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お前のために痛みを与えてやるんだ。深く反省するんだな。すべて、お前のためだ。
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事務所の淀んだ空気でさえ、湿った地下室よりマシで寧ろ懐かしささえ感じた。
霧野は、美里の後について階段を上っていった。既視感のある光景だ。
階段を上っていく間中、誰も話さなかった。時折すれ違う者の中に、挨拶してくる者がいれば挨拶するし、挨拶すべき者がいれば挨拶した。時折、下半身がきつく、歩き方を忘れる、特に階段を上る時がきつく、後ろに間宮が立っているおかげで、何度か階段を転げ落ちずに済んだくらいだ。
「霧野さん、具合悪そうだね。まるで処刑場に歩を進めるキリストだね。」
間宮がそういうと階段の上から美里が足を止め、霧野と間宮を見下した。彼の後ろの窓から光が刺し、美里の顔が真っ黒になってふたりからは表情が見えなくなった。
「お前みたいなやつが、洒落たこと言うじゃないか。キリスト?どこが。ユダそのものじゃないか。」
間宮が霧野の身体を支えながら、含み笑いをして言った。
「ユダの最期は首吊り自殺だ。だから、ユダじゃなくてキリストなんだ。」
美里は何も答えずふたたび二人に背を向けて階段を上り始めた。
幸い宴会にいた者とは誰もすれ違わなかった。
川名の部屋の前に来る。ドアの右側に見張り担当の飯島が立っており、頭を下げてくる。ガッチリ引き締まった体躯で戦闘に特化していることが一目でわかる。霧野もここに入った最初の頃、まだ川名の直属になる前は、何度かその役目をやっていたことがあった。武器無しで最低限平均以上に戦える身体能力が求められた。
飯島と同じように、霧野がその場所に立たされていたある日、ちょうど欠伸をしたタイミングで二条と間宮、それから二条の配下の道川、牧野がやってきて一番下の牧野が「どういうつもりだてめぇは」と叱ってきた。因縁をつけられるためにワザとそうしたのだった。早いところ組織の上位者であり、「調査対象」でもある二条に顔を覚えられ、親密になる必要がある。
口だけで「すいませんでした」と言うと牧野の平手が飛んでき、手首をとって捩じり壁に押し付けていると何か喚きながら暴れまわった。続いてやってきた道川の方に牧野を投げつけ、そのまま牧野の腹を蹴り上げるとバランスを崩して、ふたりして階段から落ちた。流石に心配になって下を覗き込むと、もつれあいながら起き上がるところだった。
「へぇ、良い動きするじゃねぇか。実力があれば何していようが関係がない。それがウチだからな。雑魚どもが邪魔して悪かったな。」
二条はそう言って霧野が痛めつけた舎弟達を見降ろして一瞬だけ嫌な笑い方をし、霧野とは目も合わせずに中に入っていった。間宮が無表情のまま霧野を見落ろし「ふーん。」とつまらなそうに言った。人殺しということを隠そうともしない目つきだった。それから続けた。「アンタは清廉潔白純真無垢ですという顔をして、その実中身は出世欲に塗れた黒い男だね。猫かぶり。」霧野が何か言う前に彼はドアの向こうに消えた。
霧野の目の前で美里が扉をノックし「戻りました。」と言う。少し間をおいて「入っていいぞ。」と川名の声が返ってきた。
美里が先導し、間宮が扉を閉め、彼はドアのすぐ横に壁を背にして立った。
霧野は部屋の中心で、まだ手錠で繋がれていた余韻の残る左手首を右手で掴んで立った。彼から見て右斜め少し前に美里が立っていた。眠いのか手で口元を抑えて欠伸をしていた。
川名は木調の書斎机の向こう側で椅子に座って指を組み、こちらを見上げていた。やはり背後の窓から光が刺し、逆光となった彼の顔は薄く陰っていた。
「おかえり、霧野遥。体調はどうだ?」
霧野は「最悪だよ!」と応えたいのをこらえた。頭のまわらない今、粋がった口調をして、また同じことを繰り返させられたり、最悪な処刑コースに乗せられることは避けたかった。
「まずまずです。」
「何回出されたんだ?外に連れて行ってやってから今までだ。」
「……。」
答えようがなかった。もはやわかるわけがないのだ。適当な数字を言ってもよかったが、内訳を事細かに聞かれ始めたら、中出しゲームの点数表を参照されるか、後ろに立っている間宮から昨日の様子を聞きだされ、間違い、嘘の報告を指摘されて折檻だ。
「わかりません。」
「わからない?そんなのありえない。俺はお前に数えておけと命令したよな?」
「……申し訳ございません。」
「出来の悪い犬だ。自分に課された命令くらい真面目に完遂しろ。また躾だな。」
川名はゆっくりと立ち上がり、机の前に回り込むと机にもたれかかるようにして立った。
「美里、どんな躾が妥当だ?自分に出された回数を数えるという単純な計算さえできない馬鹿だ。」
「……。背中に鞭打ち20回。」
「間宮、お前はどう思う?」
「俺ですか?そうですね。爪剝ぎ2本。」
川名は霧野の方を見ていた。部屋に入った時からずっとそうだ、美里と間宮に語りかける時もそう。
「霧野、どっちがいい?」
「……鞭打ち20回。」
「じゃあ爪剝ぎ2本だ。お前の指は奇麗だから少し残念だが、爪なんてすぐに生える。それにお前は俺に『爪でも指でも眼球でもなんでも持っていけ』と言っていたじゃないか、今更日和るなよ。お前の望み通りだ。」
川名は懐から手帳を取り出すと、ボールペンでメモを始めた。
霧野の左手首を掴む右手の握力がだんだんと強くなっていった。
「次、二条に頼まれた煙草を買うというおつかいがマトモにできなかった上に、俺に叱られても平然としていたな。何か弁明するか。」
「……いえ、何もありません。」
「美里、間宮、どんな躾が妥当か順番に言ってみろ。」
「……。舌で灰皿2本。」
「陰部火炙り20秒。」
「霧野、どっちがいい?」
「……。」
「回答なしだな。じゃあ両方だ。3秒以内に答えろ。」
川名のボールペンが更にメモの上に文字を刻んでいった。これは裁判だ。川名が裁判官、美里と間宮が検事になって霧野を責め立てた。弁護士は被告でもある霧野自身だ。
「次、宴会でのことは言いたいことが多すぎて指摘を始めたら1時間を普通に超え、次の仕事にまにあわなくなる。細かいところは暇なときに俺が直に躾けてやるよ。まあ、それでも他の皆を愉しませることができたからな、甘く見て50点くらいにしてやろう。でも50点は十分落第点だ。何か弁明するか?」
「……5時間程度身体を明け渡して全員に点数が稼げるように努力しました。だから」
「俺が薬をやったからじゃないか。何を自分の手柄のように言い出す。まだ薬で頭がイカレてんのか?50点は嘘だな40点だ。美里、間宮、順番に答えろ。間宮はその場にいなかったから、お前が世話した時の霧野の態度と美里の罰を基準にして考えろ。」
「……、陰部に鞭打ち20回。」
「ん?それだけでいいのか?」
「と、‥‥…。」
美里が言葉に詰まると川名が初めて霧野から目線を外し美里の方をじっと見始め、もたれていた机から背を離し彼の方に歩いていった。
「どうした?別にそれだけでよければ、それでいいんだ。そう言えよ。」
「アナル拡張7センチ。」
「……わかった、陰部鞭打ち20回の上アナル拡張7センチだな。」
川名は足を止めて、間宮の方を見た。
「どうだ、参考になったか?」
「そうですね、じゃあ縄責め半日の上アナル拡張8センチ。」
「霧野、どっちがいい?」
「陰部鞭打ち」
「よし、じゃあ、陰部鞭打ち30回の上アナル拡張9センチだ。」
川名がメモに追加を書き立て「まあ、先は長いし、後から順番に気楽にやっていこう」と言って手帳を閉じた。
「美里、間宮、ご苦労だった。もういいぞ。外に出ろ。俺はコイツと話があるから。間宮、霧野が出ていくまでは、飯島と担当を変わっておけ。人が来たら普通に通していい。美里は好きにしてろ。」
ふたりは冷淡な口調で「はい。」と言って部屋から出ていった。何も言わずこちらを一瞥もせずに。
背後でドアが閉まる。川名が美里が立っていた位置から黙ってこちらを見据えていた。口元は固く結ばれ、目は感情がない、しかし、奥底の方は殺気立つと同時に支配、愉悦を纏った瞳をしていた。吸い込まれ、乗っ取られそうだ。だんだんと目を合わせているのがつらくなり、霧野の方から視線を外し、軽く俯いた。
何もせず話を聞いていただけなのに、疲れ、身体が重かった。
「霧野、今立っている場所で服も靴をすべて脱ぎ、正座して畳んで床に置け。それから土下座だ。俺と二人きりになったら、まず最初に自分からそうしろ。そして俺が頭を上げていいというまでそうしてるんだ、わかったな。」
「……。」
「おお、無視か。今日初めて反抗的な態度を見せたな。でもお前はやるしかないんだ、わかってるな。」
霧野が衣服に手をかけ始めると、川名は部屋の左側にある応接スペースのソファに腰掛けた。彼の目線が霧野から外れることはなく、一挙手一投足が子細に観察された。すべての衣服をはぎ取り、床にひざまずくが、あまりの情けなさに、一瞬手が止まってしまった。
「大丈夫か。」
霧野は再び手を動かし始めた。
「そうだ、もしお前が万が一、俺や俺の仲間に殺された場合のお前の埋葬方法を教えておいてやる。まず、お前の死体で遊びたいやつを募集して好きに遊ばせ、最悪な状態の写真を撮ってやる。それから身体の一部をその写真と一緒に……ああついでにお前の生前の「良い」写真があればそれも一緒にお前の親族、友人、お前の上司に送る。死体の半分、美味しい部分はノアにやって、残りは生ごみに混ぜて捨て、残ったカスはあの山に撒く。」
霧野は川名を無視し、衣服を畳むことだけに集中し、何も考えないようにした。畳み終え、今だけは人じゃないと自分に言い聞かせながら、ゆっくり頭を下げた。しばらく何も起こらず、長い体感時間の後、川名の足音がソファから机の向こう側の椅子の方に移動していった。電話が鳴った。
「どうした?……ふーん、そうか」
川名はそのまま仕事の電話を長々と続け、霧野の存在を無視し続けた。それから「うん、今部屋にいるから、直接きたらどうだよ?」と言い始めた。美里と間宮が出て行ってから誰もドアの鍵を閉めていない。そもそも今部屋のドアを誰もノックしないのさえたまたま運がいいだけだ。地下とは違ってここには誰だってやってくる可能性があるのだ。組員は上から下まで、そしてカタギの人間まで。それがもし自分と面識がある人間だったら……。
霧野の身体は土下座させられた直後から無視をされ続け、じわじわと体温が上がっていった。扉の向こうで誰かの靴音が響く度、羞恥で身体がさらに熱くなり、心拍数がみるみるあがって、息が上がった。それが下半身に響き、顔を熱くしていたのと同じ脈拍を下の方にも感じ、疼き始めてしまう。はやく、はやく……。そう思うほど羞恥で興奮し、背中が軽く、上下する。
川名は電話をしながら、時折上からその様子をじっと見据えていた。誰か来て、ノックでもすればいいと思った。人によっては中にいれてやり、そのまま霧野を貸し出してやってもいい。ノックの音だけで彼は無様に射精するのではないかと思うほど追い詰められ、昂っているように見えた。普通の人間にやらせても恐怖で満たされるだけで、こういった面白いことにはならない。それを指摘してやってもよかったがそれではぬるすぎる。もっと精神的に追い詰めて、わからせてやらないと意味がない。
電話が切られた。
「頭を上げていいぞ。」
霧野が紅潮した顔を上げると、川名は目も合わせようとせず、机の上でノートパソコンをいじっていた。
「そろそろお前が消えて一週間になるわけだが、何故誰も助けに来ないんだ?」
「……何の話」
「お前の警察の上司や仲間の話だよ。腹を割って話そうじゃないか。気を遣わんでいいぞ。」
霧野の頭の中で、混ざり合った霧野と澤野の人格の内、ここは霧野として強く出ても大丈夫だと判断した。
「そのうち来るさ……」
そう言いながらも霧野はほとんど期待はしていなかった。そしてまだあの日から一週間もたっていないことに絶望した。木崎が死んだ今自分を守ってくれるような仲間はほとんど想像できなかった。2週間から1か月近く音信不通となれば流石に動く可能性はあるが、今すぐは難しい。自分から連絡を無視、絶った前科もある。
川名は何かをキーボードで打ち込み作業をしていたが、やはり、今霧野とやっていることとは何の関係もないことをしているようだった。
「お前、もしかして体よくアイツらから処分されただけなんじゃないのか?」
「……違う」
「ん?声の調子がちょっと変だぞ。図星か。お前を良くも悪くも評価できない奴らの下で、お前に何が得られるんだ。飛ばすなんて一番怠い折檻、お前には物足りんだろ。俺の折檻の方が余程気合が入りお前の精魂を叩きなおしてやれるぞ。」
「正義が得られる。」
「正義?」
「不正な行為をする人間を貶しめて、罰することができる。」
「それがお前がクソのような職場に勤めていた理由の一つとでもいうのか。くだらない。」
川名はキーボードで何かを打ち込む作業を止めて、テーブルの向こう側からこちらを見降ろした。
「俺も不正な行為をする人間が大嫌いだよ。だからお前の不正に罰を与えている。同じさ。」
「何を言っている。」
「いいか?よく聞けよ。お前の正義なんてものはな、ただの嗜虐心だ。自分の基準に照らし合わせ気にくわん者を潰して気持ちよくなってるだけだろ。都合のいい言葉で置き換えて誤魔化すなよ。お前は本質的に俺と何も変わらん。自分だけ正義の味方のつもりか。頭を下げろ。」
「適当なこと抜かすなよ、お前に何が」
「聞こえなかったか?早く頭を下げろよ。会話はもう終わりだ。」
霧野が再び、ためらいつつも頭を下げると、川名が椅子から立ち上がり部屋の奥の方に足音が消えていった。足音が戻ってきて霧野のすぐ背後で止まった。
「最初に比べたら身体も、陰部も、酷い物になったな。自分で見たか。」
「……。」
「今からお前にもっとふさわしい傷をつけてやる。皮膚が裂け、痕が残りやすい鞭で鞭打ち13回だ。口に出して数を数えてろよ。今度こそちゃんとな。つっかえたら最初からやり直しだ。一回痛みを受けるたびに、自分の行いを懺悔しろ。特別にお前の上司、木崎に懺悔を捧げることも許してやる。お前のために痛みを与えてやるんだ。深く反省するんだな。すべて、お前のためだ。」
鞭打ち一発目で、今までの殴打とは違う、鋭い痛みが霧野の背中に走り、くぐもった叫び声があがった。どこか遠くの方で誰かが叫んでいるような現実感のない声だった。打たれた箇所が熱を持っていたみ、じわじわと熱を持って広がり、一発だけで背中の左側全体が熱を持った。呼吸がつっかえて、身体が震え、狭い視界が滲んだ。たった一発で何かが削がれた。
「回数を数えず無様に吠えて。駄目だろ、それじゃあ。今の一発はノーカンだ。次はちゃんと言え。」
霧野は、美里の後について階段を上っていった。既視感のある光景だ。
階段を上っていく間中、誰も話さなかった。時折すれ違う者の中に、挨拶してくる者がいれば挨拶するし、挨拶すべき者がいれば挨拶した。時折、下半身がきつく、歩き方を忘れる、特に階段を上る時がきつく、後ろに間宮が立っているおかげで、何度か階段を転げ落ちずに済んだくらいだ。
「霧野さん、具合悪そうだね。まるで処刑場に歩を進めるキリストだね。」
間宮がそういうと階段の上から美里が足を止め、霧野と間宮を見下した。彼の後ろの窓から光が刺し、美里の顔が真っ黒になってふたりからは表情が見えなくなった。
「お前みたいなやつが、洒落たこと言うじゃないか。キリスト?どこが。ユダそのものじゃないか。」
間宮が霧野の身体を支えながら、含み笑いをして言った。
「ユダの最期は首吊り自殺だ。だから、ユダじゃなくてキリストなんだ。」
美里は何も答えずふたたび二人に背を向けて階段を上り始めた。
幸い宴会にいた者とは誰もすれ違わなかった。
川名の部屋の前に来る。ドアの右側に見張り担当の飯島が立っており、頭を下げてくる。ガッチリ引き締まった体躯で戦闘に特化していることが一目でわかる。霧野もここに入った最初の頃、まだ川名の直属になる前は、何度かその役目をやっていたことがあった。武器無しで最低限平均以上に戦える身体能力が求められた。
飯島と同じように、霧野がその場所に立たされていたある日、ちょうど欠伸をしたタイミングで二条と間宮、それから二条の配下の道川、牧野がやってきて一番下の牧野が「どういうつもりだてめぇは」と叱ってきた。因縁をつけられるためにワザとそうしたのだった。早いところ組織の上位者であり、「調査対象」でもある二条に顔を覚えられ、親密になる必要がある。
口だけで「すいませんでした」と言うと牧野の平手が飛んでき、手首をとって捩じり壁に押し付けていると何か喚きながら暴れまわった。続いてやってきた道川の方に牧野を投げつけ、そのまま牧野の腹を蹴り上げるとバランスを崩して、ふたりして階段から落ちた。流石に心配になって下を覗き込むと、もつれあいながら起き上がるところだった。
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二条はそう言って霧野が痛めつけた舎弟達を見降ろして一瞬だけ嫌な笑い方をし、霧野とは目も合わせずに中に入っていった。間宮が無表情のまま霧野を見落ろし「ふーん。」とつまらなそうに言った。人殺しということを隠そうともしない目つきだった。それから続けた。「アンタは清廉潔白純真無垢ですという顔をして、その実中身は出世欲に塗れた黒い男だね。猫かぶり。」霧野が何か言う前に彼はドアの向こうに消えた。
霧野の目の前で美里が扉をノックし「戻りました。」と言う。少し間をおいて「入っていいぞ。」と川名の声が返ってきた。
美里が先導し、間宮が扉を閉め、彼はドアのすぐ横に壁を背にして立った。
霧野は部屋の中心で、まだ手錠で繋がれていた余韻の残る左手首を右手で掴んで立った。彼から見て右斜め少し前に美里が立っていた。眠いのか手で口元を抑えて欠伸をしていた。
川名は木調の書斎机の向こう側で椅子に座って指を組み、こちらを見上げていた。やはり背後の窓から光が刺し、逆光となった彼の顔は薄く陰っていた。
「おかえり、霧野遥。体調はどうだ?」
霧野は「最悪だよ!」と応えたいのをこらえた。頭のまわらない今、粋がった口調をして、また同じことを繰り返させられたり、最悪な処刑コースに乗せられることは避けたかった。
「まずまずです。」
「何回出されたんだ?外に連れて行ってやってから今までだ。」
「……。」
答えようがなかった。もはやわかるわけがないのだ。適当な数字を言ってもよかったが、内訳を事細かに聞かれ始めたら、中出しゲームの点数表を参照されるか、後ろに立っている間宮から昨日の様子を聞きだされ、間違い、嘘の報告を指摘されて折檻だ。
「わかりません。」
「わからない?そんなのありえない。俺はお前に数えておけと命令したよな?」
「……申し訳ございません。」
「出来の悪い犬だ。自分に課された命令くらい真面目に完遂しろ。また躾だな。」
川名はゆっくりと立ち上がり、机の前に回り込むと机にもたれかかるようにして立った。
「美里、どんな躾が妥当だ?自分に出された回数を数えるという単純な計算さえできない馬鹿だ。」
「……。背中に鞭打ち20回。」
「間宮、お前はどう思う?」
「俺ですか?そうですね。爪剝ぎ2本。」
川名は霧野の方を見ていた。部屋に入った時からずっとそうだ、美里と間宮に語りかける時もそう。
「霧野、どっちがいい?」
「……鞭打ち20回。」
「じゃあ爪剝ぎ2本だ。お前の指は奇麗だから少し残念だが、爪なんてすぐに生える。それにお前は俺に『爪でも指でも眼球でもなんでも持っていけ』と言っていたじゃないか、今更日和るなよ。お前の望み通りだ。」
川名は懐から手帳を取り出すと、ボールペンでメモを始めた。
霧野の左手首を掴む右手の握力がだんだんと強くなっていった。
「次、二条に頼まれた煙草を買うというおつかいがマトモにできなかった上に、俺に叱られても平然としていたな。何か弁明するか。」
「……いえ、何もありません。」
「美里、間宮、どんな躾が妥当か順番に言ってみろ。」
「……。舌で灰皿2本。」
「陰部火炙り20秒。」
「霧野、どっちがいい?」
「……。」
「回答なしだな。じゃあ両方だ。3秒以内に答えろ。」
川名のボールペンが更にメモの上に文字を刻んでいった。これは裁判だ。川名が裁判官、美里と間宮が検事になって霧野を責め立てた。弁護士は被告でもある霧野自身だ。
「次、宴会でのことは言いたいことが多すぎて指摘を始めたら1時間を普通に超え、次の仕事にまにあわなくなる。細かいところは暇なときに俺が直に躾けてやるよ。まあ、それでも他の皆を愉しませることができたからな、甘く見て50点くらいにしてやろう。でも50点は十分落第点だ。何か弁明するか?」
「……5時間程度身体を明け渡して全員に点数が稼げるように努力しました。だから」
「俺が薬をやったからじゃないか。何を自分の手柄のように言い出す。まだ薬で頭がイカレてんのか?50点は嘘だな40点だ。美里、間宮、順番に答えろ。間宮はその場にいなかったから、お前が世話した時の霧野の態度と美里の罰を基準にして考えろ。」
「……、陰部に鞭打ち20回。」
「ん?それだけでいいのか?」
「と、‥‥…。」
美里が言葉に詰まると川名が初めて霧野から目線を外し美里の方をじっと見始め、もたれていた机から背を離し彼の方に歩いていった。
「どうした?別にそれだけでよければ、それでいいんだ。そう言えよ。」
「アナル拡張7センチ。」
「……わかった、陰部鞭打ち20回の上アナル拡張7センチだな。」
川名は足を止めて、間宮の方を見た。
「どうだ、参考になったか?」
「そうですね、じゃあ縄責め半日の上アナル拡張8センチ。」
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「陰部鞭打ち」
「よし、じゃあ、陰部鞭打ち30回の上アナル拡張9センチだ。」
川名がメモに追加を書き立て「まあ、先は長いし、後から順番に気楽にやっていこう」と言って手帳を閉じた。
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ふたりは冷淡な口調で「はい。」と言って部屋から出ていった。何も言わずこちらを一瞥もせずに。
背後でドアが閉まる。川名が美里が立っていた位置から黙ってこちらを見据えていた。口元は固く結ばれ、目は感情がない、しかし、奥底の方は殺気立つと同時に支配、愉悦を纏った瞳をしていた。吸い込まれ、乗っ取られそうだ。だんだんと目を合わせているのがつらくなり、霧野の方から視線を外し、軽く俯いた。
何もせず話を聞いていただけなのに、疲れ、身体が重かった。
「霧野、今立っている場所で服も靴をすべて脱ぎ、正座して畳んで床に置け。それから土下座だ。俺と二人きりになったら、まず最初に自分からそうしろ。そして俺が頭を上げていいというまでそうしてるんだ、わかったな。」
「……。」
「おお、無視か。今日初めて反抗的な態度を見せたな。でもお前はやるしかないんだ、わかってるな。」
霧野が衣服に手をかけ始めると、川名は部屋の左側にある応接スペースのソファに腰掛けた。彼の目線が霧野から外れることはなく、一挙手一投足が子細に観察された。すべての衣服をはぎ取り、床にひざまずくが、あまりの情けなさに、一瞬手が止まってしまった。
「大丈夫か。」
霧野は再び手を動かし始めた。
「そうだ、もしお前が万が一、俺や俺の仲間に殺された場合のお前の埋葬方法を教えておいてやる。まず、お前の死体で遊びたいやつを募集して好きに遊ばせ、最悪な状態の写真を撮ってやる。それから身体の一部をその写真と一緒に……ああついでにお前の生前の「良い」写真があればそれも一緒にお前の親族、友人、お前の上司に送る。死体の半分、美味しい部分はノアにやって、残りは生ごみに混ぜて捨て、残ったカスはあの山に撒く。」
霧野は川名を無視し、衣服を畳むことだけに集中し、何も考えないようにした。畳み終え、今だけは人じゃないと自分に言い聞かせながら、ゆっくり頭を下げた。しばらく何も起こらず、長い体感時間の後、川名の足音がソファから机の向こう側の椅子の方に移動していった。電話が鳴った。
「どうした?……ふーん、そうか」
川名はそのまま仕事の電話を長々と続け、霧野の存在を無視し続けた。それから「うん、今部屋にいるから、直接きたらどうだよ?」と言い始めた。美里と間宮が出て行ってから誰もドアの鍵を閉めていない。そもそも今部屋のドアを誰もノックしないのさえたまたま運がいいだけだ。地下とは違ってここには誰だってやってくる可能性があるのだ。組員は上から下まで、そしてカタギの人間まで。それがもし自分と面識がある人間だったら……。
霧野の身体は土下座させられた直後から無視をされ続け、じわじわと体温が上がっていった。扉の向こうで誰かの靴音が響く度、羞恥で身体がさらに熱くなり、心拍数がみるみるあがって、息が上がった。それが下半身に響き、顔を熱くしていたのと同じ脈拍を下の方にも感じ、疼き始めてしまう。はやく、はやく……。そう思うほど羞恥で興奮し、背中が軽く、上下する。
川名は電話をしながら、時折上からその様子をじっと見据えていた。誰か来て、ノックでもすればいいと思った。人によっては中にいれてやり、そのまま霧野を貸し出してやってもいい。ノックの音だけで彼は無様に射精するのではないかと思うほど追い詰められ、昂っているように見えた。普通の人間にやらせても恐怖で満たされるだけで、こういった面白いことにはならない。それを指摘してやってもよかったがそれではぬるすぎる。もっと精神的に追い詰めて、わからせてやらないと意味がない。
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「そろそろお前が消えて一週間になるわけだが、何故誰も助けに来ないんだ?」
「……何の話」
「お前の警察の上司や仲間の話だよ。腹を割って話そうじゃないか。気を遣わんでいいぞ。」
霧野の頭の中で、混ざり合った霧野と澤野の人格の内、ここは霧野として強く出ても大丈夫だと判断した。
「そのうち来るさ……」
そう言いながらも霧野はほとんど期待はしていなかった。そしてまだあの日から一週間もたっていないことに絶望した。木崎が死んだ今自分を守ってくれるような仲間はほとんど想像できなかった。2週間から1か月近く音信不通となれば流石に動く可能性はあるが、今すぐは難しい。自分から連絡を無視、絶った前科もある。
川名は何かをキーボードで打ち込み作業をしていたが、やはり、今霧野とやっていることとは何の関係もないことをしているようだった。
「お前、もしかして体よくアイツらから処分されただけなんじゃないのか?」
「……違う」
「ん?声の調子がちょっと変だぞ。図星か。お前を良くも悪くも評価できない奴らの下で、お前に何が得られるんだ。飛ばすなんて一番怠い折檻、お前には物足りんだろ。俺の折檻の方が余程気合が入りお前の精魂を叩きなおしてやれるぞ。」
「正義が得られる。」
「正義?」
「不正な行為をする人間を貶しめて、罰することができる。」
「それがお前がクソのような職場に勤めていた理由の一つとでもいうのか。くだらない。」
川名はキーボードで何かを打ち込む作業を止めて、テーブルの向こう側からこちらを見降ろした。
「俺も不正な行為をする人間が大嫌いだよ。だからお前の不正に罰を与えている。同じさ。」
「何を言っている。」
「いいか?よく聞けよ。お前の正義なんてものはな、ただの嗜虐心だ。自分の基準に照らし合わせ気にくわん者を潰して気持ちよくなってるだけだろ。都合のいい言葉で置き換えて誤魔化すなよ。お前は本質的に俺と何も変わらん。自分だけ正義の味方のつもりか。頭を下げろ。」
「適当なこと抜かすなよ、お前に何が」
「聞こえなかったか?早く頭を下げろよ。会話はもう終わりだ。」
霧野が再び、ためらいつつも頭を下げると、川名が椅子から立ち上がり部屋の奥の方に足音が消えていった。足音が戻ってきて霧野のすぐ背後で止まった。
「最初に比べたら身体も、陰部も、酷い物になったな。自分で見たか。」
「……。」
「今からお前にもっとふさわしい傷をつけてやる。皮膚が裂け、痕が残りやすい鞭で鞭打ち13回だ。口に出して数を数えてろよ。今度こそちゃんとな。つっかえたら最初からやり直しだ。一回痛みを受けるたびに、自分の行いを懺悔しろ。特別にお前の上司、木崎に懺悔を捧げることも許してやる。お前のために痛みを与えてやるんだ。深く反省するんだな。すべて、お前のためだ。」
鞭打ち一発目で、今までの殴打とは違う、鋭い痛みが霧野の背中に走り、くぐもった叫び声があがった。どこか遠くの方で誰かが叫んでいるような現実感のない声だった。打たれた箇所が熱を持っていたみ、じわじわと熱を持って広がり、一発だけで背中の左側全体が熱を持った。呼吸がつっかえて、身体が震え、狭い視界が滲んだ。たった一発で何かが削がれた。
「回数を数えず無様に吠えて。駄目だろ、それじゃあ。今の一発はノーカンだ。次はちゃんと言え。」
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1話完結のハッピーエンドなお話の詰め合わせです。
不定期更新ですが、
1話ごと読切なので、サクッと楽しめるように作っていくつもりです。
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書きかけの長編が止まってますが、
短編集から久々に、肩慣らししていく予定です。
よろしくお願いします!
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