完全犯罪

みかげなち

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7・思案

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 青葉の頭の中はまた考えでいっぱいになってなにをどこから整理したらいいのかわからないくらい情報で溢れて収拾がつかなかったが、いったん考えることをやめた。放棄したのではなくて、旭の言うように熱があるのか、頭痛と相まって考えようとしてもどうにもならない。意識がぼんやりとして、握った手がひんやりしていることだけ気持ちよくて、場所を確認できるようで安心した。一睡もしていないせいか、そのまま少しだけ眠りに落ちた。

 どれだけ眠ったのかはわからなかったが目が覚めたらまだ窓の外は明るくて、右手の先に温もりがあって、蒼葉はほっとした。眠ったからか頭痛も楽になって、頭が完全に混乱から抜け出したわけではないがすっきりしている。横を向いたら点滴の道具が片付けられていた。少なくとも一時間以上は眠ったのだろう。
 両手が自由なことを不自然に感じながら、蒼葉は旭の手を握ったまま片手をついて起き上がるとそのまま旭の上半身にもたれかかった。
「……なにも言わないの」
「言えることがないんだよ」
 起き上がってそのまま躰をもたれたから蒼葉には旭の顔が見えず、触れているのに背中合わせのようでちぐはぐだ。
 それでも、蒼葉はまだ旭を好きだと思う。拘束監禁されて最初から異常だった。毎日犯されたけれど、監禁されているのに犯されてるだけならまだましだと思っていた。蒼葉が女だったらその限りではないだろう。でも蒼葉は男だ。だから、屈辱を感じてもそれ以上恐れる危険はない。暴力を振るわれるわけでもない、食事も水も与えられる。排泄を管理されているわけでもない。衛生面も保たれている。
 外出する自由がない。拘束されている。毎晩犯されている。たったそれだけだった。
 そこまで考えて、ふと蒼葉はおかしくなった。自由を制限されて拘束されている。毎晩犯されている。十分な犯罪行為だ。けれど、それも知っていた。
 間に少しの会話があって、屈辱的なセックスが快感に変わった。相手を少しだけ知って、どこかに好意を抱く。蒼葉には当然としか思えない。躰の関係が先になる交際も知っている。どうしても蒼葉は自分の気持ちを一時的な錯覚とは思えない。いま、繋いでいる手が安心するから。
「なあ、旭。あんた、俺が元の生活に戻ってどれだけ経ったら錯覚じゃないって認める? 三年? 六年? 十年? それだけ経ってもあんたのこと好きなままだったら、今度は俺があんたを誘拐してもいい?」
 ふふ、と笑いながら蒼葉は冗談めかして言った。冗談みたいなものだった。けれど、どれだけ待てば蒼葉の気持ちが受け入れられるのかも知りたい。
「難しいこと言うね、蒼葉。ぼくは、日常的長期間にわたって蒼葉に暴行をしていない。いまのこの生活の中でだけ。例えば蒼葉がこのままぼくのところからいなくなって、ぼくと蒼葉の間になにも連絡手段がなくなったらぼくが蒼葉にセックスを強要することはできない。蒼葉はぼくとの接点をなくす。たった一か月やそこらの異常な生活はすぐに忘れる。毎日が忙しくて、忘れてしまう。少しの間だけ、喉に刺さった小骨のように気になるかもしれないけれど、現実に干渉してこない人間の存在は忘れるんだよ」
 旭は苦笑して淡々と返事をする。それは旭が知っている知識なのだろう。そして、旭が実際に経験した事実でもある。蒼葉は一度診察を受けたきりの研修医のことなど忘れていた。
「旭はそうなったら、どうするの。あんたも俺を忘れるの。俺があんたのことを覚えてなくても、接点がなくても三年も好きだって言ってたのに?」
 繋いだ手に力を込めて訊いた。顔が見えないから落ち着いて話せることもあるのかと、蒼葉はおかしなところでほっとしていた。顔を見ていたらきっとこんな風に静かには問いかけられない。
「ぼくは変わらないよ、きっと。三年以上、ずっとたった一度診察した、とても悔しそうなのに全部投げ出してなかったことにしようとした子のことを思ってた。その後、どうしたのか気になって忘れられなかった。だから、蒼葉のことを閉じ込めて、全部知りたくていろいろなことをした。今度は……きっと、もっと忘れない。声も、温度も、全部。もっと蒼葉を好きになったから」
「……ずるい……」
 自分のことだけは相変わらずなにも変えようとしない旭の言葉に蒼葉は悔しい思いで呟いた。
「大丈夫。蒼葉は忘れるよ」
 さらりと旭は簡単なことのように言う。とても簡単な算数か何かの問題のように。
「忘れらんなかったらどうすんの。俺がずっと旭を好きなままで、でも旭は俺を好きでも一緒にいる気はないんだろ」
「蒼葉がぼくを本当に好きになってくれたら、一緒にいたい。閉じ込めなくていい。なにも強要しない。一緒にいるだけでいい」
「旭。それ、めちゃくちゃだよ。だいたい、本当ってなに」
「なんだろうね」
 ぽつりと旭は呟く。
 それを旭も知らないのではないかと、蒼葉は思った。蒼葉だってそんなもの知らない。誰かを本気で好きになったことがない。その人のためだけになにか投げ打つことなど考えたことがない。別れを告げられれば仕方ないとただ受け入れた。そんなのは納得できないと引き留めもしなかった。なのに、いま蒼葉は旭を繋ぎとめたくて必死だ。
 ふと、笑いが込み上げてきた。くすくすと笑っていると旭が「どうしたの」と訊いてきた。
「逃げんのと、諦めいいふりすんの、楽だよなあ」
「……うん?」
「悔しかったんだよ、すごく。最後の大会出れなかったの。だけど、悔しいからって泣いてみっともないのも嫌で、諦めたふりして逃げた。あんたは正しかったんだよ、旭。でもさ、俺に正しいことを言ったあんたが、なんで逃げて諦めんの。……旭の選択肢に俺が入ることなんて最初からなかったんだ。だから、旭は狡い」
 旭にもたれかかったまま好き放題に言うと、彼の躰が緊張した。図星かなと蒼葉が考えていると、しばらくの沈黙の後に苦笑された。
「……ああ、そんなこと見落としてたんだ……」
 自嘲して肩を落とす旭の言葉は本心だろう。蒼葉は旭のこんな弱々しい声を聞いたことがない。蒼葉の脱水を見抜いた時の方がもっと冷静だった。
「どうやったら俺を旭の選択肢の中に入れてくれる、なんて訊いても意味ないよなぁ」
 くすりと笑って、蒼葉は旭の手を離してベッドから降りた。点滴を受けたからか頭痛は収まって、正常に喉の渇きを感じる。まだ少し熱はあるかもしれなかったが、怠さも軽減した。なのに。
「……旭?」
 立ち上がると片手を掴まれて、蒼葉は驚いた。
 居室のベッドにほとんど居座っていた蒼葉だが、普段の旭は椅子に座ってほとんど本を読んでいて蒼葉がトイレに行こうと水を飲みに行こうと気にしない。それは手足を拘束しているからだけではないはずだった。いまでも蒼葉は全裸のままで、常識ならばこのまま外になど逃げられない。
「水、飲みたくなっただけだよ。旭」
 なのに、旭は青ざめた顔で蒼葉の手を掴んでいる。もしかしたら、蒼葉が脱水症状になったことは旭にとってとても恐ろしいことだったのではないかと思い当たる。昔の蒼葉を診察した旭は研修医で、きっと外科のどこかにいたのだろう。けれど、蒼葉はいまの旭がどの診療科目の医者なのかわからない。それ以前に旭は蒼葉よりも脱水症状の深刻さをもっと知っている。
「旭。心配なんだったら、俺に水飲ませて。あんた、医者なんだろ。あんたが、俺のことちゃんとみてて」
「うん」
 ぎゅ、と強く蒼葉の手首をつかんで返事する旭はまだ少し呆然としている。いつもは少しの隙もないのに、隙だらけで今なら蒼葉はきっとこの場所から簡単に逃げ出せるけれど、蒼葉にそんな選択肢はない。
 青葉は空いた方の手で旭に腕を回してぎゅ、と抱き締めた。
「旭さぁ、俺があんたの頭の中の幻覚のままの方がよかった? 俺はすぐ怒るし拗ねるし、めんどくさいよ」
 思わずふと、蒼葉は旭を抱いたまま笑った。旭と一緒の時以外の蒼葉はそんなに感情的にならない。原因は既にわかっているが、物事に関心が薄く流されやすく、諦めやすい。けれど、旭を前にすると感情的になりすぎてしまう。元々の蒼葉は活発だった。旭の前で元の性質に引きずられて、まだバランスがうまく取れていない。
「現実の蒼葉の方が、ずっと蒼葉らしくて……嬉しい」
 背中に腕が回って抱き返されると、頬にキスが落ちて蒼葉の前で旭が笑った。
「本当は駄目なんだけど、蒼葉がぼくと一緒にいようとしてくれるのも、嬉しい」
「旭が頑固だからじゃん」
 青葉の答えに旭は片手で頭を撫でてきた。
「水だよね」
「うん」
 話を元に戻した旭は普段の表情と変わらなくなっていた。
 キッチンで蒼葉は椅子に座らされて、旭が冷蔵庫から水ではないボトルを出してグラスに注いだ。グラスを蒼葉に渡すのではなく、自分で口に含んで、蒼葉の顎を上げて口移しにして飲ませる。
 ほんの少し甘みを感じる薄味の液体はスポーツドリンクの味に近い。一口飲まされただけで、躰に水分が染み渡るように気持ちいい。
「旭、もっと」
「ゆっくり飲むものだよ。一気に飲んでしまったら体内の水分バランスが崩れるからね」
「じゃあさ、もっと飲ませやすいようにして」
 すっかり普段通りに戻った旭に蒼葉は悪戯に笑って手を引いて自分の座っていた椅子に座らせると、勝手に膝の上に乗った。対面になって両腕を旭の首に回すと、ちゅ、とキスを落とす。
「いいでしょ」
「ちょっと惜しいかな。蒼葉、ちゃんと飲ませて欲しいなら蒼葉の顔がぼくより上だと難しいよ」
 そう言いながら旭は蒼葉の体勢を直していく。対面の馬乗りから横抱きに乗るように促された。頭の高さはそうかわらないと思っていると、旭がグラスの液体を口に含んで蒼葉の背中を支えながら倒して、顔を上に向けると覆いかぶさって口移しにされた。
「この方がしやすいよ」
 至近距離で言われて蒼葉はそのまま旭の唇に触れて、またキスをした。片手を腰に回して片手を首に回していると躰が安定する。両手に自由があると体勢に制限がなくなった。
 たっぷりと舌を絡めてキスを楽しんで、呼吸の合間に「喉の深いところまで、撫でて」と蒼葉は強請る。
「じゃあ……この方がいいかな」
 青葉を横に抱いた旭は喉にキスを落としながら、指先で唇をなぞって舌を押さえるようにしてゆっくりと侵入させてくる。キスで絡まる舌よりも深く侵入してくる指は蒼葉の舌を押さえながら口内をゆっくりと撫でる。少し苦しくて、それでも気持ちいい。喉仏の形を確かめるように旭はキスと愛撫をしている。
「あ……う」
 顔が上向いていて舌が押さえられると自然と喉が大きく開いてしまう。そこを指で撫でられて呼吸が苦しいのに、気持ちいい。ひくりと蒼葉の躰が震えて旭の首に回した手が襟足の髪を掴んでしまう。舌を押さえる指に反発してもっとと強請ると、更に深く撫でられて舌の根元まで触れる。
 顔が上を向いていて唾液を吐き出せなくて、旭の指が動くたびにぐちゃぐちゃな水音が鳴って蒼葉は溺れそうなのに、呻く声が濡れている。
 舌の根元をたくさん撫でられて、顎が緩むと旭の指はもっと深く侵入して喉に届く。びくりと蒼葉の躰が震えて溜まった唾液が喉に流れた。蒼葉は強制的に喉にものを流されることをまだ上手くできないけれど、躰がひくひくと震えて反応する。旭にしがみつく手が強くなって、やめてほしくないと訴える。
 陰茎を咥えるのではなく、指を差し入れられて喉の深くを撫でられると似ているのに別の苦しさと気持ちよさがあって蒼葉はくぐもった呻き声を上げながら夢中で指に舌を絡めた。時々、頭が白くなりかけて躰が大きく震える。もっと欲しい、と思った時に旭の指は口からゆっくりと引き抜かれた。
 蒼葉はどれだけの時間そうされていたのか、判断がつかないくらい頭がぼんやりとしている。条件反射のように口から抜かれた唾液まみれの旭の指に舌を伸ばして唾液を舐めとった。
「蒼葉」
「……ん」
「今日は無理しちゃ駄目」
「うん」
 旭の指に丁寧に舌を這わせて蒼葉は素直に返事をした。けれど、躰が敏感になっているのも自覚している。熱が残っているせいもあるだろうが、躰の熱さがどちらか判別つかない。
「旭。水飲ませて」
 喉の渇きを感じてくったりした躰を預けたまま強請ると、口移しに水分が与えられてそのまま軽いキスが落ちる。蒼葉はぎゅ、と旭に抱きついて顔を隠した。
「旭が、俺の躰、変えた」
「うん。普通じゃなくなっちゃったね。ごめん」
「怒ってない。気持ちいいこと、増えたからいい」
 それ以上を言うとまた堂々巡りになるのだろうと、蒼葉は言葉を飲み込んだ。ただ、反応しかけている下半身を押し付けて無言で訴える。脱水で倒れたようなものなのだから、無理をするなという言葉には頷けるけれど、変えられた躰を放り出されることには異議がある。

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