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35 すぐ触れられる距離に…
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電話を切った私はベッドに仰向けになり、天井を見上げながら遥斗を待っていた。
こうしている間にも、自分の体温がどんどん上がっていくのを感じる。
体温計で熱を測ってみれば、案の定、38度を超える熱……。これだけ高い熱が出たのは久しぶりだ。
思い返してみると──数日前から喉の痛みと咳が続いていたし、風邪の兆候はあった気がする。
それなのに、夜遅くまでネトゲに入り浸っては、クエストをやったり、レベル上げをしたり……結構、無理してたからなぁ。
でも……そうやって無理をしてしまうくらい、早く遥斗に追いつきたかった。そうすれば、堂々と彼と同じレベルのダンジョンにも行ったりできるし、足手まといになって迷惑をかけることもなくなるだろうから。
……そんな風に考えていたのだけど。それで体調を崩したら、本末転倒だよね。
これじゃ、私も立派なネトゲ廃人だ。
ふと時計に目をやると、時刻は既に21時を回っていた。
もう夜も遅いし、こんな時間から来てもらうのはやっぱり申し訳なかったかな……。
まあ、もうお願いしちゃったから、彼が来てくれるのを待っているしかないのだけど。
家の場所、ちゃんとわかるかな。まあ、駅から近いし、そもそも迷うような人ではないと思うけどね……。
そんなことを考えていると、インターホンが鳴った。私はふらふらとする体を起こし、モニタを確認し、応答する。
外に立っているのが遥斗であることがわかると、私は壁に手をつきながら玄関まで向かった。
うぅ……やっぱり、起き上がるだけでかなり辛い。
何とか玄関まで辿り着き、鍵を外してドアを開ける。
「夏陽、大丈夫か……?」
「はい。あの……遥斗くん。こんな夜遅くに来てくれてありが──」
そう言いかけた瞬間、私はバランスを崩し、前のめりに倒れる。
熱のせいで体がふらついていた所為なのか、彼の顔を見てほっと気が抜けた所為なのかはわからない。
ただ、このままだと遥斗を巻き込んで転んでしまうことになる。私は半ば諦めつつ、流れに身を任せた。
──ああ、また迷惑かけちゃうな。
そう思った次の瞬間──私の体は遥斗の腕によって支えられた。
一見、華奢に思えるその腕は、しっかりと私の両肩を抱き、受け止めている。
あの一瞬でどうするべきか判断して、受け止めてくれるなんて。流石だなぁ……。
「夏陽!?」
彼は驚いた様子で私の名前を叫んだ。
その声に反応した私は、ぐらぐらする頭を片手で抱え、どうにか顔を上げる。
「ご、ごめんなさい……」
「やっぱり、来て正解だったみたいだな。こんな状態で、あと二日も一人で過ごす気だったのか……?」
「……はい。そのつもりだったんですけど……。あの……重ね重ね、申し訳なく思って……」
ひたすら謝る私に、遥斗は「もういいから、休め」と言う。
朦朧とする意識の中、彼は何も言わず私を横抱きして、ベッドまで運んでいってくれた。
私を抱く彼の顔を見上げていたら、不意に既視感を覚えた。
これって、『あの時』と同じだ……。でも、今度はVRじゃなく現実世界で。
あの時の貴方は私を見てくれていなかったけど、今はちゃんと私を見て、私のことを考えてくれているんだね。
だって、その証拠に──こんな夜遅くにも拘らず、息を切らして駆けつけてくれたから。
そう考えると、何だか不思議だな……。『理想の王子様じゃなかった』なんて思ってごめん。今の私にとっては、貴方が最高の『王子様』だよ。
◇ ◇ ◇
「ん……」
カーテンの隙間から漏れる僅かな光と、心地いい鳥のさえずりで私は目を覚ます。
あれ……もう朝……?
えーと……昨日は、確か熱を出して、ゲーム内で倒れて…………そうだ。遥斗が来てくれたんだった。
そう思って目を開けると、すぐ側で椅子に座り、心配そうに私を見つめる彼と目が合った。
その優しげな眼差しに、自分の顔がどんどん紅潮していくのを感じる。
「……起きたか。おはよう、具合はどうだ?」
遥斗は私が目を覚ましたことに気付くと、穏やかな口調でそう尋ねた。
「あ……おはようございます。昨日よりは少しだけ、ましになった気はしますけど、まだ体がだるくて……」
「そうか……。だが、少しでもましになったのなら良かった」
「もしかして…………ずっと起きて看病しててくれたんですか?」
「ああ。あんなにふらふらしていたら、心配で眠れないだろ?」
「そ、そうだったんですね……。あの……何から何まで、本当にすみません」
まさか、ずっと起きていてくれたとは思わず、平謝りしてしまう私。
でも、待って。ということは……一晩中、寝顔を見られていたってこと?
そのことに気付いてしまった私は、恥ずかしさのあまり、布団を口のあたりまで被る。
「寒いのか?」
「あ、いえ……そういうことではなく……」
「ん……?」
何か勘違いされてしまったらしい。
……寒いどころか、熱と恥ずかしさで赤面したせいで、顔や体が火照っているけどね。
「それにしても──せっかく『アレ』を持ってきたというのに……結局、使わなかったな」
「え……『アレ』ってなんですか?」
私がそう尋ねると、遥斗は部屋の隅に置いてある紙袋を指差す。
あれは……まさかの抱き枕!?
何のキャラだか知らないけど、紛うことなき二次元美少女の抱き枕じゃないですか!
しかも、かなりはみ出てるし! 紙袋に入れる意味あるの!? もう、そのまま抱えて持ってきたほうがいっそ清々しいよ!
最近、だいぶ私に関心が向いていたみたいだから油断していたけど……。そう言えば、彼は元々こういう人だったな……。
「……アレ、あの状態で持ってきたんですか? 滅茶苦茶、はみ出してますけど……」
「あぁ、あれはエアー抱き枕と言ってな。使わない時は折りたたむことができるんだ。持ち運びに便利な優れものだぞ」
「へぇ……そんな便利な物があるんですね。そう言えば、昨日来た時は身軽でしたもんね」
得意げにエアー抱き枕について説明しだした遥斗を横目に、私は布団をますます深く被る。
……本当は、私だけを見て欲しいんだけどな。まあ、そういうわけにはいかないか。
仮に付き合えたとしても、彼から二次元趣味を取り上げるのは酷だもんね。
「まあ──今日も泊まることになるなら、出番はあるかも知れないが。流石に俺も、二日連続で徹夜はきついからな」
そっか……今日も一緒にいてくれるつもりなんだ。
そう言えば、ゲームにログインしなくて大丈夫なのかな……。
「あの……ギルマスなのに、二日も三日も留守にしてて大丈夫なんですか? 最近、新人さんが入ってきたりして、結構忙しそうでしたよね?」
「それなら、心配はいらないぞ。俺がいない間の穴埋めは、アレクに任せてきたからな。こういう時にサブマスがいると助かる」
「そうなんですか……あの、でも。もし良かったら、私のVRヘッドセットを使っても……」
「いや、いいんだ。……看病するって言っただろ? それよりも、早く風邪を治さないとな」
遥斗はそう言うと、私の頭に右手を伸ばし、前髪を払うように上げた。そして、私の額に手のひらを当てると、「まだ、結構熱があるみたいだな」と呟いた。
女性と見紛う程の、細い綺麗な指を持つ彼の手に触れられて、私の心臓は跳ね上がる。
まあ、熱があるかどうか確認するだけだし、すぐに終わるだろう──そう思っていたのだが、何故か彼は一向に手を退けようとしなかった。
そのまま恍惚とした気分で天井を見上げ、成すがままになっていると、遥斗は何を血迷ったかその手をゆっくりと下に移動させて、私の左頬を優しく撫でた。
それに驚いて、少し我に返った私は彼の方を見る。すると、彼も同じように恍惚とした表情を浮かべて、私の顔を見つめていた。
「……今まで気付かなかったが──甘くていい香りがするんだな、夏陽は」
遥斗は私の頬に触れたまま、顔を近づけてそう言った。
その言葉を聞いて、先程と同じくふわふわとした夢心地気分に引き戻された私は、間近まで迫った彼の顔を見つめ返した。
私たちは、互いに視線を逸らすことができずに、じっと目を合わせる。
そして──いつの間にか、唇を重ねてもおかしくない距離まで接近していた。
「夏陽…………」
遥斗は半ば閉じたようなトロンとした目でこちらを見つめ、頬を赤く染めながら、私の名前を呼んだ。
彼は私の頬に添えた手を更に下に滑らせると、そっと首筋を撫でた。その行動に戸惑うあまり、私は思わず肩をびくっとさせる。
だが、彼はその反応を見て、更に火がついてしまったようだ。今度は、先程私が深く被った布団をその手で軽く押し退け、躊躇することなく五本の指の腹で緩りと鎖骨のラインをなぞる。
その瞬間、背筋がゾクリとするような感覚に襲われた。嫌ではない……寧ろ嬉しいはずなのに、ゾクゾクとする感覚は収まってくれず、体中に電気が走る。
「遥斗く……ん……」
陶酔感に浸りながら、私は彼の名前を呼ぶ。遥斗はそれに気付くと、応えるようにもう一度、甘い吐息混じりに私の名前を呼んだ。
彼の手から伝わる体温と感触、そして、間近で囁くその甘い声で、私の触覚と聴覚は完全に支配された。
そのせいか、体の力が抜けてしまい、手を動かすこともままならない。
続いて襲ってきたのは、脳がとろけてしまいそうになる感覚。こんな感覚、初めてだ。でも……寧ろ、『このままとろけてしまいたい』──そう思うくらいに幸せな瞬間だった。
ほんの少し触れられただけで、こんなにめろめろになってしまうのに、これ以上進んだら一体どうなってしまうんだろう──そんな期待と不安が入り混じった感情が、体中を駆け巡る。
ああ……キスの予感どころか、このまま一線を越えてしまいそうな気さえする。
彼は今、どんな気持ちなんだろう。私と同じような気持ちになってくれているのかな。
どれくらいの間、そうやって見つめ合っていたかわからない。
互いの唇が触れる寸前まで来ると、遥斗は我に返ったようにハッとした。そして、すぐに私から離れ、酷く焦った様子で視線を逸らす。
──結局、それ以上先に進むことはなかった。
「あ……えーと。たぶん、良いシャンプーに変えたからだと思いますよ! やっぱり、高いと違うんですねー……あはは」
彼があまりにも気まずそうな顔をしているので、場の空気を変えるために冗談っぽく話を振ってみる。
「あ、ああ……そうだったのか。……道理でいい匂いがするわけだな」
「でしょう? 結構、気に入ってるんですよ」
……ふう。何とか気まずさは払拭できたかな。
だけど──最早、私の頬や首付近を撫で回していたことについての弁解はできない。
例えば、「熱があるかどうか確認するために、念のため額以外にも手を当てた」などと誤魔化したとしても、相当苦しい言い訳になってしまうだろう。それに……キスをする寸前まで迫ったことなんて、もう言い訳以前の問題だ。
だから、もう、その事については触れないでおく。きっと、本人も突っ込まれたくないだろうし……。
「……あ、その……買い出しに行ってこようと思うんだが。何かと入用だろ?」
「そこまでしてもらわなくても……と思ったのですが、冷蔵庫にほとんど何もなかったことを思い出しました。……なので、よろしくお願いします」
「わかった。必要なものがあったら書いておいてくれ」
私が必要なものを紙に書いて渡すと、遥斗は慌ただしく外に出ていった。
……まだ、ドキドキしてる。まさか、向こうからあんなに接触してくるなんて思わなかった。
でも、やろうと思ってやったわけではなさそうだ。ついこの間まで、アバター同士の手が触れ合っただけでも動揺してたもんね……。
つまり──無意識にあんなことをしてしまうくらいに、私を『欲しい』と思ってくれたってことなのかな。
こうしている間にも、自分の体温がどんどん上がっていくのを感じる。
体温計で熱を測ってみれば、案の定、38度を超える熱……。これだけ高い熱が出たのは久しぶりだ。
思い返してみると──数日前から喉の痛みと咳が続いていたし、風邪の兆候はあった気がする。
それなのに、夜遅くまでネトゲに入り浸っては、クエストをやったり、レベル上げをしたり……結構、無理してたからなぁ。
でも……そうやって無理をしてしまうくらい、早く遥斗に追いつきたかった。そうすれば、堂々と彼と同じレベルのダンジョンにも行ったりできるし、足手まといになって迷惑をかけることもなくなるだろうから。
……そんな風に考えていたのだけど。それで体調を崩したら、本末転倒だよね。
これじゃ、私も立派なネトゲ廃人だ。
ふと時計に目をやると、時刻は既に21時を回っていた。
もう夜も遅いし、こんな時間から来てもらうのはやっぱり申し訳なかったかな……。
まあ、もうお願いしちゃったから、彼が来てくれるのを待っているしかないのだけど。
家の場所、ちゃんとわかるかな。まあ、駅から近いし、そもそも迷うような人ではないと思うけどね……。
そんなことを考えていると、インターホンが鳴った。私はふらふらとする体を起こし、モニタを確認し、応答する。
外に立っているのが遥斗であることがわかると、私は壁に手をつきながら玄関まで向かった。
うぅ……やっぱり、起き上がるだけでかなり辛い。
何とか玄関まで辿り着き、鍵を外してドアを開ける。
「夏陽、大丈夫か……?」
「はい。あの……遥斗くん。こんな夜遅くに来てくれてありが──」
そう言いかけた瞬間、私はバランスを崩し、前のめりに倒れる。
熱のせいで体がふらついていた所為なのか、彼の顔を見てほっと気が抜けた所為なのかはわからない。
ただ、このままだと遥斗を巻き込んで転んでしまうことになる。私は半ば諦めつつ、流れに身を任せた。
──ああ、また迷惑かけちゃうな。
そう思った次の瞬間──私の体は遥斗の腕によって支えられた。
一見、華奢に思えるその腕は、しっかりと私の両肩を抱き、受け止めている。
あの一瞬でどうするべきか判断して、受け止めてくれるなんて。流石だなぁ……。
「夏陽!?」
彼は驚いた様子で私の名前を叫んだ。
その声に反応した私は、ぐらぐらする頭を片手で抱え、どうにか顔を上げる。
「ご、ごめんなさい……」
「やっぱり、来て正解だったみたいだな。こんな状態で、あと二日も一人で過ごす気だったのか……?」
「……はい。そのつもりだったんですけど……。あの……重ね重ね、申し訳なく思って……」
ひたすら謝る私に、遥斗は「もういいから、休め」と言う。
朦朧とする意識の中、彼は何も言わず私を横抱きして、ベッドまで運んでいってくれた。
私を抱く彼の顔を見上げていたら、不意に既視感を覚えた。
これって、『あの時』と同じだ……。でも、今度はVRじゃなく現実世界で。
あの時の貴方は私を見てくれていなかったけど、今はちゃんと私を見て、私のことを考えてくれているんだね。
だって、その証拠に──こんな夜遅くにも拘らず、息を切らして駆けつけてくれたから。
そう考えると、何だか不思議だな……。『理想の王子様じゃなかった』なんて思ってごめん。今の私にとっては、貴方が最高の『王子様』だよ。
◇ ◇ ◇
「ん……」
カーテンの隙間から漏れる僅かな光と、心地いい鳥のさえずりで私は目を覚ます。
あれ……もう朝……?
えーと……昨日は、確か熱を出して、ゲーム内で倒れて…………そうだ。遥斗が来てくれたんだった。
そう思って目を開けると、すぐ側で椅子に座り、心配そうに私を見つめる彼と目が合った。
その優しげな眼差しに、自分の顔がどんどん紅潮していくのを感じる。
「……起きたか。おはよう、具合はどうだ?」
遥斗は私が目を覚ましたことに気付くと、穏やかな口調でそう尋ねた。
「あ……おはようございます。昨日よりは少しだけ、ましになった気はしますけど、まだ体がだるくて……」
「そうか……。だが、少しでもましになったのなら良かった」
「もしかして…………ずっと起きて看病しててくれたんですか?」
「ああ。あんなにふらふらしていたら、心配で眠れないだろ?」
「そ、そうだったんですね……。あの……何から何まで、本当にすみません」
まさか、ずっと起きていてくれたとは思わず、平謝りしてしまう私。
でも、待って。ということは……一晩中、寝顔を見られていたってこと?
そのことに気付いてしまった私は、恥ずかしさのあまり、布団を口のあたりまで被る。
「寒いのか?」
「あ、いえ……そういうことではなく……」
「ん……?」
何か勘違いされてしまったらしい。
……寒いどころか、熱と恥ずかしさで赤面したせいで、顔や体が火照っているけどね。
「それにしても──せっかく『アレ』を持ってきたというのに……結局、使わなかったな」
「え……『アレ』ってなんですか?」
私がそう尋ねると、遥斗は部屋の隅に置いてある紙袋を指差す。
あれは……まさかの抱き枕!?
何のキャラだか知らないけど、紛うことなき二次元美少女の抱き枕じゃないですか!
しかも、かなりはみ出てるし! 紙袋に入れる意味あるの!? もう、そのまま抱えて持ってきたほうがいっそ清々しいよ!
最近、だいぶ私に関心が向いていたみたいだから油断していたけど……。そう言えば、彼は元々こういう人だったな……。
「……アレ、あの状態で持ってきたんですか? 滅茶苦茶、はみ出してますけど……」
「あぁ、あれはエアー抱き枕と言ってな。使わない時は折りたたむことができるんだ。持ち運びに便利な優れものだぞ」
「へぇ……そんな便利な物があるんですね。そう言えば、昨日来た時は身軽でしたもんね」
得意げにエアー抱き枕について説明しだした遥斗を横目に、私は布団をますます深く被る。
……本当は、私だけを見て欲しいんだけどな。まあ、そういうわけにはいかないか。
仮に付き合えたとしても、彼から二次元趣味を取り上げるのは酷だもんね。
「まあ──今日も泊まることになるなら、出番はあるかも知れないが。流石に俺も、二日連続で徹夜はきついからな」
そっか……今日も一緒にいてくれるつもりなんだ。
そう言えば、ゲームにログインしなくて大丈夫なのかな……。
「あの……ギルマスなのに、二日も三日も留守にしてて大丈夫なんですか? 最近、新人さんが入ってきたりして、結構忙しそうでしたよね?」
「それなら、心配はいらないぞ。俺がいない間の穴埋めは、アレクに任せてきたからな。こういう時にサブマスがいると助かる」
「そうなんですか……あの、でも。もし良かったら、私のVRヘッドセットを使っても……」
「いや、いいんだ。……看病するって言っただろ? それよりも、早く風邪を治さないとな」
遥斗はそう言うと、私の頭に右手を伸ばし、前髪を払うように上げた。そして、私の額に手のひらを当てると、「まだ、結構熱があるみたいだな」と呟いた。
女性と見紛う程の、細い綺麗な指を持つ彼の手に触れられて、私の心臓は跳ね上がる。
まあ、熱があるかどうか確認するだけだし、すぐに終わるだろう──そう思っていたのだが、何故か彼は一向に手を退けようとしなかった。
そのまま恍惚とした気分で天井を見上げ、成すがままになっていると、遥斗は何を血迷ったかその手をゆっくりと下に移動させて、私の左頬を優しく撫でた。
それに驚いて、少し我に返った私は彼の方を見る。すると、彼も同じように恍惚とした表情を浮かべて、私の顔を見つめていた。
「……今まで気付かなかったが──甘くていい香りがするんだな、夏陽は」
遥斗は私の頬に触れたまま、顔を近づけてそう言った。
その言葉を聞いて、先程と同じくふわふわとした夢心地気分に引き戻された私は、間近まで迫った彼の顔を見つめ返した。
私たちは、互いに視線を逸らすことができずに、じっと目を合わせる。
そして──いつの間にか、唇を重ねてもおかしくない距離まで接近していた。
「夏陽…………」
遥斗は半ば閉じたようなトロンとした目でこちらを見つめ、頬を赤く染めながら、私の名前を呼んだ。
彼は私の頬に添えた手を更に下に滑らせると、そっと首筋を撫でた。その行動に戸惑うあまり、私は思わず肩をびくっとさせる。
だが、彼はその反応を見て、更に火がついてしまったようだ。今度は、先程私が深く被った布団をその手で軽く押し退け、躊躇することなく五本の指の腹で緩りと鎖骨のラインをなぞる。
その瞬間、背筋がゾクリとするような感覚に襲われた。嫌ではない……寧ろ嬉しいはずなのに、ゾクゾクとする感覚は収まってくれず、体中に電気が走る。
「遥斗く……ん……」
陶酔感に浸りながら、私は彼の名前を呼ぶ。遥斗はそれに気付くと、応えるようにもう一度、甘い吐息混じりに私の名前を呼んだ。
彼の手から伝わる体温と感触、そして、間近で囁くその甘い声で、私の触覚と聴覚は完全に支配された。
そのせいか、体の力が抜けてしまい、手を動かすこともままならない。
続いて襲ってきたのは、脳がとろけてしまいそうになる感覚。こんな感覚、初めてだ。でも……寧ろ、『このままとろけてしまいたい』──そう思うくらいに幸せな瞬間だった。
ほんの少し触れられただけで、こんなにめろめろになってしまうのに、これ以上進んだら一体どうなってしまうんだろう──そんな期待と不安が入り混じった感情が、体中を駆け巡る。
ああ……キスの予感どころか、このまま一線を越えてしまいそうな気さえする。
彼は今、どんな気持ちなんだろう。私と同じような気持ちになってくれているのかな。
どれくらいの間、そうやって見つめ合っていたかわからない。
互いの唇が触れる寸前まで来ると、遥斗は我に返ったようにハッとした。そして、すぐに私から離れ、酷く焦った様子で視線を逸らす。
──結局、それ以上先に進むことはなかった。
「あ……えーと。たぶん、良いシャンプーに変えたからだと思いますよ! やっぱり、高いと違うんですねー……あはは」
彼があまりにも気まずそうな顔をしているので、場の空気を変えるために冗談っぽく話を振ってみる。
「あ、ああ……そうだったのか。……道理でいい匂いがするわけだな」
「でしょう? 結構、気に入ってるんですよ」
……ふう。何とか気まずさは払拭できたかな。
だけど──最早、私の頬や首付近を撫で回していたことについての弁解はできない。
例えば、「熱があるかどうか確認するために、念のため額以外にも手を当てた」などと誤魔化したとしても、相当苦しい言い訳になってしまうだろう。それに……キスをする寸前まで迫ったことなんて、もう言い訳以前の問題だ。
だから、もう、その事については触れないでおく。きっと、本人も突っ込まれたくないだろうし……。
「……あ、その……買い出しに行ってこようと思うんだが。何かと入用だろ?」
「そこまでしてもらわなくても……と思ったのですが、冷蔵庫にほとんど何もなかったことを思い出しました。……なので、よろしくお願いします」
「わかった。必要なものがあったら書いておいてくれ」
私が必要なものを紙に書いて渡すと、遥斗は慌ただしく外に出ていった。
……まだ、ドキドキしてる。まさか、向こうからあんなに接触してくるなんて思わなかった。
でも、やろうと思ってやったわけではなさそうだ。ついこの間まで、アバター同士の手が触れ合っただけでも動揺してたもんね……。
つまり──無意識にあんなことをしてしまうくらいに、私を『欲しい』と思ってくれたってことなのかな。
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