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第2章・楡森屋敷の人々
伯爵家の内部事情
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「エストコート伯爵家は、三百年の歴史を誇る由緒正しいお家柄です。」
「楡森屋敷」に着いてすぐ、あたし達・候補者三人は、家政婦のドライバー夫人から説明を受けていた。
ドライバー夫人は髪に白いものが交じる年配の女性だ。姿勢が良くきびきび動くので、まだ老婦人という年ではなさそう。五十代くらいか。
自分の家でもなかろうに、伯爵家をこんなふうに語るのは、古参の忠臣といった立場だろうか。
「ですが、先代様のお子様は当代のピーター様お一人だけで、先代様は昨年亡くなられました。
このため旦那様には、お世継ぎを産んでいただける健康な奥様が必要です。四年ほど前、一度はご結婚なさったのですが……」
夫人はここで、しばし言葉を切った。随分言いにくいことらしい。
「……前の結婚は、ごく慌ただしく決まったお話でした。
旦那様は、大学卒業後に軍隊に入られ、四年前に大陸の戦場への出征が決まりましたので。縁起でもないことではありますが、戦地に出るならその前にせめて奥様を迎えて欲しい、と先代様が強く希望され……良家のご令嬢との縁談がまとまりました。
王都で式を挙げ、それから一ヶ月も経たずピーター様は戦場へ発たれました。」
そういう事情は、そっちこっちで聞いたことがあった。あたしには祖父の人脈で、軍関係の知り合いが多いのだ。
雄々しく命をかけて外国に戦いに行く、という意気込みは勇ましいが、跡継ぎを差し出して残される家族の不安は大きい。先がどうなるかわからないならせめて結婚くらいは、そしてあわよくば跡継ぎを残していてくれれば……と、そんな願いから駆け込みでのご成婚が増えたと聞く。
とはいえ、由緒ある伯爵家の跡継ぎまで危険な戦場に駆り出された、というのもかなり妙な話ではあるが。四年前の開戦当初なら、戦況もそこまで逼迫してはいなかったはずだ。
「……ですがその後、戦場からは酷い話ばかりが聞こえてきて……私達は、ただ無事のお帰りを祈ってお待ちしておりましたが……
お戻りになりさえすれば何もかも良くなる、とはいきませんでした。
ピーター様は一昨年の初め、生きて五体満足で帰国されましたが、酷い熱病を患っておいでで。王都でしばらく療養されましたが、その間に奥様とは離婚を決めてしまわれました。
奥様は結局一度も、この屋敷においでになることはありませんでした。」
これだけ話すと、夫人は長い溜息をついた。
重苦しい空気。口を開いたのは、赤毛のスティーブンス嬢だった。
「伯爵様のご病気は、もう、よろしいんですか?」
「ええ、幸いね。この屋敷で二年ほども療養されて、今はもう熱を出されることもなくなりました。
でも旦那様ご自身はまだ心配なさって。私どもはもう治っておられるとお見受けしますが、旦那様は再発を恐れて、未だにこの屋敷で隠遁生活を送っておいでです。
本当なら今年ももう社交の季節に入りますが、旦那様は王都には出ないと仰って。後添いを探されるための社交の場にも出るつもりはない、と。」
夫人はこう言うと、悲しげに顔を歪めた。
「ですから、この『花嫁選抜』は、私どもの苦肉の策なのですよ。多少家柄が下がっても、この屋敷での暮らしを苦にしない娘さんを、旦那様に引き合わせよう、という。」
——家格が下がってて悪かったわね。
内心、そう思ったが、まあ由緒正しいお貴族の感覚なんてそんなものだろう。時代が色々と変わってきてるとはいえ、その辺りの感覚はそうそう変えられない。
しかし、ここまでの夫人の説明には疑問もあった。
いくら都会の社交の場に出られないとしても、屋敷にあたし達のような使用人の娘を集めたのは何故だろう? 普通ならまず、貴族のご令嬢を呼ぶのではなかろうか?
それに、この話をあたしに紹介してくれた子爵家の奥様も話していたが、伯爵は「美男伯」(元は「美男子爵」だったそうだ)と名高い方なのだ。こんなおかしなことしなくても、伯爵との結婚を望むご令嬢はたくさん居るだろうに。
いきなり使用人を花嫁候補にするなんて、家格を下げすぎでは?
この疑問をぶつけてみると、ドライバー夫人の答えは、
「確かに、通常なら、良家のご令嬢達を客人としてお招きするところですね。
ですが、この屋敷には女主人が居られません。先代の奥様、旦那様の御母上はご存命ですが、保養地から何年も戻られていませんし、姉妹も叔母様といった方も居られない。若い女性をおもてなしできる環境ではないのです。
主人である若い男性のみの屋敷への招待、というのはご令嬢のお身内も心配なさるでしょうし、色々考えて見合わせました。」
と、いうものだった。
正直、全く納得できなかった。若い男性のみの屋敷、と言うが、到着までに見たこのお屋敷は田舎屋敷としても結構大きく、部屋数も数十以上あると見えた。それに使用人も、男女含めてたくさん居る様子だったのだが。上流貴族の感覚では、そういうものなのだろうか?
その疑問を口にする前に、夫人は続けた。
「それに、使用人としてなら、若い娘さんを呼び寄せるのもごく自然なことですしね」
——つまり、使用人なら屋敷で何かあっても——主人の慰みものになるとか、使用人達に冷遇されるとか——、家族などが文句を言うことはないだろうし、もし言ってきても金や権力で黙らせられる、と考えてるわけね?
なんだか随分バカにされてない?
正直むかっ腹は立ったが——実のところあたしも、この扱いに文句をつけられる立場ではなかった。
多少見下されてでも、お金持ちの若旦那様に取り入ってやろう、という思惑はあったのだ。
その後の書斎での顔合わせで、他の二人もあくまで使用人として——比較的良家の出ではあるが——呼ばれたことは確かめられた。
この二人もあたし同様、それぞれ「訳あり」なんだろう。
「楡森屋敷」に着いてすぐ、あたし達・候補者三人は、家政婦のドライバー夫人から説明を受けていた。
ドライバー夫人は髪に白いものが交じる年配の女性だ。姿勢が良くきびきび動くので、まだ老婦人という年ではなさそう。五十代くらいか。
自分の家でもなかろうに、伯爵家をこんなふうに語るのは、古参の忠臣といった立場だろうか。
「ですが、先代様のお子様は当代のピーター様お一人だけで、先代様は昨年亡くなられました。
このため旦那様には、お世継ぎを産んでいただける健康な奥様が必要です。四年ほど前、一度はご結婚なさったのですが……」
夫人はここで、しばし言葉を切った。随分言いにくいことらしい。
「……前の結婚は、ごく慌ただしく決まったお話でした。
旦那様は、大学卒業後に軍隊に入られ、四年前に大陸の戦場への出征が決まりましたので。縁起でもないことではありますが、戦地に出るならその前にせめて奥様を迎えて欲しい、と先代様が強く希望され……良家のご令嬢との縁談がまとまりました。
王都で式を挙げ、それから一ヶ月も経たずピーター様は戦場へ発たれました。」
そういう事情は、そっちこっちで聞いたことがあった。あたしには祖父の人脈で、軍関係の知り合いが多いのだ。
雄々しく命をかけて外国に戦いに行く、という意気込みは勇ましいが、跡継ぎを差し出して残される家族の不安は大きい。先がどうなるかわからないならせめて結婚くらいは、そしてあわよくば跡継ぎを残していてくれれば……と、そんな願いから駆け込みでのご成婚が増えたと聞く。
とはいえ、由緒ある伯爵家の跡継ぎまで危険な戦場に駆り出された、というのもかなり妙な話ではあるが。四年前の開戦当初なら、戦況もそこまで逼迫してはいなかったはずだ。
「……ですがその後、戦場からは酷い話ばかりが聞こえてきて……私達は、ただ無事のお帰りを祈ってお待ちしておりましたが……
お戻りになりさえすれば何もかも良くなる、とはいきませんでした。
ピーター様は一昨年の初め、生きて五体満足で帰国されましたが、酷い熱病を患っておいでで。王都でしばらく療養されましたが、その間に奥様とは離婚を決めてしまわれました。
奥様は結局一度も、この屋敷においでになることはありませんでした。」
これだけ話すと、夫人は長い溜息をついた。
重苦しい空気。口を開いたのは、赤毛のスティーブンス嬢だった。
「伯爵様のご病気は、もう、よろしいんですか?」
「ええ、幸いね。この屋敷で二年ほども療養されて、今はもう熱を出されることもなくなりました。
でも旦那様ご自身はまだ心配なさって。私どもはもう治っておられるとお見受けしますが、旦那様は再発を恐れて、未だにこの屋敷で隠遁生活を送っておいでです。
本当なら今年ももう社交の季節に入りますが、旦那様は王都には出ないと仰って。後添いを探されるための社交の場にも出るつもりはない、と。」
夫人はこう言うと、悲しげに顔を歪めた。
「ですから、この『花嫁選抜』は、私どもの苦肉の策なのですよ。多少家柄が下がっても、この屋敷での暮らしを苦にしない娘さんを、旦那様に引き合わせよう、という。」
——家格が下がってて悪かったわね。
内心、そう思ったが、まあ由緒正しいお貴族の感覚なんてそんなものだろう。時代が色々と変わってきてるとはいえ、その辺りの感覚はそうそう変えられない。
しかし、ここまでの夫人の説明には疑問もあった。
いくら都会の社交の場に出られないとしても、屋敷にあたし達のような使用人の娘を集めたのは何故だろう? 普通ならまず、貴族のご令嬢を呼ぶのではなかろうか?
それに、この話をあたしに紹介してくれた子爵家の奥様も話していたが、伯爵は「美男伯」(元は「美男子爵」だったそうだ)と名高い方なのだ。こんなおかしなことしなくても、伯爵との結婚を望むご令嬢はたくさん居るだろうに。
いきなり使用人を花嫁候補にするなんて、家格を下げすぎでは?
この疑問をぶつけてみると、ドライバー夫人の答えは、
「確かに、通常なら、良家のご令嬢達を客人としてお招きするところですね。
ですが、この屋敷には女主人が居られません。先代の奥様、旦那様の御母上はご存命ですが、保養地から何年も戻られていませんし、姉妹も叔母様といった方も居られない。若い女性をおもてなしできる環境ではないのです。
主人である若い男性のみの屋敷への招待、というのはご令嬢のお身内も心配なさるでしょうし、色々考えて見合わせました。」
と、いうものだった。
正直、全く納得できなかった。若い男性のみの屋敷、と言うが、到着までに見たこのお屋敷は田舎屋敷としても結構大きく、部屋数も数十以上あると見えた。それに使用人も、男女含めてたくさん居る様子だったのだが。上流貴族の感覚では、そういうものなのだろうか?
その疑問を口にする前に、夫人は続けた。
「それに、使用人としてなら、若い娘さんを呼び寄せるのもごく自然なことですしね」
——つまり、使用人なら屋敷で何かあっても——主人の慰みものになるとか、使用人達に冷遇されるとか——、家族などが文句を言うことはないだろうし、もし言ってきても金や権力で黙らせられる、と考えてるわけね?
なんだか随分バカにされてない?
正直むかっ腹は立ったが——実のところあたしも、この扱いに文句をつけられる立場ではなかった。
多少見下されてでも、お金持ちの若旦那様に取り入ってやろう、という思惑はあったのだ。
その後の書斎での顔合わせで、他の二人もあくまで使用人として——比較的良家の出ではあるが——呼ばれたことは確かめられた。
この二人もあたし同様、それぞれ「訳あり」なんだろう。
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