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第二章
一難去ってまた一難
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「木嶋さん、昨日赤江と何を話したの? なんか謝ってきたんだけど」
「え?」
あぁ、戸山君にはメールで謝罪したのか。
「えっと……なんか熱くなっちゃって。本音をぶつけ合ってた」
すると、戸山君は驚いたように私を見つめる。
「あの赤江に……? 木嶋さん凄いねっ」
「へ、へへへ……」
まああの事は、私だって驚愕した。あの杏奈さんに言葉を返すなんてそう出来ることではない。
けれどしつこく質問責めして、やっと話してくれた。私の感情が爆発していたという特殊な条件はあったが。
「あ、あと色々あって、林田先生のことも喋っちゃったんだけど、大丈夫か、な?」
「え!? 大丈夫じゃないよきっと! でも、その事まだ先生は知らないんだよね? どうせ告白したりする度胸もないだろうから、赤江にそこを指摘しないように頼めば……」
昨日のあのやり取りから、戸山君は先生のことを一人の男として見下しているような気がする。
まあ恋の為に一歩踏み出した彼からしたら、ずっと動こうとしない先生は下等な生物に見えるのだろう。
「ねぇ、木嶋夕梨。ちょっと来て」
杏奈さんが私に小さく手招きする。
「え? う、うん」
急ぎ足で杏奈さんの元へ駆け寄ると、彼女は物欲しそうに手を差し出した。
「ハンカチ返して」
「あ! うん、ありがとう」
しっかりとキレイに洗ったハンカチをポケットから取り出し、杏奈さんに手渡した。
受け取ったそれを見つめて、彼女が軽くはにかんだような気がした。
「……どういたしまし──」
「え、杏奈何してんの?」
杏奈さんとお喋りをしようとやってきた女子生徒が、怪訝そうな面持ちで問い掛ける。
それも至極当然。昨日まである事無い事言っていた仲間(ボス?)と、その対象が親しげに会話しているのだから。
「あ、香澄……」
「木嶋のこと、嫌いなんじゃないの?」
「……その、昨日色々あって。コイツは悪くないかなって思ったから」
杏奈さんは少しだけ私に目を向ける。その口から紡がれる言葉に温かみを感じた。本心なのだろう。
けれど、思いが必ずしもまっすぐ伝わるとは限らないのだ。
「何それ。意味わかんないんだけど」
その声は強いが、震えていた。
恐れている人間に怒りのあまり物申すと、こんな風になるのか。
「え? そ、そんなに怒る?」
「当たり前じゃん。おかしいでしょ。昨日までは木嶋夕梨を嫌ってたのに、何が「コイツは悪くない」なの? さんざん人をビビらせておいてさぁ!」
「ビビってたの? アタシに?」
信じられないといった様子で杏奈さんは目をぱちくりさせる。香澄さんは当然、「杏奈以外、誰がいるのよ!」と返した。
「えー。ビビる事ないんじゃない? 別にアタシに従いたくないなら、無視すればいいだけの話でしょ」
「簡単に言うけど、出来ないから困ってるんだよ」
初めは誰か一人が「香澄すごっ」と声を漏らしただけだった。
しかし次第にそれは大きくなって、今では『ざわつき』を形成している。
「ヤバイよ、誰か止めに入りなよ」なんて声は聞こえるものの、誰一人体を動かさない。だってみんな怖いのだから。
──女同士の喧嘩は、男よりも厄介。
こんな話を、どこかで聞いた。その時は幼い上に友達なんて勿論いなかったから、「ふ~ん」程度で済んだ。
けれど、やっと分かった。
ピリピリと鋭い視線や言葉がぶつかり合い、周りの雰囲気すらも悪くしてしまう。
「なんで? 自分の思い潰してまで他人に媚びへつらう必要ある?」
嫌味ったらしく、杏奈さんが告げる。
(あぁ、居心地が悪い……)
何というか、声がネチネチしている。これぞ女の声、といった感じで。
「必要あるとかじゃなくて、今後の自分の人生に関する話だから。どうせ相手にしなかったら、いじめは見えてる」
「は? 何それ思い込みじゃないの。アンタごとき、どうしようがアタシ興味ないし」
「事が済んだからそういう事が言えるんでしょ。クソアマ」
対話が進む度 両者、どストレートで強い話し方になった。
「ウザ。自意識過剰の癖してなんなの? アタシがアンタに興味持ってるとでも? ……アンタなんて、木嶋夕梨以下だわ」
「何なのそれ! おかしいでしょ! どうしてアタシがこんなちんちくりん以下なのよ!」
皆、私への印象が同じだなぁ。以前杏奈さんにも、「ちんちくりん」と言われたし。
結構私、間抜けに見えるのかもしれない。
「やめなさい」
一人の人間が、喧騒を裂いていくようにゆっくりと歩いた。
その人は出席簿を机上に置き、おもむろに口を開く。
「皆、そう騒ぐな。席につけ」
林田先生。
彼は妙に落ち着き払った様子で、私達生徒を見ている。
いつもの彼ならば、こうはならない。多少の動揺が、表情からだって見て取れる。
昨日、何かあったのか……? だがそれならば、私達に秘密を打ち明け、協力を求めた後という事になる。
『は、はい……』
「じゃあ出席取るぞー。赤江ー」
「はい」
返事とともに、杏奈さんは長い髪を払う。先生はそれをじっと見つめ、小さく首を振った。
(?)
何だろう、あの様子。明らかにおかしい。
先生と話したいけれど、教室ではその話ができない。
ひとまずは、戸山君との相談か。
「明らかに不自然だった。今までもずっと好きだったなら今更想いに動揺したりしないはずだし……」
戸山君も同じ考えを持っていた。
「だ、だよね。やっぱり、だ、誰かと自分の想いについて話をしたとか?」
「いや、俺は……赤江に伝わったのがバレたんだと思う」
「アタシが何」
私と戸山君の間に、杏奈さんが割り込んでくる。
その為彼は一旦この話をやめ、杏奈さんに話を振った。
「いや何でもないよ、別に。赤江こそどうしたの?」
「気になる事があったから言っておこうと思って」
「気になる事? ……そういえば、袴田(香澄)との喧嘩はどうしたの?」
「ああ。もういいのよ。どうせ話たって伝わらないし」
つい先程のことだというのに忘れていたのか、杏奈さんは香澄さんの方に目をやる。
彼女の方も杏奈さんを見ていたらしく、女の子とは思えないような殺気に満ちた形相で小さく何かを呟いている。
このクラスの女子達は……思ったより闇が深いのかもしれない。私が人間に背をそむけている間に、何があったのだろう?
(……駄目だ。思い出せて、告白された日)
──あの日の事は今でも鮮明に覚えている。
淡い夕焼け色に染まった空の下、名も知らぬ男子に思いを告げられる……。今となっては、笑い話で流せてしまえそうだ。
「それで用っていうか話があるんだけど、聞いてもらえる?」
「いいよ。何?」
「蘭の事なんだけど……アイツ多分、何か企んでるわよ」
杏奈さんは不穏な雰囲気を醸し出していた。
戸山君はえっと驚いていたけれど、私は怪しいと思っていたから何も不思議に感じなかった。
「そんな訳ないよ。だって誓ったんだから」
「蘭は卑怯な女よ。誓いとか約束とか、絶対守らないから」
戸山君がムッと眉をひそめる。
まあ彼の方が長く蘭さんを見ている訳だから、当然の反応なのだろう。
「赤江に、蘭の何が分かるっていうの? 一応俺、アイツの幼馴染なんだよ?」
「ハァ……。好きな人に性格の悪いところを見せびらかす阿呆が居るわけ無いでしょうが」
「それって蘭の性格が悪いって事?」
「当然でしょ。アイツは自分の利益の為なら手段を選ばない、下衆な女よ。アタシと似たような性質だから間違いないわ」
杏奈さんは窓にもたれかかり、暗い瞳で、声で、そう言った。
「薄々気付いてたでしょ? 隠しきれてないもの。どす黒い心の内が」
性格が悪くて思い込みの激しい蘭さんの姿を過去に目撃した戸山君は、口ごもる。
「日暮さんは、何をしようとしてるの……?」
発言をしにくそうな彼に変わって私が訪ねた。
前々から、彼女のことは警戒していた。戸山君に説得された時はきっと、本当に反省していた筈だ。
──あれは、一時的なものだったというのか?
時が経つたびに、彼女を見て嫌な予感がする事があった。初めは微かなもので、特に気にも留めていなかったが……
最近になって、それは風船のように膨らんでいった。あれは、今この瞬間の暗示だったのかもしれない。
「分からないけど、林田のことも蘭がメールで送ってきたし、他にも妙な内容ばっかりなのよねぇ」
「妙って、例えば?」
もしかして、私達から頼んだ、杏奈さんの気持ちを探るものか?
「口で言うより、直接見せるわ」
杏奈さんがスマホを取り出す。それにはもうメールの画面が開かれていて、思わず驚愕した。
(操作早いな)
「ほら、これよ」
【今日の木嶋夕梨、三回も転んでたw。ドジじゃない?】
【海斗に見とれてたんだか知らないけど、今日すごいぼーっとしてたw。その顔がまた面白かったから、送るわね】
その内容はどれも、小さな事で私を馬鹿にするものばかり。
それらの上にあったメールでは、散々杏奈さんに注意していたのに。
「こ、これ……。蘭は木嶋さんのこと、ずっと見てたんだよね……? じゃないと、何回転んだとか分からないし」
衝撃のさなか、戸山君は声を絞り出す。
「詳しい事は分からない。メールなんかしないって言っちゃったせいで、詳しく聞けなかったから」
「もしかしたら、今も近くに……?」
恐怖のあまり、そう呟いた。
その声に反応してか、戸山君までも身を震わせて辺りを見回す。
「その可能性はあるでしょ。目的は不明だけど。けどこれを見て、解る事も勿論あるわよ」
「え?」
「蘭はおそらく、アタシを利用しようとしていた。自分の恋の為にね」
この文面から、どう読み取ったらそれが分かる?
「驚くのも無理ないわね。でも単純よ。このメールはただ木嶋夕梨のドジを逐一報告してるだけ。それをアタシから、本人に伝えてほしかったんでしょ」
「? そじゃあ日暮さんの恋、報われないよね?」
「そうよ。けどアイツ、妄想癖がある上に馬鹿なのよ。つまり、まだイケると思ってんの」
そこまでいくと、『ポジティブ』というにも無理があるな。恐怖しかない。
「……目が覚めたって、言ってたのに」
戸山君はもう、力尽きたような状態だった。
(失礼だが)そんな人でも、大切な幼馴染だったのに。今まで自分が見てきた蘭さんと、話の中での蘭さんはあまりにも違うのだろう。
「蘭とは知り合って、まだ一年とちょっとしか経ってないけど……これだけは言える。
海斗、アイツはアタシよりも厄介だからね」
「……」
戸山君は俯き、もう何も応えなかった。私は二人の今までを知らない。だけど、それが彼にとってとても幸せであった事位は理解できる。
考えれば考える程、哀れなのは戸山君だ。悪い言い方かもしれないが、“裏切られた”のだから。
「……今日の放課後、ちゃんと二人で話したらどうかな。日暮さんが何を考えているかなんて、結局は本人しか知らない訳だし」
戸山君が複雑な表情で、私を見た。
話したい。それは、山々だろう。ただ、自分が彼女の前でどうあれば良いのか、そもそも自分の見た彼女は何だったのかと、混乱状態にあるに違いない。
心のぶつかり合いはあれど、信じた幼馴染──だから、だろう。
(私にはそういう人いないから、分からないけど)
● ● ●
想定外だった。
まさか昨日、アタシの元へ訪れたのが──林田だなんて。
そして、知られてしまうだなんて。
「それじゃあ、お前────じゃないか」
あの男の、汚らしい声が頭に響く。
あぁ、うるさい、うるさいわよ!!
ぐしゃぐしゃと頭を掻きむしって、必死に耐えようとする。……この時点で十分耐えられてないけどね。
確かに、アタシは卑怯かもしれない。だからって、アイツにあんなことを言われる義理は無いじゃない!
(あー、イライラする!)
「あの、日暮さん」
男子生徒Aが呼びかける。
「何!」
勢いよく振り返ると、案の定、彼は怯えた様子で退いた。
「あの、戸山君が呼んでるよ……?」
「えっ」
咄嗟に廊下に目をやる。するとそこには、にこやかに佇む海斗の姿が。
(何かしら。何にせよ、幸せっ)
スキップで海斗に近付いていく。
ウフフ、何かしら、何かしらっ。
「何の用? 海斗」
「……」
どことなく元気がない様子。どうしたのかしら。
いや、もしかしたら告白なんて可能性もあるわ。緊張したら、顔も暗くなるものね。
「放課後、俺のクラスに来て。久しぶりに、ちゃんと話がしたいんだ」
「……うん! 分かったわ」
いつになく、真剣な面持ち。
これは……キタんじゃない? アタシの時代がぁ!
「あのさ……」
「?」
「蘭は、蘭だよね?」
海斗はアタシの袖を掴んで、不安そうに訊いてきた。急にどうしたのかしら。
「フフッ。何よその質問。アタシは、アタシに決まってるじゃない。おかしな海斗」
そんな海斗の手を握り、アタシは笑顔を返した。
「そ、そう、だよね。ハハッ」
変に強張った笑顔。
何なの、その顔は。アタシ、海斗から見て何か……おかしいの?
「ねぇ、……いや、何でもない」
「?」
今、言ってしまおうと思ったけれど。
放課後、全ての決着をつければ良い事ね。木嶋夕梨についても、海斗の変な態度についても。
どんな話し合いでも、たとえ、木嶋夕梨と勝負をしたとしても。アタシは絶対に負けない。
今からが、アタシの青春の1ページ。今までの事は、全て無かった事よ。
「じゃあ、また放課後ね」
「うん。必ず行くわ」
笑顔で手を振ってみせる。
(大丈夫、大丈夫)
林田の言う通りになんて、ならないから。
「え?」
あぁ、戸山君にはメールで謝罪したのか。
「えっと……なんか熱くなっちゃって。本音をぶつけ合ってた」
すると、戸山君は驚いたように私を見つめる。
「あの赤江に……? 木嶋さん凄いねっ」
「へ、へへへ……」
まああの事は、私だって驚愕した。あの杏奈さんに言葉を返すなんてそう出来ることではない。
けれどしつこく質問責めして、やっと話してくれた。私の感情が爆発していたという特殊な条件はあったが。
「あ、あと色々あって、林田先生のことも喋っちゃったんだけど、大丈夫か、な?」
「え!? 大丈夫じゃないよきっと! でも、その事まだ先生は知らないんだよね? どうせ告白したりする度胸もないだろうから、赤江にそこを指摘しないように頼めば……」
昨日のあのやり取りから、戸山君は先生のことを一人の男として見下しているような気がする。
まあ恋の為に一歩踏み出した彼からしたら、ずっと動こうとしない先生は下等な生物に見えるのだろう。
「ねぇ、木嶋夕梨。ちょっと来て」
杏奈さんが私に小さく手招きする。
「え? う、うん」
急ぎ足で杏奈さんの元へ駆け寄ると、彼女は物欲しそうに手を差し出した。
「ハンカチ返して」
「あ! うん、ありがとう」
しっかりとキレイに洗ったハンカチをポケットから取り出し、杏奈さんに手渡した。
受け取ったそれを見つめて、彼女が軽くはにかんだような気がした。
「……どういたしまし──」
「え、杏奈何してんの?」
杏奈さんとお喋りをしようとやってきた女子生徒が、怪訝そうな面持ちで問い掛ける。
それも至極当然。昨日まである事無い事言っていた仲間(ボス?)と、その対象が親しげに会話しているのだから。
「あ、香澄……」
「木嶋のこと、嫌いなんじゃないの?」
「……その、昨日色々あって。コイツは悪くないかなって思ったから」
杏奈さんは少しだけ私に目を向ける。その口から紡がれる言葉に温かみを感じた。本心なのだろう。
けれど、思いが必ずしもまっすぐ伝わるとは限らないのだ。
「何それ。意味わかんないんだけど」
その声は強いが、震えていた。
恐れている人間に怒りのあまり物申すと、こんな風になるのか。
「え? そ、そんなに怒る?」
「当たり前じゃん。おかしいでしょ。昨日までは木嶋夕梨を嫌ってたのに、何が「コイツは悪くない」なの? さんざん人をビビらせておいてさぁ!」
「ビビってたの? アタシに?」
信じられないといった様子で杏奈さんは目をぱちくりさせる。香澄さんは当然、「杏奈以外、誰がいるのよ!」と返した。
「えー。ビビる事ないんじゃない? 別にアタシに従いたくないなら、無視すればいいだけの話でしょ」
「簡単に言うけど、出来ないから困ってるんだよ」
初めは誰か一人が「香澄すごっ」と声を漏らしただけだった。
しかし次第にそれは大きくなって、今では『ざわつき』を形成している。
「ヤバイよ、誰か止めに入りなよ」なんて声は聞こえるものの、誰一人体を動かさない。だってみんな怖いのだから。
──女同士の喧嘩は、男よりも厄介。
こんな話を、どこかで聞いた。その時は幼い上に友達なんて勿論いなかったから、「ふ~ん」程度で済んだ。
けれど、やっと分かった。
ピリピリと鋭い視線や言葉がぶつかり合い、周りの雰囲気すらも悪くしてしまう。
「なんで? 自分の思い潰してまで他人に媚びへつらう必要ある?」
嫌味ったらしく、杏奈さんが告げる。
(あぁ、居心地が悪い……)
何というか、声がネチネチしている。これぞ女の声、といった感じで。
「必要あるとかじゃなくて、今後の自分の人生に関する話だから。どうせ相手にしなかったら、いじめは見えてる」
「は? 何それ思い込みじゃないの。アンタごとき、どうしようがアタシ興味ないし」
「事が済んだからそういう事が言えるんでしょ。クソアマ」
対話が進む度 両者、どストレートで強い話し方になった。
「ウザ。自意識過剰の癖してなんなの? アタシがアンタに興味持ってるとでも? ……アンタなんて、木嶋夕梨以下だわ」
「何なのそれ! おかしいでしょ! どうしてアタシがこんなちんちくりん以下なのよ!」
皆、私への印象が同じだなぁ。以前杏奈さんにも、「ちんちくりん」と言われたし。
結構私、間抜けに見えるのかもしれない。
「やめなさい」
一人の人間が、喧騒を裂いていくようにゆっくりと歩いた。
その人は出席簿を机上に置き、おもむろに口を開く。
「皆、そう騒ぐな。席につけ」
林田先生。
彼は妙に落ち着き払った様子で、私達生徒を見ている。
いつもの彼ならば、こうはならない。多少の動揺が、表情からだって見て取れる。
昨日、何かあったのか……? だがそれならば、私達に秘密を打ち明け、協力を求めた後という事になる。
『は、はい……』
「じゃあ出席取るぞー。赤江ー」
「はい」
返事とともに、杏奈さんは長い髪を払う。先生はそれをじっと見つめ、小さく首を振った。
(?)
何だろう、あの様子。明らかにおかしい。
先生と話したいけれど、教室ではその話ができない。
ひとまずは、戸山君との相談か。
「明らかに不自然だった。今までもずっと好きだったなら今更想いに動揺したりしないはずだし……」
戸山君も同じ考えを持っていた。
「だ、だよね。やっぱり、だ、誰かと自分の想いについて話をしたとか?」
「いや、俺は……赤江に伝わったのがバレたんだと思う」
「アタシが何」
私と戸山君の間に、杏奈さんが割り込んでくる。
その為彼は一旦この話をやめ、杏奈さんに話を振った。
「いや何でもないよ、別に。赤江こそどうしたの?」
「気になる事があったから言っておこうと思って」
「気になる事? ……そういえば、袴田(香澄)との喧嘩はどうしたの?」
「ああ。もういいのよ。どうせ話たって伝わらないし」
つい先程のことだというのに忘れていたのか、杏奈さんは香澄さんの方に目をやる。
彼女の方も杏奈さんを見ていたらしく、女の子とは思えないような殺気に満ちた形相で小さく何かを呟いている。
このクラスの女子達は……思ったより闇が深いのかもしれない。私が人間に背をそむけている間に、何があったのだろう?
(……駄目だ。思い出せて、告白された日)
──あの日の事は今でも鮮明に覚えている。
淡い夕焼け色に染まった空の下、名も知らぬ男子に思いを告げられる……。今となっては、笑い話で流せてしまえそうだ。
「それで用っていうか話があるんだけど、聞いてもらえる?」
「いいよ。何?」
「蘭の事なんだけど……アイツ多分、何か企んでるわよ」
杏奈さんは不穏な雰囲気を醸し出していた。
戸山君はえっと驚いていたけれど、私は怪しいと思っていたから何も不思議に感じなかった。
「そんな訳ないよ。だって誓ったんだから」
「蘭は卑怯な女よ。誓いとか約束とか、絶対守らないから」
戸山君がムッと眉をひそめる。
まあ彼の方が長く蘭さんを見ている訳だから、当然の反応なのだろう。
「赤江に、蘭の何が分かるっていうの? 一応俺、アイツの幼馴染なんだよ?」
「ハァ……。好きな人に性格の悪いところを見せびらかす阿呆が居るわけ無いでしょうが」
「それって蘭の性格が悪いって事?」
「当然でしょ。アイツは自分の利益の為なら手段を選ばない、下衆な女よ。アタシと似たような性質だから間違いないわ」
杏奈さんは窓にもたれかかり、暗い瞳で、声で、そう言った。
「薄々気付いてたでしょ? 隠しきれてないもの。どす黒い心の内が」
性格が悪くて思い込みの激しい蘭さんの姿を過去に目撃した戸山君は、口ごもる。
「日暮さんは、何をしようとしてるの……?」
発言をしにくそうな彼に変わって私が訪ねた。
前々から、彼女のことは警戒していた。戸山君に説得された時はきっと、本当に反省していた筈だ。
──あれは、一時的なものだったというのか?
時が経つたびに、彼女を見て嫌な予感がする事があった。初めは微かなもので、特に気にも留めていなかったが……
最近になって、それは風船のように膨らんでいった。あれは、今この瞬間の暗示だったのかもしれない。
「分からないけど、林田のことも蘭がメールで送ってきたし、他にも妙な内容ばっかりなのよねぇ」
「妙って、例えば?」
もしかして、私達から頼んだ、杏奈さんの気持ちを探るものか?
「口で言うより、直接見せるわ」
杏奈さんがスマホを取り出す。それにはもうメールの画面が開かれていて、思わず驚愕した。
(操作早いな)
「ほら、これよ」
【今日の木嶋夕梨、三回も転んでたw。ドジじゃない?】
【海斗に見とれてたんだか知らないけど、今日すごいぼーっとしてたw。その顔がまた面白かったから、送るわね】
その内容はどれも、小さな事で私を馬鹿にするものばかり。
それらの上にあったメールでは、散々杏奈さんに注意していたのに。
「こ、これ……。蘭は木嶋さんのこと、ずっと見てたんだよね……? じゃないと、何回転んだとか分からないし」
衝撃のさなか、戸山君は声を絞り出す。
「詳しい事は分からない。メールなんかしないって言っちゃったせいで、詳しく聞けなかったから」
「もしかしたら、今も近くに……?」
恐怖のあまり、そう呟いた。
その声に反応してか、戸山君までも身を震わせて辺りを見回す。
「その可能性はあるでしょ。目的は不明だけど。けどこれを見て、解る事も勿論あるわよ」
「え?」
「蘭はおそらく、アタシを利用しようとしていた。自分の恋の為にね」
この文面から、どう読み取ったらそれが分かる?
「驚くのも無理ないわね。でも単純よ。このメールはただ木嶋夕梨のドジを逐一報告してるだけ。それをアタシから、本人に伝えてほしかったんでしょ」
「? そじゃあ日暮さんの恋、報われないよね?」
「そうよ。けどアイツ、妄想癖がある上に馬鹿なのよ。つまり、まだイケると思ってんの」
そこまでいくと、『ポジティブ』というにも無理があるな。恐怖しかない。
「……目が覚めたって、言ってたのに」
戸山君はもう、力尽きたような状態だった。
(失礼だが)そんな人でも、大切な幼馴染だったのに。今まで自分が見てきた蘭さんと、話の中での蘭さんはあまりにも違うのだろう。
「蘭とは知り合って、まだ一年とちょっとしか経ってないけど……これだけは言える。
海斗、アイツはアタシよりも厄介だからね」
「……」
戸山君は俯き、もう何も応えなかった。私は二人の今までを知らない。だけど、それが彼にとってとても幸せであった事位は理解できる。
考えれば考える程、哀れなのは戸山君だ。悪い言い方かもしれないが、“裏切られた”のだから。
「……今日の放課後、ちゃんと二人で話したらどうかな。日暮さんが何を考えているかなんて、結局は本人しか知らない訳だし」
戸山君が複雑な表情で、私を見た。
話したい。それは、山々だろう。ただ、自分が彼女の前でどうあれば良いのか、そもそも自分の見た彼女は何だったのかと、混乱状態にあるに違いない。
心のぶつかり合いはあれど、信じた幼馴染──だから、だろう。
(私にはそういう人いないから、分からないけど)
● ● ●
想定外だった。
まさか昨日、アタシの元へ訪れたのが──林田だなんて。
そして、知られてしまうだなんて。
「それじゃあ、お前────じゃないか」
あの男の、汚らしい声が頭に響く。
あぁ、うるさい、うるさいわよ!!
ぐしゃぐしゃと頭を掻きむしって、必死に耐えようとする。……この時点で十分耐えられてないけどね。
確かに、アタシは卑怯かもしれない。だからって、アイツにあんなことを言われる義理は無いじゃない!
(あー、イライラする!)
「あの、日暮さん」
男子生徒Aが呼びかける。
「何!」
勢いよく振り返ると、案の定、彼は怯えた様子で退いた。
「あの、戸山君が呼んでるよ……?」
「えっ」
咄嗟に廊下に目をやる。するとそこには、にこやかに佇む海斗の姿が。
(何かしら。何にせよ、幸せっ)
スキップで海斗に近付いていく。
ウフフ、何かしら、何かしらっ。
「何の用? 海斗」
「……」
どことなく元気がない様子。どうしたのかしら。
いや、もしかしたら告白なんて可能性もあるわ。緊張したら、顔も暗くなるものね。
「放課後、俺のクラスに来て。久しぶりに、ちゃんと話がしたいんだ」
「……うん! 分かったわ」
いつになく、真剣な面持ち。
これは……キタんじゃない? アタシの時代がぁ!
「あのさ……」
「?」
「蘭は、蘭だよね?」
海斗はアタシの袖を掴んで、不安そうに訊いてきた。急にどうしたのかしら。
「フフッ。何よその質問。アタシは、アタシに決まってるじゃない。おかしな海斗」
そんな海斗の手を握り、アタシは笑顔を返した。
「そ、そう、だよね。ハハッ」
変に強張った笑顔。
何なの、その顔は。アタシ、海斗から見て何か……おかしいの?
「ねぇ、……いや、何でもない」
「?」
今、言ってしまおうと思ったけれど。
放課後、全ての決着をつければ良い事ね。木嶋夕梨についても、海斗の変な態度についても。
どんな話し合いでも、たとえ、木嶋夕梨と勝負をしたとしても。アタシは絶対に負けない。
今からが、アタシの青春の1ページ。今までの事は、全て無かった事よ。
「じゃあ、また放課後ね」
「うん。必ず行くわ」
笑顔で手を振ってみせる。
(大丈夫、大丈夫)
林田の言う通りになんて、ならないから。
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