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第三章
図書室と母②
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ダンダンダンダン……どこかで足音が響いている。今日は文化祭なのだから、当然のことだ。
しかし、一片の違和感を覚える。
ここ図書室では文化祭にあたっての特別な催しはない。ただ私──松江千華子(※優しい女と強き女参照)が静寂の中で本を読んでいるだけである。
にもかかわらず、こちらに近付いてくる足音があるのは何故なのだろうか。
(こんな日に、わざわざ本を借りに来る人がいるとは思えないし……)
まぁきっと大したことはないであろうとタカをくくって、私は本の世界に入る。
いくつになっても、恋愛の物語にはトキメキをもらえる。他人の甘い甘い恋愛話を聴くと、より強く胸を打たれたりする。
「ハァ、ハァ」
乱暴に開かれた扉の音と女性の荒れた息が場の静けさを引き裂き、私を本から現実へと連れ戻した。
少しの恐怖心はあれど、図書室の入り口へ視線を向ける。
(……!!)
その女性の顔を確かに頭に叩き込み、逃げるように本の中の文字の羅列を見つめた。
私のそんな態度は、ただでさえ不機嫌そうだった彼女の心の火に油を注いでしまったようだ。元から力強かった足の音がさらにパワーを増し、私をなぶるように迫ってくる。
「……ねぇ」
耳が千切れそうなまでに刺々しい声。私の目が狂ったのではなく、本当に彼女が、私に声を掛けているのだ。
「聞こえているでしょう? 返事くらいしてほしいんだけど、千華子」
「……なんでしょう、木嶋さんのお母様。いえ──羽愛」
彼女が今日この学校に足を踏み入れた時点で、既に私は逃れられない運命だったのかもしれない、なんて思いながら彼女の言葉に応えた。
「夕梨が私の娘だって、やっぱり知ってたのね。知ってて、アレを渡したのね?」
顔を真っ赤にして質問を投げかけてくる彼女は先程私も言った通り、図書室の常連・木嶋夕梨の母である。名を羽愛といい、かつては私の同級生かつ……親友、であった。
同じ相手に懸想し、その後私が結ばれてからは、噂を耳にすることはあっても直接会話をすることはなかったため、姿を見るのは大体二十年ぶりくらいか。印象的な首のスカーフを除けば、少し老けた程度で若かりし頃の羽愛と変わらない。
「訊いているんだから答えてくれない? ただでさえ得意じゃない人を相手に話してるのに無視されたら、本当に手が出そうなんだけど」
(得意じゃない……)
「占いの本を貸した時もあの子が羽愛の娘だって知ってはいたけど、別に嫌がらせをしてやろうっていうつもりじゃなかった」
「だったらどういうつもりだったのよ。自分の占い好きを、あの子に押し付けようとしたの?」
「それは……」木嶋さん(夕梨)のためを思うなら、彼女が恋をしていることを母親に伝えてはいけないのかもしれない。
でも。
子が親につく嘘なんて、きっといつかボロが出てバレてしまうもの。
「──あの子の恋を、応援するつもりで貸した」
「はぁ!? ふざけるのも大概にして!! あの子が、夕梨が私に隠れて、恋なんてする筈ないでしょ!?」
噴火してしまいそうな表情で勢いよくまくし立てる目の前の羽愛は、私のトラウマである過去の彼女の姿を彷彿とさせた。
● ● ●
ちょっぴり肌寒さを感じる、秋の日の夕暮れ。
大好きな彼に告白された喜びをドカンと放ちたいが、同じ人を想っていた羽愛相手にそんなことできる訳がなくて、気まずさの漂う帰り道。
「千華子、告られたんだってね」
ようやく羽愛から出てきたその言葉は、重苦しい空気に岩を上乗せするようなものだった。
「う、うん……」
なんとなく、罪悪感に駆られる。
いつもなら全然気にならない沈黙だが、その日だけは違った。
今回のことがきっかけで、羽愛に嫌われてしまったらどうしようという不安に呑み込まれそうだった。
「あのさ」
「な、何?」
よかった、羽愛が話題を、空気を変えてくれる。そう安心しきっていた私の耳に飛び込んできたのは、あまりにも予想外の台詞だった。
「私だって、愛されてるから。千華子なんかより、何倍も!」
それだけ言うと、羽愛は私の前から消えた。
● ● ●
「羽愛、私は何もふざけてない。むしろ、子どもが友達を作ることすら許さない、貴女の方がふざけてる」
「は? 何も知らないくせに、口答えしないで。私が娘にルールを課すのは、あの子達のため。私みたいな思いをしてほしくないから、縛り付けるの」
「そんなのはおかしいし、誰も幸せにならない! もっと他に方法がある筈──」
「うるさい! もう話にならないわ。とにかく、私の娘に余計なことしないで」
言い終えて、羽愛は出口に向かって歩き出した。
「ま、待って、羽愛!」
「じゃあね。もう二度と、会わないだろうけど」
ビシャリと扉が閉じられた。この音が、私達二人の本当の別れの音なのだろう。
(もしかしたら仲直りできるかもと思ったけど、無理だったか、やっぱり)
羽愛が娘をしっかり愛しているというのを知れただけでも良かったと、思うことにしよう。
(今日の私の発言のせいで木嶋さんがピンチになってしまったら、その時こそは、力になろう)
そう誓って、再び静寂の中での読書を始める。
変わってしまった友人への思いを、心の片隅において──。
しかし、一片の違和感を覚える。
ここ図書室では文化祭にあたっての特別な催しはない。ただ私──松江千華子(※優しい女と強き女参照)が静寂の中で本を読んでいるだけである。
にもかかわらず、こちらに近付いてくる足音があるのは何故なのだろうか。
(こんな日に、わざわざ本を借りに来る人がいるとは思えないし……)
まぁきっと大したことはないであろうとタカをくくって、私は本の世界に入る。
いくつになっても、恋愛の物語にはトキメキをもらえる。他人の甘い甘い恋愛話を聴くと、より強く胸を打たれたりする。
「ハァ、ハァ」
乱暴に開かれた扉の音と女性の荒れた息が場の静けさを引き裂き、私を本から現実へと連れ戻した。
少しの恐怖心はあれど、図書室の入り口へ視線を向ける。
(……!!)
その女性の顔を確かに頭に叩き込み、逃げるように本の中の文字の羅列を見つめた。
私のそんな態度は、ただでさえ不機嫌そうだった彼女の心の火に油を注いでしまったようだ。元から力強かった足の音がさらにパワーを増し、私をなぶるように迫ってくる。
「……ねぇ」
耳が千切れそうなまでに刺々しい声。私の目が狂ったのではなく、本当に彼女が、私に声を掛けているのだ。
「聞こえているでしょう? 返事くらいしてほしいんだけど、千華子」
「……なんでしょう、木嶋さんのお母様。いえ──羽愛」
彼女が今日この学校に足を踏み入れた時点で、既に私は逃れられない運命だったのかもしれない、なんて思いながら彼女の言葉に応えた。
「夕梨が私の娘だって、やっぱり知ってたのね。知ってて、アレを渡したのね?」
顔を真っ赤にして質問を投げかけてくる彼女は先程私も言った通り、図書室の常連・木嶋夕梨の母である。名を羽愛といい、かつては私の同級生かつ……親友、であった。
同じ相手に懸想し、その後私が結ばれてからは、噂を耳にすることはあっても直接会話をすることはなかったため、姿を見るのは大体二十年ぶりくらいか。印象的な首のスカーフを除けば、少し老けた程度で若かりし頃の羽愛と変わらない。
「訊いているんだから答えてくれない? ただでさえ得意じゃない人を相手に話してるのに無視されたら、本当に手が出そうなんだけど」
(得意じゃない……)
「占いの本を貸した時もあの子が羽愛の娘だって知ってはいたけど、別に嫌がらせをしてやろうっていうつもりじゃなかった」
「だったらどういうつもりだったのよ。自分の占い好きを、あの子に押し付けようとしたの?」
「それは……」木嶋さん(夕梨)のためを思うなら、彼女が恋をしていることを母親に伝えてはいけないのかもしれない。
でも。
子が親につく嘘なんて、きっといつかボロが出てバレてしまうもの。
「──あの子の恋を、応援するつもりで貸した」
「はぁ!? ふざけるのも大概にして!! あの子が、夕梨が私に隠れて、恋なんてする筈ないでしょ!?」
噴火してしまいそうな表情で勢いよくまくし立てる目の前の羽愛は、私のトラウマである過去の彼女の姿を彷彿とさせた。
● ● ●
ちょっぴり肌寒さを感じる、秋の日の夕暮れ。
大好きな彼に告白された喜びをドカンと放ちたいが、同じ人を想っていた羽愛相手にそんなことできる訳がなくて、気まずさの漂う帰り道。
「千華子、告られたんだってね」
ようやく羽愛から出てきたその言葉は、重苦しい空気に岩を上乗せするようなものだった。
「う、うん……」
なんとなく、罪悪感に駆られる。
いつもなら全然気にならない沈黙だが、その日だけは違った。
今回のことがきっかけで、羽愛に嫌われてしまったらどうしようという不安に呑み込まれそうだった。
「あのさ」
「な、何?」
よかった、羽愛が話題を、空気を変えてくれる。そう安心しきっていた私の耳に飛び込んできたのは、あまりにも予想外の台詞だった。
「私だって、愛されてるから。千華子なんかより、何倍も!」
それだけ言うと、羽愛は私の前から消えた。
● ● ●
「羽愛、私は何もふざけてない。むしろ、子どもが友達を作ることすら許さない、貴女の方がふざけてる」
「は? 何も知らないくせに、口答えしないで。私が娘にルールを課すのは、あの子達のため。私みたいな思いをしてほしくないから、縛り付けるの」
「そんなのはおかしいし、誰も幸せにならない! もっと他に方法がある筈──」
「うるさい! もう話にならないわ。とにかく、私の娘に余計なことしないで」
言い終えて、羽愛は出口に向かって歩き出した。
「ま、待って、羽愛!」
「じゃあね。もう二度と、会わないだろうけど」
ビシャリと扉が閉じられた。この音が、私達二人の本当の別れの音なのだろう。
(もしかしたら仲直りできるかもと思ったけど、無理だったか、やっぱり)
羽愛が娘をしっかり愛しているというのを知れただけでも良かったと、思うことにしよう。
(今日の私の発言のせいで木嶋さんがピンチになってしまったら、その時こそは、力になろう)
そう誓って、再び静寂の中での読書を始める。
変わってしまった友人への思いを、心の片隅において──。
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