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第二幕〈再会〉
春の嵐 2
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夕闇近い暮れの時刻、不意の客が西の離宮を訪れた。
昼間にカムリ領からの客が帰って以来、ここ数日の苛立ちをふたたび身に纏っていたレスタだったが、城代に伝えられたその名を聞くなりひそめた眉間を一層歪めた。
「…ひょっとして名目は見舞いか?」
「まぁ…。あとは、あらためて詫びを、とのことだ」
「……」
その真偽はともかくとしてだ。
見舞いを理由に突然、――実際に先触れもなく突然離宮を訪れたのは、レスタの怪我の遠因となったトロワ・ローエン王弟殿下とその側近という、まったくもって招かざる客そのものだった。
「…どうする、レスタ」
どこか神妙な城代の問いに、カウチから身を起こしたレスタは片手で払うような仕種をみせた。その仕種からしても苛立っているのは明らかだ。
「ノエルの屋敷に誘導するにも時間が時間だ。今夜はとりあえず客間にでも放り込んで、明日早々にたたき出せ」
もともと客人の受け入れは整っている。人物はまるで違ったが。
城代は重々しい溜息のあと、やむを得ないというように小さく頷いた。
「ならばそうしよう。しかし相手は仮にもおまえの叔父だ。…夕食の席はどうする? 顔を出すか?」
ぴり。と、レスタの気配が静電気でも走らせそうなほどに険を帯びた。
今日はもともとの来客予定に気を遣ったようで癒しのハルクもここにはいない。にもかかわらず、待ちかねていたはずの遠来の客は早々に屋敷を辞している。利き手と右足は役立たずで、その上さらに諸悪の根元が先触れも寄越さずに詫びだの見舞いだのときたものだ。
まったく静養にならない。と城代は思った。レスタの傍らに控えるシドも思った。
むろんいちばんそう思ったのはレスタ本人だ。
「…レスタ、短慮は…」
日頃から短気で知られるレスタだが、気性に反して短慮はない。――が、今日だけはシドもその確信が持てなかった。現にクラウドが帰ってからのこの数時間、レスタの奥底の不機嫌は静かなだけに相当なものだ。
宥められるとも思えなかったが、かといっていまにも逆上しそうなこの空気を放っておけるはずもない。意を決して声を掛けたシドだったが、命じるような尖った声に遮られた。
「シドはカムリに行け」
「…、…え…?」
「すぐにクラウドを連れてこい」
苛立ちの籠もった不本意そうな声で、レスタは短くそれだけを命じた。
実際、その選択はレスタにとって不本意には違いなかった。
早々に帰っていった男を再度こちらへ呼び寄せるというのは、まるきり子どもの駄々のようで気にくわなかったし、何となくあの男のご機嫌をよくしてやるような気もして尚さら業腹だ。
とはいえ背に腹は替えられない。この二年でレスタの新たな周辺となった王都の環境やら宮廷の顔触れやら、とかく面倒なことは多くなっていたが、今日のこの状況はそんなものでは較べようもなかった。
切れそうだ、とレスタは本気で思った。
原因はいうまでもない。こんなときに限って近くにいるのに傍にはいない、あの男だ。これに尽きた。
「ひとまず客人は客間に通しておいたが…。夕食はカムリの総領殿がお見えになるまで待っていただくということで、殿下には本来の客人の到着が遅れているからだと、ちと方便を使っておいた。…それでいいな?」
「それでいい」
「さいわいカムリ家はこちらでも名の知れたナーガきっての名門旧家だ。何より異国の高位貴族という点で緩衝剤としてはうってつけだろう」
「…外面もいいしな」
レスタはぼそりと毒を吐いた。
淀みなく家政をこなす城代はそんなレスタに苦笑をこぼし、間もなくふたたび訪れるだろうかれの友人、と称してよいものか、ナーガの若き辺境伯爵総領を思い浮かべた。
漆黒の豊かな髪は背の半ばほど、そこに幾すじか混じる細いドレッドロックスが男の香気によく似合っていて、背からざらりと流れるたびに隙のない立ち居振る舞いをより際立たせていた。
いまだ成年に満たないとは思えないほど大人びた体躯も、希有な金色の双眸も、それらを目にした一瞬でたちまち理解できた。
「内も外も初めて対面した儂には分からんが、あの威容はひとかたのものではないな。ことさら物騒な眸の色も」
城代の言葉にレスタはふん、と鼻を鳴らした。不機嫌のままカウチに根を生やしていた身体を大儀そうに起こし、すでに夜の帳を降ろしてしまった窓の外を見やった。
「…支配者の眸だからな」
「それを釘付けにする者もここには居るようだが」
「……」
赤い虹彩が威嚇するように睨みをきかせたが、城代は慣れたようすで肩をすくめただけだった。これだから老成した傍観者の目は厄介だ。
それとも簡単に見透かされてしまったあの男が浅はかなのか。あるいはレスタ自身が。
昼間この部屋に居合わせていたのはそれぞれの側近だけだったのに。
「…たぬきじじい」
「むろんこの狸は何も知らんがな。…しかし傑物というのは違えず自らに相応しいものを見抜くということだ。どちらも、互いにな」
「ふさわしい?」
「違うか?」
「……いや、」
違わない、と思った。
己がどういった器であるかはともかく、クラウドにとってそれが最も肝要なものだということをレスタはとっくに知っている。そうして生まれた感情にどんな呼び名がついているかということも。それを、あの男が自ら認めているということも。
久しぶりに顔を見て、その唇や髪に触れて、実感として思いだした。
二年の空白を隔ててもあの男が気を変えなかったなんて、有り難いやら、面倒くさいやら。
「……めんどくさい…」
呟いたレスタに城代は怪訝な顔をしてみせた。
「何がだ?」
「いやべつに、…こっちの話」
気のない溜息をひとつ。動かせない右手の包帯を軽く撫でて、レスタはふたたび暗い窓の外を見た。鏡状になった硝子には室内の燭台の灯りが点々と映っていた。
クラウドはまだ来ない。
(…じゃなくて、)
確かにクラウドのことは他の何よりも重要で面倒だったが、いまはそれよりも客間の連中が問題だ。
だから城代の言うように、この顔触れであれば表向き部外者とされるクラウドを呼び寄せた。高位を持つ異国の客をまえにして、面子を重んじる王侯貴族は軽率な言動など取りはしない。
あとは見舞いを主張する招かざる客にそれ相応のもてなしを示して、また一方で優先すべき大事な客人のあることを前面に知らしめておけば、レスタが彼をいちいち構わなくても事は足りる。
べつに個人的に嫌っているわけではないが、二年ぶりの辺境に在ってわざわざ顔を会わせたい相手であるはずもなかった。
そういう相手ならほかにいる。会いたいと思っていた男が。
思考がまたそちらに流れて、レスタはやれやれと自分に溜息をついた。
+ + +
突然の訪問者というなら、カムリの屋敷でもそれは同様だった。
ひどく慇懃に頭をさげた白装束の男に、クラウドはわざと怪訝な表情を隠さずに敷居の高みからシドを見下ろした。
「急ぎの用か?」
「…は。…諸事により、カムリの総領殿におかれましてはいま一度離宮へお越しいただきますよう。あるじの命にて参上つかまつりました」
身を伏せたまま返したシドの言葉に、クラウドは一層訝るように眉間に皺を刻んだ。
「何があった?」
問い質し、けれどすぐさま思い直したように、あとでいい、と返事を遮った。間口に控える衛士に声を掛け、厩舎への馬の支度を命じさせる。それからふたたびシドを見やり、
「カムリの名は要るか」
と訊いた。
シドはその察しの良さに密かに驚きながら、要ります、と慌てて答えを返した。
正装ではないものの、ナーガの貴族階級であることが一目で分かる民族衣装へと身支度を済ませたクラウドは、陽の落ちた夕闇の道をふたたび離宮へ向けて馬を走らせることになった。
あのレスタが、日没過ぎのこんな時間になってから迎えを寄越すというのも妙な話だ。
呼ぶならもっと動きの取りやすいうちにそうしただろうし、昼のうちにクラウドが部屋を辞するときも、不機嫌そうな声で明日の時間を念押しまでした。
明日、昼食のまえには顔をだせ、と言ったのだ。
思いだしてクラウドは笑った。意外にも、たぶん出会って初めてレスタを可愛いと思ってしまった。
「……」
そんなこんなで、今回レスタがクラウドを呼んだのはこれで二度だ。
いくら故郷同然とはいえ、静養のためにわざわざ遠隔地の辺境までやってきたということ自体、レスタの中に王都を離れたい理由があったのかも知れない。もちろん己に会いたかったから、というのがクラウドの中では最大の理由になってはいるが。
見舞いがうるさいとも言っていたし、レスタの自由が制限されているいま、これを機会に近づきたがる人間が頻出したとしても何となく分かる話だとは思う。
仮にそんな理由で追いかけてきた輩がいたとしたら、確かに煩わしいに違いない。またあるいは、これは単なる穿ち過ぎかも知れないが、たとえばの話として。
「…実は馬が暴れたってのも作為ありか?」
それは馬蹄に掻き消されそうな声だったが、夜気をつたって後方のシドにも確かに届いた。
もちろんレスタの怪我のことだというのはすぐに分かった。
問いかけというよりは独白が聞こえただけのような気もしたが、シドはクラウドの疑問に答えを返した。
「その可能性は低いですが、…ただ、周囲の関心は誰の不始末かということより、誰の馬だったかを噂にしたし、レスタもそういう勘繰りをうるさがったのが第一でした」
「誰の馬だったんだ?」
クラウドは続きを促した。
「トロワ王弟殿下…、王の腹違いの弟で、水面下ではユアル王子の対立相手と目されている男です。べつに当人たちが反目し合ってるわけじゃないですが…、レスタはただでさえ目立つから」
「…ふん。確かに聞いた名だな」
レスタの周辺についてはリヒトを経由してクラウドも聞き及んでいる。
もちろんクラウドにはどうでもいいことに等しかったが、おかげでこうして話の通りが速やかなのは確かだ。
「で? まさかその叔父貴ってのがわざわざ来たのか? 詫びなら王都にいるうちにとっくに済ませてるもんだろ」
「…確かにそうです。…だから考えられるとしたら、従者の処罰について…」
馬車止めでの不始末なら、その咎は従者ではなく馬を預かる御者にあるはずだ。それをあえて従者というからには、馬を暴れさせてしまったのは御者ではなく、王弟の側近を務める人間だったということになる。
なるほど。だから誰の不始末かではなく、誰の馬だったか、ということか。
あらかたの事情を察して、クラウドはあきれた。
身分の低い御者に責任をなすりつけなかったのは王弟も側近も真っ当だったが、その不手際で怪我を負ってしまった相手が、さすがに悪すぎた。
「ひょっとして首でも飛んだか?」
「いえ…、それはレスタが止めたので。ただ、それじゃ内裏府も諸衛府も示しがつかないってことで、向こう半年の禁固を命じたところまでは報告がありました」
「…そりゃまたえらく軽い刑じゃねえか」
低く呟いたクラウドの声は、僅かな揶揄を含んでなお物騒だった。
正直、クラウドにとって怪我の遠因などはこの際どうでもいい。こうして聞けばやはり単なる過失のようだが、結果的に怪我をしたのはレスタ本人の油断だし、それでどこかに責任の所在が行ったとしても、相手が第一王子である以上これもまた当然の結末だ。
だから、クラウドが言いたいのはそういうことではなくて。
そんなんでわざわざ辺境まで来てんじゃねえよ。
夜道の向こう、見えてきた古い離宮の正門を目指しながら、クラウドは胸の裡でレスタの心境を代弁した。これはさぞかし機嫌が悪いに違いない。
離宮では昼間の来訪と同様に、城代のほか居並んだ侍従らがクラウドの到着を出迎えた。
突然の招きについて詫びた城代はシドに客人の案内を任せ、自らは王弟らの待つ客室へと向かった。
どうやらこのあとは宮廷茶会よりくだらない会食の席が待っているらしい。クラウドは小さく肩を竦めつつ、めずらしくレスタを気の毒に思った。
もちろん半分は嫌味もこめて。
昼間にカムリ領からの客が帰って以来、ここ数日の苛立ちをふたたび身に纏っていたレスタだったが、城代に伝えられたその名を聞くなりひそめた眉間を一層歪めた。
「…ひょっとして名目は見舞いか?」
「まぁ…。あとは、あらためて詫びを、とのことだ」
「……」
その真偽はともかくとしてだ。
見舞いを理由に突然、――実際に先触れもなく突然離宮を訪れたのは、レスタの怪我の遠因となったトロワ・ローエン王弟殿下とその側近という、まったくもって招かざる客そのものだった。
「…どうする、レスタ」
どこか神妙な城代の問いに、カウチから身を起こしたレスタは片手で払うような仕種をみせた。その仕種からしても苛立っているのは明らかだ。
「ノエルの屋敷に誘導するにも時間が時間だ。今夜はとりあえず客間にでも放り込んで、明日早々にたたき出せ」
もともと客人の受け入れは整っている。人物はまるで違ったが。
城代は重々しい溜息のあと、やむを得ないというように小さく頷いた。
「ならばそうしよう。しかし相手は仮にもおまえの叔父だ。…夕食の席はどうする? 顔を出すか?」
ぴり。と、レスタの気配が静電気でも走らせそうなほどに険を帯びた。
今日はもともとの来客予定に気を遣ったようで癒しのハルクもここにはいない。にもかかわらず、待ちかねていたはずの遠来の客は早々に屋敷を辞している。利き手と右足は役立たずで、その上さらに諸悪の根元が先触れも寄越さずに詫びだの見舞いだのときたものだ。
まったく静養にならない。と城代は思った。レスタの傍らに控えるシドも思った。
むろんいちばんそう思ったのはレスタ本人だ。
「…レスタ、短慮は…」
日頃から短気で知られるレスタだが、気性に反して短慮はない。――が、今日だけはシドもその確信が持てなかった。現にクラウドが帰ってからのこの数時間、レスタの奥底の不機嫌は静かなだけに相当なものだ。
宥められるとも思えなかったが、かといっていまにも逆上しそうなこの空気を放っておけるはずもない。意を決して声を掛けたシドだったが、命じるような尖った声に遮られた。
「シドはカムリに行け」
「…、…え…?」
「すぐにクラウドを連れてこい」
苛立ちの籠もった不本意そうな声で、レスタは短くそれだけを命じた。
実際、その選択はレスタにとって不本意には違いなかった。
早々に帰っていった男を再度こちらへ呼び寄せるというのは、まるきり子どもの駄々のようで気にくわなかったし、何となくあの男のご機嫌をよくしてやるような気もして尚さら業腹だ。
とはいえ背に腹は替えられない。この二年でレスタの新たな周辺となった王都の環境やら宮廷の顔触れやら、とかく面倒なことは多くなっていたが、今日のこの状況はそんなものでは較べようもなかった。
切れそうだ、とレスタは本気で思った。
原因はいうまでもない。こんなときに限って近くにいるのに傍にはいない、あの男だ。これに尽きた。
「ひとまず客人は客間に通しておいたが…。夕食はカムリの総領殿がお見えになるまで待っていただくということで、殿下には本来の客人の到着が遅れているからだと、ちと方便を使っておいた。…それでいいな?」
「それでいい」
「さいわいカムリ家はこちらでも名の知れたナーガきっての名門旧家だ。何より異国の高位貴族という点で緩衝剤としてはうってつけだろう」
「…外面もいいしな」
レスタはぼそりと毒を吐いた。
淀みなく家政をこなす城代はそんなレスタに苦笑をこぼし、間もなくふたたび訪れるだろうかれの友人、と称してよいものか、ナーガの若き辺境伯爵総領を思い浮かべた。
漆黒の豊かな髪は背の半ばほど、そこに幾すじか混じる細いドレッドロックスが男の香気によく似合っていて、背からざらりと流れるたびに隙のない立ち居振る舞いをより際立たせていた。
いまだ成年に満たないとは思えないほど大人びた体躯も、希有な金色の双眸も、それらを目にした一瞬でたちまち理解できた。
「内も外も初めて対面した儂には分からんが、あの威容はひとかたのものではないな。ことさら物騒な眸の色も」
城代の言葉にレスタはふん、と鼻を鳴らした。不機嫌のままカウチに根を生やしていた身体を大儀そうに起こし、すでに夜の帳を降ろしてしまった窓の外を見やった。
「…支配者の眸だからな」
「それを釘付けにする者もここには居るようだが」
「……」
赤い虹彩が威嚇するように睨みをきかせたが、城代は慣れたようすで肩をすくめただけだった。これだから老成した傍観者の目は厄介だ。
それとも簡単に見透かされてしまったあの男が浅はかなのか。あるいはレスタ自身が。
昼間この部屋に居合わせていたのはそれぞれの側近だけだったのに。
「…たぬきじじい」
「むろんこの狸は何も知らんがな。…しかし傑物というのは違えず自らに相応しいものを見抜くということだ。どちらも、互いにな」
「ふさわしい?」
「違うか?」
「……いや、」
違わない、と思った。
己がどういった器であるかはともかく、クラウドにとってそれが最も肝要なものだということをレスタはとっくに知っている。そうして生まれた感情にどんな呼び名がついているかということも。それを、あの男が自ら認めているということも。
久しぶりに顔を見て、その唇や髪に触れて、実感として思いだした。
二年の空白を隔ててもあの男が気を変えなかったなんて、有り難いやら、面倒くさいやら。
「……めんどくさい…」
呟いたレスタに城代は怪訝な顔をしてみせた。
「何がだ?」
「いやべつに、…こっちの話」
気のない溜息をひとつ。動かせない右手の包帯を軽く撫でて、レスタはふたたび暗い窓の外を見た。鏡状になった硝子には室内の燭台の灯りが点々と映っていた。
クラウドはまだ来ない。
(…じゃなくて、)
確かにクラウドのことは他の何よりも重要で面倒だったが、いまはそれよりも客間の連中が問題だ。
だから城代の言うように、この顔触れであれば表向き部外者とされるクラウドを呼び寄せた。高位を持つ異国の客をまえにして、面子を重んじる王侯貴族は軽率な言動など取りはしない。
あとは見舞いを主張する招かざる客にそれ相応のもてなしを示して、また一方で優先すべき大事な客人のあることを前面に知らしめておけば、レスタが彼をいちいち構わなくても事は足りる。
べつに個人的に嫌っているわけではないが、二年ぶりの辺境に在ってわざわざ顔を会わせたい相手であるはずもなかった。
そういう相手ならほかにいる。会いたいと思っていた男が。
思考がまたそちらに流れて、レスタはやれやれと自分に溜息をついた。
+ + +
突然の訪問者というなら、カムリの屋敷でもそれは同様だった。
ひどく慇懃に頭をさげた白装束の男に、クラウドはわざと怪訝な表情を隠さずに敷居の高みからシドを見下ろした。
「急ぎの用か?」
「…は。…諸事により、カムリの総領殿におかれましてはいま一度離宮へお越しいただきますよう。あるじの命にて参上つかまつりました」
身を伏せたまま返したシドの言葉に、クラウドは一層訝るように眉間に皺を刻んだ。
「何があった?」
問い質し、けれどすぐさま思い直したように、あとでいい、と返事を遮った。間口に控える衛士に声を掛け、厩舎への馬の支度を命じさせる。それからふたたびシドを見やり、
「カムリの名は要るか」
と訊いた。
シドはその察しの良さに密かに驚きながら、要ります、と慌てて答えを返した。
正装ではないものの、ナーガの貴族階級であることが一目で分かる民族衣装へと身支度を済ませたクラウドは、陽の落ちた夕闇の道をふたたび離宮へ向けて馬を走らせることになった。
あのレスタが、日没過ぎのこんな時間になってから迎えを寄越すというのも妙な話だ。
呼ぶならもっと動きの取りやすいうちにそうしただろうし、昼のうちにクラウドが部屋を辞するときも、不機嫌そうな声で明日の時間を念押しまでした。
明日、昼食のまえには顔をだせ、と言ったのだ。
思いだしてクラウドは笑った。意外にも、たぶん出会って初めてレスタを可愛いと思ってしまった。
「……」
そんなこんなで、今回レスタがクラウドを呼んだのはこれで二度だ。
いくら故郷同然とはいえ、静養のためにわざわざ遠隔地の辺境までやってきたということ自体、レスタの中に王都を離れたい理由があったのかも知れない。もちろん己に会いたかったから、というのがクラウドの中では最大の理由になってはいるが。
見舞いがうるさいとも言っていたし、レスタの自由が制限されているいま、これを機会に近づきたがる人間が頻出したとしても何となく分かる話だとは思う。
仮にそんな理由で追いかけてきた輩がいたとしたら、確かに煩わしいに違いない。またあるいは、これは単なる穿ち過ぎかも知れないが、たとえばの話として。
「…実は馬が暴れたってのも作為ありか?」
それは馬蹄に掻き消されそうな声だったが、夜気をつたって後方のシドにも確かに届いた。
もちろんレスタの怪我のことだというのはすぐに分かった。
問いかけというよりは独白が聞こえただけのような気もしたが、シドはクラウドの疑問に答えを返した。
「その可能性は低いですが、…ただ、周囲の関心は誰の不始末かということより、誰の馬だったかを噂にしたし、レスタもそういう勘繰りをうるさがったのが第一でした」
「誰の馬だったんだ?」
クラウドは続きを促した。
「トロワ王弟殿下…、王の腹違いの弟で、水面下ではユアル王子の対立相手と目されている男です。べつに当人たちが反目し合ってるわけじゃないですが…、レスタはただでさえ目立つから」
「…ふん。確かに聞いた名だな」
レスタの周辺についてはリヒトを経由してクラウドも聞き及んでいる。
もちろんクラウドにはどうでもいいことに等しかったが、おかげでこうして話の通りが速やかなのは確かだ。
「で? まさかその叔父貴ってのがわざわざ来たのか? 詫びなら王都にいるうちにとっくに済ませてるもんだろ」
「…確かにそうです。…だから考えられるとしたら、従者の処罰について…」
馬車止めでの不始末なら、その咎は従者ではなく馬を預かる御者にあるはずだ。それをあえて従者というからには、馬を暴れさせてしまったのは御者ではなく、王弟の側近を務める人間だったということになる。
なるほど。だから誰の不始末かではなく、誰の馬だったか、ということか。
あらかたの事情を察して、クラウドはあきれた。
身分の低い御者に責任をなすりつけなかったのは王弟も側近も真っ当だったが、その不手際で怪我を負ってしまった相手が、さすがに悪すぎた。
「ひょっとして首でも飛んだか?」
「いえ…、それはレスタが止めたので。ただ、それじゃ内裏府も諸衛府も示しがつかないってことで、向こう半年の禁固を命じたところまでは報告がありました」
「…そりゃまたえらく軽い刑じゃねえか」
低く呟いたクラウドの声は、僅かな揶揄を含んでなお物騒だった。
正直、クラウドにとって怪我の遠因などはこの際どうでもいい。こうして聞けばやはり単なる過失のようだが、結果的に怪我をしたのはレスタ本人の油断だし、それでどこかに責任の所在が行ったとしても、相手が第一王子である以上これもまた当然の結末だ。
だから、クラウドが言いたいのはそういうことではなくて。
そんなんでわざわざ辺境まで来てんじゃねえよ。
夜道の向こう、見えてきた古い離宮の正門を目指しながら、クラウドは胸の裡でレスタの心境を代弁した。これはさぞかし機嫌が悪いに違いない。
離宮では昼間の来訪と同様に、城代のほか居並んだ侍従らがクラウドの到着を出迎えた。
突然の招きについて詫びた城代はシドに客人の案内を任せ、自らは王弟らの待つ客室へと向かった。
どうやらこのあとは宮廷茶会よりくだらない会食の席が待っているらしい。クラウドは小さく肩を竦めつつ、めずらしくレスタを気の毒に思った。
もちろん半分は嫌味もこめて。
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