美男伯様のお嫁取り

文字の大きさ
上 下
3 / 6
第2章・楡森屋敷の人々

楡森屋敷とメイド長

しおりを挟む
 ここで少し、「楡森屋敷」に着いたときのことを書いておこう。
 楡森屋敷のある伯爵領は、王都から西へ汽車で数時間、更に馬車で一時間ほどのところにある。
 汽車の駅の前には屋敷の馬車が迎えが来てくれていた。西部地方も、一人でのこんな長距離の汽車移動も初めてだったが、迎えの二輪馬車はぴかぴかに磨き上げられていたし、御者さんも親切で感じがよかった。座席も清潔で、上等な布張りのクッションはふかふかだった。屋敷までの田舎道は都会のように全面石畳とはいかなかったが、砂利を入れて丁寧に踏み固められているらしく、思いのほか乗り心地は良好だった。
 広大な牧草地と、名前の由来である楡の木立の向こうに見えてきた屋敷は、白石の壁が眩しい壮麗な建物だった。
 馬車は刈り込まれた長い生け垣の間を抜け、屋敷正面の車寄せへ——は、入らずに、東翼を回り込む道から裏口に着いた。
 まあ一応使用人として呼ばれてるわけだから、これは当然の扱いであろう。近いうちに正面の庭園と玄関もちゃんと見たいな、と思ったが、ここはお行儀よく我慢だ。
 これまで勤めていた子爵家も割と裕福な方だったが、エストコート伯爵家は水運業や毛織物事業に成功している富豪と聞いていた。馬車を降り、荷物を運んでくれるのを待ちながら、屋敷裏側の意匠と戸口周りを眺めて、なるほど上級貴族でお金持ちはこういうところにお金と手間をかけるのね、と感心していた。裏口ながら清潔に片付いていて、台所仕事の痕跡や塵・不用品が出されている様子もなかったのだ。
 割と立派なお屋敷でも、裏口は結構雑然としているものだが、ここはその辺りも厳しいお屋敷なんだろうか? あるいは、まさか、日頃ほとんど使われない入り口にこっそり連れて来られた——?
「キャサリン・デュー?」
 あたしの不穏な想像はドアから出てきた女性の言葉で遮られた。
 おや美人——と、目を見張ったが、整った顔立ちよりも、硬質の表情の印象が強かった。明るい茶色の瞳に、黒に近い褐色の髪ブルネットをきっちり結い上げ、襟元の詰まった黒服に、真っ白なエプロンとキャップを着けている。
「——違ったかしら? 電報にあった汽車の到着時間に迎えに出てもらったのだけど」
「いえっ、合ってます! キャサリンです!」
「無事の到着何より。お入りなさい。
 私はメイド長のメアリ・レインズ。家政婦のドライバー夫人が中でお待ちです。」
 あたしを招き入れて案内しながらも、メイド長の顔は仮面のように動かない。説明する声も淡々としていた。
 このときあたしは、初対面から何か気に障ったかしら、と不安になったのだが、後にだんだん分かってきた。どうやらメイド長は、常にこういう人なのだ。にこりともせず、お愛想など人生に不要、といった様子で。
「ああ、それから——『花嫁選抜』のことはあまり口外しないように」
「は」
「ここでそのことを知っているのは今のところ、私とドライバー夫人、執事のベンソン氏と侍従ヴァレットのアンダーソン氏、だけなので。他の使用人や、村から来る出入り業者などには、知られないほうが良いでしょう。
 ここの使用人達も躾は行き届いている方だけど、田舎のことで皆退屈していますからね。噂話に飢えている、というところはある。それに今回の計画は、あまり普通ではないやり方ですから」
「はあ……」
 そういうのは覚えがある。前の屋敷でもそうだった。色恋関係、まして主人との身分違いの、なんて、使用人部屋の格好の話題だろう。
 でも気をつけたってこんなの、いずれ知られちゃうんじゃないかな。いや変な噂流されたくはないけど。
 そこでふと、気がついた。「躾の行き届いた」使用人に加わる新人メイドが、主人とどうこうなることを許す、なんて、このメイド長としてはどうなんだろう。普通なら許されない「ふしだら」な行為じゃないのか?
 それとも、「花嫁選抜」の候補に限って目をつぶる、ということ?
 勿論そんなこと、このメイド長に訊けるわけもなかったのだが。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

「お前を妻だと思ったことはない」と言ってくる旦那様と離婚した私は、幼馴染の侯爵から溺愛されています。

木山楽斗
恋愛
第二王女のエリームは、かつて王家と敵対していたオルバディオン公爵家に嫁がされた。 因縁を解消するための結婚であったが、現当主であるジグールは彼女のことを冷遇した。長きに渡る因縁は、簡単に解消できるものではなかったのである。 そんな暮らしは、エリームにとって息苦しいものだった。それを重く見た彼女の兄アルベルドと幼馴染カルディアスは、二人の結婚を解消させることを決意する。 彼らの働きかけによって、エリームは苦しい生活から解放されるのだった。 晴れて自由の身になったエリームに、一人の男性が婚約を申し込んできた。 それは、彼女の幼馴染であるカルディアスである。彼は以前からエリームに好意を寄せていたようなのだ。 幼い頃から彼の人となりを知っているエリームは、喜んでその婚約を受け入れた。二人は、晴れて夫婦となったのである。 二度目の結婚を果たしたエリームは、以前とは異なる生活を送っていた。 カルディアスは以前の夫とは違い、彼女のことを愛して尊重してくれたのである。 こうして、エリームは幸せな生活を送るのだった。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

彼女の幸福

豆狸
恋愛
私の首は体に繋がっています。今は、まだ。

【完結】愛も信頼も壊れて消えた

miniko
恋愛
「悪女だって噂はどうやら本当だったようね」 王女殿下は私の婚約者の腕にベッタリと絡み付き、嘲笑を浮かべながら私を貶めた。 無表情で吊り目がちな私は、子供の頃から他人に誤解される事が多かった。 だからと言って、悪女呼ばわりされる筋合いなどないのだが・・・。 婚約者は私を庇う事も、王女殿下を振り払うこともせず、困った様な顔をしている。 私は彼の事が好きだった。 優しい人だと思っていた。 だけど───。 彼の態度を見ている内に、私の心の奥で何か大切な物が音を立てて壊れた気がした。 ※感想欄はネタバレ配慮しておりません。ご注意下さい。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

選ばれたのは美人の親友

杉本凪咲
恋愛
侯爵令息ルドガーの妻となったエルは、良き妻になろうと奮闘していた。しかし突然にルドガーはエルに離婚を宣言し、あろうことかエルの親友であるレベッカと関係を持った。悔しさと怒りで泣き叫ぶエルだが、最後には離婚を決意して縁を切る。程なくして、そんな彼女に新しい縁談が舞い込んできたが、縁を切ったはずのレベッカが現れる。

瑠璃色灰かぶり姫の尽きない悩み

妓夫 件
恋愛
「キミは黙って俺についてこればいい」 「は? 嫌ですよ。 何様なんですか」 「………」 スパダリさん(オレ様)×平民以下な娘さん(秀才) **** 亡くした家族への思いを胸に、叔母の家に養女として上京してきた透子の扱いは不遇なものだった。 そんな透子に近付くこの人は、彼女を救う王子様なのか……それともただの変態なのか。 透子が頭を悩ませる日々は続きます。

処理中です...