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第一章 『謎の美少女』

体育祭②

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「? 何の話をしてるんだ?」
「……そっか」
 やっぱり香山には知らされていないのだろうか。
 いやまだ、意図して転ばせたのかすらも危うい状況なのだが。
 それでも……怪しいものは怪しい。
「なら良いんだ。もう席に戻っていいよ」
 そう言って踵を返す俺の腕を、香山は力を込めて引っ張った。
(痛……)
「変な事を訊いておいて、自分だけ納得して帰るのが許されると思うな」
「え。ごめんなさい」
 あまりにも恐ろしい剣幕で、自然と謝罪の言葉が出てくる。
「どうしてあんな質問をした? いくら負けが続いてるからといって、根拠もなく怪しむというのも、お前に限っては無いだろう」
 香山は腕を組む。表情は相変わらずで、すごく恐ろしい。
「えっと……。愛ちゃんのパン食い競争の時、ちょっとだけ足が見えた。愛ちゃんを転ばせたであろう、ライバルの足が」
「そういえば、お前もコケてたな」
「それだけじゃない。他にも、ゴールの前で何人も転んだ人がいた。しかも全員B組。ただの偶然にしては出来過ぎてるだろう?」
 香山は転んだ人物を思い出そうとして、瞳を上に向ける。
「そうだな。しかもお前達には、そんな事をされるには充分な理由もあるしな」
「そうなんだよ。だから誰かしらが、俺等を負けさせるための作戦でも企ててるんじゃないかって思って」
「う~ん。無くはないが、そこまでして勝つ理由も無いように感じるけどな」
「俺もそう思うんだけど、いかんせん他の説が立てられなくてさ。香山はなにか考え、ない?」
 無いだろうとは分かった上での問い掛けだ。香山がなんの情報も持っていない以上、この話をするだけ無駄なのだから。
「クラスメイト達がコソコソと会話をしているのは、何度か目撃したことがある。ような気がする。その内容までは聞き取れなかったが」
「えっ」
「だが作戦を立てるなら、全員でやるべきだよな? まあ僕はそういった事は好きじゃないが、それすら、奴等は知るはずがないし」
 不思議そうに香山は顔を歪める。
「……皆が隠れて沢山練習をしてたんなら別だけど、そうは考えにくくない?」
「確かに。ならちょっと、俺から聞いてこようか」
 頭の後ろに手を組み直し、ゆっくり香山は歩き出す。
「その必要はありませんよ」
「「え?」」
 背後から聞こえた声に、香山と同じタイミングで振り返る。
 そこにいたのは愛ちゃんと小熊さん、そして彼女に乱暴に腕を掴まれた男子生徒。
 彼の体操服は若干ヨレヨレになっていた。強引に何度も伸ばされたりしない限り、ああはならない。
「凛々さんが計画の主催者である彼に制裁を下しましたから、もう大丈夫ですよ」
「え、え?」
 小熊さんは丁寧に一礼するけれど、イマイチ状況が理解できない。
 まあおおよそは察せるが。
「とどのつまり……コイツをボッコボコにした訳だな。小熊さんが」
 香山は先程までの緊迫感に満ちた表情から一変、嬉しさを含んだような表情で言い放った。
「何ですか、ボコボコだなんて。人聞きが悪いですね。ただ、正しき道に導いただけです」
 美しい姿勢で微笑むも、小熊さんの顔は禍々しさを纏っていた。
「どうだか」
「ハァ、まあ信じていただけないのなら仕方ありません。もうこの話はやめにしましょう。過ぎたことなのですから」
「いや、コイツに話を聞きたいんだが」
 香山が体をひどく萎縮させた男子生徒を指差す。
「確かに。二人の間では解決した話なんだろうけど、俺達未だよく分かってないからね?」
「ですから~。B組ばかり勝利するのに嫉妬し、彼──日溜ひだまりさんは周りで同じ意志を抱く人物に声を掛け、計画をより確実に、より大きなものにしていった、という訳です。何というか……非常に愚かでしょう?」
 呆れたような愛ちゃんの説明。内容が内容だから、そんな態度なのも仕方ないよな。
「そうだったのか。確かにそれなら、俺に声が掛からないのも不自然ではないな」
「だな。けど、愛ちゃんの言う通り、それって物凄い愚行だよね。練習を積み重ねれば、人間ってのはちゃんと成長できるのに」
 俺は日溜君に近寄り、その方に手を乗せた。今後の人生へのアドバイスのつもりで放った言葉だったが、彼には違う受け取り方をされたようだ。
「み、見下してくれるな。そういう発言は、元からできるヤツの傲慢なんだよ」
 俺をひと睨みし、日溜君は吐き捨てるように言った。それを見て、香山が口を押さえて大爆笑。
「……これを見ても、そんな事が言えますかねぇ?」
 小熊さんはそっと、スマートフォンを日溜君に差し出した。その画面には運動能力が未熟な頃の俺の姿が映され、恥ずかしくなる。
「なんの動画だ? 多田アイツが映ってるけど……」
 足を引っ掛け何度も転び、拙い動きを繰り返す。日溜君はそれを見て、苦笑した。
 そして何度も何度も俺と画面内の俺を交互に見て、こう口にした。
「マジ、かよ……」
 愛ちゃんが満足そうに笑う。
「分かっていただけました? こんなにも運動音痴だった彼が、先程アナタに物申した人物。文句のつけようがありませんね」
「あ、あぁ……。どんな練習をしたかは分からないけど、凄まじい成長だ。──いや本当に、どんな練習をしたんだ?」
 日溜君が閃いたように言い出す。しばらく一人で頭を抱え、ついに俺の肩を揺さぶり始める。
「教えてくれ! お前が成長した練習方法を!」
「え……」
 日溜君の懇願は、軽い気持ちという訳ではなさそうだ。
 何かが確実に迫ってきている様子というか……兎に角、切羽詰まった感じだ。
「特訓を受けたんだよ。後ろの、小熊さんにね」
「小熊……パイセンに?」
 小熊さんをチラ見した彼は、呼び方を訂正した。
(確かに怖い人だけど、恐れ過ぎじゃない? そんなに酷いことされたのか?)
「そう。俺が断言するよ。彼女の元でなら、絶対に成長できると」
「そ、そうか! ──じゃあ今からでも、間に合いますか、パイセン!!」
 日溜君は小熊さんに向かって、勢いよく頭を下げた。
 その勢いのあまり弾き飛んだ、日差しによって宝石の如く輝きを放った彼の汗が、俺の顔にはねる。
(ウゲッ)
 しかしすかさず、消毒液を片手に愛ちゃんがそこを拭いてくれた。
 別にそこまでの過剰な洗浄は必要なかったのだが。
「え、あ、ありがとう」
「いえ♪」
 あとは小熊さんの返答を待つのみだ。険しいその顔に、仰天した様子は伺えない。まるでこの申し出をされる事を分かっていたかのように落ち着き払っていた。
「──午後の競技まで、さほど時間はありません。つまり、大した効果は期待できませんが、良いですね?」
「も、勿論です!」
「よろしい。では、その申し出を受けましょう」
「や、やったあ!」
 日溜君は勢いよく跳ねて、叫び声を上げた。まだ幾分不安な気持ちも残ったままのようだが。
「ですがその前に! アナタには、為すべきことがありますよね?」
 愛ちゃんは会話を遮ってまでそう主張した。
「え?」
(何か、あったっけ……?)
「とぼけないで下さい。B組の方々への謝罪に決まっているではありませんか」
「あ、そっか!」
「何忘れているんですか全く。迷惑をかけた相手に謝るのは、人間として当然の行いですよ?」
「は、はい」
 日溜君の陳謝のため、俺達はB組の席まで向かった。

「────という訳で、皆が負けているのは俺達のせいなんだ。本当にごめん」
 日溜君はひたすらに、謝罪の言葉を並べた。彼の顔に、『許してもらおう』なんて意は見えない。
 しかしどんなに日溜君が反省しようと、気が立ってしまう人間はいる。それは仕方の無い事なのだ。
「ハァ? ふざけんなよ。日溜って言ったか? テメェ、許さねえ」
 一番初めの競技・百メートル走の第一走者だった飛鳥君が、彼に食って掛かった。
 飛鳥君は自らの敗北で皆のペースを乱したのではないかと追い詰められてしまっていたから、当然の反応とも言える。
「反省したら解決! だなんて、生温い事は言ってらんねぇ。一発殴らないと、気が済まないタチなんでね」
 そう言って、飛鳥君が拳を振り上げる。勢いを帯びた拳は、なんの躊躇もなく日溜君の頬へ。
「……った」
 瞳をギュッと力いっぱいに閉じ、痛みを堪える日溜君。でも隙間から、タラリと何かが零れてしまう。
 彼の赤く腫れた顔を見て、危機感を覚えた生徒も多いようだ。「やりすぎだよ」「もういいでしょ~?」という声が耳に入る。
 しかしそれと同時に、楽しそうな男子達の「いいぞ! もっとやれ」という声も重なって聞こえてくる。
『反省したから解決、なんて考えられない』と言っていたけれど、暴力こそ一番何も解決できないではないか。
 彼らの自己満足のため、ボロボロになる日溜君の気持ちは?
「日溜君、もう良いよ。早く、小熊さんに鍛えてもらいに……」
 これ以上に悲惨な状態になる前に、日溜君を救わなくては。
 俺は日溜君に手を差し伸べた。
「いや、大丈夫。俺が悪いし」
「だ、だけど……」
「ほら、本人がそう言ってんだろ。じゃあもう一発、いこうぜ!」
 飛鳥君は会心の笑みで再び殴りかかろうとする。
「もう良いでしょう」
 凛としたその声は、クラスの喧騒を引き裂く。
 思わず、飛鳥君もその拳を止めた。というか、止められたの方が正しいか。
 満面の笑みの愛ちゃんと、恐ろしい剣幕の男子にも物怖じせず、攻撃すら止めてしまう小熊さん。
「彼は、反省しました。だってあなたの拳から、一ミリメートルだって逃げませんでしたもの。それで、十分でしょう? 他人を傷つけて発散したストレスが何だと言うのです。所詮、アナタが他人を殴るしか脳のない暴君であるというだけではありませんか」
「か、体に傷を残した方がな、「もう絶対にやりたくねぇ」って思いが強まるんだよ」
 苦し紛れの言い逃れ。そんなことを言っても、愛ちゃんの前では無意味。
 それでも、飛鳥君は対抗した。
「ほう。けれど、傷だらけの不良はどうなのですか? 。なんて思考を抱くに決まっています。暴力は憎しみを生む。つまりは、負の連鎖にしかなりません」
「……そ、そう、だな」
 考える前に手が出てしまう自分を否定された悔しさからか、飛鳥君は俯き、何も言わないでいた。

「もう午後の部まで20分くらいしか無いよ? 本当にやるの?」
「短時間だろうが、やる・やらないだけで大違いですよ!」
「そう、なの……?」
 小熊さんと日溜君は挨拶を済ませると、早速トレーニングにとりかかる。
 周りの生徒らは少し引いたように二人を見るけれども、そんな事、当人達は気にも留めていないだろう。
 ──清々しいほどの快晴は、黒みを帯びた雲に覆われつつあった。
(何か、雨が降りそうだな)

     ● ● ●
 
[まもなく、午後の競技が開始致します。初めは一年生の綱引きですので、一年生は集合お願いします]
 放送により、場の雰囲気が引き締まった。
 午後はクラス全員で挑む団体戦。
 一人ひとりの意識が衰えやすいが、B組は先程の日溜君に謝罪により、ようやく持ち直してきた。
「日溜君は公平を誓いました。ですから、練習通り、頑張りましょう!」
 愛ちゃんは皆んなを盛り上げる。
 そう、大丈夫。きっと午後は、勝利できる。
「団体戦は難易度が上がるからポイントも高い。全部1位なら、優勝も狙えるんじゃねぇ?」
 飛鳥君はもう明るく、『勝つこと』に前向きになっていた。
「じゃあ、それを目指して頑張るか!」
「……ああ!」
 何だか、彼とは仲良くなれそうな気がする。
 こういった新たな一面の発見や、意外な友情の発展は体育祭をはじめとする、お祭りごとの醍醐味だよな。
 B組にはとてつもない筋肉を所持した者はいない。けれども、意外と強い人が多い。何より、絶対の信頼を得ているコーチがいる。
 すなわち、チーム戦の方が俺達にとっては有利なのだ。
「さあ、反逆を始めようか」
 さすがは小熊さん。普通の人なら言えないようなクサイセリフも、格好良さを交えて口にする。
 そしてこのセリフで一層、皆のやる気が増す。さすが小熊さんだ。
「せーの」
『オーエス、オーエス!』

 我々のモチベーションは、最高潮。それ故に、他クラスと大差をつけての1位をものにした。
 といっても、午後の競技は三つで、その内の二つで勝利しただけだが。
「一番大切なのはポイントの差が大きく、今までも圧勝だった最後の競技・リレーです。スタートは飛鳥さん。アナタから、勝利への道を造るのです。大丈夫。アナタなら可能です」
「まあ最悪どう転ぼうがアンカーの私がカバーして差し上げますから、兎に角全員、力の限りを尽くして下さいね」
 小熊さんが固く靴紐を結ぶ。
 これに全てを賭ける。そんな覚悟を醸し出していた。
「ハァ!? 嫌に決まってんでしょ」
 少し遠くから聞こえた声の方を向くと、何やらC組は険悪な雰囲気に包まれているようだった。
(香山もそうだけど、C組って確か日溜君のクラスでもあるよな……)
 であれば、雰囲気が悪い理由は十中八九日溜君だな。
「急に『アンカーやりたい』とか、頭おかしいんじゃないの? さっきも、もうセコい事はやめようとかさ。自分勝手すぎるんだけど、マジで」
 怒鳴り散らすあの女子生徒は、おそらく体育委員会の人間だ。だから、日溜君であろう人物は彼女にリレーの走順変更の話をしているのだろう。
「……まあ良いんじゃないか? どうせ僕達は負けるだろ。なら、少しくらいそれに抵抗しようとしても、何かが変わる訳でもないんだし」
 日溜君を支えたのは香山だった。だが決して、庇ったという訳ではなさそうだ。
 香山は無駄な争いが苦手なのだ。だから自分の発言で、この無駄な時間を終わらせてしまいたかったのだろう。
 え? どうして香山の発言がそんなに影響を与えるのかって?
 それは──
「え? ま、まあ、香山が言うならいっか……」
「そうだねー。確かにどっちにしろ、勝てないしねー」
「香山クンが言うなら仕方ないよね」
 モテるから。只それだけだ。
「じゃあお前がアンカー、僕は元のお前の走順で走る、これで良いな? 面倒だから、もう変な事を言い出すんじゃないぞ、全く」
 香山が日溜君の肩を掴み、強く言い放った。
(体育委員会なんて役職、香山はもう二度とやらないだろうな)
 思わぬトラブルへの対処は、彼が苦手とする『面倒ごと』だから。
「どこ見ているんですか晃狩さん! 始まりますよ!」
「あ、うん!」
 俺の体を引っ張って、愛ちゃんが前に進んでいく。
(ああ、緊張するな……)
 大丈夫だ。落ち着け。そう言い聞かせる。
 こういう時、変に緊張するとペースを乱してしまうから、いつも通りが一番だ。
「頑張りましょうね!」
「勿論だよ」
[続いては最終競技・全員リレーになります。なおこちらの競技は1位のチームに50ポイントが送られますので、逆転も可能です!]
 パン食い競走の時の何倍も緊張する。
 だって自分が間田君にバトンを渡して、次へと繋げていくんだぞ? 
 いやまあ、感じている責任感は皆同じか。
[まず初めは一年生。午前の不調から一変、二連続で他クラスに差を見せつけ勝利しているB組、やはり優勢か!? 全てはこれで決まる! では──よーい、スタート!]
 全員、力の限りに走り出す。
 その中で、トップに躍り出たのは我らが飛鳥君。百メートルの時の無念を、ここで晴らそうとしているのか。
「がんばれー! 君ならいけるよ!」
 もう恥ずかしいだなんて思わずに、大声で叫ぶことができる。大声を出しているのは俺だけではないのだから。
 それに、この声が届かなくたって良いんだ。これを発する事に意味があるのだから。
「よしっ! 次よろしく!」
 バトンは第二走者・愛ちゃんに渡る。彼女はこの状況でも、ただ笑みを浮かべるのみだった。
「お任せください!」
 この時点で既に、2位のクラスとはそれなりの差ができていた。
 このペース。このペース。
「がんばれー! がんばれー!」
 なんだか心が弾む。楽しい。楽しいのだ。
 ──応援する事が、とてつもなく楽しいのだ。
[速い、B組速いです!]
 響き渡る歓声の中、日溜君は静かに拳を握りしめていた。

「はいっ」
 俺の手にバトンが届いた。いよいよ、俺の番だ。
(いくぞ!)
 気を引き締めて、思い切り駆け出す。
 差は依然として縮まっていない。だから、後ろなんて気にせずに走るんだ!
「頑張ってください! そのままそのままー!」
「自分の走りをするのです! 絶対負けはありませんから!」
「アンタならいけるよ! 頑張りな!」
 愛ちゃん小熊さんに加えて、母さんの声援までも耳に届く。
(結構声聞こえるんだな、走ってても)
 なんて事を考えて照れくさくなっていると、もう間田君は目の前だ。
「ハイッ」
「ありがとっ」
 よし。これでもう、役目はない。
 ハァハァと息を切らしながら間田君の姿を目で追う。流石だな。
 あそこからはもうアンカーに繋げるだけだし、これは今から完全勝利と言ってしまっても良いだろう。
 わざわざ順番を替えた日溜君には申し訳ないけれど、致し方ない事だ。
「晃狩さん、アンカー小熊さんの番になりましたよ!」
 愛ちゃんが知らせる。
 小熊さんの走りはやはりクラス……いや学年一だと思う。速さと美しさを兼ね備えている。
 この技術は、一朝一夕で手に入るものではない。そのくらいは運動に疎い俺にも分かる。
 つまり俺が言いたいのは、使用人として教育を受ける前から彼女はあの走りを身に着けていたに違いないという事だ。
「速い、速すぎます!」
「やっぱ凄いな。あ、もうゴールに……」
 パアン!
 俺達の勝利を知らせる銃声。それとほぼ同時に、日溜君が走り出す。
(……)
[やはり、1位はB組です! よってプラス50ポイントとなり、合計点は145。……B組以外で一番得点が高いC組は120点なので、2位! 2位を獲れば、まだ勝利の可能性がありますよ!]
(えっ)
 そうだ。2位のクラスには30ポイントが加算されるから、C組……日溜君にはまだチャンスがある!
 放送を聞いた彼は俄然やる気が出たようで、無心に走り続ける。
 今の彼は、2位。このままの状態で走り抜ければ総合優勝は確実だ。
(そんな……)
『負けてほしい』だなんて、思ってはいけないのかもしれない。
 けれど、ここまで勝ちたいと思ったのは初めてなんだ。それに、反省したとはいえ、確かに日溜君は、他の皆は罪を犯したんだ。
 ──他のクラスの者達が卑怯な手を使ってくると予想しなかった俺が、悪いというのか?
[続いてのクラスもゴールしました! 2位は──A組です!]
 え?
 日溜君、抜かれたか。
 いや違う。だって彼は今、地に伏せているのだから。
(転んだのか)
 散々他人を転ばせたのだ。当然の報い。
[C組、残念っ。ゴール付近で転倒してしまいました]
「可哀想ですが……仕方ありませんよね。罪は消えないのですから」
「う、うん……」

     ● ● ●

 俺達B組は見事総合優勝を果たした。本当に危ない戦いだったが、勝利とはすごく嬉しいものだな。
 舞い上がる俺達とは裏腹に、悲しみに暮れる者もいた。それが日溜君である。
 他のC組の人らは少し残念そうにするだけだったが、彼だけは本気で涙していた。
 そんな彼の気持ちを表すかのように雨が降り、それは次第に強くなっていった。
「……ねえ日溜君。そこまで勝ちにこだわっていたのは、どうしてなの?」
 話し掛けにくい雰囲気を醸し出していた日溜君に、俺は多少躊躇しつつも声を掛けてみた。
 気になったのだ。ズルい事までして、勝ちにいく理由が。体育祭勝利の奥にある、何かが。
「勝たないといけなかったんだ。だって勝たなければ、アイツとのが無駄になる」
 まだ涙はとめどなく流れているようだったが、構わず彼は話し始めた。
「アイツって?」
「好きな人。幼馴染だよ。ソイツが、「お前が体育祭で勝ったなら、付き合ってあげても良い」って言ったんだ。だから、今まで以上に必死でやった」
「え。じゃあその人と恋人になりたいがために、あんな事……?」
 これは驚いた。恋とは人を惑わせるんだな。
「だって、ずっと好きだったんだぞ。何度告っても、「アンタとは幼馴染だから」で終わり。だけど、たった一度きりのチャンスを与えてくれたんだ!」
「……」
 何だかこの人は、誰かに似ていると思っていたんだ。
 そうか。
 俺にそっくりなんだ。
 ただひたむきに一人その人が好きで、その気持ちは他人を傷付けたりという形で現れてしまう事もある。
 そうか、そうだったのか。
「その気持ちは、痛いほど分かる。でも、他人を傷付けてはいけないんだよ……」
「た、多田」
 日溜君が俺を見つめる。
「……この後、噂のソイツが来るんだ。結果を聞きに。きっとボロクソに振られるだろうから、慰めてくれないか?」
「……分かった」
 俺と日溜君は、特別仲の良い友な訳ではない。今日知り合った。
 けれども二人の間には、何か通じ合うものが、似たような想いがあった。ならば、仲良くなるにはそれで充分だろう。

「お待たせ」
「雨の中女の子待たせる? 普通」
「ご、ごめん」
 少し口が悪めのあの女の子が、日溜君の好きな人か。
 というか彼、今日は謝ってばかりだな。
「なるほど。確かに可愛い方ですね」
「私が男なら、あの子はどストライクです」
 いつでもどこでも、愛ちゃん達は付いてくる。もう少し、遠慮してもらいたいものだ。
「で、結果はどうなったの? まあ察せるけどね」
「……負けたよ」
「でしょうね。そりゃアンタ、体育祭とか大会とかで勝った事無いもんね。まあ、だから提案したんだけど」
 幼馴染は含み笑いをした。元より、付き合うつもりは無かったのか。なんて残酷な女なんだ。
「え?」
「何よ驚いちゃって。このあたしが本気でアンタと付き合う訳がないでしょ? アンタが疫病神である事を知ってるから、付き合ってあげるって言っただけで」
「は? 嘘、だろ……? 俺は、ズルまでして勝とうとしたのに」
「うっわ。セコ。てかズルして失敗とか一番ダサいやつじゃん。じゃあね」
 口から出るまま罵声を並べて、スッキリした顔で帰っていく幼馴染。
 日溜君は傘を放り投げ、ただ泣いていた。
「大丈夫……じゃないよね」
「心がボロボロだよ。本当、アイツ口悪いだろ? 自分でも、何で好きなのか解らなくなる時があるくらい」
「……結局、それでも好きなんでしょ?」
「……当たり前だろ」
 日溜君は天を仰いだ。もう俺が傘をさしたから顔が濡れる事は無い。だからこそ、涙がはっきり見えた。
 けれど、どこか晴れやかな表情をしている。自分はやりきった、という気持ちで満ち満ちているのだろう。
「今時珍しい程に一途な方ですね。アナタなら、すぐいい人が見つかりますよ」
 と愛ちゃん。
「そうだと、良いけどな」
「……それより私、気になる事があるのですが」
 日溜君の恋路に一切の興味を示さない小熊さん。
「どうしたの?」
「百メートル走等で、皆さんが抜かされた事が腑に落ちません。どう練習したって、短時間であの速さの習得は不可能ですよ」
「ああ、それ。特別なシューズを作ってもらったんだよ。転ばせるだけじゃ不自然だから」
「そんな馬鹿みたいな話……」
 小熊さんは信じられないという様子である。
「いや、財力があれば朝飯前だよ」
 日溜君の言葉に、俺と小熊さんは愛ちゃんを見た。
「ふえ!? わた、私は加担してませんよ!?」
「その通り。別に神田さんじゃないよ。神田さん程ではないけど、がいるんだよ」
「ああ、そういう事……」
 疑問がスッキリしたのはいいけれど、嫌な予感が、する。 
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