龍神は月を乞う

なつあきみか

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第一幕〈馴れ初め〉

その眸に映るもの 10

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 カムリ家の双子について、あるいはその双子の片割れについて、何かめぼしい情報があれば拾ってこい。
 それがレスタの下した暇つぶしの指示だった。
 とはいえ、これはレスタの暇をつぶすための仕事ではなく、クラウドに知れぬよう密かにレスタに随行したシドのための、文字どおりの暇つぶしだ。
 双子について知ろうと思えば、そんなことはレスタのほうがずっと簡単に知ることが出来る。なにしろ双子のどちらにも直接尋ねればそれで済むし、周囲の側近や使用人たちの噂話もその気で聞き耳を立てれば入ってくる場所にいるからだ。
 だからこれは、あくまでも暇つぶし。それと同時に、シドが護るまでもなく大事な客人としてこの屋敷に滞在しているレスタが、いま現在どんな環境の中にいるのか、仕事としてカムリ家の表層を確認把握しておけ、という備え的な意味合いも含まれていた。
 レスタはいつも、シドが知っておくべきことはシド自身に調べさせたり、探らせたりする。それをすでにレスタが知っていたとしても、レスタの身辺に関わることでも、いずれも同じだ。
 双子の弟ではなく、兄のほうを探れといったレスタの意図を考えていたシドは、耳にした使用人たちの噂話に少し気分が悪くなった。
 設備の整った清潔な厨房は、普段であればもっと職人気質な活気と気配に充ちていたのかも知れなかったが、このときの洗い場は侍女たちの密やかな噂話で持ちきりだった。
 いわく、西翼に滞在している少女の盛装を見たかだの、典雅な藍色の民族衣装に帯の牡丹が映えてそれは神々しく美しかっただの、双子の両人に伴われて宮殿に出向いて行っただの。
 双子に丁重にもてなされ、あの西翼に滞在し、なおかつあの気難しいクラウドが楽しげな笑みや悪ふざけを垣間見せた人物というのは、この屋敷に永く仕えている者にとっても初めて目にするものだったらしい。――ちなみに悪ふざけというのは、馬車の控える玄関まで、クラウドがくだんの盛装に身を包んだ客人を腕に抱きかかえてやってきたというものだった。
 隠密らしく厨房でそれらを聞いていたシドは、もしここで声を出せたなら大声で怒鳴ってやるところだ、と本気で思った。なんだそれは。
 盛装のレスタなら少しまえにシドも見掛けた。あいにく窓越しだったのでしっかり目にするほどではなかったが、藍色の衣装だったのは覚えている。あの色惚け野郎、と憎々しく内心で吐き捨てて、シドは懸命に冷静を心掛けた。
 屋敷の西翼全体は、いずれ改装の手が入り、新たな奧の間となるはずの場所だという。先代の正室も多くの侍女らを従えて西翼に居室を構えていた。つまり代々の総領夫人がそのあるじだったということだ。
(牡丹の華が象嵌されてる)
 最初の日にレスタの言っていた言葉をシドは思いだした。
 百華の王と謳われる大輪の華だ。それが指し示す意味をレスタが知らないはずもない。
 クラウドの仕掛けた茶番だと判断するのはレスタにもシドにも簡単で、しかし分かっていてもシドはやはり腹が立った。それはとても複雑な不快感で、怒りが沸くというよりは気が滅入るような、じわじわと侵蝕される心地に息苦しさを覚えたほどだ。
 女じゃないのはクラウドも知っているのだから、何処にレスタを住まわせたところでレスタ本人にどんな示唆をしようもない。だからレスタもその悪ふざけにただ笑っていた。
 引っ掛かったのは、だからそんなことではなく、あのクラウドが思っていた以上にレスタに近い存在だということだ。あるいは視点を変えて見れば、クラウドには何かしらレスタと似た共通項がある。
「奥方候補なのかしら。あのお美しさは申し分ないにしても、あの方きっとカレリアの方でしょうに」
 厨房の内緒話は密やかに続いていた。
「でもクラウドさまのああいったご様子はめずらしいでしょ。お屋敷に女性をお招きになったのも初めてだし。リヒトさまも重臣方も反対してる感じはしないわよね」
「それはほら、クラウドさまのお世継ぎの子種は早くに芽吹いてほしいんだってことよ。そうしたらカムリ家も安泰でしょ」
「やっぱりリヒトさまには継承されないのね」
「だって総領はクラウドさまだし。お世継ぎだってクラウドさまのお血筋が繋がるのが最良だもの。ご兄弟のことはそのあとよ」
「でもふつうの兄弟ならご長男が跡目でしょうにね」
「クラウドさまはふつうのお方ではないもの。仕方がないのよ」
「ほらもうそのへんで。軽々しくおしゃべりするようなことではないわ」
 長男。ふつうではない。仕方がない。
 立場は違えど、それらの言葉はいずれもレスタの境遇に重なるものだった。
 兄は双子の弟のために影のような場所に立たされ、弟は非凡さゆえに良くも悪くも特別な場所に立たされている。弟だけでなく、あの双子はまるでふたりしてレスタの天秤の両端だ。
(…兄の境遇と弟の才覚、両方足してレスタかよ)
 己の思考にもやもやする。シドはなおさら滅入りそうになって目を伏せた。
 ふいにレスタの顔を見たいと思う一方で、今夜また忍び込むのはやめておこうと思った。
 レスタの顔を見た途端、すぐに帰ろうとでも言い出しそうだ。シドは溜息を堪えながら潜んでいた厨房をあとにした。


 ナーガに逗留するにあたり、住処に定めた城下の宿場へと戻る道すがら、シドは大きな溜息をついた。
 嫉妬なんだよな、というのは分かってはいる。
 あれこれ尤もらしいことを言い繕ってみたところで、要するにそういうことだ。シドはあの男に、カムリ・クラウドに嫉妬している。
 伯位とはいえ三国の交わる難しい国境守護を任された最高位の辺境伯だし、若くしてその総領たる立場に就いているカムリ・クラウドは、ヴァンレイクのノエル辺境伯同様にナーガでも相当の権威を誇っているはずだ。
 その地位とあの気性で思いどおりに周囲を動かし、ときに奪い、ときに掌握する。
 レスタのことも、あの強引な力で攫っていかないとも限らない。冬に彼らが知り合ってから、まだほんの三ヶ月足らずだというのに。

 シドがレスタと出会ったのは、年数だけなら八年近くまで遡る。
 増改修された寺院跡が離宮と呼ばれるようになって数年後、当時まだ十三だったシドは初めてその離宮に立ち入った。
 そこで王族のお姫さまだというレスタを見たのだ。むろん遠目からだったがあれはいまだに鮮明な記憶だ。シドは子供ながらに圧倒された。
 豪奢な金髪も愛らしい顔立ちも可憐なドレス姿も目を引いたが、それ以上に驚かされたのはこのお姫さまがとんでもなくお転婆だったからだ。
 ハルクの遊び相手を務めていたシドは、月に二度ハルクに随行して離宮を訪れるようになった。そこから三年はハルクのお供として、どちらかと言えばただ見ていただけだ。
 十六になり、レスタが十を迎えた年に初めてレスタの守り役を仰せつかった。だから実質的なつきあいとしては今年で五年。まだ五年だ、とシドは思っていた。
 最初は小さなお姫さまの姿で、それが実は王子だと知らされたのが五年前。髪を短く切ったレスタが少年の姿で現れたのが、かれが十三になった当日のことだった。
 シドにとって、レスタは男でも女でもない。ただ特別な、尊くも眩しい存在だ。金色のたてがみを持つしなやかな野生の馬のようだと思う。
 己の手には負えない。御しきれるはずがない。
 そう思ってきた。
 それならあの男は、レスタになにを見たのだろう。
 シドが厨房の内緒話を聞いていたときに感じたような、何らかの類似点なのか。
(けどあいつはレスタの素性は何ひとつ知らない)
 では、あの男をまえにしても揺るがないレスタの気性を気に入ったのか。
(だとしたら…)
 だとしたら。類似点以前にあの男の無意識はレスタを見分けていたことになる。
 自分を畏れない人間が本当はいったい何者なのか、そんな表面的な理由以前に、自分たちは似ているのだと。
「…じゃあ、レスタは、どうなんだ…?」
 初めてそれに思い当たったシドは、城下の賑わいの中ふと立ち尽くした。
 レスタはクラウドという人間をどんなふうに見ているのだろう。
 こんなふうな引力は、どちらか片方だけが一方的に感じるものだろうか。
 知り合ってまだほんの、三ヶ月足らずだというのに。
 つい先刻自分で思ったはずのことが、不意に意識のひだを掠めた。
 ――レスタのことも、強引に攫っていかないとも限らない。攫っていってしまうかも知れない。
 もしもそれを、レスタ自身も感じているとしたら。
(…やっぱ引き止めるべきだった。あんなやつを傍に置くんじゃなかった…)
 すべてを閉ざされているようでいて、何者でもないレスタの生き方は最初から自由だ。
 だからこそ、どんな選択が本当の意味でレスタのためになるのか。
 だけどいまは考えたくない。レスタに今のままでいてほしいのだと、シドは思わずにいられなかった。
 

 そうしてノエル辺境伯からシドのもとへ、思いもかけない報せが届けられたのは、翌日の夕刻のことだ。
 それは誰の中にもゆるがせに出来ない答えをひとつ、提示するきっかけになった。
 レスタ・セレンは何者か、という問いの答えだ。



   + + +
 
 

 用件を済ませ、腰をあげたシドの袖口をレスタが掴んで引き止めた。
「…?」
 見下ろしたシドは、掴まれた側の手首を返してレスタの細い手を取ると、そのまま上に引きあげて屈んだままのかれを立たせた。
「なに」
「もう遅いから休んでいけよ」
「は?」
「屋敷が起きだすまえに出て行きゃいい。明け方まえ…、四時ごろとか」
 レスタはこともなげに宣った。シドはぽかんとした顔をつかのま浮かべ、それから我に返ったようすで慌てて一歩レスタから後退った。
「ば、…なに言ってんだ、こんなとこでうっかり見つかったりしたら」
「そうならないようにがんばれ」
 まったく聞く耳じゃない。レスタはシドから離れると燭台を手に寝室へ向かい、扉のまえでこっち、と手招いた。
「………」
 シドはあきらめたように肩を落とし、そのあとをついて寝室へと入っていった。
 要は見つからなければいいわけだ。分かった分かりましたと夜明けまえの退路を脳裏で反芻しながら、ヤケクソのシドは後ろ手に扉を閉めた。
「灯り消すぞ」
「ちょっと待て、俺どこで寝るんだよ」
 同衾することは少なかったが、こんなふうにレスタと同じ部屋で眠ること自体はべつにめずらしくない。
 よく遠乗りに出掛けて疲れて帰ったときなど、もっと子供の頃は一緒に食事もしてそのまま一緒に眠りこけたりもしていた。
 主従であり兄弟のようでもある関係は、たとえどれほど特別な存在だとしても、シドにとってレスタはかよわい少女でもなければ不遇の姫君でもなく、ただひたすら信奉するに値する孤高の王子だ。心の中でシドはいつでもレスタに膝を折って傅いている。
 疚しい心でかれを見たりはしないが、それでも恋いうる想いは隠してはいない。隠す気もなかった。宮廷愛を至上とする騎士道精神のようなものだと、いまでは己に言い聞かせている。それでいいと思う。
「寝台広いんだからここでもいいけど。野宿の次は床で寝るとか言う?」
 レスタはやはりこともなげに言った。
「本来なら床で寝るくらいが相応なんだけどな…。まぁ寝台だとこの格好じゃもぐり込めないし、今夜はそっちの長椅子でいい」
 シドもごく冷静に答えて、寝室の壁際に置かれた長持型の横長の椅子を指差した。座面はきちんと革張りも綿入れも施された四人掛けの収納箱だ。さすがに幅は狭めだが、仮眠程度に身体を休ませるのに最低限の大きさはある。
 上掛けだけはレスタの夜具を借りて、シドは燭台のほうへ近づいた。
「じゃあ灯り消すぞ。おやすみ」
「ああ、おやすみ」
 シドはレスタが寝台にもぐり込んだのを確かめてから、小さな灯りを吹き消した。
 たちまち暗闇に落ちた室内はとても静かで、上掛けを胸に広げながら長椅子に寝転んだシドは、その静けさの中にあるレスタの気配に少し居心地の悪いような、気恥ずかしいような、胸のどこかが軋むような、――きっとひとことで済ませてしまえば切ないという感傷に苦笑を覚える。
 心の奥底でレスタの名前を呼びたくなった。
 あの男は、――クラウドは、レスタのまえでは年相応の少年のように笑ったりふざけたりする、らしい。
「………」
 帰ると言ったレスタに、シドは心の底から安堵していた。
 ユアルに会うと言ってくれたことにも、それをレスタ自身が選択してくれたことにも。
 それがこの先、ともすればレスタの王室復帰へと繋がる流れになりかねないとしてもだ。
 あの男に、レスタを奪われるわけにはいかない。明け渡すわけにはいかない。
 この手に届かないのなら、星はあるべき高みに在ればいい。
 その傍らに、シドは生涯を賭して傅くだけだ。
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