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第1章・顔合わせ
「美男伯」ピーター卿
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エストコート伯爵ピーター卿は、御年二十九歳。
初めて屋敷内の書斎でお会いした時、まず目を引かれたのは、波打つダークブロンドだった。紳士らしく刈り込まれてはいたが、長めの前髪は撫で付けず、白く秀でた額の上に垂れていた。
その下にあったのは、深い青の瞳。
そしてお顔立ちは、教会の聖人像のように整っていた。
お召し物は、白の綿シャツにグレーのニットジャケット——カーディガンというやつだ——、下はツイードパンツ、というくだけたものだったが、上背があって姿勢が良いので、ちょっと動くたびに一々はっとする。ご病気のせいでかなり窶れた、と聞いていたが、なかなか堂々たるお姿だ。あたしは内心、どこかで見た紳士服店の広告イラストレーションみたい、などと思っていた。
しかし、目の前の伯爵は、明らかに困惑していた。
「本当に呼んでしまったのか……三人も」
伯爵は、柔らかく微笑んでいた——苦笑、ではあったけれど。
まあ、なんて、魅惑的。美男子で、しかも由緒正しい貴族の当主なんて、絶対偉そうで威圧的だと思ってたのに。伯爵様の口調は、なんだかすまなそうでさえあった。
「方々にお問い合わせしまして集めました、選りすぐりの三人でございます。」
重々しくそう答えたのは、執事のベンソン氏。その隣で、家政婦のドライバー夫人も頷く。
「まさか応募者がいるとはね……」
「おりますとも。『美男伯』と名高い旦那様のことですから」
「その呼び方はあんまり、好きじゃないんだがな」
「失礼いたしました。しかし、私共と、こちらの娘達の気持ちは汲んでいただきたく。
繰り返しになりますが、旦那様には是非、後添え様をお迎え頂きたいのです。」
「……ああ。わかってるよ。とはいえ、急ぐことでもないと思うんだが」
「すぐにとは申しません。ですが、御婦人との出会いの機会を持って悪いこともございますまい。」
「しかし、使用人からというのは……
実際驚いたよ。ベンソンにこんなことを勧められるとは思わなかった。以前は、家の中で恋愛の相手を選ぶなんてふしだら、とか言ってなかったかい?」
「ですから、出自も人となりもきちんとした娘さんを集めました。
紹介状は、ご覧いただけましたか?」
ベンソン氏の視線は、伯爵の書き物机の上に向けられていた。広げられた書類が見える。中にはあたしが持参した封筒もあるのが見て取れた。
「ああ、ちゃんと読ませてもらった。確かに、興味深い——
ええと、フロレンス・バード嬢?」
「はい。」
右端に立っていた、褐色の髪の子が返事をした。短い返事だが、その声は震えていた。横目で窺うと、整った小さい顔は強張り、がちがちに緊張している。
「……うん、あんまり、見たくなかった名前だなあ……いや、全く君のせいではないけど……
バード男爵の妹さんとか。男爵は、僕と同年代のはずだが、どこかでご一緒しているかな。寄宿学校か、大学か」
「いえ、兄は体が弱かったもので、どちらも通っておりません。成人してから、社交の場でお会いになられたかと」
「そうだったかな、いや、名刺は頂いていたのでね。
それで君は、二年ほどモノー準男爵家で家庭教師をしていたと」
これを聞いた途端、バード嬢は耳まで赤くなった。離れて立つあたしにも震えているのがわかる。伯爵やベンソン氏も、この反応には驚いたようだった。
「……ぎ、行儀、見習いということで、入らせていただきましたの。ふ、二人の、お子様達に、その、良い教養を身につけたいと仰って」
その声はうわずって、一層震えていた。
正直、要らないこと言わなきゃいいのに、と思っていた。伯爵や他の人達も同様だったろう。
当主が寄宿学校にも大学にも行ってない——多分、行けなかった——のは健康上の理由よりも財政上の理由だろう。妹を外に出さなければいけないくらい困窮していると思しい。
それに、男爵家の娘が準男爵家に行儀見習いって。その準男爵家のことは知らないが、行儀見習いを受け入れるような家ではないのだろう。
「いや失礼、何も問題はないよ。モノー家の執事からもきちんとした紹介状が出ている。
それで、うちでの仕事は司書、ということでいいのかな。個人の屋敷にはあまりない仕事だし、女性にお願いして良いものかとも思ったのだが」
「いえ、そのご心配には及びません。本は好きですし、書類の、事務仕事もお手伝いしたことが」
バード嬢はようやく明るい声で答えたが、何故か最後はまた顔を強張らせていた。
「続いて——モード・スティーブンス嬢」
「はい。」
三人の真ん中に立っていた、赤い巻毛の娘が返事をした。こちらはバード嬢とは対照的に、頭をしっかり上げて、微笑みさえしている。余裕の表情だが、余裕過ぎてなんというか不敵だ。
「ご実家は東部の郷紳だね。工場経営など、手広くやっておられるとか。
それで、十三歳からスティルトン男爵家でメイド勤め、とは?」
「早く独り立ちしたいと思っておりましたので。」
スティーブンス嬢はにこやかに答えた。隣でバード嬢は、ぎょっとしたような顔をした。あたしも驚きを抑えるのに苦労した。
家のしがらみ、家長の命令から離れたい、といった気持ちは分からないでもないが、花嫁を求めているこの場で言うことだろうか?
「仰る通り、私の実家は東部の田舎で、教養を身につけるのは難しい土地でした。地域で結婚して落ち着くよりも、早く世の中を見て経験を積んでおきたいと思いましたの。
……勿論、世の中の多くの殿方が、女が知識をつけることに抵抗をお持ちだとは存じておりますが、家族に問題が起きた際に、どうしたら良いかわからず取り乱すだけの女でいたくないと思いましたの。」
「なるほど、君は新しい時代の女性というわけだ。」
「いえいえ、私など、いわゆる『新しい女性』からしたら旧態依然としたものです。
ただ、時代は動いておりますしね。この先も、見たことのないものが現れたり、世の中の仕組みが変わったり、そうした変化もちゃんと知っておきたいと思っております。」
はきはきと答え、微笑む。なるほど大したものだ——とは、思ったが。こういう賢さは、殿方には割と、嫌がられたりするよね。
そんなことを考えてから内心、自分でも嫌になった。頭が悪くて大人しく従順で、男に都合の良い女、なんて、あたし自身も最も嫌うところだったから。
伯爵の質問は続いた。
「しかし、前の職場は都のタウンハウス付きだったそうだね。次がこんな田舎の屋敷で良かったのかい?」
「はい、都会でなければ、という希望ではありませんでしたので。素敵なお屋敷でお仕えできるのは嬉しゅうございます。」
最後の質問はちょっと意地悪だった。あたしも気をつけないと。
と、思っているうちに、
「さて、最後か……キャサリン・デュー嬢」
「はい。」
ようやく名前を呼ばれ、あたしは負けじと頭を上げて答えた。
「デュー大佐のお孫さんだそうだね?」
「はい。祖父を、ご存知ですか?」
「直接お目にかかる機会はなかったが、ご高名はかねがね。大佐は、多くの方に慕われておいでだね。お父上も軍人だったとか。」
「はい、早くに……私がまだ子供の頃に亡くなりまして、祖父の元で育ちました。」
「それで、大佐が亡くなられた後、十五歳からバーニー子爵家でメイド勤めを?」
「はい、祖父の知人に子爵家の縁者の方が居られて、紹介していただきました。こちらも……子爵夫人の勧めで。」
「ああ、子爵家からは執事と、伯爵夫人の紹介状もあるね。良い職場だったのだね?」
「はい、小間使いとしてお仕えしまして、奥様には、よくしていただきました。」
「意地の悪いことを言うようだが、そうした職場を辞めてここへ来るのは、難しい選択だったのではないかな?」
来た来たやっぱり! と、思いつつ、あたしはできるだけ無邪気そうな笑みを作った。
「確かに、慣れた職場を離れることは名残惜しく感じましたけれど、こちらの伯爵家は由緒正しい古いお血筋と伺っております。それだけでも、良い経験になるかと。」
「そうか。ありがとう。」
伯爵は紹介状をまとめてベンソン氏に渡した。他の二人についてどんなことが書かれてるかちょっと気になるとこだけど、それは追々探っていくことにしよう。
「三人ともきちんとした娘さんのようだし、家柄も悪くない。それぞれ、相当に教養もあるようだ。ただね……」
しばし言いよどんだ後、伯爵様はこう訊いた。
「君たちのご家族や、お世話になってきた方々は、承知したのかな。働きながら、この……『花嫁選抜』への参加することを?」
あたしは——あたし達三人とも——虚をつかれた。呼んでおいて今さら何を、と。
正直、むかっ腹も立ったのだが、こんなところで短気を起こすわけにもいかない。
いち早く反応したのはスティーブンス嬢だった。
「承知しております。伯爵様のお役に立てましたら、大変光栄でございます」
こう言って、恭しく顔を伏せてみせる。最上級の膝折礼までしかねないような口調だったが、会釈に留めたのはぎりぎり堅苦しさを抑えたのだろう。
やるな……とは思ったが、あたしも負けてはいられない。
「わたしも、承知の上で参りました。子爵夫人に勧めいただいたということもありますし、反対する家族もおりませんし。」
「そうなのかい?
しかし、三人呼ばれたということは二人は脱落するわけだろう? その場合、不名誉と思われることはないかな。
……あ、いや、勿論私も、紳士としての分別は守るつもりだが……世の中は勝手に噂を流すものだし、後々外聞の悪いことになっても気の毒だからね。」
視界の端でバード嬢がまた震えたようだったが、あたしはスティーブンス嬢より先に口を開いた。
「根も葉もない中傷など、気にしません。こちらでのお勤めを、真摯に勤めさせていただくまででございます。」
こう言い切ると、隣でスティーブンス嬢が、おや、という顔をし——その後、ほんの一瞬、口元に不敵な笑みが見えた。
「私も同じように思っております。勝手な噂を気にしてはどこにも行けませんもの。」
「わ、私も……覚悟は決めております!」
慌てて、バード嬢も声を上げた。まるで、悲鳴のようだったが。
大丈夫かなこの人、とは思ったが、それはあたしが言うことじゃない。
あたし達三人はこれから、伯爵を巡って闘わなくてはならないのだから。
初めて屋敷内の書斎でお会いした時、まず目を引かれたのは、波打つダークブロンドだった。紳士らしく刈り込まれてはいたが、長めの前髪は撫で付けず、白く秀でた額の上に垂れていた。
その下にあったのは、深い青の瞳。
そしてお顔立ちは、教会の聖人像のように整っていた。
お召し物は、白の綿シャツにグレーのニットジャケット——カーディガンというやつだ——、下はツイードパンツ、というくだけたものだったが、上背があって姿勢が良いので、ちょっと動くたびに一々はっとする。ご病気のせいでかなり窶れた、と聞いていたが、なかなか堂々たるお姿だ。あたしは内心、どこかで見た紳士服店の広告イラストレーションみたい、などと思っていた。
しかし、目の前の伯爵は、明らかに困惑していた。
「本当に呼んでしまったのか……三人も」
伯爵は、柔らかく微笑んでいた——苦笑、ではあったけれど。
まあ、なんて、魅惑的。美男子で、しかも由緒正しい貴族の当主なんて、絶対偉そうで威圧的だと思ってたのに。伯爵様の口調は、なんだかすまなそうでさえあった。
「方々にお問い合わせしまして集めました、選りすぐりの三人でございます。」
重々しくそう答えたのは、執事のベンソン氏。その隣で、家政婦のドライバー夫人も頷く。
「まさか応募者がいるとはね……」
「おりますとも。『美男伯』と名高い旦那様のことですから」
「その呼び方はあんまり、好きじゃないんだがな」
「失礼いたしました。しかし、私共と、こちらの娘達の気持ちは汲んでいただきたく。
繰り返しになりますが、旦那様には是非、後添え様をお迎え頂きたいのです。」
「……ああ。わかってるよ。とはいえ、急ぐことでもないと思うんだが」
「すぐにとは申しません。ですが、御婦人との出会いの機会を持って悪いこともございますまい。」
「しかし、使用人からというのは……
実際驚いたよ。ベンソンにこんなことを勧められるとは思わなかった。以前は、家の中で恋愛の相手を選ぶなんてふしだら、とか言ってなかったかい?」
「ですから、出自も人となりもきちんとした娘さんを集めました。
紹介状は、ご覧いただけましたか?」
ベンソン氏の視線は、伯爵の書き物机の上に向けられていた。広げられた書類が見える。中にはあたしが持参した封筒もあるのが見て取れた。
「ああ、ちゃんと読ませてもらった。確かに、興味深い——
ええと、フロレンス・バード嬢?」
「はい。」
右端に立っていた、褐色の髪の子が返事をした。短い返事だが、その声は震えていた。横目で窺うと、整った小さい顔は強張り、がちがちに緊張している。
「……うん、あんまり、見たくなかった名前だなあ……いや、全く君のせいではないけど……
バード男爵の妹さんとか。男爵は、僕と同年代のはずだが、どこかでご一緒しているかな。寄宿学校か、大学か」
「いえ、兄は体が弱かったもので、どちらも通っておりません。成人してから、社交の場でお会いになられたかと」
「そうだったかな、いや、名刺は頂いていたのでね。
それで君は、二年ほどモノー準男爵家で家庭教師をしていたと」
これを聞いた途端、バード嬢は耳まで赤くなった。離れて立つあたしにも震えているのがわかる。伯爵やベンソン氏も、この反応には驚いたようだった。
「……ぎ、行儀、見習いということで、入らせていただきましたの。ふ、二人の、お子様達に、その、良い教養を身につけたいと仰って」
その声はうわずって、一層震えていた。
正直、要らないこと言わなきゃいいのに、と思っていた。伯爵や他の人達も同様だったろう。
当主が寄宿学校にも大学にも行ってない——多分、行けなかった——のは健康上の理由よりも財政上の理由だろう。妹を外に出さなければいけないくらい困窮していると思しい。
それに、男爵家の娘が準男爵家に行儀見習いって。その準男爵家のことは知らないが、行儀見習いを受け入れるような家ではないのだろう。
「いや失礼、何も問題はないよ。モノー家の執事からもきちんとした紹介状が出ている。
それで、うちでの仕事は司書、ということでいいのかな。個人の屋敷にはあまりない仕事だし、女性にお願いして良いものかとも思ったのだが」
「いえ、そのご心配には及びません。本は好きですし、書類の、事務仕事もお手伝いしたことが」
バード嬢はようやく明るい声で答えたが、何故か最後はまた顔を強張らせていた。
「続いて——モード・スティーブンス嬢」
「はい。」
三人の真ん中に立っていた、赤い巻毛の娘が返事をした。こちらはバード嬢とは対照的に、頭をしっかり上げて、微笑みさえしている。余裕の表情だが、余裕過ぎてなんというか不敵だ。
「ご実家は東部の郷紳だね。工場経営など、手広くやっておられるとか。
それで、十三歳からスティルトン男爵家でメイド勤め、とは?」
「早く独り立ちしたいと思っておりましたので。」
スティーブンス嬢はにこやかに答えた。隣でバード嬢は、ぎょっとしたような顔をした。あたしも驚きを抑えるのに苦労した。
家のしがらみ、家長の命令から離れたい、といった気持ちは分からないでもないが、花嫁を求めているこの場で言うことだろうか?
「仰る通り、私の実家は東部の田舎で、教養を身につけるのは難しい土地でした。地域で結婚して落ち着くよりも、早く世の中を見て経験を積んでおきたいと思いましたの。
……勿論、世の中の多くの殿方が、女が知識をつけることに抵抗をお持ちだとは存じておりますが、家族に問題が起きた際に、どうしたら良いかわからず取り乱すだけの女でいたくないと思いましたの。」
「なるほど、君は新しい時代の女性というわけだ。」
「いえいえ、私など、いわゆる『新しい女性』からしたら旧態依然としたものです。
ただ、時代は動いておりますしね。この先も、見たことのないものが現れたり、世の中の仕組みが変わったり、そうした変化もちゃんと知っておきたいと思っております。」
はきはきと答え、微笑む。なるほど大したものだ——とは、思ったが。こういう賢さは、殿方には割と、嫌がられたりするよね。
そんなことを考えてから内心、自分でも嫌になった。頭が悪くて大人しく従順で、男に都合の良い女、なんて、あたし自身も最も嫌うところだったから。
伯爵の質問は続いた。
「しかし、前の職場は都のタウンハウス付きだったそうだね。次がこんな田舎の屋敷で良かったのかい?」
「はい、都会でなければ、という希望ではありませんでしたので。素敵なお屋敷でお仕えできるのは嬉しゅうございます。」
最後の質問はちょっと意地悪だった。あたしも気をつけないと。
と、思っているうちに、
「さて、最後か……キャサリン・デュー嬢」
「はい。」
ようやく名前を呼ばれ、あたしは負けじと頭を上げて答えた。
「デュー大佐のお孫さんだそうだね?」
「はい。祖父を、ご存知ですか?」
「直接お目にかかる機会はなかったが、ご高名はかねがね。大佐は、多くの方に慕われておいでだね。お父上も軍人だったとか。」
「はい、早くに……私がまだ子供の頃に亡くなりまして、祖父の元で育ちました。」
「それで、大佐が亡くなられた後、十五歳からバーニー子爵家でメイド勤めを?」
「はい、祖父の知人に子爵家の縁者の方が居られて、紹介していただきました。こちらも……子爵夫人の勧めで。」
「ああ、子爵家からは執事と、伯爵夫人の紹介状もあるね。良い職場だったのだね?」
「はい、小間使いとしてお仕えしまして、奥様には、よくしていただきました。」
「意地の悪いことを言うようだが、そうした職場を辞めてここへ来るのは、難しい選択だったのではないかな?」
来た来たやっぱり! と、思いつつ、あたしはできるだけ無邪気そうな笑みを作った。
「確かに、慣れた職場を離れることは名残惜しく感じましたけれど、こちらの伯爵家は由緒正しい古いお血筋と伺っております。それだけでも、良い経験になるかと。」
「そうか。ありがとう。」
伯爵は紹介状をまとめてベンソン氏に渡した。他の二人についてどんなことが書かれてるかちょっと気になるとこだけど、それは追々探っていくことにしよう。
「三人ともきちんとした娘さんのようだし、家柄も悪くない。それぞれ、相当に教養もあるようだ。ただね……」
しばし言いよどんだ後、伯爵様はこう訊いた。
「君たちのご家族や、お世話になってきた方々は、承知したのかな。働きながら、この……『花嫁選抜』への参加することを?」
あたしは——あたし達三人とも——虚をつかれた。呼んでおいて今さら何を、と。
正直、むかっ腹も立ったのだが、こんなところで短気を起こすわけにもいかない。
いち早く反応したのはスティーブンス嬢だった。
「承知しております。伯爵様のお役に立てましたら、大変光栄でございます」
こう言って、恭しく顔を伏せてみせる。最上級の膝折礼までしかねないような口調だったが、会釈に留めたのはぎりぎり堅苦しさを抑えたのだろう。
やるな……とは思ったが、あたしも負けてはいられない。
「わたしも、承知の上で参りました。子爵夫人に勧めいただいたということもありますし、反対する家族もおりませんし。」
「そうなのかい?
しかし、三人呼ばれたということは二人は脱落するわけだろう? その場合、不名誉と思われることはないかな。
……あ、いや、勿論私も、紳士としての分別は守るつもりだが……世の中は勝手に噂を流すものだし、後々外聞の悪いことになっても気の毒だからね。」
視界の端でバード嬢がまた震えたようだったが、あたしはスティーブンス嬢より先に口を開いた。
「根も葉もない中傷など、気にしません。こちらでのお勤めを、真摯に勤めさせていただくまででございます。」
こう言い切ると、隣でスティーブンス嬢が、おや、という顔をし——その後、ほんの一瞬、口元に不敵な笑みが見えた。
「私も同じように思っております。勝手な噂を気にしてはどこにも行けませんもの。」
「わ、私も……覚悟は決めております!」
慌てて、バード嬢も声を上げた。まるで、悲鳴のようだったが。
大丈夫かなこの人、とは思ったが、それはあたしが言うことじゃない。
あたし達三人はこれから、伯爵を巡って闘わなくてはならないのだから。
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