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第二幕〈再会〉
春の嵐 3
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「遅い。待ちくたびれた」
不意に耳慣れない異国語で非難してきたレスタの声に、クラウドは謂われのない苦情を聞き流しながらかれの居室へと踏み込んだ。
ふと背後を見やって、扉の側に立つ己の側近へと仕種だけで退室を命じる。そのすぐあとにレスタからの指示もあり、リクとシドは一礼を残して扉を閉めた。
さて、ようやくふたりきりだ。このあとすぐに会食の広間へと移動することに変わりはないが。
「…悪かったな、こんな時間に」
こちらへ近づいてきたクラウドに向けて、レスタは気の抜けた労いのひとことを告げた。
「まったくだ。このあとの飯もめんどくせぇ」
いかにも億劫そうに答えたクラウドだったが、ふいに伸ばした手でレスタの髪をくしゃくしゃにかき混ぜて、それを払おうとするレスタと子供じみた攻防を繰り広げはじめる。
「こらやめろ」
「馬の騒ぎは偶然か?」
「…まぁ、状況からしても作為の確立は低いな。ユアルを蹴落とすならまず俺から、てのは確かに常套だろうが、王弟派は基本そういう方向性じゃねえし」
「…確かに、おまえと敵対して連中が得するこた少ねえよな」
「すり寄ってこられても迷惑だけどな」
炎に揺れる赤い眸を見下ろして、クラウドは心持ち上体を屈めた。
「…すり寄られてんのか」
「そうは言ってない。ていうか、」
レスタが続きの言葉を紡ぐより先に、クラウドはそれを遮って唇を塞いだ。ほんの少し啄む程度に。
「……キスをしろとも言ってない」
「おまえが呼んだからだろ」
「だから、おまえが昼間帰ってなきゃこんな二度手間もなかったんだよ…。あー…ともかく、おまえは俺の主賓。連中のことは相手にすんな」
「いいけど。まさか滞在させんのか?」
「それこそありえねえだろ…。明日の朝にはたたき出す。今夜の会食だけ面つきあわせるだけだ」
面倒くさそうにレスタは答えた。実際確かに面倒くさかった。
「…ていうかほんと鬱陶しい…、こっちは片手で気取った飯どころじゃねーっつの…」
めずらしくレスタが駄々っ子になっている。
クラウドはちょっと興味深い気持ちになりつつ、不機嫌なレスタのこめかみを指でぐいぐいほぐしてやった。
「青すじ浮いてる」
「………」
「嫌ってんの、そいつ」
「べつに、この状況じゃなきゃそこまで興味ない」
「じゃあつまんねえ飯はさっさと済まさねえとな。せっかくここに俺がいるんだし」
「…正論だな、ある意味」
そんなわけで、レスタはクラウドに抱えられて会食の広間へと移動した。
なぜ移動手段がクラウドの抱っこかというと、同じ側の手足を痛めたせいで支えの杖を使えなかったからだ。なので今日まではハルクやシドがその役目だったわけだが。
クラウドが来たからには当然クラウドの役目になるし、また当面はクラウドだけの権利にもなる。
昼間は触れるのも少し躊躇っていたのに、そうとなればクラウドは危なげなくレスタを抱えあげ、いっそ楽しげにレスタを運んだ。
ふたりが広間の扉をくぐったとき、会食のテーブルではすでに各々の席に着いた先客が彼らを待っていた。
離宮のあるじを腕に抱いた異国の客人は堂々として、進み出たシドの介添えでレスタを上座の席に落ち着かせたクラウドは、自らもその右隣に用意された貴賓席へと腰をおろした。
始まりの乾杯のまえにレスタが客人の紹介をして、形式的な挨拶を終えたところで急な会食の席は幕を明けた。
縦長のテーブルにはレスタを上座にして、右隣にクラウド、左隣にトロワ、そしてその隣に王弟の側近を務める伯爵家の子息が二名着席している。同様にクラウドの隣にはリクの席も用意され、その末席を預かるのはあるじを迎えてから最後に着席したクルム城代だ。
もともと畏まった席でもなく、全くの私的な会食に臨んだ彼らは、ひとときの料理と会話を楽しんだ。むろん、各自に本当にそんな気があればの話になるが。
現にクラウドはこの顔触れで自ら会話を展開させるはずもなく、水を向けられれば答えるといった分厚い猫かぶりの様相だ。その応答も心底どうでもいいのを外面の良さだけで受け流しながら、たまにレスタと交わす言葉にだけ二ヶ国語を使い分けていた。
そんなクラウドから見て少し意外だったのは、レスタとトロワがごくふつうに会話していたことだ。
怪我についての改まった謝罪も、食事が始まってすぐに一度あったきりだった。運ばれてきたレスタの料理が片手でも困らない心配りをされており、それについて、ごく自然に。
それから話題は辺境の長閑な風景に移り、田舎ならではの乗馬や遊技といった娯楽に移り、もちろんどちらも親しげではないが、同様にどちらも上滑りというほど白々しくもなかった。
後半の話題はおもに今後の近隣外交にまつわる各自の私見へと趣を変えたが、それについても別段彼らの意見が衝突するということはなかった。
クラウドは黙ってそれを聞いていた。同席した王弟の側近たちも同様に。
トロワ・ローエンという人物は、レスタの分析によればひとことで飄々、という表現になるらしい。
掴みどころがないのではなく、真面目な一面も手抜きな一面もごくあたりまえに持ちあわせていて、その使い分けも万人に共通の関心の度合だ。ただし何事にも基本的に一歩引いている。あるいは諦観している。
そういった年齢にそぐわない人となりをして、周囲の目に飄々という印象を抱かせているようだ、とレスタは評した。
得難いものへの関心を示し、彼が執着をおもてに見せたのは今回の王位への野心が初めてだったかも知れない、とも。
子供じみたところはあまりおもてに出さない。真剣さを讃える反面、必ずしも実りに結びつかない現実を儚む悲観的思考の持ち主でもあり、石橋を叩いて渡る慎重さも備えている。かといって決して臆病でも脆弱でもない。見識や視野もそれなりに広い。
こういうときのレスタの評はまず外れない。
深入りしない会話はどちらも過不足のない教養で成り立っていた。
なるほどね、とクラウドは傍観者の目で納得した。
要するに、どちらも認め合ってはいるわけだ。
容姿はどちらかといえば真面目そうな、良く言えば老成した、悪く言えば年相応の若さに乏しい雰囲気だが、造作そのものは穏やかな優男のようでもあり、レスタに向けられた視線にも態度にも、どこかで欺こうという姑息な二心は窺えなかった。
少なくとも害はない。というか、害意はない。
(…まぁ、いまのところは)
残り少なくなった料理を片づけながら、クラウドは蒸留水のグラスを傾けた。
それより目下の不興といえば、王弟の側近のひとりだ。
会話はほとんどレスタとトロワのあいだで成されていたので、聞き役に徹しているからこそ沈黙はときに雄弁になる。その男は何かをひどく思い詰めたような表情で、ほとんど機械的に食事を進め、そして時折レスタを見つめた。
「………」
名前は何だったか。クラウドは先刻の紹介で聞いた男の名を思い出した。確かレグゼンという伯爵家の継嗣だ。キアム・レグゼン。
色気づいたものとは違うが、この視線の意味が気になるといえば気になる。
(…あとで訊いてみるか)
程なくして会食は予定どおりの料理を終え、滞りなく幕を降ろした。
「レスタ、このあともう少し話をすることは出来ないかな」
広間を出ようとしていたところで、トロワがレスタを呼び止めた。
お開きを告げた会食のあとは、就寝までの時間を自由に過ごしてくれとレスタは先に告げていた。これまでは来客などなかった離宮だが、かつての増改築でカードやダーツといった娯楽を楽しめる遊戯室も備えている。図書室も開放されており、退屈ということはないはずだった。
「あいにく今日はもう疲れてる」
戻りも同様にクラウドの手を借りて引きあげようとしていたレスタは、立ち止まった彼の肩越しにトロワを見やり、その申し出をすっぱりと断わった。
「ついでを言えば詫びも見舞いも気持ちは充分に受け取った。ありがた迷惑なほどにな。時間を設けてべつの話をしたければ今度はそういう名目で礼を尽くして訪ねてこい。――キアム卿も同様に」
それまでの表向きを一切排除したいつものレスタらしい返答に、小さく肩を揺らしてクラウドは笑った。
どうやら茶番はここまでらしい。
先触れさえなかった突然の見舞い客に対して、ひととおりのもてなしを示したこの会食は確かに礼を尽くしたものだった。
レスタの言うようにそれ以外の、時間を設けてべつの話をしたいという希望があるのなら、それこそ見舞いではなくそのための名目でもって打診をしてくるのが当然の手順だ。たとえ静養中であってもそんなことに公式も非公式も違いなどない。
「それからここの出入りはノエルの管轄だ。明日は領都の屋敷に詫びを入れろ。ハルクがいるんで対応させる」
「…非礼は承知の上だよ。じゃあ、明日あらためてノエル殿にこちらへの滞在の旨を伝えてこよう。それならいいだろう?」
めずらしく、すぐには退かずにトロワは返した。表情にも口調にもこわばりはなかったが、承知だと言いきるあたり不躾な申し出をしている自覚はあるらしい。
レスタは大仰に溜息をついた。
「…生憎だが、滞在についてはこっちで断る。どうしても粘るつもりならノエルに頼み込んでみるんだな」
それだけ言ってレスタはクラウドを促した。
扉のまえの奇妙な問答はそうして終わり、動くに動けなかった侍従らも、成りゆきを見届けた城代の合図で広間の片づけへと戻っていった。
残ったのは、図らずもこの一幕を作ってしまったトロワと、先のやりとりを傍観しているしかなかった側近二名、そして彼らの守り役を押しつけられてしまったシドと他のバルトだ。
「…このままお部屋へ戻られますか?」
シドの問いにトロワは肩をすくめる仕種で頷いた。浮かぶ苦笑いはこの男特有の曖昧な表情のひとつだ。
「やっぱり怒ってたか…。無理もないけど」
静かに溜息をついたトロワは、シドに続いて廊下を歩きだした。
「………」
彼らの先に立って進むシドは、トロワがレスタと話をしたいと言いだした理由について、何となく腑に落ちなくて首を傾げた。
考えられるのはやはり彼の従者の件だが、あれほど軽微な処分で幕を引いたものをまた混ぜ返すというのもおかしな話だし、かといって他には思いつかない。
それともこちらが忘れているだけで、彼らとの間にまったくべつの問題でも起こっていただろうか。それも静養中のレスタをわざわざ追いかけてこなければならないような。
なかったよな。という結論に、シドはやはり密かに首を傾げるしかなかった。
「そういや歳いくつだ、あれ」
静かな廊下を進みながら、クラウドはふと思い出したようにレスタに問うた。かれの叔父だという王弟のことだ。
「あー…確かおまえのいっこ上」
クラウドは来月の末で十八になる。それすら他人の目には不似合いな年齢だが、あの王弟もとても今年十九の青年には見えない。
「……あの顔でか?」
「方向性が違うだけでおまえも似たようなもんだろ」
揶揄するようなレスタの返答におまえもな、と肩をすくめて、クラウドはすでに灯りの点されたかれの私室に入った。
「それよか…末席に座ってたほうのあれ、身に覚えは?」
「ねえよ」
そもそも叔父のトロワですら個人的な交流も接点もない。その側近ならなおさらだ。
「ふーん…。じゃあっちが一方的に腹に何か抱えてるってことか。たしか伯爵家だったよな。どの程度の?」
クラウドは奧のカウチにレスタを降ろすと、転がるクッションを端に避けながらその隣に腰を降ろした。
「レグゼン伯爵家は王弟派の中でも末席だ。冷や飯食いが側近まで取り立てられたって意味では大出世のうちだろうけど」
「内輪で出世したってな。どのみち王弟側ってだけで結果的には冷や飯食いだろ」
「…さあ…、どうなんだか」
レスタは傍らのクッションに凭れて身体を伸ばした。ほとんど義務のような会食で料理を楽しめたはずもないが、かといって疲れるほどの苦行でもなく、なのにその声はどこか気もそぞろだ。
もしかしたら今のやりとりで何か思いあたったのかもしれない。
「…で。連中の用件は結局なんだ? マジで見舞いってこたねえよな?」
「まさか。違うだろ」
「だよな」
とはいえ、その目的がレスタに対する下心だの企みだのといったようすでもない。ということはだ。
クラウドは胡乱な眼差しになりつつ聞いてみた。
「…つまり、間接的になら思いあたるふしがなくもない、…てことでいいか?」
「うーん…。そうなんだろうか」
「おい」
「いや、実際なんもないのは確かなんだけど」
「……何やらかしたんだ」
あきれるクラウドにレスタはただ肩をすくめただけだった。
不意に耳慣れない異国語で非難してきたレスタの声に、クラウドは謂われのない苦情を聞き流しながらかれの居室へと踏み込んだ。
ふと背後を見やって、扉の側に立つ己の側近へと仕種だけで退室を命じる。そのすぐあとにレスタからの指示もあり、リクとシドは一礼を残して扉を閉めた。
さて、ようやくふたりきりだ。このあとすぐに会食の広間へと移動することに変わりはないが。
「…悪かったな、こんな時間に」
こちらへ近づいてきたクラウドに向けて、レスタは気の抜けた労いのひとことを告げた。
「まったくだ。このあとの飯もめんどくせぇ」
いかにも億劫そうに答えたクラウドだったが、ふいに伸ばした手でレスタの髪をくしゃくしゃにかき混ぜて、それを払おうとするレスタと子供じみた攻防を繰り広げはじめる。
「こらやめろ」
「馬の騒ぎは偶然か?」
「…まぁ、状況からしても作為の確立は低いな。ユアルを蹴落とすならまず俺から、てのは確かに常套だろうが、王弟派は基本そういう方向性じゃねえし」
「…確かに、おまえと敵対して連中が得するこた少ねえよな」
「すり寄ってこられても迷惑だけどな」
炎に揺れる赤い眸を見下ろして、クラウドは心持ち上体を屈めた。
「…すり寄られてんのか」
「そうは言ってない。ていうか、」
レスタが続きの言葉を紡ぐより先に、クラウドはそれを遮って唇を塞いだ。ほんの少し啄む程度に。
「……キスをしろとも言ってない」
「おまえが呼んだからだろ」
「だから、おまえが昼間帰ってなきゃこんな二度手間もなかったんだよ…。あー…ともかく、おまえは俺の主賓。連中のことは相手にすんな」
「いいけど。まさか滞在させんのか?」
「それこそありえねえだろ…。明日の朝にはたたき出す。今夜の会食だけ面つきあわせるだけだ」
面倒くさそうにレスタは答えた。実際確かに面倒くさかった。
「…ていうかほんと鬱陶しい…、こっちは片手で気取った飯どころじゃねーっつの…」
めずらしくレスタが駄々っ子になっている。
クラウドはちょっと興味深い気持ちになりつつ、不機嫌なレスタのこめかみを指でぐいぐいほぐしてやった。
「青すじ浮いてる」
「………」
「嫌ってんの、そいつ」
「べつに、この状況じゃなきゃそこまで興味ない」
「じゃあつまんねえ飯はさっさと済まさねえとな。せっかくここに俺がいるんだし」
「…正論だな、ある意味」
そんなわけで、レスタはクラウドに抱えられて会食の広間へと移動した。
なぜ移動手段がクラウドの抱っこかというと、同じ側の手足を痛めたせいで支えの杖を使えなかったからだ。なので今日まではハルクやシドがその役目だったわけだが。
クラウドが来たからには当然クラウドの役目になるし、また当面はクラウドだけの権利にもなる。
昼間は触れるのも少し躊躇っていたのに、そうとなればクラウドは危なげなくレスタを抱えあげ、いっそ楽しげにレスタを運んだ。
ふたりが広間の扉をくぐったとき、会食のテーブルではすでに各々の席に着いた先客が彼らを待っていた。
離宮のあるじを腕に抱いた異国の客人は堂々として、進み出たシドの介添えでレスタを上座の席に落ち着かせたクラウドは、自らもその右隣に用意された貴賓席へと腰をおろした。
始まりの乾杯のまえにレスタが客人の紹介をして、形式的な挨拶を終えたところで急な会食の席は幕を明けた。
縦長のテーブルにはレスタを上座にして、右隣にクラウド、左隣にトロワ、そしてその隣に王弟の側近を務める伯爵家の子息が二名着席している。同様にクラウドの隣にはリクの席も用意され、その末席を預かるのはあるじを迎えてから最後に着席したクルム城代だ。
もともと畏まった席でもなく、全くの私的な会食に臨んだ彼らは、ひとときの料理と会話を楽しんだ。むろん、各自に本当にそんな気があればの話になるが。
現にクラウドはこの顔触れで自ら会話を展開させるはずもなく、水を向けられれば答えるといった分厚い猫かぶりの様相だ。その応答も心底どうでもいいのを外面の良さだけで受け流しながら、たまにレスタと交わす言葉にだけ二ヶ国語を使い分けていた。
そんなクラウドから見て少し意外だったのは、レスタとトロワがごくふつうに会話していたことだ。
怪我についての改まった謝罪も、食事が始まってすぐに一度あったきりだった。運ばれてきたレスタの料理が片手でも困らない心配りをされており、それについて、ごく自然に。
それから話題は辺境の長閑な風景に移り、田舎ならではの乗馬や遊技といった娯楽に移り、もちろんどちらも親しげではないが、同様にどちらも上滑りというほど白々しくもなかった。
後半の話題はおもに今後の近隣外交にまつわる各自の私見へと趣を変えたが、それについても別段彼らの意見が衝突するということはなかった。
クラウドは黙ってそれを聞いていた。同席した王弟の側近たちも同様に。
トロワ・ローエンという人物は、レスタの分析によればひとことで飄々、という表現になるらしい。
掴みどころがないのではなく、真面目な一面も手抜きな一面もごくあたりまえに持ちあわせていて、その使い分けも万人に共通の関心の度合だ。ただし何事にも基本的に一歩引いている。あるいは諦観している。
そういった年齢にそぐわない人となりをして、周囲の目に飄々という印象を抱かせているようだ、とレスタは評した。
得難いものへの関心を示し、彼が執着をおもてに見せたのは今回の王位への野心が初めてだったかも知れない、とも。
子供じみたところはあまりおもてに出さない。真剣さを讃える反面、必ずしも実りに結びつかない現実を儚む悲観的思考の持ち主でもあり、石橋を叩いて渡る慎重さも備えている。かといって決して臆病でも脆弱でもない。見識や視野もそれなりに広い。
こういうときのレスタの評はまず外れない。
深入りしない会話はどちらも過不足のない教養で成り立っていた。
なるほどね、とクラウドは傍観者の目で納得した。
要するに、どちらも認め合ってはいるわけだ。
容姿はどちらかといえば真面目そうな、良く言えば老成した、悪く言えば年相応の若さに乏しい雰囲気だが、造作そのものは穏やかな優男のようでもあり、レスタに向けられた視線にも態度にも、どこかで欺こうという姑息な二心は窺えなかった。
少なくとも害はない。というか、害意はない。
(…まぁ、いまのところは)
残り少なくなった料理を片づけながら、クラウドは蒸留水のグラスを傾けた。
それより目下の不興といえば、王弟の側近のひとりだ。
会話はほとんどレスタとトロワのあいだで成されていたので、聞き役に徹しているからこそ沈黙はときに雄弁になる。その男は何かをひどく思い詰めたような表情で、ほとんど機械的に食事を進め、そして時折レスタを見つめた。
「………」
名前は何だったか。クラウドは先刻の紹介で聞いた男の名を思い出した。確かレグゼンという伯爵家の継嗣だ。キアム・レグゼン。
色気づいたものとは違うが、この視線の意味が気になるといえば気になる。
(…あとで訊いてみるか)
程なくして会食は予定どおりの料理を終え、滞りなく幕を降ろした。
「レスタ、このあともう少し話をすることは出来ないかな」
広間を出ようとしていたところで、トロワがレスタを呼び止めた。
お開きを告げた会食のあとは、就寝までの時間を自由に過ごしてくれとレスタは先に告げていた。これまでは来客などなかった離宮だが、かつての増改築でカードやダーツといった娯楽を楽しめる遊戯室も備えている。図書室も開放されており、退屈ということはないはずだった。
「あいにく今日はもう疲れてる」
戻りも同様にクラウドの手を借りて引きあげようとしていたレスタは、立ち止まった彼の肩越しにトロワを見やり、その申し出をすっぱりと断わった。
「ついでを言えば詫びも見舞いも気持ちは充分に受け取った。ありがた迷惑なほどにな。時間を設けてべつの話をしたければ今度はそういう名目で礼を尽くして訪ねてこい。――キアム卿も同様に」
それまでの表向きを一切排除したいつものレスタらしい返答に、小さく肩を揺らしてクラウドは笑った。
どうやら茶番はここまでらしい。
先触れさえなかった突然の見舞い客に対して、ひととおりのもてなしを示したこの会食は確かに礼を尽くしたものだった。
レスタの言うようにそれ以外の、時間を設けてべつの話をしたいという希望があるのなら、それこそ見舞いではなくそのための名目でもって打診をしてくるのが当然の手順だ。たとえ静養中であってもそんなことに公式も非公式も違いなどない。
「それからここの出入りはノエルの管轄だ。明日は領都の屋敷に詫びを入れろ。ハルクがいるんで対応させる」
「…非礼は承知の上だよ。じゃあ、明日あらためてノエル殿にこちらへの滞在の旨を伝えてこよう。それならいいだろう?」
めずらしく、すぐには退かずにトロワは返した。表情にも口調にもこわばりはなかったが、承知だと言いきるあたり不躾な申し出をしている自覚はあるらしい。
レスタは大仰に溜息をついた。
「…生憎だが、滞在についてはこっちで断る。どうしても粘るつもりならノエルに頼み込んでみるんだな」
それだけ言ってレスタはクラウドを促した。
扉のまえの奇妙な問答はそうして終わり、動くに動けなかった侍従らも、成りゆきを見届けた城代の合図で広間の片づけへと戻っていった。
残ったのは、図らずもこの一幕を作ってしまったトロワと、先のやりとりを傍観しているしかなかった側近二名、そして彼らの守り役を押しつけられてしまったシドと他のバルトだ。
「…このままお部屋へ戻られますか?」
シドの問いにトロワは肩をすくめる仕種で頷いた。浮かぶ苦笑いはこの男特有の曖昧な表情のひとつだ。
「やっぱり怒ってたか…。無理もないけど」
静かに溜息をついたトロワは、シドに続いて廊下を歩きだした。
「………」
彼らの先に立って進むシドは、トロワがレスタと話をしたいと言いだした理由について、何となく腑に落ちなくて首を傾げた。
考えられるのはやはり彼の従者の件だが、あれほど軽微な処分で幕を引いたものをまた混ぜ返すというのもおかしな話だし、かといって他には思いつかない。
それともこちらが忘れているだけで、彼らとの間にまったくべつの問題でも起こっていただろうか。それも静養中のレスタをわざわざ追いかけてこなければならないような。
なかったよな。という結論に、シドはやはり密かに首を傾げるしかなかった。
「そういや歳いくつだ、あれ」
静かな廊下を進みながら、クラウドはふと思い出したようにレスタに問うた。かれの叔父だという王弟のことだ。
「あー…確かおまえのいっこ上」
クラウドは来月の末で十八になる。それすら他人の目には不似合いな年齢だが、あの王弟もとても今年十九の青年には見えない。
「……あの顔でか?」
「方向性が違うだけでおまえも似たようなもんだろ」
揶揄するようなレスタの返答におまえもな、と肩をすくめて、クラウドはすでに灯りの点されたかれの私室に入った。
「それよか…末席に座ってたほうのあれ、身に覚えは?」
「ねえよ」
そもそも叔父のトロワですら個人的な交流も接点もない。その側近ならなおさらだ。
「ふーん…。じゃあっちが一方的に腹に何か抱えてるってことか。たしか伯爵家だったよな。どの程度の?」
クラウドは奧のカウチにレスタを降ろすと、転がるクッションを端に避けながらその隣に腰を降ろした。
「レグゼン伯爵家は王弟派の中でも末席だ。冷や飯食いが側近まで取り立てられたって意味では大出世のうちだろうけど」
「内輪で出世したってな。どのみち王弟側ってだけで結果的には冷や飯食いだろ」
「…さあ…、どうなんだか」
レスタは傍らのクッションに凭れて身体を伸ばした。ほとんど義務のような会食で料理を楽しめたはずもないが、かといって疲れるほどの苦行でもなく、なのにその声はどこか気もそぞろだ。
もしかしたら今のやりとりで何か思いあたったのかもしれない。
「…で。連中の用件は結局なんだ? マジで見舞いってこたねえよな?」
「まさか。違うだろ」
「だよな」
とはいえ、その目的がレスタに対する下心だの企みだのといったようすでもない。ということはだ。
クラウドは胡乱な眼差しになりつつ聞いてみた。
「…つまり、間接的になら思いあたるふしがなくもない、…てことでいいか?」
「うーん…。そうなんだろうか」
「おい」
「いや、実際なんもないのは確かなんだけど」
「……何やらかしたんだ」
あきれるクラウドにレスタはただ肩をすくめただけだった。
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