堕ちる犬

四ノ瀬 了

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そんなに俺の裸が見たいのか?だったら、無理やり脱がしてみたらどうだよ。

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「ば……っ、馬鹿を言えっ、何を言ってる。」

二条は車内から霧野の様子を眺めていた。霧野は二条が黙っているのを見て顔を擦り、俯いて何か一人でしゃべっていたと思えば、窓枠に手をかけて顔を上げた。腕に青く太い血管が脈々と浮いている。

彼は閃いたように一瞬目を輝かせていたが、言い淀み、目の端が何かをごまかすように軽く痙攣していた。開いた口の端が上がっている。

「そうですよぉ……。そんな風に言うんだったら、アンタが俺を買ってよ。それでいいじゃない。」

語尾が震えて、霧野は目に見えて上気していた。しかし、それでいて、自分の気持ちをごまかすつもりなのか、内容に比べて口調が強く、謎に自信ありげな様子だった。黙って様子を見ていると沈黙に耐えきれなくなったのか続けた。

「ところで、二条さんこんなところに長々とめてると駐禁切られちゃいますよ。場所をかえないとな。この辺りは駐禁スポットだからな。暇で無能な底辺交通警官が点数稼ぎに来るぜ。」

彼は自慢げにそんなことを言って、ほくそ笑んだ。勝手に頭の中でまぐわいを想像して勝手に盛り上がっているらしかった。

二条は、とっさに「いいだろう、お前を買ってやろう。」と意気揚々と言いかけたが、目の前の淫乱ポリスのおままごとに付き合うのをこらえたのだった。霧野は二条が勿論YESと言って己を受け入れることを期待しているのか、口元が若干だらしなくなっていた。二条の指が窓の開閉ボタンに伸びかけた。

彼の顔が不快なのではなく、寧ろ快であり、彼に窓ガラスに写っただらしのない己の姿を見せてやろうと思ったからだった。

「なに。俺が?お前を?なぜ?」

子ども諭すように彼に返答する。霧野は聞き間違えたかと車の中を覗き込み、口元を引き締めた。
「何故って……」
呆然として言葉に詰まっているようだった。

「一体何故俺がお前に金を支払う必要があるんだ。お前が俺に金を支払って頼み込み、俺が使いたくもない時にお前を使ってやるならまだ話は分かる。俺の足元で使って欲しいと惨めったらしく頼み込むことがお前にできるのかな。あ、なるほど。それとも、お前は俺から金を借りたいと、そういうわけかな。それならいいぞ、別に。ほら。」

手に隠し持っていた10円を弄び、親指で弾いて霧野の方へ飛ばした。彼は咄嗟に硬貨を片手で受け取った。受け取ってから、表情を曇らせ始め何か言いたげに口を開きかける。

「受け取ったな。ところで、遥君~。俺から金を借りるってことがどういうことなのかお前はわかってるだろうな。ただでさえお前の資産は今0どころか地獄の底よりも突き抜けてマイナスというのに、その上俺に借りを作って、本当にどうしようもねぇなお前。ははは、」
「……」
霧野のさっきまでの濡れた雰囲気が、目の前でみるみる乾いていき、目付きがまるで寝起きかのように悪くなっていった。
「しかもお前は今嬉々として、たった10円で自分の身体を進んで人様に売ろうとしたな。ん。」
「それは……っ、アンタが……」
さっきまでの淫靡な調子とは別に赤くなって苦虫を嚙み潰したような顔になる。
「もういいから。早く買ってこい。」

窓を閉めると、腕がひっこんでいく。閉じた窓の向こうで霧野が飢えた犬のような睨みを利かせていた。今にも噛みつきそうに歯を食いしばっている。強く食いしばられた歯と歯の間から、息を、唸り声をあげているのが聞こえてくるようだ。

「……、……。」

二条は顔を伏せた。身体の中を勢いをもって黒い血が流れていた。己の勢いを増した鼓動が聞こえる。今のように強く睨まれると、気分が昂って、もっと酷くしてやりたくなる。今すぐドアをぶち開いて、路上に吹き飛んだところを、頭を地面か車にでもぶち当てて割ってやりたい。一回打ち付けたくらいでは、立ち上がってきてくれるだろうし、いや、かわすかもしれない。それはそれでいい。車の中に連れ込んでそのまま愉しい地獄に直行すればよいのだ。精一杯、最後まで抵抗してみてほしい。そして。

「……したい、」

言葉にした途端、抑えていた黒い感情がとめどなく溢れた。頭の奥の方で音がする。絡まり合った獣の悲鳴であった。車内の温度が五度ほど上がったように感じられる。目の前にガラスがあって良かった。今この顔を彼に見せられない。いや、彼だけでなく誰にも見せられない。

死者だけが拝んでよかった。二度三度と深く呼吸をしてから、顔を上げた。蜃気楼のように揺らめく視界の中で、彼はさっきの通り、何も変わらず二条を睨んだままでいたが、諦めたのか、くるりと背を向けて煙草屋の方へ戻っていき、目当ての煙草を手に戻ってきた。

乱暴に扉が開き、閉じられた。霧野は身体を投げ出すようにして、助手席に座った。ダッシュボードを蹴り上げんばかりの勢いである。

「早く出せよっ!!」

彼は前を向いたままどなった。
彼の手の中で煙草の箱が激しく歪んでいた。思わず吹き出し、そのまま声をあげて笑ってしまう。

「何を笑ってる!」

顔がこちらを向いた。微笑みかけると、彼も無理やり威嚇するような笑みを作って、また前を向いてしまった。

「はいはい、わがままなお嬢さんだ。」

車を走らせている間、横で霧野は終始横でうつむきがちにしていた。渡すことも忘れて握りっぱなしになっている煙草の箱が、車がガタつくたび、くしゃ、と、小さく音を立てていた。目的地に車を乗り上げた。既に多くの車が、どれもこれも自己主張の強い高級車ばかりとまっており、大きな和調の御殿からは少し離れた位置に停めることになった。

「ここは……」

霧野はさっきまでの己の痴態を忘れたようにそわそわを窓の外を眺めていた。気楽なものだ。

「何度かお前を連れてきたことがあるだろ。幹部会及び親睦会だな。しょうもない。」
「それじゃ、本当に」

霧野は二条の方を振り向いた。演技なのか素なのか、両方なのかわからないが、嬉しいのか、少し微笑んでいるようにさえみえた。澤野も二条といる時時折子どもような無邪気な表情を見せた。

いつだったか、誰もやりたがらないような外部調整の仕事を彼は嬉々として引き受けた。二条が他の人間に説明しても誰も上手く理解しないか、少し理解度がある様な相手だとしても、引継ぐのに異常な時間がかかり、結局自分で回した方が手っ取り早いような仕事であった。

それを霧野、いや澤野は、是非に、と言ってやりたがるのだった。思い返してもあの仕事自体が、警官としての霧野を優位にさせる案件であるとは言えず、積極的にとるような仕事でもなかったと思う。

「今回の話は面白いところがありますよ。」
「どういうところが?」
「浅間商会との取引を治めるのが主なところと思いますが、浅間商会の権利を治めるというか、掌握までしてしまえば、別でやってる仕事につなげられますよ。浅間の持っている債権をHに売るのです。覚えてます?Hのことを。」

彼はipadの画面上の浅間の資産を嬉々として眺めながらH氏という資産家の話を続けていた。

「ふーん、なるほどな、Hと繋げるなら、Hを他の業者と競わせたらいいんじゃねぇの。そうして値段を釣り上げるんだよ。架空の価値を。」 

「架空の価値、なんとも素敵な言葉です。」

2人が、彼らだけが共有する取引の話をし始めるとそこに割って入っていける者は少なかった。二条は血の流れる仕事も好んだが、そればかりやっていては屠殺業者と変わらない。どちらかと言えばそれは趣味、そして御褒美に近いのだった。

多くの物事は、二条と澤野の思った通りに運ばれて、澤野はうっとりとして自分の思惑通りに物事が進んでいくことを悦んでいた。
彼が諜報活動をしていたことは別として、実際、彼は愉しんでいたと思う。

彼は自分の手柄を、二条の前でだけ、外で大きなドブネズミを捕ってきた家猫のようにしてひけらかすのだった。

「見てくださいよ、これを!」

彼の差し出したiPadの画面に沢山の0のついた数字が並んでいる。以前に比べ目つきの悪くなった顔が嬉々としてさらに邪悪さを増していた。

「………。」

どうしてだろう。可愛らしいもの程、徹底的に潰したくなるのは、何故だろう。

夕暮れ時、事務所に日暮れの光が差し込んで澤野の半身が赤く染っていた。彼は二条の暗い視線には気が付かず、自分がいかに工夫してどのように利益を出したかを細々と説明していたのだった。そしてまた、反応を伺うように無邪気に二条の方に顔を向けるのだった。

また、目の前に伺うような表情がある。

「俺が、お前を面白がらせる為以外に嘘をついたことがあるかな?心配するなよ、普通にやってりゃあいいよ。いや、今でもお前が普通にできることを、ちゃんと証明してくれればいい、とでも言えばいいかな。」

霧野はさらに何か聞きたそうにしていたが、先に車を降りた。

曇天であり、風が涼しかった。雲は薄い、日の光が薄雲を通して辺りを照らしていた。

二条が霧野を連れたって建物の方へ向かう途中、川名が少し離れた車の影から現れた。影を引連れているように見えたが、彼は誰も連れずにひとりで門の方へ向かっていくのだった。二条は、また一人で動いて、と足を速めた。二条達が追い付く前に、川名は門の前で他の組の人間に足止めされていた。男が三人ほど連れ立って立ちはだかっていた。

「三好会の奴らですね。内一人とは喋ったことがあります。なかなかひょうきんな奴でしたよ。」

霧野が二条の横でつぶやいた。三人の内一人、南と話した内容で有益になるだろう情報を歩きながらかいつまんで二条に聞かせ、他の2人については情報がないことを申し訳なさそうにしていた。南に酒を飲ませ、いい気分にさせ様々話させたようである。

三好会は歴史こそあれど、調子は良くなく、今や組織全体から見れば寄生虫でしかなかった。川名の組は川名自身が始祖であり、組としては若いのだ。南が霧野に愚痴ったことのひとつに、三好会の中で、南も組織の一員として不満を抱きつつあること、しかし融通が利かないことがあったようだ。一度腐敗し始めた組織を立て直すのは難しい。

「南には悪いのですが、組として潰れたって、全く、かまわないと思います。彼らが無駄に持ったまま有効活用できていない土地がたくさんありますからね。私たちで使ってやった方が全体の利にもなるというものです。」

二条の横で彼は、すっかり以前の、澤野のつもりであるように見えた。うまくやれなかったら性奴隷にすると言葉で、力で、痛ぶったせいもあるだろうが、こうして、普通に外に出されたことが、彼の正気の部分をある意味では正気に戻し、ある意味では余計に狂わせているようだった。一見衣服の下の身体の施しも感じさせぬような身のこなしであった。

「土地、ねぇ。」
「あの辺は再開発が進んでいるのだから、宝の山でしょう。それを、新参者に高利で貸したっていいのに放置してばかり。もちろん馬鹿の集まりじゃないから意見は出たそうなんですが、中で派閥争いになり結局進まなくなったようです。どうも保守が過ぎると言っていましたよ。引き抜いてきてもいいと思います。」

彼は、自分が霧野であることを忘れたいかのように、饒舌に意気揚々として話し続けた。澤野としてふるまえば振舞う程に、霧野として貶められたこと、自分自身が貶められた存在である事実が消えるかのように。

多少鼻先をくすぐる獣臭はあるものの、ついさっきまで顔面をザーメンまみれにして悦んでいた底辺肉便器とはとても思えない姿であった。以前のようで可愛らしさを覚えるが、歯がゆさも覚えた。

「相変わらず時間ギリギリにお来しになりますな。」

三好会の男はわざと役者のように大きな声を出し、川名はうるさそうに目を逸らした。

「……。はぁ。……。だったらなんです?遅刻したわけでもなし、貴方がたもお暇ですね。私の到着時間をいちいち把握して。大体貴方誰です。三好会の人間ということは流石にわかりますが、それ以上存じ上げない。話したことも無いでしょう。たぶん。」
「……お前、仮にも」
「仮にもあなた方の組が先に上に『取り入った』として、関係がない。」
「その言い方、上の人間が聞いたらどうなると思う。」

「別に、どうにもならねぇんじゃないですか?」

二条が輪に参加すると男達が途端に小さく見えた。川名は特に二条達を振り返ることもせずに、ふっかけてきた男、園田の方をぼんやりと、その辺の景色の一部でも見るように見ていた。

「だって、俺達からはそうみえるんだから、しょうがない。それを、正直に言ったところで、お上が目頭立てるとは思えねぇですけどね、寧ろ、一体どんなところがそう思うの根掘り葉掘り聞かれるだろうと思いますが。答えちゃって大丈夫かなァ?」

園田は目を見開いて二条を見ていた。他の2人、南と保坂は黙ったままだったが、南は霧野の姿に気が付いて、一層バツの悪そうな顔をしていた。二条がちらと横目で霧野を見ると、霧野は、南以外誰も己を見ていないと思ったのか、南の方バツの悪そうな顔をじっとりと眺めて、にやにやといやらしく笑って人の不幸を喜んでいた。

かと思えば、真面目な顔をして園田を見て「まあ、ここでもめていても何もならないですし、ここは……」と濁しながら下手に出た。下手と言っても言葉が下手なだけであって、発する声色も、三人を見る目つきも、自信にあふれて有無を言わせぬ、殆ど命令であった。そうして、川名達の進む道を開けさせた。

屋敷の門をくぐっても、三人とも黙っていた。

屋敷の庭は苔むして湿り緑の深い香りがした。屋敷に上がると、廊下は大きく天窓がとられ、明るい。会合の始まる時間間際ということもあり、廊下に他に誰もいない。三人が廊下を軋ませながら歩く音だけが聞こえていた。二条は霧野の後ろ姿を見ながら、彼の肉体のことを考えていた。

「やっぱりこちらから潰したほうがいいんじゃないでしょうか。大体口の利き方がなってない。」

廊下を歩きながら、もしかしたら障子の向こう側で、他の人間が聞いているかもしれないにもかかわらず、霧野が小さくつぶやいた。二条は川名が嗜めるかと思って黙っていたが、川名は何も言わない。広間の前に辿り着く。霧野が障子に手をかけた時、川名が「そうだな。」と言った。

厳粛な雰囲気とはいえ、長々とした会合に三人そろって飽いていた。川名は泰然自若とし、霧野が横で欠伸を噛み殺している。広間は複数の畳の部屋がぶち抜きになっており、畳の上に大きな欅の座敷机が四つほど並んでいる。上座から数えて中程から少し下のところに三人は座っていた。

一時場が捌けた時に、中庭で腕に自信のある若い衆が腕比べを始めた。つまらない会合と思っている人間は上から下まで少なくなく、また多くが集まる会合の中ではよくある光景であり、周りの人間を愉しませた。しかし、「若い衆同士のじゃれ合い」という名目ながら、多少なりとも、それぞれの組の威信のようなものが関係しているのであった。

「お前も行ってこい。」

川名は中庭の方を見たままそう呟いた。二条は霧野の身体に何を施しているのか一切川名には伝えていなかった。霧野は少しの間、迷うように頭を伏せていたが特に弁明することも無く立ち上がった。

霧野の後姿を見上げながら、二条には彼の衣服の下が透けて見えていた。こうして勇ましく立ち上がったこの瞬間にも、彼の身体は強く諫められている。霧野が場を離れてから、二条は川名に目配せした。川名が振り向く。二条が「奴は…」と言いかけると、彼は微かに笑んだ。

「わかってるよ。だって歩き方が少しおかしかったからな。」
川名は涼しい顔をして再び中庭の方を向いた。
「じゃあなにも別に今行かせなくても。変な負け方すると後でめんどくさいですよ。周りが。」
「何言ってる。わかってるからこそ行かせたんじゃないか。」
「……ああ、そうですか」

霧野は最初こそ手こずったようだが、意外にも善戦していた。どこまでなら身体を動かして耐えらるか、自身に課せられたハンディキャップを最初の一人目で細かく測っていたようだ。それで最初の相手に苦戦していたが、二戦目からは身体が可動範囲を覚えたようだ。動きは鈍るがよく動けている。

可動域がわかったとはいえ、元々、少しでも動けば刺激される仕様である。二条と川名の目にだけは、遠目に見ても一頭の獣の発汗と激しい息遣いが、単なる闘争による興奮と疲労以上の表れであることが見えていた。三人だけが共有する秘密である。

それから二条は、霧野が以前より受け身に徹してから手を打っていると感じた。今の状態で自ら突っ込んでいくのではリスクが高いから相手の動きを観察しているともいえるが、本当にそれだけだろうか。二条は、彼の必死の頑張りを見ながら、自分の顔がほころんでいるのを感じていた。一方の川名は冷めた目をしていた。多かれ少なかれ見物人は熱気を持って彼らを見守っているというのに、彼の周りだけ水のようだった。しかし瞳の奥には「負けたら、わかってるよな。」という口で言う以上の圧があるのだった。

霧野も二人の視線を感じていないわけはなかった。彼の視界の端に嫌でも映るだろうし、観られる事は、以前以上に良い刺激になるに違いなかった。霧野は衆に混ざりながら、自分の番以外の時は一人周囲から離れ、様子をうかがっていた。彼の周りに、闘争心以外の熱気がまとわりついて、彼一人、人では無い別の生き物のような異様な雰囲気を醸していた。

「相変わらず良いですね、貴方のとこの若いのは。」

川名の横に兵頭組の男が座り込んで、しばらく霧野達を眺めていた。川名は良いとも悪いとも言わない。

「それに比べ、まったく、ウチのときたらな。」

川名は男の言うことに適当に相槌をついていたが、男が文句を言いながらも自分の子飼いの男達に愛着を持つようなことを言い始めると、冷ややかな笑みを見せ「そんなことをしているから……」と呟いた。兵頭組の者が霧野に蹴り飛ばされていた。男は気を悪くした様子もなく笑った。

「大変そうだ、貴方のところは。」

ことは、南との組合の間に起こった。休憩時間も少なくなり、勝ち越している人間も減った。

霧野に対峙する南は、霧野より細身と言えたが、背丈はあまり変わらず長身である。ピューマのような野性味の顔つきをしており、動きもまた野性味があり、どちらかと言えば様式的に洗練された霧野の動きとは対象的である。

背広を脱いで、華やかな赤い柄シャツ一枚になった南は緩やかにパーマのかかった黒髪をかきあげて汗をふるい落とした。元々愛嬌のある大きな瞳の下に涙黒子がある。その瞳が、にこにこと笑んだ。

「ユーキ君、今日調子悪いん?随分と息上がってるけど。」

霧野は南を漠然と眺めて、うるさそうに顔を歪めながら額に浮いた汗を拭っていた。

「なにやら汗の量も凄いし。大体それで何でジャケットさえ脱がんのよ?あつない?どおしたんよ。前はええ身体を見せつけるように半裸になってたじゃない。真夏だったのもあるかもわからんけど。」

南は腕を組み、顔を少し下にして上目遣いに挑発的に霧野を見ていた。霧野は一つ息を吐いて、南を見下ろした。

「別にいいだろ、そんなに俺の裸が見たいのか?だったら、無理やり脱がしてみたらどうだよ。あ?」

霧野の上気したまま挑戦的に笑んでいた。苦しいとはいえ、久しぶりに放逐されて、愉しいところもあるようだった。南は腑に堕ちぬというように首を傾げ、霧野を上から下まで眺めた。

「なんで俺がそない豆泥棒みたいなマネせなあかんのよ?俺はこう見えて紳士だぜ。しかも、ユーキ君相手に。脱がしたらおまんこまでさせてくれんのかい?なんてな。ま、今でも十分強いけど、前見た時より随分と鈍いやないの。俺からすれば別人やで。美しゅうて美しゅうて惚れ惚れしたのになぁ。ユーキ君でてきたからちっとは愉しくなると思ったのに。期待外れかな。」

南は霧野と当たるまでかなり善戦していた。

「二日酔いなんだ。悪いな。」

「ふーん、二日酔い、なぁ。……。まあいいや、俺の頭で考えてわかることでもなし、時間も無いし、やろうか。俺も皆の手前、負けられん。さっきのこともあるし、特にユーキ君とこにはなぁ。俺は君と仲良くしてたいけど、皆はそうやないらしい。」

南は近接戦を得意とした。霧野は南の戦法や自身の身体の具合を見ながら、彼との間合いを遠目に保って手合わせしていた。

ところが、南の踏み込みを避けた拍子に、中庭の泥だまりを踏みぬいて足を滑らせしまった。普段なら何の苦も無く立て直せるのだろうが、バランスをとるために二歩三歩と後ずさった際、身体に刻まれた戒めが予想外に食い込んで気を取られ、視線が南から外れた。そこを突かない南ではなく、咄嗟に懐に飛び込んで霧野を突き倒したのだった。周囲が大きく湧いた。霧野は泥の上に倒れ込むことはなんとか避けたが、土の上で掴みあい、取っ組み合いになっていく。

霧野にとっては一番避けたかった近接戦だった。南が近接戦が得意だからという理由よりも、もっと別の理由があるに違いなかった。相手の手が身体に触れて、感じてしまうだけならまだしも、もし相手に身体の異常を気がつかれたなどということがあれば、澤野としての彼の精神が傷つくだろう。更に相手が悪ければド変態としてこの場で晒されかねない。

「本当に、脱がしてやろうか?そんな気さらさらなかったが、お前が誘うから見とうなってきたわ。」

南が強く霧野の身体を掴んだ拍子に、シャツがはだけてボタンがはじけ飛んで、胸元が現れになりかける。霧野の身体がはだけた胸元を隠すように不自然によじれた。

「おうおう、調子悪いなぁ~!自分から誘っておいて隠すんか?」

南が笑いながら霧野を背後から押さえつけて横になり、首と身体とに腕を回して圧迫しはじめた。ほとんどの人間が南の勝ちだろう、と思ったその時、南の手が一瞬不自然にこわばり手がゆるんで、霧野に向かってとぎとぎれに何かつぶやいた。動揺していた。

霧野は南の動揺などお構いなしに、彼の下から獣のように素早く抜け出て、南を頭突いていなし、覆いかぶさった。

南が頭を押さえ、腕を伸ばしながら、必死に周囲に何か伝えようとするのを制するように、異常に躍起になって締めていた。彼は周囲の人間が止めるまでそうしていた。霧野はのびてしまった南に頭を近づけ、南にだけ聞こえるよう何かを囁いていた。取っ組み合いは終わり、ばらばらと人が捌けていく。

霧野が、勝ったというのに、衣服の汚れも落とさずに南の元から逃げるようにして、川名と二条の元に戻ってきた。彼は、素早く前かがみになって、川名と二条の間に座り込んだ。シャツの釦がニつほどはじけ飛んでいた。緊張が解けたのか、不自然に身体の節々がぶるぶると震え息を荒げてつばを飲み込んでいた。一人別世界にでも行っているように、目つきがとろんとして、一点を見ていた。まるで散歩帰りの犬のように、ばらばらと周囲に土が振り撒かれ落ちるのを、川名がじっと見ていた。

「汚いじゃないか。」
川名に声をかけられ、霧野はハッと視線を上げた。
「何故そんなふうに縮こまってる。」

川名は落ちた土と霧野の下半身を見ながら言った。

「……」

二条は二人のやりとりを聞きながら、霧野の不自然な姿勢の下に隠された、この場にそぐわない屹立したモノを見ていた。勝って帰ってきたことを誉めるついでに茶化そうかと思っていたが、ここは川名を立てるのが筋だ。

「答えられないのか。」
「……」
「俺の質問には3秒以内に答えろと散々教育したつもりだったが、無視とは。いい度胸だな、犬。」

川名に加担することも、霧野に助け舟を出すこともできた。どちらが愉しいだろうか。

「……。」

二条はにこやかに二人の様子を見守りながら考えた。人が戦っているのを見るのは、それが肉弾戦であろうが精神戦であろうが愉快である。たまには霧野に加戦してみて、川名が一体どんな反応をするのか様子を眺めてみるのも良かったが、これくらいのことでは動揺しそうもなく、機嫌を損ねて霧野を完全に取り上げられては最悪である。

「……。」

そろそろ各人が、元居た場所に戻り始めたのを見て、二条はおもむろに霧野の収まりかけた部分を掴み上げ、露出させた。肉棒は二条の大きな手の中で、驚き、びくんと跳ねたかと思いきや、みるみる温まって、硬さを取り戻し始めた。会合が始まっていた。これでもう無暗に席をたてないし、しゃべれない。

「組長は厳しいですねぇ。勝ったんだからちゃんとご褒美をやらんと可哀そうじゃないですかぁ。」

二条は、ちゃんと聞いていますよ、と、前を向きながら、手の中で霧野を可愛がる。すぐ横で、はあはあと抑えきれない息遣いが聞こえはじめ、嫌がっていることを知らせるつもりか時折、身体が動きかけるたびに根元から掴み上げて、前の方に引っ張った。上半身で嫌と言いながら、更に手の中でデカくなるのを、しごいてやる。二条も霧野も最早一切会の内容など聞いておらず、精の世界に没頭し、周囲の人間の存在はただの性の刺激物と化していた。

「……っあ゛……ぁ、」

最早射精寸前にまで高まって、霧野は余計に前かがみになって下を向いていた。

「いや、それはどうかと思いますね、私は。」

淡々とした川名の声が広間に響いた。対して大きな声を出したわけでもないのに。二条は霧野越しに川名の方を見た。散漫としてた皆の視線が川名達の方に集まり注目した。さっきまで眠たげにしていた人々さえ、彼らの方を見始めるのだった。二条は変わらず上下に手を動かしながら川名を見、霧野は、不自然に下を向いているのをなんとか頭をあげようとするが上げられず、余計に不自然に痰の絡まったようなザラザラした呼吸をしながら震えていた。それでも扱く手は止めてやらない。手の中が余計に熱くなって湿っていき、高い声が漏れていた。

「どうしたんだ?」と遠くから怪訝な声が上がっていた。二条の視界の端で、顔を軽く腫らした南一人だけが、何か悟ったような顔をして、ぼんやりと霧野達を見ていた。

「大体どうして毎度三好さんのところの取り分だけ多いんです。贔屓では。」

川名と皆の間で喧々諤々と意見が交わされ始めた。

「澤野、お前からも何か言ってやれ。」

人々に注目されたことにより、二条の手の中で霧野の勃起は最高潮に達していた。場が静まり返り、注目が集まった。少しだけいじくる手を緩めてやると、真っ赤な亀頭の先端からゆるゆると透明な汁が噴き出して光り、とろとろと、畳に露がぽつぽつと垂れて、反対に頭がゆっくり上がっていった。彼は熱病にでも犯されたような顔をして、瞳に淫靡さと冷静さの両方を宿しながら自動人形のように答え始めた。

「……は、私も、もちろん組長と同意見でございます。我々が成果主義を謳うのであればこその意見。しかし、伝統や義理を蔑ろにして良いという話をしているわけではございませんから、同一視して、履き違えないで頂きたい。投資の基本原則として、金の生る木に投資を続けるのはもちろん有益な手と思いますが、我々のような新参者、問題児にも少しでも機会が欲しいというわけでございます。でなければ、腐る一方と思いませんか。思っていても、下の者ほど畏れて物を言えないだけです。どんな組織であろうと、そんなもの。物言えぬ皆の代わりに、我々が代表して矢面に立とうというだけです。そこに出し抜こうなどという気持ちはみじんもなく、組織全体の利のために申しているのです。」
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