ニート 終末 人間兵器

沢谷 暖日

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第二章 ニートにデートは務まらない

002

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 見知った天井だった。
 ここは、僕の部屋だ。
 どうやら気を失っていたらしい。
 そしてすぐに、意識が失くなる前の情景が思い出された。
「…………」
 僕は──人を殺した。
 自身の胸に手を伸ばす。
 いつも通りの感触だった。
 心臓の音もちゃんと聞こえている。
 だけど、僕の記憶ははっきりと残っていた。
 僕の胸から突き出た拳銃が、強盗を撃ち抜いたのだ。
 でもそれが嘘かのように、僕の胸にはなにもない。
 服は昨日のままなのに、返り血は綺麗になくなっている。
「…………」
 スマホを見れば午前の七時。
 日付は……二十七日。丸一日寝てたってことは無いようだ。
 それよりも、誰が僕を部屋まで運んでくれたのだろう。と、その時、階下から声が聞こえるということに気が付いた。そしてそれは家族の声であるということも同時に。
 僕は立ち上がり一階を目指した。そしてリビングに顔を出すと──。
「成瀬!」
 家族が全員揃っていた。
 父さんが僕に駆け寄り、母さんが僕にハグをした。
 対する玲奈は真顔でこちらを見つめている。
「よかった! 昨日成瀬が連絡をくれたでしょう? それからいくら待っても来ないから、みんなで深夜に家に行ってみたの。そしたら成瀬が家の前に倒れていて……」
「家の前に?」
 記憶と少し違う。
 僕は家から離れた場所まで走っていたはずだ。
 それに、道中に死体がないと辻褄が合わない。
 母さんたちが来る前に、誰かが死体を処理したのだろうか。
「あぁ。それより、本当によかった。父さん、すっごく心配でな。本当に、本当によかった」
 父さんはほろりと涙を流して僕の頭をガシガシと撫でた。
「そういえば停電は?」
「早朝に直ったらしくて。多分みんなもう家に帰ってるはず。だけど強盗が色んな家に入ったみたいでね。捕まったらしいけど、うちも被害を受けたみたいで」
 母さんは窓の方に視線をやる。かかったカーテンを父さんが外し「ひどいよな」と頭をポリポリと掻き、またカーテンを閉めた。だがそれより、今の発言には引っかかる部分がある。
「強盗が、捕まった?」
「そう。だから安心してね、成瀬」
 おかしい。記憶の中では、僕が強盗を殺したのだ。
 なら昨日のは全部夢? いや、夢なわけがない。
 だとすると、どうして強盗は捕まったことになっているんだ?
「そう、だったんだ……」
 腑に落ちないまま頷くと、ハグしていた母さんは離れた。
 その瞬間、こちらを見ていた玲奈を目が合ってしまう。
 僕は渋々と、彼女の元へ近付き、声を飛ばした。
「ただいま。玲奈。ごめん、心配かけて」
 多分今日も暴言を言われてしまうのだろう。
 怯えた気持ちで返事を待ったが、彼女が返した言葉は僕にとって意外なものだった。
「……別に。……まぁ、おかえりなさい。あと……ごめん、この前は」
 この前というのは、二十三日のことだろう。
「別にいいよ。事実だから」
 僕は軽く微笑む。反省してくれているのは驚きだが、素直に嬉しかった。
 玲奈はバツが悪そうに「ん」と頷くと、その刹那ハッとしたような声を上げた。
「母さん! 焦げ臭い!」
 その呼びかけに、母さんは慌てた様子でキッチンに向かう。
「あらら。ホットケーキすごい真っ黒になっちゃった」
 母さんは笑う。父さんも「おいおい」と呆れつつも笑っていた。
 食卓に運ばれた真っ黒のホットケーキに、玲奈が嘲笑を浴びせる。
「…………」
 やっぱり。おかしかった。
「成瀬? どうかした?」
「……あ、いや。なんでも、ない」
 匂わない。
 なにも匂わない。
 これは、気のせいじゃない。
 僕の体は昨日を境に、嗅覚を失っている。

 親には『少し散歩』と言って家を出た。
 昨日の強盗を撃った場所を確認するために、だ。
 場所はせいぜいここから二分程度歩いたところだろう。
 しかし、やはりというべきかどこにも争った形跡は存在しない。
 地面に流れたはずの血液も綺麗に拭き取られたようだった。
「…………」
 一体、誰にだ。
 可能性があるとすればやはり警察だろうか。
 強盗は銃弾で撃ち抜かれたのだ。そのような事件がこの町であったことを知れば、少なくとも住民は困惑と恐怖をする。だから、逮捕されたということにし、現在は秘密裏に銃を打った事件の真犯人を探している──いや、それにしても不自然だ。結局、何も分からない。
 僕は一旦家に帰ろうと踵を返す。それとほぼ同時にスマホが鳴った。
 ──プルルルル。
 すかさずスマホ取り出せば、非通知設定からの電話だった。
「はい、もしもし。佐々木です」
 道の脇に体を運び、小声で応答する。
 電話をかけた人物は、大方予想通りだった。
 そう。僕は昨日、彼女に携帯電話を教えていたのだ。
『あ、おはよう。成瀬くん。桜庭です。桜庭霧子』
「うん。おはよう。どうしたの、朝から」
『あーいや、今日成瀬くんは暇かなって思ってさ』
「暇だったら。なんなの」
 僕はつい強い口調で答える。
 だって今の霧子さんは、少しも信用に足らなかったから。
 僕がこんな体になったのも、きっと霧子さんが影響しているに違いない。
 裏山で僕を助けたのも、僕の体を改造するためだったのだ。
『色々話したいことがあるの。だからさ、私とデートしない?』
「……話したいことがあるなら電話で聞くよ。僕の体のことでしょ?」
 遠回りはしたくなかった。というより不安だったのだ。
 だから早く、僕の体についてアンサーが欲しかった。
『それは……』
 霧子さんは押し黙る。
 彼女の暗い表情が安易に想像ついた。
 言いたくないということはよく分かる。
 だけど僕の体をこんな風にされたのは、僕だって許せなかった。
 それになにか深い事情があるのだとしても、僕の体に埋め込まれた銃のことを考えると、それはまるで僕を兵器に改造してしまったかのように思えてならないから。
『お願い。会って話したいの。その方が、伝えやすいから』
 彼女は食い下がる。
 もう二度と会うことはない、と思ったがすぐに会う用事ができてしまった。
 僕だって、事情を知りたい。どうしてこうなったのか、この体はなんなのか。
 彼女が直接でしかそれを話せないのなら、会う以外に選択肢はなかった。
「……わかった。だけど、話を聞いたら、僕はもう霧子さんとは関わらない」
 これがきっと、僕にとって一番安全だからだ。
『ありがとう。それじゃあ、後でね』
 プツッと、電話は唐突に終了された。
 後でね、とは言われたものの一体いつになるのだろう。
 そういえば待ち合わせ場所も決めていない。
 かけ直した方がいいだろうかと思ったが、どうやらそれは無用な心配だったらしい。
「成瀬くん」
「──って、うわ!」
 不意にかけられた声に振り返れば、霧子さんがそこにいた。
 彼女の姿を見れば『どうしてここが?』という言葉が、すぐに出てこなかった。
 清楚な印象を与える白のブラウスに、ベージュのロングスカート。軽く巻かれたふんわりとした髪の毛。……どうやら、デートを断られるという発想はなかったらしい。
 なんというか、二重の意味でドキッとしてしまう。
 だが今はそんなことよりも──。
「なんでここが?」
「成瀬くんの家に行こうとしたら、たまたま見つかって」
「……なるほど? ……なる、ほど」
「信用してないでしょ? とりあえずいこっか」
「どこに?」
「遊園地、かな」
 僕は思わず「え?」と声を漏らした。
 なぜなら、一番近場の遊園地でも県を跨ぐ移動をしなければならない。
 冗談かと思ったが、彼女の真剣な顔を見るにどうやら本気らしい。
「じゃあ……とりあえず準備してくるよ」
 あと。冷静に考えて、女の子とのデートなんて生まれて初めてかも知れなかった。

 ニートになるような男にファッションセンスを求めてはいけない。
 ということで、僕は白のTシャツに黒のボトムスという無難な格好を選択した。
 あとニートになるような男に、髪をセットすることを求めてはいけない。
 だが、一応マナーはあるので、軽くシャワーだけは浴びておいた。
「それじゃあ……えっと、友達と出かけてくる。夜には戻るよ」
 そう言う僕を、母さんは少し不安そうに見送ってくれた。
 家を出れば、家の前に車が待機していた。
 運転手は昨日と同じ黒服の男性で、僕と霧子さんは後部座席で肩を並べる。
 今から数時間、車で移動することを考えると憂鬱な気持ちになったが、仕方ない。
 これも僕の体についてを知るためだ。
 早速僕は「何が、起こってるの? 僕の体に」と問うたのだが、彼女は「遊園地に着いたらね」とバツが悪そうに返すので、結局この車内でも重要なことは聞けそうになかった。
 車内に沈黙が訪れて、僕は自然と窓の外を見る。すでに高速に入っていた。
「…………」
 日南に隕石が落ちたというのに、周りの景色はいつも通りだった。
 太陽は燦々と輝いて、雲は空をたゆたう。高速道路は相変わらず車の出入りが多いし、道路脇には覆面パトカーが停まっていた。いつも通りの平和な景色に、隕石が落ちてもこうであるならば、この風景は何が起きたら変わってしまうのか気になるくらいだった。
 それでもスマホを開けば、日南市の凄惨な光景が目に飛び込んでくる。
 街の真ん中にはクレーターがぽっかりと作られて、そのクレーターの何百倍もの被害が周りに及んでいた。那覇との比較画像が出ていたが、どちら共々に酷い光景である。
「はぁ…………」
 思わず溜息が漏れて、霧子さんの顔が視界の端で僕を向いた。
「成瀬くん、どうかした?」
「あぁいや。隕石のニュースを見てて。こんなことが現実に起こるんだ、って」
「そう、だよね。専門家でも今回の隕石は予測できなかったみたいだし……」
 苦笑する霧子さんの顔には、どこか申し訳なさが滲んでいた。僕はその彼女が見せた反応に若干違和感を覚えたが「そうなんだ」と答えると、車内にはまた沈黙が訪れた。
 結局、以降まともな会話が起こることもなく、というか社会不適合者兼ニートの僕に人とのコミュニケーションなんて長く続けられるわけもなく、三時間ほどを経て目的地に辿り着いた。時刻はすでに正午過ぎを回っている。
「さ、着いたね」
 僕たちは車を降りる。
 二人並んで遊園地のゲートをくぐってから、霧子さんは「さて」と手をパンと鳴らした。
「なにから遊ぼっか?」
「え? 話をするんじゃなくて?」
「そうだけど。私、デートって言ったよね?」
 霧子さんは蠱惑的な笑みを浮かべる。
「話は遊んだ後で。せっかくこんな遠いところまで来たんだからさ」
 そんな訳で、僕と霧子さんは遊園地デートをすることになったのである。


 ニートになるような男が女性とデートしたことがあるわけがない──というのは言い過ぎにしろ、少なくとも僕にとってこれは人生初のデートになる。意識してみると遊園地に女性と二人きり、という状況はすごく照れ臭いし、しかも相手は初恋の霧子さんだ。初恋をこんな歳まで引きずっているわけではないけど、やはり緊張するものは緊張するし、恥ずかしいものは恥ずかしい。要するに、僕に霧子さんのデート相手が務まるのだろうか、ということだ。当の霧子さんは現在、園内マップを見ながら唸り声を上げていた。
「最初は、うーん。ジェットコースターかな。最後は観覧車って決めてるから」
「そっか」
「ね、成瀬くんはどこに行きたい?」
「え。っと。お昼だし、霧子さんはお腹空いてない?」
「……むしろ成瀬くんは、お腹空いたの?」
 そう問われて僕は気付いた。
 食欲が全然ない。思えば、便意も尿意も。
「いや……全然」
 これは、おかしいのだろうか。
 だがまぁ、今は気にしても仕方がない。
「そっか。……よし。はいじゃあ、どこ行くか決めて」
「なら、無難にジェットコースターかな」
「おっけー。じゃあ早速、今日は楽しもうね、成瀬くん」
 ということで僕たちはジェットコースターに向かった。
 思えば遊園地は、亡くなった家族と一緒に行ったのが最後だったけど、こんな暗いこと今は考えるべきではないだろう。僕は頭を振って霧子さんとのデートに集中した。
 ぶっちゃけジェットコースターは人生で初めてだったので、実は少しドキドキしていた。だが乗ってみると最初は怖かったが徐々に楽しさを増していった。隣の霧子さんも声を上げて楽しんでいるのが、なんというかとても可愛らしかった。
「たのしいね、成瀬くん。よし、次はお化け屋敷ね」
 デートの主導権は完全に霧子さんが握っていた。むしろありがたい。
 緊張の糸はいつの間にかほぐれて、僕は素直にこのデートを楽しむことができた。
 お化け屋敷の次はゴーカート。その次はコーヒーカップ。次は、空中ブランコ。
 ニートのせいか体は大分疲れを覚えたが、だけどそれ以上に楽しかった。
 夕方になる頃、彼女が最初に言っていた通り、観覧車へと歩みを向けた。
「はあ、もう夕方だね。……もうすぐか」
 観覧車の列に並びながら、霧子さんはどこか悲しげに告げ、軽く伸びをした。彼女が伸ばした手を下ろした時、僕の手と触れ合ってしまう。僕は「ご、ごめん」と、ラブコメディよろしくつい引っ込めてしまった。だが、対する彼女は僕の手が触れたことなんて気にしてないように「どうしたの?」と首を傾げた。
「あ、いや。手が当たったから」
「あー、うん。別に気にしないでいいよ? デートなんだから」
 彼女はそう言うと、僕の手をぎゅっと握った。
 大胆なその行動に、同時に心臓も握られるようだった。
 汗ばむ手に申し訳なく感じたが、僕は握られた手を離さなかった。
 なんとなく、良い雰囲気だ。デート経験がなくても、それは理解できた。
 回ってきた観覧車に入る時、僕は今日のデートの目的をすっかり忘れてしまっていた。
 繋いだ手は離して、僕たちは向かい合って座る。沈みかけの夕日が眩しかった。
「ねぇ成瀬くん」
 彼女は僕の顔を真剣に見つめていた。
 なにを言われるのだろう。もしかして──なんて謎の期待をしたところで、僕は今日のデートの目的を思い出し、浮かれた自分が馬鹿みたいで少し冷静になる。
 どうしたの、そう聞き返すと、彼女はゆっくりと口を開けた。
「……もし明日、世界が滅びるとしたら、どうする?」
 僕はその問いに、ドキリと心臓を鳴らした。
 彼女の問いは、十年前、彼女が僕にした問いと同じだったのだ。
 あろうことか翌日『七・一九』が襲ったが、あれはやっぱり偶然……だよな?
 でも、未来予知でもしていないと、あんなピンポイントな質問をできないよなとも思う。
「……どうする、のかな」
 僕はこの問いに十年前、なんと答えたのだろう。パッと思い出せない。
 それに今の僕には、すぐに答えを出せそうになかった。
「答えられないなら、大丈夫」
 霧子さんは少し残念そうに頷いたが、すぐに「それより」と話題を変えた。
「隕石って、日本に二つも落ちたよね」
「あ、うん。宮崎と沖縄、だよね」
「そう。だけど、隕石が落ちたのって、日本だけじゃないの。知ってた?」
 僕が「え?」と間抜けた声を出すと、彼女はスマホを僕に突き出した。
 どうやらネットニュースらしいが、僕はその見出しを見るなり「えぇ?」と先より一層間の抜けた声を上げる。それはアメリカに隕石が落ちたというニュースだった。しかも関連ニュースを見れば、アメリカだけじゃないことに気付く。近いところだと、朝鮮、中国にベトナム。離れたところとなると、インド、イタリア、オセアニアの島国等々、多岐に渡っている。そしてそれらは当然だが、この四日間で地球に降り注いでいるのだと。
「明日──ではないけど、もうすぐ世界は滅びるの。私は、知っているの」
 こんな不可解な隕石群の連続は、到底普通とは言い難い。
 もうすぐ世界が滅びる、というのもそうなのかもしれない。
 それ以上に、彼女は今『知っている』と言った。
 やはり、彼女は──。
「ねぇ──」
 一呼吸を置いてから。ずっと、小学生の頃から腹の底に抱えていた疑問を、僕はようやく吐き出した。
「もしかして、霧子さんは未来を知っているの?」
 常識を逸した問いなのは分かっている。
 だけど僕にはそうとしか思えなかった。
「────っ」
 霧子さんは虚をつかれたように目を丸くした。
 それから「あははー」と、愛想笑いに似た笑みを浮かべる。
 自分に何かを言い聞かせるように一つ強く頷いて、笑顔のまま僕に告げた。
「そう。私は未来が見えるの。といっても、漠然としたものしか見えないんだ」
 彼女の言葉は、やはり現実味を帯びていなかった。
 だけど不思議と腑に落ちる。多分十年前の彼女のことがあるからだろう。
「でもね。だから知っていたんだ。『七・一九』が日本を襲うことも。隕石群が地球に衝突することも。もうすぐ世界が滅んじゃうことも。成瀬くんとデートすることも。そして私が、世界を救うために兵器に改造されてしまうのも、全部。ぜんぶ。ぜーんぶ」
 ────。
 僕は言葉を失った。
 その時、ふと奥の空に、何かが飛んでいるのが目に入った。
 いくつも、いくつも、黒い塊が、向こうの空を覆っている。
 あれはなんだろう。そう思う暇もなく、黒い塊の腹から、なにかが産み落とされた。
 その何かが地面に到達したように見えた途端、眩い光と共に炸裂する
 数秒遅れで到達した轟音に、僕は思わず耳を塞いだ。
 観覧車の中なのに、阿鼻叫喚があちこちから聞こえてきていた。
 これは恐らくというまでもなく、空襲だった。
「世界戦争が始まるの」
 彼女は言った。
「成瀬くんも、もう兵器の体なんだ」
 そして、涙を流した。
「だけど、成瀬くんをそうしたのは私の意思じゃない。私の意思じゃないの。私の身体が貴方を迎えにきたかもしれないけど。あれは、あれは……ほんとに、私じゃないの……」
 ぐちゃぐちゃになった顔面を隠すように彼女の両手が顔を覆う。
「私だって、こんなの嫌なんだよぉ……!」
 彼女の感情が剥き出しになるのを、僕は初めて見たかもしれない。
 流れた涙が喉奥に突っかかったか、まともに泣き声すら出せていなかった。
 観覧車は、もうすぐ終わる。奥の夕日は、いつの間にか体を半分隠していた。
 僕は霧子さんの手を握っていた。観覧車が終わるまでずっと、強く、強く。

 空襲は僕らのところまで来なかった。
 僕らは遊園地を出て、迎えの車に乗って帰宅した。
 高速道路はすごい人混みだった。多分これは普通の光景ではないのだろう。
 霧子さんは泣き疲れたのか、車に入るなりすぐに穏やかな寝息を立てていた。
「…………」
 彼女はこの空襲も知っていたのだ。
 だから、デート先を遊園地に指定したのだろう。
 スマホを開けば、至る所で空襲のニュースが目に入った。
 だが、なぜ日本が襲われたのか。どこの国の戦闘機なのか。重要な情報は何一つとして手に入らなかった。手に入った情報は、空襲があった熊本の街並みのみ。画面は夜の暗闇で見えづらいというのに、広がる凄惨な光景は簡単に理解することができた。
 世界は終わりを迎えるということを、僕はやっと悟った。
「…………」
 だが、その終焉を止めるべく、霧子さんは兵器の体になった。そして僕も。
 分からない。二十歳じゃないと兵器の体にすることができないという設定でもあるのだろうか。漫画じゃあるまいし、そんな訳が無い。それに霧子さんが世界が滅びる未来を見ているとして、その未来を変えることなんて出来るのだろうか。
 分からないことがあまりにも多すぎる。
 だけど、分かったことも存在した。
 嗅覚が消えたこと。食欲が消えたこと。便意・尿意が消えたこと。
 それは全て、気のせいではなかったということ。
 でも。僕はこの事実に気付いても、割と冷静でいることができた。
 ニートだから、世界のために貢献できるならそれもいいのかもしれない。
 そんなことを思ってしまうほどに。
 冷静だった。
 きっと、冷静だったはずだ。

 僕の家に到着する寸前に霧子さんを目を覚ました。
 彼女の目は腫れていて今日はもう解散だろうかと思ったが「もう少し、話がしたい」と言うので僕の家に上げることにした。結局帰り着いたのは夜の九時半頃。親に「友達を上げる」と連絡を入れ、玄関のドアを開ける。と、その瞬間ちょうどリビングから出てきた玲奈と目があった。
「あ……兄ちゃん。おかえり──って」
 玲奈はどこか疲れた表情をしており、僕と霧子さんに交互に視線を行き来させると、無関心そうに「へぇ」と呟いた。
「兄ちゃん……彼女いたんだ」
「いや違う。小学校の頃の同級生。少し上げるだけだから」
 僕の言葉に続き、霧子さんは「こんばんは」と愛想よく頭を下げた。
「あ……こんばんは。あの……すごい、美人さんですね」
「え? 優しいね、ありがと。それより成瀬くん。こんな可愛い妹さんいたんだね」
 僕は玲奈の容姿を見ながら「まぁ」と頷くと、玲奈は軽く僕を睨んだ。そのまま霧子さんに視線を移しにこりと微笑んでから、玲奈は踵を返し自身の部屋へ戻っていった。その足取りはどこか重々しくて、先の暗い表情といい玲奈の様子はいつもと違うように感じる。
 そう。いつもであれば「は? 兄ちゃんに彼女? あの。彼女さん、この人ニートだからあまりおすすめできませんよ。二十歳にもなって親のスネしゃぶるような人ですし。あ、もし脅されて付き合わされるとかなら、私から叱っとくので遠慮なく言ってください」くらいは言い残しそうなものなのだ。だが玲奈は今日は僕に何も口出しはしなかった。
 あ、たしか今日は日曜にも関わらず臨時登校だと言っていたっけな。
 まぁ日曜に学校に行かされたら、こんな疲れた表情にもなるだろう。
「あ、どうぞ、上がって霧子さん。僕の部屋二階だから」
 僕は霧子さんを家に上がらせると、そのままリビングに顔を出した。「連絡した通り、ちょっと友達とお話しするから」と両親に告げると母さんは嬉しそうに「おかえり」と返して、父さんが「晩御飯どうする?」と問うた。その問いに、僕は食事をすることができるのか疑問に思ったが、とりあえず「あとでいただくね」と言い残し、霧子さんと部屋に向かった。
「適当に座ってよ」
 幸い部屋は綺麗にしていたので僕は安心して霧子さんを部屋に招待することができた。といっても僕の部屋は、デスクには自作PC、棚には様々なフィギュア・アニソンのCDというザ・オタクな趣味趣向丸出しの部屋なので、少し気まずくはあるが仕方がない。
 霧子さんはカーペットに腰を下ろして、僕も近くにしゃがみ込んだ。
「……ごめんね。急に、もう少し話がしたい、なんて」
「あ、いや。僕も、まだまだ気になることがあったから、大丈夫」
「うん。やっぱり成瀬くんには、話しておかないとって、そう思ったから」
 僕がゆっくり頷くと、彼女は一つの呼吸を挟んでから、自身のこれまでについてをゆっくりと話し始めた。俯きがちの彼女からは、あまりこの話をしたくなかったことが伺えた。

 予知夢って分かる?
 そう、夢に未来が映るっていう。多分、最初に予知夢を見たのが小学一年生の頃。だけど最初は夢で見たことが現実に起こっても、ただの正夢としか思わなかったんだ。
 でも、正夢は一回で終わらなかった。何回も、何十回もそれをは続いたの。
 私は予知夢を見ているんだ、と思った。理由は、分からないけど。
 だけど予知夢って言っても、なんでもかんでも見れるわけじゃないんだ。予知夢は私がこの目で見た未来を映し出している、だからこの目で見ていないことは予知できない。
 それで、予知夢を見続けている中で、変わらず見続けた夢がいくつもあったの。
 重要なのを絞るとね──。
 一つ目は『七・一九』。
 二つ目は『隕石群の落下』。
 三つ目は『第三次世界大戦の始まり』。
 小学生の頃の私は純粋な子だったから、両親に『予知夢が見える』って伝えちゃったんだ。そして母さんと父さんは私に聞いた。「最近はどんな夢を見たの?」って。それで私は全部、伝えてしまったの。地震のことも、隕石群のことも、世界大戦のことも。
 成瀬くんも私の両親は知ってるんだよね? うん、そう、自衛隊の両親。自衛隊の中でもかなり偉い人たちでさ、それでもちろん、超大型地震が日本を襲ったよね?
 だから私の力が本物だって、両親に利用されることになったんだ。
 私がすぐに小学校を転校したのは、そういう理由。それからはまともに学校に通わせてもらえることも無くなった。ほんっとに酷い両親だよね。……はぁ。
 んーん、ごめん。湿っぽい空気にしちゃったね。
 話を戻すと、私の力を利用して、両親は兵器の開発を始めたんだ。
 うん。来たる第三次世界大戦で、日本が負けないための兵器をね。
 兵器のアイデアはたくさんあって今でも色々なものが制作されている。そのうちの一つが『人間兵器』。もちろん分かるよね。で、兵器のサンプルにされたのが私。
 え? 昨日見た、施設にあった機械?
 あれは──そう。兵器に関わるシステムなの。『会者定離システム』って名前。
 うん。よく知ってるね。『会う者は必ず別れる定めにある』って意味の仏教の言葉。
 両親、仏教の人だから。ってこの際、意味はどうでもよくて、大事なのはシステムの概要。
 会者定離システムは、兵器を埋め込まれた人物を催眠することができるシステム。
 だから私は度々催眠されているの、その状態で私が見た未来を、全て両親に語っている。
 つまり、両親に隠し事は不可能。それが成瀬くんが兵器にされた理由に関係している。
 ……うん。私、成瀬くんの夢を見たの。
 ──兵器になった成瀬くんと二人で、一緒に笑っている。そんな夢を。
 だから両親は、成瀬くんが重要人物と踏んで、成瀬くん私の体を使って回収しにいったの。成瀬くんの改造は三日ほどで終わって、意識を取り戻すまで昨日の施設で眠らされた。
 ……あ、うん。その後、強盗を射殺したことだよね。
 分かってる。だけど気にしないで、あれは成瀬くんがやったことじゃない。
 兵器の体はそもそも自分では操れないの。会者定離システムで操作されるか、それこそ昨日の成瀬くんみたいに自分の体が危機に陥った状態の時にしか作動しない。
 だから気にしないで。成瀬くんは人殺しなんかじゃない。
 全部、未来が見える私と、両親が悪い。
 本当に、気にしないで。
 …………。
 だけど、これからも私は新しい夢を見ると思う。
 その度に、成瀬くんには迷惑をかけてしまうんじゃないかな。
 本当に、ごめんなさい。ほんとに……ごめんなさい。
 無関係の成瀬くんを巻き込んじゃうなんて。
 なんで……こうなっちゃったかなぁ……。

 霧子さんは泣いていた。
 地面に頭を突っ伏して、体を震わせる。
 数拍間を空けて、僕はようやく口を開いた。
「……驚いたけど。いいよ。……僕がいることで、世界は守られるんでしょ? 僕がいれば未来で霧子さんと一緒に笑うことができるんでしょ? むしろ嬉しいよ。僕はニートだし、何もすることがなかったから、何かに貢献できるなら、僕も社会から救われる気がする」
 僕は精一杯に笑ってみせた。
「……っ。……やさしいね。成瀬くん」
 彼女は顔を伏せたまま、震える声で僕に感謝した。
 ありがとう、ごめんなさい。しばらくそれを繰り返して。
「大丈夫。……大丈夫。僕は、ほんとに大丈夫だから」
 そう言う僕の心はとっ散らかったままだった。
 霧子さんが未来を知っている、というのは受け入れるとして、僕の体が兵器になったということは、霧子さんと同じく『会者定離システム』とやらに操られる可能性がある、ということだ。もしかしたら僕また、あの強盗と同じように人を殺すことになるかもしれない。
 いや。兵器なのだから、少なくとも人の命を奪う存在なのは間違いないのだ。
 正直、怖い。怖くないわけがない。
 僕の体はもう人間のソレではない。
 せっかく、僕の両親が育ててくれた体なのに。
 無許可でこうした霧子さんの両親に怒りすら覚えてしまう。
 だけど、ここでその怒りを彼女にぶつけるわけにはいかない。
 そうなってしまったのは、そうなってしまったのだから。
 過ぎ去ったことがどうにもならないということ、僕はよく知っている。
 十年前、僕は学んだ。未来を見るしか、今を変える方法はないということ。
 だから今の僕にできるのは、責任を感じた霧子さんの心を少しでも軽くすることだけ。
「……大丈夫だよ。霧子さん」
 大丈夫だ。きっと、大丈夫。
 どうにかなる。結局これまでどうにかなってきた。
 大丈夫。大丈夫。大丈夫。僕はきっと、大丈夫。
 自分に言い聞かせるように僕は、霧子さんを慰め続けた。
 やがて数分が経った頃、彼女の泣き声がピタと止まった。
「霧子さん?」
 不思議に思って声をかけると、彼女は不意にムクリと起き上がる。
「お邪魔しました」
 機械のように丁寧なお辞儀を僕に与えると、そそくさと部屋を後にしてしまう。
 突然すぎる彼女の行動に僕は固まってしまった。
「ま、まって!」
 ハッとして追いかけたが、彼女はすでにいなかった。
 玄関を開けて、周りを確認しても、彼女の姿は見つからない。
 電話をかけても、メッセージを飛ばしても、返信は来なかった。
「…………」
 僕はすぐに理解した。
 彼女は、両親に連れ戻されてしまったのだ。
 兵器の体を、会者定離システムに操られて。
「…………」
 まだ僕は怯えている。
 それでも、比較的冷静な方だとは感じていた。
 これまでの僕であれば、霧子さんの話なんて多分ほとんど信じなくて、兵器になった自分自身を畏怖して何もできないまま残りの人生を過ごしそうである。自分で言うのもなんだけど、僕は臆病なのだ。だからバイトも応募できなくて、ニートをこれまで貫いてきた。
 なのに、今の僕はどこか違う。

 真実に怯えながらも、僕の心は壊れていなかった。
 いや……もしかすると、逆なのかもしれない。
 心を失いつつあるから、僕は比較的冷静でいられたのだろうか、と。
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