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サマになってきたじゃないか、悪く無い気分だろ。俺の馬になるのも。
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時は、美里が川名の邸宅の調教部屋に訪れた時刻からおよそ半日遡る。
美里が川名に面会する理由を考えていた矢先、川名から電話でひとつ言伝があった。事務所に今日届くはずになっている荷物を本部、加賀家へと代わりに運んで欲しいというのである。確かに川名の言う通り今朝一つ小さな包みが川名の宛てに事務所に届いており、送り主は彼が贔屓にしている骨董屋であった。
「なんです、中身は。」
『お前が知る必要はない。澪に渡してくるんだ。いつ行っても構わないが、今日中が望ましい。』
「……、わかり」
いつものように美里が言い終える前に電話は一方的に切られる。美里は手早く今日の分の仕事を終え、修理中の愛車の代わりの代替車、庶民的な橙色の車で加賀家へと向かった。こんな糞ダサいファミリーカーよろしくな乗り物、運転席に座るだけで気分がガン萎えもいいところであり、恥辱であり、間宮の阿保のことを思い出すのから一刻も早く手放したいところだが、これしか足が無いのだから仕方がない。
本部へのお使い仕事、これは本部の人間とコネクションを作るのに多少役立つかもしれない、と美里は考えた。美里は今まで仕事において、川名に言われたことを正しく遂行することしか考えていなかったが、自分のため、自分の目的の達成のために仕事をすることを考えるようになったのだ。
加賀家の玉砂利の敷かれた駐車場に車を停め、降りた。ヤクザの本部の広い駐車場の隅に橙のカローラが一台停まっているのは滑稽で恥辱である。さっさと用事を済ませて帰りたく思ってしまう。美里がため息交じりに車から降りた時、先に停まっていた一台の黒い車の影から、一人飛び出すようにしてやってくる者があった。
こちらに向かってくる男を美里はいぶかし気に一瞬見はしたが、用があるのは家の中のみ。無視して歩を進めた。割り込むように背の高い男が飛び出してきて、危うく身体をぶつけかける。
「なんだてめぇあぶねぇじゃねぇか!」
美里が顔を上げると、見た覚えはあるが、名前を知らない男、甲武会直下の別の組の構成員の誰かだ。彼は美里を見下げて親しみを持った笑みを浮かべていた。知らない。馴れ馴れしくされる覚えがない。
「俺が呼び留めようとしてるのわかってたくせに、無視する気だったやろ。冷たいやっちゃな~アンタ。」
「誰だよてめぇは。そっちが知ってようが俺はてめぇのことなんぞ知らねぇんだよ。」
「寂しいこと言うなや、何度か顔を合わせたことあるやないの~忘れたのか?」
美里はもう一度男を一瞥したが、やはり記憶にないのだった。美里は、他の組の男にはほとんど興味が無く覚えていないことの方が多かった。因縁をつけられた相手のことは忘れず復讐するが、それ以外はどうでもよかった。目の前の男は、口ぶりとは逆に、忘れられていることに特に気を害した様子も無く含み笑いをした。
「ま、アンタは中々の有名人やからな、俺が一方的に知ってても無理ない。んふふ、ところで、ユーキ君は君らのとこで元気でやってるんか?それを聞きとうて呼び止めてん、しょうみなはなし、俺もアンタ自体には別に、ぜーんぜん興味ないんよ。俺が興味あんのはユーキ君だけやから。」
美里の眉の端が軽く動き、男の全身を眺めた。男は、日に焼けた顔にまんべんの笑みを浮かべた。ユーキ君、なるほど、思い出した。澤野が、三好組の中で仲良くしていると言っていた、確か、南とかいう男ではなかっただろうか。普段から距離が近いのに、酔っぱらうとダルがらみが更に激しくて仕方が無いのだと言っていた。では、何故そんな男と仲良くするのかと聞けば、他の組の動向を知りたいからだという。一度、美里が珍しく気分がよく気紛れに仕事終わりに澤野を遊びに誘ってみた際、南との先約があるからということで断られたことがあった。他所の組の人間を優先するのかと、美里はその出来事を南の名前と共に執念深く覚えていた。しかも、澤野は無邪気にお前も一緒にどうだと誘うのだ。行くわけが無かった。今、その記憶と共に、目の前の男の存在を思い出したのだ。
「お前、自分が相当きしょいこと言ってる自覚あるか?」
「ん?別に無いよ。素直な気持ちやで。俺はお友達として仲良くしてたいだけやからな。」
「は、友達?いい大人が友情ごっことは。笑えるな。」
「アンタ友達いないタイプやろ。アンタみたいな人間は一生治らんよ。」
南はそう言って笑った。隠し事ができない、いや、しないタイプの人間だ。喜怒哀楽の全部を出せる。美里は南に対する苛立ちがどんどん大きくなるのを感じた。時間の無駄だ。さっさとあしらって、加賀家の中へ入ろうと歩を進めようとするのを、南の身体が美里がよけようとするのと同じ方向に動いて、邪魔をする。
「ちっ…‥」
「ユーキ君はなぁ、飲むと直ぐ紅くなって可愛いんやよ。そんでその顔で親身になって、俺の話をちゃんと聞いてくれるんよ。あんなに親身にアホな俺の話聞いてくれたんはユーキ君が初めてなわけ。」
「……」
「だからなァ、今僕は、ユーキ君のことが、心配で心配でね、夜もおちおち眠れんわけ、そこに同組でかかわりの深そうなアンタが現われたから、ついな、考えるより先、身体が飛び出して行ってしもたんよ。すまんね。」
美里は、澤野がてめぇの話を親身に聞いてたのは、調査のためであって友情でもなんでもない。と言いたくて仕方が無かったが「あ、そうすか」と言ってまた歩を進めようとするのを今度を腕を握られ、反射的に振り払った。
「気安く俺に触るんじゃねぇ!」
美里が怒鳴ると「おお、こっわ~」と言って直ぐに手は離れていったが、ものすごい力だった。握られた箇所がじんじん痛む。彼の衣服の下にある筋力、細身ながら長身、脳筋の言動といい、武闘派の人間なのかもしれなかった。であれば、澤野に好意のようなものをもつのも、わからないでもない。同じ組の中でも、霧野の武闘的な強さに惹かれている人間は少なくなかったのだから。南は美里の方に耳打ちするようにして顔を近づけた。
「でぇ、どうなん?ユーキ君は君んとこの組長さんに、まだ、灸を据えられてんの?」
瞬間的に、美里は、自分の中で燻っていた何かどろどろした異物、その沸点が越えたのを感じた。また自分の知らないところで、川名の手によって何かが行われていたのだ。聞きたくない。美里が言葉にできない苛立ちのあまり、呆然と前を見ていると「ありゃ、その様子じゃ、まだ、虐められてるみたいやな、可哀想に!」と南が嬉々とした調子で言った。心配と言っていたくせに、なんだその嬉しそうな顔。
「君らんとこのボスは、ほぉんと、ひっどい。えげつないことするねぇ……。ま、ポカしたらしいユーキ君が悪いんやろうけど。んふふ、アンタも別嬪さんやけど、ユーキ君はまた違った良い顔と身体やから、」
「さっきからうるせぇぞ……このホモ野郎、3秒以内に俺の前から失せろ。」
「へぇ~、そんなこと言えるん?君が。随分身体を売ってたらしいって俺の仲間から聞いたことあるけど、」
普段の美里ならば、この類の言葉に反射的に手が出るところだったが、美里は普段より幾分安らかな気持ちで南の言葉を聞いていた。
「次その話を持ち出したら殺す。か、もしくは黙って一億円程俺の目の前に持ってきな。そしたら抱いてやるよ。優しくな。何も知らねぇ部外者のくせに、俺達の間のことに口を出すんじゃねぇ、何を見たか知らねぇけど、澤野はお前のことなんか、友達だとも何とも思ってねぇよ、ミリもな。アイツはそういう奴だし、俺だってそうだ。知りたがりのお前に親切心から1つ俺から教えてやろうか。貴様のようなデリカシーのなく、品も無い、糞馴れ馴れしい頭の弱い脳筋体育会系野郎はな、澤野が一番嫌いなタイプなんだぜ、おう、ところで、いい加減、どいてくんねぇかな、俺だって遊びに来てるわけじゃねぇんだ。もしくは、とっとと死んでくれない?目障りなんだよ。」
「……、……。」
美里が再び南を振り切ろうとしたところ、身体がふわっと優しく宙に浮いた。あっという間に南に軽々と抱え上げられたことに気が付いて、美里は暴れ、南の顔や体を殴り引っ掻きしたが、何の効果も無い。南は「あははは、山猫だな」と笑いながら、自分がさっき飛び出してきた車の後部座席に美里を押し込み、自分も中に乗り込んでドアを勢い閉めるのだった。反対側のドアに手を伸ばす美里を上から抑え鳩尾に膝を入れ、踏みつけ顔面を下から殴打し、脳を揺らす。
「う゛…‥」
美里は顔面を覆いながら、南を睨み上げた。下から蹴り上げてはみたが空振り、当たっても寝かされた不安定な姿勢からでは重心が定まらず効いていない。南は更に覆いかぶさってくる。
「何のつもりだっ…‥、貴様」
「何のつもりも何もなァ……」
南の息が顔にかかる。
「ユーキ君が、いっちゃん嫌いなタイプはな、俺じゃなくって、美里君みたいな弱者だってこと。それを俺が、やさしく、教えて差し上げようかなぁと思っただけや。逆に、お前なんかに、俺とユーキ君の一体何がわかるっていうん?俺ごときとも互角に戦えもせん癖して。軽い、軽すぎるよアンタ、身体が。さっきの言葉を訂正するか。今訂正するなら、これ以上何かするのはやめてやってもええで。」
「はァ~?するわけねぇだろッ、馬鹿ッ。だって、真実なんだからよォ……」
拳が鳩尾に入り、同時に南の指が、美里のベルトを外しにかかり、シャツをはだけさせた。美里の手が服の中に仕込んだナイフを探ろうとするのも即座に抑えられ、ナイフも銃も取り上げられ、運転席に投げられた。後部座席にうつ伏せに寝かされ、上から体重がのってくる。狭い空間の中で圧し潰され、じわじわと息がつまり始める。首に腕を回されて首を絞めめられ、手指、脚、身体に力が入らなくなり、頭がぼーっとなってくる。やばいなと思っていると、同時に、身体に、腰のあたりに、何か硬い物が当たり始めているのがわかる。
おいおい、冗談じゃなく、マジでホモ野郎じゃないか。なんだよ、澤野みたいなのじゃなくても誰でもおかまいなしでいいのかよ、といいたいが、もう、声が出ない。代わりに南が元気な声を出した。
「ほぉ、勃つとは、まさかなァ……これは俺も想定外やで、そんなつもり、全然無かったのになァ、軽く暴力ふるって逃がしてやろうと思うてたのに、あまりにも君の身体が、女女しすぎとるから、俺のチンポがお前を女体と勘違いして誤作動起こしてるみたいやわ。ウケるわ~。君みたいな男は全くもって俺のタイプでは無いんやが、なるほど、君のところのボスは、ほぉ~んと、良い趣味しとるわ……」
「……。……。」
澤野が霧野になってからというもの、毎日が厄日じゃねぇか。ふざけんなよ。
「!!」
身体が上下にゆさゆさと揺れ始め、痛みと共に、身体を突き抜けるゴミ。間宮達にまわされた傷が未だ治っていないから、余計に痛い。ゴミがいくら必死こいて動こうと何も感じない。
「……。……。」
「無反応か、まあいいさ、別に。……でもな、これだって、もとはといえば、アンタじゃなくて、ユーキ君が悪いんやからな、えっろい体しよって、あんなの目の前で見せられたら、ナァ、夜もよう眠れんなるわ……」
「うる゛さ……」
「ふふ、反応したな。アンタの今のなっさけない姿観たら、彼、なんて言うかなァ、」
「……、……。」
「おお、無理に口は閉じれたみたいやけど、身体が反応を抑えきれてないぜ…‥、じゃ、これから終わるまで、ずぅーっとユーキ君と俺の話をお前に聞かしたるから、身体で悦んで、自分の発言を悔い改めな。」
………
……
…
美里は玉砂利の上に落ちたままになっていた小包を拾い上げ、重くだるくなった下半身にぐっと力を入れた。早足に加賀家の門をくぐる。中の者に澪への取り次ぐように頼むと、客間の一つの和室に通され、待つことになった。小包を机の上に置く。股座に違和感と痛みがある。座れる状態になく、立ったまま縁側の側の障子を開けた。こじんまりした中庭があり、低木の周りを以前見たのと同じように黒い蝶が二頭飛びまわっているのを見ていた。衣服の中を体液がつたって、靴下に染みた。
腕時計を見る。待たされて、25分たつ。彼は確実に屋敷の中にいるはずであり、もし呼ばれれば、どれだけゆっくり歩いてきても5分と掛からないはずだ。子息であり、仕事を任されているわけでもなく、本来ならすぐ来れるはずなのだ。
美里が落ち付かない猫のように部屋の中をうろうろと歩き回っていたところで、ようやく廊下側の襖があいて、澪が現われた。家着用の緩い紺の和服姿で立っていた。彼は美里を見て、汚物を見たかのように、色白の淡白な顔の上で、眉間にしわを寄せ口を堅く結んでいた。美里は頭を下げて、横目で腕時計を見た。美里が客間に来て優に35分が経っていた。頭を上げ再び彼を見る。澪は襖を開きはしたが、廊下に立ったまま部屋の中に入ってこない。
「義孝は。義孝はどうしたんだよ。」
開口一番、苛立ちを隠しもせず、彼は吐き捨てるように言って、美里に無感動で冷淡な目を真っすぐ向けた。
「組長は忙しく、代わりに私が」
「……。へぇー……これで、三連続だぜ。俺との約束を反故にしたのは。会いに来ると言っておいて。」
「これを」
美里は澪の方に歩み寄って、取り繕うように小包を渡しかけたが、振り払われ、それは壁にぶつかって落ち中で何か割れる音がした。
「そんなもので、俺の機嫌がとれると思ってるのか。安く見られたもんだな。」
澪はようやく部屋の中に入ってきて、美里は反射的に頭を下げた。
「申し訳ありません。」
静かな息遣いが続き、頭を上げろよ、と冷たい声が降ってきた。顔を上げると、冷めざめとした瞳をした澪がちょうど美里と同じか少し高いくらいの目線ですぐ目の前に立っていた。背筋に汗がつたって落ちた。
「義孝が、お前を遣いに選んでよこしたってことは、俺がお前に何をしたって良いってことだ。そうだな。」
「……。」
「……。違うのか?」
「いえ。違いありません。」
「じゃあ、そこに」
澪は畳の上を指さし、視線を一度そちらにやって、もう一度舐めるように美里を見て、軽く微笑んだ。
「そこに這って、俺の馬になれよ。それで上に俺を乗せて、俺が良いというまで、進むんだ。ほら、はやく、四つん這いになれ。」
「……。」
(この……、クソガキが……!!もう子どもって年でもない癖に、この俺に対して何を馬鹿言ってやがんだ、糞が。世間知らずの糞ボンボンがよ、死ね……!!!)
美里が無表情のまま内心激しく澪を罵り、澪が美里をまるで自分の駒のように扱う中、血縁上は澪と美里は本来従弟同士にあたるのだが、それは当人同士は知り得ないことであった。
澪は、美里の目の奥、心の中に何を考えたのかを見すかすように、彼の顔をじっとりとした目でよく眺めていた。美里が渋々な形で、身体を屈めかけるのに、澪は手を伸ばし、肩を軽く掴んで止めさせた。
「ああ、駄目だ駄目だ……」
澪の頭が美里の方に屈みかけ、また、覗き込むように美里を見た。美里は澪が入ってきてから表面期には常に無表情のままでいたが、澪は目を見開いて微笑んだ。
「俺が馬鹿だったよ。やめだ、やめ。」
美里の身体が再び元のように立ち上がると、美里の顔に微かに安どの表情を浮かんだのを確認してから、澪は腕を組んでにこやかに言った。
「馬ってのは動物だからな、服を着てちゃダメだよな。俺としたことが、馬鹿だなァ~と思ってな!あははは!」
「……」
澪は、少しの間声を上げて笑っていたが、美里が表情を硬くし、突っ立ったまま動かないでいるのを見ると、直ぐに瞳を元の冷めた物に戻した。
「おい、なにやってんだお前。俺の言ったことが聞こえなかったか。」
さっきまでとは打って変わったドスのよくきいた低い声で言った。
美里が「今脱ぐのは……」と視線を泳がせると、一転して澪は顔をほころばせて「今脱ぐのは、何だ?」と実にうきうきした様子で聞くのだった。
「その後に続く言葉を教えてくれ。実に気になるぞ。」
「少しだけ外してくれませんか、直ぐに脱いでお待ちしていますから。」
先刻車内で一発終わって虚脱し油断していた南を、美里は下から突き上げるように三度ほど膝で、蹴り上げるようにして金的し、呻く南と上下の位置を入れ替わって足の裏で追加の金的し、取り上げられた凶器を回収した。そして、伸びた南の上に再度寝ころぶようにして車のドアを開けた。
南の上を這いずって、上半身を車から出す、そのまま車から出ていく、わけでは無く、美里は手ごろな石に手を伸ばし、掌の中で遊んでから、拳の中に強く握り込んで車内に戻った。股間を抑えながら、南が起き上がりかけていた。
「ひっでぇこと、しやが、」
美里は猫のような俊敏さで後ろ手に車のドアを勢い閉め、起き上がりかけた南の上に跨った。そのまま何も言わず、腕を強く振り上げ、石を握った拳で、南の顔面、腹部を滅多打ちに殴った。鈍い音が響く。
「……………。」
起き上がりかける彼に、肘打ち、鳩尾を膝蹴りし、声が聞えなくなるまで続けた。手が痺れて真っ赤になっていた。手を開くと指が、続けて腕が震え、石くれが車のシートの下にどすんと転がり落ちた。伸びて何も言わなくなった南だが、胸部が上下しており、生きていることはわかる。それ以上は何も確認しないまま、美里は乱れた服装のまま外へ転げ出た。
どうせあれくらいで死なない。目玉の一個、金玉の一個くらい潰してやりたかったが、やりすぎで組同士の抗争に発展した場合、責任問題になる。奴を嬲ることにそこまでの価値はない。
拳に付着した血をズボンで拭い、おそらく同じく血と汗で汚れただろう顔をジャケットで急ぎ拭い、南に追いつかれる前に衣服を整えながら屋敷の中に駆け込んだのだった。
だから、目立つであろう血を拭き取りはしたが、まだ身体中に行為の痕跡が残っている。尻や太ももに、南や自分の精液体液が付着したままだ。汗と言い訳もできなくはないが苦しい。本来先にトイレでも借りておいて身なりを整えるべきだが、澪が来たタイミングで不在ということは許されず、まさか脱ぐことを要求されるなどとは思ってもいなかったから、さっさとブツを渡してここを出てから、奇麗に洗い流そうと思っていたのだ。
「駄目だ。今俺の目の前で裸になるんだ。」
澪は美里の要望を一蹴した。
「……」
澪の表情は、曇っている美里と対称的に、最初部屋に入ってきた時とは全く違う愉しげな様相を持ち始めた。
「何、この部屋には俺とお前しかいないんだ。お前の身体がどんな様子であろうと、それは俺だけが知り得ること。恥じることは無い。」
「わかりました。」
拒否権は無かった。澪の前でジャケットを脱ぎ、シャツを脱ぎ、ベルトを抜き、ズボンとパンツを降しながら、さりげなく拭ける範囲で下半身の湿り気を拭って、彼の前に膝をつき、這って俯いた。
「なんだ、怪我はしているようだが、我々のような、特にお前達のような者に怪我はつきものだ。それを差し引いたってとても奇麗な身体だ。初めて見る。一体何を恥じることがあるんだ。」
澪の薄く大きな裸足が目の前から横の方へ移動していった。美里の細く弧を描いた背骨の上にどすんと彼の尻がのっかった。跨るのではなく、横座りをして、澪はしばらく足をぶらぶらと揺らしていたが、片方の手で、美里の細い首筋を優しく掴み、反対の手を細い腰の間の尾てい骨のあたりの皮膚の上に置き、両手を使って美里の身体を、まるで産毛を撫でる程の繊細な優しさで、するすると触り始めた。
「ん……っ、ん゛……」
くすぐったさ、言い知れない違和感、疼きに、乗られて軋む美里の身体の奥底から、思わず声が漏れ出て、誤魔化すように右手で口を拭ったが、重さから地から手を放したままではいられないため、また手をついて四つん這いの姿勢に戻った。ぁっ、と、また、触られる度時たま声が漏れ出てしまい、顔を熱くした美里は、眉をひそめ瞼を震わせながら目を細めて深く俯いて奥歯を噛みしめた。尾てい骨のあたりを這っていた手が尻の方に滑り、軽く、ぽん、と叩かれる。
「今のように叩いたら前に進む。」
「…‥、……」
美里はおそらく美里と同じか少し重いくらいの澪をのせ、手を前へ進め、慎重に脚も進めた。彼を振り落とさないように、背骨が軋む、痛むたびに悔しい。尻の上に置かれたままになっていた手がぽんぽんと二度優しく、触れるか触れないかという繊細な手つきで尻を叩いた。
「く……」
「今のように叩いたら止まる。わかったな。」
美里が手足を止めたと同時に徐に後ろから髪を掴まれ、頭を引き上げられ顔をよく覗き込まれた。
「う゛……」
思わず澪から視線を外す。美里の表情を見て、澪は気分を良くしたようで朗らかな笑みを浮かべた。
「ふふ……、普段こんなことしないだろ。でも、大丈夫。これは俺とお前だけの秘密なのだから。」
髪を鷲づかんでいた手が離れていき、また、ぽんと軽く尻を叩かれた。
前に進む。畳の上、客間の中を這って回った。何周もするうちに、普段しない動きと重さ、南とのことで蓄積された疲労、屈辱感、精神的苦痛に、しんどくなってくるが、止まれの合図が無いから、勝手に止まることは許されない。部屋の中にただひとつ、美里の乱れた呼吸だけが上がっては消えていく。いつの間にか全身に汗をかき、身体の一部は緊張し、身体の一部は反対に弛緩していった。どろりとした薄ピンク色の混じった白濁液ものが肉奥から溢れた。股座を伝って畳に染みを残す。腰が、抜けそうだ。
「はぁ……はァ……」
(なんで俺がこんなこと、っ)
「疲れたか?」
上から澪の涼し気な声が降ってきた。
「……はい」
途端、今まで優しく触れられていた尻を思い切り平手打ちされ、美里は思わず、歯を食いしばったまま畳に右ひじをつき、背中が傾いたせいで上に乗っていた澪がバランスを崩した。彼は畳を強く踏み、すっと立ち上がるようにして美里の上から飛び降りた。
身体を起こそうとした美里の頭の上に、澪の足が乗り、ギリギリと体重がかけられていった。
「う゛……‥、!」
美里の頬が畳と密着し、彼の前でうずくまり、土下座に近いような姿勢を取らされ、美里の身体に澪に対して反抗的に身体に力が入る度、より強く踏みしだかれ、ようやく美里が虚脱すると雑に脚が振り払われ、脇腹に軽く一発澪の足の甲が当たった。
(馬が、動物が喋るなってことだな、普段霧野に躾けているのと同じことだ。)
「次やったら、俺も試させてもらうから。」
澪はきっぱりした口調でそう言った。
「俺が、気が付いてないと思ったか。人様の家の門をくぐる前に、一体お前はどこで、ナニを、して来たんだか。俺はこの家の生まれにしては人が良いからな、細かいことは聞かないでおいてやるが、義孝もとんだ色情狂のスケコマ君を俺のところによこすのだから世話が無い。自分が来ない代わりに、お前に俺の下の世話でもさせて機嫌でもとるつもりだったのかな。」
「……、……。」
違うのだと否定したくとも、今声を出すことは許されていない。しかし、澪に南のことを訴え出たらどうなるのだろう。いや、何を考えている。あんな恥辱を人に話すなど、死んでもやらん。再び彼の重さが背中にのしかかり、美里は黙ったまま、澪が良いという合図を出すまで、部屋の中を無心でぐるぐると回り続けた。悔しさと疲労で歩が遅くなると、尻を平手され、疲弊にまた、声が漏れてしまう前に、早く手を前に出した。それでも堪えきれずに声が漏れてしまうことがあり、そうすると、頭まで痺れて馬鹿になったようだった。一歩ごとに、美里は心の中で澪に対して口に出すのもはばかられるような酷い悪態をついた。
ぅ、ぅ、と時々呼吸の中に呻き声が混ざってくると、上から含み笑いが聞えた。クソ、と思ってこらえようとすると、あの擽るような触り方で首筋と尾てい骨のあたりを触られて時々啼いてしまうのだった。
「ぁ゛……く……ぅ」
「サマになってきたじゃないか、悪く無い気分だろ。俺の馬になるのも。」
「………、……。」
「是非またやってくれよ。」
息が切れる。また打たれ、んっ、ん、と出る声に高いものが混ざり、羞恥と屈辱に顔が熱くなって身体が震えた。また澪の手が優しく美里の産毛を触れるか触れないかの瀬戸際の弱さで撫で回し始め、美里は息を深く吸い込んだ。澪はほんのりと紅潮した滑らかな美里の皮膚を撫で続けた。
「もとはといえば、義孝が悪いのだからな。恨むなら彼を恨むんだな。別に、今回のことを、お前が俺に何をされたか、義孝に逐一細かく報告してくれたって俺は全然構わないんだからな。お前がそうしたいなら勝手にそうしろ。俺からは何も言わないから。」
また尻を叩かれ、それが二度だったため、ようやく美里は歩を止めることを許された。上から軽やかに澪が飛び降りて美里の前に屈みこんだ。丁度目の前に打ち捨てられた小包が落ちていた。澪は畳の上に胡坐をかいて、それを開封し始めた。美里は早く服を着て、一秒でも早くここから帰りたかったが、まだ自由になれない。
「ああ、やったな、もったいないことした。駄目だな俺は。感情的すぎる。」
澪は頭をかきながらしばらく中を見ていたが、裸で四つん這いのままの馬のままでいる美里の目の前に箱を傾けた。箱の中に薄緑色をした破片がきらきらと光り輝いていた。澪は、針のように鋭く尖った緑色の光の破片を一つ掌に載せると、美里の顔の目の前に突き出して、掌を傾けながら、光線の具合を変えて、よくその破片を見せた。
「ほら、よく見ろ。実に奇麗だろう。俺が投げたから粉々になってしまったが、元はかなり大きなサイズのベネチアングラスだったみたいだ。大きいのは珍しいからなぁ。」
澪のにこやかな視線は破片の上から、美里の疲弊した瞳の上へと上目遣い媚びるように移動した。
「なぁ、涼二君……、口を開いて、舌を出してくれるかな。今日のところはこれで、終わりにしてやる。」
………
……
…
美里は加賀家の門を出た。南の車はもう無くなっており、美里のカローラだけが不自然に停まっていた。
「……。」
加賀家を出て川名邸に直行する。すっかり辺りは暗くなっていた。門扉を叩くと、蓉子が出てきて、川名の代わりに用件を承ると言った。美里は口を開く代わりに、携帯の画面に文字を打込んで見せた。
『口の中に、澪様からの言伝をいれられているので、直接会わせてください。』
蓉子は一瞬意味を測りかねたようだが、断る理由も見つからなかったようで怪訝な顔をしつつも、美里を邸の中に招き入れ、客間で待たせてくれた。
川名は5分も経たずに美里の前に現れ「ご苦労だったな。どうだった。」と言った。
美里が口を開いて舌を出した上に、尖ったグラスの断片が、美里の唾液と血で、濡れ光っていた。川名は特に表情の一つも変えずソレを見ていたが、ハンカチで手を拭った後、注意深い手つきで美里の口の中に指を入れて、破片を美里の中から摘まみだした。美里の舌の上に微かに血が滲み、口の中は血の味がしていた。加賀家からここに来るまでの間中、美里はそれを飲み込んでしまわぬように、ずっと口の中の物に気を使っていなければならかった。常に危険な痛みが、澪の存在、立場を、美里に嫌でも刻み付けるのだった。出してしまうこともできたのに、それはしなかった。澪の言伝を正確に伝えるには、出してはいけない。
「やれやれ、アイツもろくなことをしない奴になってきたな。」
と言いながらも、川名は特に不機嫌でもなく、寧ろ喜ばし気に美里の血に濡れたグラスの断片をハンカチの中に包んで懐にしまったのだった。美里はようやく自由になった舌で中の血を啜り、息を整えた。川名は美里の様子を眺めながら「他に何かされたか?」と聞いた。
「いえ、特に。」
喋る度に、舌が痺れて、血の味がした。
肉体の内側。口の中の粘膜も、腸の中の粘膜も、傷ついて切れていた。
「そうか。流石にそろそろ俺が行かないと実害が出るな。……。なんだ?まだ俺に何か用があるのか。」
「霧野は、まだここにいるのですか。」
川名は「ああ」と忘れかけていた物を思い出したかのように言って「そうだが、それがどうした。」と続けた。
「いつまでここに居させるつもりですか。俺は、……、しばらく見ていないから、今、どうなっているか……」
美里は、今ここに居ないノアの香りを直ぐ身近に感じた。臭いの記憶が立ち昇る。加賀家での一連の出来事は最悪でしかなかったが、おかげでこうして川名の側、霧野の側に来れたことを思えばまだ耐えられた。
「もしや、死んだのではないかと思うと、気が……」
気が変になりそうで。
「なんだ、そんなに奴のことが気にかかるか。死んではないし、こっちが引くくらい元気なものだぜ。ふふ。」
川名は壁に架けられた時計を眺めた。
「そうだな、夕食を終えた辺りで様子を見に行くつもりだったから、お前も一緒に来るか。お前の分くらいは追加で作らせよう。今日は魚の予定だったからお前でも食べられる。」
美里が川名に面会する理由を考えていた矢先、川名から電話でひとつ言伝があった。事務所に今日届くはずになっている荷物を本部、加賀家へと代わりに運んで欲しいというのである。確かに川名の言う通り今朝一つ小さな包みが川名の宛てに事務所に届いており、送り主は彼が贔屓にしている骨董屋であった。
「なんです、中身は。」
『お前が知る必要はない。澪に渡してくるんだ。いつ行っても構わないが、今日中が望ましい。』
「……、わかり」
いつものように美里が言い終える前に電話は一方的に切られる。美里は手早く今日の分の仕事を終え、修理中の愛車の代わりの代替車、庶民的な橙色の車で加賀家へと向かった。こんな糞ダサいファミリーカーよろしくな乗り物、運転席に座るだけで気分がガン萎えもいいところであり、恥辱であり、間宮の阿保のことを思い出すのから一刻も早く手放したいところだが、これしか足が無いのだから仕方がない。
本部へのお使い仕事、これは本部の人間とコネクションを作るのに多少役立つかもしれない、と美里は考えた。美里は今まで仕事において、川名に言われたことを正しく遂行することしか考えていなかったが、自分のため、自分の目的の達成のために仕事をすることを考えるようになったのだ。
加賀家の玉砂利の敷かれた駐車場に車を停め、降りた。ヤクザの本部の広い駐車場の隅に橙のカローラが一台停まっているのは滑稽で恥辱である。さっさと用事を済ませて帰りたく思ってしまう。美里がため息交じりに車から降りた時、先に停まっていた一台の黒い車の影から、一人飛び出すようにしてやってくる者があった。
こちらに向かってくる男を美里はいぶかし気に一瞬見はしたが、用があるのは家の中のみ。無視して歩を進めた。割り込むように背の高い男が飛び出してきて、危うく身体をぶつけかける。
「なんだてめぇあぶねぇじゃねぇか!」
美里が顔を上げると、見た覚えはあるが、名前を知らない男、甲武会直下の別の組の構成員の誰かだ。彼は美里を見下げて親しみを持った笑みを浮かべていた。知らない。馴れ馴れしくされる覚えがない。
「俺が呼び留めようとしてるのわかってたくせに、無視する気だったやろ。冷たいやっちゃな~アンタ。」
「誰だよてめぇは。そっちが知ってようが俺はてめぇのことなんぞ知らねぇんだよ。」
「寂しいこと言うなや、何度か顔を合わせたことあるやないの~忘れたのか?」
美里はもう一度男を一瞥したが、やはり記憶にないのだった。美里は、他の組の男にはほとんど興味が無く覚えていないことの方が多かった。因縁をつけられた相手のことは忘れず復讐するが、それ以外はどうでもよかった。目の前の男は、口ぶりとは逆に、忘れられていることに特に気を害した様子も無く含み笑いをした。
「ま、アンタは中々の有名人やからな、俺が一方的に知ってても無理ない。んふふ、ところで、ユーキ君は君らのとこで元気でやってるんか?それを聞きとうて呼び止めてん、しょうみなはなし、俺もアンタ自体には別に、ぜーんぜん興味ないんよ。俺が興味あんのはユーキ君だけやから。」
美里の眉の端が軽く動き、男の全身を眺めた。男は、日に焼けた顔にまんべんの笑みを浮かべた。ユーキ君、なるほど、思い出した。澤野が、三好組の中で仲良くしていると言っていた、確か、南とかいう男ではなかっただろうか。普段から距離が近いのに、酔っぱらうとダルがらみが更に激しくて仕方が無いのだと言っていた。では、何故そんな男と仲良くするのかと聞けば、他の組の動向を知りたいからだという。一度、美里が珍しく気分がよく気紛れに仕事終わりに澤野を遊びに誘ってみた際、南との先約があるからということで断られたことがあった。他所の組の人間を優先するのかと、美里はその出来事を南の名前と共に執念深く覚えていた。しかも、澤野は無邪気にお前も一緒にどうだと誘うのだ。行くわけが無かった。今、その記憶と共に、目の前の男の存在を思い出したのだ。
「お前、自分が相当きしょいこと言ってる自覚あるか?」
「ん?別に無いよ。素直な気持ちやで。俺はお友達として仲良くしてたいだけやからな。」
「は、友達?いい大人が友情ごっことは。笑えるな。」
「アンタ友達いないタイプやろ。アンタみたいな人間は一生治らんよ。」
南はそう言って笑った。隠し事ができない、いや、しないタイプの人間だ。喜怒哀楽の全部を出せる。美里は南に対する苛立ちがどんどん大きくなるのを感じた。時間の無駄だ。さっさとあしらって、加賀家の中へ入ろうと歩を進めようとするのを、南の身体が美里がよけようとするのと同じ方向に動いて、邪魔をする。
「ちっ…‥」
「ユーキ君はなぁ、飲むと直ぐ紅くなって可愛いんやよ。そんでその顔で親身になって、俺の話をちゃんと聞いてくれるんよ。あんなに親身にアホな俺の話聞いてくれたんはユーキ君が初めてなわけ。」
「……」
「だからなァ、今僕は、ユーキ君のことが、心配で心配でね、夜もおちおち眠れんわけ、そこに同組でかかわりの深そうなアンタが現われたから、ついな、考えるより先、身体が飛び出して行ってしもたんよ。すまんね。」
美里は、澤野がてめぇの話を親身に聞いてたのは、調査のためであって友情でもなんでもない。と言いたくて仕方が無かったが「あ、そうすか」と言ってまた歩を進めようとするのを今度を腕を握られ、反射的に振り払った。
「気安く俺に触るんじゃねぇ!」
美里が怒鳴ると「おお、こっわ~」と言って直ぐに手は離れていったが、ものすごい力だった。握られた箇所がじんじん痛む。彼の衣服の下にある筋力、細身ながら長身、脳筋の言動といい、武闘派の人間なのかもしれなかった。であれば、澤野に好意のようなものをもつのも、わからないでもない。同じ組の中でも、霧野の武闘的な強さに惹かれている人間は少なくなかったのだから。南は美里の方に耳打ちするようにして顔を近づけた。
「でぇ、どうなん?ユーキ君は君んとこの組長さんに、まだ、灸を据えられてんの?」
瞬間的に、美里は、自分の中で燻っていた何かどろどろした異物、その沸点が越えたのを感じた。また自分の知らないところで、川名の手によって何かが行われていたのだ。聞きたくない。美里が言葉にできない苛立ちのあまり、呆然と前を見ていると「ありゃ、その様子じゃ、まだ、虐められてるみたいやな、可哀想に!」と南が嬉々とした調子で言った。心配と言っていたくせに、なんだその嬉しそうな顔。
「君らんとこのボスは、ほぉんと、ひっどい。えげつないことするねぇ……。ま、ポカしたらしいユーキ君が悪いんやろうけど。んふふ、アンタも別嬪さんやけど、ユーキ君はまた違った良い顔と身体やから、」
「さっきからうるせぇぞ……このホモ野郎、3秒以内に俺の前から失せろ。」
「へぇ~、そんなこと言えるん?君が。随分身体を売ってたらしいって俺の仲間から聞いたことあるけど、」
普段の美里ならば、この類の言葉に反射的に手が出るところだったが、美里は普段より幾分安らかな気持ちで南の言葉を聞いていた。
「次その話を持ち出したら殺す。か、もしくは黙って一億円程俺の目の前に持ってきな。そしたら抱いてやるよ。優しくな。何も知らねぇ部外者のくせに、俺達の間のことに口を出すんじゃねぇ、何を見たか知らねぇけど、澤野はお前のことなんか、友達だとも何とも思ってねぇよ、ミリもな。アイツはそういう奴だし、俺だってそうだ。知りたがりのお前に親切心から1つ俺から教えてやろうか。貴様のようなデリカシーのなく、品も無い、糞馴れ馴れしい頭の弱い脳筋体育会系野郎はな、澤野が一番嫌いなタイプなんだぜ、おう、ところで、いい加減、どいてくんねぇかな、俺だって遊びに来てるわけじゃねぇんだ。もしくは、とっとと死んでくれない?目障りなんだよ。」
「……、……。」
美里が再び南を振り切ろうとしたところ、身体がふわっと優しく宙に浮いた。あっという間に南に軽々と抱え上げられたことに気が付いて、美里は暴れ、南の顔や体を殴り引っ掻きしたが、何の効果も無い。南は「あははは、山猫だな」と笑いながら、自分がさっき飛び出してきた車の後部座席に美里を押し込み、自分も中に乗り込んでドアを勢い閉めるのだった。反対側のドアに手を伸ばす美里を上から抑え鳩尾に膝を入れ、踏みつけ顔面を下から殴打し、脳を揺らす。
「う゛…‥」
美里は顔面を覆いながら、南を睨み上げた。下から蹴り上げてはみたが空振り、当たっても寝かされた不安定な姿勢からでは重心が定まらず効いていない。南は更に覆いかぶさってくる。
「何のつもりだっ…‥、貴様」
「何のつもりも何もなァ……」
南の息が顔にかかる。
「ユーキ君が、いっちゃん嫌いなタイプはな、俺じゃなくって、美里君みたいな弱者だってこと。それを俺が、やさしく、教えて差し上げようかなぁと思っただけや。逆に、お前なんかに、俺とユーキ君の一体何がわかるっていうん?俺ごときとも互角に戦えもせん癖して。軽い、軽すぎるよアンタ、身体が。さっきの言葉を訂正するか。今訂正するなら、これ以上何かするのはやめてやってもええで。」
「はァ~?するわけねぇだろッ、馬鹿ッ。だって、真実なんだからよォ……」
拳が鳩尾に入り、同時に南の指が、美里のベルトを外しにかかり、シャツをはだけさせた。美里の手が服の中に仕込んだナイフを探ろうとするのも即座に抑えられ、ナイフも銃も取り上げられ、運転席に投げられた。後部座席にうつ伏せに寝かされ、上から体重がのってくる。狭い空間の中で圧し潰され、じわじわと息がつまり始める。首に腕を回されて首を絞めめられ、手指、脚、身体に力が入らなくなり、頭がぼーっとなってくる。やばいなと思っていると、同時に、身体に、腰のあたりに、何か硬い物が当たり始めているのがわかる。
おいおい、冗談じゃなく、マジでホモ野郎じゃないか。なんだよ、澤野みたいなのじゃなくても誰でもおかまいなしでいいのかよ、といいたいが、もう、声が出ない。代わりに南が元気な声を出した。
「ほぉ、勃つとは、まさかなァ……これは俺も想定外やで、そんなつもり、全然無かったのになァ、軽く暴力ふるって逃がしてやろうと思うてたのに、あまりにも君の身体が、女女しすぎとるから、俺のチンポがお前を女体と勘違いして誤作動起こしてるみたいやわ。ウケるわ~。君みたいな男は全くもって俺のタイプでは無いんやが、なるほど、君のところのボスは、ほぉ~んと、良い趣味しとるわ……」
「……。……。」
澤野が霧野になってからというもの、毎日が厄日じゃねぇか。ふざけんなよ。
「!!」
身体が上下にゆさゆさと揺れ始め、痛みと共に、身体を突き抜けるゴミ。間宮達にまわされた傷が未だ治っていないから、余計に痛い。ゴミがいくら必死こいて動こうと何も感じない。
「……。……。」
「無反応か、まあいいさ、別に。……でもな、これだって、もとはといえば、アンタじゃなくて、ユーキ君が悪いんやからな、えっろい体しよって、あんなの目の前で見せられたら、ナァ、夜もよう眠れんなるわ……」
「うる゛さ……」
「ふふ、反応したな。アンタの今のなっさけない姿観たら、彼、なんて言うかなァ、」
「……、……。」
「おお、無理に口は閉じれたみたいやけど、身体が反応を抑えきれてないぜ…‥、じゃ、これから終わるまで、ずぅーっとユーキ君と俺の話をお前に聞かしたるから、身体で悦んで、自分の発言を悔い改めな。」
………
……
…
美里は玉砂利の上に落ちたままになっていた小包を拾い上げ、重くだるくなった下半身にぐっと力を入れた。早足に加賀家の門をくぐる。中の者に澪への取り次ぐように頼むと、客間の一つの和室に通され、待つことになった。小包を机の上に置く。股座に違和感と痛みがある。座れる状態になく、立ったまま縁側の側の障子を開けた。こじんまりした中庭があり、低木の周りを以前見たのと同じように黒い蝶が二頭飛びまわっているのを見ていた。衣服の中を体液がつたって、靴下に染みた。
腕時計を見る。待たされて、25分たつ。彼は確実に屋敷の中にいるはずであり、もし呼ばれれば、どれだけゆっくり歩いてきても5分と掛からないはずだ。子息であり、仕事を任されているわけでもなく、本来ならすぐ来れるはずなのだ。
美里が落ち付かない猫のように部屋の中をうろうろと歩き回っていたところで、ようやく廊下側の襖があいて、澪が現われた。家着用の緩い紺の和服姿で立っていた。彼は美里を見て、汚物を見たかのように、色白の淡白な顔の上で、眉間にしわを寄せ口を堅く結んでいた。美里は頭を下げて、横目で腕時計を見た。美里が客間に来て優に35分が経っていた。頭を上げ再び彼を見る。澪は襖を開きはしたが、廊下に立ったまま部屋の中に入ってこない。
「義孝は。義孝はどうしたんだよ。」
開口一番、苛立ちを隠しもせず、彼は吐き捨てるように言って、美里に無感動で冷淡な目を真っすぐ向けた。
「組長は忙しく、代わりに私が」
「……。へぇー……これで、三連続だぜ。俺との約束を反故にしたのは。会いに来ると言っておいて。」
「これを」
美里は澪の方に歩み寄って、取り繕うように小包を渡しかけたが、振り払われ、それは壁にぶつかって落ち中で何か割れる音がした。
「そんなもので、俺の機嫌がとれると思ってるのか。安く見られたもんだな。」
澪はようやく部屋の中に入ってきて、美里は反射的に頭を下げた。
「申し訳ありません。」
静かな息遣いが続き、頭を上げろよ、と冷たい声が降ってきた。顔を上げると、冷めざめとした瞳をした澪がちょうど美里と同じか少し高いくらいの目線ですぐ目の前に立っていた。背筋に汗がつたって落ちた。
「義孝が、お前を遣いに選んでよこしたってことは、俺がお前に何をしたって良いってことだ。そうだな。」
「……。」
「……。違うのか?」
「いえ。違いありません。」
「じゃあ、そこに」
澪は畳の上を指さし、視線を一度そちらにやって、もう一度舐めるように美里を見て、軽く微笑んだ。
「そこに這って、俺の馬になれよ。それで上に俺を乗せて、俺が良いというまで、進むんだ。ほら、はやく、四つん這いになれ。」
「……。」
(この……、クソガキが……!!もう子どもって年でもない癖に、この俺に対して何を馬鹿言ってやがんだ、糞が。世間知らずの糞ボンボンがよ、死ね……!!!)
美里が無表情のまま内心激しく澪を罵り、澪が美里をまるで自分の駒のように扱う中、血縁上は澪と美里は本来従弟同士にあたるのだが、それは当人同士は知り得ないことであった。
澪は、美里の目の奥、心の中に何を考えたのかを見すかすように、彼の顔をじっとりとした目でよく眺めていた。美里が渋々な形で、身体を屈めかけるのに、澪は手を伸ばし、肩を軽く掴んで止めさせた。
「ああ、駄目だ駄目だ……」
澪の頭が美里の方に屈みかけ、また、覗き込むように美里を見た。美里は澪が入ってきてから表面期には常に無表情のままでいたが、澪は目を見開いて微笑んだ。
「俺が馬鹿だったよ。やめだ、やめ。」
美里の身体が再び元のように立ち上がると、美里の顔に微かに安どの表情を浮かんだのを確認してから、澪は腕を組んでにこやかに言った。
「馬ってのは動物だからな、服を着てちゃダメだよな。俺としたことが、馬鹿だなァ~と思ってな!あははは!」
「……」
澪は、少しの間声を上げて笑っていたが、美里が表情を硬くし、突っ立ったまま動かないでいるのを見ると、直ぐに瞳を元の冷めた物に戻した。
「おい、なにやってんだお前。俺の言ったことが聞こえなかったか。」
さっきまでとは打って変わったドスのよくきいた低い声で言った。
美里が「今脱ぐのは……」と視線を泳がせると、一転して澪は顔をほころばせて「今脱ぐのは、何だ?」と実にうきうきした様子で聞くのだった。
「その後に続く言葉を教えてくれ。実に気になるぞ。」
「少しだけ外してくれませんか、直ぐに脱いでお待ちしていますから。」
先刻車内で一発終わって虚脱し油断していた南を、美里は下から突き上げるように三度ほど膝で、蹴り上げるようにして金的し、呻く南と上下の位置を入れ替わって足の裏で追加の金的し、取り上げられた凶器を回収した。そして、伸びた南の上に再度寝ころぶようにして車のドアを開けた。
南の上を這いずって、上半身を車から出す、そのまま車から出ていく、わけでは無く、美里は手ごろな石に手を伸ばし、掌の中で遊んでから、拳の中に強く握り込んで車内に戻った。股間を抑えながら、南が起き上がりかけていた。
「ひっでぇこと、しやが、」
美里は猫のような俊敏さで後ろ手に車のドアを勢い閉め、起き上がりかけた南の上に跨った。そのまま何も言わず、腕を強く振り上げ、石を握った拳で、南の顔面、腹部を滅多打ちに殴った。鈍い音が響く。
「……………。」
起き上がりかける彼に、肘打ち、鳩尾を膝蹴りし、声が聞えなくなるまで続けた。手が痺れて真っ赤になっていた。手を開くと指が、続けて腕が震え、石くれが車のシートの下にどすんと転がり落ちた。伸びて何も言わなくなった南だが、胸部が上下しており、生きていることはわかる。それ以上は何も確認しないまま、美里は乱れた服装のまま外へ転げ出た。
どうせあれくらいで死なない。目玉の一個、金玉の一個くらい潰してやりたかったが、やりすぎで組同士の抗争に発展した場合、責任問題になる。奴を嬲ることにそこまでの価値はない。
拳に付着した血をズボンで拭い、おそらく同じく血と汗で汚れただろう顔をジャケットで急ぎ拭い、南に追いつかれる前に衣服を整えながら屋敷の中に駆け込んだのだった。
だから、目立つであろう血を拭き取りはしたが、まだ身体中に行為の痕跡が残っている。尻や太ももに、南や自分の精液体液が付着したままだ。汗と言い訳もできなくはないが苦しい。本来先にトイレでも借りておいて身なりを整えるべきだが、澪が来たタイミングで不在ということは許されず、まさか脱ぐことを要求されるなどとは思ってもいなかったから、さっさとブツを渡してここを出てから、奇麗に洗い流そうと思っていたのだ。
「駄目だ。今俺の目の前で裸になるんだ。」
澪は美里の要望を一蹴した。
「……」
澪の表情は、曇っている美里と対称的に、最初部屋に入ってきた時とは全く違う愉しげな様相を持ち始めた。
「何、この部屋には俺とお前しかいないんだ。お前の身体がどんな様子であろうと、それは俺だけが知り得ること。恥じることは無い。」
「わかりました。」
拒否権は無かった。澪の前でジャケットを脱ぎ、シャツを脱ぎ、ベルトを抜き、ズボンとパンツを降しながら、さりげなく拭ける範囲で下半身の湿り気を拭って、彼の前に膝をつき、這って俯いた。
「なんだ、怪我はしているようだが、我々のような、特にお前達のような者に怪我はつきものだ。それを差し引いたってとても奇麗な身体だ。初めて見る。一体何を恥じることがあるんだ。」
澪の薄く大きな裸足が目の前から横の方へ移動していった。美里の細く弧を描いた背骨の上にどすんと彼の尻がのっかった。跨るのではなく、横座りをして、澪はしばらく足をぶらぶらと揺らしていたが、片方の手で、美里の細い首筋を優しく掴み、反対の手を細い腰の間の尾てい骨のあたりの皮膚の上に置き、両手を使って美里の身体を、まるで産毛を撫でる程の繊細な優しさで、するすると触り始めた。
「ん……っ、ん゛……」
くすぐったさ、言い知れない違和感、疼きに、乗られて軋む美里の身体の奥底から、思わず声が漏れ出て、誤魔化すように右手で口を拭ったが、重さから地から手を放したままではいられないため、また手をついて四つん這いの姿勢に戻った。ぁっ、と、また、触られる度時たま声が漏れ出てしまい、顔を熱くした美里は、眉をひそめ瞼を震わせながら目を細めて深く俯いて奥歯を噛みしめた。尾てい骨のあたりを這っていた手が尻の方に滑り、軽く、ぽん、と叩かれる。
「今のように叩いたら前に進む。」
「…‥、……」
美里はおそらく美里と同じか少し重いくらいの澪をのせ、手を前へ進め、慎重に脚も進めた。彼を振り落とさないように、背骨が軋む、痛むたびに悔しい。尻の上に置かれたままになっていた手がぽんぽんと二度優しく、触れるか触れないかという繊細な手つきで尻を叩いた。
「く……」
「今のように叩いたら止まる。わかったな。」
美里が手足を止めたと同時に徐に後ろから髪を掴まれ、頭を引き上げられ顔をよく覗き込まれた。
「う゛……」
思わず澪から視線を外す。美里の表情を見て、澪は気分を良くしたようで朗らかな笑みを浮かべた。
「ふふ……、普段こんなことしないだろ。でも、大丈夫。これは俺とお前だけの秘密なのだから。」
髪を鷲づかんでいた手が離れていき、また、ぽんと軽く尻を叩かれた。
前に進む。畳の上、客間の中を這って回った。何周もするうちに、普段しない動きと重さ、南とのことで蓄積された疲労、屈辱感、精神的苦痛に、しんどくなってくるが、止まれの合図が無いから、勝手に止まることは許されない。部屋の中にただひとつ、美里の乱れた呼吸だけが上がっては消えていく。いつの間にか全身に汗をかき、身体の一部は緊張し、身体の一部は反対に弛緩していった。どろりとした薄ピンク色の混じった白濁液ものが肉奥から溢れた。股座を伝って畳に染みを残す。腰が、抜けそうだ。
「はぁ……はァ……」
(なんで俺がこんなこと、っ)
「疲れたか?」
上から澪の涼し気な声が降ってきた。
「……はい」
途端、今まで優しく触れられていた尻を思い切り平手打ちされ、美里は思わず、歯を食いしばったまま畳に右ひじをつき、背中が傾いたせいで上に乗っていた澪がバランスを崩した。彼は畳を強く踏み、すっと立ち上がるようにして美里の上から飛び降りた。
身体を起こそうとした美里の頭の上に、澪の足が乗り、ギリギリと体重がかけられていった。
「う゛……‥、!」
美里の頬が畳と密着し、彼の前でうずくまり、土下座に近いような姿勢を取らされ、美里の身体に澪に対して反抗的に身体に力が入る度、より強く踏みしだかれ、ようやく美里が虚脱すると雑に脚が振り払われ、脇腹に軽く一発澪の足の甲が当たった。
(馬が、動物が喋るなってことだな、普段霧野に躾けているのと同じことだ。)
「次やったら、俺も試させてもらうから。」
澪はきっぱりした口調でそう言った。
「俺が、気が付いてないと思ったか。人様の家の門をくぐる前に、一体お前はどこで、ナニを、して来たんだか。俺はこの家の生まれにしては人が良いからな、細かいことは聞かないでおいてやるが、義孝もとんだ色情狂のスケコマ君を俺のところによこすのだから世話が無い。自分が来ない代わりに、お前に俺の下の世話でもさせて機嫌でもとるつもりだったのかな。」
「……、……。」
違うのだと否定したくとも、今声を出すことは許されていない。しかし、澪に南のことを訴え出たらどうなるのだろう。いや、何を考えている。あんな恥辱を人に話すなど、死んでもやらん。再び彼の重さが背中にのしかかり、美里は黙ったまま、澪が良いという合図を出すまで、部屋の中を無心でぐるぐると回り続けた。悔しさと疲労で歩が遅くなると、尻を平手され、疲弊にまた、声が漏れてしまう前に、早く手を前に出した。それでも堪えきれずに声が漏れてしまうことがあり、そうすると、頭まで痺れて馬鹿になったようだった。一歩ごとに、美里は心の中で澪に対して口に出すのもはばかられるような酷い悪態をついた。
ぅ、ぅ、と時々呼吸の中に呻き声が混ざってくると、上から含み笑いが聞えた。クソ、と思ってこらえようとすると、あの擽るような触り方で首筋と尾てい骨のあたりを触られて時々啼いてしまうのだった。
「ぁ゛……く……ぅ」
「サマになってきたじゃないか、悪く無い気分だろ。俺の馬になるのも。」
「………、……。」
「是非またやってくれよ。」
息が切れる。また打たれ、んっ、ん、と出る声に高いものが混ざり、羞恥と屈辱に顔が熱くなって身体が震えた。また澪の手が優しく美里の産毛を触れるか触れないかの瀬戸際の弱さで撫で回し始め、美里は息を深く吸い込んだ。澪はほんのりと紅潮した滑らかな美里の皮膚を撫で続けた。
「もとはといえば、義孝が悪いのだからな。恨むなら彼を恨むんだな。別に、今回のことを、お前が俺に何をされたか、義孝に逐一細かく報告してくれたって俺は全然構わないんだからな。お前がそうしたいなら勝手にそうしろ。俺からは何も言わないから。」
また尻を叩かれ、それが二度だったため、ようやく美里は歩を止めることを許された。上から軽やかに澪が飛び降りて美里の前に屈みこんだ。丁度目の前に打ち捨てられた小包が落ちていた。澪は畳の上に胡坐をかいて、それを開封し始めた。美里は早く服を着て、一秒でも早くここから帰りたかったが、まだ自由になれない。
「ああ、やったな、もったいないことした。駄目だな俺は。感情的すぎる。」
澪は頭をかきながらしばらく中を見ていたが、裸で四つん這いのままの馬のままでいる美里の目の前に箱を傾けた。箱の中に薄緑色をした破片がきらきらと光り輝いていた。澪は、針のように鋭く尖った緑色の光の破片を一つ掌に載せると、美里の顔の目の前に突き出して、掌を傾けながら、光線の具合を変えて、よくその破片を見せた。
「ほら、よく見ろ。実に奇麗だろう。俺が投げたから粉々になってしまったが、元はかなり大きなサイズのベネチアングラスだったみたいだ。大きいのは珍しいからなぁ。」
澪のにこやかな視線は破片の上から、美里の疲弊した瞳の上へと上目遣い媚びるように移動した。
「なぁ、涼二君……、口を開いて、舌を出してくれるかな。今日のところはこれで、終わりにしてやる。」
………
……
…
美里は加賀家の門を出た。南の車はもう無くなっており、美里のカローラだけが不自然に停まっていた。
「……。」
加賀家を出て川名邸に直行する。すっかり辺りは暗くなっていた。門扉を叩くと、蓉子が出てきて、川名の代わりに用件を承ると言った。美里は口を開く代わりに、携帯の画面に文字を打込んで見せた。
『口の中に、澪様からの言伝をいれられているので、直接会わせてください。』
蓉子は一瞬意味を測りかねたようだが、断る理由も見つからなかったようで怪訝な顔をしつつも、美里を邸の中に招き入れ、客間で待たせてくれた。
川名は5分も経たずに美里の前に現れ「ご苦労だったな。どうだった。」と言った。
美里が口を開いて舌を出した上に、尖ったグラスの断片が、美里の唾液と血で、濡れ光っていた。川名は特に表情の一つも変えずソレを見ていたが、ハンカチで手を拭った後、注意深い手つきで美里の口の中に指を入れて、破片を美里の中から摘まみだした。美里の舌の上に微かに血が滲み、口の中は血の味がしていた。加賀家からここに来るまでの間中、美里はそれを飲み込んでしまわぬように、ずっと口の中の物に気を使っていなければならかった。常に危険な痛みが、澪の存在、立場を、美里に嫌でも刻み付けるのだった。出してしまうこともできたのに、それはしなかった。澪の言伝を正確に伝えるには、出してはいけない。
「やれやれ、アイツもろくなことをしない奴になってきたな。」
と言いながらも、川名は特に不機嫌でもなく、寧ろ喜ばし気に美里の血に濡れたグラスの断片をハンカチの中に包んで懐にしまったのだった。美里はようやく自由になった舌で中の血を啜り、息を整えた。川名は美里の様子を眺めながら「他に何かされたか?」と聞いた。
「いえ、特に。」
喋る度に、舌が痺れて、血の味がした。
肉体の内側。口の中の粘膜も、腸の中の粘膜も、傷ついて切れていた。
「そうか。流石にそろそろ俺が行かないと実害が出るな。……。なんだ?まだ俺に何か用があるのか。」
「霧野は、まだここにいるのですか。」
川名は「ああ」と忘れかけていた物を思い出したかのように言って「そうだが、それがどうした。」と続けた。
「いつまでここに居させるつもりですか。俺は、……、しばらく見ていないから、今、どうなっているか……」
美里は、今ここに居ないノアの香りを直ぐ身近に感じた。臭いの記憶が立ち昇る。加賀家での一連の出来事は最悪でしかなかったが、おかげでこうして川名の側、霧野の側に来れたことを思えばまだ耐えられた。
「もしや、死んだのではないかと思うと、気が……」
気が変になりそうで。
「なんだ、そんなに奴のことが気にかかるか。死んではないし、こっちが引くくらい元気なものだぜ。ふふ。」
川名は壁に架けられた時計を眺めた。
「そうだな、夕食を終えた辺りで様子を見に行くつもりだったから、お前も一緒に来るか。お前の分くらいは追加で作らせよう。今日は魚の予定だったからお前でも食べられる。」
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