龍神は月を乞う

なつあきみか

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第四幕〈クラウド〉

宿主と龍の御徴 8

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 案の定、宰相からの訪問の先触れが届いたのは翌日午前のことだった。
 先触れを受け取ったリヒトは使者に告げた。
「ご足労には及ばん。その旨お伝え願おう」
 思わぬ返しに使者は一瞬途惑ったようだ。そもそも訪問の先触れで「歓待する」以外の返答を預かること自体がめずらしい。
 しかしリヒトは淡々と続けた。
「今日は午後の茶会に出向くつもりでいた。せっかくなので宰相殿へはこちらから挨拶に伺うとしよう」
 これが午前十一時の出来事である。


 ちなみに現在、ナーガは朝廷議会の会期中だ。期間は五月から八月下旬にかけて。
 この会期中に限り、午後の宮中では通常の茶会ともうひとつ、議会の懇談会なるものが開かれている。
 議会に準ずるため主催もその議会だが、高位官吏や宮中伯だけでなく、自治権を持つ領地貴族も参加は自由だ。カムリ家も議会そのものに首を突っ込むことはまずないが、懇談会には以前からたまに顔を出していた。
 が、今回出向くのは茶会のほうだ。
 議会の顔ぶれが揃ったお堅い話題の懇談会ではなく、流行や噂話に花を咲かす有閑貴族たちの社交の場である。
 懇談会じゃないのかと問うたリヒトに、クラウドはそっちは次でいい、と答えた。
 いずれは正式にレスタを披露することになるが、今回はあくまでも非公式、いまはまだその機会ではない、ということらしい。
 そのあたりはクラウドとレスタのことなので、リヒトは素直に従っておいた。
 
 また半月に渡り昏睡していたクラウドの情報だが、殆どの貴族や官吏はいっさい何も知らされていないらしい。
 知っているのは帝の側近の一部と、神殿の上層部だけだ。
 ゆえに宰相もここに含まれるわけだが、当の宰相が龍神がらみのクラウドと直接的な係わりを持っていたかと言えば、それは少々首を傾げるところである。
 少なくともクラウドが個人的に親しくしていた覚えはない。
 ゆえにリヒトも、クラウドの目覚めを報告するべく各所へ使者を送り出したが、その届け先は帝の内宮御所と神殿の大僧正官舎、だけだった。
 あえて、特に意図したものではない。――が、先の意趣返しだろうと(宰相に)言われても、リヒトはべつにどうでもいい。


     + + +


 というわけで、完全武装のレスタはカムリの双子と連れ立って、約二年半ぶりの龍国の宮中茶会へと足を踏み入れていた。
 怜悧な美貌を縁取る淡く柔らかい金髪に、装いは深紅の民族衣装と盛装用の揃いの帽子、胸もとには粒よりの黒曜石を金細工であしらった三連の首飾り、左右の中指には精緻な彫刻を施した純金の指輪と、左の手首には漆黒の蛇を象った腕輪(に擬態したナギ)。黒繻子の帯も玉虫色の絹糸を織り込んだ豪奢なものだ。
 それでいて華美になりすぎないのは、深紅を主色に挿し色を黒と金のみでまとめているからだろう。
 かつてのような貴婦人の盛装でもなく、華美とも優雅ともまた違う。
 装飾品のたぐいも含め、異国の民族衣装をしっくり着こなしたレスタの姿は、おそらく誰の目にも風格を伴って映ったに違いない。
 出会った当時から万人の目を惹く美しさだとは思っていたが、年月を経てあらためてリヒトは感心した。
 これはもう、容姿が優れている云々ではなく、それ以上に中身が勝っているからだ。
 茶会の華である令嬢たちが談笑も忘れてこちらを見ていた。同じように男たちも。
 束のような視線の矢をさらりと流せるレスタは、己の容姿の使いどころを充分すぎるほどよく分かっていた。

「じゃあ、ここからは別行動で」
 まずは予定どおり、クラウドは帝の内宮へ挨拶に向かう。
 レスタを連れて行かないのは帝の招きがないというのもあるが、実際は宰相に対して間接的に「客人」を勿体つけるためだ。
 議会の会期中なので宰相は当然暇ではない。午後二時までの本会議と、その後も掘り下げたい個別の案件や議題の優先順などを懇談会で再検討するのが常だ。
 見舞いの先触れでもそれらをすべて終えたあとの、昼下がりの訪問を予告していた。
 つまりこの時間帯の宰相に、自分本位な行動を取れるほどの余暇はない。議会において最も責任ある立場の宰相なのだから、当然といえば当然である。
 見越していたので同じ時間の茶会を選んだ。めずらしく完全武装のレスタだが、そう簡単に宰相の目に触れさせてやる気などクラウドにはない。
 というより、今日はきらっきらの余韻だけを残してあっさり帰るつもりだ。
「レスタ、」
「うん」
「羽目外すなよ」
「なんで俺おまえに信用ねえの?」
 過去にも何度か似たような釘を刺された気がする。が、レスタに言わせればクラウドのまえで暴れん坊だった記憶は微塵もない。むしろクラウドのまえ以外でもそんな覚えはなかったが、何故かリヒトまで納得の顔で頷くから本気で不思議だった。
「え、俺っておまえたちの中でどんな印象?」
「ははは」
 そして朗らかに笑われた。
 解せない。

 レスタが眉間に皺を寄せて考えているうちに、クラウドは上座の大扉を抜けて茶会の広間を出て行った。
 周囲では遠巻きにこちらを伺っていた貴族たちが、残念そうにクラウドの退出を見送っていたり、ほっと安堵するような気配を垣間見せたりと、その反応はさまざまだ。
 クラウドは長身に見合った精悍な美丈夫だが、優雅を前面に押し出した貴族たちにはいささか威容が過ぎるらしい。
 荒々しいような静かなような、クラウドの持つ独特の雰囲気に畏怖を覚える者は少なくない。線の細い人間など不意の視線ひとつであっさり腰を抜かしそうだし、客観的な意見としてレスタもそれは理解できる。
 反面、そういう精悍さに心惹かれる者もいるわけで、残念そうな気配はおおむね着飾ったご令嬢が大半だった。ひらたく言うと容姿に隙のない美しい姫君たち。
 龍王の側室は帝の近親から推挙されるらしいが、そうは言っても金の眼の御子がすなわち継嗣という不文律は揺るがないので、傍流や末端の皇族に至るまで姫君の洗練ぶりは徹底している。
 国母への期待はもちろんのこと、寵愛を得て御子を成せば次代の皇族の地位も安泰だし、もしかしたら御巫姫の名を戴く栄誉に与るかもしれない、――とまあ、どこの国の王侯貴族も後継に対する思惑はだいたい同じだ。
 だからといってクラウドの好みが美女というのは短絡的すぎる気もするが、遊郭通いが知られていたわりにクラウドが姫君方に手をつけた話を聞かないとなれば、まずは容姿に気合いを入れて見初められる機会を作るべし、というのは妥当かもしれない。
 しかもなかなか多岐にわたる美姫揃いときた。
 広間をぐるりと見渡してみたところ、皇族の姫と思しき美女には妖艶系、高慢系、清純系、素朴系ときて、お堅い系まで網羅している。なんか凄い。

「そういや十人近くいるんだっけ、お妃候補」
「ん? ああ、」
 レスタの問いに傍らのリヒトが頷いた。
「未婚の姫君はその倍以上いるんだが、年齢で絞ればもっと少ないな。いまのところは六人とか、そのくらい」
「てことは、現時点でその六人がクラウドの側室にあたるわけか」
「…まあ、そうなるな」
「何かそれぞれ大変そう」
「他人事みたいに言うんじゃない」
 立食形式が茶会の主流だが、ゆっくり会話を楽しむための小さなテーブルも多く用意されている。
 そのひとつに取り分けた軽食とグラスを持って移動していたときだった。
「あらリヒトさま、素通りですの?」
 ふいに可愛らしい声がリヒトを呼び止めた。

 おお美少女。
 というのがレスタの最初の感想だった。
 清楚と言って差し支えない淡く上品な装いだが、物怖じしない落ち着きぶりには芯の通った自信も窺える。
 というかリヒトは龍の太子を片割れに持つカムリ辺境伯の総領代理だ。そのリヒトに気負わず声を掛けられる女性となると、自然と身分も限定されてくるわけで。
 直系皇族の姫君、――六人のうちのひとりか、と思ったが。
「これはセイラ姫。ご無沙汰しております」
 正面へ移動したリヒトは臣下の礼をとってみせた。
 セイラと呼ばれた姫君も高位者の礼で優雅に応えた。
「ずっとお忙しいのでしょう? クラウドさまもめずらしく茶会にお出ましになったかと思えば、すぐに出て行かれて、」
 ふとセイラの視線がレスタに向いた。
「…異国のお客様をお連れのようなのに、駄目だわね、クラウドさまは」
 ふふ、と淑やかに微笑んだその落ち着きぶりを見るに、可愛らしい顔立ちから少女だと思っただけで、実はけっこう年上なのかもしれない。
 皇族の姫君なのもリヒトの礼で分かったが、身分に応じた遣り取りのわりにどちらの空気も気易いというか、親しげというか、姉と弟? のような感じがする。
 レスタも三つ年上のエレナとはそれに近い付き合いだが、それとはもう少し、何かが違う気がする。たとえばこのしれっとした空気感。
 血縁か、あるいは、と思ったところでリヒトがちらりと視線を向けた。
「……レスタ、紹介しても?」
 リヒトもまたレスタが察したことに気づいたようで、この紹介が単なる紹介でないことはリヒトの問いからも伝わってくる。
 龍神の巫者だとか、クラウドの情人だとか、そういう紹介はクラウドが判断することだが、レスタ自身の紹介はレスタが決めることだ。
 どうぞ、と頷いてみせたレスタに、リヒトも無言で頷き返した。
「…姫、お耳を近くに」
「……、あら、」
 声を低めたリヒトの前置きに、今度はセイラがわずかに目を瞠る。
 それからすぐに高貴な人物のお忍びだと理解した顔で、リヒトに近いほうの頬に扇子を翳すとわずかに上体を傾けた。
 点在するテーブルの間隔はそこそこ離れていたが、リヒトは声を落とし、不作法にならない程度の早口で告げた。
「――こちらは東方の国の第一王子、レスタ・セレン殿下にあらせられます。お忍びの訪問ゆえ国名は伏せますが、此度はクラウドの由縁とだけ、」
「……、心得ました」
 神妙に応えたセイラの胸中は分からないが、伏せたところでナーガにとって東方の国といえばヴァンレイクだけだ。
 東の国なのに金髪?! という混乱が揺らぐ視線の動きに垣間見えるあたり、驚いているのは間違いない。
 レスタは笑いを堪えつつ、リヒトが続けてセイラを紹介するのを待った。
「こちらはカノエ宮家のご息女で、直系皇孫の第四姫にあらせられるセイラさまだ」
「初めまして、セイラ姫」
「こちらこそお初にお目に掛かります」
 互いに初対面の挨拶を交わし、高貴な姫君をまえにレスタはゆるりと笑みを返した。
 第四姫ということは、十人以上いるらしい孫姫の年齢を鑑みるに、年上という読みも当たりかもしれない。いや、年齢はこの際どうだっていい。
「…それから?」
 笑顔で畳みかけたレスタに、リヒトは何とも複雑そうな顔で小さく続けた。
「……それから、カムリの次の総領夫人…、になるかもしれない、というか…」
「早く言えよそういうことは」
 間髪入れず突っ込んだら、リヒトもセイラも妙に曖昧な苦笑いを浮かべた。


「厳密には婚約内定者だな」
 セイラに勧められた席を辞退して、リヒトはちょうど日陰になった窓辺のテーブルにレスタを促した。
「内定」
「うん。セイラ姫とは五つ歳が離れていて、ただの政略ならお互いもっと歳の近い相手はいるわけだ。なのに政略であるにもかかわらず正式な婚約も取り交わさず、何年も内定にとどめて今後の先行きを窺ってる」
 とどめているのは朝廷のお歴々だ。先行きというのも次代龍王の后選び。
「たとえば極端な話、クラウドが皇族の姫君全員に手をつけて全員もれなく身籠もったとしても、肝心の金眼の皇子が生まてこれなければ朝廷としては意味がない。それなら年上でも美貌と謳われる皇孫の姫君には予備として未婚を保たせたい、というのが内定止まりの真相だな」
 さながら他人事のようにリヒトは淡々と説明した。
「…で、朝廷側のそういう思惑とはべつに、セイラ姫とは歳の離れた幼馴染みという関係もあり、互いに気易い間柄を築いている、…といったところか」
 淡々にもほどがあるな、と話を聞きながらレスタは呆れた。
 あのしれっとした独特の空気感。ああいうのは本当に気易い相手でないと自然には出てこないものだ。身分差があるなら尚のこと。
 だとしたらリヒトとセイラは恋仲か、それに近い関係と考えるのが自然だろう。
「じゃあもう事実婚つーか、勝手に婚約発表していいんじゃね?」
「…そうだな。今後はその方向で考える」
 淡々とした口調は変わらなかったが、肩をすくめたリヒトは深々と溜息をついた。
 さすがに年上の幼馴染みとの政略的な婚約ともなると、周辺事情も絡んで甘い話にはなりにくいらしい。
 これは恋仲というより政略に振りまわされる者同士の連帯感、だろうか。
「リヒトもいろいろ大変だな」
「…レスタに言われるとお互いさま感がものすごいんだが」
「……うん、ほんとだ」
 相応の事情があるとはいえ、まさか生真面目なリヒトに事実婚を勧めることになろうとは。しかもさらっと頷くあたり、ただの生真面目じゃないのがリヒトだ。
 そもそも高位貴族の男が性に潔癖すぎては何かと不都合が生じるわけで、当然リヒトも成人まえから閨房の作法や手解きは受けている。
 特にリヒトはカムリ辺境伯の新総領というだけでなく、次代龍王の双子の兄だ。
 金の眼も持たず、龍の宿主でもない、ただの凡庸な片割れだが、双子という繋がりの一点において、ナーガ朝廷はリヒトとクラウドを完全に切り離して考えられない。
 そしてそんなしがらみの最たるものが、セイラ姫との婚約内定だ。
 分かっていてリヒトは受け入れている。
 たとえ政略でも何でも、互いに気易く感じる相手だったのは幸いだろう。それが彼らの恋になるかどうかはべつにして。
 いや、案外リヒトも一途かもしれない。あのクラウドがああだから。

「そういや俺、いままでリヒトは童貞だと思ってた。ごめん」
「…今そういう話じゃなかったよな?」
「いや、うん、…何となく」
「殴っていいか」

 本当に殴られた。
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