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第一幕〈馴れ初め〉
その眸に映るもの 4
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国境の橋を渡り、関所の手続きを終えてヴァンレイクへ入ったシドは、帰りの道を速駆けで愛馬を走らせた。
レスタが話すカムリ領の諸々にも生返事と大差ない相槌を返すばかりで、当然それは短気なレスタを怒らせてしまったわけだが、シドにとってはそれどころではなかった。
「おい! 話も聞かずにぼさっと馬走らせんな!」
「いや話は聞いてなかったけど! ぼさっとはしてねーよ!」
互いに間近で怒鳴りあう格好になり、思わずどちらも反対側へと顔を背ける。小声でうるせえ、とレスタが耳を塞ぎながらつけ足して、それをちらと見やったシドは、傾いだ身体を元に戻しながら不満そうに舌打ちを鳴らした。
バルトはもともと土地を持たない民だ。かといって根無し草でもない。土地ではなくひとに根を張り、自らが膝を折り命を預ける人間を、自らで選ぶという部族だった。
だからシドは部族の配下を従えて、頭目を示す緑の茨を裾にはためかせながら、レスタの傍らに立っている。
彼らに言わせれば自分たちが主人のものなのではない。主人が自分たちのものなのだ。
ゆえに護る。預けた命と捧げた忠誠が、それを持つ人間のもとにある限り、その器は自分たちのものなのだと。
手綱を引いてシドは馬の脚を従わせた。速度を落としてからもしばらく無言で馬を歩かせ、町はずれの砂利道に差し掛かったあたりで歩みを止めた。
周りは膝下程度の雑草が生い茂っているだけの、のどかな景色の一本道だ。
「レスタ」
「なんだ」
「カムリの放蕩貴族になにされた?」
ふりむいたレスタにシドは早口で続けた。
「首に妙な痕がついてる」
「あ」
レスタはたったいま思いだしたというように、首すじの赤い噛み痕を探った。
噛みつかれたときは当然驚いたし痛みもしたが、襟元の乱れを正しているうちにすっかり忘れてしまっていた。
レスタは指先であたりをつけて、触って痛む場所を確かめた。
「いきなり噛まれたんだよ。…目立つか?」
「歯形になってる」
「げっ。…あの野郎…」
「………」
毒吐く声と表情を検分して、いつものレスタだ、とシドは思った。
焦るようすも、慌てるようすも、何かを隠して取り繕うようすも、まったく感じられない。シドがよく知るいつもの不遜なレスタが、いつものように自分の懐の中にいる。
たとえば女なら爪や歯は立派な凶器だ。相手が女か、もしくはどちらも女なら、これは攻撃のひとつなんだと納得がいく。しかし相手は男で、それもあの放蕩貴族ときている。
どう解釈すればいいのか、シドは少し躊躇ってから宙を仰いでもう一度訊いた。
「なにかされたのか…? 今日は服もこれだし…、女じゃないことは知ってるんだよな?」
「なにってべつに…。今日はもともと虫の居どころが悪かったみたいなんで、やつあたりとか腹いせとか、そのあたりだろ。男なのは気づいてた口振りだったしな」
「気づいてた?」
「あぁ、こっちからはっきり言ってやったことはなかった。けど、さすがに男なのは気づいてたっぽい」
「…じゃあ、女だと思い込んでたわけじゃないんだな」
「わざと女扱いしてたとこはあったけどな」
「は?」
口説くふりして遊んでやがった。そう続けたレスタに当然シドはぎょっとした。
思わず力の入った手が手綱を変に引っ張って、馬の首が大きく振られる。歩きだそうとするのを慌てて止めて、シドは痛みそうになるこめかみを手のひらで押さえた。
「……とりあえず、もう外で女装はやめとけ。ノエルの屋敷を出入りする以外で女に化けてる理由もないだろ」
「いちいち着替えるのが面倒なんだよ」
「ならもうノエルの屋敷全部にバラしちまえ。どうせハルクも総領も知ってんだし」
西の離宮を預かるノエル辺境伯爵は、王室が定めた「レスタ・セレン姫」の後見人だ。
しかし実際は崇拝者のそれのように、総領をはじめ屋敷の者たちは「彼女」に傅いていた。その跡取り息子のハルクも、幼い頃からレスタとはとても仲が良い。
だからこそ共有した秘密は隠さなければならなかった。
「知ってるからこそだ。…おまえも。俺をおおっぴらに男に戻すってことは、それだけで王室に対する翻意有りってことにされても文句言えなくなるんだよ。宮廷の水面下で継承争いが起こりそうだって話、まだ言ってなかったか?」
それまでの口調を変えたレスタに、シドは自然と馬上の姿勢を正した。再び歩きだそうとする愛馬を今度は引き止めず、不安定な歩みに揺れる身体を腕の中へと抱きとめる。
「…継承って、王子は…」
そんな話は聞いていない。レスタからも、誰からも。
ヴァンレイクの王子は、確かに現在ふたりいる。しかしそれは。
「ユアルじゃ頼りないってのが大部分の意見らしい。それなら歳の離れた王弟のほうがまだ資質も貫禄もあるだろうってな」
「てことは、王子より王弟殿下を…って話か」
第一王子はユアル、王弟はトロワ、それぞれに王位継承権は一位と二位の立場にある。
しかし王弟であるトロワは現国王とは親子ほども歳が離れており、つまり兄弟とはいえトロワは先王の妾腹の王子で、彼が誕生したときには異母兄である王はすでに成人し王太子を名乗っていた。ゆえに年若いトロワは王位継承者としての帝王学を厳しく施されることもなく、現在では王弟殿下として弁えた日々を過ごしている。
とはいえ、奇しくもトロワとユアルの生まれ年は従兄弟ほどにごく近い。
本来であれば若い王弟と第一王子、ただの叔父と甥のはずが、歳が近すぎたことで彼らの周囲には比較と選択の余地まで生まれてしまった。
「そうなると今度は決定打に欠けるわけだ。客観的に」
「…おまえは戻る気はないのか」
「政治は面白いけどな。王位には興味ない」
レスタはにべもなく答えた。
「誰が向いてて誰が相応しいかって話なんじゃないのかよ」
「どっちが向いててどっちが相応しいかって話だ。ユアルとトロワの」
「どっちも向いてねえよ」
低く吐き捨てるように断じてシドは馬の腹を蹴った。唐突に弾んだ馬上の揺れにレスタは後ろの肩に頭をぶつけ、シドはそんなレスタを腕の中にぎゅっと抱きしめた。
初めて会ったときから、レスタは支配する者の威風をその身に漂わせていた。
綺麗で美しい「姫君」だったときも、それが偽りだと知ったときも、少年の姿でバルトたちのまえに立ったときも。
最初から手の届かない星なら、在るべき高みに在ればいい。
そう思うのに、確かに思っているのに、興味がないと言ったレスタの言葉にシドは心の底で安堵していた。いまのこの安寧をこの先もずっと切望していた。
あの男もきっと同じだ。
レスタの存在を己の中で曖昧なままにしておきたかった。そう思っていたはずだ。
だとしたら、仮にどんな理由であの男がレスタを気に入っていたにせよ、今ごろは嫌でも困惑しているに違いない。
この首すじの噛み痕も、本当にたまたま虫の居どころが悪かっただけの、ただの腹いせならまだいいが。――そうでなければ、あるいはあの男は、レスタの内側に踏み込もうとしている、ということになりはしないか。
(…くそ。王位云々より当面はこっちのが問題ってことかよ…。あの放蕩貴族野郎…)
速駆けの風と蹄の音に紛れさせ、シドは舌打ちとともに低く悪態を吐いた。
さて一方、その頃のクラウドはといえば。
「クラウドさま、レスタさんにあんまり無体なことしないでくださいよ」
「あーうるせえ」
容赦ない蹴りにしばらく悶絶していたクラウドだったが、それも過ぎたいまは飽くことなく朝からの不機嫌を持続させながら、それでも机のまえに座っていた。
不機嫌の理由は、朝とは違っていたかも知れないが。
「それよりこっちだ。都にこれ届けとけ」
いつまでもだらけているのにも飽きていたのか、机に向かって何やら書き物をしていたクラウドは、折り畳んだ書簡に封をして、脇に控えるリクにそれを突き出した。
ナーガ帝都のカムリ官邸と頻繁にやりとりされてきた書簡の内容は、リクを含め数名の家臣にしか知らされていない。それは彼らの与り知らぬところでレスタがシドに話していた、北からの密輸に関わることだった。
問題の賊は、カムリ家の爵位継承から間もないうちに同領内に要所を構え、悪事を行いはじめたと思われる。
端緒は先代のカムリ辺境伯爵の急逝にあり、ゆえに充分な準備期間もないままに家督を継承したという年若い新総領、そしてその新総領の以前からの風聞の悪さ。こういった状況の表面だけを取りあげれば、確かにこちら側の不手際が招いた結果だといえる。
むろん、浮ついた新総領の素行で賊を油断させ、敢えて泳がせていたことを除けばだ。
「そろそろ詰みになりそうですか?」
「そうだな。賊の動向も把握したし、あとは領都と北の国境線それぞれの警備に指示を出せば」
「一件落着ですか」
「ああ」
「やっとですね。しばらくずっとこっちだったんで早く都に戻りたいですよ。まあクラウドさまは遊んでばっかりの生活からは遠退きますけど」
「どこだろうと変わるかよ」
「そうですけど、クラウドさまこの街けっこう気に入ってたじゃないですか。はじめは領都からの通いで遊んでたのに、この二ヶ月は完全にここに滞在しちゃったし」
「移動が面倒だったからな」
「それもあるでしょうけど、いちばんの理由ならレスタさんでしょ」
「……」
「あ…、でも、女の子じゃないんでしたね…」
「…ま、確かに変わり種だけどな」
こんな辺境の地にはそぐわないほどの、強烈な存在感ゆえだろうか。
手頃なものは掃いて捨てるほどあっても、得難いものなど見つからない。雑多な国境の辺都なんてどこもその程度に過ぎない。帝都のような華やかさもなく、所詮はただの辺鄙な田舎町のひとつだ。
いままでずっとそう思ってきた。これからだってきっと変わらない。
そう思うのに、あの眸が。
「……くだらねえな」
きっと帝都の日常に戻ってしまえば、またあの煩わしくて退屈な日々が始まる。
椅子の背に凭れて琥珀色の眼を閉じた。
炎に揺らめく濃い柘榴の輝きが意識を掠めて、ひらりと消えた。
レスタが話すカムリ領の諸々にも生返事と大差ない相槌を返すばかりで、当然それは短気なレスタを怒らせてしまったわけだが、シドにとってはそれどころではなかった。
「おい! 話も聞かずにぼさっと馬走らせんな!」
「いや話は聞いてなかったけど! ぼさっとはしてねーよ!」
互いに間近で怒鳴りあう格好になり、思わずどちらも反対側へと顔を背ける。小声でうるせえ、とレスタが耳を塞ぎながらつけ足して、それをちらと見やったシドは、傾いだ身体を元に戻しながら不満そうに舌打ちを鳴らした。
バルトはもともと土地を持たない民だ。かといって根無し草でもない。土地ではなくひとに根を張り、自らが膝を折り命を預ける人間を、自らで選ぶという部族だった。
だからシドは部族の配下を従えて、頭目を示す緑の茨を裾にはためかせながら、レスタの傍らに立っている。
彼らに言わせれば自分たちが主人のものなのではない。主人が自分たちのものなのだ。
ゆえに護る。預けた命と捧げた忠誠が、それを持つ人間のもとにある限り、その器は自分たちのものなのだと。
手綱を引いてシドは馬の脚を従わせた。速度を落としてからもしばらく無言で馬を歩かせ、町はずれの砂利道に差し掛かったあたりで歩みを止めた。
周りは膝下程度の雑草が生い茂っているだけの、のどかな景色の一本道だ。
「レスタ」
「なんだ」
「カムリの放蕩貴族になにされた?」
ふりむいたレスタにシドは早口で続けた。
「首に妙な痕がついてる」
「あ」
レスタはたったいま思いだしたというように、首すじの赤い噛み痕を探った。
噛みつかれたときは当然驚いたし痛みもしたが、襟元の乱れを正しているうちにすっかり忘れてしまっていた。
レスタは指先であたりをつけて、触って痛む場所を確かめた。
「いきなり噛まれたんだよ。…目立つか?」
「歯形になってる」
「げっ。…あの野郎…」
「………」
毒吐く声と表情を検分して、いつものレスタだ、とシドは思った。
焦るようすも、慌てるようすも、何かを隠して取り繕うようすも、まったく感じられない。シドがよく知るいつもの不遜なレスタが、いつものように自分の懐の中にいる。
たとえば女なら爪や歯は立派な凶器だ。相手が女か、もしくはどちらも女なら、これは攻撃のひとつなんだと納得がいく。しかし相手は男で、それもあの放蕩貴族ときている。
どう解釈すればいいのか、シドは少し躊躇ってから宙を仰いでもう一度訊いた。
「なにかされたのか…? 今日は服もこれだし…、女じゃないことは知ってるんだよな?」
「なにってべつに…。今日はもともと虫の居どころが悪かったみたいなんで、やつあたりとか腹いせとか、そのあたりだろ。男なのは気づいてた口振りだったしな」
「気づいてた?」
「あぁ、こっちからはっきり言ってやったことはなかった。けど、さすがに男なのは気づいてたっぽい」
「…じゃあ、女だと思い込んでたわけじゃないんだな」
「わざと女扱いしてたとこはあったけどな」
「は?」
口説くふりして遊んでやがった。そう続けたレスタに当然シドはぎょっとした。
思わず力の入った手が手綱を変に引っ張って、馬の首が大きく振られる。歩きだそうとするのを慌てて止めて、シドは痛みそうになるこめかみを手のひらで押さえた。
「……とりあえず、もう外で女装はやめとけ。ノエルの屋敷を出入りする以外で女に化けてる理由もないだろ」
「いちいち着替えるのが面倒なんだよ」
「ならもうノエルの屋敷全部にバラしちまえ。どうせハルクも総領も知ってんだし」
西の離宮を預かるノエル辺境伯爵は、王室が定めた「レスタ・セレン姫」の後見人だ。
しかし実際は崇拝者のそれのように、総領をはじめ屋敷の者たちは「彼女」に傅いていた。その跡取り息子のハルクも、幼い頃からレスタとはとても仲が良い。
だからこそ共有した秘密は隠さなければならなかった。
「知ってるからこそだ。…おまえも。俺をおおっぴらに男に戻すってことは、それだけで王室に対する翻意有りってことにされても文句言えなくなるんだよ。宮廷の水面下で継承争いが起こりそうだって話、まだ言ってなかったか?」
それまでの口調を変えたレスタに、シドは自然と馬上の姿勢を正した。再び歩きだそうとする愛馬を今度は引き止めず、不安定な歩みに揺れる身体を腕の中へと抱きとめる。
「…継承って、王子は…」
そんな話は聞いていない。レスタからも、誰からも。
ヴァンレイクの王子は、確かに現在ふたりいる。しかしそれは。
「ユアルじゃ頼りないってのが大部分の意見らしい。それなら歳の離れた王弟のほうがまだ資質も貫禄もあるだろうってな」
「てことは、王子より王弟殿下を…って話か」
第一王子はユアル、王弟はトロワ、それぞれに王位継承権は一位と二位の立場にある。
しかし王弟であるトロワは現国王とは親子ほども歳が離れており、つまり兄弟とはいえトロワは先王の妾腹の王子で、彼が誕生したときには異母兄である王はすでに成人し王太子を名乗っていた。ゆえに年若いトロワは王位継承者としての帝王学を厳しく施されることもなく、現在では王弟殿下として弁えた日々を過ごしている。
とはいえ、奇しくもトロワとユアルの生まれ年は従兄弟ほどにごく近い。
本来であれば若い王弟と第一王子、ただの叔父と甥のはずが、歳が近すぎたことで彼らの周囲には比較と選択の余地まで生まれてしまった。
「そうなると今度は決定打に欠けるわけだ。客観的に」
「…おまえは戻る気はないのか」
「政治は面白いけどな。王位には興味ない」
レスタはにべもなく答えた。
「誰が向いてて誰が相応しいかって話なんじゃないのかよ」
「どっちが向いててどっちが相応しいかって話だ。ユアルとトロワの」
「どっちも向いてねえよ」
低く吐き捨てるように断じてシドは馬の腹を蹴った。唐突に弾んだ馬上の揺れにレスタは後ろの肩に頭をぶつけ、シドはそんなレスタを腕の中にぎゅっと抱きしめた。
初めて会ったときから、レスタは支配する者の威風をその身に漂わせていた。
綺麗で美しい「姫君」だったときも、それが偽りだと知ったときも、少年の姿でバルトたちのまえに立ったときも。
最初から手の届かない星なら、在るべき高みに在ればいい。
そう思うのに、確かに思っているのに、興味がないと言ったレスタの言葉にシドは心の底で安堵していた。いまのこの安寧をこの先もずっと切望していた。
あの男もきっと同じだ。
レスタの存在を己の中で曖昧なままにしておきたかった。そう思っていたはずだ。
だとしたら、仮にどんな理由であの男がレスタを気に入っていたにせよ、今ごろは嫌でも困惑しているに違いない。
この首すじの噛み痕も、本当にたまたま虫の居どころが悪かっただけの、ただの腹いせならまだいいが。――そうでなければ、あるいはあの男は、レスタの内側に踏み込もうとしている、ということになりはしないか。
(…くそ。王位云々より当面はこっちのが問題ってことかよ…。あの放蕩貴族野郎…)
速駆けの風と蹄の音に紛れさせ、シドは舌打ちとともに低く悪態を吐いた。
さて一方、その頃のクラウドはといえば。
「クラウドさま、レスタさんにあんまり無体なことしないでくださいよ」
「あーうるせえ」
容赦ない蹴りにしばらく悶絶していたクラウドだったが、それも過ぎたいまは飽くことなく朝からの不機嫌を持続させながら、それでも机のまえに座っていた。
不機嫌の理由は、朝とは違っていたかも知れないが。
「それよりこっちだ。都にこれ届けとけ」
いつまでもだらけているのにも飽きていたのか、机に向かって何やら書き物をしていたクラウドは、折り畳んだ書簡に封をして、脇に控えるリクにそれを突き出した。
ナーガ帝都のカムリ官邸と頻繁にやりとりされてきた書簡の内容は、リクを含め数名の家臣にしか知らされていない。それは彼らの与り知らぬところでレスタがシドに話していた、北からの密輸に関わることだった。
問題の賊は、カムリ家の爵位継承から間もないうちに同領内に要所を構え、悪事を行いはじめたと思われる。
端緒は先代のカムリ辺境伯爵の急逝にあり、ゆえに充分な準備期間もないままに家督を継承したという年若い新総領、そしてその新総領の以前からの風聞の悪さ。こういった状況の表面だけを取りあげれば、確かにこちら側の不手際が招いた結果だといえる。
むろん、浮ついた新総領の素行で賊を油断させ、敢えて泳がせていたことを除けばだ。
「そろそろ詰みになりそうですか?」
「そうだな。賊の動向も把握したし、あとは領都と北の国境線それぞれの警備に指示を出せば」
「一件落着ですか」
「ああ」
「やっとですね。しばらくずっとこっちだったんで早く都に戻りたいですよ。まあクラウドさまは遊んでばっかりの生活からは遠退きますけど」
「どこだろうと変わるかよ」
「そうですけど、クラウドさまこの街けっこう気に入ってたじゃないですか。はじめは領都からの通いで遊んでたのに、この二ヶ月は完全にここに滞在しちゃったし」
「移動が面倒だったからな」
「それもあるでしょうけど、いちばんの理由ならレスタさんでしょ」
「……」
「あ…、でも、女の子じゃないんでしたね…」
「…ま、確かに変わり種だけどな」
こんな辺境の地にはそぐわないほどの、強烈な存在感ゆえだろうか。
手頃なものは掃いて捨てるほどあっても、得難いものなど見つからない。雑多な国境の辺都なんてどこもその程度に過ぎない。帝都のような華やかさもなく、所詮はただの辺鄙な田舎町のひとつだ。
いままでずっとそう思ってきた。これからだってきっと変わらない。
そう思うのに、あの眸が。
「……くだらねえな」
きっと帝都の日常に戻ってしまえば、またあの煩わしくて退屈な日々が始まる。
椅子の背に凭れて琥珀色の眼を閉じた。
炎に揺らめく濃い柘榴の輝きが意識を掠めて、ひらりと消えた。
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