這わせ這わせ、掴み、親指で乳首に通された金具を弾いた。彼の身体が一段と跳ねた。周りなんか、今、ギャラリーなんかどうでもいいだろ、こっちに集中しろよ。瞳が龍一郎の方へ向く、燃えるような瞳が、ようやく龍一郎を捕えた。ロープが、軋む音をたてた。
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