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これは、とっても大事な物だったの

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 私は自室で入浴を済まし、ベットの上で髪の毛を拭いていた。この城の共同入浴場は、管からお湯が供給されてくる。

 一体どういう構造になっているのだろうか? 私は半乾きの自分の赤毛を指で触りながら、今夜の舞踏会の事を思い返していた。

 頭に浮かぶのは、ザンカルのあの優しい笑顔だった。思い返す度、胸が少しドキドキする。

 ザンカルは孤立していた私を助けてくれた。彼らしい荒っぽいやり方で。私の頭の中はしばらくザンカルが占拠していたが、大事な事に私は気づいた。

 リボンが無い! 幼友達から貰った大事なリボンが! そう言えば舞踏会でカラミィに解かれたのを忘れていた。

 私は携帯用のロウソクを持ち部屋を出た。深夜の城中は静まり返っており、長い廊下の先にある暗闇はなんとも不気味だった。

 私は舞踏会の会場へ歩きながら考えていた。カラミィの事だ。私のリボンを保管しているとは考えにくい。

 きっと会場のどこかに捨てたに違いないわ。私は会場の扉を開け中に入る。私の目に入って来たのは、木張りの床を照らしていた月光だった。

 私は天井を見上げる。ガラス張りの天井から、新月の明るい光が会場の暗闇を駆逐していた。

「······綺麗」

 私はしばらく月に見惚れていた。これだけ会場が明るければ、もしかしたらリボンが見つかるかもしれない。

 私は床を丹念に探して行った。木張りの床に集中力を割いていた私は、前方に注意など払わなかった。

 だってこんな夜更けに無人の筈の会場に誰かがいるなんて思わないわ。普通。かくして私のおでこは何かにぶつかった。

「え? な、何?」

 私は謎の障害物を見た。それは、金髪の魔族だった。タイラントが私の目の前に立っていた。

「娘。こんな夜更けに何をしている?」

 い、いやそれはこっちの台詞なんですが? あんたこそ何してんのよ? こんな所で。

「ここは考え事をするには落ち着ける場所でな。私はよく利用している」

「か、考え事って?」

 タイラントは指を顎に当て、深刻そうな表情をする。

「舞踏会の時のザンカルの言葉だ。お前の事を名前で呼ばないのかと言われた。あれはどう言う意味だ?」

 さ、さあ? わたくしも良く存じ上げませんが?

「名前などその者を認識する為のただの記号だ。呼び方に何の意味がある?」

「い、意味ならあるわ。名前は親から貰った大切な贈り物よ」

「贈り物だと?」

「そうよ。親は愛情を込めて子に名前をつけるの。タイラントの御両親は?」

「······両親も親戚も私が子供の頃、全て戦で死んだ」

 そ、そうなんだ。じゃあ、タイラントは家族が一人もいない天涯孤独の身なんだ。

「······でも、子供の頃は両親の思い出があるでしょう?」

「無いな」

「全く無いって事は無いでしょう?」

「無い」

「朝目覚めた時のキスは?」

「そんな物は無い」

「散歩道を手をつないで歩いた事は?」

「それも無い」

「風邪を引いたとき、温かい牛乳にハチミツを入れて飲ませてくれた事は?」

「全く無い」

「叱られて泣いた後、優しく抱きしめてくれ
た事は?」

「一度も無い」

「······夜寝る時、愛していると言われた事は?」

「皆無だ」

 私の質問に、タイラントは表情を変えず平然と答える。彼の答えが本当なら、少年タイラントは親からの愛情を知らずに育った事になる。

 ······氷だ。タイラントの態度は、私の頭の中に巨大な氷塊を連想させる。タイラントの心は、この氷で閉ざされている。

 だがらタイラントは恋も遊びも関心を示さない。心が凍っているからだ。愛情を求めない子供なんていない。

 それを与えられなかった少年タイラントは、自分の心を凍りつかせたのだ。自分の心を守る為に。

 私を見るタイラントの紅い両目は、心を揺さぶられる感情とは無縁の色をしていた。

「娘。これはお前の物ではないか?」

 タイラントの右手に、私が探していたリボンが握られていた。

「あ! そ、それよ!そのリボンを探しにきたの」

 でもどうしてタイラントが持っているの?

「カラミィが床に捨てたのを見ていた。今お前が立っている場所は、舞踏会で立っていた場所と同じ位置だ。そこに落ちていた」

 ま、まさか。わざわざ拾ってくれたの? タイラントは相変わらず無表情だ。

「······拾ってくれてありがとう。タイラント。これは、とっても大事な物だったの」

「······嬉しそうな顔をしているな娘。そんな布切れにお前を喜ばす価値があるのか?」

 タイラントは首を傾げ、不思議そうな顔をした。

「想い入れがあれば、布切れ一つだって宝物になるのよ。言葉だってそう。寝る前の愛してるの一言だけで安心して眠れるの」

「······そして、朝が明けたら目覚めのキスか?」

「そうよ。そうして一日が始まるの。子供はそうやって親の愛情を受けて育つものよ」

「······毎日か?」

「毎日よ。子供じゃ無くなるその日まで」

 私は赤毛を結んでいた仮の紐を解き、手元に戻ってきたリボンを結ぼうとした。その時、私の視界に何かが覆いかぶさってきた。

 それは、誰かの顔だった。そう認識した瞬間、私の唇に何かが触れた。月光が射し込む舞踏会の会場は、耳が痛くなる程の静寂に包まれた。

 それがタイラントの唇だと気づくのに、私はどれ位の時間を要したのか分からなかった。
 

 
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