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 エルフの森の一件から、もう3か月近く経過していた。
 その間、俺の周りでは本当に目まぐるしく色々なことが起きた。

 まず大きなことは、王宮からいくつもの勲章と称号を貰ったことだ。

 あまりに多すぎて覚えていないが。
 大樹の大門に描かれていた楽譜を解読したことで、考古学の勲章……
 エルフとアレンディルとの関係を取り持ったことで、外交とか平和に関する勲章……

 あと音楽のヤツとか、英雄がどーのってヤツとか。
 びっくりする金額の章品、記念品と一緒に……とにかく一杯。

 研究者が貰うような勲章も多かったので、チャドが偉く羨ましがっていた。
 自分もいくつか貰ってたくせに。

 しかしそれは、同時に多くの書類と対峙しなければいけないということでもあった。
 記念品の中には国宝級の逸品とかもあって、受け取るだけで簡単な儀礼にいくつも参加させられたりもした。

「……終わった」

 そして今、俺は王国の役人に手伝って貰い……
 王宮の一室で最後の書類にサインを済ませたところだった。

 中年の男性役人は、サインを見ると満足そうに微笑んだ。

「お疲れ様です。それにしても……こんな短い期間でこれほどの勲章を受け取った人はかつておりません……。ミナト様は本当に英雄ですな」
「俺の知ってる英雄は書類整理だけでこんなに疲労しないハズなのですが……」
「はははは、謙虚な英雄様だ」

 そう言うと、役人はまた沢山の書類の束を取り出した。
 俺が「またサインか……」という絶望の眼差しを向けると、役人はまた微笑みながら言う。

「これは控えの束ですよ。サインは必要ありません」
「よかった……」
「その中には、貴方の功績であるエルフ楽譜の論文認可証書も入っております。一応目を通しておいてくださいね。ははははは」

 エルフ楽譜の論文と言うのは、ざっくりと言えば俺が解読した楽譜の詳細をまとめた資料だ。

 勲章を受け取るためには、解読の経緯とか詳細をまとめた論文が必要で……
 さらにその論文が正しいかどうか、考古学や言語学を専門にした複数の学者達による検証と認可が必要だった。

 当然俺は正しい論文の書き方などわからなかったので、専門分野でもあるチャドにお願いすると……

 『異世界楽譜様式で見るエルフ言語とエルフ楽譜に関する論文』

 ……という、たいそう格式ばった論文を作ってくれた。
 つまり、俺は中身を見てもよくわからん。
 
「わかりました。理解できれば、見ておきます……」

 こうしてやっと会議室から解放され、俺がふらふらと王宮を出ると……
 外で待っていたアリスさんが俺の持つ書類の束を見て声をかけてくる。

「お疲れ様です。その証書の束を見ると……改めてミナト様の成された事の意味を実感いたしますね」
「そういうものかな。チャドが書いた論文もあるみたい」

 アリスさんは疲労困憊の俺を見ると、優しく微笑み……
 そのまま馬車で帰路につくことになった。

 しばらく走ると、アリスさんが馬車の窓から外を眺め、俺にこう言ってくる。

「ミナト様、本日は昼から月が良く見えますよ」
「月……?」

 俺も窓の外を見ると、月がアレンディル王国を見下ろしていた。
 元の世界に比べると、こちらの月は少し小さい。

 アリスさんはそんな月を見ながら俺に言った。

「しかし、音楽とは不思議なものですね」
「え……?」
「エルフの音楽は、月から計測したテンポで演奏されるのでしょう?」
「あぁ、そうだね。……BPM116」
「全く違う世界なのに、同じ月を持ち、そこから同じ着想を得て音楽に反映する……何か運命のようなものを感じますね」

 言われてみれば……確かにそうだな。
 俺も月を見ながら改めて感心する。

 どの世界でも、結局月は月。
 人間は人間なんだな。

(……って、あれ?)

「月……」
「どうかされました?ミナト様」

 俺は、目の前に見える小さな月を見てふと気づく。
 この世界の月の大きさが違うなら、そこから計測するテンポも変わらないだろうか?

 BPM116という月のテンポは、24.8時間で地球を周回する月の速度から計測している。
 この世界の時計が60秒で1分なのは確認済み。つまり太陽の周期は同じ。

 太陽が24時間周期で1分間60カウント。
 月の周期は24.8時間なので太陽の0.967倍、つまり60×0.967=58.02カウントとなる。

 メトロノームは1秒間を2カウントで数え、小数点以下を切り捨てるため58×2=116というわけだ。

 しかし、明らかにこの世界の月は元の世界よりも小さい。

(サイズが小さいのか、遠いかはわからないけど……周回速度も全然違うんじゃないだろうか)
 
 俺はふと気になって、チャドがまとめた楽譜の論文をペラペラとめくる。
 そしてそこに書かれていた事実を見て、つい……

「ふふ……」

 っと、可笑しくなり笑ってしまった。
 そんな俺を見てアリスさんが言う。

「どうされたんですか?」
「いや、楽譜の解読をしてる時……レナが言ってたことを思い出しちゃって」

 俺が、楽譜の解読に不安を持っていた時。
 レナが元気づけるために言ってくれたあの言葉。

『……奇跡って予想だにしないところから来るものなんです』
 
「予想だにしない奇跡か……」

 論文には、月のテンポの計測方法が記されていた。
 俺の世界と全く同じ計算式。

 しかし、月の速度は49.6時間。
 つまり……俺の世界の月と約倍の周期で動いていた。

 そうなると。 
 24時間÷49.6時間=0.4838709677419355
 60×0.4838709677419355=29(小数点を切り捨て)
 29×2=58

「この世界の月のテンポ……BPM58だったんだ」
「え……?それは……違うテンポという意味ですか?」
「いや、BPM116はBPM58のダブルタイム・フィールになってるんだよ」

 BPMとは分の拍数の事を差す。
 つまり1分間に何回クリックが鳴ったかの回数。

 ダブルタイム・フィールは読んで字のごとくそれが倍になった数。
 つまり元の世界の月とこの世界の月のテンポが、膨大な数の中で同じ整数倍の倍数であったという奇跡が起こっていた。

「BPM116は、BPM58の16分音符と同じになるんだ」

 そう、BPM58とダブルタイム・フィールになっているBPM116は、同じテンポでピッタシ倍の速度……ということ。

 しかし、俺はそれに気づかず演奏したのにも関わらず大門は開いた。

 つまり、精霊にとってみればテンポなんてどうでもよく……
 音階さえ合っていれば、おそらく門は開いたのではないだろう。

 可能性は低いが、あの『月の下』という言葉自体が、まったく意味の無い言葉だった可能性すらある。

 信じられない確率の奇跡が起こったのに、それを全く生かせない俺が英雄と呼ばれていること……
 精霊様が『テンポなんてどうでもいい!それより早く聴かせろ!』という、大味の音楽好きだったといういい加減さ……
 そして、そんなバカな英雄と精霊を称える証書の束があまりにも立派過ぎて……

 滑稽な自分の姿に、つい可笑しくなってしまう。

「なるほど……」
「ドヤ顔で月のテンポは116だって言ってた俺が恥ずかしいよ……」
「しかし、例え間違っていたとしても、大門を開きエルフと我が国との関係を取り持ったのは……貴方です」
「はは……それもレナの言ってた『予想だにしない奇跡』ってやつだね」
「えぇ、間違いなくミナト様が起こした奇跡ですよ」
 

◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 この3か月間……
 色々なことがあったけど。

 やはり一番大きかったのはギターの本格的な量産体制が整ったことだ。
 城の工房棟にフロリア中の優秀な職人たちが毎日集まって、活気よく木材を削る様はいつ見ても飽きない。

 小売り業者とも契約を済ませ、ギターの流通も始まっていた。
 正直俺は王宮からもお金をもらっているので、無償であげてもよかったのだが……

「ばっかじゃないの!?ビッグビジネスのチャンスじゃない!」
「う……うん……」
「いい!?お金は大事よ!?それに工房員達にも給料を払わないといけないんだから、しっかりビジネスにするからね!」

 と、リリー工房長に叱られて今に至る。
 リリーは優秀な職人でもあったのだが、同時に商売人でもあった。

 城の工房で作られたギターは俺の名字であるサクライからとって、『サクラギター』と名付けられ……
 チューナーである音叉、ギター用テキストとセット販売となり、フロリア中に流通している。

 そして、工房に多くの職人が集まったことで、新たな楽器制作の目途も立ち始めていた。

 1週間前……
 俺が次に作る楽器の設計図を工房長リリーに伝えると、彼女は眉をひそめて聞いてきた。

「え!?こんな細かい部品を……こんなにたくさん!?」

 しかし、その楽器は細かい部品がたくさん必要で、なおかつ複雑な構造だった。

「しかも、ベースより太い弦が必要じゃない!サイズもかなり大きいし、全部スチール弦だし」
「弦はヴァルム爺に交渉しておいたよ……やってくれるってさ」
「同じ弦楽器のはずなのに完成図もギターとは全然ちがう……一体なんて楽器なの?」

 それは、元いた世界ではこう呼ばれていた。

 現存する楽器の中で、もっとも完成された楽器。
 それひとつでオーケストラ演奏ができる楽器とも。

 ギターの数倍制作も難しいだろうが、音楽普及のためには絶対に必要になる。
 その名は……

「楽器の王様……ピアノだよ」


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 こんな調子で、エルフの件から俺達の作業は順調に進んでいた。
 そして、もう一つ大切な計画が始まろうとしていた。

 俺はある日、レナを街に呼び出して……
 その計画について彼女に相談することにする。

 レナとの待ち合わせ場所は、フロリアの中心から少し外れた高台の広場だった。
 広場にはレナ一人しかおらず、塀のようなところから首都フロリアを眺めてた。

 その光景をみてアリスさんも気を使い、公園の外で待っててくれる。
 俺は塀から街を眺めるレナに近づいた。

「レナ」
「あ、ミナトさん!お待ちしてました」

 レナの横で、俺も街を眺める。
 首都フロリアは改めて見ると本当に広く、美しい街。

 もうこの世界に来てから、半年以上たったのか。

「急にどうしたんですか?ミナトさん今忙しいのに……」
「楽器制作はリリーに任せてるし……まぁ、王宮から依頼は来てるけどね」

 数日前、王宮から定期的に演奏会を開いてくれないかと依頼が来ていた。
 その話を聞いて、楽器を弾きたくてうずうずしてたチャドとティナはとても喜んでいた。

 大切な計画とは、まさにそれのこと。

「今回呼び出したのは……レナにお願いがあってさ」
「……え?」
「今後、バンドも演奏の機会が増えるし……レナもメンバーに入ってくれないかなって」

 それを聞くと、レナは瞳をまん丸にして俺を見つめる。

「え!?でも、私楽器はなんにも……」
「いや……楽器じゃないよ。実は、ずっと考えていたんだ」

 この世界で初めて出会ったレナ。
 彼女の声を初めて聞いた時、いや、その後もずっと。

 その美しい声に、俺は何度も勇気づけられてきた。

「ボーカル……つまり、歌を歌って欲しいんだ」
「歌……」

 レナは、真剣な表情で考える。
 ギターのオクターブチューニングを直すときもそうだった。

 自分にできるか、覚悟があるのか。
 彼女はすぐに答えを出さず、真剣に考えてくれる。

 本当にいい子だ。

「それと……もう一つ君に伝えなきゃいけないことがあって」
「伝えなきゃいけないこと……?」

 考え込んでいたレナが、きょとんと俺に視線を向ける。

「前にさ、レナが俺にお母さんの話してくれたこと覚えてる?」
「はい……」

『冬霜の時って夜は特に寒いから……お母さんが暖炉に火をくべながら、いつもお話を聞かせてくれるんです』
『まだ子供の時だったから、詳しい話は覚えてないんですけど。私はお母さんの話を聞くたびに安心して、寒い夜もぐっすり眠れたんです』

 100年の厄災で苦しみ続けた国。
 その厄災を、音楽という代償で退けた王。

 エルフ達の一件からしばらくたって、俺はレナの言葉を思い出したんだ。


『お母さんはあの時……どんな話をしてくれてたんだろな』


 音楽がない世界では、思いもしなかったけれど。

 この世界にも音楽が存在したことがわかった今……
 寒い夜……愛する娘を安心して眠らせるために母親がすることなんて一つしかない。

「レナのお母さんは……話じゃなくて、子守歌を歌ってくれてたんじゃないかな」
「……」
「寒くて不安な夜、俺の世界では子供に歌を聴かせてあげるんだ……それが子守歌」
「こもり……うた……」

 子守歌って不思議だ。
 世界中歌の文化はまるで違うのに、どこにでも当然のように存在する。

 どの国、どんな世界の母親も……子供を想う気持ちが歌になる。
 それはきっと自然なこと。

 人が音楽で安心するのは、きっととても自然な理なのだろう。
 
 だからこそ、音楽の世界には歌が必要なんだ。
 歌は音楽が創造する世界を、さらに広大にする可能性を秘めている。

 そしてこの世界初の歌姫は、俺が一番好きな声を持つこの子しかいないだろう。

 と、ふとレナを見ると……

「……レナ?」
「……」
「って……え!?」

 レナは表情を失ったまま、ポロポロと綺麗な涙を流し始めた。
 やばい!……と思ったが、俺はそれが悲しみから来るものでないとすぐにわかる。

 だから俺は、彼女の涙には触れず……
 自分がレナを誘う理由をちゃんと言葉にすることにした。

「レナの声は綺麗だし、きっとお母さんの歌も、そうだったのかなって思ってさ」
「ミナトさん……」
「ずっと決めてたんだ。バンドにボーカルを入れるなら、レナがいいって」
「……」
「だから交流会で他に演奏者が必要だった時も……。なんだか……レナだけは楽器を弾いてるイメージがわかなくってさ」

 するとレナは涙を拭いて俺に言う。

「ミナトさん、貴方がこの世界に来てくれて……本当によかった」
「おおげさだな……」
「大げさなんかじゃありません!本当にそう思ってるんです」

 そして決心したようにレナは言う。

「お母さんの子守歌はもう聴こえないけど……私が歌うことはできる」
「……」
「だってミナトさんが、この世界に『音楽はこんなに素晴らしい』って教えてくれたから」

 真面目な顔で言われると……やっぱり少しは照れるもので。
 俺が恥ずかしさで視線を外すと、レナも顔を赤くして街を見下ろした。

 クソ真面目で、頑張り屋なレナ・キーディス。
 好奇心旺盛で快活なチャド・ボーナム。
 ひねくれてるけど、誰よりひたむきなティナ・バルザリー。

 うん、最高のバンドになるよ。
 大丈夫。

 そして俺はレナに感謝の意味を込めてこう言った。

「レナ。俺が最初にこの世界に来た時……こういってくれたよね?『異世界にようこそ』って」
「え?はい……」
「じゃあ俺にも言わせて」

 まだまだ全ては始まりに過ぎないのだろう。
 そう、だからこそ改めて言葉にする必要もあるってものだ。

 これまで俺は自分から何かを始めることなんてしたことなかった。
 だけど今は、目の前にあることがやりたいことだらけでウズウズしてる。

 それは、きっとレナがあの時……
 「ようこそ」って言ってくれたからだと思うんだ。



「音楽へようこそ」




ー第一章 音楽へようこそ 終章ー
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