ニート 終末 人間兵器

沢谷 暖日

文字の大きさ
上 下
5 / 7
第四章 ニート、兄と

004

しおりを挟む
 世間はいよいよ混乱状態にあるようだった。世界では至る所で戦争が勃発し、隕石が落ちていて、第三次世界大戦の始まりと言われるようになっていた。日本では夏の甲子園は中止になって、有名スポーツ選手が死んで、とある自動車会社の株価が大暴落していた。加えて政府から、アメリカに日本の持つ戦力を分け与え、共に攻め込んできた敵国を迎え撃つと発表されていた。ネット上では、果たしてアメリカはいつまで日本の肩を持つのか論争が巻き起こり、結局どこを見ても戦争みたいな状況だった。
 先日のミサイルはなぜ日本を襲ったのかはまだ答えは出ていないらしい。専門家によれば、隕石が落とされたことにより激昂、もしくは隕石を日本からの攻撃と言いがかりをつけミサイルを飛ばしたか。少なくとも隕石の混乱に乗じて行われたものだと解説していた。
「…………」
 僕は、なんとか心を取り戻した。
 時計は今は午前七時を差しており、そろそろ朝ご飯だろうかと僕は立ち上がると、視界の端に違和感が映った。僕が昨日出したノートが開かれいたのだ。霧子さんは僕のそれを読んだのだろうかと机上に近付くと、何かが書き込まれていることに気が付く。
 ──またあいにきます。
 震えたその字は読み取るのに時間を要したが、たしかにそう書かれていた。これはきっと霧子さんが書いてくれたものだ。気遣いで書き置きしてくれたのか分からないが、僕の心は少しだけ軽くなる。また会いたいと、あの状態の霧子さんが思ってくれていたのだから。
 僕はノートを閉じ、本棚にしまってから階下に降りた。リビングに出れば、案の定そこには朝ご飯が用意されている。しかし、どうやら朝ご飯は一人分余計に用意されていた。
「母さん、おはよう。……えっと、この皿は?」
「あら。もしかして昨日の方はもう帰られた?」
 昨日の方……霧子さんのことだろう。
 僕はゆっくりと頷いた。そんな僕からただならぬ何かを読み取ったのか、母さんは「大丈夫だよ」と僕に駆け寄って両肩をがっちり掴んだ。大方、僕が霧子さんに拒絶されたと思ったのかもしれない。実際まぁ、拒絶されたようなものなのかもしれないけど。
 僕が食卓に座ると、やがて家族皆が揃った。
 だが僕は玲奈の格好が不思議で、思わず声をかける。
「……玲奈、今日普通に学校あるの?」
 そう。玲奈は制服を着用していた。
 昨日の今日なので、流石に学校は休みだろう、とそう思ったのだけど──。
「高校三年生だけ通常登校。……自称進学校だから」
 玲奈はめんどくさそうに溜息を吐いた。その表情にはまだ昨日の悲しげな面影が残っている。そんな玲奈に対し、僕よりも先に父さんが声を飛ばした。
「こんな状況なんだし、無理して学校いかなくていいんじゃないか?」
「いくよ。学校がそう発表してるんだから」
 玲奈はきっぱりと言ってのける。
 父さんは困ったように笑っていたが、それ以降特に言及はしなかった。
 朝ご飯を食べ終えた後は今日も皿洗いを引き受けて、やはり感じたのは『僕の触覚が失われてきている』ということだった。僕もいずれ霧子さんと同じような状況になると思うと少し恐怖する。その時が訪れたら、親を悲しませてしまうのは明らかだったので、やはりできる限りの親孝行は今のうちにしておくべきだろう、と改めて思った。
 午前八時。部屋で考えるのは、霧子さんのことだった。今の彼女はどこにいるのか、何をしているのか、もしかしたら既に兵器としての義務を果たしているのではないか、もう敵国の戦闘機にやられてしまったのではないか。それらの頭に湧く憶測は決して有り得ないものではないのだろうと思うと気が気でなかった。僕はどうにか気分を紛らわせたくて、アカサタにメッセージを送っていた。
『おはよう。調子はどう?』
『あぁ今日も早いな。調子については最悪さ。テレビも戦争の話題しか映さない。配信サイトも炎上を狙った悪質投稿ばかりに埋め尽くされている。全く、どこに適切な情報が転がっているのかも分かりやしない。どうしてこんなことになったのか』
 アカサタからは例によってすぐに返信が届いた。アカサタに連絡して正解だった。誰かと繋がっているというだけ、幾分か心はマシになる。
『ほんとに。前までの平和な世界が嘘みたいだよね。東京はどう?』
『東京はいつにも増して騒がしいよ。外では何かの抗議デモが開かれているし、いつ犯罪が起こるか分からないくらいみんな気が立っている。終末を生きている気分さ』
『やっぱり東京は凄そうだね。こっちは田舎だから結構いつも通りだよ』
『それは羨ましいな。……と、話は変わるが、妹氏の様子はどうだ?』
『調子は昨日よりか良さそうだけど、やっぱり不安かな。普通に学校に行ったけどね』
『だがまぁ立ち直ったのなら、それは良いことだ。……というわけで連絡をくれた手前悪いのだが俺は仮眠をとるとするよ。今はいつ空襲がくるか、ミサイルが飛ぶか、隕石が降るか分からない状況だ。くれぐれもナル氏も気をつけてくれよ』
 僕は『ありがとう、アカサタ』と返し、彼との会話は終了した。本当にアカサタの言う通り、今は終末世界のようである。次の災害がなんなのか、霧子さんがいない今、確認しようもない。本当に気をつけて生活をしよう。と、そう思ったところで、ふと意識が遠のくタイミングがあった。遠のいた意識は、取り戻せることもなく、そのままプツリと消えた。
            ※
 夢を見た。
 それはまた、昔の記憶だった。
 中学一年くらいの僕が、まだ小学生の玲奈とゲームで遊んでいる。僕と玲奈の会話に聞き耳を立てれば、すごく楽しそうにしていた。当時僕はかなり玲奈に懐かれていたなと思う。
「お兄ちゃんって、優しいよね」
「急になんだよ。まぁ優しいのは認めるけどな」
「いや~、私たちの家族になった頃はさ、生気がなくてこんな人がお兄ちゃんになるなんてって正直怖くってさ。だけど今は全然違うよね! 今では自慢のお兄ちゃんだよ!」
「はは、照れ臭いよ。でもよかった。玲奈の兄ちゃんでいられて、佐々木家の一員になったって実感する。これから何か困ったことがあれば、すぐ兄ちゃんのこと頼っていいからな」
「うん!」
 確かに佐々木家にきた当初の僕は、家族を失くし暗かったのを覚えている。だから玲奈に懐かれた時に初めて、僕にまた新しい家族ができたのだと実感できたのだ。
 しかしなるほど。僕は玲奈に、困ったことがあれば頼ってくれと、無責任にもそんなことを言っていたらしい。今の玲奈がどうして僕に冷たいのか、なんとなく分かった気がする。
「────」
 意識が現実に向かってゆく。覚醒の時が近かった。
「…………」
 目を開けると、そこは車の中だった。
 なぜこんな場所にいるのだろう、とそう思うより早く、僕は今の状況がメンテナンスによるものだとすぐに悟った。案の定、車を運転するのは何度か見た黒服の男性である。窓の外からの景色は夜なので見えづらいが、今は僕の家へ送っている道中なのだろうと窺える。
 次に悟ったのは、僕の体から触覚が消えている、という事だ。現に僕の手は革のシートに触れているのに、その感触は一切手に伝わらない。これも想定内の事象だった。
 そして最後に悟ったのは、僕の心の一部が失われている、という事だ。今の僕は現状を当たり前の状況として受け入れることができている。心がパニック状態にならないのはありがたいことだが、自分としてもこれはかなり不思議な感覚だし、少し恐怖すら覚えるが、それはまだ心が生きている証拠だ。まだ霧子さんのような状況には陥っていない──ってそうだ。一体今は何月何日の何時頃だろう。前みたいに三日以上も知らぬ間に過ぎているなんてことになっていなければいいけど──。
「…………」
 と、僕はポケットを漁ってスマホを取り出す。
 触覚が無いせいか、スマホを掴むのに時間を要した。
 僕は指とスマホにしっかりと焦点を当てて、スマホの電源を付ける。
 今日の日付は──七月二十八日の午後六時半。
 僕の意識が途絶えたのだが同日の午前中なので、まだ半日も経っていない。
 そのことに僕は胸を撫で下ろしつつも、僕が次に確認したのはトークアプリだった。
 母さんから連絡が来ているだろう、そう思ったのだが、連絡は届いていない。
 それもそのはず、身に覚えのないメッセージが僕自身から送られていたのだ。
 『少し出かけます。夜には帰ります』と。
 プライバシーは既に無いらしいと複雑な気持ちになったが、ひとまず親に迷惑をかけていなさそうなのはよかった。『もうすぐ帰り着きます』とだけ自分の手で送っておく。
 次に確認したのはニュースだ。そしてやはり戦争は進行しているらしい。今日はまだ日本は被害を受けていないようだが、世界の至る所で大規模な争いが起こっているようだった。
 他にもニュースを漁っていると、いつの間にか家に辿り着いていた。運転手の黒服に「ありがとうございます」とだけ送り、僕は車を出て、家のドアを開けた。
「あ、成瀬おかえり」
 と、真っ先に目に飛び込んだのは母さんの姿だった。
「ただいま。どうしたの? そんなところで」
「えっとね……成瀬。……玲奈がどこに行ったか知ってる?」
「玲奈? 知らないけど……今日はたしか学校だったよね?」
「そう。……だけど玲奈、帰ってきてないの。連絡もつかないし……心配で」
 母さんは不安げにスマホを眺めながら溜息を吐いた。
「…………」
 玲奈はいつも学校が終わると真っ直ぐに帰ってくる。帰宅時間はいつも夕方五時前後。そんな玲奈が夜の七時前になっても帰ってきていない。これは、非常に珍しいことだった。
「…………」
 玲奈は、唯一の友達を失ったと言っていた。だから昨日は毛布に相当に落ち込んでいたはずで、母さんたちには心配をかけられないと今日の学校はちゃんと向かった。なのに、家に帰ってきていない。僕は流石に嫌な予感を覚えずにはいられなかった。
 まさか……大丈夫だよな?
 心配をかけられないと言っていた玲奈が、まさか一番悲しませるような選択をするわけはない。分かっていても、不安なものは不安だった。
「探してくるよ」
 気付けば家を飛び出していた。
 玲奈の通う高校は僕もかつて通っていたのでよく知っている。
 徒歩だと三十分ほどかかるので自転車を出したいところだったが、あいにくパンクしていたので自らの足で妥協することにした。玲奈が今、どこで道草を食っているのか全く当てはないが、高校までは変に遠回りをしない限り、ほぼ一本道で辿り着くことができる。
 とりあえず僕は、高校までの道のりを走り続けた。
 触覚を失った僕に、地面を蹴る感覚は無い。少しでも気を抜けば転げてしまいそうだったが、止まっている余裕もなかった。住宅街を抜けて、橋を渡り、運動公園の横を走る。その先が高校だったが、やはりというべきか道中に玲奈の姿は見つからなかった。
「……どこいった」
 参った。道中にいなかったとなると正直もうアテがない。
 まだ学校にいるという可能性は──どうだろう。有り得なくは無いかもしれない。
 僕は高校の校門をくぐり、敷地内に足を踏み入れた。今の僕は完全に部外者ではあったが、背に腹は変えられない。とりあえず僕が歩みを向けたのは駐輪場の方角だった。もう学校内に生徒はほとんどいないため、玲奈の自転車があればすぐに分かる。僕は体育館沿いを走り駐輪場に辿り着く、と割とすぐに目当てのものは見つかった。見慣れた水色の自転車が確かにそこには停められていた。これで玲奈が校内にいる可能性がぐんと上がる。
 次に向かうべきは職員室だろう。玲奈の担任の先生でも見つかればいいが、と僕は廊下を歩み、辿り着いた職員室内を恐る恐ると覗く──とその瞬間、背後から声がかけられた。
「ん? ……おぉ、成瀬じゃないか!」
 僕は肩をビクつかせつつ振り返る。
 そこにいたのは僕もよく知る先生だった。
「……あ、堂山先生。お久しぶりです」
 僕が高校三年の頃の担任教師の堂山明夫先生だ。当時進路に悩んでいた僕の相談をとても親身になって聞いてくれたので、僕は彼にはとても恩を感じていた。彼が今も三年生の担任をしているかは分からないが、僕の妹である玲奈のことも知っているかもしれない。
「最近はどうだ? 元気にしていたか?」
「あ、はい。げ、元気です! えと、今日来たのは妹の玲奈を探していて……」
「あぁ、佐々木玲奈か。……ならさっき誰かと一緒にいたのを見た気がするが──」
「了解です! ありがとうございます!」
「あ、ちょ、成瀬!?」
 それが聞ければ十分だ。
 僕はすぐに駆け出し、ともかくは三年の教室へ向かった。駐輪場に自転車があったという情報と、堂山先生の先ほど見かけたという情報を組み合わせれば、間違いなく玲奈はまだ学校のどこかにいた。そしていつもは早くに帰ってくる玲奈がこんな時間まで帰ってこなかったということはつまり何かがあったということになる。僕が今やっていることは余計なお世話であることは間違いなかったが、余計なお世話で終わればそれに越したことはない。
 三年生の教室がある三階へ、僕は駆け上がる。全体で四組しかないので覗けば見つかるはずだ、と僕は各教室を見て回るが──どこにもいない。となれば、お手洗いだろうか。
 もし、そうじゃなければどこにいるだろう。僕はもう一度、駐輪場へ向かった。
 まだ玲奈の自転車は置いてあった。それを確認し踵を返そうとしたその時、どこからかうっすらと声が聞こえた気がした。玲奈の声に似ている。声の出所は体育館裏からだった。
 次第に声が近付く。玲奈以外にも何人かいるようだった。
「──おい。おいって」
 僕は身を潜めつつも、その場所を確認して、思わず息を呑んだ。
「…………なに。……なんで、そんな私に執着するの」
 玲奈は、三人の女子生徒に詰め寄られながら、財布からお札を取り出していた。今の玲奈はまるで蛇に睨まれたカエルのように萎縮している。僕にはそれは、いじめのように見えた。理解すると同時に、玲奈が唯一の友達を失ったことにあれほど悲しんでいたのが腑に落ちた。
 ……もしかすると玲奈は、学校で日常的にこんなことをされていたのかもしれない。
 先生を呼ぶか? いやその間に、玲奈がどんな目に遭うかも分からない。
 僕は玲奈の兄ちゃんだ。ここで立ち止まって兄ちゃんが務まる訳が無い。
 ……いくしか、ない。今こそ見せる時だ、ニートの本気を、僕の家族孝行を、自己中を。
「お前らぁ! こんなとこで何やってんだぁ!」
 久しぶりの大声は、多分違和感の塊だったと思う。
 声だけはバカのようにでかいのに、不安が声の震えに現れている。
 僕は四人分の視線を、いっぺんに独り占めにした。
「に──」
 玲奈が驚いたように目を丸くし、残りの三人が焦りを顔に映し出す。
 その中のリーダーらしき女子生徒は、焦りを咄嗟に隠し、高圧的な視線を僕に与えた。
「誰ですか、あなた」
 怖い。正直女子高生、めっちゃ怖い。
 だけど今の僕は、今までの僕とは違う。
 幸か不幸か、僕はここ三日間でえらい変貌を遂げたのだから。
「俺は、玲奈の兄ちゃんだ」
 もう止めれない。止まらない。
 言った。言ってしまった、と思った。
 玲奈には申し訳ないことをしてしまったかもしれない。
「は? こいつの? はっ……シスコンかよ。正義のヒーロー気取って」
 目の前の女子高生Aは嘲笑し、取り巻きらしい女子高生B、Cもつられて笑った。
 玲奈のそいつらの後ろで、恥ずかしいのか、単に嫌なのか顔を俯かせている。
「ははっ! はーはっはっはっ!!」
 それは僕の笑い声。女子高生らの笑い声を笑い飛ばす。
 不気味がられる、というか若干引かれていた。
 自分は今、側から見てだいぶヤバいやつだと思う。
 自分の言動に若干に引いてしまっている自分がいる。
 だがまぁ、引くなら引いてもらって構わない。
「シスコンだって? あぁ、シスコン上等!」
 心が失われても、僕はまだ感じている。
 それはむしろ、心が失われてから感じたことかもしれなかった。
「僕は家族が好きだ! 玲奈が好きだ! だから! 今ここにいる!」
 本心だ。本心だった。
 失った心でも、本心だった。
「さぁ! 先生にチクられたくなければ、早く玲奈の元から離れろ!」
 舌打ちが聞こえる。「あーくだらね」と女子高生Aに続いてBもCも玲奈の前から去った。僕の横を通り過ぎる時、脛を蹴られてしまったが、痛覚もないので全く持ってダメージは無い。逆に兵器の体が作動してしまったら、なんて心配してしまうほどだった。
「………………」
 辺りには一気に静寂が訪れる。
 張り詰めていた緊張の糸がほぐれ、肩からすとんと力が抜けた。
 もう日は暮れていた。僕は「帰ろう」と地面に膝をついた玲奈の元へ向かう。
 手を差し伸べるが、その手は中々とられない。もしかすると玲奈の怒りに触れたかもしれないなと思い「身勝手で、ごめん」と謝ると、玲奈はポツリと何かを呟いた。
「え? なに? 聞こえない」
 僕が聞き返すと、返事の代わりに彼女は勢いよく立ち上がった。
 潤んだ目元を隠すようにしながら、そのまま僕に飛び込んでくる。
「ばか! ばかばかばか! なんで! なんでなんでなんで!」
 ぽかぽかという効果音を出すように、玲奈は僕をたくさん叩いた。
「なんで、助けるのさ! しかも酷いやり方! 明日、あいつらから何言われるか分かったもんじゃない!」
 玲奈の体は僕が思っていたよりも小さくて、弱々しかった。
 やはり僕の行動は自分のことしか考えてやれていなかったのだと思う。
「ごめん、玲奈」
 僕がもう一度謝ると「違う!」と僕に顔をうずめながら首を横に振った。そのまましばらく声を出して泣き続けると、しゃっくりが収まった頃に僕に顔を見せてくれた。
「嬉しかった。嬉しかったの! ありがとう、お兄ちゃん」
 久々に、玲奈が僕の妹だと実感した。
 よかったよ、と僕は微笑んでから、母さんに連絡をして、二人肩を並べて帰路に就いた。

「私、学校でいじめられてた。親友の沙織ちゃんが、いつも私を助けてくれてた」
 自転車を押す僕の隣で、玲奈はゆっくりと自身の過去についてを語ってくれた。玲奈の亡くなった唯一の友達、というのがその沙織ちゃんらしい。沙織ちゃんがいなくなったから、きっといじめはエスカレートする、という玲奈の想定通りになってしまったようだ。
「いじめられてる。なんて言ったら親も心配する。……兄ちゃんが兄ちゃんらしく無いから、せめて私がちゃんとしないとって、私はいじめのことを親には打ち明けなかった」
 つまるところ、僕がニートであるために、玲奈に無理をさせていたということだ。確かにそう考えると、玲奈の僕に対する暴言の吐きようは理解できる気がした。
「……だけど、ごめん。一週間前くらいのアレはほんとに言いすぎたと思う」
「大丈夫だよ。それに、もうそれについては謝ってくれたよね?」
「そうだけど……実はずっと気にしてて……」
「ほんとに大丈夫。今日から僕が、兄ちゃんらしくするよ。玲奈はその……もう無理しなくていい。今日から僕が、良い息子になる。だからしばらく休んでみなよ」
「……うん。なら、そうしてみるのも、いいかもしれないね」
 そこで会話は途切れた。
 しばらく歩いて、玲奈がしみじみとした口調でポツリ言う。
「兄ちゃん、変わったね。……戻ったね、とも言えるかも。なにかあったの?」
「……まぁ。色々。……僕もそろそろ親孝行をしなきゃと思えてきてさ」
 答えると、玲奈は「なにそれ」と苦笑する。
 そして思い出したかのように「そういえば」と言葉を継いだ。
「昨日のカレー、兄ちゃんが作ってくれたんだよね」
 僕が「友達とだけどね」と告げると、玲奈はにこりと微笑みかけた。
「おいしかったよ。今日もいただくね」
 もうすぐそこは我が家だった。



 今日の晩御飯は苦労した。なんて言ったって味覚が消えてしまっていたのだから。
 味覚、嗅覚がなくなるといよいよ食事がつまらなく思えてくる。それでも今日は僕の作った二日目のカレーだったので食べないわけにはいかなかった。それと同様に大変だったのが皿洗いだ。感触がなくなると力加減も分からなくなる。皿を割ってしまわないよう繊細に洗ったので、昨日の倍は皿洗いに時間を費やすことになってしまった。
 午後も十時になる頃、僕はやっとの思いで一息をついて、改めて今日を振り返る。
 やはり、僕の自己中が玲奈のためになったというのは、凄く喜ばしい事だった。
 メンテナンス直後のことでどうなるかと思ったが、終わりよければ全てよしだろう。
 今日は平和に終わりそうだ、と一瞬思ったが、全然そんな事はない。霧子さんからは結局一つも返信は来ていないのだ。『またあいにきます』という書き置きだけが心の拠り所であるため、今の僕には霧子さんを信じて待つことしかできない。気を紛らわすため何をしようか考え、ネットを漁ることにした。そうしているとやがて興味深いニュースが出てきた。
 ニュースの見出しはこうだ──『敵機を容易く蹂躙する戦闘機、アメリカ軍のものか』。
 そしてそのニュースの発端は、どうやら一般人の投稿によるものらしい。
 ──とてつもなく強い戦闘機みっけた。
 そうタイトルを付けられた一つの動画が短時間でとんでもない拡散のされ方をしている。
 動画を開けば、それは一機の小型戦闘機が攻め込んできた戦闘機を次々と迎撃している映像だった。暗闇でよく分からないが、小型戦闘機といっても想像以上に小さい。なのに動きは俊敏で、敵の攻撃を華麗に交わしては、的確に隙を狙った攻撃をいれていた。
 普通の戦闘機にこんな動きができるのだろうか。と思ったところで一つの可能性が湧く。
 ──もしかしてこれは、霧子さんなのでは?
 その可能性に辿り着いた刹那、心臓の鼓動が嫌に早くなる。
 だが、十分に有り得る可能性だった。意識してからもう一度映像を見ると、暗闇に映るそれは人の形をしているようにも見えなくもない。投稿が今日の日が沈んでからにされたものであることを考慮すると尚更だ。動画のコメントにはまだそれが人型だと指摘する声は上がっていないが、もしこれが人型の戦闘兵器だと世間に知られてしまったら? そう疑問に思った刹那、突如スマホが警報音を上げた。
 ──東京に空襲警報。住民の方はすぐに避難を。
 昨日の福岡に引き続き、こんな夜での空襲だった。
 しかし今度は東京だ。もし被害が出てしまったら、それは昨日の比にはならないだろう。それに東京の重要な機関が滅んでしまえば、日本は国として自立し続けられるのだろうか。
 様々な疑問が湧いて出るが、それ以上に東京にはアカサタが住んでいる。アカサタが無事に済むことを僕は心の底から願った。『そっちが落ち着いたら連絡をしてくれ』僕はメッセージを残し、襲ってくる眠気に耐えながら、僕はしばし考えごとをした。
「………………」
 僕は少し前に、霧子さんに『会者定離システム』を止めることができないか聞いた。その時の霧子さんの返答は『止めることは出来るが、止める未来を見ていない』というものだった。そこ僕はふと思った。霧子さんが予知できるのは、霧子さんが見た未来のみ。なら、霧子さんが見ていないところで僕が霧子さんのシステムを止めればいいのでは、と。
 やってみる価値はあると思う。決行は……そうだ、次のメンテナンスのタイミングだ。車の中で目を覚ましたとしたら、忘れ物とでも伝えて引き返して貰おう。
 僕は軽く作戦を考えて、今夜は眠りに就いた。
「………………」
 目を覚ました時、僕はあの施設にいた。白い壁、白い天井の質素なあの部屋だ。
 僕は多分、二度目のメンテナンスを施されてしまったのだろう。僕の中から感情が無くなっているのが分かる。耳も少し遠くなってきているようだった。それでも僕は意識を失う前に考えた作戦のことを忘れてはいなかった。
 ──霧子さんの会者定離システムを、停止させる。
 僕の感情が生きている間に、これはやるべき案件だった。
「…………」
 僕はベッドから身を起こし、施設を歩き回った。外はどうやら夜らしく、スマホを確認すれば丸一日経過していた。アカサタや両親とどのようなやり取りを交わしたかが気になったが、ひとまずそれは後回しにして、僕は会者定離システムが設置された部屋を探し回った。やがてオレンジ色の光が漏れ出している扉を見つけた、ここで間違いない。
 ──キィ。
 僕はドアをゆっくりと開け、中に忍び込む。誰もいないか辺りを警戒しつつ、僕はシステムのコントロールパネルのような場所へと向かった。液晶に表示された数字の羅列は未だに理解できないままだったが、僕はゆっくりと液晶に手を伸ばす──そして、その時。
「……佐々木成瀬。何をしている」
 野太い男性の声がした。僕は反射的に液晶から距離を取る。
 僕の死角から一人の男性が出てきた。誰だ、と僕が問う前に彼は口を開く。
「今、霧子は戦争中だ。素人が雑にパネルをいじれば誤作動を起こす、ということに佐々木成瀬。お前は気付かないのか? それともそんな体だから気づけないのか?」
 口ぶりから、僕はその男性が霧子さんの父親であると理解した。彼の言うことは正論だった。確かにここで下手に操作すれば、彼女が命を落とす危険性だってあった。僕は「失念していました」と頭を下げたが、それでもやっぱり諦めきれなかった。霧子さんが兵器として敵国と戦っているという事実が、僕はどうしようもなく苦しかった。だから僕は、彼に向けてだらしなく懇願するように、深く深く、頭を下げた。
「僕をすぐにでも戦場に出して構いません。だから、霧子さんに働くシステムを、止めては頂けませんか? ……僕は、霧子さんが好きです。僕は、霧子さんにこれ以上、苦しい思いをして欲しくないんです」
 すがるような懇願。我ながらにしてすごくカッコのつかないことをしていると言うのは理解しているつもりだった。だけど今の僕に恥はなかった。おそらくそれは、僕の感情が失われつつあるからなのだろう。数秒の沈黙を挟んでから、彼は返事を寄越した。
「霧子と佐々木成瀬。君らが二人笑い合う平和な世界を、私は知っている。霧子が見る未来は簡単には変わらない。……いいだろう。佐々木成瀬、君の願いを受け入れよう。君の方が兵器の適正も高い、これはむしろ好都合というべきか」
「……え? いいんですか?」
「あぁ。明日、君を戦場に向かわせて、霧子のことは解放しよう」
「あ、ありがとうございます」
「だが。何度も言うが、未来は変えられない」


 僕はその後、施設前に用意された車で帰宅した。送迎の間、僕はメッセージアプリを確認したが、未だアカサタからの返信は届いていなかった。
『アカサタ。昨日の空襲は大丈夫だった?』
 追加でメッセージを送ってみるものの、いつもならすぐに届くはずの彼からの返信は、何秒待っても、何分待っても、何十分と待っても返ってくる事は無い。アカサタはきっと空襲で死んでしまったのだろう。それは僕にとってひどく悲しいもののはずだったのに、僕は何も感じていなかった。それが酷く恐ろしいことだということは、心のどこかで理解ができた。
「…………」
 次、意識が無くなる時が僕の最後になることは明らかだろう。だから僕は、これからシステムから解放されるであろう霧子さんに、手紙を書き残した。そしてもしかすると二度と会うことができなくなるかもしれない家族にも、遺書とは違うが、僕の気持ちを綴った紙を用意しておく。大方気持ちなんて無かったのかもしれないが、思うことを思うままに書いた。
 そしてそれらの手紙を机の端っこに置くと、僕は近くに置いていたノートを取り上げる。
 それは先日、忘れたくないこと、忘れてはならないことをメモしたノートだった。
 だが──どれも僕にとっては、何も意味のないものと化していた。
『佐々木成瀬は桜庭霧子が好きだ』
 僕が霧子さんのことを好きなのは覚えているのに。
 どうして好きだったのか、どうして好きになったのか、忘れてしまった。
 記憶を失うのは確かに怖くって、僕はいつの間にか聴覚を完全に失ってしまっていた。

 最後に意識は遠のいて、僕はいよいよ兵器として戦わされることを最後の一瞬で思った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

借金した女(SМ小説です)

浅野浩二
現代文学
ヤミ金融に借金した女のSМ小説です。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

だんだんおかしくなった姉の話

暗黒神ゼブラ
ホラー
弟が死んだことでおかしくなった姉の話

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

完全なる飼育

浅野浩二
恋愛
完全なる飼育です。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

処理中です...