龍神は月を乞う

なつあきみか

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第二幕〈再会〉

春の嵐 13

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 国境の川を越え、馬の速度を落としたところでクラウドはレスタを抱きとめた。
 包帯の右腕をうまく避けるようにして、俯き加減にまるまった身体をゆるく懐の中に引き寄せる。
 利口な馬は背後の気配にも敏感に反応した。あるいは異変を察したのかもしれない。歩みはさらに緩やかになり、やがて道の端に静かに停まった。
「レスタ」
 訝る声に、レスタは小さく平気だ、と答えた。
 苦し紛れではないはっきりとした声だったが、覗き込んだクラウドの目にレスタの表情は苦しげにみえた。顔色にさしたる変化がないのが不思議なほどだ。
「レスタ、降りるか」
「…いい、……問題ない、…たぶんすぐ治まる…」
 肩を抱き込むクラウドの手に手を重ね、絞り出するようにレスタは答えた。苦しげに一度呼吸を詰めて、それから大きく息を吐いて、吸った。
 あとはゆったりとした深呼吸を数回くりかえし、それにつれて支えていたクラウドの腕にも自然な重みが戻ってきた。
 身体の強張りがとけてしまえば、レスタの横顔にも先ほどの不穏は見あたらない。クラウドは訝りながらも安堵して、肩口の窪みに小さな頭を凭れさせた。苦痛の汗など浮いていないか、額やうなじを確かめながら。
「…龍神か?」
 背中は何の予兆も伝えてこなかったが、これがまったくの無関係だとは思えなかった。先日レスタが直接にと頼んでいたとおり、クラウドを介さずに直接レスタへ接触したとも考えられる。
 案の定、たぶんな、とレスタは頷いた。
「龍神が直接じゃなくて、…いまのは何ていうか、分厚い膜か何かを通りぬけたみたいな感覚だった」
 厳密には、目に見えない真空の壁を通りぬけたような感覚、だ。実際にレスタは息ができなかった。
「どういうことだ」
「…そうだな、たとえば…、最初の通過儀礼みたいなやつ、…だと思う」
 単純に龍国の地に入ったということではなく、クラウド、つまり龍神の宿主だけが立ち入ることの出来る、神威の領域への介入を許された。
 龍神の意思を聞いたわけではないので推測に過ぎないが、聞くまでもなくレスタの五感すべてがそれを正しく感じとっていた。
 だとすればクラウドにっては喜ばしいことのはずだが、己の背に何の兆しもなかったことでその機嫌はむしろ底辺だ。
「…最初ってのは?」
「おまえに龍紋が顕れて以来、俺が外から訪ねるのはこれが初めてだろ。だからその歓迎っていうか…、もともと国境越えたら何かあるんじゃないかとは思ってたんだよ…。何だかんだで身体も繋いだし…」
 レスタは大きく息を吐いた。
「…だからまだ来たくなかったってのもある。なおさら執着だの愛着だの増やしそうだしな…、お互いに」
「………」
 最初に遠乗りの話をしたときに、カムリには行かないと言ったレスタの心裏をこの男も見抜いていただろうに。
 それを分かっていて強引に連れてきたのは他でもないクラウドだ。
「いいじゃねぇか、愛着でも何でも増やしとけよ…、ただし、」
「おまえ限定で、だろ」
「あたりまえだ」
 龍神のレスタに向ける親愛もクラウドには胸くそ悪い話だが、その逆はもっと腹が立つ。
 実際の龍神はクラウドをこそ愛しているのだとレスタは感覚的に理解しているが、往々にしてこの手の愛情にはすれ違いが生じるものらしい。
 何にせよレスタが望まないことはクラウドも望まないはずだし、そういうクラウドの意向に沿うつもりなら、龍神はレスタをこのままこの国に引き留めたりはしないはずだ。
 国境を越えるまではあれこれ考えたりしていたが、実際に越えてみて、あの膜のような何かを通り抜けた今では、それは杞憂だったのだと何となく分かる。
「…ま、悪いようにはしねえから心配すんな」
 クラウドはレスタの髪をぽんぽんと撫でた。手綱を取り直して、ふたたび馬を歩かせはじめた。

「…そういやジェイドたちはどうした?」
 橋のこちら側に近衛を乗せた馬の姿は見あたらなかった。
「ああ、足止めした」
「……足止め?」
 ということは、クラウドが橋を渡る際にナーガ側の関所に何か指示でもしたのだろう。おそらく同じ頃合いでレスタも呼吸が苦しくなったので、周囲に意識がまわっていなかった。
「行き先だけでも伝えたか?」
「あとはこっちで引き受ける」
「だけ?」
「充分だろ」
「……まったく」
 関所に立つのはカムリの衛士だ、つまりクラウドが何者かも知っている。
 そんなクラウドから連れの護衛をこちらに入れるな、と言われたら衛士も困惑しただろうが、あとはこちらで引き受ける、と言い方を変えて伝えたのなら無難なほうかもかもしれない。
 そもそもここは国境で、クラウドはその国境のこちら側、カムリ辺境伯の総領だ。言おうと思えば入ってくるなと言うことも出来たし、また言ったとしてもジェイドならクラウドに対する不審もない。
 それにいまは正直なところ、レスタも彼らをカムリの地には入れたくなかった。
「………」
 たぶん龍神のことがなかったとしても、レスタはクラウドの領域に踏み込むことを意識の隅では躊躇っていた。避けていた。望んでいた。
 けれどこうして踏み込んでしまえば、辿りつくのはいつだって最後のひとつだ。
 やれやれと思った。あと数日もすればそれぞれの場所に戻っていくのに。
 分かっていても、いまはクラウドを優先したかった。あるいは自分自身を。せめて辺境で過ごす残りの日々ぐらいは。
 クラウドを受けいれた夜に自分でそう決めたはずだ。
 それならいっそ、もっとはっきり手を伸ばすのが生来のレスタらしいやり方だ。
 
 
   + + +
 
 
 到着したのは領都の屋敷ではなく、レスタが二年まえによく出入りしていた治水管理の御用邸だった。
「クラウド様…! 確か現在はお隣のノエル領にご滞在だと…、突然どうなさったのですか」
「えっ? クラウド様…?! いったいどう…、あ、レスタさんだ…!」
「お部屋の支度を早く! あ、レスタさんもご一緒だからお茶はふたつで!」
「クラウド様がいらしたんですか…って、レスタさんがいる!」
「おまえたちうるさい! …失礼いたしましたクラウド様、お部屋が調うまでは応接室に…。ささ、レスタ様もこちらへ」

「……何なんだおまえら…」
 
 先触れもなく突然やってきた暴君にさぞかし慌てふためくかと思いきや、御用邸の家臣らの二言めは「レスタさん」だった。
「まぁほら、実際久しぶりだし…」
 あきれながら苛ついているクラウドの横で、レスタはうっかり和んでしまった。
 彼らとはここへ出入りするときに会釈程度の挨拶をしていただけだが、いまだにしっかり覚えられていたようだ。
 もちろん記憶に残りやすい容姿というのもあるが、当時は少女の格好をしていたレスタにここまであっけらかんと接するということは、もしかしたら彼らはレスタが少年だったことに当時から気づいていたのかもしれない(そうでなければ家臣があるじの目のまえで連れの女性の名を気軽に呼ばわったりはしない)。
 どちらにしても歓迎の空気が心地よかった。
 ここはレスタにとっても少し特別な場所だ。思い出もあれば思い入れもある。
 クラウドは騒がしい家臣たちに手早く指示を出した。
「急だが今夜はこっちで過ごす。部屋は一室だけ用意すればいい。それとリヒトからの報せが届いてないか領都の屋敷に確認を取れ。書簡があるなら今夜のうちに目を通す」
「かしこまりました。では領都へはすぐに遣いを出しましょう」
 壮年の家臣が一礼してその場を辞し、ほかの者もそれぞれクラウドとレスタを迎え入れるための部屋の支度に取り掛かった。
 その後、離宮からは夕刻のうちにリクが戻り、シドも駆けつけた。
 どちらも城代からジェイドの報告を伝えられたようだった。
 レスタはハルクへのいくつかの用事を頼んだ書簡をシドに預け、明日はノエルに戻ることと、シドがこちらへ引き返す必要のないことを併せて告げた。


 御用邸は二年まえと変わらなかった。
 それを確かめるように、レスタは時間を掛けて屋敷の中を歩いてまわった。
 中庭を散策し、古書の積まれた書庫を覗き、クラウドの私室を覗いたときは窓辺からの夕暮れを眺めて、夕食を済ませたあとは覚えのない場所を探索しながらあちこちの扉を開けてまわった。角燈を手に付き従ったのはリクだ。
 一方のクラウドは夕食後のレスタのことは放っておいた。
 領都に留め置かれていた書簡を受け取ったついでに、領内各所のあれこれを確認するべく私室に入ったからだ。この際なのでレスタには気の済むまで邸内探索をやらせておくことにした。
 よほど無縁な場所でもない限り、もともとレスタはこの屋敷の中は慣れている。懐かしがるのを邪魔する理由もクラウドにはなかった。
 そんなこんなでレスタがクラウドの私室に戻ってきたのは、リクにもう遅い時間ですよと窘められたからだ。
 兄からの書簡に必要な返信をあらかた書き終えたところだったクラウドは、妙に埃っぽく艶のないレスタの金髪に目を細めて、ガキかよ、と鼻で笑った。
「湯を使ってこい。風呂の場所はさっきの探索で分かるだろ」
「そうする。何か全体的に埃っぽい…」
 きれいな髪をなおざりにするレスタの無関心は相変わらずだ。こういうときに子供じみた遊び心を存分に発揮させるのも。クラウドはあきれまじりにレスタの背中にひと声かけた。
「腕の添え木は外すなよ。替えの包帯と薬は用意させとく」
「ていうか、おまえは?」
 クラウドの格好はすでに身軽な夜着へと変わっていた。
「おまえが埃かぶってるうちにもう済ませた。洗うのは手伝ってやるから先に行ってろ。どうせ夜中にもういっぺん入るし一晩に三回も入りたくない」
 どうやらそれは今夜の確定事項らしい。あーそうですか、とだけ答えてレスタは部屋を出ていった。
 クラウドはそんなレスタを見送って、広げたままの数枚の便箋を手に取った。
 馴染みのある文字はリヒトからの書簡だ。
 レスタの怪我を案ずる見舞いの言葉のほかに、帝都や朝廷の時事的な報告などなど。どれも大したことのない内容だったが、中にひとつだけクラウドの気を惹く報告があった。
「…秋なら、半年後か」
 ということは成人を迎えたクラウドがすでに立太子礼を終えたあとだ。
 次代龍王、すなわち龍太子となるクラウドには最初に近隣外交の役割が待っているわけだが。
「…いっぺんくらい見てみるのも悪くないな」
 楽しげに呟いて、クラウドは兄に宛てた返信の書簡に封蝋を施した。
 さて、このあとは埃まみれのレスタを洗ってやらなければならない。
 クラウドは机の上をざっとまとめてレスタのいる湯殿に向かった。

 
「埃かぶるほど何やってんだよ。天井裏でも覗いてたのか」
 艶の戻った金の髪を乾かしてやりながら、クラウドは大きな湯あがり着で身体を拭いているレスタに訊いた。
 厚く柔らかな木綿はよく水分を取ってくれるので、片手のレスタでも楽々だ。
「屋根裏とか地下室とかだな。干からびた大昔の住人が転がってんじゃねえかとか…」
「古さだけならな。血生臭いのはもっぱらそれ用の施設がべつにある。とっくに機能はしてねぇが」
 物騒な会話を呑気に交わしながら、クラウドはさっぱりしたレスタを連れて私室に戻った。
 実のところ、離宮では毎日レスタの入浴を手伝っている(というか問答無用で一緒に入っている)クラウドとしては、そのうちの一度や二度くらいはその場で致したいと思うこともあったわけだが。
 レスタの右手を思えばいうまでもなく風呂での行為も自制の対象で、今日も当然しれっと堪えた。
 クラウドにとって最も縁遠い忍耐がレスタ相手だと日常だ。怪我をしているのにそれでも欲しいと思うのだから、考慮するのは当然だとしても。
「こらレスタ」
 私室に入るなり、窓辺に近寄ろうとするレスタの首ったまを掴まえた。あたりまえのように寝室へ連行するクラウドの態度は、もはや当然すぎて強引とも言えない。
 この男のこういう態度はいつものことだ。身体を繋ぐにしろ、ただ眠るにしろ。
「クラウド」
 以前にも何度か立ち入ったことのある寝室の、けれど身を横たえるのは今夜が初めてになる寝台の上で、レスタはクラウドの金の眸を見あげて言った。
「この屋敷、俺にくれよ」
「……」
 たとえば市街の、市井と接する役場のような建物ではないが、河川の治水管理として恒常的に人員を配しているこの屋敷は、カムリの私邸ではなくれっきとした官邸だ。
 一時期クラウドが私用三昧していたとはいえ、レスタも当然それは知っている。むしろ周知のことなのに、唐突な言葉にクラウドは首を傾げた。
「なんで?」
「単純に欲しいだけ。その代わりカムリにはノエルとの独占貿易をさせてやる。物資は植物油。食い物関係の製油全般はノエルの十八番だ」
「………」
「不服か?」
 問いかけに、クラウドはやはり沈黙で返した。
 寝台に組み敷いたきり、いまだレスタの夜着を乱していない我儘な暴君は、不意打ちにしても度を超す交換話にあきれているというか何というか、レスタの肩口に額を載せて沈没している。
「不服なら屋敷ごとここの連中も俺に寄越せよ。ついでに面倒みてやる」
 しかも要求が増えた。異国の、それも守護領の、治水を預かるれっきとした機能を持つ官邸をまるごと、だ。
 冗談のような話にクラウドは堪えず肩を揺らした。
「……おまえも大概だな。どこの国の領主が異国の王子様に官邸まるごとくれてやるって?」
「しょうがないだろ。そこらへんの義務も責任もないただの私邸じゃいちいち構う理由がねぇし」
「構いてぇの?」
「ていうか、構うことにした。視察のときはここまで足を伸ばしてやるよ」
 屋敷のあるじとして、ほんの短い時間でも。国境の橋を渡り、龍神の息吹を感じられるこの国の大地を踏むために。
「…多忙の王子様がよく言うわ」
 是非のどちらも答えずに、クラウドはレスタの鎖骨をやわく噛んだ。
 ナーガの設えの夜着は容易く手のひらの侵入を許し、袷の内側へと忍んだ指先はくすぐるように膚を撫でる。そのまま帯を解き、はだけた襟を肩から落として始まりの愛撫を与えていく。
 会話を終わらせた唇も、いまではレスタの白い首すじを這いあがり、すぐにも全身の熱を誘うような濃密な接吻へと変わっていた。
 甘く応えてくる舌先にクラウドは満足げに喉を鳴らした。

 白い肌をすべて暴き、手のひらの愛撫を徐々に内側へ移していく。
 脇腹を撫でおろし、腰からさらにその下へ。内腿に忍んでゆるく握り込むと、いつもと同じく丹念な愛撫を施した。
「…、ん…」
 熱を集めて次第に変化をみせるさまも、それどころかあけすけな感触さえ、これがレスタだというだけでクラウドは興奮と独占欲を煽られるのだから、自分でもあきれて笑うしかない。
 肉づきの薄い同性の身体など抱き心地はむしろ最低だ。やわらかくもなければ弾力に包まれたまるみもなく、そのくせよけいな手間だけは倍もかかる。
 だからいつでも倍以上の手間をかけて、クラウドはレスタを征服していく。そこには何ひとつ疎かにすることなどなく、もっと幾重もの時間をかけて、それを共有して、クラウドはレスタに刻みつける。己の独占欲を。
 それをさらに独占するのもこの世にレスタただひとりだ。
 クラウドの独占欲を、レスタだけが占有している。

 甘い吐息とともに、レスタの腕がクラウドの首にまわされた。
 もう片腕ではなく両腕だったが、右の手首だけは自由に動かせない包帯の中だ。添え木の端から見え隠れするだけの細い指先では、クラウドの髪を撫でることさえまだ叶わない。
 接吻のあいまにレスタが何かを呟いた。ひどく焦れったげに。
 クラウドは僅かに上体を起こして問いかけた。
「…両手でさわりたい?」
「あたりまえだろ…」
 不満げな即答にクラウドは小さく笑った。
 そうしてまるでこれ見よがしに、――同時にあからさまなほど艶めかしい手つきで、クラウドはレスタの両膝をゆっくり押しひらくと内腿の奧へ柔らかな膚を撫でおろしてやった。
「…っ、」
 レスタは反射的に息を詰めた。内側の薄い皮膚はどうしても過敏な反応を示す。たとえ一瞬でも、ぞくりと膚が粟立つ。
 クラウドは上体を屈め、露わにさせた脚のつけ根に顔を埋めると、その薄い皮膚を舌で辿るように舐めあげた。
「…っ、んっ、」
 くすぐるような舌先の愛撫に下肢がひくんと震える。まるで逃げを打つように身動いで、けれど抵抗とはまた違う。分かっていてもひどく落ち着かない心地になるらしく、行為に馴染むまでのあいだは大抵こうだ。
 だからクラウドも構わず舌先の愛撫を続けた。少しずつ、レスタの膚が官能の波に溶けていくのを巧みに誘った。
 濡れた舌の音が聴覚を刺激して、羞恥と欲望とが限界の手前でせめぎ合う。
 やがて乱れた呼気が熱と甘さをともない、堪えきれないあえかな喘ぎへと変わっていった。

 クラウドはレスタの身体を抱き起こすと、重ねた胸に伝わる鼓動と、熱い体温を確かめた。
 白い包帯が浮きあがる右の腕を取り、ゆっくりと己の肩へとまわしてやりながら甘く囁いた。
「…髪でもどこでも、治ったら好きなだけ触れよ」
 右手だけは過保護なほど大事にしてきたから、怪我の治りはきっと順調だ。
「俺もいまよりは遠慮しなくていいしな…、だいぶ慣れたろ、…ここも」
 あけすけな睦言はレスタには届かなかったかもしれない。
 身の奥を刺激する指先の戯れに息を詰め、レスタはふいに切なげに、金色の髪を打ち振った。
 頬に触れる黒髪を掻き寄せ、堪えきれずにクラウド、と呼んだ。
 丹念な前戯もそこまでだった。
 懐に抱き込んでいたレスタの腰を持ち上げたクラウドは、レスタの身の奥へしたたる欲望を突き立てた。


 明けて翌朝。
 レスタは微睡みから抜けきるまえに昨夜の答えを耳許で聞いた。
「ここが欲しけりゃおまえにやるよ。…箱でも中身でも好きに使え」
 箱は建物、中身はそこに仕える家臣たちのことだ。
「――…」
 ぱち、と音がしそうなほどくっきり瞼をあけたレスタは、次にはゆっくりと瞬いて、そうしてにやりと笑ってみせた。
「さすが。太っ腹」
 何をか言わんやだ。クラウドは盛大に溜息をついた。


   + + +


 ノエルの屋敷へは午後も遅くになって到着した。
 当初はトロワと昼食がてらくだんの挙式について簡単な段取りを決めていくつもりだったが、急遽レスタがカムリの下町での道草を希望したからだ。
 もちろんただの懐かしさだけでかつての市場通りを歩いたのではなく、記憶にあるいくつかの小間物屋を見てまわり、探していた花嫁用の白い紗を調達した。
 クラウドとともにカムリ家の馬車でノエル邸へと乗りつけたために、正門の衛士らにはやはり少々驚かれてしまったが、それはこの際ご愛敬のうちだ。
 時刻の変更は事前にシドから伝えられていたので、ハルクも今度は普段どおりに彼らを迎えた。
 まずはレスタとトロワで細かな話をするために、彼らは場所を書斎に移した。
 一方のクラウドはといえば、階下の図書室で退屈を紛らわすことにした。

 書架の膨大な蔵書には見向きもせずに、クラウドは窓辺に置かれた長椅子へと腰を降ろした。
 開け放たれた東側の窓からは心地よい風が通りぬけていく。
 いまここに、もはやレスタを心底疎む者はいない。
 その意味を正しく理解しているからこそ、クラウドは小さく舌打ちをもらした。
「どうしたんですか?」
 リクが不思議そうに訊いてくる。
 穏やかなはずの図書室の窓辺には、微かな苛立ちがたゆたっている。
「…なんでもねーよ」
 意識に浮かぶままクラウドが考えていたことは、レスタと、レスタにまつわる周辺事情のいくつかだった。
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