ハッピーエンドをつかまえて!

沢谷 暖日

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神世界より

ミリアのプロローグ

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『眠りの歌を、歌いましょう。ミリア』

 おやすみ。おやすみ。

 今日に不満があったとしても。

 次は、しあわせだから。

 しあわせが、あなたを待っているから。

 だから。今日はおやすみなさい。

 また明日。

 また明日。

 おやすみ。おやすみ。


 ────────。


 夢の中で、声を聞いた。
 この歌は。母さんが、私が眠れない時によく歌ってくれていた歌。
 母さんのその声は。とても近くて、懐かしくて。
 けど。なんで今更、母さんの声が夢に出てくるんだろう。
 母さんは、もうこの世にいないというのに。
 本当に。なんで。……なんで。
 …………なんで。


      ※


 夢だった。

 気付き、私の目に光が刺していることを不意に意識した。

 ──眩しい。

 思い。
 ゆっくりと瞼を開く。
 光の出処は木漏れ日で、私は無意識的に右手で目に影を作った。

 キラキラとした朝の光。
 それを眺めていると、私の頭が段々と覚醒してゆく実感をした。

 思考を回す。
 今現在の状況を確認するために。

 目に入るのは、木々。
 その葉をぼんやりと観察すると、まだ朝露に濡れていることが分かった。

 そこから目線を少し逸らす。
 と、私の横には小さな女神像。
 それが静かに立っていた。

 さらに私の足元に視線を移す。
 そこには、ベリーがたっぷり詰まったカゴがあり。

 耳に侵入してきていたのは小鳥たちのソプラノ。

 あぁ。そうだった。と、それらの点が線になった。

 私。熟れ頃のベリーをいっぱい採集しに来たはずだったんだ。
 結構森の奥まで来ちゃって。その時に偶然この女神像を見つけて。
 苔むしてたし、持って来たハンカチで綺麗にしてあげたんだっけ。
 ついでに、おやつに持って来たリンゴを添えてあげて。
 せっかくだから『私たち家族が幸せになれますように』って、この身元不明のどこの宗教の物かも分からない女神像にお願いをして。
 ……そしたら、いつの間にか眠っていた、と。

 んー。私、バカだな。
 大木にもたれかかって、地べたにお尻をつけながら。
 はしたなっ。めっちゃはしたなっ。
 それに、魔物とかに襲われたら取り返しがつかない。
 ……まぁ。こんなとこに魔物は滅多に湧かないし、別にいいんだけど。

 私はゆっくりと立ち上がり、無意識にお尻に触れてみた。
 着衣していたシルクのワンピースは少し汚れている。
 ……これは洗濯が面倒くさそう。

 私はポケットから、母さんの形見である懐中時計を取り出し今の時刻を確認。
 八時半くらい……かな?
 家を出たのが七時だから。
 採集の時間を含めると、そんな経ってない?
 ……けど。随分と長い夢を見ていたような気もする。
 母さんの声が、とても近くから聞こえていた。そんな夢。

「この女神像の力が働いた……とかだったりして」

 呟いてから「そんなわけないか」と直ぐに首を横に振った。
 母さんの声を聞かせてくれる女神像って、なんだそりゃって感じ。
 こんな夢を見たって、ノスタルジックな想いに涙腺が緩まされるだけだし。

「……帰ろうかな。変に疲れちゃったし」

 また呟く。

「…………」

 急にその独り言が恥ずかしい。
 誰にも聞かれていない筈なのに、キョロキョロ回りを確認しながら、カゴを持って自分の家の方角へとせかせか歩き出した。

 やっぱり私。独り言が増えたな。
 最近は、家にいる時はずっと一人ぼっちだし。
 父さんなんか、母さんがこの世を去ってからずっと篭りっきりだし。
 家事とか全部、私に押し付けちゃって。
 押し付けられたというか、父さんが何もやらないだけだけど。
 母さんがいたら、私にこんなに負担がかかることなんてないのにな。

 そう愚痴を心で吐きながら、ふと思った。
 ……もうすぐ、母さんの命日か。と。

 正確に言うと二日後。明後日。
 その日には、ちゃんと父さんとお墓参りに行けたらな。って。
 そういう思いもあり、先は女神像に願ったのだ。
 ついでに『魔法が使えるようになりますように』って願えば良かったけど。
 二つも願うのは強欲だなーって、結局しなかった。私、偉い。

 ……いや。願えば良かったかも。私、偉くない。
 私はもうすぐで十五歳。
 そのくらいの歳の子は、簡単な魔法を使える子も多い。
 私、『魔術の書』を熟読して、それを実践してるはずなのに。
 なんでか一向に身に付かない。身につく気配すらしない。
 私のやり方が悪いのか。素質が無いのか。
 確か、父さんはかなり魔法を極めていると聞いたことがある。
 かなり昔に、母さんから聞いたことだけど。
 魔法に遺伝が関係するとするならば、私にも使えるはずなのにな。

 なんて考えていると、いつの間にか森を抜けていた。
 朝日が、木々の介入なく、容赦なく肌に触れてくる。
 夏の日差しは暑いけれど、どこか爽やかな感じがあって私は好きだ。

 目の前に広がるのは、青々とした草原。
 見てるだけで心が浄化されるくらいの綺麗な眺め。
 なんだか、見ていると不思議な思いに突き飛ばされるようで。
 ふと、こんなことを考えてしまう。

「……なんか今ならできる気がする」

 魔法が。と、そのようなことを。

 こんな気持ちの良い天気だ。
 私の中の魔力的な何かが活性化するに違いない。
 ……違いない。

 私は。根拠が皆無の自信を持ちながらも、本に書いていた内容を思い出す。
 一番難易度が低いらしいのは、風の魔法。
 自分の中の血液の流れを意識し、それを魔力を放出する一点に。だったかな。
 なんか他にも書いていた気がしなくもないけど。

 私は、持っていたカゴを地面の上に置いた。

 利き手である右のてのひらを草原に向ける。
 風は凪いでいる。これなら結果が分かりやすい。
 体内に流れる血液の循環。それを意識する。
 その流れを、私の掌へと集めるイメージで。

「いけーっ!」

 叫び、その掌に溜まった力を放出した──!

 …………。

 が。分かりきったことに、草はピクリとも動かない。
 知ってた。知ってたとも。いつもこれ。どんなに頑張ってもこれ。
 本当に才能がないんだと思い始めてる。
 そもそも『いけーっ!』っていう掛け声が不恰好。自分で言うのもだけど。
 仮に今、風の魔法がかなりの低威力で放たれていたのだとしても、これなら鶏の羽ばたきの方が何百倍も高威力だろう。

「……はぁ」

 分かりきったことなのに、こう現実として突きつけられると辛いものがある。
 まぁ。人より魔法を使えるようになるのが遅いだけかな、と。
 何回目になるか分からない言い聞かせをしてみる。

 カゴを持ち上げて、街の正門まで向かう。
 剣や斧を担いだ見慣れた面々とすれ違いながらも、私は街の門へと辿り着く。
 門番のお姉さんにペコリと一礼し、それをくぐった。

 舗装された石の道を歩く。

 朝の散歩をするおばあちゃん。はしゃぐ子供達。
 井戸端会議を楽しそうにするいつものメンバー。
 道中で映るのは、そんないつもの街の風景。
 けど、ちょっと違うかな。
 明後日のお祭りのために、色んな飾り付けがあちこちにされてるから。

 相変わらず、朝からこの街は元気だなー。
 後で暇ができたら、子供達の鬼ごっこに混ぜてもらおうかな。
 そのためには、洗濯とか掃除とかの家事諸々を済ませてからで。

 あ。
 ベリーでジャムを作って、それをおすそ分けして回るのもいいかも。
 以前、ワッフルを焼いて配った時も、いっぱい喜ばれたし。
 よし! そうしよう。

 ──今日も良い一日になるといいな。

 なんて思っていると、もう直ぐ家に着く頃だった。
 そこそこ大きいその家の、門の前まで辿り着く。
 それを開き。敷地内に足を踏み入れ──。
 ようとしたが、私は思わず足を止めた。

「え……」

 数メートル先のドアの前で私のことを見つめる女の子がいて。
 あまりにもその姿が美麗で、私は一瞬だけ息を詰まらせてしまった。
 ゴクリと、生唾を飲む。

 何も向こうが口を開かないので、私は彼女に歩み寄った。
 けれど、彼女は微動だにしない。
 それなのに。微かに潤んだような赤い瞳。それが私をしっかりと捉えている。
 まるで縛りつけるようなその視線。
 それを振り払い、私は締め切っていた口をゆっくりと開く。

「えっと。……誰、ですか?」

 少なくとも、私はこの人のことを知らない。
 多分、私と同年代くらいだと思う。
 けど。ロングのスカートといい、整えられた茶色のボブといい。
 どこか身だしなみというか、雰囲気が。大人な感じの人だなと思った。

 問うたはいいが、彼女は未だ私を見つめている。
 逸らしたくなるほど、真っ直ぐに。
 その目が、一つ瞬きをした。
 刹那、彼女の潤んだ目から一筋の涙が零れ落ち、それが頬を伝った。
 なのに未だに、彼女は私から目を離そうとしない。

「えっと、大丈夫? ですか?」

 流石に心配なので声を飛ばす。
 その涙に気付いたらしい彼女は、さらけ出された白い腕で目元を拭った。
 腕に目を伏せながら『大丈夫、です』と囁くように答えてくれた。
 思ったよりも、その声は華奢だった。でも、震えた声。
 彼女は腕を下ろして、また私を見た。今度は口も震えていた。
 その口が、ゆっくりと開かれていくのを確認した。

「わ……私は、リリィ。……ミリア。私のこと、覚えてない……?」

 言われて。
 私の頭に浮かぶのは、疑問符のみだった。
 リリィは彼女の名前だと思う。けど。
 ……なんで私の名前を?
 私、彼女のこと知らないのに。
 リリィという名前を遡ってみても、私の人生にその名前は存在していない。

「……そんなこと言われても。……そもそも、知らない。かな」

 思ったままを伝えてみる。
 彼女は、どこか観念したかのように一つ溜息を吐いた。
 同時に溢れた涙が、再び彼女の頬を濡らして、またそれを拭き取った。
 私は、訳も分からなく、ただそれを眺めているだけ。
 眺めるというのはおかしい表現だけれど、一挙一動が美しすぎたから。
 合わさった唇を開く、その動作さえも。

「…………分かった」

 彼女は、ぽそりと漏らす。
 『何が?』と聞く前に、彼女は言葉を続けた。

「あと三日。明後日の、太陽が沈むまでに」

 一つ、二つと、静かに息を吸う音。
 続く声も、かなり細かった。
 けれど。

「私のこと、好きになって」

 重厚だった。
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