龍神は月を乞う

なつあきみか

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第三幕〈レスタ周辺〉

展覧会の絵 前編

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 先の一件以来、レスタはすっかりイゼルに懐かれた。
 そもそも歳も同じだし、ものの見方や考え方もけっこう似ている。容姿も真逆の傾向とはいえどちらも見目麗しいので、ある意味お互いさま感覚というか、レスタの周辺もイゼルに対しては思惑や意図を気にしなくていい。
 もちろん宮廷でふたりが並べば注目は倍以上だろうが、レスタは王宮内裏ですら二日に一度の「通い王族」なので、そもそも衆目の集まるところには出てこないのが常だ。
 つまりユアルの学習室で毎回ほとんど顔をあわせるイゼルは、レスタとの対面率が非常に高い貴族ということになる。
 それについて、あるときトロワが不満をこぼした。
「このまえはたまたまレスタが私室にいたから、ちょっとは話もできたけど」
 内裏でのレスタの私室は、ユアルの学習室の隣に設けてある。
 とはいえ生活するための王宮内の館はおろか、滞在用の居室すら最初に断わったレスタは、学習室隣の準備室を正しく準備室という用途で占領しているだけなので、実際には私室と呼ぶのも微妙な個室だ。
 ゆえに、トロワはなかなかレスタに会えない。
 学習室に押し掛けるわけにもいかないし、終わりを待っていられるほど王弟殿下も暇ではないし。
 仮にうまく時間を見計らったとしても、話せる時間はたかが知れているというのが現状だ。
 ので、トロワは愚痴った。切々と愚痴った。公爵家のエレナ姫のまえで。
 もちろんレスタの耳に入れてもらうためだ。


「知らぬ間に仲直りしたのはけっこうだけど、私は伝書鳩ではないのよ」
 手土産の菓子と画集、そして或る催し物の招待状を携えて、エレナはノエルの私邸を訪れた。
 菓子はハルク、画集はレスタへの手土産だ。
 画集といっても色彩絵画の印刷技術は確立されていないので、要は多色刷りの版画なわけだが、これは非常に繊細で国外でも高い評価を得ている。
 それらをレスタとハルクにそれぞれ手渡したエレナは、続けて、だからこれ、といって一通の封筒を差し出した。
「招待状?」
「ええ、トロワ殿下からレスタに」
 表書きはなく、裏書きには画商の屋号と刻印。どうやら先の画集の出版元らしい。
 封筒から招待状を抜き取ったレスタは、印刷された文字を見てわずかに目を瞠った。
 招待状には展覧会の主題が装飾文字で記されていた。
 題して『旅の空の下』、副題は〈―異国の街並みと文化―〉というものである。
「…なるほど」
 レスタは二重の意味で納得した。
 ひとつはトロワからレスタへの絵画鑑賞の誘い。
 裏面にはトロワの手跡だろう日時の指定がしっかり書かれている。これはつまり一緒に観ましょうねということだ。
 そしてもうひとつは、展覧会の主題にもなっている異国。
 北のカレリア、南のルッツェンとザギトワ、西のナーガ。
 数名の画家がそれぞれ北、南、西の国を担当し、ほぼ三年がかりの旅路で描いてきたものらしい。
 南は古くから国交が確立しているため官民どちらも親交が深いが、北と西に関してはいまだ国境付近の交流のみに留まっている。
 国境といえば辺境伯だが、芸術方面にさぼど重きを置いていない各々の守護領は、そのあたりの発展と交流をおもに民間にまかせていた。
 殊に絵画などは金満家や好事家に多い優雅な趣味ということもあり、各地方の画商は王都の商工会を通じて宮廷貴族らの後援を得て、画家や版画師などの支援と売り込みにあたっている。
「ちょっと気になったからお父様にお尋ねしたら、これって公爵家もずっと後援してたんですって」
「まあ、公爵ならやりそうだな」
「そう、それも、カレリアと聞いて真っ先に手を挙げたそうよ」
「……ああ、なるほど」
 三年前ならレスタが王室に復帰する以前の話だ。
 最高位の貴族であり王族でもあるホルスト公爵にとって、西の辺境に追いやられた王子は何かと気懸かりな存在だった。
 騎士団総長だったブレダ・クルムを離宮の城代に据え、その子飼いと古参に周辺の警護を委ねて、自らも遠い王都から王子の成長を見守りつづけた。
 聡明な王子の話を伝え聞くたびに、良くも悪くも思うことは多々あったはずだが、賢明な公爵は幼い王子を政治の駒にすることもなく、レスタが自由であるように取り計らってくれた。
 もしかしたら公爵は、いつかレスタがこの国を出ようと思う日がくることを見越していたのかもしれない。
 年月を経て、レスタの望んだ先はカレリアではなくナーガだったが。
「だからほんとは協賛側のお父様がレスタを招待する予定だったんだけど、殿下も展覧会のことをどこかで聞いたらしくて、ナーガの風景ならレスタに観てもらわなきゃって。一緒にゆっくり観るために人払いの手配までしたそうよ」
「…ああ見えて意外と行動力あるよな、あいつ」
 呆れ半分のレスタにエレナはあら、という顔で続けた。
「なに言ってるの、トロワ殿下が行動力を発揮するのはレスタに関わるときだけよ」
「は?」
「え? やだ気づいてなかったの? ハルクも?」
 お茶菓子のバターサンドを頬ばっていたハルクは、もぐもぐしながらうんと頷く。
「どっちだ」
「気づいてた」
「えー…」
 ふだんおっとりしているハルクも気づいていたのが意外なのか、はたまた自分だけ気づいていなかったのが不満なのか、レスタはじっとり据わった目でふたりを見やった。
「接点少ないだろ。何でそう思ったんだよ」
「何でっていうか、レスタの怪我からこっちそんな感じだなあって」
「そうね。それ以前の殿下はいつも物静かで、ちょっと人嫌いみたいな神経質な感じだったもの。それがレスタの怪我と前後して、宮廷で見掛けないと思ったらレスタの離宮で出会したり、臣下の恋路に手を貸したり、ユアルのお茶会に顔を出したり、…周りの目も構わずに退出する貴方を呼び止めて、走って追いかけて行ったりもしたわね」
「………」
 なるほどぜんぶ覚えがある。
「それでこの招待状よ。公爵家が協賛の筆頭に名を連ねているのを知って、少しでいいから父に便宜を図ってくれって。展覧会場って城下の中心街にあるでしょう、だから警護のことも含めて、貴方に煩わしい注目が行かないように」
「好かれてるよね、レスタ」
「好かれてるわよね、ほんと」
「そうだな」
 あっさり認めたら、何とも言えない顔を向けられた。おもにエレナから。
「どういう顔だよそれは」
「どうって…こちらが聞きたいわ。それってどういう意味なの」
「なにが」
「そっ、…だから、」
 思わず言い淀んだエレナだが、お茶で一旦気を取り直し、意を決したようすで言葉を続けた。
「貴方限定の殿下の行動力は、貴方に恋をしているように見える、ということよ」
「………」

 うん、まあそろそろ誰かに言われるような気はしてた。


     + + +


 さて、王都にも絵画などの美術品を一般に展示するための恒常的な施設はない。
 画家も画商も個人への売り込みに力を入れているからだが、それ自体も芸術分野が富裕層の嗜みの域を出ていないことの裏返しであり、結果として何だかお高い印象だからだ。敷居にしろ、金額にしろ。
 なので、たまにこうして大々的に開催される展覧会は、王都の一般市民にとっても興味津々の気取った催事だ。
 鑑賞に出向いたというだけでも話題になるし、商家などは異業種交流や社交の足掛かりにもなる。
 つまりそれだけ観覧者や関係者の出入りも多くなるわけだが、当然そのあたりは主催側も心得ており、開催日程を貴族と市井に二分することで対人の警備体制は万全を期していた。
 そして本日は、協賛のホルスト公爵からも直々に指示のあった、とあるやんごとなき御方の私的な鑑賞日だ。
 警備体制も通常の会場警備に加え、当のお客の随伴騎士が数名。一見して単なる同伴の客も、実際は私服警護の近衛騎士という念の入れようだった。

「ここまでくるともう茶番だろ…」
 いつもより優雅な装いのシドがちょっと引き気味に肩をすくめた。
「まあ確かに…、貸し切りじゃないあたりが茶番くさいな」
 同じく騎士姿ではないジェイドも苦笑まじりだ。
「私服の近衛で周りを固めて、しっかり人払いしつつの衆目ど真ん中。茶番以外の何だっつんだ…」
 数歩先には渋茶色の薄絹で髪を隠したレスタと、その隣にはトロワの姿。
 会場の貴賓室でレスタの到着を待っていたトロワは、まるで見えない尻尾をぶんぶん振る大きな犬のようだった。
 そんなようすを見れば、なるほど確かにエレナの心配も頷ける、よっぽどレスタを好きなんだなあ、というのがありありと伝わってくるわけだが。
 思えば王弟のあれも一種の恋だ、と以前ナダルが言っていたように、トロワのこれが恋なのはきっと間違いじゃない。
 ただその方向性が、エレナの指す恋とは別ものなだけだ。
「…殿下なりの仲良し大作戦なんだろうな」
「あー…」
 ジェイドの言葉にシドはしみじみ納得してしまった。
 何しろシドもジェイドも、先日の王弟殿下の涙を見ている。
 周囲の声を雑音だと言い、レスタを嫌う先代の王族たちを老害だと吐き捨てた。そんなトロワが、それでも現状を読んで控えめに振る舞う姿をちゃんと見ていた。
 それらを経ての、今日のこの茶番、もとい意思表示だ。
 ジェイド曰く仲良し大作成。
 だからレスタがそれに応じるというなら、シドもジェイドも否やはない。トロワは思う存分レスタに懐けばいいと思う。
 もともと歳も身分も血も近い。どちらにとっても気兼ねのいらない彼らは、きっと良い友人になれるのだろうから。
「………」
 遠巻きにこちらを見ている貴族どもを一瞥し、シドは小さく鼻で笑った。
 若い世代の貴族にとって、ありとあらゆる意味でレスタは遠い存在だろう。政治の駒でも下心でも、まっすぐな憧憬でも。
 老害どもと違ってレスタへの興味もあるし、お近づきになりたいとも思っているが、それが容易く許される相手ではないので、何だかんだ遠巻きに見ている。
 そういう現状の中、微妙な立ち位置にいたトロワは己の身分を適度に利用しつつ、見極めにくい一線を丁寧に踏み込んでレスタに近づいてきた。
 その実直さは信用に値した。微笑ましくもなるというものだ。



 飾られた大小の風景画を、ひとつひとつ丁寧に鑑賞しながら少しずつ進む。
 肩を並べてゆっくり歩く。
 傍らには画家本人が解説につき、額縁の中の思い出と、そこに収まりきれなかったいくつもの景色について語っている。
 まずは南のザギトワからルッツェンにかけて。展示は南の二国から始まって、次に西のナーガ、最後に北のカレリアへと巡る順路になっていた。
「南もいつか行ってみたいな」
「なら冬の休暇を利用して行ってみたら? 去年はどうしてたんだ?」
「……、ここだけの話」
 一拍おいて、ひそめた声でレスタは応えた。
「…うん」
「うちの城代の伝手で湖畔の別荘を借りて、凍った湖を滑ってた」
 どことは言わなかったレスタだが、すぐにその意味を察したトロワは、無言でそうかと頷いた。
 湖面が硬く凍るほどの地域と言えば、ヴァンレイクでは北の辺境のさらに高地に限られる。治めるのは北のエアリス辺境伯爵。
 ―― 北のエアリスといえば、レスタとユアルの母、いまは亡きアユーラ王妃の生家だ。
 ブレダ・クルムの縁戚が北領の要職に就いていることは、レスタの周辺以外ではほとんど知られていない話だが、どうやらトロワは密かに把握していたらしい。
「…あまり聞かないけど、北の辺境伯とは交流あり?」
「俺じゃなくて城代がな」
「それはレスタのことを考慮して…?」
 近衛たちはともかく、案内役や画家も近くにいるので、ここは小声でひそひそ話す。
「城代の娘が辺境に嫁いだのは俺が生まれる何年もまえだけどな。そのへんは公爵がしっかり勘案しただろうな」
 レスタの誕生当時、肩身の狭くなったエアリス辺境伯、フロスト公爵が懇意にしているノエル辺境伯、王国騎士団総長だったブレダ・クルム、そしてエアリス領の国境警備隊指揮官に嫁いでいたクルム家の娘。
 エアリス家との直接的な縁故ではなく、同領内の要職に就く娘婿がいるブレダ・クルムは、確かに肩書きも実績も人脈も人柄も申し分なかった。
 それらを勘案した上で、フロスト公爵と内裏の上級官吏らはレスタの世話役、離宮の城代にブレダ・クルムを据えた。
「…なるほど。さすが公爵…抜け目ない…」
「もういっそあの人が国王だったらよかったのにな」
「レスタ…」
 こら、という顔でレスタを窘めたトロワは、隣の背をぽんと叩いて先へと進んだ。


 そのあたりの話もいつかゆっくり聞きたいとは思っているが、今日のトロワには何より優先したい事案があるのだ。
 正直なところ、あんまり自信はない。
 だけど、たぶん、きっと。レスタは喜んでくれる。
「ほら、そろそろナーガの展示区画だ」
 ―― きみに見せたい絵があるんだ。
 逸る気持ちを抑えて、トロワはレスタの手を取った。
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