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私の身体でいくらでも償わせていただきます。
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つまらない会食だった。組織外の人間との交流も含まれ財界の人間とも交流する。美里の横で川名が中年男性相手にさっきから何か話していたが、内容がひとつも入ってこない。
川名からは背後で立っているだけで良いと言われていたのに、途中から「多少は愛層を良くしろよ、一言くらい、何か言え。」と言われる始末。川名と話す中年男性の横に立つ女の一人が、美里に怪しく微笑みかけた。
「……。」
美里はワイングラスを傾けて一気に赤ワインを飲み干した。唇が赤く濡れてよく映えていた。川名と話していた男女が去っていく。川名の周りからようやく人がはけたので、かつての笑い方を川名の方にして見せた。
「川名さん~、俺は愛層笑いをしない仕事ならやると最初に言いましたよね。忘れましたか。」
川名は横目で美里を見て「言ったよ。」と答え「やめろその顔は。」と不機嫌に言った。彼は顔の力を抜く。
「じゃあ、」
「じゃあお前は今後政はやらないということかな。」
「政?興味がありませんが……」
「興味がないなどと言っている場合ではない。今後俺達の勢力はもっと大きくなるのだから、暴力だけやっていてはダメだ。そんなに暴力だけやっていたいというなら、今後わざわざお前など連れてこない、下っ端連中と一生戯れていろ。澤野も笑わんが、こういう場に連れてくればそれなりに役に立ったぞ。お前は華があるのだからそれを利用しなくてどうするんだ。」
美里は川名をじっと見て口の中に言葉を溜めた。「華がある、なるほど、それで勝手にスーツをオーダーして着せたわけ。いくらしたんだよコレ。大体澤野がうまくやっていたのはそういうことなんじゃないのか。未練がましい。」と言いたい気持ちをこらえた。
「失礼します、」
川名に背を向けると「どこへ行く」と静かだが威圧的な声が追ってくる。振り切るようにして、彼から離れた。
「どこだっていいだろ。」
川名は、去っていく美里の背中を見つめながら「奴に似てきて困るな……いつまでも遊んで……」とぼやいた。すぐに別の人間が川名の元にやってきて交流が始まり、川名は美里のことを頭の外へ押しやった。
別の席で二条が弁護士の葉山、知らない男女数名と何か話していた。彼は饒舌に場を沸かせた。客人相手だからなのか、威圧感を和らげようとしているのか、普段に増して随分気がよさそうに見え、周囲から笑い声さえ沸き上がっていた。
「美里君、君もどう。」
葉山に声を掛けれられて輪に加わってはみるが、やはり話していることについていけず、何か複数のべたつく厭な視線を感じていた。二条が珍しく助け舟を出すように話題を軽い物に変えた。たまたまだったのかもしれない。話題は、人間をコントロールするための簡単な術についてであった。
「1番簡単で尚且つよく効くのは、名前を奪うこと、それから…」
二条の言っていることは半ば理解できたが、客人向けであるためかなり刺激を抑え表現をやわらかくして話している。本当はもっと残酷な話だ。
「そういうわけで、その女は……」
美里の視線は二条の口元の動きをじっと追った。二条は女と言っているが、明らかに自分がかつて拷問しただろう男のことを言っていたし、明らかに現在進行形で行われている霧野に対するいびりの話をいれていた。その話をする度一瞬二条がこちらを見ているような気がして嫌だ。
いくらか二条に合わせて話をした。残酷な話であるというのに、ウケが良い。悪趣味な連中、下衆の集団、健常者のふりをした異常者、と美里はその会話に加わるすべての人間を見下し、一人欝々と気分を悪くしていった。
それでも、他の連中より二条の方がマシだった。自分が普通じゃないという感覚を持っているから。話題が変わったところで、輪を抜け出して会場を後にした。廊下は一転して静かであった。廊下にくりぬかれた窓から緑がさしこんで美しかった。しばらくそうして木々の揺れる様子を眺めて乱された気を紛らわした。遠く木がたわんで、リスが枝を伝って行くのが見えた。
化粧室は広く、黒い大理石で造られた手洗い場が五つある。酒ばかり飲み、ろくに食べていないのに嘔吐感があった。テーブルの上に置かれた肉料理の山を思い出す。「Rabbit nest」の自慢は主に肉料理であり評価も高いが上質な脂と言われるものが美里の口には全く合わず、気分を悪くさせた。澤野がその場にいれば自分の分を与えたのに。
「よくそんなに食えるねお前……」
澤野が美里の分の小鹿のステーキ肉を皿の中で切り分けていた。彼は手を止めもせず美里の方を見もせずに、口に肉を入れながら「選り好みしすぎなんじゃないのか。」と言った。淡々としてはいるが、美味いには美味しいらしく、食を進める手がとめられていない。美里は頬杖をついて無遠慮に彼を眺め続けた。
「脂っこい物食って甘い物食って喜んで、逆にお前は単純な味覚しかないんじゃねぇの。」
彼はステーキ肉を咀嚼し終え、白ワインを一気に飲み干した。喉が上下に動いて、ゆっくり嚥下していく。
「別に。精がつけばなんだっていいんだよ。どんなものでも食わないより食うを選ぶよ俺は。」
「『どんなものでも』食う?へぇ~。言ったなお前。本当に食えるんだろうな。おい」
澤野はようやく面倒くさ気に美里の方を見ると、これもいらないなら貰うから、と言って残っていた皿を自分の方に回収していった。今思い返してもアレは演技でもなんでもなく純粋に食を愉しんでいる澤野であり、霧野であった。
水を勢いよく出して顔に浴びせる。どうしてまた澤野のことを思い出さなければいけない。こんなところ、来たくは無かった。顔を上げると鏡に映った水の滴った顔の向こうに佇む影があった。
「何でてめぇが居るんだよ。お前の名前は名簿に無いぞ。」
「関係ない。」
運送業者の衣服に身を包んだ間宮が壁際の沿って立ち、帽子をとって美里を見据えた。彼は軽薄な笑みを浮かべながら、帽子をくるくると指の先で回し、洗面台の方に飛ばした。美里の眉間にシワがよった。鏡に映るふたりの姿は対照的で、表情も逆ならば、服装も逆であった。美里が夜会にでも出ようという程洗練された身なりをしているのに対して、間宮はつい先刻まで肉体労働をしていたというような小汚い作業着姿であった。
「お前の顔見ただけで気分が悪いよ。今日は厄日に違いない。そうだ、二条の奴にチクっておいてやるよ。はは」
間宮はさらに怪しい笑みをたたえて声をあげて笑い始めた。対照的に美里の顔がみるみる気分悪げになっていき、せっかく顔を洗って一瞬スッキリした気分が胸糞の悪いものに変わっていく。
「大いに結構だよ。それで、二条さんが、俺を、叱ってくれるというなら寧ろ」
美里はうっとりとした表情を見せ始めた間宮から目線を外し、ハンカチで顔をぬぐった。そのまま気味の悪い間宮など無視してさっさと化粧室から出ようとすると強く肩を掴まれ、彼の方に引き寄せられた。背中に彼の身体があたり気持ちが悪い。
「何をするっ!」
手を振り払うとその手首を掴み上げられ壁に押し付けられた。抵抗すると顔を打たれ、ドンっと派手な音を立てて美里の両脚の間に間宮のブーツが突き立った。よく使いこまれたこのブーツだけは素材も見目も良い。
「……」
「お前に一つ聞きたいことがあるんだよ、何故お前はそんなに女の腐ったような態度の癖に組長から見放されない。さっきも見ていたよ、お前は随分と甘やかされているようだね。羨ましいなぁ。しかも、二条さんともあんなに楽しそうに話をして……、どういうつもりだよっ。」
先ほど感じた気持ちの悪い視線の内の一つが間宮の物だったとわかり、失笑しながら顔を上げた。
「知らねぇよ。薄汚い手を離さないか、キモイんだよっ……俺じゃなくて川名さんに直接聞いたらいいんじゃねーのか?評価する側に聞け。楽しそうに話してた?どこをどう見ればそう見えんだよ。頭おかしいんじゃねぇの。呼ばれたから加わっただけだろうが。何故いちいちお前の視線を気にしなきゃいけねぇんだ。めんどくさいよお前。マジで。」
「……」
間宮が美里から目を逸らし考えるように何か独り言を言い始める。
美里はしばらく白けたように黙っていた。
間宮の狂気じみた行動はウザいが、静かになって狂人のくせに知的な雰囲気を醸し出してくる時はもっとウザいことが今わかった。視界にいれるだけで気分が悪い。中学の頃の担任によく似ている。思い出すとイライラしてくる。奴は大学を出たばかりで若く、子供に対して対等に接する(笑)のと、保護者にもウケのいい、甘いような優等生的雰囲気のせいで、無能のくせにやたらとウケが良かった。経験が無い、未熟さゆえに美里のような問題のある家庭、人物の対処法がわかっていなかったのだと今となれば多少は思えるが、思えるが許さない。人をイラつかせる顔だ。
その顔面に向かって唾を吐きかけた。間宮の目がくるりと美里の方に向いたかと思うと腹部に車に轢かれたかのような強い衝撃が走った。
「うぇ゛……っ!」
頭がガクンと下がり、腹部に間宮の拳がめり込んでいるのが見えた。視界の中で床の模様が歪んで見え、唾液と何かの混じった物が床に零れ落ちてくのが見えた。
「単純な腕力で俺に勝てないくせに、調子に乗るなよこの阿婆擦れが。ここでお前を犯してやろうか?で、それを組長にでも二条さんにでもチクったらいいだろ!『間宮に掘られてアンアン言わされました!最高に良かったです!』とでもな!ふふふ、霧野さんにも泣きついてみれば?それとも組長や霧野さんの助けを待つのか?来るわけないけどなっ!!二人とも忙しいから!あはははっ!!」
「……。」
「あーあー、黙っちゃって、んふ、俺が怖いか?泣きそうかな?」
美里は息を整えながら間宮を上目遣いに見上げ、ふふふと笑った。
「怖い?滑稽の間違いじゃねぇの。すげーダサいよ、今のお前方がよ。自分が評価されてないからって俺にあたってどうなるんだ?もっと気に入られる努力ってやつをすれば?……でもよ、股開いてもダメって相当なことだぜ~。もう無理だよお前。」
間宮の目の中の光が消え黒い感情に満たされていった。
「………ふ、犯すのは止めた、やっぱりお前の顔を刻んでやる。」
間宮が凶器をとるために片方の手を離したと同時にその手首が、背後から掴まれていた。
「何をしてる。」
「あ……」
二条が背後から彼の手を掴み、美里から引き離したと思うと、間宮の腹部に容赦の無い膝蹴りを入れ、頭部を掴み上げて洗面台に頭から身体ごと叩きつけた。派手に物が破壊される良い音がする。美里は手首を回しながら無表情に二条を見上げた。それから、頭を抑えて洗面台の前にしゃがみ込み、呆然としている間宮を見下ろした。
「頭はちょっとやばくないすか。」
二条は死んだ目で、頭を抱えて震えている男を見降ろしていた。頭の端を軽く切ったらしく顔半分が血濡れていた。
「いいんだよ、もう脳細胞の隅々まで壊れ切ってるからな。これ以上壊れようがない。」
「そうすか。それよりも洗面台が汚れましたが。」
洗面台の一部が血で汚れていた。さらに、間宮が身体を当て、手をついた拍子に鏡の一部と石鹸の入ったケースが粉々に割れて破片がそこかしこに飛び散っていた。
「別に、コイツに弁償させるから問題ない。さあ、出来の悪い頭を冷やかしてやろう。間宮、立て。」
二条が洗面台に水を溜め始めた。間宮は立ち上がって洗面台を横目で見、わずかに後ずさろうという気配があったが、少しのためらいの後、二条の傍らに立った。
「今躊躇ったか?俺がお前をわざわざ矯正してやろうというのに。」
「いえ、ありがとうございます、」
「早速嘘をついたな。」
「そんな、」
二条は勢いよく間宮の頭を掴み、洗面台に溜めた水に沈めては出す、沈めては出すを繰り返し始めた。
「うあ゛゛……っ!!ぁ、、ぐ…、げほっ、げほっ、……!!!」
「まだ無意味に汚い声が出せるか。ここじゃなく、便所でやるか。ん?」
ずぶ濡れになり髪から雫を滴らせた間宮が「ありがと゛う゛ございますっ……あり゛がとうございます、…」と泣いていた。水に血が混じり薄ピンク色になる。間宮の口から何か言葉がこぼれ首から下が動いていたのは最初の方だけで、徐々に何も語らず、身体の抵抗が失われていった。
二条が間宮の頭をを引き上げ、まるで敵将の首でもとったかのように鏡にその頭を写し込ませた。水を滴らせ、憔悴し、血に濡れた苦悶の表情の中で瞳がぼんやりし、わずかに恍惚と揺れ、甘い息を漏らした。半死半生のその様子は美里から見ても淫靡であった。
「気持ち悪い顔だな」
「……はい、申し訳ありません……」
「……言うことはそれだけか。」
「……できの悪い頭を冷やしていただき、ありがとうございました、お顔も奇麗にしていただき、嬉しいです。」
二条の拳が再び間宮の腹にめり込んで、彼はげほげほと口から水を出し、咳き込みながら床に膝をついた。しばらく腹を抑えて唸っていたが、血と水滴を垂らしながら、赤らんだ目で二人の方を見上げた。左目の下が引きつって、泣いているのか笑っているのかよくわからぬ表情で眉をひそめていた。
「いつまでそうやって休んでる。無礼と思わないか。」
「だっ、て……」
強い蹴りが背中に飛び、間宮の顔が俯いて何かを吐いていた。口の中を切ったらしく、唾液の中に鮮血が混ざった。
「美里に謝罪は?」
「……すみませんでした」
再び暴力が降り注ぐのを美里は冷めた目で眺めていた。何か吐しゃ物や血液などが飛んできても不快なので二三歩うしろにさがり彼を見下ろし続けた。目の前で二条が間宮に暴力をふるうのを見たのは初めてではなかったが、今回のは激しく、二条のコンディションの良さが垣間見えた。ここに来る前に誰か拷問でもしてきたのだろうか。
間宮は頭を切って血を流してはいるがそれほどでもないだろう。何度か澤野の傷を見てやったことがあるが、見目に反して傷は浅いのだ。
「ちがうだろ。謝り方など散々身体に教え込んでやったのに何故できない。やはりお前は、」
「やっ!、やれます……」
必死に乞い縋る間宮を見て、マジでダセェ、気持ち悪い、と美里は少しだけ愉快な気分を取り戻し、様子を眺めていた。何か身体にゾクゾクとくるものがあり、一瞬、目の前に這いつくばる彼と霧野を重ね合わせることで異常な歪んだ快楽の波の様なものが股ぐらに訪れかけた。しかし、やはり霧野は、創りからして間宮とは別の生き物、遥によくできた「良い生き物」だと認識し冷静になる。
目の前のこのクソの様な生き物がどうなろうがどうでもよいという残酷な感情が湧いて止まらなくなってくる。二条を止めようという気も、他の人間を呼んで来ようという気も、自分がこの場を去ろうという気も起こらない。二条が残酷に間宮をいびるほど愉快な気分になる。別に最悪目の前で殺されようが全く動揺しないだろう。
「ふふふ……」
二条が美里を横目で見、再び間宮を見下ろした。口元に手を当てて微笑んで、軽く身体を震わせてさえいる美里に二条は去れとは言わなかった。このように、第三者を介入させることは間宮を更なる絶望と興奮に追い込むはずだからだった。間宮が二条に土下座した頭を踏まれ、謝罪を始めた。
「お見苦しい粗相をいたしてしまい、大変申し訳ございませんでした。」
さっきまでとは打って変わった別人のようにスラスラとしたよどみない口調であった。
「誰に謝っている」
「薫様……美里様です。」
「で、お前はどうしたい?どうされるべき?」
「私の身体でいくらでも償わせていただきます。どうか好きなだけ、お気の済むまでご利用ください。」
「お前の身体を使う?何言ってる。寧ろ使ってやるから金を払ってもらいたいくらいだな。」
足を退けられて顔を上げた時、間宮の顔は怒りや屈辱ではなく何か期待するような淫靡な表情で満たされていた。
「お前っ……」
二条が間宮の前に屈みこみ、その顔を掴みあげた。口からだけでなく鼻からも血がこぼれ出て、二条の手の甲をつたって床に落ち、床と二条の靴先を濡らした。
冷水に沈められ青白くなっていた彼の顔が一層青白くなり、そこに血の川が流れている。間宮の淫靡な視線は二条と目を合わせてから、ますます蕩け、色濃いものになり、恍惚として、目の下だけを不自然に真っ赤に染め、それから不自然に震えさえし始めた。二条の視線が身に染みるほどに、間宮の意識は朦朧として高まっていった。
「なんだてめぇのこの面はっ!本当に反省したのか!!」
二条の強めの恫喝が耳に痛い。彼の手の中で間宮の口がふぅふぅと熱い息を吐き、ゆっくりと開いた。間宮の口元は、唇と歯が鮮血に紅く染まっているのに見合っていない穏やかな微笑みを称えていた。
「…はい…、しております、」
穏やかな口調の上、血化粧に彩られた口元であった。
少しの間が合って、間宮の薄い唇が一度キスでも求めるような形になり、口角を上げた。
「貴様……」
平手の音がして、間宮の顔から二条の手が離れていった。間宮が二条に縋るように足元に手を伸ばした。
「お前から俺に触れるんじゃない。」
横腹を蹴られ背中に踵を落とされ、再び頭の上から踏まれていた。間宮の口からは、さっきまではくぐもった呻きが聞こえていたというのに、今や悲鳴が喘ぎと区別がつかない音を漏し続けた。身体があからさまに浅ましく反応していた。二条が間宮の胸倉を掴み上げるようにして顔を近づけた。
「本当に反省したのか。」
見下ろす二条の頬とシャツの襟に間宮を平手した際に飛び散ったであろう血がこびりついて、彼の表情をよくわからぬものにした。彼はそれをぬぐう素振りも見せず間宮に詰寄った。間宮の視線は虚空をさまよっていたが流し目で二条を見上げると、苦し気に微笑んで見せた。それが二条の気に障ったのか更にビンタを受けて、乱暴に床に突き放すようにして手を離された。
「……、しています、……しています、……」
間宮は俯いたまま、していますを壊れたレコードのように小さく震えた声で繰り返した。
「じゃあ美里の靴を舐めて反省の意志を見せてみろ。できるよな?俺に恥をかかせるなよ。」
「…………、」
急にレコードの針が落ちたかのように静かになり、床に這う男の背中が乱れた呼吸で上下した。間宮がのそのそと移動するとそこにナメクジのような血と体液の痕が付く。美里はさらに一歩後ずさった。二条がそれを制すように言った。
「おいおい美里、動くなよ。お前の靴を舐めさせてやるんだから、この蛞蝓に。」
「えっ、嫌ですよ気持ち悪い、血が付」
美里が言い終える前に間宮が彼のすぐ足元までたどり着き、頭を美里の足元まで近づけて息を荒くして震えていた。何度か口を近づけようと頭が動くが、まだ舌がつかない。二条が美里と間宮のすぐそばによった。
「どうした。それは俺の靴を舐めるのを躊躇っているのと同じだ。お前は俺に逆らうのかよ。見損なったな。」
「……」
少しの間、間宮は美里の足元で頭を降ろして、じっと靴のあたりを見ていた。はあはあと舌を出して、震えている様子は、逆に「待て」を命令されている犬にも見えた。
「やらんのか。じゃあ、もうやめるか。別にいいぞ、やめても。」
二条が、妙に優し気な口調でそう後押しすると、ようやく、くちゃくちゃという生肉でも食らうような粘着質な音が響き始めた。音と音の間に嗚咽とはぁはぁと大型犬のような異様な息遣いが混ざり合い、彼1人だけまるで性行為でもしているかのような雰囲気を漂わせ始めた。血生ぐさい臭いと強い性的な臭い、汗の臭いがより一層濃くあたりに漂い始めた。
「臭いですね……」
美里が言うと、二条が一瞬驚いた顔で美里を見下げ、それから微笑み、声をあげて笑った。
「臭い?あははははっ!、そうだろうなっ。……おい、間宮今すぐはぁはぁ言うのをやめろ。臭いから呼吸をするなよ。美里様の前で恥ずかしいだろ。」
美里に見下され、半ば嘲笑気味の二条に叱られ、羞恥心を煽られたのかほんの少しの間、間宮の息が無理やり抑え込まれたがすぐにもたなくなり、さらにざわざらとした呼吸をし始めた。一層激しく感じ始めたようだった。
二条は間宮の背後に移動し、尻の辺りを執拗に靴の裏で撫でるように擦り始めた。そうすると当たり前のように物理的刺激がくわわって、ザラザラした呼吸は、ぜぇぜぇとさらに激しい、またもや一人セックスしているような熱いものに代わり大量の涎を垂らした。美里は今の間宮の顔を見てやりたいと思ったが、二条に責めを譲って様子を見ていることにした。
「下水管のごとく臭い呼吸を止めろと言っただろ。お前の肉管は上から下まで」
下までと言いながら、二条の足がコツコツと間宮の尻の窪みの辺りに踵を落とし、踏みつけた。
「そこらの人間と違う異常な穢れ具合だ。お前と同じ空間で空気を吸いたくないんだよっ。それなのに、何を勝手に再開してる。誰がいいと言ったよ。美里様が不快だと言ってるじゃないか。……おい、舐めはどうした。」
踏みつけていた脚が浮き上がり、勢いよく間宮の股間を潰すように蹴り上げた。高い悲鳴が上がった。
「相変わらず、1つも俺の命令がマトモに聞けないな、お前は。」
二条がそう言い捨てて、美里の横に戻る。間宮が再び息を堪えようと悶えながら舌を出すので、体がビクンビクンと痙攣し、豚のような嗚咽を漏らし始めた。身体が不自然にガクガク震え、美里はそれを見てまるで死にかけの虫だなと思った。美里の綺麗に仕立てられた靴が大量の唾液と薄まった血で濡れ、床まで液が滴っていく。そうして、間宮は一際大きく咳き込んでようやく顔を上げた。大粒の涙を流しながら、息を荒らげ喉を掻きむしるように抑えた。
「む、……無理゛です、っ゛、もぅ…、む」
「何?今、無理と言ったか、あーあ、幻滅したぞ間宮。帰ったらまた呼吸管理の訓練を一からやり直しだな。それで貴様の脳細胞が今まで以上に死滅しようが知ったことじゃない。」
「ぁ……」
「もういい、勝手に息してろ。はやく頭を下げろ。舌の動きが止まってるぞ。」
間宮が靴舐めを再開するのを見届けてから、二条の視線が間宮から美里の方に向いた。間宮の調子が先ほどより明らかに穏やかになっていることに美里は気が付いたが、何も言わなかった。
「罵られて余計に感じ入っている。本当に気持ち悪いだろ?……美里、こういう訳だからどうか許してやってくれないか。俺か、もしくはお前がやめろと言うまでこいつは舐め続けるからな。俺は言わないから、お前が満足したところで言ってやるんだな。他に命令があるなら言ってやるといい、お前の気の済むまでいくらでも、好きに使ってやってくれ。」
「………」
美里はあれだけ気持ちが悪いと思っていたはずなのに、すぐには「やめろ」が言えなかった。
なにか、スイッチのようなものが切り替わっていく感覚がある。足元で間宮が小さく呻いていた。
川名からは背後で立っているだけで良いと言われていたのに、途中から「多少は愛層を良くしろよ、一言くらい、何か言え。」と言われる始末。川名と話す中年男性の横に立つ女の一人が、美里に怪しく微笑みかけた。
「……。」
美里はワイングラスを傾けて一気に赤ワインを飲み干した。唇が赤く濡れてよく映えていた。川名と話していた男女が去っていく。川名の周りからようやく人がはけたので、かつての笑い方を川名の方にして見せた。
「川名さん~、俺は愛層笑いをしない仕事ならやると最初に言いましたよね。忘れましたか。」
川名は横目で美里を見て「言ったよ。」と答え「やめろその顔は。」と不機嫌に言った。彼は顔の力を抜く。
「じゃあ、」
「じゃあお前は今後政はやらないということかな。」
「政?興味がありませんが……」
「興味がないなどと言っている場合ではない。今後俺達の勢力はもっと大きくなるのだから、暴力だけやっていてはダメだ。そんなに暴力だけやっていたいというなら、今後わざわざお前など連れてこない、下っ端連中と一生戯れていろ。澤野も笑わんが、こういう場に連れてくればそれなりに役に立ったぞ。お前は華があるのだからそれを利用しなくてどうするんだ。」
美里は川名をじっと見て口の中に言葉を溜めた。「華がある、なるほど、それで勝手にスーツをオーダーして着せたわけ。いくらしたんだよコレ。大体澤野がうまくやっていたのはそういうことなんじゃないのか。未練がましい。」と言いたい気持ちをこらえた。
「失礼します、」
川名に背を向けると「どこへ行く」と静かだが威圧的な声が追ってくる。振り切るようにして、彼から離れた。
「どこだっていいだろ。」
川名は、去っていく美里の背中を見つめながら「奴に似てきて困るな……いつまでも遊んで……」とぼやいた。すぐに別の人間が川名の元にやってきて交流が始まり、川名は美里のことを頭の外へ押しやった。
別の席で二条が弁護士の葉山、知らない男女数名と何か話していた。彼は饒舌に場を沸かせた。客人相手だからなのか、威圧感を和らげようとしているのか、普段に増して随分気がよさそうに見え、周囲から笑い声さえ沸き上がっていた。
「美里君、君もどう。」
葉山に声を掛けれられて輪に加わってはみるが、やはり話していることについていけず、何か複数のべたつく厭な視線を感じていた。二条が珍しく助け舟を出すように話題を軽い物に変えた。たまたまだったのかもしれない。話題は、人間をコントロールするための簡単な術についてであった。
「1番簡単で尚且つよく効くのは、名前を奪うこと、それから…」
二条の言っていることは半ば理解できたが、客人向けであるためかなり刺激を抑え表現をやわらかくして話している。本当はもっと残酷な話だ。
「そういうわけで、その女は……」
美里の視線は二条の口元の動きをじっと追った。二条は女と言っているが、明らかに自分がかつて拷問しただろう男のことを言っていたし、明らかに現在進行形で行われている霧野に対するいびりの話をいれていた。その話をする度一瞬二条がこちらを見ているような気がして嫌だ。
いくらか二条に合わせて話をした。残酷な話であるというのに、ウケが良い。悪趣味な連中、下衆の集団、健常者のふりをした異常者、と美里はその会話に加わるすべての人間を見下し、一人欝々と気分を悪くしていった。
それでも、他の連中より二条の方がマシだった。自分が普通じゃないという感覚を持っているから。話題が変わったところで、輪を抜け出して会場を後にした。廊下は一転して静かであった。廊下にくりぬかれた窓から緑がさしこんで美しかった。しばらくそうして木々の揺れる様子を眺めて乱された気を紛らわした。遠く木がたわんで、リスが枝を伝って行くのが見えた。
化粧室は広く、黒い大理石で造られた手洗い場が五つある。酒ばかり飲み、ろくに食べていないのに嘔吐感があった。テーブルの上に置かれた肉料理の山を思い出す。「Rabbit nest」の自慢は主に肉料理であり評価も高いが上質な脂と言われるものが美里の口には全く合わず、気分を悪くさせた。澤野がその場にいれば自分の分を与えたのに。
「よくそんなに食えるねお前……」
澤野が美里の分の小鹿のステーキ肉を皿の中で切り分けていた。彼は手を止めもせず美里の方を見もせずに、口に肉を入れながら「選り好みしすぎなんじゃないのか。」と言った。淡々としてはいるが、美味いには美味しいらしく、食を進める手がとめられていない。美里は頬杖をついて無遠慮に彼を眺め続けた。
「脂っこい物食って甘い物食って喜んで、逆にお前は単純な味覚しかないんじゃねぇの。」
彼はステーキ肉を咀嚼し終え、白ワインを一気に飲み干した。喉が上下に動いて、ゆっくり嚥下していく。
「別に。精がつけばなんだっていいんだよ。どんなものでも食わないより食うを選ぶよ俺は。」
「『どんなものでも』食う?へぇ~。言ったなお前。本当に食えるんだろうな。おい」
澤野はようやく面倒くさ気に美里の方を見ると、これもいらないなら貰うから、と言って残っていた皿を自分の方に回収していった。今思い返してもアレは演技でもなんでもなく純粋に食を愉しんでいる澤野であり、霧野であった。
水を勢いよく出して顔に浴びせる。どうしてまた澤野のことを思い出さなければいけない。こんなところ、来たくは無かった。顔を上げると鏡に映った水の滴った顔の向こうに佇む影があった。
「何でてめぇが居るんだよ。お前の名前は名簿に無いぞ。」
「関係ない。」
運送業者の衣服に身を包んだ間宮が壁際の沿って立ち、帽子をとって美里を見据えた。彼は軽薄な笑みを浮かべながら、帽子をくるくると指の先で回し、洗面台の方に飛ばした。美里の眉間にシワがよった。鏡に映るふたりの姿は対照的で、表情も逆ならば、服装も逆であった。美里が夜会にでも出ようという程洗練された身なりをしているのに対して、間宮はつい先刻まで肉体労働をしていたというような小汚い作業着姿であった。
「お前の顔見ただけで気分が悪いよ。今日は厄日に違いない。そうだ、二条の奴にチクっておいてやるよ。はは」
間宮はさらに怪しい笑みをたたえて声をあげて笑い始めた。対照的に美里の顔がみるみる気分悪げになっていき、せっかく顔を洗って一瞬スッキリした気分が胸糞の悪いものに変わっていく。
「大いに結構だよ。それで、二条さんが、俺を、叱ってくれるというなら寧ろ」
美里はうっとりとした表情を見せ始めた間宮から目線を外し、ハンカチで顔をぬぐった。そのまま気味の悪い間宮など無視してさっさと化粧室から出ようとすると強く肩を掴まれ、彼の方に引き寄せられた。背中に彼の身体があたり気持ちが悪い。
「何をするっ!」
手を振り払うとその手首を掴み上げられ壁に押し付けられた。抵抗すると顔を打たれ、ドンっと派手な音を立てて美里の両脚の間に間宮のブーツが突き立った。よく使いこまれたこのブーツだけは素材も見目も良い。
「……」
「お前に一つ聞きたいことがあるんだよ、何故お前はそんなに女の腐ったような態度の癖に組長から見放されない。さっきも見ていたよ、お前は随分と甘やかされているようだね。羨ましいなぁ。しかも、二条さんともあんなに楽しそうに話をして……、どういうつもりだよっ。」
先ほど感じた気持ちの悪い視線の内の一つが間宮の物だったとわかり、失笑しながら顔を上げた。
「知らねぇよ。薄汚い手を離さないか、キモイんだよっ……俺じゃなくて川名さんに直接聞いたらいいんじゃねーのか?評価する側に聞け。楽しそうに話してた?どこをどう見ればそう見えんだよ。頭おかしいんじゃねぇの。呼ばれたから加わっただけだろうが。何故いちいちお前の視線を気にしなきゃいけねぇんだ。めんどくさいよお前。マジで。」
「……」
間宮が美里から目を逸らし考えるように何か独り言を言い始める。
美里はしばらく白けたように黙っていた。
間宮の狂気じみた行動はウザいが、静かになって狂人のくせに知的な雰囲気を醸し出してくる時はもっとウザいことが今わかった。視界にいれるだけで気分が悪い。中学の頃の担任によく似ている。思い出すとイライラしてくる。奴は大学を出たばかりで若く、子供に対して対等に接する(笑)のと、保護者にもウケのいい、甘いような優等生的雰囲気のせいで、無能のくせにやたらとウケが良かった。経験が無い、未熟さゆえに美里のような問題のある家庭、人物の対処法がわかっていなかったのだと今となれば多少は思えるが、思えるが許さない。人をイラつかせる顔だ。
その顔面に向かって唾を吐きかけた。間宮の目がくるりと美里の方に向いたかと思うと腹部に車に轢かれたかのような強い衝撃が走った。
「うぇ゛……っ!」
頭がガクンと下がり、腹部に間宮の拳がめり込んでいるのが見えた。視界の中で床の模様が歪んで見え、唾液と何かの混じった物が床に零れ落ちてくのが見えた。
「単純な腕力で俺に勝てないくせに、調子に乗るなよこの阿婆擦れが。ここでお前を犯してやろうか?で、それを組長にでも二条さんにでもチクったらいいだろ!『間宮に掘られてアンアン言わされました!最高に良かったです!』とでもな!ふふふ、霧野さんにも泣きついてみれば?それとも組長や霧野さんの助けを待つのか?来るわけないけどなっ!!二人とも忙しいから!あはははっ!!」
「……。」
「あーあー、黙っちゃって、んふ、俺が怖いか?泣きそうかな?」
美里は息を整えながら間宮を上目遣いに見上げ、ふふふと笑った。
「怖い?滑稽の間違いじゃねぇの。すげーダサいよ、今のお前方がよ。自分が評価されてないからって俺にあたってどうなるんだ?もっと気に入られる努力ってやつをすれば?……でもよ、股開いてもダメって相当なことだぜ~。もう無理だよお前。」
間宮の目の中の光が消え黒い感情に満たされていった。
「………ふ、犯すのは止めた、やっぱりお前の顔を刻んでやる。」
間宮が凶器をとるために片方の手を離したと同時にその手首が、背後から掴まれていた。
「何をしてる。」
「あ……」
二条が背後から彼の手を掴み、美里から引き離したと思うと、間宮の腹部に容赦の無い膝蹴りを入れ、頭部を掴み上げて洗面台に頭から身体ごと叩きつけた。派手に物が破壊される良い音がする。美里は手首を回しながら無表情に二条を見上げた。それから、頭を抑えて洗面台の前にしゃがみ込み、呆然としている間宮を見下ろした。
「頭はちょっとやばくないすか。」
二条は死んだ目で、頭を抱えて震えている男を見降ろしていた。頭の端を軽く切ったらしく顔半分が血濡れていた。
「いいんだよ、もう脳細胞の隅々まで壊れ切ってるからな。これ以上壊れようがない。」
「そうすか。それよりも洗面台が汚れましたが。」
洗面台の一部が血で汚れていた。さらに、間宮が身体を当て、手をついた拍子に鏡の一部と石鹸の入ったケースが粉々に割れて破片がそこかしこに飛び散っていた。
「別に、コイツに弁償させるから問題ない。さあ、出来の悪い頭を冷やかしてやろう。間宮、立て。」
二条が洗面台に水を溜め始めた。間宮は立ち上がって洗面台を横目で見、わずかに後ずさろうという気配があったが、少しのためらいの後、二条の傍らに立った。
「今躊躇ったか?俺がお前をわざわざ矯正してやろうというのに。」
「いえ、ありがとうございます、」
「早速嘘をついたな。」
「そんな、」
二条は勢いよく間宮の頭を掴み、洗面台に溜めた水に沈めては出す、沈めては出すを繰り返し始めた。
「うあ゛゛……っ!!ぁ、、ぐ…、げほっ、げほっ、……!!!」
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ずぶ濡れになり髪から雫を滴らせた間宮が「ありがと゛う゛ございますっ……あり゛がとうございます、…」と泣いていた。水に血が混じり薄ピンク色になる。間宮の口から何か言葉がこぼれ首から下が動いていたのは最初の方だけで、徐々に何も語らず、身体の抵抗が失われていった。
二条が間宮の頭をを引き上げ、まるで敵将の首でもとったかのように鏡にその頭を写し込ませた。水を滴らせ、憔悴し、血に濡れた苦悶の表情の中で瞳がぼんやりし、わずかに恍惚と揺れ、甘い息を漏らした。半死半生のその様子は美里から見ても淫靡であった。
「気持ち悪い顔だな」
「……はい、申し訳ありません……」
「……言うことはそれだけか。」
「……できの悪い頭を冷やしていただき、ありがとうございました、お顔も奇麗にしていただき、嬉しいです。」
二条の拳が再び間宮の腹にめり込んで、彼はげほげほと口から水を出し、咳き込みながら床に膝をついた。しばらく腹を抑えて唸っていたが、血と水滴を垂らしながら、赤らんだ目で二人の方を見上げた。左目の下が引きつって、泣いているのか笑っているのかよくわからぬ表情で眉をひそめていた。
「いつまでそうやって休んでる。無礼と思わないか。」
「だっ、て……」
強い蹴りが背中に飛び、間宮の顔が俯いて何かを吐いていた。口の中を切ったらしく、唾液の中に鮮血が混ざった。
「美里に謝罪は?」
「……すみませんでした」
再び暴力が降り注ぐのを美里は冷めた目で眺めていた。何か吐しゃ物や血液などが飛んできても不快なので二三歩うしろにさがり彼を見下ろし続けた。目の前で二条が間宮に暴力をふるうのを見たのは初めてではなかったが、今回のは激しく、二条のコンディションの良さが垣間見えた。ここに来る前に誰か拷問でもしてきたのだろうか。
間宮は頭を切って血を流してはいるがそれほどでもないだろう。何度か澤野の傷を見てやったことがあるが、見目に反して傷は浅いのだ。
「ちがうだろ。謝り方など散々身体に教え込んでやったのに何故できない。やはりお前は、」
「やっ!、やれます……」
必死に乞い縋る間宮を見て、マジでダセェ、気持ち悪い、と美里は少しだけ愉快な気分を取り戻し、様子を眺めていた。何か身体にゾクゾクとくるものがあり、一瞬、目の前に這いつくばる彼と霧野を重ね合わせることで異常な歪んだ快楽の波の様なものが股ぐらに訪れかけた。しかし、やはり霧野は、創りからして間宮とは別の生き物、遥によくできた「良い生き物」だと認識し冷静になる。
目の前のこのクソの様な生き物がどうなろうがどうでもよいという残酷な感情が湧いて止まらなくなってくる。二条を止めようという気も、他の人間を呼んで来ようという気も、自分がこの場を去ろうという気も起こらない。二条が残酷に間宮をいびるほど愉快な気分になる。別に最悪目の前で殺されようが全く動揺しないだろう。
「ふふふ……」
二条が美里を横目で見、再び間宮を見下ろした。口元に手を当てて微笑んで、軽く身体を震わせてさえいる美里に二条は去れとは言わなかった。このように、第三者を介入させることは間宮を更なる絶望と興奮に追い込むはずだからだった。間宮が二条に土下座した頭を踏まれ、謝罪を始めた。
「お見苦しい粗相をいたしてしまい、大変申し訳ございませんでした。」
さっきまでとは打って変わった別人のようにスラスラとしたよどみない口調であった。
「誰に謝っている」
「薫様……美里様です。」
「で、お前はどうしたい?どうされるべき?」
「私の身体でいくらでも償わせていただきます。どうか好きなだけ、お気の済むまでご利用ください。」
「お前の身体を使う?何言ってる。寧ろ使ってやるから金を払ってもらいたいくらいだな。」
足を退けられて顔を上げた時、間宮の顔は怒りや屈辱ではなく何か期待するような淫靡な表情で満たされていた。
「お前っ……」
二条が間宮の前に屈みこみ、その顔を掴みあげた。口からだけでなく鼻からも血がこぼれ出て、二条の手の甲をつたって床に落ち、床と二条の靴先を濡らした。
冷水に沈められ青白くなっていた彼の顔が一層青白くなり、そこに血の川が流れている。間宮の淫靡な視線は二条と目を合わせてから、ますます蕩け、色濃いものになり、恍惚として、目の下だけを不自然に真っ赤に染め、それから不自然に震えさえし始めた。二条の視線が身に染みるほどに、間宮の意識は朦朧として高まっていった。
「なんだてめぇのこの面はっ!本当に反省したのか!!」
二条の強めの恫喝が耳に痛い。彼の手の中で間宮の口がふぅふぅと熱い息を吐き、ゆっくりと開いた。間宮の口元は、唇と歯が鮮血に紅く染まっているのに見合っていない穏やかな微笑みを称えていた。
「…はい…、しております、」
穏やかな口調の上、血化粧に彩られた口元であった。
少しの間が合って、間宮の薄い唇が一度キスでも求めるような形になり、口角を上げた。
「貴様……」
平手の音がして、間宮の顔から二条の手が離れていった。間宮が二条に縋るように足元に手を伸ばした。
「お前から俺に触れるんじゃない。」
横腹を蹴られ背中に踵を落とされ、再び頭の上から踏まれていた。間宮の口からは、さっきまではくぐもった呻きが聞こえていたというのに、今や悲鳴が喘ぎと区別がつかない音を漏し続けた。身体があからさまに浅ましく反応していた。二条が間宮の胸倉を掴み上げるようにして顔を近づけた。
「本当に反省したのか。」
見下ろす二条の頬とシャツの襟に間宮を平手した際に飛び散ったであろう血がこびりついて、彼の表情をよくわからぬものにした。彼はそれをぬぐう素振りも見せず間宮に詰寄った。間宮の視線は虚空をさまよっていたが流し目で二条を見上げると、苦し気に微笑んで見せた。それが二条の気に障ったのか更にビンタを受けて、乱暴に床に突き放すようにして手を離された。
「……、しています、……しています、……」
間宮は俯いたまま、していますを壊れたレコードのように小さく震えた声で繰り返した。
「じゃあ美里の靴を舐めて反省の意志を見せてみろ。できるよな?俺に恥をかかせるなよ。」
「…………、」
急にレコードの針が落ちたかのように静かになり、床に這う男の背中が乱れた呼吸で上下した。間宮がのそのそと移動するとそこにナメクジのような血と体液の痕が付く。美里はさらに一歩後ずさった。二条がそれを制すように言った。
「おいおい美里、動くなよ。お前の靴を舐めさせてやるんだから、この蛞蝓に。」
「えっ、嫌ですよ気持ち悪い、血が付」
美里が言い終える前に間宮が彼のすぐ足元までたどり着き、頭を美里の足元まで近づけて息を荒くして震えていた。何度か口を近づけようと頭が動くが、まだ舌がつかない。二条が美里と間宮のすぐそばによった。
「どうした。それは俺の靴を舐めるのを躊躇っているのと同じだ。お前は俺に逆らうのかよ。見損なったな。」
「……」
少しの間、間宮は美里の足元で頭を降ろして、じっと靴のあたりを見ていた。はあはあと舌を出して、震えている様子は、逆に「待て」を命令されている犬にも見えた。
「やらんのか。じゃあ、もうやめるか。別にいいぞ、やめても。」
二条が、妙に優し気な口調でそう後押しすると、ようやく、くちゃくちゃという生肉でも食らうような粘着質な音が響き始めた。音と音の間に嗚咽とはぁはぁと大型犬のような異様な息遣いが混ざり合い、彼1人だけまるで性行為でもしているかのような雰囲気を漂わせ始めた。血生ぐさい臭いと強い性的な臭い、汗の臭いがより一層濃くあたりに漂い始めた。
「臭いですね……」
美里が言うと、二条が一瞬驚いた顔で美里を見下げ、それから微笑み、声をあげて笑った。
「臭い?あははははっ!、そうだろうなっ。……おい、間宮今すぐはぁはぁ言うのをやめろ。臭いから呼吸をするなよ。美里様の前で恥ずかしいだろ。」
美里に見下され、半ば嘲笑気味の二条に叱られ、羞恥心を煽られたのかほんの少しの間、間宮の息が無理やり抑え込まれたがすぐにもたなくなり、さらにざわざらとした呼吸をし始めた。一層激しく感じ始めたようだった。
二条は間宮の背後に移動し、尻の辺りを執拗に靴の裏で撫でるように擦り始めた。そうすると当たり前のように物理的刺激がくわわって、ザラザラした呼吸は、ぜぇぜぇとさらに激しい、またもや一人セックスしているような熱いものに代わり大量の涎を垂らした。美里は今の間宮の顔を見てやりたいと思ったが、二条に責めを譲って様子を見ていることにした。
「下水管のごとく臭い呼吸を止めろと言っただろ。お前の肉管は上から下まで」
下までと言いながら、二条の足がコツコツと間宮の尻の窪みの辺りに踵を落とし、踏みつけた。
「そこらの人間と違う異常な穢れ具合だ。お前と同じ空間で空気を吸いたくないんだよっ。それなのに、何を勝手に再開してる。誰がいいと言ったよ。美里様が不快だと言ってるじゃないか。……おい、舐めはどうした。」
踏みつけていた脚が浮き上がり、勢いよく間宮の股間を潰すように蹴り上げた。高い悲鳴が上がった。
「相変わらず、1つも俺の命令がマトモに聞けないな、お前は。」
二条がそう言い捨てて、美里の横に戻る。間宮が再び息を堪えようと悶えながら舌を出すので、体がビクンビクンと痙攣し、豚のような嗚咽を漏らし始めた。身体が不自然にガクガク震え、美里はそれを見てまるで死にかけの虫だなと思った。美里の綺麗に仕立てられた靴が大量の唾液と薄まった血で濡れ、床まで液が滴っていく。そうして、間宮は一際大きく咳き込んでようやく顔を上げた。大粒の涙を流しながら、息を荒らげ喉を掻きむしるように抑えた。
「む、……無理゛です、っ゛、もぅ…、む」
「何?今、無理と言ったか、あーあ、幻滅したぞ間宮。帰ったらまた呼吸管理の訓練を一からやり直しだな。それで貴様の脳細胞が今まで以上に死滅しようが知ったことじゃない。」
「ぁ……」
「もういい、勝手に息してろ。はやく頭を下げろ。舌の動きが止まってるぞ。」
間宮が靴舐めを再開するのを見届けてから、二条の視線が間宮から美里の方に向いた。間宮の調子が先ほどより明らかに穏やかになっていることに美里は気が付いたが、何も言わなかった。
「罵られて余計に感じ入っている。本当に気持ち悪いだろ?……美里、こういう訳だからどうか許してやってくれないか。俺か、もしくはお前がやめろと言うまでこいつは舐め続けるからな。俺は言わないから、お前が満足したところで言ってやるんだな。他に命令があるなら言ってやるといい、お前の気の済むまでいくらでも、好きに使ってやってくれ。」
「………」
美里はあれだけ気持ちが悪いと思っていたはずなのに、すぐには「やめろ」が言えなかった。
なにか、スイッチのようなものが切り替わっていく感覚がある。足元で間宮が小さく呻いていた。
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