堕ちる犬

四ノ瀬 了

文字の大きさ
上 下
44 / 170

のろのろ歩いて雄犬探しか?帰れば沢山いるんだから我慢しろよ。

しおりを挟む
外はすっかり夜であった。繁華街の方から酔っ払った人々の声が時折響いてくる。月明かりが明るく、互いの姿がはっきりと見えた。

「じゃ、またご贔屓に。」
海堂は店の出口で頭を下げながら「早く帰れ」と何度も頭の中で唱えていた。
「急に悪かったな。」
二条からは事前に予約キャンセルになった分と口止め料を含めた60万円を現ナマでもらっていた。
「いえ」
頭をあげると二条とバッチリ目が合った。嫌な目だ。そう思ったのを察したのか無表情だった彼の顔をが微笑んだ。中身では全く笑っていない、脅しの笑顔だ。
「金だけで足らんなら練習台もよこしてやろう。」 
「別にいいですよ。間に合ってますから。」

澤野の滑らかな皮膚になら幾らでも彫りたいと思ったが、そんなことを今ここで無邪気に口走ることは怖くてとてもできなかった。本当にやらされる。彼らの行動原理は海堂のものとは違っている。まるで別の動物だ。

「二条、あまり絡むなよ。嫌がってるだろ。」
心が読まれたのかと心臓がはね、川名の方を見ると別段不機嫌でもなく平然とした顔でタバコを吸っていた。
「嫌がってる?そうですか?いつもと変わらんように見えますが。」
「『早く帰れ』って顔だろ。」
川名の口から吐き出された煙が海堂の周囲にまとわりついた。
「な?」
二条の目が軽く冷めたものに変わり「まぁ、確かに言われりゃそうかも」と言った。
「澤野を担当に戻すかどうかはわからないが、しばらく俺か間宮がここの面倒を見よう。」

間宮がいい、と二条の前で口に出すわけにはいかず黙っていたが川名が「間宮の方がいいと言ってるぞ」と言って笑っていた。

いたたまれなくなって視線を下げれば人間以下の扱いをされた澤野がいる。最早服を全て脱がされて、目のやりどころがなく、やっぱり早く帰って欲しいと思ってしまう。どう見ても異常な光景だというのに、彼ら3人がさも自然に振る舞い、空気が侵食されていた。頭がおかしくなりそうだ。

首輪をつけられた彼はすっかり意気消沈しているようでいつになく暗い表情をしていた。それはそうだろう。ピアスや刺青だって合意なく入れられたのだ。

海堂は度々今回のような本人の合意のない第三者からの依頼を、高い金を積まれて受けてきた。やられた方としたらたまったものではない。最初こそ暴れたり怒ったりしていても、結局のところ取り返しのつかない施術、伴う強烈な痛み、現実感の無さにしばらくは去勢されたようにおとなしくなるのだった。

「灰皿は?」

川名が言う。てっきり地面に捨て擦るもので、海堂は吸殻をあとから掃除しておこうと思っていた。ただ、不自然なのは彼が海堂ではなく、下にいる男に向かって言っていることだった。彼が持ってくるには川名がリードを手放す必要があるが、そのような素振りはみせない。寧ろ川名はリードを短く持ち直して引き上げ、彼の頭を上げさせた。

「は、い、ざ、ら、聞こえなかったか?回数を増やそうか?それか、俺の横にお前を常設させてやってもいいぞ。」

海堂には何を言っているのか半分程度理解できなかった。気をきかせて店の中のものを取ってこようかと思ったが、目の前で澤野が膝立ちをして川名にすり寄るようにして口を開いて舌を出した。

「そうだな、これで1回分消化だ。」

煌々と火の灯ったままの煙草が彼の口の中に押し付けられ、体が1度だけ小さく跳ね、くぐもった声が上がって小さく身体が震えていた。体は拒絶して口を閉じようとしているのに、それを彼の意思が無理やり開けさせている。しかし悲壮感があまりないのは、彼の軽いつり目がちの目や、どこか冷笑的な薄い唇が彼の本心はどうあれ態度を反抗的に見せるからであった。

あまりのことに呆然としていると川名は火の消えた煙草を手に取ってそれを海堂の方に差し出した。
「悪いけど、これは捨てておいて。」
手を出すと海堂の手のひらに湿ったそれが落とされた。

「お前が先に歩くんだ。俺たちは後ろから着いていくから。」

霧野は上からかけられた言葉に、さらに心を沈めていた。
川名がリードを元のようにたるませて、霧野の背後にたった。路地に人気はないが、敷地から公道に出るのは躊躇する。そう遠くはない距離のはずで普通に歩けば1分もかからないのだ。それが視点が違うだけ状況が違うだけで随分長い道のりに見える。

しかし動かなければ、帰りたくないと見なされてまた身体に改造を施されるかもしれない。粋がった調子は殆ど消し込まれ今や恐怖や悲しみが普段の彼をうわがいていた。コンクリートの道の上に手を足を伸ばして1歩2歩進む。外気が身体に触れて外を半ば裸で這っていることを思い知らされて歩が止まってしまう。

「どうした?止まったりして、排便したいのか?駄目だろ。店の前だぞ。お前に刺青彫った海堂にいやがらせしたかったらもっと別の方法でしろ、犬の死体を店の前に置くとかな。」

彼の言葉は無視して再び歩を進めた。遠くから声、近くの家の中から生活音が聞こえる度に、体に寒気のようなものがし、速度を早めようと思うのだが、うまくできずに体が強ばった。歩く度にしっぽを嵌められた体内から軽く発情し、音叉を弾いた時のように体の3点の性感帯にジンジンと響いた。快感をこらえようとすると息が上がり地面向かってはあはあと息が出た。
まさに犬の視点、警官、ヤクザ、人間以下だと思うと恥ずかしさにまた涙が出てきた。考え始めるととまらず、下半身に響く。

「そういえば、三笠組の件はどうなった?」
「下の者にまた探りを入れされてますが」

背後で川名と二条が仕事の話を始めて、いっそう惨めな気分になった。自分一人だけ異常だ。いや、自分を人だと思うから異常なのだ。人として考えるのを止めると、身体がむらむらとくすぐったく、すぐにでも何かを発散してしまいたい。

冷たく湿った硬い地面が手のひらや膝に擦れる。時折首輪が首に擦れるだけで、苦しいし屈辱的だがマシという不思議な気分になった。それは首輪の先に川名がいて、自分一人ではなく、川名が自分のことを認識しているという証だったから。
背後で仕事の話が終わり2人の視線がこちらに向けられた。嫌なことの筈なのに、心が安堵してしまう。視線がとどまることでまた身体の奥の方からむらむらとした気分が這いあがってきて、下半身が熱くなっていった。

「発情しているな。ここでそのデカいケツに突っ込んで欲しいのか?もしくは、のろのろ歩いて雄犬探しか?帰れば沢山いるんだから少しは我慢しろよ、淫乱。帰ったらまた皆に使ってもらえる機会を与えてやる。早くみんなにその身体を見てもらいたいだろ?」

「遥、何を首輪つけられて散歩させられて勃たせてんだ、根っからのマゾホモが。状況と立場を考えろよ?いや、考えれば考えるほど高まっちまうかな?霧野巡査。まあいい、今度もっと長距離やらせてやるから期待しておけよ。」

ナイフのように言葉一つ一つが心を抉り、何も言い返す気が起きない。恥ずかしさに頭を下げて歩を進めた。
路地を曲がった先に大通りが見え始めた。路地より遥かに明るく車通りもあり、とぎれとぎれだが人がぽつぽつと歩いてるのも見えた。呼吸が苦しくなり、なぜこんなことをと思うと一層身がすくんだ。

「そのまま進めよ、もうすぐそこだ。俺達に声をかけられるとしたら、それこそお前のお仲間くらいしかいないんだから。せいぜい運よくお前の仲間がここを通ることを願うんだな。まあ来るわけがないが。」

大通りに出て右に曲がるとすぐにパーキングの看板があったが、既に面前に大学生風の男1人、数メートル先に若夫婦か30代カップルと見える男女、道の反対側に犬の散歩をさせる中年男性が見えた。

大学生は完全にこちらから目を逸らし携帯を操作しながら通り過ぎて行く。男女は道を引き返し、反対側の中年男性は足を止めて、こちらをじっとは見ていないが視界の端に留めているようだった。

風に乗って男女の声が聞こえてくる。コンビニで靴を舐めた時と同じで興味本位の視線をどこからか感じるが誰も敢えてかかわろうとはせず、遠目にこちらをうかがっている。誰も何かしようとはしてくれない。

「ほらな、誰も何もしない。気にせずそのまま行け。人によっては見えてさえないんだよ。人は自分の常識の範囲外の事象を認識できないから。お前は堂々と犬でいろ。」

そうは言われても心臓の高鳴りは止まらず、俯きながら公道の歩道を這っていった。奇妙な高揚感が身体をおかしくさせて、下半身にどんどんと嫌な熱気が溜まって言ってしまう。筋肉がだるく、ふるふると震えた。

「なんだ?いい反応するじゃねえかよ。マゾの才能の塊みたいな奴だ。尻尾咥えたケツ穴までひくつかせて、惨めな男だな。本当にお前か?」

返事をするかわりに、上がってくる呼吸を抑えようとするが、うまくいかず、呼吸の中に声が混じり始めた。止めようとすればするほどとまらない。

パーキングの中に入ると川名の車が1台停められていた。普段ならば、誰か運転の者、主に美里がいるのだが、珍しく誰もいない。一瞬霧野は美里を思い出して罪悪感のようなものを覚えてしまい、打ち消すように頭を振った。

「帰りは霧野を乗せるつもりだったからな、運転手は帰したよ。」

二条が運転をかってでて、川名が後部座席に座った。リードがピンとはって座席に座った彼がコンクリートの上に這いつくばっている霧野を目だけで見下ろした。

「お前の席はない。俺の足元に蹲れ。いつもノアがしてるようにしろ。ん……なんだ?そんなに勃起させて。車の中で我慢汁垂らされたり、無駄射精されても汚れるからな、そこで一発出してから乗れ。見ててやろう。そこで出すまで乗せてやらんぞ。」



「痛ってぇ……」

ベッドから体を起こすとわき腹、肩、顔面、尻などが意識の覚醒と共に熱を持って痛み始めた。美里は、ため息をつきながら布団をはねのけて時計を見る。もう昼を過ぎていた。頭の中で予定を確認するが緊急を要するものは無い。身体が鉛のように重く、立っただけで動悸が激しくなった。

下着一枚で洗面所に向かい鏡を見ると顔に一つ大きな痣ができ口の端が切れていた。出血は止まっているものの、これじゃあリンチされたことが一目でわかる。口を開いて中を見ると、奥歯が一本ぐらついていた。抜くには微妙で気持ちが悪い。そのまま視線を下げれば、肩や脇腹にもっと酷い痣ができ青黄色になって模様を作っていた。しばらく服は脱げない。

そして首元に二筋、薄い切り傷が残っていた。顔を軽く横に向けて鏡を見る。血が固まって赤いラインを二重に引いていた。指で線をなぞるとじんじんと熱を持って痛み始めた。同時に何もないというのに股間のあたりに鈍痛のような嫌な感じが漂い、もぞもぞと足を動かした。思い出すだけで股の辺りがひゅんとする。

「くそ……」

すべてあいつのせいだ。奴の優越感に浸った顔を思い出すとイライラしてきて、洗面台の下、収納スペースの扉を蹴り上げた。鈍い音がして鏡が軽く揺れ、いつになく鋭い自分の眼光が揺れていた。

骨折しなかっただけマシと言い聞かせながら、歯を磨いた。歯を磨きながら昨日の記憶がよみがえってくる。

久瀬が掃除業者がワゴンに積んでいたモップか何かで後ろから霧野の頭をかち割った。何が起きたかもわからずに目を白黒させながらよろめいた霧野の下敷きにならないように、すぐさま手を振りほどいて脇に避けた。彼が二条の下へと身体を打ち付けながら転げ落ちていくのを久瀬と並んで見ていた。

「存外に頑丈なモップだ。喧嘩の時に使えるな。」
久瀬が意気揚々としているのを横目に二条の足元で伸びている霧野を見降ろしていた。
「…‥死んだんじゃないか?」
「こんなので死ぬわけないだろ。頑丈が取り柄みたいな男だ。」

二条が霧野の横に屈んで様子を見ていた。自前のナイフやマカロフを回収したいが、今、二条と霧野の側に寄りたくない。本音を言えばさっさとここから消えたい。しかし久瀬がすぐ横、背後にまだ人気がある中で当事者である自分が去ることは不可能だ。ここで去ったとして異常者の二条が達者な口で適当を言って川名を言いくるめ、霧野を彼専用の性奴隷にする可能性もある。二条は彼の好みに合った債務者や捕らえた敵対者がいれば、そのような非道を行って、使い捨てては遊んでいた。

「……二条さん、どうですか?」
美里が声を掛けると二条は霧野を抱え上げてそのまま階段を上ってきた。地下室の扉の目の前にナイフと銃が落ちたままになっており、銃弾が一発鉄の扉に食い込んでまだ硝煙をたてていた。硝煙の匂いは好きな匂いのはずなのに、今は嫌な臭いにしか感じられない。

「気を失ってるだけだな。美里と久瀬だけいればいい。いい、他はもう散れ。ただの喧嘩だからな。」

「しかし……」
背後にいる十数名の組員たちはなかなか去ろうとしない。霧野が無暗に二条に発砲したせいだ。これだと言い訳を考えるのがさらにややこしくなる。普段なら冷静な彼が、どうしてそんな余計なことをしたのか理解できない。撃ったらもっと悪いことになるとわかっていることなのに。

「俺が良いと言ってるんだ。さっさと失せろよ。」

二条が強い口調でそう言うと、彼らは頭を下げて姿を消した。

「お前もうコイツとかかわるのやめたらどうだよ?責任取れんのか?」

強い口調が今度は美里に向かって降ってきた。にやついた様子もなく、大きな分厚い壁を目の前にしているようだった。目の奥の方が沼のように暗く、思わず目をそらしたくなるが、負けじとじっと見据えた。

「おい。何黙ってんだ?同意ととっていいってことか?」
「嫌です。」
「あ、そう。組長はなんていうかな。てめぇのせいでコイツを逃がしかけ、俺まで死にかけてんだぞ。俺があそこにいなかったら終わってたな。」

「……うるせぇな。アンタなんか死にゃいいんだよ。大体殺してみろと言ったじゃねぇか!死ね!!」と言いたいが、黙っていた。代わりにさらに睨みつけると、逆に二条の顔が緩み、笑い始めた。
「いい顔だ。普段からそれくらいの顔してろ。普段のお前のすました顔はここにそぐわない、見てて心底イライラする。」

横で久瀬が川名に電話をかけ状況を説明していた。
「代われって。」
久瀬が携帯を投げてよこし、二条の方を見たまま電話に出た。

『お前は何をやってんだ?……つい最近も同じセリフを言った気がするな?』
「すみません。」
電話の奥の方から深いため息が聞こえてきた。
『お前が奴を逃がしたらお前を代わりにするから。手加減無しで。』
「……。なんで、俺がそんなこと」
『なんで?お前言ったよな?責任をもってある程度面倒を見て調教すると。お前の言ってる責任ってなんだ?そんなに軽い意味だったのか?』
「……わかりましたよ」
口ではそう言ったが、納得はしていなかったし、川名がそこまでするとは思えなかった。
『本当にわかってるのか?霧野は体力があるからもっているが、お前が同じ事してもつのかな?そもそも一度でもお前が奴と同じようなことができた試しがあったか??まあいいや、細かいことは後から聞く。二条に代われ。』

二条に携帯を渡すと彼は電話をしながら、美里と久瀬の横を通り階段の一番上まであがっていった。

その間に銃とナイフを回収する。階段の上から二条と久瀬が一緒になってこちらを見ていた。階段を上がり切るとちょうど二条が電話を切り、霧野を事務所の壁にもたれさせるようにして地面に座らせた。

しゃがみこんでいた二条がこちらを振り向きざまに「じゃ、まずは俺から一発。」と言い終わる間もなく、美里の脇腹に二条の回し蹴りが決まって横に数メートル身体飛ぶような感覚の後に猛烈な痛みが襲ってくる。

よろめき脇腹を抱える前に「すまん、嘘だ、二発だな!」という声と共に右顔面に下から上に突き上げるような拳が飛んできた。頭の中がぐらぐらし、視界が黄色くなって歪んだ。何とかバランスをとって尻もちをつかずにはいたが、腹とさっき霧野に突き上げられた下半身がまだ鈍く痛く、腹を抱えて身体を曲げ、目だけで二条と久瀬の方を見た。

「顔はNGって言ってませんでした?」
「そうだな。ま、一発くらいは仕方ねぇな。人をイラつかせる顔してる方がわりぃんだよ。肩を殴ろうとしたら避けられて顔に当たったとでも組長には言っておけばいい。」
「そうですか……。じゃ、次は俺だな。手加減無しでいいってことだから。」

彼の手にはモップではなくいつの間にか鉄パイプが握られており、よける間もなく肩と背中に打ち下ろされ、あっけなく地面に膝をついてしまう。全身が悲鳴を上げ始め、視線の先で霧野が暢気に壁にもたれて寝ているように見えた。

「ふざけんじゃねぇぞ……何を寝てんだよ……全部お前のせいじゃねぇか…‥」

こういう時、立場が逆だったら簡単に霧野は立ち回れるのだろうか。

「さっきぶりだな、ミサちゃん。さっそく管理に失敗したんだってな。最低な奴だ。」

陽気な声と共に横から竜胆の強烈な蹴りが飛んできて、二条に蹴られた箇所に重なって内臓を抉った。声が出そうになるのを必死に抑えて立ち上がろうとするが、脚ががくがく震えて口の中に胃液の味が広がった。

「お、意外としぶといんだ~。じゃ、これはどうかにゃ!」

背後から覆いかぶさるようにしてヘッドロックを掛けられて身体を起こされた。もがけばもがくほど竜胆のしなやかな腕が食い込み、身体が浮いて、足先が辛うじて地面に着くくらいになった。竜胆の腕をふりほどこうと爪が食い込むが「あははは、ネコみたい~」と言われる始末だ。

「おい、久瀬!今なら美里をサンドバッグにできるぜ。お前さあ、格闘弱いんだから、こういう時に練習しろよな!そんな武器に頼ってダセェんだよ!」
「は?なんだとてめぇ。いいよ、やってやるよ。」

二条、久瀬、竜胆が交互に美里をリンチにかけ、その様子を遠巻きに他の組員が面白がって見ていた。公衆の面前でリンチが起きるのは下っ端同士のいざこざや上部の人間の命令によるものが多く、上部の人間が上部の人間を衆人環視の下で雑に嬲っているのは珍しいことだった。

そうして暴力の渦に巻き込まれ、最後に二条に掛けられた大外刈りで地面にたたきつけられて、完全に伸びてしまった。ずるずると痛みしか感じられなくなった身体を引きずられていく。たどり着いた先で、叩きつけられるように壁に押し付けられた。
三人が上から見下ろしており、彼らの視線は美里とその横に向かっていた。横目を向けるとすぐ横で霧野が同じ姿勢でぐったりしていた。目は閉じられているが、意識が戻りかけているのか、微かに苦しそうな唸り声が聞こえてくる。

「コイツにはコイツで罰を受けてもらう必要がある。」
再び二条が霧野を抱えあげて、隣が空いた。一言いいたいが口が開くだけで声が出せず情けない呻き声だけが出た。
「張り合いがねぇよ。な、遥もそう思うだろ。」

二条は腕の中で寝ている霧野をゆすって動かして「そう思うらしいぞ。お前のような弱い雄に用は無い、強い雄に抱かれたいってさ。」と言い、去っていった。待て、の一つも声が出なかった。

「じゃあな美里。骨までは多分いってないだろ。お大事に。」
久瀬が欠伸をしながらそう言って去っていく。竜胆は久瀬と共に去りかけていたが、こちらを向いて微笑んだ。
「それでよくアイツと組めてたな。もっと鍛えな。」
「……。三対一で、よくいうよ、」

美里が言い返した時には最早目の前には誰もいなかった。それに制裁が名目なのに下手に反抗したら、もっと酷いことになるじゃないか。多少の抵抗は良いとして、黙ってされるがままになるのが一番賢い。反抗心の塊みたいな男がどうなるのか、良い手本がある。

しばらくそのまま外の風に当たって気を紛らわせようとしたが、無理だった。事務所のそこかしこから視線を感じるのだ。
彼らは犯罪行為を犯すことをいとわない。ここは庭、何が起ころうとも何もなかったことにすることができる場所だ。重い身体を引きずるようにして立ち上がると携帯が鳴った。川名だった。おそらくどこかからこちらを見ている。久しぶりに彼のことを心底気持ちが悪いと思った。

「……なんです。」
『どうだった?久々のリンチは痛かったか?』
「……。」
事務所の建物を見上げて川名を探すが見つけらない。その代わり何人かにやついた顔をした組員と目があい、不快な気分になった。電話口の向こうで笑い声が聞こえた。
『何故奴に背後をとらせるようなヘマをしたんだ?奴に何か言われたのか。』
「……いえ」
『……。アイツの言ってることは全部嘘だぜ。アイツはアイツで人心掌握、コントロールのプロだ。だからこそ今まで俺達を欺いてこれたんだから。』
「わかってます。」

川名に電話口で何があったか聞かれるがままに上手く説明した。結局父親のことについては黙っていた。それこそ、霧野の卑劣な点として一番に報告すべきことだとわかっていたが。
逃げ出すようにして車を走らせて家に帰った。通いなれた道を無心で走っていたらしく気がついたら家にいた。道中のことを思い出せない。

歯を磨けば磨くほど、口の中が血の味でいっぱいになった。奥の歯がぐらつく。刺激しないようにしながら口内を探っていると鉄の味でいっぱいになり、嘔吐くようにして泡を吐き出した。真っ赤だ。嘔吐いた拍子に涙が零れて軽くすり切れた皮膚に染みた。
鏡をじっと見た。母親似の自分の顔が映っていた。しかし、顔をしかめたり、口を開いたりすればそれはもう彼女には決してできない凶悪な顔に見えた。もしくは彼女もこの顔ができたが、敢えて自分には見せなかっただけかもしれない。奥歯を点検するとやはり真っ赤に染まり、しかし抜いてしまうにはまだ根が食い込みすぎている。舌先で歯を舐めながら口を閉じると血で唇が赤く濡れていた。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

美少年(腐)の僕は、イケメンかつ絶倫巨根を所望する

BL / 連載中 24h.ポイント:149pt お気に入り:624

魔王の番

BL / 連載中 24h.ポイント:28pt お気に入り:632

僕は平凡に生きたい

15
BL / 連載中 24h.ポイント:21pt お気に入り:770

【完結】恋の終焉~愛しさあまって憎さ1000倍~

恋愛 / 完結 24h.ポイント:1,341pt お気に入り:2,366

突然始まって突然終わるR18練習SS

BL / 完結 24h.ポイント:49pt お気に入り:3

処理中です...