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第一章 『謎の美少女』

コーチ

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「皆さん聞いてください! 体育祭の選手決めを開始いたしますっ」
 学級委員の愛ちゃんはクラスメートを席につかせ、早速話し合いを開始する。
「入学したばかりですからね。皆さんの実力が分かりませんが、自信のある方は得意な種目に行ってもらいたいですね。さて……、順番に訊いていきますよ?」
 弾けるような笑顔を皆に向け、天へ手を伸ばす愛ちゃん。
「百メートル走に出たい人ー?」
『はいっ』
 おお。結構居るな。これなら、割と滞りなく選手決まるかも。
 愛ちゃんは満足そうに伸ばされた手を見て頷くと、その人達の名前を黒板に記入していく。
「……さん、滝林さん、向井さん……っと。次は障害物走ですね。はい、やりたい人ー?」
『ハイッ』
「一、二……、またピッタリです。すごいですね、皆さんっ。えっと、次は、借り物競走です。やりたい人ー?」
 障害物走に参加する生徒の名前を記入し終えた愛ちゃんがそう問いかけると、突然ものすごい熱気を感じた。
 ブルッ。
 大きく体が震える。な、何だ?
『ハイッ!! ハイッ!!』
 クラスの7割程の人間達が、我こそはと主張し合っている。借り物競走に何か特別な思い入れでもあるのか……?
 しかし、ここまで立候補者が多いとは困った。俺だってこの競技に出たいのだ。
 俺は運動能力が低いけれど、探し物は大得意。つまり借り物競走は、そんな俺にうってつけの競技なのである。
「圧倒的な人気ですね……。しかしこれでは決まらないので、じゃんけんをして下さいっ。選手になれるのは男女それぞれ三人ずつ、即ち六人です」
「おっしゃぁぁああっ!! 負けねぇぞお!」
「絶対勝ってやる!」
 数名の男子が腕をバキバキと鳴らしながら雄叫びを上げる。奴ら……本気だ。
 無論、俺だって手を抜く訳ではない。挑むからには、全身全霊で。
「では後ろでじゃんけんをしてきて下さい。別の競技の選手決めも行ってしまうので」
 愛ちゃんがそう言うと、手を挙げた者達が教室の後ろの方へ集まっていく。俺もそこに混ざった。
「よしっ。いくぞ!」
 一人の男子生徒の掛け声を合図に男全員が眉を上げた。
『じゃーんけーん……ポイッ!!』
「え……」
 まさかまさか。そんな、嘘だろ!?
「多田の一人負け! とりあえず一人ライバルが減ったな!」
 敗北のショックを噛み締めながら、のそのそと席に向かう。
 静かに椅子に腰掛けた俺に対して愛ちゃんは笑顔を向けた。
「あらあら、晃狩さん、負けてしまわれたのですね。でも大丈夫ですよ! まだ決まっていない競技は沢山ありますから!」
 精一杯のフォローなのだろうが、唯一の得意競技に出られないのだ。傷は深い。
 一応、彼女には苦笑を返しておいた。
「晃狩さん、借り物競走が大好きなんですね……。見てるだけでそれが伝わってきますよ」
 それでも愛ちゃんは俺に語り掛けてくる。
 負けたからといって、放っておいてはくれなそうだ。
「けれど、きっと大丈夫ですよ!! 他の競技だって、晃狩さんなら大活躍です!」
「ハハハ……。そんな事は絶対に無いけどね」
「ウフフ。それでは、次の競技ですっ。えっと……二人三脚ですね。男女三人ずつで六人、三ペアです」
 愛ちゃんがプリントを見ながらそう述べていく。
 借り物競走じゃんけんに参加しなかった男子の目が、ギラリと輝く。
 ハッ──!
「あのー、質問い~い?」
 ショートカットの女子が手を挙げる。
「どうぞ」
「これってさぁ、もしかしなくても……男女ペア?」
「はいっ」
 愛ちゃんは微笑みながら答えた。
(まあ三人ずつならそうなるだろうな。女子達嫌がりそうだけど)
 男子の目が光を帯びていくのに対し女子の顔色が悪くなっているのはこれが原因か。
「では、やりたい人ー?」
『ハイ! ハイ!』
 借り物競走じゃんけんに負けた者も含め、十人以上の男達のむさ苦しい声が響いた。
(うわー……。欲にまみれてる)
 そして当然のように、女子の挙手者はゼロ。
 と、思いきや──
「はい」
 真っ直ぐに前を見つめ、綺麗な姿勢で手を挙げる女子が居た。
(え!?)
 なんとそれは、小熊さんであった。
 それを見るなり、男子の声は更に野太くなる。興奮が抑えきれない様子だ。
 さらに、もう一人立候補した者が。
「女子が少ないですね……。この競技は、私も参加する事にしましょうか」
 愛ちゃんだった。クラスの為に、人気の無い競技を担当するなんて……偉すぎる。もしかしたら、小熊さんもそんな理由で挙手したのかもしれないな。
『うおぉぉぉおお!!』
 嬉しそうな男子。その声は、まるで獣の咆哮のようにさえ聞こえる。
「皆さん元気ですね。では、二人三脚じゃんけんを、どうぞ!!」
『よしっ! いくぞおぉぉぉお!』

 ここから先の出来事は似たような展開のため飽き飽きするだろうから、割愛させてもらった。
「お前何に出るんだ?」
 下校中の車内にて、香山が嬉々として話しかけてきた。
 答える気になれなかったので俺はそれを無視した。すると隣の席の愛ちゃんがにんまりと笑って
「パン食い競争ですよっ。ウフフッ」
 と言う。
「ふ~ん。借り物競走、負けたか」
「はっきり言って、あれは惨敗でしたね」
「まあコイツ勝負運ないからな」
 俺を挟んで、俺のことを楽しそうに話している。うん、気分が良いものではないな。
「それにしても、何だか嬉しそうだな」
「はいっ。晃狩さんと同じ競技に出られるんですから。掛け持ちですけど。というか、香山さんも嬉しそうですよ?」
「え? あ、そ、そうか?」
 珍しいな。香山が傍から見ても解るくらいに動揺するなんて。
 焦りだとか悲しみといった感情はあまり表に出さないタイプだというのに。
「ええ、とっても。香山さんも誰かと同じもの競技に出られるのですか?」
「……関係ないだろう」
 香山はほんの少し顔を赤らめた。まさか、コイツにも恋の季節が……!?
 なんてな。その可能性はかなり低いだろう。
「あら。つれない」

     ○ ○ ○

「ゼェ、ゼェ」
(きっつ……)
 クラス全員が走る、リレー。
 現在はその練習中なのだが……兎に角辛い。皆は何故あんなに颯爽と走っていけるんだ?
「おーい、多田ぁ! 無理すんなよ~」
 俺の次の走者である間田まだ君は優しく声を掛けてくれる。彼まで、あと二十メートルくらいだろうか。
「晃狩さん! 少しずつで良いんです! 確実に進みましょう!」
 クラスメートの声援の中でも、一際目立つ愛ちゃんの声。いつもなら「ありがとう」と微笑み返せるのだが、今は失礼だけれど耳障りだった。
 できればこんな恥ずかしい姿の俺を見ないでほしかった。愛ちゃんだけでなく、他の人達にも。
 やっとの思いで間田君にバトンをパスする。すると彼は俺の目を見つめて「大丈夫、任せて!」と言った。
 そうして軽快に走っていき、B組をビリから二位へ導いた。
(な、なんて速さだ……!)
 間田君がビュンビュン走り抜けていく姿を見て、胸を打たれた。すご過ぎる。
 そして彼が生み出したペースに他の走者達が乗っかり、我らのクラスは二位のままゴールした。皆全力を出し切ったはずなのにどこか余裕のある、爽やかな表情を浮かべている。
 これ、俺が居なければ一位確実なんじゃないか!?
「足手まといだな……俺」
 悔しさのあまり、ポツリと呟く。
 すると隣に居た愛ちゃんが口を尖らせた。
「そんな事ありませんよ! 晃狩さんが遅れてしまっても、他の方々がカバーして下さいますからっ」
「う、うん……」
 それ、フォローになってないんじゃないか?
 とは思うも、励まそうとしてくれてるのは嬉しい。けれど、今までは走る事を怠り過ぎた。
 一生に一度の高校生活。思いっ切りエンジョイするためにも運動はできた方が良いに決まっている。

 こんな時運動能力が高い親友がいると、何にも困る事が無い。
「スポーツ万能香山様ぁ! 俺に、どうか運動の指導を……!」
「……」
 香山は感情の読めない顔のまま、俺を見下ろした。しばらくすると緩慢に口を開き、
「スマン。忙しいから無理だ」
 と告げた。心なしかその頬は桃色に染まっていた。
「え!? お、おう。分かった」
 絶対に何かあるな、これは。
 いつもの香山なら、俺が「運動したい」と言わずとも無理矢理やらせようとしてくるのに。
 って、今はそんな事考えている場合じゃ無いんだった。今の決意が固まっている状態で誰かが背中を押してくれないと、俺はやる気がすぐに無くなってしまうタイプなのだから。
(本当に、どうしよう……)
 ため息混じりに廊下を歩く。
「困った時の使用人です」
 すると、壁にもたれかかって本を読んでいた少女が突然顔を上げ、そう言ってきたのだ。
「え、こ、小熊さん……? いいの? 愛ちゃんの家の使用人なんじゃないの?」
「これは愛様からのご命令です。ご安心ください、運動は大得意ですから」
 彼女はほんの少しだけ口角を上げ、笑みを作った。
「そ、そうなの? なら、お願いしますっ」
「はい」
 それから、小熊さんによる特訓の日々が始まった。

「ハァ、ハァ」
 今まで、連続でせいぜい二十回程度しかやってこなかった腕立て伏せを五百回。
「この位でへこたれていては、運動ができるようになんてなりませんよ。ハイ、あと四百十回ー!」
 俺は百回も達成していないのに、とうに五百回終えた小熊さんは数取器で俺の腕立て伏せした回数を計測している。
「早く走りたいだけなのに、腕のトレーニングって必要?」
 と、開始前に小熊さんに問うた。
 すると返ってきたのは、「神田家に仕える者として、完璧な育成を志しておりますので」という言葉。
(使用人としての意識、高くなり過ぎじゃない?)
「ぼうっとしない! あと三百九十五回ですよ!!」
「は、はい……」
 もう汗がダラッダラだ。
 その後も毎日のようにもも上げやフォームの確認などをし、小熊さんにしごかれまくった。

     ○ ○ ○

 そんなこんなで訪れた、本番一週間前。
 あんなに必死こいて毎日トレーニングしたのだ。足が速くなっていない訳、ない。
「一位を保ったまま! すごいですっ。晃狩さん!」
 運動のため束ねた髪を揺らしながら、愛ちゃんが嬉しそうに叫んだ。それは勿論俺の耳に届き、嬉しくなる。
 あっという間にバトンは間田君の手中へ。彼は驚きと笑顔が混合したかのような表情でこう言い放った。
「すごいな多田! めっちゃ速くなってるじゃん!」
「ま、まあね。頑張ったよ」
「俺も、頑張るからな。絶対一位だ」
「……うん」
 俺は小さくはにかんだ。
 ──カチッ。
 無機質な音が耳に響く。ほんのかすかな音だったけれど、確かに聞き取った。俺は耳が良いのかもしれないな。
「ベストタイムです」
 その音を出したのは小熊さんだった。あぁ、今の俺のタイムを計っていたのか。
「やった~!! また自己ベスト更新!」
「おめでとうございます、晃狩さん。これも、凛々さんの指導の賜物ですね」
 愛ちゃんも微笑みつつ会話に入ってきた。
「本当に、その通りだよ。小熊さんがいなければ俺成長できなかったかも」
「い、いえいえそんな……恐縮です」
 小熊さんは身を縮める。照れているようだ。
「それよりも、本番まではあと一週間。それを一週間と捉えるか、一週間と捉えるか……。それによって、多田様の成長の度合いは大きく変化しますよ」
「そうですね。その通りです」
 小熊さんの格好よさげな台詞と、その後の愛ちゃんの同調。何だか良い二人組だな、と感じる。
「うん、そうだよね。……大丈夫! 残り一週間でも、手を抜いたりなんてしないからっ」
「では私も、手加減なしで参りますね」
 屈託のない笑みで小熊さんはそう返すけれど……。
「え、あれで手加減してたの!?」
「当然でしょう。本番前は追い込みをかけたいので、全力で取り組んでみせますよ」
 付いていける自信は無いが──
「う、うん。出来るところまでは頑張ってみるよ」
「その意気です」
(本当、超人みたいな娘だよな……)
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